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場の仕様と言説の精度 [余談]

ublftboさん(てかTAKESANさん、のほうが呼び慣れてるけど)の大雑把な菊池さんと云うエントリを読んだ。基本的には、お書きのことに同意。

ちょっと前のエントリのコメント欄で技術開発者さんとお話ししたこととも絡んではくるんだけど。
SNSにはそれぞれ性格があって。例えばFacebookは、仕様にある程度の同調圧力が仕込まれている。ある投稿に同意を示すことが極端に簡単だし、逆に不同意を示すと、それはまずもとの投稿者の「友人」の目に届く。だれしもが自分の意見への反論には(それがどれだけ正当な意見で傾聴すべきものだと理解していても)まず不快感を感じるし、おおやけの場かつ自分の身近な人間の目に触れるところで反論されることそのものを恥とか人格否定に受け止めてしまうひとも少なからずいる。じゃあFacebookのなかじゃなくてもっと別の場所でやればいい、と云う話にもなるけど、それは単純に迂遠だ。
Twitterなんかも同じような性格がある。比べれば同調圧力は弱いけれども、瞬間的な拡散速度ははるかに早い。しかも文字数制限のせいで物言いは端的になるし、後からの参照可能性が低いせいでその端的な物言いが前後の文脈と切り離されてひとり歩きしやすい。このへんがまぁ、気軽さの代償、と云ったところ。

で、文脈、と云う話で云えば、比較的そのひとの言説と接する機会のある相手のことばについては、そのひとの基本的な考え方もわかっているし、そうなるとそのひとがそのことばを語る文脈を補って理解することができる。逆に云うと、そう云う相手以外は、そこで語られた文字数の範囲内で述べられていることだけしか、基本的には読み取ってくれない。

このように、内側にいる人にしか通じない物言いは控えるべきなのですって。

まず、立証するまでもなく「できない」と断言できる。は、

それまでの科学の知見に基づけば

という前提が要ります。その、科学の知見というものがあれば、知識の体系における基礎の部分、根本の原則的な所から、わざわざ実証研究をおこなわなくても、検討している現象は起こらないと断定的に言える……となります。

それで、菊池さんの発言のような物言いは、上で書いた前提を共有しているからこそ得心出来るものです。その共有が無ければ、菊池さんの言のごときは、調べもせずに軽率に断定しているように見えるでしょう。

この見えることが問題なのであって。Twitterは、見えにくい部分は(読み手が努力しない限り)基本的に「見えない」仕様になっているのだから。
ここの所を考慮せずに、そのくらいニセ科学の科学的正否は易しい問題。と言ってしまうのは、数例をもって全体を語ってしまっているという意味で、とても不用意な発言である、と看做せるのではないでしょうか。
例えばこのニセ科学を、5文字を補って「EMと云うニセ科学」と読みかえれば、それほど的はずれな発言、とはならない(EM菌のニセ科学としての問題点は比較的容易に指摘できるし、主張の問題視されている部分に反論するのに反証実験なんかはほぼ不要)。ならないのだけれど、まずこの5文字を読み手が補ってくれることは多くの場合期待できない以上、やはり不用意な発言に違いはない。元のツイートの意図は「問題の主要な要素は『科学的であるかどうか』ではない」と云うことなのでそれには賛同するけれど、賛同するにはそれが読み取れなければいけないし、そうなるとぼくなんかはそうとうレアケースであって。まず、菊池誠がなにかを発言するにあたって、その意図をまず誤解しないだけの文脈の積み重ねを理解しているので。

でまぁ、その(ぼく個人の、もちろんバイアスもある)理解に基づくと、そもそもたぶん世間の評価以上に菊池誠と云うのはエモーションだだ漏れな人間で。それでも一時期あんな状況だったkikulogを仕切れるくらいには自制力はあるのだけど、おなじようにTwitterが制御できるかと云うと、仕様上そうは行かない。
行かないからと云って、じゃあTwitterと云う場で発言を控えるのが最良の選択かと云うと、またそれはそれで違う部分があって。それはまぁ最初に書いたように、ある場で議論されていることに対してそれ以外の場から言及するのはどうしても迂遠になってしまう、と云う部分があるからなのだけれど、この部分を意識して場をあえて選ぶだけの(言い方はちょっと誤解を招くかもしれないけど)戦略性があれば、そこでのふるまいも制御できるんじゃないかなぁ、みたいにも思う。戦略的に大雑把な物言いをするのが適切、って云う場合もあるのかもしれないし(その戦略の当否の評価はまた別として)。でも、ここでのことば足らずは、ちょっと擁護できないくらいに不用意だと思う。

