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傍証 [よしなしごと]

船井幸雄と云うひとがいて。江本勝とか七田眞とか比嘉照夫とかベンジャミン・フルフォードとか副島隆彦とかきくちゆみとかその他もろもろ、ある種のひとたちの身近にはなぜかこのひとがいる。
で、このひとが提唱するコンセプトに「本物」と云うのがある。

で、その「本物の条件」と云うのがあるようで(強調はpooh)。
(1) つき合うものを害さない。
(2)つき合うものを良くする。
(3)高品質で安全。そして安心できる。
(4)単純でしかも万能である。
(5)経済的である。




・・・・・・なるほど、そう云うことだったのですね。単純でしかも万能であるものが本物、と。

なるほど。「ちょっと難しくて、考えないと判断のつかないもの」とか、「有用だけどリスクとベネフィットを勘案しないと使えないもの」は「本物じゃない」と云う発想ですか。
こう云うものこそが「本物」なんだとしたら、考えずに「信じ」てもおっけーですね☆ こころづよいですね♪

ちなみにこのひとのまわりにいる輩でぼくがいちばん許容しがたいのは、ありがとうの先払いとか云って商売しているひと。感謝の言葉はだれかに感謝を伝えたいときに使えよ。自分の現世利益のためのお題目にするんじゃねえよ。
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Jem

日本の水道水って、条件全部クリアしてますね。
by Jem (2009-08-26 21:08) 

pooh

> Jemさん

(1)および(2)は微妙かと。なんたってDHMOですから。
by pooh (2009-08-26 21:15) 

黒猫亭

>>(1)および(2)は微妙かと。なんたってDHMOですから。

致死量がありますからねぇ。多分毒なんでしょう。
by 黒猫亭 (2009-08-26 21:39) 

pooh

> 黒猫亭さん

リスクがありますからね。"Symptoms of DHMO ingestion can include excessive sweating and urination, and possibly a bloated feeling, nausea, vomiting and body electrolyte imbalance. "ですから。
by pooh (2009-08-26 21:47) 

No.4560

ちょっとだけ考えてみましたが、条件に当てはまるものが思いつかないですね。

10年くらい前なら単に「死」を挙げるかもです。
by No.4560 (2009-08-26 21:54) 

pooh

> No.4560さん

「死」はまぁ本物かもしれません(高品質かどうか、はわからないですけど)。
こう、ここで云う「本物」って言い回しは価値判断を含んでいて、なのでじつはその段階でよじれている、とも云えるかも。
by pooh (2009-08-26 22:09) 

亀@渋研X

いまんところ条件に合致するものを思いつきません。むー、イワシの頭とか阿弥陀さまとかかなあ。これのおかげだと思えば全部これのおかげだ、みたいな。

あっ、ひとつあったかも。きくちまこと、っつうんですけど。つき合うものを害さない、良くする、高品質で安全、安心、経済的です(酒もタバコもバクチもやらないから)。あと、ギターもテルミンも弾くし歌も歌うし、ポンチ絵も文章もプログラムも論文も書くし、冗談も言えば子どもも作るし。およそ万能と言ってもいいんじゃないでしょうか。これでは千能ぐらいでしょうか。
by 亀@渋研X (2009-08-26 23:20) 

きくち

僕は安全でも高品質でもないし、善人でもありません。いろいろなことで、多くの人が困っています。

そこんとこ、よろしくお願いします

by きくち (2009-08-27 00:26) 

PseuDoctor

きくちさんは、安全でも高品質でもないかもしれませんが、何となく安心な感じはします(^^;
そんな気がするだけなのかもしれないけれど。

更に余談ですが「単純で万能」と聞いて、こんなのを思い出しちゃいました。
http://www.victorinox.co.jp/products/multi_tools/index.php
でも、良く考えたらこれ、全然「単純」じゃないですね。
by PseuDoctor (2009-08-27 01:01) 

黒猫亭

きくちさんにもヴィクトリノックスにも半数致死量があるから毒なんじゃないでしょうか。
by 黒猫亭 (2009-08-27 01:18) 

きくち

そういう根拠のない安心はいけません。困るので、やめてください。
健康と安心はロックではありません
by きくち (2009-08-27 01:23) 

黒猫亭

>きくちさん

最近国内では、ロッカーの高齢化が進んだせいか、健康と安心に強い関心を持つロッカーが増えているように思います。「禁煙してジョギングを毎朝続けているので飯が美味い」と嘯くロッカーとか。
by 黒猫亭 (2009-08-27 01:30) 

