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音を立てる [よしなしごと]

asahi.comの静かすぎるHVに低速時のみ「発音装置」、中3が発明と云う記事を読んだ。
すばらしい。

この発明の意義もさることながら、こう云うローテクでシンプルなアイディア、と云うのはこころひかれる。「知恵」と云う感じがする。
不快な音にならないように、1カ月ほど材質や大きさの改良を重ねた。ケースの形をひし形にして、馬のひづめのような音になる「改良型」もできた。
目配りの方向がとても正しい、と云うか、そう云う方向に考えられるのがすごい。実用までまだハードルはあるんだろうけど、なんかそう云う視野があるんだったら大丈夫かも、みたいに思わせる。

こちらでWiredJapanの静かすぎるハイブリッド車の危険と、音を出すシステム(動画)と云う記事に触れた。こちらはスピーカーから音を出すしくみなので自由度は高そうだけど、普及を目指すのならこの「発音装置」のほうが有効なんじゃないか、とか思う。

ただ、なんか車好きのひとたちって、必要以上に音質にこだわったり、カスタマイズしたりしそうな気もするんだよねぇ。まぁそう云うひとはあまりハイブリッド車は選ばないのではないか、と云うふうにも思うけれど。
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たざき

おお、これは素敵。

(1) つき合うものを害さない。
(2)つき合うものを良くする。
(3)高品質で安全。そして安心できる。
(4)単純でしかも一能である。
(5)経済的である。

という「ほんまもんの条件」を満たしてますよね。
by たざき (2009-08-28 22:40) 

pooh

> たざきさん

あああああ、まさに。
しかも天上のもの、ではないですよね。

「一能のもの」と云うのにも、とても惹かれる部分があります。
by pooh (2009-08-28 22:50) 

TAKA

NHKの番組で、その少年の発明を目撃しました。
低速時の試験車は、「カタカタ」と音を鳴らしていました。(加速すると音は止む)
発想は素敵。
今後の改良を経て、やがては全国の自動車が「カタカタ」、「カタカタ」、「勝った、勝った。またノムさん、勝った。」と、音を立てて走るのかも?
by TAKA (2009-08-28 23:11) 

pooh

> TAKAさん

ノムさんは昨日は勝ちましたけど、「また」とか云える時代は仙台に来るのやら。
by pooh (2009-08-29 05:22) 

zorori

民放でも紹介してました。
久々に感動したアイデアです。

スクーバのレギュレーターの仕組みに感動して以来かな。
by zorori (2009-08-29 06:33) 

pooh

> zororiさん

動画が存在するようですが、見ていないです。

こう云う本質的なシンプルさ、と云うのはほんとうに感動的です。
by pooh (2009-08-29 08:52) 

e10go

素晴らしい!

久々に感動しました。是非、電気自動車にも使ってほしい。
by e10go (2009-08-29 10:27) 

pooh

> e10goさん

日頃、「これを最初に思いついたやつはすごい」みたいに感じるものってあるじゃないですか。そう云うものが生み出される過程のひとつを見た感じがします。
by pooh (2009-08-29 19:30) 

TuH

まず、自動車が静粛なことのどこを問題としているか、それこそが問題でしょう。
静か過ぎるから「接近しても歩行者が気づかない」ということですが、歩行者と自動車が同じところに存在するケースが、まず少ないのではないでしょうか。例え同じところに存在したとして、運転者には歩行者保護の義務があります。道交法的には、いくら遅く、あるいは道の真ん中を歩いていようと、運転者は待っているか、止めて降りてお願いするしかありません。その法規をそのまま遵守すれば、自動車が静かになっても何の問題もありません。
「視覚障害者や高齢者にとって危険だ」とのことですが、聴覚障害者はどうするのでしょう。いや、相手が障害者や高齢者でなくとも、歩行者保護が義務です。「静かになった→視聴覚傷害者は音で状況を判断する→音がしないのは問題だ→別な音を出そう」という思考だと思いますが、音がしないのが問題なのではなく、歩行者保護がおろそかになっているのが問題なのです。明後日のほうを攻めても、破綻するだけで解決にはなりません。
更に、歩行者と同じところに存在することが多い自転車のほうが無音だし、免許制でないからでしょう、歩行者保護が徹底されていません。最近は、自転車による対歩行者、対自転車の事故が増加していると聞きます。自転車にも同じ装置を義務付けますか?

なお、音により「気付き」を引き起こそうとするのであれば、その音は不快音である必要があります。気にならない音、心地よい音では、あまり「気付き」にはならないでしょう。つまり、気付いて欲しい人以外にとっては、騒音以外の何物でもないということです。

問題の本質がわかっていない以上、「ずばらしいアイディア」もトレーニング以外には役立たないでしょう。いや、この装置の場合、実現されてそこらじゅうでカチャカチャされては堪りません。全然良いアイディアではありません。
by TuH (2009-08-30 19:05) 

pooh

> TuHさん

> 音がしないのが問題なのではなく、歩行者保護がおろそかになっているのが問題なのです。

これはおっしゃるとおりです。
ただし(おわかりのとおり)最終的にはこれは自動車を運転する側、云ってしまうと交通強者の自覚の問題です。その部分に早急の変化が期待できない以上、なんらかの手段は必要になることもあるでしょう。

> 自転車にも同じ装置を義務付けますか?

その方向もありえるでしょう。「義務づける」べきかどうかは別として。と云うか、現在でも自転車に乗っていて自他の被害の危険がある場合には、ベルを鳴らすのは一般的だと思います。

> 「気付き」を引き起こそうとするのであれば、その音は不快音である必要があります。

これはわかりますが、許容の水準の問題ではないですかね。現行の自動車の排気音も同様かと。

> 問題の本質がわかっていない

本質的な解決が難しい(自動車が静粛になったぶんだけ一般の運転者のモラル向上が期待できる、と云うわけではない)ので、オルタナティブな解決方法の意義がある、と云うことだと思います。
by pooh (2009-08-30 20:49) 

1Smj9d

TuHさん,

仰ることは正論だと思いますが、現実に効果があり、かつ弊害が効果より少なければよろしいのではないでしょうか。

例えば、最近の車は万が一歩行者をはねた場合でも、歩行者への衝撃を少なくするということも考えられています。このような方策は、そもそも運転者が事故を起こさなければ不要であるからといって無駄とは思いません。
クラクションというのも、本来、理想的な安全運転を常にできるなら不要です。人間はそうそう、模範的、理想的に完璧な行動ができるものではないという視点は重要だと思います。

ちなみに、私自身プリウスが近づくのに気づかず驚いた経験があります。
by 1Smj9d (2009-08-30 21:52) 

pooh

> 1Smj9dさん

> 最近の車は万が一歩行者をはねた場合でも、歩行者への衝撃を少なくするということも考えられています。

あぁ、そうなんですか。それは知らなかった。
どうしてもぼくが偏見を持っていたのは、自動車の進化が搭乗者の安全にばかり目を向けている(まぁ商品としては当然なんですが)点にあったんですね。変わってきているんだなぁ。
by pooh (2009-08-30 22:01) 

TuH

>自転車に乗っていて自他の被害の危険がある場合には、ベルを鳴らすのは一般的だと思います。

おおよその場合、道交法違反です。それが一般的であっても、ベルを鳴らす/鳴らされることで逆にトラブルになることもあります。
最近では自転車が右側通行をしていることが増え、一般的と言っても良いような状況ですが、それも許容しますか?

>最近の車は万が一歩行者をはねた場合でも、歩行者への衝撃を少なくするということ

話が違います。それは運転者がどんなに気をつけても避けられない場合とかでしょう。最初からぶつけても平気なように作られているわけではありません。

>クラクションというのも、本来、理想的な安全運転を常にできるなら不要です。

「警笛鳴らせ」の標識があります。見たこともあります。
また、なぜ「理想的な運転」などとイチゼロ論議になるのでしょうか?

