泣けない悲劇 [世間]
泌尿器科のお医者さんのリー先生のエントリ。ニセ科学を信奉して悪化していく患者さんのお話。
塩は摂ってないべ」とおっしゃるので食事内容を聞くと「漬物と味噌汁とご飯しかたべていない」とのこと。漬物一切れに食塩2g、味噌汁一杯には3g以上含まれていることを説明しようとも思ったが、49歳になる彼の脳はニセ科学で構成されているので諦めた。
なんと云うか非常に微妙な気分になるのは、リー先生自身が彼に対して抱いた感情についてとりたてて描写していないから、と云う点が大きいのだろうけれど、それにしても曰く云いがたい感情が湧いてくる。間違いなく悲劇なんだけれど。
罪深いのは、「信じること」そのものだ、と云う気がしてくる。くどくど云っている気がするけれど、信じることは悪いことじゃない、とぼくは思う。ただ、疑うことなしに信じることを自分に許容することは、その対象が宗教であれ科学であれニセ科学であれ、自分自身に対して罪深いことだ、と思っている。
読んでてとても笑えない話でした。というよりショックを受けました。
私がかつて聴講した「マクロビオティックス」の講演(トンデモでした)で、それを信じてしまった聴衆の行く末を見る思いです。
ただここで気になるのはリー先生の見解です。少なくとも医者であるならば、たとえ相手が「ニセ科学」に毒されていようが、「正しい知見」を伝えるべきなのではなかったかと思います。
そうする事が、知識を持つ側の「義務」ではないのかとさえ思えてなりません。
「信じる」という事に対する私の考えは、poohさんに極めて近いです。
by OSATO (2007-01-26 23:57)
> OSATOさん
実際、こう云うことは発生しているんだろうな、と漠然とは思っていましたが、実例を目にするとまたどうにも、って感じですね。リー先生のスタンスについては、ぼくはこうあるべきだ、みたいな話はしづらいですが。
> 信じる」という事に対する私の考えは、poohさんに極めて近いです。
ありがとうございます。いや、「信じること」が力を持ちうる、と云う認識がぼくの根っこにあって、じゃあ「有効」に「信じる」にはどうすればいいんだろう、と云うことを考えたりもしてるみたいです。
by pooh (2007-01-27 05:50)
> OSATOさん
追記です。
何かことをなすには相応の「信じること」が必要になってくる場合も多いと思います。でも気をつけていないと、瀬名秀明の指摘する陥穽が待っている可能性もあるなぁ、とも考えています。
by pooh (2007-01-27 05:53)
かなりライトではありますが、似たような話が、知り合いの泌尿器科の医師の日記にもありました。
ニセ科学ではなく、みのさんですが。
頻尿で診察を受けに来た患者さんに話を聞いたら、血液サラサラ(^^;)にしたいので、水をマメに飲んでいるという
体の水分が足りなくなれば、自然に喉が渇くので、無理に飲まなくても大丈夫、あまり頻繁に夜トイレに起きていると、その時の転倒の方が心配です。と伝えると・・
<以下引用>
「でもみのさんは・・・・」
「・・・・・みのさん、なんて言ってました?」
「寝る前に一杯の水を飲みなさいって」
「では一杯くらいはいいでしょう」
「ですから、私はトイレから帰るたびに水を一杯飲んで・・・」
by じゅんこ (2007-01-28 09:23)
> じゅんこさん
みのさん、ですかぁ。
あの種の人間を信用しないぼくみたいな種族には、あの種の人間がどうして信用されるのか感覚的につかめない部分があるみたいです。
と云うかご紹介いただいたエピソードはほとんど落語のようです。
by pooh (2007-01-28 09:30)
>poohさん
私にもわからないです。
このお医者さんは、「医者よりみのさんか!?」と嘆いているのですが、全国の多くのお医者さまが、毎日同じように嘆いているのでしょうね(^^;)。
そう言えば、もう10年以上も前になるかと思いますが、ココアが流行ったとき、大橋巨泉が週刊誌の連載エッセイで、友達の番組だし、信じて実践していたら、健康診断で
「死ぬ気ですか!?」と言われたという話を書いていたのが、確か、みのさんの番組だったような・・・。
by じゅんこ (2007-01-29 17:02)
> じゅんこさん
巨泉さんも純朴ですなぁ。
ってえかそんなエピソードがあるくらいだから巨泉さんは多少信用してもいいのかも、なんて。
by pooh (2007-01-29 22:32)