ここからはちょっと余談(いや、このエントリ自体がカテゴリを「余談」にはしているんだけれど)。TAKESANさんの言及先のこのツイート。
先に書いたようなことを補って読み取ると、ここで表明されていることはわりと重要で。もうなんだかずいぶん長いことここで語ってきたけれど、ニセ科学の問題はそのかなりの割合が自然科学の問題ではないので、目配りの先はそこだけではだめなわけで(ギャラリーからはずっと「論じるのは自然科学の範囲だけにしろ」とか「自然科学を絶対視してそこからだけ論じるのはやめろ」とか、両方のことを云われるんだけどね)。このへんではっきりと云える、と思うのは、「自然科学的な正しさ」を内面化してはいけない、と云うこと。
前のエントリで書いたような話は、そのへんにつながってくるのかもしれないなぁ、みたいに思ったり(自然科学的な正しさはあくまで「自然科学的な」射程しか持たないし、ましてや「あなたの正しさ」をそのまま保証するものではないよ、みたいな部分で)。
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PseuDoctor

こんばんは。

前回の記事と並べてみると、poohさんのスタンスが見えてくる様な気がします。きくちさんとpoohさんとが旧くからの友人である事を頭に入れて読むと尚更です。
でまぁ、TAKESANさんの所にも書いたのですが、この件できくちさんを擁護している方は(私の見る限り)「自分は読解できる」のを根拠としておられる様に見えます。おそらくその読解は正しい(きくちさんの真意を正しく捉えている)のでしょうが、問題はそこではない。
例の「メルトダウン発言」でも解る様に、何かあればきくちさんの揚げ足を取ってやろうとしている人は存在する。発言を届けたい人に届くかどうかという点に加えて、ネガティブキャンペーンの餌を与えかねない態度は戦略的に不利ではないか、という意味だと理解しています。
ただ、きくちさんの発言は、そのユルさが持ち味だとも言えるのですよね。私などにはとても真似できない部分ではありますが、その持ち味を消さないで厳密さを増していければ…と思っているのですが。
と、ここまで書いて、実は私の要求水準が一番高い、と気が付いてしまいました。
by PseuDoctor (2015-03-04 21:55) 

pooh

> PseuDoctorさん

> 前回の記事

まぁ前のエントリと論点はだいぶ違うのですけど。どちらも要因のひとつに「Twitterと云うメディアの性格」がある、と云う部分は共通してますが。
前のエントリで取り上げた方に関しては「本来表に出す必要がないはずの本音が晒されてしまう」ことが主要な問題なのであって、きくちさんの場合は、単に神経が行き届かなくなりがち、と云う話なので。

> おそらくその読解は正しい(きくちさんの真意を正しく捉えている)のでしょうが、問題はそこではない。

だから、云うんです。ぼくたちに伝わってもしかたがないので。

> 例の「メルトダウン発言」

あれは誤りも認めているし、ふつうなら筋も通る弁明もしているので、いまはもうそうは問題だと思わないんですけど、できるだけ同様の発言をしてしまわないような留意は必要ですよね。
ちなみにあの発言がいまだに取り沙汰されていることは、敵失を鵜の目鷹の目で探している論者でも4年もかかって他の論難すべき点を探せない、と云うことでもあるので、逆に「きくちさんはわりあいうまくやっている」と云うことを示すことでもあって。
どうしても対立軸を必要とする読み手以外には、そのへんは見える状態になっていると思いますよ。