***
本来すべきことをせずに、対処療法的なものを絶賛するのは、曲突徙薪と同じようなものです。
by TuH (2009-08-30 23:45) 

TuH

本件につきましては、日経BPのWeb中で、以下のように展開されています。
私が本件「静か過ぎるハイブリッド車問題」を詳しく知ったのは、このページです。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090723/169349/
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090805/172698/


私は、以下のお三方の意見に納得しています。
繰り返しますが、愚策を実現する方法を考えることは、限られた範囲での思考トレーニングとしては結構ですが、その方法を実施してしまったら愚かの二乗です。「下手の考え休むに似たり」ならばまだ良いのです。問題点を見誤った対策は、それ単体としてはいかに巧妙な仕組みであっても、絶賛することではありません。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090805/172698/?P=5
by TuH (2009-08-31 00:21) 

TAKESAN

今晩は。

本筋ではありませんが…。

上の方に書き込みされているかた(1Smj9dさん)、多分、名前の入れ間違いをされてると思います。

------

>TuHさん

混在していますので、どなたのコメントからの引用かを明示した方が、読みやすいと思います。

------

対症療法的な方策が適切か否かは、現状がどのようになっており、想定している方策がどのような効果をもたらすか、を検討しなければならないでしょう。

私はTuHさんのご意見にもかなり説得力を感ずるのですが、かと言って、「愚策」とまで断じられるようなものなのだろうか、とも思うのです。

対象が即「絶賛」されるようなものでは無い、という点には同意しております。その意味で、TuHさんが仰る
▼引   用▼
それ単体としてはいかに巧妙な仕組みであっても、絶賛することではありません。
▲引用終わり▲
( TuH (2009-08-31 00:21) )
というのは誠にその通りだと思われます。と言うよりも、およそあのような仕組みというものは、用いられるシチュエーションあるいは状況を含めて総合的に考慮し、評価されるべきものなのでしょう。

低速で音が鳴り、簡易に取り付けられ、安価である、といった機能を満たす道具、という合目的的な条件においては、上手く考えたものだな、といった所でしょうか。その合目的性が、より一般的な合理性に繋がるかどうかは、また別の議論なのでしょう。

後、当たり前の話ですが、「気づきやすい」音は、別に不快な音である「必要」はありません。車の音だと弁別出来る特異的な音であれば良いので。一般に不快な音は気づかれやすいかも知れませんが(そもそも「不快」という概念は、それに注意を向けている、のを含んでいるでしょうし)、かと言って、必ずしも逆が成り立つ訳ではありませんね。
ただ、ある判りやすい音が、車から出る音だと一般に認知された場合、それが一般に「不快な音」だと認知されるようになる、事もあるとも考えられます。そこら辺、それほど単純な論理では無いですね。
by TAKESAN (2009-08-31 02:36) 

zorori

poohさん、

昔から無いこともありません。昔の車にはボンネットの上に立体的なエンブレムみたいなものが付いていて、それが凶器になるというので、廃止されたとか。カンガルーバーが批判されたということもありました。最近はもっと高度なことを考えているようですが。

TuHさん、

弊害があることも当然考慮すべきだと思います。だからまだ実用化されたわけではないのでしょう。例えば私は高速走行時に悪影響がないかと瞬間的に気になりました。タイヤを買えばホイールバランスの調整をしますからね。そういう問題点を克服し、効果が弊害を上回ればということです。

そういうこととは別に、本来、車側で対策すべきことを歩行者の注意に転嫁しているというご意見だと思うのですが、原則的には私も同様な考えです。しかし、社会的規制というのは他者にも負担をある程度強いるものです。変な例えですが、建築物の日影規制というのはある程度の日陰は我慢しないということになっています。都市生活をするのなら、お互い様という面があり、全く他者の迷惑をかけないというのは不可能です。だから、害と益のバランスを考える必要があるのだと思います。

工場内のクレーンや運搬車は作動時に警報を出しますが、これも考えようによっては作業者に負担を転嫁する本末転倒の対策です。本来なら、作業者が不注意でも事故が起きない対策が望ましいと思いますが、そのためには大きなコストが必要となり、他の安全対策に回せる費用が減り、総合的に安全性が低下するかも知れません。

by zorori (2009-08-31 07:12) 

pooh

> TuHさん

> おおよその場合、道交法違反です。

あれれ、そうだったんですか。すいません、知りませんでした。

> 本来すべきことをせずに、対処療法的なものを絶賛するのは、曲突徙薪と同じようなものです。

運転者が交通強者たるを自覚して、よりいっそう優しく安全な運転をこころがけるべきだ、と云う点においては、まったく異論はないんですよ。と云うか(エントリ中でリンクした以前のエントリからの流れでいくと)その部分が本質である、と云う点についてはたぶんあまり認識は違わない。
ただ、それはそれとして、「静粛なハイブリッド車の登場」と云う変化があるわけですよね。目の前でその変化が生じつつあるときに、本質的ではなくてもひとまずは、と云うような対策に意味がない、とは思いません。

ちなみにここでリンク先の記事の内容を賞賛しているのは、ハイブリッド車の増加に対して「音を出す」と云う角度で対処をおこなう、と云うすでにある考えかたの文脈に乗って、非常にシンプルなアイディアを提供したこと、に対してなので、それはけして本質をおろそかにする、と云うことではないつもりです。

ちなみに、背景には交通騒音と云うものに対しての感受性の差、と云うものもあるかもしれません(ぼくはそのあたり相対的に鈍い可能性が高いです)。
by pooh (2009-08-31 07:35) 

pooh

> TAKESANさん

> 「気づきやすい」音は、別に不快な音である「必要」はありません。

これ、そうとう微妙な部分ですよね。
なので、元記事にもそのあたりへの目配りが強調されているのだと思います。
by pooh (2009-08-31 07:37) 

pooh

> zororiさん

> カンガルーバーが批判されたということもありました。

あぁ、そうだったんですか。
あれ、嫌だったんですよ。事故の際に相手方を確実に害するためにつけているとしか思えなくて(カンガルーがいないのでかわりにバイク乗り、みたいな感じ)。

自動車の運転者が、積極的な安全対策をそれほどおこなわない、と云う点についてまずぼくは日常的に不満で、でもそこは(みずからが相対的に強者である以上)そうそう変わらないよなぁ、と思っていて。運転者自身が作り出す安全、と云うのが本質的にいちばん重要だ、と云うのは、わりあい強烈に思っています。
by pooh (2009-08-31 07:43) 

e10go

>TuHさん

>音がしないのが問題なのではなく、歩行者保護がおろそかになっているのが問題なのです。明後日のほうを攻めても、破綻するだけで解決にはなりません。

こういう反論が出てくるだろうと想像していましたが、なぜ事故が起きるか原因を考えれば、この対策が有効と解るでしょう。

>>自転車に乗っていて自他の被害の危険がある場合には、ベルを鳴らすのは一般的だと思います。
>おおよその場合、道交法違反です。

なんか勘違いしていますねえ。
危険回避や危険を知らせる目的なら、違反ではないです。
逆に、「鳴らさないと危険な場合」に鳴らさなかったら、安全運転義務違反に問われますよ。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO105.html#1000000000003000000010000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
by e10go (2009-08-31 10:40) 

Cere

これは何て言うか、「やっぱり不思議」のコメント欄で話題になっている「チマチマ対策」と「根本対策」の話のデモンストレーションなんでしょうか。
チマチマ対策の話をしていると「根本対策の邪魔だ」って言う人が現れるという。

「チマチマもいいけど、根本も忘れないでね」なら分かるんだけど。

by Cere (2009-08-31 13:39) 

黒猫亭

ちょっと参考までに指摘しておきますと、道交法と謂うのは基本的に「危険回避」を目的として「相互信頼の原則」で成り立っている特殊な法律ですね。絶対的必然性から謂うと、道交法なんてのはなくても好い法律なんです。道路を交通している者が互いに的確に状況を判断して通行していれば、絶対的な必要のない法律です。

江戸時代くらいだと、人も車も馬も同じ道路を通っていたわけで、とくにどこをどのように通らなければならないと謂う決め事もありませんでした。それで交通事故もかなり多かったそうで、馬にはねられたとか大八車に轢かれたなんて事故が結構多かったようですね。それでも、単にお互い注意して道を通りなさいと謂うことで、馬や車は人通りの多いところは注意して通る、人もまた馬や車が通ったら注意して除ける、これで通用していたわけです。これは、概ね世界中何処でも同じような状況でした。

ところが、自動車が登場したことでそれでは間に合わなくなってきて、それまで通りの感覚では危険だからいろいろな決め事が出来たわけです。車線だってなくても構わないわけですし、イエローラインだってなくても構わない、交通信号も必要ないし、方向指示器だって本来は必要ないわけです。人やクルマや軽車両がちゃんとお互いに注意して状況を正確に判断していれば、道交法に決められたルールなんて本来必要ないわけです。