PseuDoctor

ロックに安らぎを感じても良い様な気もしますが。

ちょっと真面目に書くと、私には割と「思考停止状態に陥っているのではないか」という不安がある訳なのですね。その意味での安心を求めたいと。
とは言え、不安を全く感じなくなったら流石にまずいと思いますけど。
by PseuDoctor (2009-08-27 01:45) 

きくち

いけません。
スティーブン・タイラーまでが健康に気をつけてしまうというこの時代はだめです。

by きくち (2009-08-27 01:49) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

きくちまことが非常に多機能であることは認めます。でも多機能と万能はだいぶニュアンスが違います。あからさまな弱点があると「万能」と云うニュアンスからはずれてくる気がします。
by pooh (2009-08-27 07:31) 

pooh

> PseuDoctorさん

きくちまことにマルチツール的な高性能さはあると思いますが、ヴィクトリノックスにたとえると、「ナイフになぜかオカリナとマラカスがついている」みたいなニュアンスのように思います。
by pooh (2009-08-27 07:33) 

pooh

> 黒猫亭さん

ロックはそう云うものではありません。
その点ではぼくはきくちさんに同意します。
by pooh (2009-08-27 07:34) 

pooh

> きくちさん

ぼくは(1)の条件の面でどうかと思います。
by pooh (2009-08-27 07:37) 

黒猫亭

>きくちさん、poohさん

>>スティーブン・タイラーまでが健康に気をつけてしまうというこの時代はだめです。

>>ロックはそう云うものではありません。

オレもそう思うのですが、近年はロッカーを自称する人が「これはロックだ」と謂えばロックになると謂うふうに、「ロック」がマクガフィン化しているのではないかと憂慮する次第です。そう謂えば、昔アン・ルイスが結婚していた頃、「糠味噌はロックだ」とまで言っていました。
by 黒猫亭 (2009-08-27 07:47) 

きくち

そうですね。10徳ナイフのうち8徳までは意味不明、みたいなのがよいですな。

船井のいう「ほんもの」の定義は非常におもしろくて、「にせもの」の判定条件としてそのまま機能するよね。もちろん、だからこそ「船井系」なんていう言葉まであるんだけど
by きくち (2009-08-27 08:07) 

きくち

(1)から(5)まで問題だと思います

ところで、「自称ロッカー」と「自称プロサーファー」はどちらが「自称度」が高いかという問題を考えました。

by きくち (2009-08-27 08:33) 

ちがやまる

問題点は他の動植物をへらし廃棄物を出すことだ、と言ったら(ロッカーへの)侮辱になるでしょうか。

「元ロッカー」と「元プロサーファー」はどちらが過去をひきずってるか、という問題とかもあるかもしれません。
by ちがやまる (2009-08-27 09:42) 

亀@渋研X

70年代には「オレがジャズだと言えば、それがジャズだ」を通り越して「オレがジャズだ」ってのもありましたね((c)ナベサダかな)。

>きくちまことにマルチツール的な高性能さはあると思いますが、ヴィクトリノックスにたとえると、「ナイフになぜかオカリナとマラカスがついている」みたいなニュアンスのように思います。

ああ、これは言い得て妙だ。

当たり前だけど、万能ってのと、多機能とか有能とかいうのとは全然違うんだなあ、と改めて思いをいたしております。正味の万能ってのは「全智全能」みたいなもんですわよねえ。冗談でも本気でも、こんなに怪しい概念はないな、みたいな。
その意味ではきくちくんをそういうところに放り込んでごめんなさい。ゴミ箱に突っ込んだみたいなもんだわな。

>「にせもの」の判定条件としてそのまま機能する
というか、それ以外に使い道がないということが、このコメント欄で確認されたような。
by 亀@渋研X (2009-08-27 10:16) 

かも ひろやす

「死」は条件5を満たしていません。遺族に経済的負担をもたらします。

by かも ひろやす (2009-08-27 15:20) 

apj

 「本物の条件」を5つすべてみたすモノは、フィクションの中にしか存在しない。
by apj (2009-08-27 15:27) 

黒猫亭

>>ところで、「自称ロッカー」と「自称プロサーファー」はどちらが「自称度」が高いかという問題を考えました。

某容疑者が「自称」扱いされているのは、JPSAのような公認のプロ連盟に所属していなかったとか何とか割合単純明快な事実関係上の理由なので、この場合「自称ロッカー」に対置されるのは「自称サーファー」でしょうね。

