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用語の精度 [余談]

「科学者ヘイト」 - Togetterまとめを読んだ。

まず片瀬さんがひどいめに遭ったのは知っているし、そのことでどれだけ傷ついたかも知っている(と云うか、そのへんはこちらのエントリのコメント欄で直接お話をしている)。語義通りのヘイトを向けられる状況があった、と云う認識に異論はない。片瀬さんに貼り付けられたいろんなレッテルのなかでもたぶんいちばんひどい「エア御用」と云うことばについては、こっちこっちこっちで書いている。
そのこと自体は、等閑視されるべきことだとは思わない。とは云えぼくもニセ科学の問題について論じてきた人間としての立場から、上に挙げたエントリでは片瀬さんにあまりやさしい言葉はかけていないけどね。

でまぁ、前置きは前置きとして。

科学者である片瀬さんに向けられたヘイトを、それゆえに「科学者ヘイト」と呼ぶのは、適切ではないと思う。それは、主語が拡大されすぎている。
ヘイトを含んだ用語を、それゆえにヘイトスピーチと呼ぶのは、適切ではないと思う。ヘイトスピーチと云う用語は(議論はあるにせよ)より限定された意味を持ったことばであって、単に「ヘイトな内容を含む発話」を意味するものではない(このへんは言及先のTogetterのコメント欄で、地下猫さんがちょっとていねいめに説明されている)。

で、片瀬さんのこの種の言動を、ぼくは以前から憂慮していた。まぁこう云う水準の議論はそうそうめずらしいものでもないのだけれど(つねに精度の高さが要求される議論ばかりではないし)、どうしてとりわけ片瀬さんについて問題だって感じるのかと云うと、まさに片瀬さんが「ニセ科学を批判するもの」としての立ち位置をお持ちだからで。

ニセ科学にまつわる議論については、いろいろな角度がある。そのなかでぼくが主要な問題点として論じてきたのは、おおざっぱに云うと「感覚に寄り添った不正確な言説を、あたかも科学の裏付けがあるようなそぶりによって一定以上の確度が保証されたもののように語る」部分だった。その技法のなかには、特定の事例をより広い範囲に不適切に敷衍することや、用語の意味を語感に頼って拡大したり本来の意味とは違った用法で用いること、なども(わりと主要なものとして)含まれる。
だから、言説をなすうえでそのあたりに意識的になる(不注意にそう云う技法を使用してしまわないよう留意する)のは、ニセ科学に対して批判的な立ち位置を持つ論者には必須のスタンスだと考えている。このあたり、ぼく個人のなしてきた議論の方向からくる固有のスタンスではあるのだけれど、でもニセ科学について継続的な議論を行ってきた論者は、あまりこのへんに対して無神経なひとはいないと思う(それでも、ぼくなんかも精進不足で軽率な言説をしてしまったことは何度もあるけどね。あと菊池誠とか)。

そのへん、完璧であれ、と望んでいるわけではなくて。でも、そこに意識的になれずに自分に許してしまうと、肝心の議論の場において批判対象であるはずのニセ科学の提唱者や伝道者とあまり変わらなくなってしまうし、そうなると予備知識(または先入観)なしのギャラリーから見れば「どっちもどっちの両陣営」みたいに見えてしまう。片方に、科学者としての肩書があろうと。だって、議論においておなじ技法を使ってるんだから(ひょっとすると、なかには「権威に頼るぶん疑わしい」なんてうがった見方をする向きもでてくるかもしれない)。
これは、すごくもったいないことだと思う。まぁもう少し一般論じみた言い方をすれば、批判的な議論をする場所にいる論者は、必要なだけの精度で用語を使おうと意識する必要がある(そうしないと、相手の言説を否定するだけの精度を持った議論ができない)ってだけの話、だけだったりもするんだろうけどね。

まぁこのあたり、PseuDoctorさんもだいぶ以前に片瀬久美子さんの事と云うエントリを起こしてお話もされていることだし、あらためて伝えようとしても伝わるものなのかどうかわからないけど。

ところで、人文学的教養にあふれたかたがたのあいだでは、精度の低い用語のことを「射程が広い」と形容するらしい。よくそれで議論が成立するなぁ、みたいにも思うけど、これも議論上の技巧(と書いて「テクニック」と云うふりがなを振る)って話なんでしょうね。
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kiya2015