ではなんで道交法が存在するかと謂うと、リスクを低減して事故を回避する為です。たとえば、他の法律なら、禁止事項はそれ自体が悪いことだから禁止されているのですけれど、道交法の場合はそれが危険だから禁止されているわけです。車線やイエローラインや交通信号や方向指示器と謂うのは、リスクを低減して事故を回避する為に義務附けられているわけで、そう謂うルールとシステムを設けることでリスクが低減され事故が回避されるから決まっているわけですね。

たとえば、バイクにノーヘルで乗ってはいけないとか、高速道路で二人乗りしてはいけないなんてルールは、四輪車に比べて相対的にリスクが高くて事故の被害が大きいと謂う理由で決められているわけですね。その意味で、相対的な決め事ですから、社会状況の変化によって改廃があります。

また、道交法は基本的に「相互信頼の原則」に則った法律ですから、通行する者相互がキチンとルールを守ると謂う信頼に基づいて成立しています。で、このルールの適用対象は道路を通行する者全員ですから、歩行者も軽車両もすべてこの対象になります。道路上を通行するもののなかでは車輌が一番影響力が強いですから、運転者に対してはより厳しい責任が求められますが、原則的には歩行者にも軽車両にも道交法は適用されるのだし、注意義務はあるんです。

現実論としては、歩行者や自転車の運転者には自分たちにも道交法の遵守が求められていると謂う認識が薄いですから、相対的にクルマの運転者のほうの注意義務が重くなっています。事故を回避する為には、理屈を言っていても仕方がないから、より力の強い者のほうが注意しろと謂う相対的な話なんですね。

ただ、一旦事故が起こった場合には、道交法のルールに照らして歩行者の側が注意義務を怠っていれば、車輌の運転者の過失責任は軽くなりますし、あまりに極端に歩行者が不注意であればまったく過失責任を問われないこともあります。

翻って本題に戻ると、ハイブリッド車の音が小さすぎて危険だと謂う話は、車輌の側の注意義務の問題ではなく、歩行者の側の注意義務に関連する問題だろうと思います。元の記事でも、低速で音が出るけれど高速では音が出ないと謂う工夫が為されていますから、この場合に想定されている状況と謂うのは、歩道と車道の区別があまり明確ではなく、クルマが通行していない場合には歩行者が車道にはみ出して歩かざるを得ないような道路事情が想定されていると考えられます。

これは、東京の都心ですらそんな道路事情の場所は数え切れないくらいありますから、全国で謂えば物凄い数に上るでしょう。こう謂う場所では、クルマが来たことを歩行者の側が認識して狭い路肩に寄ると謂うアクションが求められます。事情の然らしむるところとして、歩行者の側が常に道交法に違反して通行するような状況が放置されているわけですから、法的な観点で謂えば歩行者の側に大きな注意義務があるわけです。

この場合、ガソリン車ならエンジン音でクルマを認識出来るけれど、ハイブリッド車はあまりに静かすぎて聴覚による情報が与えられない、視覚情報だけで注意すると謂うことになりますが、それではたとえば背後からクルマが低速で進行してきた場合など気附きにくいわけですね。こう謂う場合に、歩行者がクルマに気附かずに車道に大きくはみ出してしまったら、運転者にはそれを避けようがないわけです。

このような状況においては、道交法は何の抑止力もないですね。道交法に違反して通行区分を無視しているのは歩行者の側ですし、クルマに対する注意義務も履行していないわけですから、法的な観点では完全に歩行者の側が悪いわけですが、それでも事故を避けようと思ったらクルマの側で歩行者を追い抜いてはいけないことになるわけです。

また、クルマの側で歩行者が見えている状況ならまだクルマが気を附ければ好いと謂う話ですが、信号のない狭い交差点で自転車が飛び出す場合など、これはクルマの側では注意しようがありません。道交法を遵守して一旦停止して安全を確認して交差点に進入しようとした刹那に自転車のほうからぶつかってくると謂う状況が幾らでも考えられるわけですね。これも道交法の観点では自転車の側の注意義務違反で、クルマの観点から謂えば「貰い事故」です。

道交法に則って理非を糾すなら、クルマが通行していようがいまいが歩行者は車道と見做される範囲にはみ出して道路を通行してはいけないのだし、クルマが最大限に注意義務を守って通行しているのに飛び出してはねられたら、それは歩行者の過失だと謂うことになるわけですが、これはこれでおかしいでしょう。

そもそも、車道にはみ出さなければ人間一人が歩けないような道路事情が放置されていることのほうがおかしいわけですから。実際には、道交法の観点では、このような未整備な道路上においては、人とクルマが互いに注意することで譲り合って道路を使用しなさいと謂うことになっているわけですね。なので、別段クルマの運転者の側だけに責任が求められているわけではありません。

この問題の大本には、クルマがそこに存在することを歩行者や自転車の運転者が聴覚情報として察知することが出来ないと謂う問題があります。視覚情報のみに依拠すると謂うことは、道路を通行する場合に大変危険なんですね。人間の眼は前にしか附いていないので一度に見られる方向には限界がありますから、教習所でも視覚だけではなく聴覚でもちゃんと状況を判断するようにと教えています。

ですから、ハイブリッド車の音に関する問題と謂うのは、本来歩行者の側の注意義務に関係する問題で、歩行者が車輌の存在を認識する為の重要な聴覚情報が、ハイブリッド車の場合には欠落していると謂う問題なのであり、リスクを低減し事故を抑止すると謂う道交法の目的から考えても、別段おかしな点はないと考えます。

現状で、クルマの運転者にも注意義務があるとすれば、歩行者の側にも注意義務があるのであり、双方がルールを遵守することで交通の安全が保たれているわけで、そのようなシステムを前提に責任の軽重が決まっているわけですが、ハイブリッド車の場合、聴覚情報を発信しいていないと謂う理由の故に、クルマの運転者の側の責任が過剰に重くなっているわけで、これはこれで不公平な状況なんですよ。
by 黒猫亭 (2009-08-31 15:18) 

技術開発者

こんにちは、Cereさん、そして皆さん。

>チマチマ対策の話をしていると「根本対策の邪魔だ」って言う人が現れるという。

そうね。おそらく、こういう低速時に音を出すような装置がオプション選択としてある時に、「安全のために付けよう」とする人は、もともと、歩行者の安全に対する意識の高い人だと思うのね。前を歩く歩行者や自転車が「自分に気が付いていないのかな」と思ったら、不意に道を横断される可能性を想定して防衛運転する様な人ほど、「自分だってうっかりそう防衛運転できない事もあるから、念のために付けておこう」なんて付けるのね。もともと「そこのけ、そこのけ、オイラが通る」という人は、そんなものはオプションで付けないんじゃないかな。

なんていうか、「チマチマ対策が意識対策でもある」というのはそういう事を
下敷きに考えているのね。まあ、どちらが多いかの議論でも有るんだけどね。事故対策という場合には、誰もが「事故を起こしたい」とかは思っていないという前提で、防衛運転するをする人が優勢にいるという前提で考える訳ね。ただ、優勢にいるんだけどそれが形に表れないのをチマチマ対策で形に表れる様にすることで、全体の意識も変えていこうとする面があるのがチマチマ対策なんですね。

「やっぱり不思議」のコメント欄では脚立から身を乗り出して作業するか、脚立を動かして作業するかなんて例を出したけどね。私の経験では老練な職人さんほど、そういう時に脚立を移動させるのね。その業界に長くいるほどいろんな事故も見ているからね。ただね、そういう職人さんが若い人が身を乗り出して作業しようとしたとき注意するかどうかは、まさに仕事場の雰囲気なのね。そういう注意が普通に出る様になるのが「意識対策」なのね。そのためには、チマチマと「脚立から身を乗り出して作業するな、脚立を動かせ」と言うことで、そう言うことを日常的にやる人が周りにも伝えやすくするという効果を期待している面があるんですね。

なんていうかな、常日頃から生活道路で歩行者や自転車が不意をついた動きをするかどうかを気にして防衛運転する人がオプションの発音器を付ける事で、「気にするのが普通」という意識が広がれば良いという考え方もある訳ですよ。

by 技術開発者 (2009-08-31 15:50) 