なんかそこまでグレードが下がると、八〇年代くらいによくいた「陸サーファー」みたいなのを想い出しますが。
by 黒猫亭 (2009-08-27 17:39) 

黒猫亭

ああ、史上最強の自称度を誇る肩書きとして、「自称詩人」と謂うのがありました。現代だと「自称作家」ですかね。ロッカーだと詩人のほうに近いのかな。
by 黒猫亭 (2009-08-27 17:43) 

No.4560

>かも ひろやすさん
>「死」は条件5を満たしていません。遺族に経済的負担をもたらします。

そうですね。

この「本物の条件」って「誰にとって」が曖昧で、「自分(読者)だけにとって」なら「死」はありかなぁ、と10年前なら思ってそうです。
今は「自分だけにとって」でもまず条件1を満たさない(ことが多い)と思っています。

他者も考慮に入れると、条件1,2,3,5を満たさなくて(満たさない場合が多くて)、それを解消しようとすると条件4が問題になってくるのかな。


--
「ライナスの毛布」はどうだろう?とか思ったんですが、これも(本人がどう思おうと、少なくとも)安全、万能ではないから、違うか。
by No.4560 (2009-08-27 21:29) 

pooh

> 黒猫亭さん

この「なにがロックか」と云う議論には、説明しだすときりがないほど長い歴史と積み重ねがあって、なのでそのことについてなにか意見を表明する、と云うことはその文脈に連なる、と云うことになってしまうんですね。

そのへんはここではつまらないのでやりませんが、ぼくの個人の認識だと「自称」のつかないロッカーが「これがロックだ」と云えば、ぬか味噌だってロック、と云うことになります。
この部分、たぶんきくちさんの認識とは若干違ってくる、と思うんですよ。そうなるとぼくときくちさんは「なにがロックか」と云うことについて(既存の議論の文脈に乗って)議論をたたかわせることとなる。そう云う性格のお話かと思います。
by pooh (2009-08-27 22:24) 

pooh

> きくちさん

> 「自称ロッカー」と「自称プロサーファー」

後者はプロ組織の認定と云う明解な基準があります。なので自称度が高い低い、と云うより単純に詐称かどうか、と云う話になるかと。
後者については、まわりに「ねーよ(笑)」とか云われない限りまったく問題ない、と云うことになるかと。
by pooh (2009-08-27 22:27) 

pooh

> ちがやまるさん
> 他の動植物をへらし廃棄物を出す

それはロッカーの属性でもサーファーの属性でもないような。

元ロッカー、と云うのは、それが自称であれば「決別」を意味し、他称であれば「過去をひきずっていることそのもの」を指すように思います。
by pooh (2009-08-27 22:29) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

「おれがロックだ!」みたいなひとは今も昔もいますけどね。説得力はひとそれぞれで。ナベサダについては「ねーよ(笑)」みたいに思いますけど、なんかこう云う文脈ではロックとジャズはおなじレイヤーにある概念のように思えないのでややこしいな(阿部薫はジャズミュージシャンですけど、ロックだと思う)。

「万能」は、原理的に名乗った瞬間に似非ですよね。
by pooh (2009-08-27 22:30) 

pooh

> かも ひろやすさん

確かに、いまの世ではそうですね。
by pooh (2009-08-27 22:32) 

pooh

> apjさん

と云うか、現世に存在しない、と云うことかと。なので現世外の価値観に近接していく、と云うのがあるようにも思います。
by pooh (2009-08-27 22:33) 

pooh

> No.4560さん

基本的には「信じる対象」を示すためのものなので、要求される機能としては本来満たせないような、相互に絶妙に矛盾のあるリストであるほうが都合がいいわけです。ロジカルに「条件を満たしているかどうか」が判断できるようなものでは、たぶんまずい。
基本は「依らしむべし」なわけなので、そこで矛盾を解決せずに乗り越える、思考を放棄する、と云う重要な要素を含ませていると云うしくみなのではないでしょうか。
by pooh (2009-08-27 22:40) 

きくち

僕は「協会という名の組織が認定しなければプロではないのか」という問題を提起しておきます。「独立系のプロ」はありえないのか。
僕はそうは思いません。

by きくち (2009-08-27 23:10) 

