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マスメディアのチカラ [よしなしごと]

昨日のエントリにも書いたが、毎日新聞の元村有希子さんによる「理系白書」がニセ科学を題材にしている。それに伴ってブログの方でもいろいろ表明なさっていて、ポジショントークではない真摯さが伝わってくる。

マスメディアの力は、本当に大きい。
いまネットの上でニセ科学についての言説が(一過性のブームであることが懸念されるくらいに)数多くなされている。いろいろと素地はあったにせよ、直接の起爆剤はやはり菊池教授の出演したわずか10分のテレビ番組だったのは事実だ(もちろんそれがYouTubeにアップされたのも大きいが。あと、もちろん先行する成果として、田崎教授の名文の果たした役割も大きい)。
菊池教授があの番組で口にした言葉は、日々kikulogで重ねられている議論の、ほんの表面的な一部分に過ぎない(細心かつ入念にエッセンスが抽出されて入るけれど)。それでも、実際にはネット限定の狭い空間に過ぎないかも知れないけれど、これだけの反響を引き起こしたのだ。
もう、マスメディアの力は事実上「支配力」と云う云い方に近い水準だと云ってもいい。

マスメディアは、その調査能力をビジネスモデルの源泉のひとつとしている。この世で起きていることを最も知り得、伝えうる力を持つのは、間違いなくマスメディアだ。だから、本当はすべての事柄に対して最初に声を上げる責任があるはずだ。たとえ対象がニセ科学であっても、科学者に先に声を上げられたら、その時点で新聞記者は存在意義を疑われても本来は言い逃れの余地なんかない、と思う。この種の事柄を最初に見つけて報道する能力が求められないのなら、利益の源泉はその能力じゃなくて、業界一丸となって死守しようとしている特殊指定とそこから生まれる特権的な既得権益だけなんじゃないか、と思われても仕方がない。権益がある以上、免責される範囲はおのずと限定されるはずだ。

「云うべきことのある奴が声を上げるべきだ」? そりゃなんですか、自分たちの絶対的な影響力の上に胡座をかいたうえで、「パンがなければどうしてお菓子を食べないの?」とか云ってる訳ですか?
(失礼、例が悪いなこりゃ)

でもまぁ、とりあえずブログを読んだ限りではぼくには彼女の誠実さを疑う理由はない。期待させてもらいます。


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pooh

げ、やっぱりトラックバックが通んねえや。
こんなんじゃこんなエントリ、場末の泡沫ブログが陰口云ってるのと変わらないな。やれやれ。
by pooh (2007-02-01 22:55) 

pooh

変わらない、って云うか、事実ですが。
by pooh (2007-02-01 23:06) 

OSATO

「ニセ科学」に対する認識は、報道であろうとテレビであろうと、記者の人達は皆一般の人達と同じであると思います。
つまり、そこに内蔵されている問題を捕える事が出来ない(つまり「だから何が問題なの?」という意見と同じ)。
実はそこには様々な問題が内在されており、それにマスメディア側が気付いてもらいたいという思いは前からありました。
今回の特集が回を重ねる度に、その内なるものにメディア側や一般の人達が気付いてもらえたらと願うばかりです。

今後の展開を私も期待したいと思います。
by OSATO (2007-02-01 23:20) 

TAKESAN

今晩は。

私は、今回の特集で、ゲーム脳の問題が取り上げられるかどうかで(取り上げ方も)、元村氏が本当に誠実であるかを知る事が出来る、と考えています。同じ様な思いの人は、沢山いるでしょうね。

勿論、新聞が、ニセ科学について、これ程大々的に取り上げるというのは、評価出来る事であり、以後の展開には、期待していますけれども。

しかし、改めて思うのは、マスメディアの威力というのは、良くも悪くも、巨大だなあ、という事ですね。
by TAKESAN (2007-02-02 00:00) 

pooh

> OSATOさま

> 実はそこには様々な問題が内在されており、それにマスメディア側が気付いてもらいたいという思いは前からありました。
> 今回の特集が回を重ねる度に、その内なるものにメディア側や一般の人達が気付いてもらえたらと願うばかりです。