昔と違って今はどういう質の言説でも「査読なしで」瞬時に全世界に公開され、
なおかつどんな陣営でも「無能な味方」を排除するのは不可能なので、
「対立する陣営の穏当な発言はスルーし、隙の多い発言者を見つけてその悪手を叩く」という戦法が非常に有効になり、
互いが互いにそればかり明け暮れるようになってしまっていると思います。
by kiya2015 (2015-02-26 14:01) 

kiya2015

あと、この記事は最後に「皮肉」を書かれていますが、
そういうことをされると説得したい陣営をますます逆上させるだけに終わるんじゃないかと思います。
by kiya2015 (2015-02-26 15:14) 

pooh

> kiya2015さん

いらっしゃいませ(はてなスターでお名前を拝見するid:kiya2015さんでしょうか)。

> 「対立する陣営の穏当な発言はスルーし、隙の多い発言者を見つけてその悪手を叩く」という戦法が非常に有効になり、

どうでしょう。陣営の旗色が比較的明確な論戦の場でそう云う戦法はよく見かけますけど、それはその場で、論戦に参加している両陣営の当事者にとってだけにしか意味のない戦術なんじゃないかな、みたいに思ったりもします。で、どちらの陣営にも軸足を置いていないひとたちから見ると、むしろ「どっちもどっち」的な印象を与えかねないんじゃないかなぁ、とか。結果として、どちらの主張も説得力を減らしますよね。
論者によって意識に濃淡はありますけど、ニセ科学に批判的な論陣を張る場合には一般にこの「旗色のはっきりしない」ひとたちが(議論に参加していなくても、脇で眺めているだけでも)多くの場合かなり重要なので、それなりに長い間議論に参加している論者は、あまりそう云う戦術は用いないんじゃないかな、と云うのがぼくの印象です。個人対個人の議論では別ですけど(これはまぁ喧嘩みたいなもんですから)「陣営対陣営」みたいな場合にはとりわけ。と云うか、そう云う部分があるので、ニセ科学問題にコミットしている多くの論者は「陣営」と云うスタンスを意図的に避ける傾向があるのかな、とか思ったりもします。

> この記事は最後に「皮肉」を書かれていますが、
> そういうことをされると説得したい陣営をますます逆上させるだけに終わるんじゃないかと思います。

このエントリについて云えば、「わかってほしい個人」はいても、「説得したい陣営」はありません。どこかの陣営「全体」に対する言及でもないので、「逆上する陣営」と云うのもイメージしづらいですし(逆上する個々人、と云うのはいるかもしれませんが、そう云うひとたちはぼくがぼくの場所からなにを書いても逆上する可能性があります。「『エア御用・キクマコの取り巻き』がものを云ってる、ってだけで逆上するかもしれない)。ついでに云うとあんまり皮肉を書いたつもりもないですけどね。
言及したご当人が逆上するようなら、それはそれで興味深いかな、みたいには思います。逆上すること自体がアカデミシャンとしてのご自身のロジックの正当性を放棄する行為なので。このあたり、まぁ言説の射程、みたいなお話になるかと。
by pooh (2015-02-26 18:49) 

nrt

この話題については、以前「原発もニセ科学 (なのになんでおまえらはそっちを批判しないのだ)」という主張を目にしたときと同じような違和感を覚えていました。問題があるのは確かで、それは批判あるいは是正されるべき対象ではあるけれど、それは「ニセ科学」というカテゴリでなされるべきものではないだろう、と。

「エア御用」という語もまた、自分の気に入らない対象 (人物・主張) を無差別に放り込むことができる、言い換えれば、任意の対象を包含するよう好き勝手に境界を引き伸ばせるカテゴリであり、「射程が広い」と言えないこともないでしょう。しかし、ある概念を導入・適用する目的を、対象をよりよく理解することに置くという立場 (個人的にはこれが「普通」の感覚だと思いますが) からすると、そうした「射程が広い」概念に意味を見出すことは難しく、故に「単なるレッテル貼り」以外に評価のしようがない。

今回の「科学者ヘイト (科学者に対するヘイトスピーチ)」という表現にも、これと似たような構造があって、というか、「エア御用」が単なるレッテル貼りでしかない、ということを批判するのに、それと相似形のロジックを使ってしまっているために、問題をより複雑にしてしまっていると思います。(念のために言っておくと、より複雑だからといって、より深刻というわけではありません。「エア御用」は、そもそもがそうした運用のために作られた語であるわけで、「ニセ科学」や「ヘイトスピーチ」にはない悪質さがある。)