黒猫亭

>>「独立系のプロ」はありえないのか。

きくちさんが仰っているのは、実体的なプロフェッショナリティを前提にした問題提起だと思いますが、敢えて歴史性の観点からお返事を致しますと、元々「PROFESSIONAL」とは「PROFESS」「PROFESSION」が語源で、これは「はっきり公言する」と謂う意味です。誰が何を「はっきり公言する」のかと謂えば、たとえば中世のギルドみたいな職業者組織において、親方が徒弟のことを一人前の職人であると「公言する」ことを指したようです。日本だと落語の真打ち制度がこれに近いですね。

ですから、歴史的な観点から謂えば、プロフェッショナルは「自称」ではダメで、社会から職能を認められた職能者の組織がその当人の職能を保証し公言すると謂う手続が必要だと考えられます。だとすると、「自称プロサーファー」はやっぱり詐称だと謂うことになるし、また、医者なんてのは典型的なプロフェッショナルですから、BJが幾ら職能的実態としては天才的な敏腕外科医でも、「プロ」ではなく飽くまで「モグリ医師」と謂うことになりますかね。
by 黒猫亭 (2009-08-28 02:46) 

黒猫亭

その関連で謂えば、多分「ロッカー」はプロフェッショナリズムとは関係のない概念じゃないでしょうか。アマチュアリズムと謂うのともまた違いますから、プロフェッショナリティの概念とは関係のない概念だと考えたほうが妥当ではないかと思います。

「詩人」のほうに近いのではないかと謂ったのは、勿論「詩人と謂う職業」にも中世くらいだと親方組合とか互助組織みたいなものがあったようですが、近代くらいになると、それは「職業」ではなく、また「詩作する者」と謂う意味ですらなく、「生き方」だと謂う話になって、さらには「存在の在り方」だと謂う話にまでなってくるわけで(笑)、遂には「呪い」だと謂う話にまでなってくるわけですね(笑)。

だから、「詩人」と謂うのは、なろうとしてなったり、辞めようとして辞められたりするものではないし、詩を作る必要なんかもない。詩人は詩人であることから逃れられない、と謂うような希有壮大な話になってくるわけですが(笑)、これだと、自意識の在り方の問題なんだか他者からの認識の問題なんだかサッパリわからなくなってきますね。

poohさんがイメージしておられる「ロック」とか「ロッカー」って、何となくそんな概念に近いんじゃないかと考えたんですが、きくちさんにはまた別のお考えがありそうです(笑)。
by 黒猫亭 (2009-08-28 02:57) 

ちがやまる

私のは、どんな素性の人間であっても、食って出す、というそれだけで5条件を満たすことはないだろう、ってな話でした。
(言葉が少なく、ぶっきらぼうになってるのは、「おかしな科学」を買ってないせいでここの敷居が妙に高いのです。)
by ちがやまる (2009-08-28 03:40) 

pooh

> きくちさん

下での黒猫亭さんのコメントを踏まえると、「プロ」と云うのは、ある職能をたつき、と云うかなりわいとしていて、それが公的に承認されている(ここに手続きがある場合もない場合もあるでしょうが)と云うのが要件になるかと。

そうすると「独立系のプロ」はもちろんありえますが、そこには無手順での公的な承認、と云うのが要件になってくるわけで、これはハードルがあがるのではないかな、と。
by pooh (2009-08-28 07:30) 

pooh

> 黒猫亭さん

その意味では、「ロッカー」は職業ではないわけです。ただし、前のきくちさんへのコメントに書いたように「プロのロッカー」はありえるわけで。ミュージシャンでなくてもロッカーである、と云うのはありえるし、逆にプロのミュージシャンでロッカーを自称していても、そこには疑義の余地がある、と云うおはなしかと。

このコメント欄に「ロッカー」と云う形容がなされたことのある人間が最低3人いて。亀@渋研Xさんときくちさんとぼく(このなかでぼくだけ格段に力量が劣りますが、まぁそれは措いておいてもらうとして)。で、この3人はだれもなりわいとしていないし、「自称」でもないわけです(ぼくの自称はブルーズマン)。なんか変ですが、そう云う種類の話かと。
by pooh (2009-08-28 07:39) 

pooh

> ちがやまるさん

あぁ、いやべつにそんな無駄な敷居をお感じにならなくても。

いや、どうしても心理的な障壁をお感じだ、と云うのでしたら、こちらからお買い上げいただくことで乗り越える、と云う手もあります(^^;。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20
(とかあさましいことを書いてみる)
by pooh (2009-08-28 08:08) 