そうなればいいですよねぇ。
実は元村記者の動きに対しては若干皮肉な見方をしていたんですが、改めることにしました。本当に、きっかけになりうる可能性を持っているんだな、と思ったので。
by pooh (2007-02-02 07:57) 

pooh

> TAKESANさま

たいして新聞も読まずテレビも見ないぼくが云うのもなんですが、新聞記者が自分の正体を明かしながらこういうことにアプローチするのはそれだけで一定の評価ができるもののような気がします。そういう意味で頑張ってほしい。

実際のところ、彼女にはニセ科学批判者側からは「マスメディア代表」とみなされてしまいかねないポジションに自ら身をおいたわけです。でも、その捉え方はネガティブなものを生み出しかねない。ぼくは一人の職業人としての彼女をそのポジションから離れて見ていたいと思っています。今は。

> しかし、改めて思うのは、マスメディアの威力というのは、良くも悪くも、巨大だなあ、という事ですね。

事実上、権力ですよね。しかも自浄作用が機能不全に陥っている。危ないです。
by pooh (2007-02-02 08:03) 

柘植

こんにちは、poohさん。

 私はニセ科学批判者の中でも入り口が「マイナスイオン」だった人だから、マスコミは価値判断というのはあまりせず、社会に起こっている事を伝えるという言い方に「2003年の国民生活センターのマイナスイオン商品に対する警告を知らない人がほとんどなのは何故だ」と迫りたい気分はあるわけです。ただ、それを言う気力は持てないのね。
 
なんだろうな、家を買ったら、直ぐにドアがきしみだして開け閉めに不自由する様に成ったときに、「大工が手を抜いた」と工務店を呼びつけて何度も直させる。でも、止まらない。やがて、犬走りのセメントが割れたり、駐車場のインターロッキングがでこぼこし始める。それも、工務店を呼びつけて文句言って直させているうちに、家の敷地そのものが大きく地滑りを起こして家そのものが傾いてしまう。なんて感じかな。

あたって欲しくない予想というのはある訳ですよ。このニセ科学の蔓延にしたって、マスコミが手を抜いた、科学者がほんの一握りを除いて無関心だった、それで起こっただけの事なら、どんなに良いだろうと思うのです。でも、何度考えても、そうならないんですよ。何か大きな社会意識の変化が起こっていると考えないと、当てはまらない事象が多すぎるんです。
by 柘植 (2007-02-02 16:42) 

pooh

> 柘植さん

> 何か大きな社会意識の変化が起こっていると考えないと、当てはまらない事象が多すぎるんです。

ご存知の通り、ぼくの問題意識は当初からそう云う方向に向いています。ただ、その正体がどうにも掴めないので、あれこれと周辺域から考察を積み上げようとしている訳ですけれどね。

柘植さんのおっしゃる「社会の健全な保守性の揺らぎ」みたいなものもあるのかもしれませんし(そもそもこの概念自体、ちゃんと理解できている自信はないのですが)だとすればもうそれは根本的なもので、個別撃破は局地戦でしかない、と云うこともあり得る訳で。

ただ、いまは局地戦しか出来なくとも、戦局を変える糸口はどこかに見つかるかも知れません。ぼくたちはダークサイドに陥ることを警戒しながら、出来る限り狡猾にやっていくしかないのかな、とも思います(菊池教授や田崎教授の正面突破作戦は、おそらくそれが最も効果的だろう、と云う判断に基づいていると云う点において、充分に戦略的妥当性を持っていると思います)。
by pooh (2007-02-02 22:11) 

Nakano

こんにちは。私の周りの人たちに感じるのは、プロセスを大事にしないと言うか、努力なしで結果が出るのを「良し」とする雰囲気です。
例えば、何か知りたいことがある場合、図書館でそのジャンルの本を探して読むとか、そこから別の疑問が出て、またそれを調べて新しい知識を得るとか、そういう過程が面白いと感じずに、時間と努力を極力少なく済ませるのが「いいこと」的な風潮を感じます。
これは大人がそうなので、当然子供達も同じです。いわゆる「勝組」と言われる人たちは、こつこつと努力して何かを積み重ねているんじゃなくて、「楽にお金を儲けている人」と言うイメージじゃないでしょうか。
 そこが柘植さんの仰る「大きな社会意識の変化」のような気がします。
私が係わって感じる小中学生の将来の「目標」の無さを、何とかしてや
りたいと思うのですが、ごまめの歯軋りで何をどうすれば良いのか焦るばかりです。
地道な努力や誠実さが、何よりも評価される世の中であれば良いのですが。
by Nakano (2007-02-03 10:04) 

pooh

> Nakanoさま

柘植さんのおっしゃる「大きな社会意識の変化」がお書きのようなことかどうかは別として、おっしゃることには大きく同意します。ぼくとしてはこれを「分かりやすさ」偏向と思考停止の蔓延の問題として捉えていて、それに関するエントリを幾つか書いたりしてきました。