まぁ、こんなことは黒猫亭さんの "「エア御用」考" をはじめとして、あちこちで繰り返し論じられ、もういい加減「あたりまえ」の共通認識となって欲しいようなことなのですけど、そうした議論を経験してきたはずの人でさえも、同じ轍を踏んでしまうというところが、この問題の本当の根深さなのでしょうね。
by nrt (2015-02-26 20:34) 

nrt

> この問題の本当の根深さなのでしょうね。

なんて紋切り型のフレーズでしめてしまいましたが、実際のところ、やっぱり個人の資質に依るところが大きいのかな、と考え直しました。自分の専門領域では概念の「拡張」 (濫用) には慎重でも、他の分野では用語の使い方が雑になるというのはありがちですし、そういう人も散見される (かくいう私自身もその一人だったり) のだけれど、その一方で、きちんと弁えている人もいて、どの分野でもあまり雑な用語をしない。

その差はどこから生じるのかは分かりませんが、パッと思いつく限りでは、「それは違うだろ」と指摘される経験をしたときに、非を認めて改めることで表現における慎重さを身に付けた人と、強弁で切り抜けることで放埓な語の用法が習性になってしまった人の差、しょうか。

by nrt (2015-02-26 21:09) 

pooh

> nrtさん

> 「エア御用」が単なるレッテル貼りでしかない、ということを批判するのに、それと相似形のロジックを使ってしまっているために、問題をより複雑にしてしまっている

まさにそう云うお話なんです。

ある言説に対し批判的な論を立てる場合に、もとの言説を否定しうるものにするためには、より信頼しうる根拠に基づくか、より精緻な議論を行うか、どちらかしかなくて。じっさいには多くの場合、この両方が必要とされます。議論上の技法はさまざまありますし有効でもありましょうが、それはそのあとに来るものでなければいけない。論述のテクニックで本来信頼されるべきものではないものを流布させる、と云うのが、(ぼくの考える)ニセ科学のコアな問題点でもあるからです。
端的に云って「不正確な用語を使用することによって感情に訴え、科学的でないものを科学的であると欺く」と云う点では、ニセ科学を非難できなくなってしまう。

このあたり議論もある部分ではあったし、論者によって見解の一致しない部分もあるんですが。
マーケティングの面では、前提として「うそをついてもいい」ニセ科学的言説に対して、それを批判する言説は弱いんです。でも、だからと云って同じ土俵で勝負するわけにはいかない、それは批判する言説そのものを弱くしてしまう、と云うのがぼくのスタンスでした。(程度問題にせよ)見解の相違する論者もいるでしょうが、多くの論者はこの議論を意識していると思います。

> 自分の専門領域では概念の「拡張」 (濫用) には慎重でも、他の分野では用語の使い方が雑になるというのはありがちです

科学は(暫定的かつ相対的に)正しい。なので、それに準拠した言説は(同水準で)正しい。それはいいんです。でも、それをことばにするに当たっては、それ以外の文脈にも顧慮する必要がある。伝わらなくてもいい、と割りきっているのでなければ。

用語の使い方に神経が行き届かないこと、当該領域の知識が不足しているために誤った使い方をしてしまうことはあります。ぼくだってある(ぼくの場合とりわけ選択している文体とスタンスの関係から、このリスクにはどうしても向き合わなければいけません)。

だから、意識する必要がある、と思います。それでも意識が行き届かなかったら、それは失敗です。失敗は認めるしかありません。長い目で見ると、失敗を認めてそこから学ぶしか、信頼を獲得する方法はないからです。そして、その信頼がなければ、ニセ科学的言説に対向することは難しい。

> 人の差

前にご当人にもお話ししたことがあるんですが、どれほど注意深く行っても、批判的な言説から人格攻撃的なニュアンスを払拭するのは難しいんです。だれしもそのひとの発することばはそのひとの人格から出ているので、自分のことばを否定されると不愉快に感じる。人格を否定されているように感じて、傷ついたりするひともいます。それは不自然なことではない。ぼくだってそうは変わりません。
批判的な言説をなす、と云うことは、そのような行動をしている、と云うことです。正しい言説をしているから、自分の言説に瑕疵はないから、自分は傷つけられるべきではない、と云うロジックは通らない、というふうに、ぼくは考えます(もちろんこれは、誰かが不当に傷つけられることを当然として容認している、と云うことではありません)。
by pooh (2015-02-26 21:40) 

pooh

> nrtさん

ごめんなさい。
正面からのお返事に読めないレスかもしれませんね。でもそう云うことではないし、読み取っていただけると思っています。
by pooh (2015-02-26 21:47) 

