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失望と期待 [よしなしごと]

onkimoさんの最近忙しくてブログを書けないのがと云うエントリを読んだ。
原則お書きになっていることに異論はなくて、だからこれから書くことは賛同でも反論でもなくて。なんと云うか、自分がどんなふうにとほほな気分になっているのか、と云う話。
その私が togetter記事に抱いた感想。それは、少数例だけから STSを使えないものとしてしまうのは、ちょっとどうかな、ということです。春日匠さんとあららさん、あと平川さんもかな、そんな少ないサンプルから STS全体を否定するのはやめた方がいいのではないか、と。
これってこっちのエントリのコメント欄でTAKESANさんにも釘を刺された部分、ではあるんだけど。
でも例えばこの状況で沈黙を守っている科学技術社会論の専門家、って云うのもどうなんだろう、と思う。そう云うひとたちの、専門職としての出番はいったいいつなんだろう。
いやもちろん、こんなふうに思ってしまうこと自体が無茶振りだって可能性ももちろんあって。学問は目先の実効性のみで評価されるべきものではないわけだしね。
たとえば、「エア御用」というレッテル貼りを支持するような発言をされた STSの研究者がいたのですが、その人が今後科学コミュニケーションについて何か言っているのを見ても、私は頭から受け付けないでしょう。
と云うか、現時点で表面に出て発言しているSTS関係者やその支持者のスタンスを見るかぎり、彼らの考える「科学コミュニケーション」って云うのが特定の「市民」と特定の「(非御用・非エア御用)学者」のみを対象とした(それ以外に対してはひどく冷笑的な)ものなんだな、と云う印象を受ける。で、それがこちらの認識不足(とか知能不足)によるものなのか、あるいは本来そう云う分野なのか、がわからない。

例えばぼくは、平川秀幸氏の「科学は誰のものか」について、いまから読むとひどく的はずれなレビューを書いている。いや、書いているときにも、なんか違和感があったんだけど。なんでそんなことになったのか。
ぼくは自分でふつうの市民だと思っているし(そりゃ世間並みよりもだいぶバカではあるみたいだけど)、だからこの本に書かれている「市民」に、自分が含まれている、と思っていた。でもじつはぼくはこの時点で、おそらくすでに平川氏によって(たぶん「エア御用市民」的な存在として)あらかじめ読者として想定されている「市民」の対象から切り捨てられてしまっていたんだよね。でもそんな含み、わからないよ(いや、お勉強すればわかるよ、って何人かのひとがブクマで教えてくれたけどさ。ふつうの市民であろうとするのも敷居が高いね)。専門家が新書を書くときには、それは原則として万人に向けて書いている、って思っちゃうじゃない。
金返せ、とか思う。それぐらいはいいよね? 書物のタイトルに対する読解力が足りない、とか云われるのかな?
とはいえ、私は STS 自体には期待しています。
例えばいま「エア御用」と呼ばれているひとたちも基本的には期待してるんだと思うし、ぼくも期待してるけどね。もしSTSと云うのが、ぼくみたいなのを社会の成員から除外しなきゃ成立しない分野、と云うわけではないのだとすれば。
タグ:平川秀幸
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TAKESAN

お早うございます。

▼ 引  用 ▼
でも例えばこの状況で沈黙を守っている科学技術社会論の専門家、って云うのもどうなんだろう、と思う。
▲ 引用終了 ▲
いや、きちんと考えればその「沈黙」という評価をどういう観点からすべきか、という事も含んでいる訳です。
恐らく現状は、専らtwitter上でのSTS研究者の発言を中心的に検討しているものと考えられますが、twitterは、それ自体が重要なメディアとはいえどもWEB上のごく一部を構成しているに過ぎないものですし、また、そもそもWEBを主たる活動の場としておらずに、地元での講演を行なって知識を普及する人などもいるかも知れないのではないかと思います。

もし全体的な活動として見るのならば、JSSTS(科学技術社会論学会)の見解などを精査したり、そこ辺りが主催するシンポジウム等のレビューを行うなどの方法があり得ます。もし学会として何か的外れな見方をしていたりするのが判明すれば、一応、STSという分野ってどうなの? みたいな評価は可能となるでしょう。そして、それはそれとして、個別の論者の意見は汲み取っていく事も重要だと思います。
たとえば、「助産師会ってどうなの?」と日本助産師会の見解を全体として批判しつつも、ふぃっしゅさんのような真摯な方の意見を傾聴する、といったような感じでしょうか。

科学の哲学(科学哲学、では無い)、に関わる論者にも、伊勢田哲治もいれば戸田山和久もいれば村上陽一郎もいれば野家啓一もいれば金森修もいれば佐々木力もいれば平川秀幸もいれば……と、相当バリエーションに富んでいる訳で。
もちろん、論者にバリエーションがある事と、学としての中心的な論の位置づけというのはまた別な話ではありますが(なので、やるなら代表的な所をきちんと見極めてしっかりやる必要がある)。

これは推測でしかありませんが、STSの幾人かの論者の意見を見て業界全体に懐疑の目を向けていて、その上で、私がしたような「少数例から一般化しない方がいい」という注意も見た人で、「そうは言ってもねえ」と感じている人も多かろうと思います。でもあの人達ダメじゃん、他に目立つ人でちゃんとした人いないじゃん、て。
これは、心理学的にも注目すべき、最も怖い類のバイアスだと思います。声のデカい人の意見を一般的なものとして取り扱う事の危うさは(それが、「組織の代表」としてのデカい声、などなら別)、私達はよく知っているはずです。
by TAKESAN (2011-11-11 08:19) 

pooh

> TAKESANさん

おっしゃることは、すごくよくわかるんです。危惧されている部分も。

たぶん、STSと云う分野が「コミュニケーション」と云うことがらを対象に含んでいないものであれば、こう云う気持ちにはならないんだろうな、と思います。いや、このことそのものがぼくの誤解とかバイアスにもとづくもの、なのかもしれないんですけど。