技術開発者

こんにちは、黒猫亭さん。

>江戸時代くらいだと、人も車も馬も同じ道路を通っていたわけで、とくにどこをどのように通らなければならないと謂う決め事もありませんでした。それで交通事故もかなり多かったそうで、馬にはねられたとか大八車に轢かれたなんて事故が結構多かったようですね。それでも、単にお互い注意して道を通りなさいと謂うことで、馬や車は人通りの多いところは注意して通る、人もまた馬や車が通ったら注意して除ける、これで通用していたわけです。これは、概ね世界中何処でも同じような状況でした

実は元禄の頃は、たんなる過失として扱われていたんですが、享保の頃から江戸の町における交通事故はかなり問題になりまして、厳罰が適用される様になっていきます。そのため、荷車で運ぶ、いわゆる「横持ち」の業者は、その荷車の前に人に警告してどいてもらう役割の人などを配置する様になります。それ以外にも、積み過ぎて荷崩れによる事故などにも厳罰が適用される様になったということで、荷崩れの監視をして、積み直しのときは手つだう目的の者など、何人も人を配置して事故を防いだ記録があります。まあ、人件費が安い世界ですからね。
http://www.tctv.ne.jp/members/koba-y/ooedo/koutuu.htm


by 技術開発者 (2009-08-31 16:32) 

ちがやまる

技術開発者さんの方向に進化するなら、人の踏み込まない場所でのみ走行する車、間違えて人が踏み込んだ場合にも決して人には当たらない車、というのが理想なわけですね。

自分が自転車で人の脇を追い越す場合は「失礼しまーす」(かわいく)ないし「すみませーん」と声をかけて通ります。よけてくれたら「申し訳ありません」と言いいます。それで済むのでベルは使いません。自分がいきなり後ろからヂリヂリやられるのは牛か羊かのように扱われているような気がして好きではありませんし。
by ちがやまる (2009-08-31 16:56) 

技術開発者

こんにちは、ちがやまるさん。

>技術開発者さんの方向に進化するなら、人の踏み込まない場所でのみ走行する車、間違えて人が踏み込んだ場合にも決して人には当たらない車、というのが理想なわけですね。

安全と言うことに関してのフェイルセーフ理論からすると理想ですが、現実には、道具をそこまでフェイルセーフにできないから、チマチマ対策とその結果としてもたらされる「意識」論になるのね。

>自分が自転車で人の脇を追い越す場合は「失礼しまーす」(かわいく)ないし「すみませーん」と声をかけて通ります。よけてくれたら「申し訳ありません」と言いいます。

或る意味で、チマチマ対策って言うのは、そういう行動が良いなと思ったら「みんなやりましょうよ」と言うことに近いのね。ちがやまるさんが自転車でそうやっているというのを、「ちがやまるさんだけでなく、皆もやりましょう」ってね(笑)。でもって、そういう自転車の乗り方をする人が増えれば、いまは気後れして声が出せなくてベルならしている人も、声をかけて通るようになるかも知れませんね(笑)。かなり多くの人がそうやり始めたるのが「意識が変わる」ということだろうと思うわけですよ。

ニセ科学批判なんかで、きくちさんがマスコミに出たり本を書いたりする訳でしょ。でもって、視聴者や読者の中に、何かの機会に「ねえ、そんにニセ科学の話を伝えるのはよそうよ」なんてたまにでも気心の知れた人に言うこともあるかも知れないよね。その部分がチマチマ対策なのね。

by 技術開発者 (2009-08-31 17:55) 

黒猫亭

>技術開発者さん

>>実は元禄の頃は、たんなる過失として扱われていたんですが、享保の頃から江戸の町における交通事故はかなり問題になりまして、厳罰が適用される様になっていきます。

技術開発者さんは理解しておられると思いますが、これは結局、交通事故で人を痍附けることそれ自体を罰したわけですから、実は現在の道交法とは似て非なる法律であると謂うことは言うまでもありませんよね。

道交法と謂うのは、道路の通行について細かくルールを規定して、それに違反すると罰則が科される(つまり、事故による死傷それ自体を罰するわけではなく、事故にならなくてもそれに至るような規則違反を罰する)わけですが、江戸時代の法律は交通事故によって人を死傷した場合の過失責任を重く罰したわけです。ですから、「人を死傷する可能性のある側」が防衛的にコストを払って安全を確保したわけですね。

実際には、江戸時代の公事は裁判官が双方の過失度合いを勘案して報告書をしたためて上層組織の決済を仰いでから判決を下したので、通行上の規則を厳密に定めていなくても常識的な基準で過失の度合いが考量され、これで十分機能したのだと思います。
by 黒猫亭 (2009-08-31 19:54) 

zorori

古い対歩行者安全対策にこんなのもありました。

http://jafmate.jp/sp/esv2009/

1974年オースチン1300 SRV 5の足払い方式はスタントマンの技の応用ですね。私自身、事故で偶然ボンネットに乗り上げ軽傷で済んだ体験があります。自転車に載っていたのでちょうどくるぶしあたりに車のバンパーが当たり、うまい具合に足払い状態になったんですね。
by zorori (2009-08-31 20:11) 

pooh

> e10goさん

あぁ、ちゃんと規定があるんですね。そりゃそうか。

基本的には、ぼくはTuHさんのおっしゃることに同意なんですよ。それは本文中でリンクしている以前のエントリをお読みいただければおわかりいただけるとおり(とは云え若干特殊なポジションとそのバイアスありありの論じかたですけど)。
ただ「当面の対策」として「音を出す」と云う方法が考えられていて、その文脈上でのブレイクスルーとして有効だしすぐれている、と云うお話なんですよね。
by pooh (2009-08-31 21:00) 

pooh

> Cereさん

もちろん、根本を忘れないことは重要ですし、根本についての議論も重要なんです。ましてやぼくはTuHさんの問題意識に共感している(まぁ実際、この場合の根本的な部分の改善はどうやったらもたらせるのか、と云う点についてアイディアがあるわけではないんですけど)。

ただ(レイヤーは違っても)チマチマに意義がない、と云うことではないし、その部分でもたらされた画期的なアイディアはやっぱり称揚されてしかるべき、みたいに思っています。
by pooh (2009-08-31 21:06) 

pooh

> 黒猫亭さん

そうすると、実際に加害者になりうる可能性が高いことを前提に、四輪車の搭乗者の意識を論じようとするぼくも、ある意味本質から外れている(と云うか、現状認識によるバイアスで前提をゆがめて理解している)と云うことではあるわけですね。
なるほど。うむむ。
by pooh (2009-08-31 21:07) 

pooh

> ちがやまるさん

そりゃ目に入って声の届くひとに対してベルを鳴らしたりはしませんよ。見通しの利かない交差点を曲がるときとか、そう云う話です。

ただ、歩行者や単車は四輪車にとって多くの場合、ふつうの道でも「見通しの利かない」相手ですから。
by pooh (2009-08-31 21:14) 

pooh

> zororiさん

「歩行者にやさしいクルマ」と云うのではビジネスにならないんだろうか、みたいにちょっと思ったり。
by pooh (2009-08-31 21:19) 

TuH

>e10go さん(2009-08-31 10:40)

「第五十四条 2」の「ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」を指しているのでしょうが,歩行者と自動車や自転車が同じところに存在するケースでは,危機回避のためにまずすべきは徐行,停止です。警音器を使用することではありません。「危険を防止するためにやむを得ない場合」を拡大解釈し過ぎです。

せっかく道交法を引用されておりますので,その条文で確認しますと,例えば以下のように規定されています。下記のように「当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転し」た上で,かつ「危険を防止するためにやむを得ない場合」です。そのようなケースはまれであるので,『おおよその場合、道交法違反です』と言っています。

なお,そもそも,件の対象者である視覚障害者についても,「第七十一条 二」で【一時停止し、又は徐行して、その通行又は歩行を妨げないようにすること】と規定されています。これを遵守していない運転者が多いことが問題なのであって,それを「歩行者側の注意義務」とか言うのは,本末転倒です。
(そういう意味で,黒猫亭さんが書かれたこと(2009-08-31 15:18)は,違うと思います。)

「なぜ事故が起きるか原因を考えれば、この対策が有効と解るでしょう。」とのことですが,音の大小以前の問題です。先にURLを示しましたリンク先のkazさんのコメントにある,「弱者を守るという名の下に強者にやさしい政策がまたもやまかり通るのでしょうか」という指摘が,この問題の本質を表していると思います。「弱者を守る」と言いながら,その実,弱者に負担を押し付けている,そして「良いことをした」気になる。そのような良くある図式が,ここにも見られます。