PseuDoctor

こんばんは。
お久し振りではありますが、かつての如く、いきなりの長めなコメントを御容赦ください。

一言で述べれば「突っ込まれる様な隙は(なるべく)作るな」という事だと理解しています。ただそれを指摘すると「揚げ足取りをする様な相手の事を放置して、どうしてこちらの態度ばかり問題にするのか。それでは揚げ足取りをしている人と同じではないか」という風に受け取られかねません。ですのでpoohさんの本文にある「ニセ科学批判者に必須のスタンス(大意)」という部分に関して、もう少し私なりの補足というか蛇足を加えてみます。
ニセ科学の大元の提唱者達は、自らの主張がインチキでデタラメである事を自覚している場合と、あまり自覚していない場合(自らがビリーバーである場合)とに大別出来ます。前者の場合は、言わば確信犯的にデタラメを流布しているのですから、自説の正当化の為には可能な限り様々な屁理屈・揚げ足取り・逆切れを駆使するでしょう。そして実は、後者に関してもその点は同様です。自説の正しさを確信しているからこそ、批判者に対してはあらゆる手段を用いて苛烈に反撃してくる事が予想されます。
以上より、ニセ科学の提唱者に対してはマトモな議論が通用しないと言えます(そもそも誠実な議論が可能な相手であれば、いつまでもニセ科学を提唱し続けたりは出来ない筈ですし)。従って、ニセ科学を批判するという立場を取った場合には、相手が様々に卑怯な手段をとってくる事を、予め想定しておいた方が賢明です。言い換えれば「相手の(議論における)善意に期待する事は出来ない」という意味でもあります。
これは通常の意味での議論とは完全に異なります。科学の素養がある人であればあるほど(おそらく無意識に)相手に論や態度の誠実さを期待してしまうのかもしれません(何故なら科学の議論は本来的に誠実なものであるべきだから)。しかし、その期待は高い確率で裏切られる事になります。
以上より「ニセ科学を批判しようとする人は、突っ込まれる様な隙は少なければ少ない程良い」と考えます。勿論これはpoohさんも仰っている通り、常に完璧であれという事ではなくて、自らの論と態度をブラッシュアップする努力を怠らないで欲しいという、エールのつもりです。
そしてこれはまた「ニセ科学を批判する言説」が、提唱者本人を説得する為のものと言うよりむしろ「ハマりそうな人を予防したり、ハマりかかっている人を引き戻したりする事を主な目的とするもの」だからでもあります。なので、相手と同じ土俵まで降りて行って、相手と同じ武器を持ってガチで殴り合ったりしない方が良い。それでは目標から遠ざかるばかりだからです。更に言えば「ネットで議論(というより口喧嘩)の相手が欲しくて絡んでくる人」に対しても同様です。そういう「言論のストリートファイト」を(やりたければやっても良いのですが)続けていると無駄に消耗するばかりです。その意味でも、突っ込み所は少ない方が、より効率的に批判出来る(という言い方はドライに過ぎるかもしれませんが)と言えましょう。

余談ながら「突っ込まれる隙の多い方が良いとされる論者」なんてものが有り得るのか?と少し考えてみました。するとどうやら「炎上商法狙いの人」なら該当しそうだな、と思い付きました(^^)
by PseuDoctor (2015-02-26 21:55) 

pooh

> PseuDoctorさん

ごぶさたしています。

> ニセ科学の提唱者に対してはマトモな議論が通用しない

議論を成立させるためには、相手に親切である必要があるわけです。なんと云うか、黒猫亭さん的な親切さですね。これは場合によっては相手をまるはだかにしちゃうようなものでもあるんですが、とくに対立的な議論には要求される。とは云え黒猫亭さん並に精緻(かつ平易)な議論なんてだれでもできるものではあるわけなくて、でもそれが要求されているんだってのは意識しようよ、みたいな話なわけで。

> 「ニセ科学を批判する言説」が、提唱者本人を説得する為のものと言うよりむしろ「ハマりそうな人を予防したり、ハマりかかっている人を引き戻したりする事を主な目的とするもの」