一部のSTS関連の論者に対する批判、のつもりもありません。どちらかと云うと、ぼく自身のナイーブさ、みたいなものについての話です。
by pooh (2011-11-11 08:42) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>私は STS 自体には期待しています。

なんていうか、自然科学と社会の関係っておそろしく多様なんですね。私などの年代は、「化学」が公害の発生に関与したのにショックをうけた訳だけど、同時に公害原因を特定したのも「化学」だったし、公害を防止する技術を開発したのも「化学」だったという経験をしている訳だけどね。

「化学」という大きな体系から「化学反応で社会に有益なものを作りだそう」という社会との関係もあれば、その時に副産物として社会に有害なものが漏洩するのを見つけて社会に警告するという社会との関与や、副産物を処理して無害にしたりあるいは有益なものに変えたりするという社会との関与も有る訳ね。

こういう多様な関わり合いの中で、科学技術社会論というのが、きちんとまとまりをもって成立しようとすると、それは非常に大きな力量を必要とするもののように思える訳ですね。なんていうか、総合的な視野と同時に個別部分を定量性をもって位置づけする力が必要な気がする訳ですよ。その力量が無いと、結局個別の社会との関わり合いを議論するだけの体系のないものになってしまう気がします。

by 技術開発者 (2011-11-11 08:46) 

かとう

問題は、STSの人が、

>現時点で表面に出て発言しているSTS関係者やその支持者のスタンスを見るかぎり、彼らの考える「科学コミュニケーション」って云うのが特定の「市民」と特定の「(非御用・非エア御用)学者」のみを対象とした(それ以外に対してはひどく冷笑的な)ものなんだな、と云う印象を受ける。

とある様に、科学者がコミュニケートしている現状に対して足を引っ張っている事ですね。
そして、STSの他の人が、STSの一部の人が足を引っ張っている現状に対して、何も諫言してない。だからこそ、「STSは」と言い出す人が出てきているのだと思います。
#僕はSTSは~とは言わず、もっと局限的に「CSCDは」言ってますが。だって、その「目立つ」二人は、二人ともCSCDですし。
##まあ、その二人に対して、もう一人CSCDの人が頑張って苦言を呈して頂いていますが。
by かとう (2011-11-11 14:15) 

TAKESAN

かとうさんが仰るように、私も、平川氏や春日氏に対して他のSTSの人が何か言わないものかな、と思う事はある訳ですね。その場合、可能性としては、
 ・氏らの意見が妥当だと思うから何も言わない。
 ・妥当で無いと思っているが面倒なので何も言わない。
 ・そもそもそういう議論がある事を知らない。
これらの理由がありそうですが、どこら辺なのかな、と。

STS研究者に対して思っているのは、他の人々からも もっと何かしらの見解が出されていいのにな、という希望くらいですね。これはシンプルに、「平川氏や春日氏の意見について他のSTSの人達がどう思っているか知りたい」という興味でもあります。
by TAKESAN (2011-11-11 17:53) 

pooh

> 技術開発者さん

> 科学技術社会論というのが、きちんとまとまりをもって成立しようとすると、それは非常に大きな力量を必要とするもののように思える

そうなんでしょうね。素人考えでも、なにしろ相手取っているものが大きいよなぁ、みたいには感じます。こちらのエントリのブックマークコメントでも、まだ評価するのは早い、みたいな意見もあります。それはそうなのかもしれないんですけどね(でまぁ、現時点での包括的な評価をしているつもりは、このエントリではさっぱりないんですけど)。
ただ、いずれは必要とされる学問分野だと思うんですよ。で、それが有効になりうるだけの力が発揮されるようになった時点で、ぼくみたいなのが切り離されなければいいなぁ、と云う程度の話でした。
by pooh (2011-11-11 19:26) 

pooh

> かとうさん

いらっしゃいませ(でしたっけ。もうわからないや)。

> 科学者がコミュニケートしている現状に対して足を引っ張っている

もちろんまぁ、そのコミュニケーションがはたして適切なのか、と云う話なんでしょうけど。
STSの知見に照らして不適切だ、と云う場合は、そのコミュニケーションの方法や内容に対して異を唱えるのは、学問的に誠実な行為だと思います。そのベースになる知見が示されていない(みたいなことを云うと勉強不足だこのバカが、みたいな反応しか返ってこない)みたいな部分はあるかと思いますけど。
いや、いちいち示さなくてもそのへんについての理解は「市民」として最低限の常識だ、って話なのかもしれないんですけどね。

> STSの他の人が、STSの一部の人が足を引っ張っている現状に対して、何も諫言してない。

とは云え当然原則として、他者の行動について発言しないのはその行動に賛同していることを意味しない、と云うのはもちろんあるわけなんですけどね。ただ、そこんとこ本業だから他人事みたいにしてたらまずいんじゃない?
みたいなふうにはどうしても感じてしまいます。
by pooh (2011-11-11 19:26) 

pooh

> TAKESANさん

なんかそのなかでは3つめなんじゃないかな、みたいに思えますけど、憶測の域をでないですし、そもそもそれはそれでどうなんだ、と云う気もするし。

> 他の人々からも もっと何かしらの見解が出されていいのにな、という希望くらいですね。

ほんとは科学コミュニケーション関係者大活躍、ぐらいの状況を期待したいんですけど、まぁ勝手な話ですし、(なにが原因なのかはわかりませんが)そう単純な話でもない、と云うことらしいので。
by pooh (2011-11-11 19:26) 

かとう

わからなくてもいいです。僕もわかりませんし(笑)

>とは云え当然原則として、他者の行動について発言しないのはその行動に賛同していることを意味しない、と云うのはもちろんあるわけなんですけどね。ただ、そこんとこ本業だから他人事みたいにしてたらまずいんじゃない?