***
(安全運転の義務)
第七十条  車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。

(運転者の遵守事項)
第七十一条  車両等の運転者は、次に掲げる事項を守らなければならない。
一  【略】
二  身体障害者用の車いすが通行しているとき、目が見えない者が第十四条第一項の規定に基づく政令で定めるつえを携え、若しくは同項の規定に基づく政令で定める盲導犬を連れて通行しているとき、耳が聞こえない者若しくは同条第二項の規定に基づく政令で定める程度の身体の障害のある者が同項の規定に基づく政令で定めるつえを携えて通行しているとき、又は監護者が付き添わない児童若しくは幼児が歩行しているときは、【一時停止し、又は徐行して、その通行又は歩行を妨げないようにすること。】
二の二  前号に掲げるもののほか、高齢の歩行者、身体の障害のある歩行者その他の歩行者でその通行に支障のあるものが通行しているときは、一時停止し、又は徐行して、その通行を妨げないようにすること。
二の三  【略】
三  道路の左側部分に設けられた安全地帯の側方を通過する場合において、【当該安全地帯に歩行者がいるときは、徐行すること。】
四  【以下略】
by TuH (2009-08-31 23:29) 

TuH

>混在していますので、どなたのコメントからの引用かを明示した方が、読みやすいと思います。
(TAKESANさん, 2009-08-31 02:36)

ご指摘の通りです。以後,気をつけます。

>ちなみにここでリンク先の記事の内容を賞賛しているのは、【ハイブリッド車の増加に対して「音を出す」と云う角度で対処をおこなう、と云うすでにある考えかたの文脈に乗って】、非常にシンプルなアイディアを提供したこと、に対してなので、それはけして本質をおろそかにする、と云うことではないつもりです。
(poohさん,2009-08-31 07:35)

ここ【】が重要です。
「音を出す」ことの良し悪しを検討,いえ,それ以前に「静粛化」がもたらす事象について充分な検討をせずに,「音を出さねばならない」という「すでにある考え方の文脈に乗って」はダメでしょうということです。「静粛化→気付かない視覚障害者が増えた/増えるだろう」ではなく,「静粛化→歩行者保護を蔑ろにしている運転者の多さが顕在化した」ということではないのでしょうか。

また,愚策という言葉が適切でない(TAKESANさん, 2009-08-31 02:36)とすれば,「筋が良くない」とでも言い換えましょうか,「音を出す」という方向は筋が良くないのです。先は迷路というか,行き止まりというか・・・。
zororiさんご指摘(2009-08-31 07:12)の「ホイールバランスが取り難い」件だけではなく,走行中の装置本体脱落やケース磨耗による金属片の飛散に対する策がとられていません。例えばこの2件の対策をしようとしたら,それはもはやシンプルな機構とは言えない物になっているでしょう。「どんな音が良いか」という点も,そう簡単には解決しないでしょう。

by TuH (2009-09-01 00:12) 

黒猫亭

>TuHさん

>>これを遵守していない運転者が多いことが問題なのであって,それを「歩行者側の注意義務」とか言うのは,本末転倒です。

お名指しですから、ここから説明させて戴きます。

誤解があるようですが、歩行者にも注意義務がある、これは大前提ですね。オレの意見は別段、「こう謂う状況で事故が起こるのは歩行者の注意義務違反が悪くて、運転者は悪くないんだ」と謂う趣旨ではありません。

道交法は主にクルマの運転者に対する義務を記述していますからわかりにくいですが、TuH さんが挙げられた条文が何故そのように決められているのかをご一考戴きたいと思います。第七十一条の二項と二の二項で指定されている対象は、通常の成人と同レベルの注意力や危険回避の動作が期待出来ない事情を持つ人々ですね。

これらの人々は通常の成人と比べてハンディキャップがあるから、自動車の接近に気附かなかったり、気附いても回避行動が取れない場合がある。それ故に、一旦停止や徐行などによって、常にそのような場合に危険回避が出来るように運転者の側が配慮すべきだと規定しているわけで、歩行者側に注意義務がないと謂う話をしているわけではないのです。本来はそう謂う人々でも自動車の接近を認識して危険回避行動を取ることが望ましいのですが、十分に出来ない事情を認めて特例として扱うと謂うことを定めているわけです。

殊に視覚障害者の場合は、自動車の接近を聴覚情報だけで認識するわけですから、どこをどのようにクルマが動いているのかわかりにくい、だから気を附けなさいと謂うことを規定しているわけですし、この場合、聴覚情報と謂うのは視覚障害者にとって危険回避の為の重要な情報です。一旦停止なり徐行なりすれば、視覚障害者でも自動車の接近を感じ取って危険回避の動作が出来るわけですが、気附かなければ突然車道にはみ出したり道を横切ったりすることも考えられるわけです。

勿論、自動車の運転者の側でもそれを予期して注意しなさいと謂う話ですが、予期せぬ行動と謂うのは予期できないからそう呼ばれているわけで、歩行者の側が自動車の接近に気附いていない状況が危険であることに変わりはありません。交通事故と謂うのは、一方の当事者の努力で抑止することには限界がある、だから道交法は道路上を通行するすべての者に適用されるわけです。

これは道交法が「相互信頼の原則」に基づいていると申し上げたことと関係してきますが、自動車専用道路以外の道路上では、基本的に大半の歩行者がルールを守ると謂う前提で自動車の交通が成立しています。歩行者が平気で車道を歩いたり横切ったりすると謂う状況では、自動車の交通自体が成立しません。歩行者乃至軽車両の運転者が自動車の通行状況を認識することは重要なことなのです。

そう謂う意味で、人とクルマが混在する環境においては、人とクルマのどっちに責任があるのか、と謂う話にはならないんですね。第七十二条に定められた対象も、単に十分に注意出来なくても無理はないと謂うことを既定しているだけで、こう謂う人々はクルマの接近を認識して危険回避行動を取らなくても好いと謂うことが決められているのではありません。

仰る通り「これを遵守していない運転者が多いことが問題」なのは当然ですが、それと歩行者の注意義務は排除的な関係にはないと謂うことです。それと同程度に「歩行者がクルマの接近に気附きにくい」ことも問題なのですね。しかも、前回申し上げたように、これは視覚障害者だけの問題ではなく、通常の成人でも背後から低速で接近するハイブリッド車には気附きにくいから、何某かの危険行動に出る可能性はかなり高いですし、運転者の注意義務が重く按分されているからと謂って、歩行者がルールを破っても好いとか注意しなくても好いと規定しているわけでもないのです。

つまり、クルマが注意していれば好いと謂うだけの話でもないんですね。

>>「音を出す」ことの良し悪しを検討,いえ,それ以前に「静粛化」がもたらす事象について充分な検討をせずに,「音を出さねばならない」という「すでにある考え方の文脈に乗って」はダメでしょうということです。

仰ることは理解出来ますが、それは飽くまで「或る特定の問題は多面的に考えていかねばならない」と謂うことですから、結局TuH さんの論調が強すぎる為に混乱するのだと思います。「音を出さないと謂うだけではなく、運転者の遵法意識を高めることも重要だ」とか、「音を出すことによって静謐性のメリットが損なわれるのはどう担保すべきなのか」と謂う論調であれば建設的ですが、一種「音を出すこと自体」をまず否定する排除的な論調になっているのが納得出来ない部分です。

繰り返しますが、「音を出す」ことにはたしかに合理的なメリットはありますし、そのメリットを得ることには合理的な正当性もあるんです。そのメリットに伴ってデメリットも存在するし、筋論的に片手落ちの部分も存在する、これもたしかです。ですから、そう謂うことを多面的に考えていこうと謂う話なら何方も異論はないはずなんですが、まず「音を出す」ことを否定する結論から入るのが少し筋が悪いのではないかと思います。それはそれで一面的な見方に陥ってしまうと謂うことではないでしょうか。
by 黒猫亭 (2009-09-01 03:46) 

黒猫亭

>>「音を出さないと謂うだけではなく、運転者の遵法意識を高めることも重要だ」

ここ、意味不明ですね(笑)。「音を出すと謂うだけではなく」の間違いでした。
by 黒猫亭 (2009-09-01 04:08) 