> きくちさんの発言は、そのユルさが持ち味だとも言える

ここは難しくて。緩くてかつ精度を犠牲にしない発言、と云うのは、発話の技術がすごく要求されるわけなんですよね。ユーモアと云うのはそれほど難しい(むかしからぼくが「ニセ科学を嗤う」ことについて消極的なのは、それがあるからだったり)。
でももともと、菊池誠はそこに無意識な人間ではない以上、要求されてしかるべき、みたいにも思いますよ。
by pooh (2015-03-05 08:17) 

pooh

自己レス。

> 緩くてかつ精度を犠牲にしない発言、と云うのは、発話の技術がすごく要求される

もともとぼくなんか、内田麻理香さんなんかに対して批判的だったのは、そう云う部分だったんだよな。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2010-05-03-2
by pooh (2015-03-05 08:28) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

最近、人に法律の話をする機会が増えてしまっているのだけど、だいたい、3段階くらいあるのね、話す相手によって。

1.ある程度基礎知識がある相手
これが一番楽なのね。その基礎知識の上に新たな情報を積むわけだからね。「こういう法律がある」と知っている人に「判例ではこういう運用になっている」と伝えるような場合です。

2.全くの基礎知識が無い相手
上の場合に比べたら面倒ではあるけど、それでも「こういう法律があってね」から始めて、「判例ではこういう運用になっている」と伝えれば、まあ、なんとかなる。

3.間違った基礎知識を持っている相手
実は、これが一番難しいのね。ビルを建てたい空き地に古家が建っているようなもので、まずはその古家を取り除かないと工事が始められないからね。ところが時にはその古家の基礎が結構頑丈で簡単に取り除けなかったりする訳です。例えば、特殊な事例で一般原則が適用できなかった例を過去に経験していたりする人に、法の一般原則の適用の説明をするのは相当に言葉を費やさないとできない。

私に言わせると、こういうバリエーションのある相手がいるときに、短い言葉で何かを説明するということは「無理」としか思えないんですね。

by 技術開発者 (2015-03-05 17:38) 

pooh

> 技術開発者さん

> こういうバリエーションのある相手がいるときに、短い言葉で何かを説明するということは「無理」としか思えない

おっしゃることはわかります。そうなるとある程度リーチを絞るか、そのメディアを使うのを諦めるしかない、って話になる。伝えるための技術でどれだけカバーできるものか、って考えるとまぁ簡単な話ではないですよね。上手にやってらっしゃる方もいないわけではない、と思いますけど。
by pooh (2015-03-05 19:02) 

TAKESAN

今晩は。

体験をあまり一般化するな、という指摘が入りそうですが、私としては、「テレビに出て超常現象を斬る大槻教授」が浮かぶのです。

短すぎる説明ですが、この表現で、結構説明出来ていると思います。

もちろんこれは、コンテクストを補えるであろうpoohさんへ向けたコメントだからこれで通ずる、と考えています。

twitterにしろテレビにしろ、「受け手のコンテクスト・背景がバラバラ過ぎる」と思います。
尤も、ブログもWEB上に展開されたコンテンツだから同様ではないか、と言われるかも知れません。
実は私は、自分自身にはそれも踏まえた制限をかけています。けれどそこまでは他人には求めません。

本心を書きますが、私が今回(と言うか以前から)菊池さんに求めたのは、「そんなに難しく無くそこまで厳しいものでは無い自制」です。そういう言い方するくらいなら、過去に書いた詳しめ文書にリンク張るくらいは出来ないの? というくらいの指摘です。

私が言っているのはそこまで厳しいのだろうか、というのは率直な思いです。自身にかけている制限を他者に求めていたりはしないのですね(私が自分で課している制限は結構沢山あるので。この語は絶対に使わない、というだけでも数十はありますし)。
by TAKESAN (2015-03-05 21:23) 

TAKESAN

上のコメントの、

>過去に書いた詳しめ文書

は、

>過去に書いた詳しめの文書

に修正します。
by TAKESAN (2015-03-05 21:25) 

pooh

> TAKESANさん

> twitterにしろテレビにしろ、「受け手のコンテクスト・背景がバラバラ過ぎる」

そのぶんリーチが広いので重要だ、と云うことでもあって、そこでどう判断するか、でもあるかと。

> そういう言い方するくらいなら、過去に書いた詳しめ文書にリンク張るくらいは出来ないの?