STSが所謂モード1科学なら、無関心や傍観でもいいんですよ。また、賛成だから、反対だから発言しないでもいいです。
しかし、その科学のあり方を問題だとしているのがSTSなわけです。
そして、科学、技術と社会のあり方を研究分野として行うのがSTSなわけです。まさしく、そのあり方自体ですよね。この問題って。
その様なSTSが、今起きている市民と科学者のディスコミュニケーションに対して、それを助長する様な人がSTSから出ている事に関して無視する事は、もう存在意義が無いとしか言えないと思います。

また、事実として、こういう事が起きているのを知らないのなら、今の原発事故にはSTSは必要ない、無関係と思ってるんでしょうかね。何の為のSTSなんでしょうかね。
原発問題でアンテナを立ててれば、解るレベルの話だと思います。
by かとう (2011-11-11 20:38) 

TAKESAN

確か菊池さんだったかと思いますが、事故発生当初に、今この時こそが、科学コミュニケーションの専門家が積極的に発言するべき情況である、というような事を仰っていました。
原発事故というのは、科学技術が関連する出来事としては考えられる中でも最悪の部類に入るものであるから、その時に、専門家と非専門家とのコミュニケーションについて研究し実践するプロフェッショナルが積極的に語らずにどうするか、というのは、私もそう思いした。
そういう意味で考えると、STSも当然そこに強く関わる分野ですから、色々な論者がもっと見えるように積極的に発信すれば良かろうに、という印象は確かにあります。もっと強く言えば、学としての存在意義に関わる訳ですね。かとうさんもそう見ておられるように。

ただそれでも、全体にものを言う(”そのように外部から見られる”のも含みます。これ重要)場合には可能な限り慎重に行きたいな、とも思うのです。これはくどいと言われるのを承知でずうっと、昔からやってきている事ですね。poohさんはよくご存知とは思いますけれど。バイアスは出来る限り除いておかないと、いつ足をすくわれるか判りませんので。
この辺、言い過ぎるという事は無いと認識しています。

あ、もちろん。さっき書いた3番目は、あくまで可能性としてあり得るとすればという話なので、まさかほとんどの人が全く知らないという事は無かろう、と思いつつ書きました。今時WEB上のやり取りも把握せずに何がコミュニケーションか、という事も感じなくは無い訳でありますし。個人的な直感と言えば、そこら辺の事は私も色々な見方はしているのですね。

これは余談気味ですが。
最近、ac.jp でSTSやらを色々見て回ったのですが、議論としては様々なものがあるのだな、というのはありましたね。そこで、この種の議論でよく見る「欠如モデル」についても調べたのですが(最新のエントリーでも触れています)、まあ意味の取りにくい概念ですね。本当に学界内でのコンセンサスある定義が存在するのか、というくらい曖昧な感じで。あれだと、人によって用法が違って議論が成立しないんじゃないか、みたいな余計な心配もしてしまいます。

何だか取り留めない話になっちゃいましたが。
by TAKESAN (2011-11-11 21:49) 

北風Mk-2

「自然科学と社会の関係っておそろしく多様なんですね」とは、技術開発者さんがお書きになっておられることですが、加えて「コミュニケーション」というのもある種多様なんですね。
お互いの目的が一致しないこともお互いの見解が(ある種のゴールを迎えても)一致しないことも珍しいことではない。

「コミュニケーション」」という場合、「双方の」目的がまず確立されていないと、ぐだぐだになって何もでてこない。
(「罵倒」「恫喝」あるいは「実力行使」などもとりうる行動ですし、双方の目的がある程度明確なコミュニケーションにおいては、善悪はともかく「ぐだぐだ」にはならない。)

おそろしく多様な関係があって、お互いの目的が多様なら、多様なチャンネルの「コミュニケーション」がありうるのですが。

>現時点で表面に出て発言しているSTS関係者やその支持者のスタンスを見るかぎり、彼らの考える「科学コミュニケーション」って云うのが特定の「市民」と特定の「(非御用・非エア御用)学者」のみを対象とした(それ以外に対してはひどく冷笑的な)ものなんだな、と云う印象を受ける。

「コミュニケーション」に関わっている双方の「目的」がクリアで、その状況をコントロールしようとするものとして成立しているのなら、それはそれでチャンネルの一つなんでしょうね。
少なくとも一方の「目的」がクリアじゃないのなら、ぐだぐだにしかならないので、それをはっきりしないといけない。
「目的」がそもそも適切でないのなら、手法じゃなくそこを直さないといけない。
「目的」がクリアで、状況をコントロールしようとする方法の問題であれば、そこを直さないといけない。

どれなのか判断できないと、軌道修正の口出しは難しいと思うのですけども、「エア御用」のところでも書きかけたけど、まず「目的」がはっきりいているのかな?と感じます。


by 北風Mk-2 (2011-11-11 22:05) 

pooh

> かとうさん

> 今起きている市民と科学者のディスコミュニケーションに対して、それを助長する様な人がSTSから出ている事に関して無視する事は、もう存在意義が無いとしか言えないと思います。

ぼくもまぁ、おんなじようには感じてるんですけどね。
難しいなぁ。あの方々はほんとうに「STSの研究者」として発言してるのかなぁ。そのへんどれくらい自覚的なのかしら(自覚的でないとすればそれ自体学問の性格上大きな問題だ、と云うふうにも思いますが)。
by pooh (2011-11-12 07:45) 

pooh

> TAKESANさん

> 全体にものを言う(”そのように外部から見られる”のも含みます。これ重要)場合には可能な限り慎重に行きたいな

これは思うんです。そして、そこを指摘していただくのはありがたい。
なんて云うかですね。この種の議論ってやっぱり「どこまで云っていいのかな」みたいなのを探りながら、って云う部分があるじゃないですか。

> あれだと、人によって用法が違って議論が成立しないんじゃないか

なんか、議論のスタートの段階ではどうしても「欠如モデル」対応、みたいな初動にならざるを得ないんじゃないか、みたいにも思ったり。

ちなみに、このへんの一連のエントリについてCSCDのSTS研究者を支持する方々からいただいた反応は、どれも見事に「欠如モデル」的罵声でした。それもそれで興味深かったですけど。
by pooh (2011-11-12 07:57) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 少なくとも一方の「目的」がクリアじゃないのなら、ぐだぐだにしかならないので、それをはっきりしないといけない。