黒猫亭

>poohさん

ちょっと後先になりました。

>>そうすると、実際に加害者になりうる可能性が高いことを前提に、四輪車の搭乗者の意識を論じようとするぼくも、ある意味本質から外れている(と云うか、現状認識によるバイアスで前提をゆがめて理解している)と云うことではあるわけですね。

たしかに、あまり同意は出来ません。poohさんが仰った四輪とバイクの関係と謂うのは、これは相対的強者のほうが強気な行動に出ると謂う一般論の範疇ですから、実は四輪車同士でもあるんですね。でかい一〇トントラックが軽自動車に幅寄せするとか、スポーツカーがファミリーカーを煽るとか、幾らでもある話なんです。バイクだって、最左側をとろとろ通行している自転車や、爺さん婆さんがのろのろ遵法運転している原付を煽ったりしますよね。

で、これは四輪とかバイクだけの問題でもなくて、たとえば道を歩いていると向こうから自転車が走ってくると謂う場合、マナーの悪い運転者は歩行者に対して威圧的に振る舞いますね。「ぶつかったら怪我するのはそっちだぞ」と謂わぬばかりの態度です。つまり、道路通行上「ぶつかった場合に被害が少ない側が威圧的に振る舞う」と謂うのは、大型四輪から歩行者まで一貫している傾向なんです。

これは逆に謂えば、歩行者の側でも「自分をはねちゃったら困るのはそっちだろう」と謂う意識で大手を振ってルール違反をしたりする場合がありますから、結局、相対的強者と謂うのは状況や対他関係によって成立するもので、一律に論じ得るものではないと思うんです。

歩行者同士ですら、ゴツい男性はまず道を譲りませんよね(笑)。ぶつかった場合に怪我をするのはどっちかと謂えば、これはまた別の話になりますが(笑)。ですから、これは交通教育や遵法意識の問題と謂うより、人の品性一般の問題だと謂うふうに言えるかと思います。
by 黒猫亭 (2009-09-01 04:28) 

zorori

黒猫亭さん、

>これは逆に
謂えば、歩行者の側でも「自分をはねちゃったら困るのはそっちだろう」と謂う意識で大手を振ってルール違反をしたりする場合がありますから、

これは、被害をどのようにとらえるかということに係わりますね。悪質になると当たり屋も現れるし、弱者保護を悪用したエセ団体の問題もありますし。

だから、一面の原理原則だけで良し悪しを決定するのは危険だと感じるわけです。その原理原則で突っ走れば、社会的にどのような影響が表れるかと考える必要があると思います。

「他者に迷惑をかけるな」というのが原理原則ですが、社会生活というのは部分的には他者に迷惑を掛ることで成り立っているとも言えるわけで、どこで、折り合いを付けるかというバランスが難しいです。我慢しろが突っ走ると全体主義になるし。
by zorori (2009-09-01 06:55) 

zorori

中学生の発明を知る前のスピーカーから音を出す方法については疑問を感じていたんです。TuHさんの考え方にどちらかといえば近かったかもしれません。騒音は車の大きな問題であって、せっかくの低騒音ハイブリッド車に騒音発生装置をつけるのは釈然としないという感じでした。

そうしたところに、あのカチャカチャ音を聞いてこれはいいかもしれないと思ったのでした。感覚の問題ですが、あまり不快と感じませんでしたね。風鈴の音みたいにも出来るかもしれません。でも、風鈴でもうるさいと感じる人もいます。音の問題は難しいですね。
by zorori (2009-09-01 07:07) 

pooh

> TuHさん

> 「すでにある考え方の文脈に乗って」はダメでしょう

いや、これはこれで関連する話題についての(本文からもリンクした)以前のエントリとそこのコメント欄での議論があるので、ぼくのなかでの文脈は存在するんです。

> 走行中の装置本体脱落やケース磨耗による金属片の飛散に対する策がとられていません。

これはもちろんこれからでしょう。アイディアとしての素性は、そこで試されると思います。そう云う過程を踏むのはふつうのことだし、それは現時点での瑕疵ではないかと。
by pooh (2009-09-01 07:34) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 相対的強者と謂うのは状況や対他関係によって成立するもの

たしかにそうです。
まぁこの種の話題については全般に、筋悪を承知で極論をぶつポジションをとってしまっている部分は、ぼくにはあります。
by pooh (2009-09-01 07:38) 

pooh

> zororiさん

TuHさんのおっしゃるように、本来自動車は静粛性を追求してきた部分があるので、そこであらためて音を出す、と云うのは考えかたの方向がまるで違うんですよね。
ただ、自動車と云うのはテクノロジーの塊なので、そう云ういろんな方向の考えかたが凝縮した結果として現在があるんだろうと思うんです。この技術も、最終的には(音を出す、と云う方向の是非を含め)なんらかの角度で消化されるんだろうなぁ、みたいに思います。
で、結局なんで称揚しているかと云うと、「現在消化されて自動車をかたちづくっているテクノロジー」に匹敵しうる素性を感じたから、なんですよね。
by pooh (2009-09-01 07:44) 

e10go

>TuHさん

>「第五十四条 2」の「ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」を指しているのでしょうが,歩行者と自動車や自転車が同じところに存在するケースでは,危機回避のためにまずすべきは徐行,停止です。警音器を使用することではありません。「危険を防止するためにやむを得ない場合」を拡大解釈し過ぎです。

では、実際に見た事故と事故に遭いかけた話をしましょう。

1つ目。
20年近く前、友人と街中をドライブした時の話です。
自車の前の車がスピードを落としてその後止まりましたが、前方を見ると自転車が近付いています。
その後、前の車がクラクションを鳴らし続けましたが、自転車は車にぶつかりました。
自転車の人は、ヘッドホーンを付けていました。
この事故では、クラクションを鳴らしたときに、自転車はスピードを落としています(止まりかけた?)。

2つ目。
3年前に、住宅街の狭い生活道路で、私が事故に遭いかけた話です。
片側1車線で、前方から自転車が右側通行で近付いてきたが、反対車線は車が多くすれ違いできないので、止まりました。
自転車の男子(高校生くらい?)は片手で何かをしていて(携帯メールの操作?)、下を向いたままです。
10mくらいに近付いてもこちらに気付いていない様でしたのでクラクションを鳴らしました。
自転車は車の直前で止まりました。

2つとも「危険を防止するためやむを得ないとき」に該当します。また、クラクションを鳴らさなかったら安全運転義務違反になります。


如何に強者が気を付けていても、弱者が法律を無視すれば事故になるでしょう。
また、お互いが気を付けていても、どちらかあるいは両方がミスを起こす事があります。
大型トラックでは、左折時・後退時に音声で知らせる音声アラームを付けた車があります。
なぜこの様な音声アラームがあるかと言うと、過去の事故の教訓から有効性があると認められたからです。
交通法規は守るべきです。また、その啓蒙も必要です。
しかし、いくら法律で規定しても、その法律を守らせようとしても、人間はミスを起こします。
これをヒューマンエラーといいますが、交通事故のほとんどは、ヒューマンエラーが原因です。
ヒューマンエラーを0にするのは無理ですが、減らす方策は必要でしょう。

なお、故意に交通法規を破るケースは別に論じた方が良いでしょう。
また、ヒューマンエラーが発生しても事故が起きないようなシステムにするべきですが、それはそれで別に論ずるべきでしょう。
by e10go (2009-09-01 12:56) 

pooh

> e10goさん

規定上はどうか、と、運用はどうか、と云う部分の両方を考えないといけないんでしょうね。で、そのためには、黒猫亭さんのおっしゃるような「本来の位置づけ」がよりどころになるんでしょう。
by pooh (2009-09-01 21:00) 

TAKA

【カタカタと走る自動車たちはこの国から排除すべきだ!】
以下、余談です。
想像しまするに、その近い将来には「最近の車はどれも、カタカタ音でんな。」「まあ、過去のガソリン車の騒音よりは、よろしおます」などという、会話があるのかも。

ちなみに、噂で聞いた話です。
北欧の国では、自転車が優先らしい。自転車とぶつかっても、ぼんやりしている歩行者の方が悪いらしい。(常に自転車の動きを予測して歩きましょう)

いや、お国変われば安全意識も変わるものなんですねえ。以上、日本に住む私には、想像もできない話でした。恐縮です。
by TAKA (2009-09-03 23:12) 

pooh

> TAKAさん

それは路面状況なんかから「自転車は急に止まれない」場合が多いからじゃないでしょうかね。
黒猫亭さんのおっしゃるように、結局安全は「だれかの義務」と云うわけじゃなくて、なので原理的にはその状況その状況で最適なのはなにか、と云うことを考えていくべきなんだろうな、とは思います。
by pooh (2009-09-04 07:34) 

TAKA

今週の、ハマーン様:【弱者保護の視点に欠けた自己中心的な思考たちは、いつかこの社会を食い潰すよ!】

こんにちは。
私は期待しておりました。TuHさんの、「目先の些細な技術に、囚われるな。社会の根本から、見つめ直せ。」という感じの主張に、全面的に感動した他の読者達が、続々と現れるはずだと。

「コメント欄は、記事の批判で大合唱。当のpoohさんは、あわてて記事の大修正。」などと、勝手に想像しておりました。

しかしながら、現実は違う結果になった御様子。(TuHさんの御指摘は、隙の無い良い視点なのに、何故?一体、どういうこと?)