おっしゃるとおりで、でもその最後のひと手間がメディアの性格上難しい、と云うのもわかるんですよね(推敲をするようなサービスではないし)。なので、

> 私が言っているのはそこまで厳しいのだろうか

どこまで、かは別にして、厳しいのはまぁ確かだと思います。ただ、無用に厳密な態度を求めている、とは思いません。
「ちょっとした気遣い」が難しいメディアなのはたぶん確かで、だとすれば発信量を減らしてももっと発信の内容に留意する、というぐらいが適切なんではないかなぁ、みたいにぼくなんかは思うんですけどね。
by pooh (2015-03-06 08:15) 

pooh

まぁ、ユーモアは重要だけど難しい、って話であって。だいたいのジョークはハイコンテクストであればあるほど面白かったりするもんなぁ。
http://togetter.com/li/808369
by pooh (2015-04-15 13:03) 

pooh

ところで↑のコメント欄で菊池誠を非難するのに「キクマコ」って用語を使ってるひとたちは、敵失に乗じてるだけってのを事実上晒してるも同然、ってことには気づいてないんだろうなぁ(菊池誠は「きくまこ」は自称するけど「キクマコ」は自称しない)。
by pooh (2015-04-15 18:41) 

TAKA

 今週の問題:『その雑な主張の仕方は、背景を知っている極一部の人達にしか伝わらないのだけれど、内輪の雑談ならばともかく、ネット上という公の場で主張する場合に適した態度なの? 特に、日頃から科学的な態度の大切さを訴えているような立場の場合には?』

 poohさん、こんにちは。以下に現状の思いを述べます。(注:poohさんから、「言っていることがおかしいですよ」とツッコミを入れられないように、慎重を期して何度も推敲してコメントを仕上げました)

 私の場合、「ブログを訪れてくださった全ての読者様に完全なる理解に達して欲しいぞなもし」という目標があるのですが、実現の日は遠いです。(-_-;ウーム

 他人様の主張を聞く場合は、「誰が・どのような相手に・どのような立ち位置で・どのような思いから・どのような芸風で主張を展開して・どのような結論を出して・読者達から寄せられる様々なリアクションに・どのような対応を見せているか?(たとえば、読者達から科学的な間違いを指摘された時にキレ芸で返すか、それとも科学的な間違いがあったことを認めた上でキレ芸を返すか?)」という点に気をつけながら主張を読み込みたいと思っているわけですが、これも常に出来ているとは言い難いです。

 「世の多くの人々に理解して欲しい」というスタンスを心がけて文章をネット上に乗せるか、あるいは「事情を知っている人に伝わればそれで良い」というスタンスで文章を書き上げてネット上に乗せるか。

 「今の自分は、どのような読者をターゲットにして文章を書いているのか?」と己に問いかけながらブログ記事を書いたならば、全ての読者が、「うむ、雑な記事ではない。良く理解できる文章だ。褒めてつかわす」と評価してくれるのか。

 あれやこれや考え始めると、「ネット上は公の場だから意見を表明するときは戦略を練って云々などと深く考え始めると、面倒な作業が多くなるから嫌だ」
「ここはとりあえず、狭い書斎の安楽椅子に座って飲み物を片手にし、『しょせんは他人事だが、まあ一言くらい述べてあげるか。一般大衆よ、ありがたく私の言葉を受け止めるがよい』という感じで遠くから世間に物申すスタイルで行きましょう」
「この芸風を支持してくれる読者の数が増えるか否かはともかく、自分自身はあれこれ悩まずに幸せな気分でブロガー人生を終えることが出来ますものね?」という結論に辿り着いた次第です(^-^)。
 (さあ、poohさん。今ですよ。ツッコミを入れる時間ですよ!)
by TAKA (2015-10-09 18:32) 

pooh

> TAKAさん

芸風はそのひとのものです。得意不得意、得手不得手のあるものです。
要はその芸風が、そのひとの目的にかなっていればいい、と云う話だと認識しています。逆に云うと、「特定の目的に合致していない芸風を採用している」のは問題だ、と云うことで。

ゆるさと精度を必要なだけ両立させるのは不可能なことじゃなくて、要はスキルの問題だと思っています。そのスキルが現実的なものか、と云うとまた難しいですが、努力の余地はあるものだと認識しています。
by pooh (2015-10-09 19:25) 

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