これはあると思うんですよ。ほんとに。

で、一部の目立つSTSの研究者については、その言動の「目的」がクリアに見えてこない、と云うのがあったりしたわけです。なんかどうもミスティフィカシオンが混ざってるだろ、みたいな。
そう云う部分について、憶測が出てくる部分はあるわけです。憶測なんかで語りたくはないんですけどね。
by pooh (2011-11-12 08:01) 

黒猫亭

>poohさん

もう粗方論点は出尽くしているようですが。要するにね、こと公的コミュニケーションの学の立場においては、「それは認知バイアスだから間違っている」と謂う指摘はあんまり意味ないんですよね。認知バイアスと謂うのは「前提としてそこにあるもの」として織り込んで考えないと意味がない。

普通の人間がそのように考えやすい一般傾向だからこそ「バイアス」なわけでして、それをバイアスとして指摘すること自体は勿論重要なんですが、それはこの場合の重要な論点ではない。STSに対する「そう謂うふうに見られちゃうよ」と謂う形の批判と謂うのは、そもそも普通の人々の認知バイアスに最も敏感なのがSTSの立場じゃないんですか?それなのにこんなふうに振る舞っているの?と謂う疑問から出発しているわけで。

なので、「部分を以て全体を語るな」と謂うご指摘は「そう謂うふうに見られちゃうよ」と謂う批判とは本質において噛み合っていない。「そう謂うふうに見る」世間の目を一々説得して回るのか、と謂う話で、しかも「そう謂うふうに見られる」ことで議論のテーブルに就く前段階で信用を喪ってしまうでしょ、と謂う話なんですけどね。

どうも混乱があるなぁと思うのは、別にそう謂うふうに指摘している人々が「部分を以て全体を判断している」わけではなくて、「部分を以て全体を判断する」のは世間一般の習い性なのだから、公的コミュニケーションの学の立場の人々がそれを織り込んで振る舞わないのでは最初からダメダメじゃないの?と謂うふうに、特定の研究者の言論姿勢を批判しているのだと謂うことなんですね。

そこを混同すると話が噛み合わないのも仕方がないのかな、と思います。
by 黒猫亭 (2011-11-12 08:21) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 公的コミュニケーションの学の立場の人々がそれを織り込んで振る舞わないのでは最初からダメダメじゃないの?と謂うふうに、特定の研究者の言論姿勢を批判している

いやまぁここのところははっきりしていたわけじゃなくて、そう云う視点を確定したうえでの議論が行われてきた、と云う経緯も(ぼくの観測範囲では)ないので、混乱しがちなものいいはぼくを含めて多々あったんだろうな、と云うふうには思うんですよ。ただ、

> そもそも普通の人々の認知バイアスに最も敏感なのがSTSの立場じゃないんですか?

絞り込んで考えていくと、やっぱりこの部分になるのかなぁ、と思います。
by pooh (2011-11-12 08:35) 

黒猫亭

>poohさん

>>いやまぁここのところははっきりしていたわけじゃなくて、

オレ個人としては最初からその前提の話ではあったのですけどね。STSの研究者自体があまり世間に識られている存在ではないようですから、Twitterみたいな目立つところで遣り取りをしている研究者の振る舞いは、その学問全体の印象を左右するのにな、と。この辺、諄いくらい「世間の見る目」と謂う話をしているんですよね。だって「世間の見る目」を相手にする学問なんでしょ?と。

後は、Twitterで散々繰り返しているのは、そもそもリスコミや科コミを研究している学者さんは、なんでこんな大変な状況なのに何もしてないの?と謂う疑問が前提にあるんだと謂う話で、ある種マッスに向けた情報発信の問題なんですから、探しに行かなきゃ何をしているんだかわからない状況なのではそもそもダメでしょ、と謂うことですね。

たとえば今般の震災のような大状況で、妥当な科学知識をコミュニケーションする方法論については、それを専門に研究している人がいないと謂うことはまず考えられないわけですね。実際、平時にはリスコミがどうこうと謂うことが盛んに言われていたわけですし、リスコミや科コミの専門家を自称していた人もたくさんいたはずですよね。その人たちは今何をしているの?と謂うのは普通に感じる疑問ですね。

STSがそのニーズにどんぴしゃの学問かどうかには議論の余地があるのでしょうけれど、少なくともその目的に使える学問上のリソースは持っているはずですよね。そうでなかったら、STSの学問的な存在意義って何なの?と謂う話になりますから。

平川さんや春日さんは、同じ大学の同僚と謂うこともあって菊池さんが引っ張り出したところはあるかもしれませんが、やっとその手の学問をやっている人が人目のある場所に出てきたと思ったらあの体たらくですか、と謂うのが前提にあってこそ、「そう謂うふうに見られちゃうでしょ」と謂う指摘に繋がるのですよね。
by 黒猫亭 (2011-11-12 08:53) 

pooh

> 黒猫亭さん

サイエンス・コミュニケーションってどうなのよ、って云う議論は震災前からあって、ぼくもときおり書いていたりしたんですが。
例えば長神風二さんの初動は鮮やかだったなぁ、みたいに思ったりはするのですが、それでもリーチは短かったと思うし、いまも目立った動きはないですよね。

> STSの学問的な存在意義って何なの?