もしや、「根本が大事なことは、承知済みです。このpoohさんの記事では、あえて細部に注目して語っていた訳です。」という思いの読者さんが多かった…。ということかしら?
・・・・・・・・・・・・
この際なので、私も根本に立ち返って考えました。(以下、ネタ文章です)
『騒音社会からの脱却』
A:「そんなんじゃ、ダメだ!静粛な車すら排除した社会を、つくるべきだ!」
B:「ついでに飛行機や船、鉄道、その他諸々の乗り物も、廃棄。」

C:「我々が発する全ての音は、他の生物に負担です。ひっそりと生きましょう。」
D:「もちろん、目には見えない河童や森の妖精さんにも、気を使いましょう。」

E:「来訪する地球外生命体に誇れる静穏社会を、構築するのデース。」
F:「では早速、銀河系の動きを妨げない家に、リフォームするぞなもし。」
G:「この宇宙に、全く影響を与えない生活を送るのですわ。」

H:「他の宇宙の事も考えずに行動している人は、自己批判してね。」
I:「聞こえる。騒々しくも身勝手な人類に、翻弄された『虚の時間』の、泣き声が。」
J:「騒音の少ない最新型のビックバーンが、今ならたったの150億円で!」
K:「エコな量子世界、始めました。」

L:「僕達のライフスタイルは、間違っていた。ホワイトホールやモノポールを思いやる視点に、欠けていた。」
L:「今日から僕は、この多次元宇宙空間を、大きな視野で駆け抜ける。」
L:「そして最後は、涅槃の熱死に迎えられ、寂静のシャンソンに眠りたい。」(完)

こんな感じになりました。
「合理化された、完全なる無音の社会。」いやあ、いいですねえ。
by TAKA (2009-09-05 22:29) 

pooh

> TAKAさん

いや、TuHさんの視点は忘れてはいけないんですよ。
で、こう云うお話のなかでは、たしかに忘れがちになるんですよね。
by pooh (2009-09-06 08:31) 

黒猫亭

>>いや、TuHさんの視点は忘れてはいけないんですよ。

仰る通りで、これは主張が間違っていると謂う問題ではなくて、やはりその強度の問題だろうと思います。

或る新奇なアイディアがある場合、安全性の観点からだけメリット・デメリットを考えていてもダメなわけで、静謐性や環境負荷や工作容易性や社会制度的な観点からも総合的にメリット・デメリットを検討して、その総合の上で価値判断する必要があります。

しかし、静謐性の観点から謂ってこれはダメだと謂う結論があるのでは、安全性の観点から謂ってこれは優れていると謂う結論同様に、一面的な見方になってしまうでしょう、と謂うことなんですね。多面的に視ると謂うことは、多面的な観点から総合的な検証を終えるまでに軽々に結論を出してはいけないと謂うことなんですから。
by 黒猫亭 (2009-09-08 07:39) 

pooh

> 黒猫亭さん

こう、手順、みたいな話なんですね。

うえで、自動車って云うのはいろんな方向を向いた技術の集合体だ、みたいなことを書いたんですが、これは逆に云うと大量のつじつま合わせ的バッドノウハウが残っている、と云うことでもあると思うんですよ。典型的にはワイパーで、あんなものはなくせればそれに越したことはないはずなんですけど、代替できるアイディアがないからどの車にもついている。ある意味、現在の自動車も「結論の出ていない方法」の塊的な部分があるんですよね。

単体としての機能から社会的な機能まで、求められるものは複数のレイヤーに及んでいます。そこで最適な答えが出ればそれを採用すべきなんですが(最適、と云うのにも複数の評価基準があります)、それが見つけられるか、と云うのが問題で。

このエントリの主題になっている技術は、まずはHVに音によるアラーム設備をつける、と云う方法を考えたうえで、それを単純かつ経済的に実現するアイディアです。これはあらゆる面で最善とは云えないのかもしれませんが、まずはひとつの解決法であって。そう云う意味では高い価値があるし、同時にそれが最善なのか、と云う問いかけも忘れてはいけないのだと思います。
by pooh (2009-09-08 08:33) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

変な話だけどね、ニセ科学批判をやりニセ科学批判への批判に応えたりしているうちに、自分自身で忘れてしまっていた事があるのに気が付いたのね。

それは、私がニセ科学批判の講演会をやった直後にkikulogに書いた部分ね。「世の中には、ニセ科学をニセ物だと言ってくれることに飢えている人が居る」だったのね。なんていうかな、そんなに大それた意識でやった講演会でも無くて、物理学会で「ニセ科学」という話題をきくちさんたちが出した事を受けて、「客寄せの一環になるかも知れないからやろう」みたいな感じね。そんなに熱心な聴衆を期待してもいなくて、「まあ、時間つぶしのつもりで聞いて貰えれば」とジョークめいた事も結構考えながらやった講演だったのね。前に「ジョークが全部滑った」という事を書いたかも知れないけど、会場が結構熱心な聴衆に埋められて、ひたすらまじめに「マイナスイオンはニセ科学」と言うことを話すしかなくて、そして質疑応答でも「なぜ、こんなに流行るまで科学者は何も言わなかったんだ」みたいに言われる面が大きくてね。それが「言ってくれることに飢えている人がいる」という感想だったわけです。

もちろん「その飢えというのは何なのか」とか「飢えを満たすだけで良いのか」とか、いろんな議論はすべきだし、してきた訳です。でも、やっぱり私を突き動かしてきたのは、その時の聴衆から感じ取った「飢え」なんですね。なんていうかな、ニセ科学批判に対する批判なんかについて議論している際に感じる違和感というのがずっとあってね。飢えを感じて、「その飢えを満たすべきだ」と思った自分自身と、批判批判議論をしている際の自分の論理がなんか違ってしまっていた気がする訳ですよ。

このエントリに書いたのはね、なんていうか、私はできるだけ防衛運転したいと心がけてはいるのね。ただ、最近の車(といっても私の車は14年乗っているけど)は静かで、にぎやかな所では徐行運転していると、前の自転車とか歩行者が「自分に気が付いていないのかな」と思うことも多いのね。無理に気が付いて貰う必要も無いと言えば無いのね、距離を開けて、ゆっくりついて行けば良いだけだからね。とはいえ、気が付いてくれる方が楽は楽なのね。そんな、自分の実体験と、TuHさんの「歩行者無視が当たり前になっている」がどうにも結びつかない違和感があってね。その違和感を探っていったら、ニセ科学批判に対する批判とやりとりしながら感じていた違和感と同じ物がありそうに思った訳です。

by 技術開発者 (2009-09-08 17:56) 

pooh

> 技術開発者さん

たぶん、どちらにしても埋められない認識の差異、と云うのは生じるんです。それは個々人の性向にもとづくものでもあろうし、観測範囲の相違にもとづくものでもあろう、と思います。

どう云えばいいんだろうな。そう云う個々人の差異を削るんじゃなくて、へこんでいる部分に異なっている部分を補うことで、多様性を犠牲にしないかたちでの共有認識、みたいなものを得たい、と云う願望が、ぼくの場合そうとう強いんだろうな、と感じています。