きくち

黒猫亭さん:

なるほど、もともと職能団体の認定があってこその「professional」であるはずだということですか。
いかに「主としてそれで食っている」としても、それだけではだめである、と。

同人誌で食っている人は、プロではないということになるのかな。
「プロ作家」「プロカメラマン」「プロ翻訳家」あたりはどうでしょう。もちろん、「協会」はありますが、所属していない人もいるはずで。

ところで、医師のように国家資格のものは、別扱いにしないと混乱すると思います。

by きくち (2009-08-28 10:42) 

apj

 漫画のネタで、テレビのアナウンサーが「サーファーを楽しむ」とやるシーンがありました。日本語の乱れがここまで来たか、と登場人物が突っ込もうとした次のコマで、
・海に居る人達は下手糞でちっともサーフィンを楽しめてない
・陸サーファーの方はボードを片手に女の子をナンパすることを楽しんでいる
という状態になってて、表現は正しかったというオチ^^;)。
by apj (2009-08-28 11:59) 

黒猫亭

>poohさん

>>なんか変ですが、そう云う種類の話かと。

やはりオレのイメージだと「詩人」に近いのかな、と思いました。今はもう「詩人」なんて死語に近くなりましたが(笑)、poohさんのご説明は「詩人」にもそのまま当てはまってしまうんですね。たとえば寺山修司なんかをイメージするとわかりやすいかもしれません。詩が商品として売れることもたしかにあるけれど、詩作で喰っている詩人はほぼいないんじゃないかと思いますし、詩人にとって詩作はおそらくたつきの道ではないんだと思います。
by 黒猫亭 (2009-08-28 12:48) 

黒猫亭

>きくちさん

>>同人誌で食っている人は、プロではないということになるのかな。

そうですね。これはわかりやすくプロではないでしょう。プロ顔負けの収入を得ている同人作家もいますけれど、ちょっと前に同人作家が脱税で摘発されたことがあって、収入を申告しなくちゃならないと謂うことを識らなかったなんて話があります。

同人誌と謂うのは、まあコマーシャルベースに乗ることもありますけれど、書き手が自由に書いて自由に売るものですから、書き手の力量には何ら組織的な制度としての保証がありません。個々の買い手がそれに個人的に価値を見出すと謂う基準で売買が成立していますから、幾ら部数が売れていても、幾らプロ並みの技倆でも、多分同人作家はプロではないと謂うことになると思います。


>>「プロ作家」「プロカメラマン」「プロ翻訳家」あたりはどうでしょう。

この辺はボーダーですね。一番「自称」が氾濫する分野ですし、職能集団による構成員の職能の保証の形式が曖昧ですね。作家なんかの場合、昔なら文壇があって、師がいて弟子がいると謂う形になりますから、一種の職能保証があったとは思いますし、カメラマンなんかも誰かの弟子にならないと一本立ちは難しいですね。翻訳家の世界はよくわからないですから何とも謂えませんが。

ただ、クリエイターの場合は物質的なメディアに掲載されることが一種の職能保証になっていると謂うことは謂えるかもしれません。たとえば書籍を作るとかCDやDVDを作るには、大勢の人のマンパワーとコストが懸かりますから、事前に一定の見識を持つ製造者による選抜が行われます。その選抜を経てメディアに掲載されることが職能の保証になっていると謂う考え方は出来るでしょう。

ですから、これに対置されるのは、マンパワーもコストも要さずに自由な情報発信が可能で、従って事前に選抜が行われないネット上の表現行為ですね。変な喩えですが、もしもネット上で小説を書いていて、それで何らかの対価が得られたとしても、売れた小説を「商品」と呼ぶことは出来ても、事前の選抜がないと謂う意味では、書き手をプロと呼べないかもしれません。

>>ところで、医師のように国家資格のものは、別扱いにしないと混乱すると思います。

いや、最初にお断りしたように、これは実態論と謂うより歴史的な観点の話です。医者がプロフェッショナルの典型だと謂うのは、中川米造著「素顔の医者」と謂う講談社新書の受け売りで、医術と謂うのはかなり特殊な性格があって、非専門家にはその職能を評価出来ない(つまり、患者が死んだ場合、手の施しようがなかったのか医者がヤブだったのか部外者にはわからない)し、知識だけでは十分ではない。