これはぼくも感じるんですが、そこってどうやれば問える話なのか、がよくわからない。「いまは動かないけど、そこはそれ長い目で見てやってくれ」的な話でもあるかもしれないし。

> 平川さんや春日さんは、同じ大学の同僚と謂うこともあって菊池さんが引っ張り出したところはあるかもしれませんが

所属に名前が載っている(とくになにかしているわけではないみたいですが)筋から云うと、菊池誠もある意味STSの研究者、ではあるわけですね。で、まぁ実践者でもあって。だから、あの問いかけは必然なんですよ。まさに正当な文脈。ポストモダン(笑)的にはどうか知りませんけど。

> やっとその手の学問をやっている人が人目のある場所に出てきたと思ったらあの体たらく

またその弁護をするひとたちがなにかと罵倒に冷笑、ですものねぇ。みごとなコミュニケーションだよな、とは思いました。
ただまぁ、これから役立つ、と云うことかもしれません。もちろん。
by pooh (2011-11-12 09:13) 

北風Mk-2

 メーカーなんぞに勤務していると、顧客の要望に応えられるようなモノを作って使って頂こうとするわけですが、いろいろな事態がおこるわけですよ。顧客の要求を満たすモノではないけども「現状はここまでしかできませんがご評価頂けませんか?」とか、不具合が発生して「理屈はいいから、速やかに代わりのモノもってこい」とかあるわけですよ。
 特にトラブルがあった場合とか、「罵倒」もあるんだけども、先方の目的は「事態に対処するためにどうするかを明確にする」ということで、「案をだせ」とか「こういう処理をするから協力しろ」とかに帰着する。
 「事態の解決」には技術が必要なんですが、「帰着する」というところまでには、上手くコントロールされた「コミュニケーション」によるか否かで、結構様相が変わる。

 「原発」問題をこういっていいのかわからないけど、荒っぽくいえば「安全」なものとして顧客というか「市民」は受け入れていたけど、不具合がでた。
 メーカー・顧客で言えば、「別のメーカーのモノを使う」とか「代わりのものをもってこい」とかなって、要求事項を満たせないなら「現状はここまでしかできませんがご評価頂けませんか?」とか「改良品をいつまでに用意しますので」とか、メーカーがアクションすることになる。
 この「メーカーのアクション」ですが、トラブル時の対応としてのコミュニケーション、現状の対応可能なことは何かということの明示、これからどうしていくかというビジョンの提示、とかいろいろ役割はあって、誰がどの役割をどう担うんだ、ということになる。
 平時の企業のPRというのも「企業」と「社会」のかかわりである種のコミュニケーションですし、「営業」もあるし、トラブル時には上に書いたような役割もある。
 役割が被ることもあるしょうし、「平時のみ」ということもあるでしょう。

 STSあるいはもっと細分化したものが、「どの役割を担うものなのか」、他の役割はどれが担うものなのか、ということが明確になってないとか、現状で「自分はどこの役割を担っているのか」が明確になっていないということなのでは。
こういっては何ですが、それをある程度明確にすることで「自分はここについては担当外」とか「弊社の担当が貴社にご迷惑をおかけしまして、に似たやりとり」があってもいいと思うのです。
by 北風Mk-2 (2011-11-12 22:58) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 現状で「自分はどこの役割を担っているのか」が明確になっていない

そもそもそれが明確になるものなのか、と云うのもあったりはしますが。看板だけで判断しちゃいけない、と云うのもあるのかもしれないですけどね。

そのへんを外側から一定水準担保するのもまた学問の権威のメカニズムの役割だったりする部分もあるんですが、見える範囲ではそのメカニズムに対しても否定的な言説に親和的だったりするみたいだしなぁ。
by pooh (2011-11-13 05:35) 

北風Mk-2

>poohさん

>そもそもそれが明確になるものなのか、と云うのもあったりはしますが。

 まあ、これはあるとは思うのですけども。

 ただ、「顧客」としての「市民」のコミュニケーションの目的が、「カタログベースの話」ではなくて、例えば、「こういうモノをいつもってくるので、しばらくお待ちください」とか「それは使えるのか使えないのかの判断」「何を確認しながらだましだまし使えるか」とかの回答を得たいということであれば、それに対しては、結局、「開発」じゃないと、こう言うとなんですが「御用聞き」にしかならない場合があるんですね。

 上の顧客とのトラブルでの「営業」なんかを想定すると、「開発に顧客の立場で言う」「顧客に開発の立場で言う」では、「敵味方」的にみてしまうと全然違うように見えるし、いろいろなことを言っているようにみえる。
「開発」からすると、「顧客の言い分を強化するな」とか言いたくなるケースもままあるわけで。

 とはいえ、「何ができる」というか、「何ができない(何でない)」としてみると、「営業」は基本的に、「少なくとも単独で技術的な解決はできない(しない)」とか「これはできない」「これはしない」ということがでてくるはずなんですね。
 「これはできない」「これはしない」ということをみていくと「結局、その組織なりはどういう役割・位置づけにあるのか」がでてくるはずなので、「万能の組織」はないのだから、基本的にはそれなりに明確にはできるはずなんですよ。
 
 つきつけられている「要求」ないしそれに関している「コミュニケーション」に、その組織なり個人では対応できず「御用聞き」になるのも、「技術者」であっても畑違いであったりすれば、それはそれでありだと思うのですよ。
 ただ、その場合、必要であれば「うちではそれは対応できないとかしない」ということを明確にしないとまずいよね。
by 北風Mk-2 (2011-11-13 08:54) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 「これはできない」「これはしない」ということをみていくと「結局、その組織なりはどういう役割・位置づけにあるのか」がでてくるはず

どうなんでしょうねぇ。学問の分野、と云うのは「なにができるか」「なにをするか」で分類されるものなのか。
いや、当然そうなのだ、と云うふうにも思えますけど、そう云う話をしてしまうと目先、看板と内実が一致してるのか、と云う話になってしまう。

> 必要であれば「うちではそれは対応できないとかしない」ということを明確にしないとまずい

だから、今のところ傍目からすると、「必要ではない」と判断したと云うことのように見えてしまう。いやそれが、コミュニケーションの学としての看板に照らして望ましくないことではない、と云うのならそれでいいんでしょうけど。
要はその部分が期待された場合に、期待したほうが愚かだ、馬鹿が勝手に看板を読み違えている、と云うことなんですから。
表立って発言している関係者は、事実上そう云っているのだと思います。そのひとたちにとってのSTSと云うのは、そう云うものなのでしょう。
by pooh (2011-11-13 09:41) 

