知ること、のロマン (「謎解き 超常現象」ASIOS) [ひと/本]
素直に、面白かった。
いやこの「面白かった」と云う感想が、編者のASIOSのみなさんにとって心外なものでなければいいのだけど。
UMAとか、UFOとか、古代超文明とか。こう、調べたわけではないので印象だけで書くけど、例えばいまニセ科学を批判するような立ち位置にいる方々にも、どちらかと云うとそう云うものが好きだった方も多いのではないだろうか。
少なくとも、ぼくはそうだった。
で、それでも、そう云うものについて書かれたいろいろな本に、こどものころのぼくは不満だった。
なぜって、だいたいがそれこそ「こども騙し」だったから。
不思議なことを「でも事実だ」と書いている。ほんとうはありそうにないことを事実だ、と書いている以上、「こんな根拠があってこう考えるのが妥当だから事実だ」と云う部分をきっちりと示してくれないと、「ひょっとしたらそう云うこともあるかも」みたいに感じるわくわく感は持続しない。最終的にその辺りをうやむやにして、「信じるか信じないかはあなた次第」みたいに放り出されてしまうとしらけてしまうのだ。
そうして、こどものころのぼくは、そう云う失望感をなんども味わった。
ちょっと(ぼくぐらいに)こまっしゃくれた小学生なら、そんなふうに感じると思う。小学生でも、その辺りは見抜く。馬鹿にされたように感じたりする。結局、わくわくはかんたんに消え失せてしまう。
「ほんとうにあったことはどんなことなんだろう」と云うことに、やっぱり答えてほしいのだ。
この本の中では、いろいろな超常現象に対して懐疑主義的な視点で「謎解き」が試みられる。逆説的だけど、そのスタンスこそが小学生のぼくが欲しかった、「わくわく感」みたいなものを持続させるために欲しかったものだ。ロマンは、「こう云う不思議なことがある」と云うことを信じると云うことにあるのではなくて、「その不思議なことは、いったいどうやって起きているのか」を考える過程にあるのだ。知ろうとすること、の過程に。
おかしな云い方かもしれないけど、できればこの本は、超常現象に興味を持つひとたちにこそ読んでほしいと思う。
それは啓蒙、とかそう云う意味ではなくて。ほんとうにロマンティックなことは「信じる」ことにあるのではなくて、知恵をふりしぼって「知ろうとすること」にある、と云う感覚を、共有してもらえるようになるかもしれない、と思うから。
いやこの「面白かった」と云う感想が、編者のASIOSのみなさんにとって心外なものでなければいいのだけど。
UMAとか、UFOとか、古代超文明とか。こう、調べたわけではないので印象だけで書くけど、例えばいまニセ科学を批判するような立ち位置にいる方々にも、どちらかと云うとそう云うものが好きだった方も多いのではないだろうか。
少なくとも、ぼくはそうだった。
で、それでも、そう云うものについて書かれたいろいろな本に、こどものころのぼくは不満だった。
なぜって、だいたいがそれこそ「こども騙し」だったから。
不思議なことを「でも事実だ」と書いている。ほんとうはありそうにないことを事実だ、と書いている以上、「こんな根拠があってこう考えるのが妥当だから事実だ」と云う部分をきっちりと示してくれないと、「ひょっとしたらそう云うこともあるかも」みたいに感じるわくわく感は持続しない。最終的にその辺りをうやむやにして、「信じるか信じないかはあなた次第」みたいに放り出されてしまうとしらけてしまうのだ。
そうして、こどものころのぼくは、そう云う失望感をなんども味わった。
ちょっと(ぼくぐらいに)こまっしゃくれた小学生なら、そんなふうに感じると思う。小学生でも、その辺りは見抜く。馬鹿にされたように感じたりする。結局、わくわくはかんたんに消え失せてしまう。
「ほんとうにあったことはどんなことなんだろう」と云うことに、やっぱり答えてほしいのだ。
この本の中では、いろいろな超常現象に対して懐疑主義的な視点で「謎解き」が試みられる。逆説的だけど、そのスタンスこそが小学生のぼくが欲しかった、「わくわく感」みたいなものを持続させるために欲しかったものだ。ロマンは、「こう云う不思議なことがある」と云うことを信じると云うことにあるのではなくて、「その不思議なことは、いったいどうやって起きているのか」を考える過程にあるのだ。知ろうとすること、の過程に。