もちろんこれは簡単じゃない。登場人物がふたりだけだったりしても、両方に多大な努力を要求することです。劇薬的に急な変化を生ぜしめることもたぶん無理です。でも、あきらめるべき種類の話じゃなくて。
ただまぁ、できることの限界はおのずとあるんでしょう。
by pooh (2009-09-08 21:43) 

TAKA

私の場合、歩行者の立場で考えると、車は静かな方がありがたい。
すぐ背後に迫っても気づかない、という驚きが味わえる。

たとえば、山で出会うイノシシ、あるいはクマなども音を立てずに忍び寄って来て欲しい。

「後ろを振り向いたら、君が居た。」スリル満点。お化け屋敷なんて目じゃない。(あの牙と爪は伊達じゃない!)
by TAKA (2009-09-10 20:20) 

pooh

> TAKAさん

そんなスリルはいやです。
イノシシもクマも恐いです。
by pooh (2009-09-10 22:32) 

技術開発者

こんにちは、TAKAさん。

私は山育ちでしてね。良く「足下から鳥が立つ」なんて表現があるじゃないですか。「自分の身の回りのすぐ近くで、突然、思いがけないことが起きてびっくりすることのたとえ」なんてね。実はこれって山を歩いていると結構経験するんですよ。山鳥という奴は、けっこう山道みたいな藪で無いところで餌をついばんだりしているのね。でもって危険を感じると保護色で身を守って、草むらとかで「すくむ」のね。そのまますくんでいてくれるとこっちも気が付かないんだけどね。なにせ山道の直ぐ側の草むらですくむし、こっちはその山道しか歩かない訳で、接近するよね。そうするとギリギリに近づいたところで山鳥の方が「これはいかん」とすくむのを止めて飛び立つわけです。これは、本当に心臓に響くくらい吃驚するんですね。経験されると良いかも知れませんね。

by 技術開発者 (2009-09-11 09:11) 

pooh

> 技術開発者さん

いや、TAKAさんは現役の「山のひと」なので、同様の経験はされているんじゃないでしょうか(^^;。
(おふたりによる本格的に山の話が始まったら、街場の餓鬼出身のぼくにはまったくついていけなくなる可能性もあるかも)
by pooh (2009-09-11 21:07) 

TAKA

ちなみに、こちらから脅かすような行為をしなければ、山のイノシシは私を避けてくれました。
しかし猟師の話では、牙に突かれて腹が裂け、腸が出た人も居るとか居ないとか。
その話を聞いて以来、私はバックパックに鈴をつけて鳴らし歩き、こちらの存在をイノシシに伝える努力をしています。

藪に隠れている鳥が急に飛び立つとき、それは血の気が引く思いです。
羽ばたきの「バサバサ」という音、そして「ケケケッ」という鳴き声。一羽だけかと思って安心していたら、続いて二羽目が飛び出してきたり。(彼らの計算か?二段落ちか!)

鹿の食害には悩むところですが、本物に出会うと嬉しくなります。
狭い尾根上でカモシカに出会っときは、その姿に見とれていました。
向こうさんも、私を見ても逃げることなく、むしろ余裕の表情で佇んでいました。(岩場を駆けるなら、私よりも天然記念物氏の方がプロだから、ということらしい)

ところで、毒のある危険なマムシと出遭った場合は、天国に案内してあげるのが良いかもです。(マムシ酒にするのも一興、などという話もありますが、私は遠慮)
by TAKA (2009-09-12 23:56) 

pooh

> TAKAさん

うむむ。自然は素晴らしくて、かつ恐ろしいです(大仰かも)。

> バックパックに鈴をつけて鳴らし歩き

能動的な安全確保、ですね。
by pooh (2009-09-13 05:23) 

zorori

>ちなみに、こちらから脅かすような行為をしなければ、山のイノシシは私を避けてくれました。

わたしは、地方の町育ちなのでイノシシ遭遇の経験はありませんが、子供のころに犬とは100匹以上のお付き合いがあります。危険な犬は、臆病でおびえているやつですね。人懐っこい犬でも急に脅かすと危ないですね。幼稚園のころ、後ろから犬を抱き抱えようとして頬をガブリとやられた経験があります。

イノシシも犬も歩行者もドライバーも同じようなものかもしれません。脅かさないようにと気を遣いすぎて、静かにし過ぎると一挙に破たんした時が怖いです。昔のアメリカ欠陥車にも似たような例があったような覚えがあります。コーナリングを安定させようと努力したのが裏目に出たという話。途中までは非常に良いのだけど、限界を超えると一挙に破たんしてしまうという。

by zorori (2009-09-13 07:47) 

pooh

> zororiさん

相手に必要なだけの事柄を把握してもらうために、どんな方法と順序で情報を提供していくか、と云うような話なのかも、と思います。その情報提供が過少にならず、当の相手以外への影響が大きくならないよう過剰にもならず、と云う場所を探す、と云うような。
そう考えるといろいろと敷衍できる種類の話のような。

> コーナリングを安定させようと努力したのが裏目に出た

これはいまでも潜在的にはありますね。バイクのほうがわかりやすいんですが。
いまのトップエンドのバイクは市販のストックのままで、条件次第で300kmが出せる水準にあります。そんな性能を与えることができたのは、最終的にはタイヤの性能向上に依存している。逆に云うと、性能に任せて無理をして、限界点付近でタイヤ近辺の性能が破綻すると取り返しがつかない。
そうなると、トップエンドのバイクのタイヤに要求される性能はグリップや剛性のようなスペックで表せる部分だけじゃなくて、タイヤ自身の状況を運転者に伝える性能、みたいな微妙なものが付け加わってきます。これは運転者の官能にも左右される部分が大きいですし、結局運転者各自が、そのあたりで自分の考え方と近い製品をつくっているメーカーを探す、みたいな部分に落ち着きますが。
by pooh (2009-09-13 09:04) 

黒猫亭

なんか、「疑似エンジン音付与の義務化」と謂う最もつまらん方向性で決着したみたいですね。
by 黒猫亭 (2009-10-26 20:57) 

pooh

> 黒猫亭さん

これですね。
http://car.nikkei.co.jp/news/article.aspx?id=AS1G2400A%2026102009

まぁ面白みはないけど妥当なあたり、と云うところでしょうかね。
by pooh (2009-10-26 22:32) 

ちがやまる

ここでの話題をたまに思い出してたのですが、街を歩く時、視覚と聴覚それぞれに本当にお世話になってますよね。障害のある方や老人は大変なんだなあ、と改めて思います。

そのものの属性に直結した音、というのは落としどころではあるでしょう。トイレで水流の擬似音がありますが、これがヒトラーの演説なんかだったりしたらびっくりでしょうし、タンホイザーだと笑うしかなかったりとか、いずれにせよ本務に差し支えが出るかもしれません。
by ちがやまる (2009-10-27 07:48) 

pooh

> ちがやまるさん

日常のなかでぼくらが処理している五感の情報はほんとうにどっさりあるんですよね。ほとんど意識することがないので、もしそれが欠落したらどんなことになるのか、と云うことには(すくなくともぼくは)ほとんど想像が及びません。いや、ぼくは五感全部が低性能なんですけど(^^;。

> そのものの属性に直結した音、というのは落としどころではあるでしょう。

まぁ手早く結びつきますからね。その音そのものが一般的に不快なものかどうか、と云うのはあるんだろうとは思いますけど。
予測されていない音がありえべからざる状況で鳴る、と云うデペイズマンはけっこう破壊力抜群なものがあります。
by pooh (2009-10-27 08:29) 

ちがやまる

2000~2006年にかけて米国で、実際にハイブリッド車は歩行者や自転者(←冗談)とより多くの事故をおこしていたそうです。
天候、道路の情況、運行速度、運転状況などで層化してみると、晴れた日低スピードで、というシナリオが浮かび上がるとかなんとか。日本と米国とでは自動車と歩行者の関係も同じではないでしょうけれども。
とりあえず、後日談としてご報告まで。
by ちがやまる (2009-11-28 09:00) 

ちがやまる

あ、しまった肝心のurlを貼り忘れました。
これです。
http://www-nrd.nhtsa.dot.gov/Pubs/811204.PDF
by ちがやまる (2009-11-28 09:03) 

pooh

> ちがやまるさん

じつはついさきほど某大学の本部の敷地内を歩いていて、背後に迫ったプリウスにまったく気付かずに肝を冷やした、と云う経験をしたばかりです。
いや、本気で怖かった。
by pooh (2009-11-28 12:00) 

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