北風Mk-2

>そう云う話をしてしまうと目先、看板と内実が一致してるのか、と云う話になってしまう。

あとは一致してないのは何故か?ですね。

 ちょっとズレるかもしれないけど、「原発」以外はよくわからないですが、「原発」に関しては、顧客‐開発的なスキームにした場合、「開発マター」の問題がないのか、という不安はあるんですよ。
不具合がでた商品の場合、「それは売り物としてはだめで、研究とかに差し戻す」(リコールなど)のか、「リスクは明確にしてなんとか使い続けてもらう」のかの「開発」の判断がいる。まあ、これはその先で「やっぱり回収した方が安全」とかになることもあるんですが、それがないと、その先がぐだぐだにしかならないんですね。
いくら、「この点については高性能なんです」って言ったって、「それはいいから、使えるのか、使えないのか、どうなんだ?」って話を聞いて貰えない。
 それは、どこどこのコミュニケーションとかいう問題じゃなくて、上のケースでは「開発が判断を明確にしていない」から、その先のいろいろなところで不具合がでるわけです。
 まあ上のケースでは「開発の判断をだせよ」と開発に苦情がくるわけですが、それを出ていないから不具合がでているよう状況は今回のような場合はないのか、というところに一抹の不安があって、その辺りをはっきりさせたら安心できるなあ、というのが一連のコメントにあります。
by 北風Mk-2 (2011-11-13 11:09) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> あとは一致してないのは何故か?ですね。

そのへんは、お勉強していて頭のいいひとたちには自明らしいです。
ぼくみたいな馬鹿には、「とりあえず期待しないほうがいろいろと安全」と云うことぐらいしかわかりません。とは云えまぁ看板が偽っている、と云う印象はあるので、また文句を云うことはあるかもしれませんが。

> 「開発マター」の問題がないのか

「開発」の場所にいるひとにいま誠実になにか云え、と云うのも難しそうですけど。どう見積もっても、すでに一回市場に出す判断をしたことに関して「顧客」は納得しないでしょうし(たぶんぼくもしない)、そもそもなんでそう云う判断になったのか、と云う部分に「御用」問題は絡んでくるわけですから。
そう云う意味で、「御用」が追求されるべきポイントのひとつであると云う点については、あまり異論はないわけです。ただその追求にあたって、「エア御用」みたいなジャンクな用語がなんの役に立つんだろう、みたいに思うって程度なんですよね(いやまぁ、役に立つ必要があるのか、みたいに云われそうではありますけど)。
by pooh (2011-11-13 11:23) 

北風Mk-2

>「開発」の場所にいるひとにいま誠実になにか云え、と云うのも難しそうですけど。

難しいのはそう思うのですが、ただ、ここがないとその先は下で書くような「ちゃぶ台返し」があって、ぐだぐだにしかならないように思うのですよね・・・。
「この意見は技術的におかしい」とか言っても、「それはいいから、使えるのか、使えないのか、どうなんだ?」って、ちゃぶ台返される(なんというか0に何かけても0的な)歪んだ場だと、「ジャンク用語」はもちろん役に立たないんだけど、「ジャンクか否か」ということもあまり「その場おいて」関係なくなる。

>どう見積もっても、すでに一回市場に出す判断をしたことに関して「顧客」は納得しないでしょうし(たぶんぼくもしない)、そもそもなんでそう云う判断になったのか、と云う部分に「御用」問題は絡んでくるわけですから。

裁判なんかみても、「見解の一致」や「納得」が得られるとは限らないので、それは「コミュニケーションの最終目標」にはなりえないでしょうね。「事実の共有」と「どうしていくかの合意」くらいが目指せるところじゃないですかね。
得られないものを目指すのでなく、どうやって合意の形成を目指すか、というところが「コミュニケーション」であって、それに有効か否かという点では、「エア御用」は無益でしかない。

ただ、無益でしかないんだけど、「そもそもコミュニケーションが行われていない」状態だと、「それを無益といってもなあ」「どれが有益なんだ」ということにしかならないんですよね・・・。
で、「コミュニケーションを始めるには開発の~」に戻ると。
by 北風Mk-2 (2011-11-13 16:40) 

pooh

> 北風Mk-2さん

こう、「順を追って考える」的なものが必要な状況ではある、と思うのですよ。それがいちばん近道のはずで。で、中長期的にはもちろん、そちらに向けて状況は収束していくだろうな、とは思うんです。効率は悪いでしょうけどね。
で、それまでのあいだ、どうしても生じてしまいがちな個々の小さな犠牲(とは云え集積するとけして小さくないロットになる)をどうするか、と云う話だと思うんですけどね。都度都度現場で判断していくにあたって、なにに依拠するか、みたいな。

> 「そもそもコミュニケーションが行われていない」状態だと、「それを無益といってもなあ」「どれが有益なんだ」ということにしかならないんですよね・・・。

こう云うときに、「じゃあコミュニケーションの専門家はなにやってるんだ」みたいに感じちゃうわけですけど。そう云う意味でのコミュニケーションの専門家は、この国にはいないみたいですね。
by pooh (2011-11-13 17:38) 

北風Mk-2

>で、それまでのあいだ、どうしても生じてしまいがちな個々の小さな犠牲(とは云え集積するとけして小さくないロットになる)をどうするか、と云う話だと思うんですけどね。都度都度現場で判断していくにあたって、なにに依拠するか、みたいな。

完全に同意です。
結局のところ、「事実の共有」と「どうしていくかの合意」くらいしか目指しうるところがないわけです。
で、お書きになられたような「どうしていくかの合意を得るとか現場で判断するとかを実行するにあたって、なにに依拠するか」ということが求められる(そこに「エア御用」とか介入する余地は本来ない)というだけの話なんですよ。
イニシアチブとかもその合意を得るとかするために有効なものであるべきであって、合意を得ることなどに無関係な「イニシアチブ」なんかある種どうでもいいことでしかない、というだけのことです。