国家資格制度と謂うのは、それを国家が保証する形にしようとする試みですが、国家試験で判定出来るのは知識のみで、医術が知識のみで成り立っているわけではない以上、治療の場において有効かどうかは確実ではないわけで、これもなかなか難しい。以下、ちょっと同書から引用しますと、

>>学問をおさめたという保証では十分ではなく、部外者には個々の医者の能力を評価できないとすれば、仲間でそれを保証する制度をつくるのがよい。お互いに専門家であるから、お互いの能力はわかるはずである。医者が組織をつくり、その自律的な規則によって、メンバーの能力や行為を規制するのである。それをやっているということを社会にむけて〈公言〉した職業を、プロフェッションといったのである。

「公言」の解釈は少し違いますが(と謂うか、ちょっと捻りすぎた解釈だろうと思いますが)、職能組織が個々のメンバーの職能を保証すると謂う仕組みですね。一七世紀くらいに「プロフェッション」と称した職業は、医者と法律家と神職だと謂うふうに中川は述べています。
by 黒猫亭 (2009-08-28 12:51) 

ROCKY 江藤

>きくちさん
>「プロ作家」「プロカメラマン」「プロ翻訳家」あたりはどうでしょう。もちろん、「協会」はありますが、所属していない人もいるはずで。
「プロ評論家」「プロカメラマン」「プロ翻訳家」を自称したことのある私が来ましたよ。
評論家は「主としてそれで食っている」し、カメラマンと翻訳家はそれでお金をもらったこともありますが、それだけではだめですか。

>なるほど、もともと職能団体の認定があってこその「professional」であるはずだということですか。
航空ジャーナリスト協会、宇宙作家クラブと言う弾体があって、両方に所属しているのですが、どちらも認定を行うような職能団体ではないですね。
航空や宇宙を職業としていない、それで金を稼いだこともない人も加わっているし、逆にその分野で世間に知られた評論家やジャーナリストでも加わっていない人もいるし。
特に航空ジャーナリスト協会の方は、航空を趣味とする方々の定年退職後の寄り集まりみたいな様相を呈したこともあるくらいで。
航空ジャーナリスト協会の会合でご年配の方に「ご職業は?」と聞かれたので、「航空ジャーナリストです」と答えたら、あっけにとられたような顔をされました。ひょっとしてそういった職業が成り立つとは思っていなかったのか。
by ROCKY 江藤 (2009-08-28 15:08) 

pooh

> きくちさん

「プロの同人作家」と云うのは微妙ですね。形容矛盾のような気もするし、でも実態として存在する(それも昨日今日の話じゃなくて、おそらく日本の近代文学の黎明より存在する)わけですからね。うむむ。

・・・・・・って、この話題についてはあんまりお呼びでない気がしてきた(^^;。
by pooh (2009-08-28 21:53) 

pooh

> apjさん

サーフィンはスポーツとしてはかなり敷居が高いです(昔サーファーの友人に寝ているところをたたき起こされて海岸に拉致されて足にサーフボードをくくりつけられて海に放り込まれたときに痛感しました)。

それはさておき。
なんか昔あった糸井重里の「三日坊主めくり」を連想しました(「軽井沢で秘書を楽しむ」とかそう云ったやつ)。
by pooh (2009-08-28 21:54) 

pooh

> 黒猫亭さん

そう云う意味では、属性に近いかも。
なりわいかどうか、はあまりそこには関係してこないですね。
by pooh (2009-08-28 21:54) 

pooh

> ROCKY 江藤さん

poohはこの話題については口をつぐみます(^^;。
(おはなしはここで続けていただいて問題ありません)
by pooh (2009-08-28 21:55) 

TAKA

船井氏に共感する人になって、考えました。

夢をばら撒く商人にとっては、一点の曇りも無い条件なのでしょう。その条件に、万が一にも懐疑の心が芽生てしまった場合には、夢を売る商売が真っ黒に染まって破綻です。(絶望した!本物の条件が偽物で、絶望した!)