そうなんですよ。大事なのはその部分です。

> 相手と同じ土俵まで降りて行って、相手と同じ武器を持ってガチで殴り合ったりしない方が良い

ドライ、と云うか、相手のルールで闘うべき、って縛りはないんですよね。そもそもルール違反はどっちだ、って話でもあって。

> 「突っ込まれる隙の多い方が良いとされる論者」なんてものが有り得るのか?と少し考えてみました。

うむむ。
先の話につながりますけれど、言説の手法、と云う面では、ぼくなんかは突っ込まれやすい論者です。用語の精度を下げて、用法でカバーする、と云うのを意図的にやっていたりする部分があるので(ぼくの目的にはかなった手法ですけど、ちょっと曲芸めいたやりかたです)。炎上はいやですけどね。
by pooh (2015-02-26 22:21) 

pooh

「用語の精度を下げて」って書くと語弊があるな。「人文学についてちゃんと勉強してないやつにはわからないだろうけど」みたいなエクスキューズをしなくてもすむ用語を使う、って程度のことなんだけど。
by pooh (2015-02-26 22:25) 

pooh

まぁ覚悟はしていたけど(で、だれもがそう云う帰結になるだろう、と思っていただろうけど)、どうもこのエントリはやっぱりご本人を傷つけただけに終わったみたい。
みんな片瀬さんに「もうちょっと注意深くなろうよ」って伝えたいだけなのに。で、そう云うひとたちに、片瀬さんの人格を否定したいひとや傷つけたいひとはひとりもいないのに(あんまりわからずやなんで怒っちゃったひとはいるにしてもね)。
by pooh (2015-02-26 22:27) 

nrt

pooh さん:

そもそも私のコメントがエントリ本文における問題意識というか設定に沿ったものではないので、傍から見て pooh さんが正面から「答えていない」ように見えるとしたら、その責任は私にあります。(ので、お気になさらず。)

> やっぱりご本人を傷つけただけに終わったみたい。

「だけ」ということはないと思いますが、当人とその周囲の一部には単なる「攻撃」としかみなされていないようで、寸分違わず予想通りとはいえ、やはりやるせないものがあります。

私には、「御用wikiの開設 (とそこから発生した誹謗中傷・人身攻撃) がヘイトスピーチでないというのは、そうした行為に問題がないとすることだ」的な論法は、「低線量被曝で鼻血が出ないというのは、東電に責任がないとすることだ」とまったく同じ論理構造 (詭弁) にしか思えないのですけれど。もちろん、「御用wikiに問題はなかった」と言う人たちが一定数存在することは明らかなのですが、そんな主張はヘイトスピーチであろうがなかろうが完全に間違っているのは明らかで、「"ヘイトスピーチ" と言わない方がよい」とする人たちの大半は、そんなことは前提とした上で「それはそれ、これはこれ」と言ってるんですよね。

「構造の類似性の指摘」とか「新しい視点の提示」についても、随分昔にこんな指摘がなされていたり。

「違い」を把握していないのならば「似ている」という印象に大きな意味はない - Skepticism is beautiful
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20090220/p1

個人的には、片瀬氏のニセ科学への対抗の努力もその質の高さも知っているので、余計に残念ですね。お願いだから、あの連中と同じレベルまで降りて (落ちて) いかないでくれ、という思いしかありません。もしかしたら、それも傲慢な「上から目線」なのかも知れませんが。
by nrt (2015-02-27 08:39) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

私はtwitterをやらないのね。私のコメントのスタイルと言うのは常に「情報(単に知識では無く考え方を含んだ情報だけど)の提供」を主にしている面があって、その情報の質と量こそが私の特長だと思っているからね。それをやるにはtwitterの文字数は狭すぎると思うからです。

私が片瀬さんについて何か書くのは問題かも知れないけど、ブログのコメント欄で片瀬さんに絡んだ時にずっと思っていたのは「惜しいなぁ~」なんてことね。せっかく文字数に余裕があるのに、twitterみたいな使い方をするから私に振り回されてしまうんだよ、みたいな事を考えながら絡んでいた。まあ私の底意地が悪いのは読んでいる人には分かっていたと思うけどね。