平時のコミュニケーションのチャンネルはそれはそれでいいですし、そのチャンネルがそもそも「問題に際したときに対応できるようになっているのか」は多分そうはなっていないんだろうなあ、ということでしょうね。
by 北風Mk-2 (2011-11-13 19:08) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 「事実の共有」と「どうしていくかの合意」くらいしか目指しうるところがない

そこでやっと出発点なんですよね。
でもまぁ、事実、と云うのもさまざまな捉え方があるわけで。で、どの「事実」を選ぶか、と云う話にもなって、ちょっとなまぐさくなってくる。
そう云う生臭さからひとを等距離に置きうるのが、例えば自然科学だったりするんですが、まぁそのへんひとによって理解が違う、みたいな部分ですね。

> 合意を得ることなどに無関係な「イニシアチブ」なんかある種どうでもいいことでしかない

そのあたりは、なんかどうでもいいことにできない事情がおありの方もいる、と云う話なんでしょう。

> そのチャンネルがそもそも「問題に際したときに対応できるようになっているのか」

まぁ現になってないですね。でもまぁそのチャンネルのコミッターたちと「市民」たちにはそのへんにあまりプライオリティはないようです。
まぁ、いつかきた道なんだろうなぁ、と云う気もします。
by pooh (2011-11-13 19:28) 

北風Mk-2

>そこでやっと出発点なんですよね。

対立した当事者間でその「出発点」を作る手段の一つに、民事訴訟があるわけですが、出発点を得るために、長い年月がかかることも稀ではないです。
また、判決がでたからといって必ずしも「当事者間で見解の一致がなされた」というわけでもないし、「慰謝料」がでたからといって、必ずしも被害者が「納得」するわけでもないわけで。

>でもまぁ、事実、と云うのもさまざまな捉え方があるわけで。で、どの「事実」を選ぶか、と云う話にもなって、ちょっとなまぐさくなってくる。
そう云う生臭さからひとを等距離に置きうるのが、例えば自然科学だったりするんですが、まぁそのへんひとによって理解が違う、みたいな部分ですね。

「事実の共有」なんて言葉で書けば一言ですが、「で、どの「事実」を選ぶか、と云う話にもなって、」が生臭いというか実際の障害ですね。原則としては、「この事実」として「共有」するわけで。
 さらに「これからどうしていくかの合意」をしていくためには、「この事実」とするために非常に多くの「証拠」などが要求されるというか「証拠などでこの事実とされたもの」が多く要求されるというか、複数の争点がある。

「ニセ科学」とか「医療訴訟」なんかもまあここの話ですし、「自然科学」だからといっても、「実際の事故で何がおきていたか」という「事実」を共有するのは非常に大変ですよね。「ホメ」とかそもそも「事実を共有するということとは」という前提から当事者間でやらないといけないケースですし。
 まあ普通は、「この事実」として「証拠」「科学」に基づいて認定していくのですが、裁判において証拠から構築された「事実」が完全なわけでもないですし、

「事実の共有」「これからどうしていくかの合意」は、裁判では一箇所に集約されますが、現実にはそうそう集約はされず、
・いろいろなチャンネルから、いろいろな観点の「事実」が発信される
・いろいろなチャンネルを通じて「複数の争点のなかの一部のある事実」を共有しようという試みがなされる
 (上に書いたような「障害」多いのに加えて、裁判と違って「当事者」が集約されていないので、「誰と」共有するかの問題が常にある)
・いろいろなチャンネルから、ある種、限定された「事実」に基づいた「これからどうしていくかの提案」が発信される
ということになるでしょう。
(平時であれば、PRやアナウンスなど「事実の発信」が主になるでしょうが、問題が発生した場合、2番目・3番目がでてくる)

 で、「役割」の話に戻ることになって、例えば、「STS」は上の(上以外でもいいですが)何をやることを期待されていて(看板は何になっていて)、実際に何ができるのか、とかいうことになる。
 特に、2番目とか具体的な問題は山ほどでてくると思うのですけど、「正解」なんかないので「こうしたらいい」という提案でなく「それはおかしい」とやっても、と感じなくもないです。
by 北風Mk-2 (2011-11-14 07:54) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 例えば、「STS」は上の(上以外でもいいですが)何をやることを期待されていて(看板は何になっていて)、実際に何ができるのか、とかいうことになる。

当面はまだなにかを期待すべきではない、と云う見解もあるようで、そう云うことなのかな、みたいに思ったりもしています。
by pooh (2011-11-14 08:04) 

かも ひろやす

STSの90%はクズである。すべてのものの90%はクズである。
SF者のpoohさんにはくどい説明は不要でしょうね。

「欠如モデル」うんぬんについては、「社会は専門家と非専門家だけで構成されているのではない」の一言で終わる話でしょう。現実の社会は、その中間に位置する多数の多様な人々が動かしているのです。


by かも ひろやす (2011-11-15 10:24) 

pooh

> かも ひろやすさん

リリース時にはそうでも、長期的に見ると90%のほうは淘汰されて表舞台から引っ込んでいく、と云うのがSFでもあり、学問でもある、とも思います。その意味では、現時点で云々するには尚早、と云うのもあるのかも、ですが。

> 中間に位置する多数の多様な人々

そう云う視点を持っていてくれればいいのですけど、なんかそのへんいろいろとステレオタイプな認識を示される方が目立つんですよね。
by pooh (2011-11-15 12:30) 

pooh

なんて云うか、なぁ。
http://twitter.com/#!/hirakawah/status/143050319297908737

いまになってそれを云うんだったら、3.11以前のあなたたちはなにをやって禄を食んでいたのか、と云うのを聴きたいなぁ。
あと(このエントリの主眼でもあるけど)あなたを含めた何人かのSTS関連の人文系研究者は、3.11以降は分断のためのことばを弄んでただけに見えるよ。一緒に楽しく「ネオリベガー」とか云ってくれる「市民」を見つけて、楽しそうにしてたように。
by pooh (2011-12-04 18:11) 

