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容れる、強靭さ (「春になったら苺を摘みに」梨木 香歩) [ひと/本]

世代的なものもあるのかもしれないけれど、どうしても「性別」と云う属性をもとに何かを語るのに抵抗がある。

春になったら苺を摘みに

春になったら苺を摘みに

  • 作者: 梨木 香歩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 文庫


でも、女性ならではの強靭な知性のあり方、というのがあるような気がして仕方がない。

梨木香歩は周知の通りジュブナイルの名手だ(そうじゃない小説の出来が悪い、と云っているわけではもちろんない。この半年で読んでいて一番楽しかった小説のひとつがこれだ)。ジュブナイルには徹底した論理性か、しっかりした神話性が必要だと思う(神話性を内的な論理性だと捉えれば、これは同じことを2度云っているということになる)。

本当に性別に由来するものかどうかは分からないが、例えば男性の論理性は、結論に向けて一直線に放たれる、エッジのはっきりしたものになりがちだ。それは明晰かもしれないが往々にして線が細い。こう云うとなんだが結構簡単に折れる。
それに対して、ある種の女性の論理はもっとゆったりとして角の丸い、いろんなものを容れる幅を持ったタフなものであるケースがあるように思う。それが梨木香歩に、またあるときには須賀敦子に感じるような、まぁなんと云うか「女性的な知性のありかた」であるように感じる(塩野七生はちょっと話が違ってくるような気もする)。

イギリスで、カナダで、アメリカで、ひたすら彼女は出会うものを受け入れ、理解しようとする。それはもちろん、いつでも果たしうることではない。
でも、結果が得られないからと云って、そのことが致命的に彼女の姿勢を変えることはない。うまくいくときもあれば、いかないときもある、と云うだけだ。ひとつひとつの小さな出来事に結果が伴っていなかったからと云って、取り立てて動じる必要はないのだ。簡単に結果は出ない。でも、簡単に自分の原則を曲げることはないのだ。容れること、さえできれば。

——かなわない。


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