目を覚ますわけにはいかない。だって現実は、夢に思ったよりも厳しく、冷たい凍土ですもの。暖炉に馴れた弛緩思考には、耐えられませんわ。ねえ(-_-;ウ~ム。
by TAKA (2009-08-28 23:03) 

黒猫亭

プロ論(笑)については、話を拡げてしまった者の責任として、ちょっと纏めてみましょう。

医者の話でちょっと紹介したように、歴史的な観点の話をすると、昔はプロフェッションである職業とそうでない職業があったことになります。と謂うか、プロフェッションとは医者と法律家と神職の三つだったと謂うんですから、語義的にはプロフェッションではない職業のほうが圧倒的に多かったことになります。

ここでちょっと歴史的な観点を離れて実態的な話をしますと、現在用いられている「プロ」と謂う言葉には、厳密には「プロフェッショナル」の歴史性とは関係ない概念も入っているわけで、「玄人」とか「商売人」と謂う概念も混在しています。

「玄人」と謂うのは、「素人」と対になる言葉で、これは元々「白人」と書いて、白塗りしただけでろくに芸のない役者を卑しめてそう呼んだ言葉です。そして、「白人=素人」のほうが先に出来て、その対語として「黒い人」と謂う意味で「玄人」と謂う言葉が生まれたようです。ですから、元々素人・玄人と謂うのは、商売人としてのスキルの有無乃至善し悪しを表現する言葉で、商売人であるかないかの区分とは関係ない概念だったと考えられます。

では、「商売人」はどうかと謂うと、商売人かそうでないかだけで、対になる概念はありませんね。これは商売としてそれを行っている者、と謂う意味ですから、商売として成り立っていればそれで好いわけです。商売としてではなく趣味として何かをしているのであれば、幾らスキルがずば抜けていても、商売人ではないわけですね。

この、商売人かそうでないかと謂う区分と、素人・玄人の区分との境界がまず曖昧化して、商売として行っているんだから玄人、つまり芸があると謂うことになるわけで、商売人のことを玄人と呼ぶようになり、商売人でない者のことを素人と呼ぶようになります。ただ、これは突き詰めて謂えば別々の概念が混入しているわけで、元は商売人を芸の善し悪しによって素人・玄人と分けていたのが、同一階層の概念になってごっちゃに混用されるようになったわけです。

ここに外来語の「プロフェッショナル」まで加わって、組織的・制度的な職能保証と謂う概念まで混在するようになったので、現時点における「プロ論」と謂うのは、実は階層の違う複数の概念をごっちゃにして語っている部分があるのだと思います。

さらに大本の話題に戻りますと、「自称プロサーファー」がなんで簡単に詐称だと断言し得るかと謂うと、これはスポーツ選手だからですね。本来スポーツと謂うのは遊戯ですから趣味嗜好の範疇の事柄で、アマチュアリズムであるのが本来なわけです。それを生業としてカネをとると謂うことのほうが特殊例なのですから、職能と見做し得る程度の技芸の保証が要求されるわけで、プロスポーツと謂うのはこの観点から概ね認定制や登録制になっているわけですね。

プロスポーツ団体に加盟することで職能の保証がない限り、スポーツ選手と謂うのは基本的にアマチュアですから、団体に登録していない選手は幾らプロを自称してもカネを稼げないわけですね。その意味で、プロスポーツ選手の場合、実態と名分がかなりわかりやすく合致しています。

また、作家や評論家やカメラマンの場合、「プロフェッショナルであるかないか」と謂う尺度で視た場合、非常に曖昧な部分があることは事実ですから、実はこの種の職種については「プロフェッショナル」と謂う観点を離れて視たほうが妥当だろうとは思います。つまり「商売人」と謂う観点で視たほうが、上手く実態を説明可能なのではないか、と謂うことです。

ROCKY 江藤さんならおわかり戴けると思いますが、作家や評論家やカメラマンと謂う職業に実体が伴う為には、現在只今それを生業として継続的に行っている必要があると思います。そう謂う意味では、職能だけで成立する職種ではないと思うんですよ。現在只今生業としてその職業分野にコミットしている必要があって、これは、一種「商売人」と謂う概念に近いと思います。

単に、現在の日本語のニュアンスだと、「商売人」と謂うと何となく即物的でクリエイティブなイメージに欠けるので、作家やカメラマンや評論家を「商売人」と呼ぶと、何となく貶めているような印象になりますが、おそらく「商売人であるかそうでないか」と謂う尺度で視たほうがスッキリするんじゃないかとは思います。

結局、すべての職業に対して普遍的に「プロ・アマ」と謂う対比が成立すると謂う考え方が、「ではプロとアマの違いは何か」と謂う議論にかなり混乱を招いている側面はあるんじゃないですかね。