おかしな云い方かもしれないけど、できればこの本は、超常現象に興味を持つひとたちにこそ読んでほしいと思う。
それは啓蒙、とかそう云う意味ではなくて。ほんとうにロマンティックなことは「信じる」ことにあるのではなくて、知恵をふりしぼって「知ろうとすること」にある、と云う感覚を、共有してもらえるようになるかもしれない、と思うから。
こんにちは、poohさん。
>例えばいまニセ科学を批判するような立ち位置にいる方々にも、どちらかと云うとそう云うものが好きだった方も多いのではないだろうか。
好きでしたね。なんていうか、子供の時というのは、そういう古代文明とか超常現象とかを言いふらす者たちの背景にある「生臭さ」みたいなものを感じずに読めるじゃないですか。
>それでも、そう云うものについて書かれたいろいろな本に、こどものころのぼくは不満だった。
>なぜって、だいたいがそれこそ「こども騙し」だったから。
なんていうかな、子供騙しの部分が見えてきても、そういう話の後ろにある人間の「生臭さ」が漂って来なければ、不満ではあっても嫌悪感までは無いわけだけどね。ある年代以降に、こういう話を言いふらす者たちの「生臭さ」みたいなものに触れてしまうことで「不満」が「嫌悪」に代わっていった部分もあるんですよ。
この「生臭さ」というのは最初の言い出しっぺだけじゃなくて、それを利用して名を売ってやろうとか、儲け話にしてやろうとかいう部分がたいてい入ってくるのが嫌なんですね。なんていうかな、私はkikulogでもそう書いたけど、巷の発明家のトンデモ発明そのものは結構好きなんですね。問題は、そこに群がってくる「金儲けへの利用」とかがたまらなく嫌になったりする訳です。
by 技術開発者 (2009-04-20 17:19)
ご紹介ありがとうございます。
(自分の息子が関係しているから義理的な要素から)ある程度読み進めたうちの母が、「意外だった」というニュアンスで、「こういうのも面白いかもしれない」と言っていたのが印象的でした。
この分野にそんなに興味をもっていたわけではなくても、楽しんで読んでくれる読者ってのは、結構いるのかもしれませんね。
これからも暖かく見守っていただければ嬉しいです。
by newKamer (2009-04-20 18:42)
> 技術開発者さん
ぼくはこども騙しが透けた瞬間からいやでしたね。この程度でいいだろ、みたいな感じがほの見えた瞬間に、もう耐えられなかった。
おっしゃる生臭さは、それはそれで嫌ですけどね。でもそもそもそれは、まずは出版社とかメディアから嗅ぎ取ってました。
by pooh (2009-04-20 21:40)
> newKamerさん
いや、失礼な云いかたかもしれないんですけど、純粋に面白かったんですよ。で、この面白さってどういうものなんだろう、とか考えたら、ぼく自身としてはこどものころに読んでいた古代文明本とかと同質のものだった、と云うことでした。
懐疑主義、と云うものがそもそも、そう云う面白みみたいなものを内包しているのかもしれない、とかちょっと思ったんですね。
by pooh (2009-04-20 21:41)
> poohさん
ニセ科学批判なんかと違って、ASIOSは、なにかを気負っているわけではなく、楽しんでやっているというところのある団体ですから、読者も娯楽感覚で読んでいただくというのは正しい楽しみ方のような気がします。
ジュニアスケプティック関連で、青少年のほうが(結果には関係なく)「真相を追う」ということ自体を楽しむことができるのではないか?みたいな話をしたことがあるんですが、総合学習で超常現象を扱ったことのある教師の方も、同じ印象を持っていたようでした。
poohさんも私達も少年の心を忘れていないということかもしれませんね。
by newKamer (2009-04-21 12:55)
> newKamerさん
> 「真相を追う」ということ自体を楽しむことができるのではないか?
この「楽しさ」を楽しんでくれるひと、共有できるひとがたくさんいるといいな、みたいに思います。
ちょっとべつの話になりますけど、科学者、と云うか学者ってのはそう云う商売なのかも、とか思ったりもします(ぼくは学者じゃないですけど)。
by pooh (2009-04-21 21:48)