なんていうかな、twitterというメディアの特性をきちんと把握して自分のやりたいことに合ったメディアかどうかは考えた方が良いし、twitterというメディアに特性から自分の表現スタイルが影響をうけることも心配した方がよいような気がする訳です。

by 技術開発者 (2015-02-27 08:49) 

pooh

> nrtさん

なんかですね、ここの運営ペースがだいぶ下がっていたので、単純にわかりやすい明解なコメントを書く能力が下がってるみたいです。

> 「それはそれ、これはこれ」と言ってる

すでに文脈のあることばについては、できるだけその文脈を尊重すべきなんですよ。自分の議論の都合で(意図的であろうと、なかろうと)既存の(または相手方の)文脈を操作する、みたいな論法は、「エア御用」論者やそれを支持した一部アカデミシャンがひんぱんに使ってみせた技巧で、だとすればそれに対向するには、PseuDoctorさんのおっしゃる「同じ武器」で腕力勝負に持ち込んではいけない。

> 片瀬氏のニセ科学への対抗の努力もその質の高さも知っているので

ぼくもそうです。みんなそうです。思いは同じです。
by pooh (2015-02-27 08:51) 

pooh

> 技術開発者さん

ぼくもtwitterは、まだこわくて使ってません(あ、いや、アカウントは以前から持っているし、読みますけど)。黒猫亭さんみたいに、そのメディアに合わせた使い方と云うのを習得できるようなら、また違ってくるんでしょうけど。ぼくも直情的な部分があるので、簡単に意図を誤解されるようなツイートをしてしまいそう。
by pooh (2015-02-27 08:59) 

lets_skeptic

お久しぶりです。

 僕はTogetterまとめしか読んでないのですが、まとめだけで片瀬さんの主張の文脈を把握していいものか、ちょっとだけ悩んでいます。(以前、全く違う文脈のふたつの話がひとつのTogetterまとめになっていたため、解釈間違いを起こしたことがあったので)

 ヘイトの件も片瀬さんの中ではうまくまとまっていて、説明もうまくできれば納得できるのかもしれません…という可能性を残しつつですけれども、それでもことさらヘイトに拘る理由がわからないので困惑してます。

 僕は片瀬さんに説明するのが非常に困難な背景があるのならば(これほどみんなが納得していない状況なのですから)、ヘイトの件は適当に切り捨ててしまって構わないのではないかと思っています。

 とにかくもったいないのですよね。僕にはできないような良質なニセ科学批判ができる人なのですから。
by lets_skeptic (2015-02-27 17:39) 

pooh

> lets_skepticさん

あんまり、切り捨てるような言い方はしたくないのですが。
自分に向けてヘイトな言説が向けられた、読んだ本にはヘイトスピーチが社会的な問題だと書いてある、だから自分を傷つける言説も社会問題だ(傷つけられたのは自分だけじゃなくて「科学者」と云う属性を持つもの全体だったわけだから)と云うロジックなんじゃないか、と推測してました。なので、言及先のtogetterで金明秀さんなんかが困惑しておられるんですね。
上記のロジックの当否については、お書きのこちらのエントリで示唆されているような理解をしています。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20090220/p1

# 早川由紀夫も武田邦彦も科学者じゃね? とか思うんですけど。

とは云え、そのことを受け入れてもらうよう片瀬さんにお伝えする能力は、たぶんぼくにはありません。せいぜいがこちらでの議論の再現になって終わりだろうなぁ、みたいに思っています。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16

> とにかくもったいないのですよね。

心から同感、なんですけれどね。
by pooh (2015-02-27 18:44) 

TAKA

 poohさん、こんにちは。初めにプレゾンテしておきます。
 私は、次のような芸風を見せるブロガーが現実のネット上に存在するか否か、判断に迷っている者です。
  「読者達に向かって、『個人的な体験談を即座に一般化して語って結論を出すことは良くないことなのでやめましょう』と説教した後、自分の体験談を即座に一般化して語ってドヤ顔で締めくくり、『さあ読者様、ツッコミを入れる時間ですよ!』と呼びかけてアクセス数の大幅増加を期待する過疎ブロガー」
 以上で、プレゾンテを終えます。以下、poohさんの記事を読み終えた現状の思いを述べます。 

 ニセ科学の被害に遭った過去を持つ人間、そして今もネットの方々で見聞きするニセ科学的な主張に憤りを覚える人間というものは、ニセ科学批判を行う際の舌鋒が鋭くなりすぎてしまうことがあるものです。そうです。何を隠そう、私のことです。
 「ついうっかり科学的に間違った主張をネット上で見せてしまった御方」はともかく、「散々にニセ科学的な主張を述べて最後にドヤ顔で締めくくる御方」の姿をネット上で目撃した際は、「詭弁を弄する相手に負けてなるものかっ」という思いが強くなり、直後に書き上げた自分のブログ記事の予稿はサルトリイバラが絡み付いたが如くトゲトゲな感じになってしまいます。