江戸時代辺りの感覚で謂うと、たとえば農民と職人と商人と謂うのは、職制と謂うより「社会的役割」に近い見方をされていたんではないかと思いますし、それやこれやの多義的な概念を一括りにして普遍的に抽出し得るプロ論と謂うのは、かなり薄い上澄みみたいな話になるんではないかと謂うふうに思います。
by 黒猫亭 (2009-08-29 04:39) 

pooh

> TAKAさん

夢に値段をつけて売るのも、それを買うのも、おかしなことではないですよね。ただ夢を「夢だ」とちゃんと伝えているのか、と云うところは問題視すべきです。
コミュニケーションのギャップで利鞘を得る、みたいな商売はまずい。
by pooh (2009-08-29 05:29) 

きくち

このくらいにしておきますが(^^
僕の問題提起は「プロ団体に所属していればプロであるが、逆は真ではないだろう」ということです。競技をしなければプロではないというのも間違いで、さまざまなスポーツに「レッスンプロ」と呼ばれる人たちがいます。

by きくち (2009-08-29 14:23) 

黒猫亭

>きくちさん

では、こちらも最後です。

>>僕の問題提起は「プロ団体に所属していればプロであるが、逆は真ではないだろう」ということです。

たしかに、マイナースポーツと認識される分野では、組織的・制度的職能保証のシステムが整備されていない可能性があるので、論理的に言えばその通りだと思いますが、それはおそらく制度の未熟による例外と謂うことになるだろうと思います。

>>競技をしなければプロではないというのも間違いで、さまざまなスポーツに「レッスンプロ」と呼ばれる人たちがいます。

仰る通りですが、「競技をしなければプロではない」と謂う主張は誰もしていないと思うんですよ。この場合の論点は「職能者組織による職能の制度的保証」です。レッスンプロも基本的には職能団体が職能を保証したプロ選手で、試合やツアーで稼ぐのではなく、ティーチングを主な収入源とするだけの違いでしょう。

教わる側も、大学生の家庭教師のアルバイトのように単に「教えるのが上手い人」に教わるわけではなく、プロの職能が組織的・制度的に保証されている選手だから金銭的な代償を払って教わるわけです。

代表的なレッスンプロであるプロゴルファーも、ウィキによれば「レッスンプロになるためには、日本では日本プロゴルフ協会(JPGA)もしくは日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)が実施する実技テストに合格することが必要」とあるように、団体に職能を認定される必要があります。

すべてを虱潰しに調べたわけではないですが、少なくともプロスポーツに限って謂えば、おおむねこのようなシステムに準拠していると思います。
by 黒猫亭 (2009-08-29 14:46) 

きくち

おしまいと言いつつ。
まあ、組織が確立しているもの(仮に複数の組織があり、対立していたとしても)とそうでないものとの違いはあって当然ですね。

やはり釈然としないのは、僕がスポーツよりも作家とかカメラマンとかそのあたりを念頭に置いているからかもしれません。

by きくち (2009-09-01 11:00) 

黒猫亭

>>やはり釈然としないのは、僕がスポーツよりも作家とかカメラマンとかそのあたりを念頭に置いているからかもしれません。

クリエイティブな領域で職能の問題が曖昧なのは、おそらく、プロダクトの観点から職能評価するとなると、それは藝術批評と謂う固有の価値観の領域になってしまうし、職業者の実態的な労働の観点から視ると、専門性とは離れた問題になるからかもしれません。

なので、この問題に関するオレの考えは「どんな職種にでも一律に適用可能なプロ・アマ二項の弁別基準は存在しない」と謂うものです。前述の通り、どうも「プロ・アマ」と謂う概念それ自体が、物凄く曖昧で複合的な概念ではないかと思いますので。

おそらく、最大公約数的には「職業として行っているかどうか」と謂う弁別なんでしょうが、それが直ちに専門性やプロフェッショナリティに結び附くかと謂うと、職種によってまちまちですよね。一般的な職業でも「営業のプロ」とか「接待のプロ」なんて謂いますよね。これは何処までが洒落で何処からが実体的な意味があるのか、物凄く曖昧です。

大多数の社会人は何らかの職業に就いていますけれど、では何らかの職業に就いている者はすべてその職業についてプロと謂えるのか、別の言い方をすれば、プロフェッションでない職業はあるのか、これも実はハッキリしていないのだと思います。
by 黒猫亭 (2009-09-02 09:05) 

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