例えばお金は価値基準として分かりやすいです。金額の大小以外に評価軸がありません。従って、大きなお金を出来るだけ簡単に手にする人間が当然賞賛されます。当然、この基準に思考が規定されてしまうと、努力や誠実さは無価値なものになります。
そう云う社会をどうすればいいか、は、やはりどうしてそう云う社会になったのか、と云う原理についての思索を行うしかないのでは、と思います。
私も無力ですが、無力であることはいまのところ止まる理由にはなっていません。
by pooh (2007-02-03 13:19) 

柘植

こんにちは、poohさん。私も確信の持てない話なんですが、すこし書いてみますね。
 
私は教育というのは、「もともとの仕様に反する事」をさせるためのものみたいな意識があるわけです。放っておいてもその方向に向かうなら教育なんて必要なくて、その方向に「行きすぎない様に」教育をするなんて考え方です。悪徳商法批判の中で「マルチ商法だというだけで色眼鏡で見るな」なんていう話に対して、「もともと人は同じ名前とか同じシステムのものは同じに見るようにできている、社会はそれを利用もする。知らない街でマクドナルドの看板を見たら、売っているものから店員の対応まで想像出来るだろ。『色眼鏡でみるな』なんて教育はそれが行きすぎない様にされているだけだ」なんて説明してきたわけです。
 
でね、「人間が基本的に新規な物を受け入れにくい」という保守性が「もともと人間にある仕様」なら、教育というのは「保守性も行きすぎないようにしなさいね」という教育になってちょうど良い訳です。でもね、もしかしてなんだけど、基本仕様ではなくて、長い人類の歴史で社会変化がたまたま緩やかだから保守的に成るというだけだったらなんて考えてしまったわけです。そうなると、社会の変化が激しくてその上教育が「保守的になるな」だったら、必要な程度に保守的になる方向のベクトルはどこにもなくなってしまう訳です。私が考えていて「ゾッとした」のはこの部分なんですね。
by 柘植 (2007-02-05 16:09) 

pooh

> 柘植さん

いや、やっぱり智慧はもともと経験値の積み重ねのはずなんですよ。で、積み重ねに準拠して行動するのが多くの場合有効だった、と云うのが保守性の根源だとしたら、これは仕様ではない、と云うことになるかもしれない訳ですよね。

ぼくは柘植さんの「仕様」論はいろんなことを説明してくれるし、とても高性能な論法だと思っています(って云い方は失礼でしょうか)。でも、「保守性」と云う言い回しはどうかな、と思っていて(いや、ぼくを含めたkikulog周辺の面子には多分誤解なく伝わる、一面とても正確な用法なんですが)。なんと云うか、一定の可塑性と反発力を持つ一種の「弾性」のようなものですよね?
何かもっと適切な用語があるんじゃないかな、なんて僭越ながら考えたりします。元村さんのブログのコメント欄に登場するような人間には、あきらかに伝わらなかったりするし。

で、それが人間の仕様、と云うかnatureに起源するものなのかどうかについては、どうもぼくも分かりません。でも、それがなくなってしまうのは動物としてひどくanarchyな状況に置かれることのような気がします。
by pooh (2007-02-05 22:04) 

柘植

こんにちは、 poohさん。

スーパーTSさんは「慣性力」という表現を使われていまして、その方が向いているのかとも思ったわけです。ただ、慣性力というのは物理学の用語で、基本的に「変わらないもの」なんですね。一定の速度で移動する物体に90度方向から物がぶつかっても、その運動ベクトルは合成されるだけで消滅したりしないわけです。私としてはその方が考えやすくて楽なんですが、何かの変化で簡単に消滅してしまう力、例えば車のキャンパ角から生じる「直進性」のような力だという可能性も捨てがたくて用語では悩んでしまいます。
by 柘植 (2007-02-06 09:17) 

pooh

> 柘植さん

なんかお家芸の例え話の裏話を利いた気分です^^
ちょっと無責任ですが。
by pooh (2007-02-06 22:19) 

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