 その場合、次のように自分に言い聞かせています。
 「怒りの感情にまかせて批判の記事を書いても、良い仕上がりの記事になる可能性は低いのだ」
 「怒りの感情を一旦鎮め、時間を置いて頭を冷やしてから記事を書き上げるのだ」

 この状態を保つことが出来れば、トゲトゲな感じがないニセ科学批判の記事を常にネット上で披露するブロガーに成れるわけです。

 この状態に私が到達する日はむっちゃ遠いと痛感している現在ですが、それはともかく、
「いかに議論の相手が『これでもかっ』という程の酷いニセ科学的な主張を披露してきても、こちらは冷静に淡々とツッコミを入れるのみぞなもし」という境地が究極と信じて日々精進している次第です。

 あるいは、次のような境地も選択肢の一つとして考えています。
 ・まずは、狭い書斎の真ん中に安楽椅子を設置する。
 ・その安楽椅子に座る。
 ・飲み物を片手にし、次のような台詞を述べる。「えっ、ニセ科学による被害ですって? ほう……。よく分かりませんが、被害があるといえばそうなのでしょうね、きっと?」
 「まあ、世のニセ科学批判者さんの皆さんは、頑張って対抗言論を掲げ続けていてくださいね。この私も、気が向いた時はニセ科学批判を行ってあげましょう」
 「もっとも、今は気が向かないし、今後も気が向かない予定ですけれどもね」
 「なにしろ、ニセ科学批判の活動に関わると、相手の論も自分の論も間違いが無いか否かいちいち細かくチェックしないといけないので、『たかがネット上で自分の意見を披露するために何でこのような面倒な作業を遂行せねばならんのだっ』と叫んでしまいそうで嫌なんですよね」

 このように、「ニセ科学問題を自分事として考えずに他人事と捉えて遠くから物申すブロガー」に成ることも有りといえば有りです。(肯定的に受け止めてくれる読者の数が多くなるか否かはともかく、自分自身としては心の平穏を保ったままでブロガー人生を終えることが可能となる)

 以上で、現状の思いの報告を終えます。ご読了、ありがとうございました。
by TAKA (2015-10-04 13:24) 

pooh

> TAKAさん

いまから振り返ればこのブログのごく初期、ニセ科学なんかに対して批判的なエントリを上げ始めたころには、ぼくはできるだけ苛烈な、妥協のない物言いを意図的に行っていました。これはなぜかと云うと、そう云うスタンスに立つことで自分自身に言い訳の余地を与えない、逃げ場を準備しないことが重要だ、と思っていたからです。むかしTAKAさんに「辛口だ」と云われたことがありましたが、それはこう云うスタンスを取っていたころからの印象なんだろうな、とそのときには思いました。

行っていました、と云う書き方をしたのは、そのあとちょっと感じたことがあって、そのあたりのスタンスが変化したからです。要は「言説としての有効性」みたいなものを意識するようになったんですね。
割り切って「それでも正義はこちらにあるはずだ」みたいな立ち位置で言説をものすのは、一面その正義の(本来持つ)あいまいさとの距離を常時意識しなければいけないしんどさはありますが、そこさえ自分のなかで位置づけられてしまえば、あとは気分的には楽なんです。とは云え、はたしてそれが届くのか。
自分の主張に出口のない反駁をされて、そこから自分のスタンスを冷静に変えることができずに、結果的におのれを守るための議論しかできなくなった論者を、ぼくは何人か知っています。もちろん「ギャラリーのために議論をする」ことを目的とする以上はそれはそれで問題のない結果とも云えるんですが、そう云う論者をつくってしまう一因となることは、ぼくにはちょっとしんどかった。
結果的に、迷いがあることについてはとりあえずその迷いも添えて書くようになりました。これはまぁ、ぼくの弱さでもあります。

それでも、必要なときには必要なだけのトゲを準備するのは、技術として必要だとはいまも思っています。トゲは制御される必要があるし、制御のための努力も欠かせない、みたいには思っていますが。
by pooh (2015-10-05 09:12) 

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