北風Mk-2

>いまになってそれを云うんだったら、3.11以前のあなたたちはなにをやって禄を食んでいたのか、と云うのを聴きたいなぁ。

ですが、それを言うと対立にしかならないような気もしますが・・・。

「専門家システム」に問題あり、というのなら、「専門家システムをどうするか」という点を言おうよ、とは思います。
なくなったブログもそうですが「システムに問題あり」といっておきながら、システムではなく「部分への批難」をされてもなあ、と。

by 北風Mk-2 (2011-12-04 18:57) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> それを言うと対立にしかならないような気もしますが

先方が対立したいわけなので(そう云う戦術を選択している)、だれがなにを云おうと対立にしかなりませんよ。いや、STS全般に敷衍するつもりはないし、平川さんもSTS全般を代表してこんなことを云っているわけではないんでしょうけどね。
by pooh (2011-12-04 19:43) 

TAKA

先方の御方は、常に完璧なコミュニケーションを見せています。対立したことなんてありません。
「そんな訳ないでしょ。」と思った人は、もう一度、先方の御方の過去の発言を振り返ってください。
先方の御方は、異論を述べる相手と真摯に対話して、最後は必ず相手を納得させています。
STSに失望した人なんて一人も居ません。一般市民達は、今も昔もSTSの活躍にワクワクです。

万が一、先方の御方が対立したがっているとしても、こちらから対立するような発言をして良いということにはなりません。
「いや、こちらが幾ら慎重に物申しても、『対立的だ』と捉える人は現れるんじゃないの?」という言い訳は、却下です。
他のことならばともかく、STSに関する話では、対立と捉われる発言をしてはいかんのです。
「そんなことを言われたら、僕らは何も言えなくなってしまうよ。」という言い訳は、却下です。対立的な発言は駄目です。駄目ったら駄目なんです。

ただし、愚痴ならばオッケーです。というわけで、poohさんはネットの竹林に行くべきです。
そこに行って、世の不明を嘆きましょう。そこに行って、七人の賢人を探し出しましょう。水滸伝風に探し出すと、完璧です。以上、対立ではなく、中立的な意見表明でした。
by TAKA (2011-12-07 14:35) 

pooh

> TAKAさん

> 一般市民達は、今も昔もSTSの活躍にワクワクです。

ぼくもわくわくしたいんですけど、「一般市民」に入れてもらえなさそうなので。

> poohさんはネットの竹林に行くべきです。

竹林で酒呑んで暮らしたいなぁ。
by pooh (2011-12-07 20:19) 

pooh

とりあえず虚しい期待だったみたい。
http://togetter.com/li/227670

「業界化」と云うことばの意味がわかった気がする。
まぁだれしも自分が食べていくのは大事だよね。他人を救うよりも優先されて当然だよね。
by pooh (2011-12-15 07:09) 

Seagul-X

こんにちは。
別のエントリにコメントした「自己主張の強いバードウォッチャー」だったんだな、やっぱり、と思いました。
観察してるんなら対象に影響与えたら駄目じゃん、とか思わないんですかねぇ。
それとも、餌撒いて寄ってくるのを観察してたんでしょうか。
影響を与えたらどういう反応をするのかの実験、ではないだろうとは思います、さすがに。
by Seagul-X (2011-12-15 23:13) 

pooh

> Seagul-Xさん

> 「自己主張の強いバードウォッチャー」

どうなんでしょう。
ぼくの印象だと、むしろ鷹匠に近いんですが(^^;。
by pooh (2011-12-16 05:55) 

pooh

なんかもう、エントリにするのもいやなので、自分のコメント欄に延々と書く。
読んでるひとなんかあんまりいないのはわかってるんだけど、それはどうせエントリを新しく起こしても(読まれないって点では)おなじことだし。

もともとエア御用なんてことばは、黒猫亭さんがこっちで書いているような性格のことばなわけで。
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2011/10/post-65dd.html

まぁ「走資派」とか「アカ」とか云うことばから内実を減らして、より汎用性と利便性を高めたみたいなしろものなんだけど。で、これらのことばと同じように、「エア御用」と云うことばを使う側、使われることを容認する側は、それが「みんなのしあわせ」につながると思ってる。「多少の犠牲」が出たとしてもね。CSCDの一部の研究者も、そうなんだろう。

菊池誠なんかもちょっとよくないのは、まるで自分がそう呼ばれることがいやだからこのことばを問題視している、みたいに捉えられかねないものの言い方をする部分。もちろんこれは自分で、有効であると思える動きが充分にできていない、みたいな部分で感じている引け目もあるんだろうし、自分のことはさておいて公論を論じるような姿勢に対する、まぁなんと云うか含羞、みたいなのもあるんだろう。

でも、たぶんはっきり云わなきゃいけないんだと思う。
自然科学的な知見は「みんなのしあわせ」のために有用だし、だとすれば科学的な知見から「市民」を切り離すような機能しか持たないことばは有害なんだ、って。もちろん科学的な知見は正しく用いられなければいけないのは当然だし、だから「御用学者」については問題視されてしかるべきかもしれないけど、それは自然科学的な知見そのものに敷衍されるべきではないのだ、って。ましてやその分断を、望ましいものとしてアカデミシャンが(消極的にでも)支持するべきではない、って。
by pooh (2011-12-16 08:36) 

pooh

こうなると「みんなのしあわせ」って云うのはなにか、って議論がたぶんでてきて。で、そのために犠牲にしていい範囲はどれくらいなんだろう、って。

http://togetter.com/li/226630
こっちで登場するsnoootyさん(A子さん)なんかは、春日さんからすると容認できる(切り捨てられてもやむを得ない)犠牲者、ってことなんだと思うんだけど、アカデミシャンがそう云う判断を下すのだとすれば、本来その基準を示すべきなんだと思うんだよね。
で、そこのところがわかってないはずはなくて。そこをあきらかにしない態度と、「エア御用」みたいな運用の自由度のために精度を切り捨てたことばを容認するスタンスはたぶん目的において同根で、その意味では一貫している、とは云えるんだろうと思う。
by pooh (2011-12-16 09:03) 

pooh

http://twitter.com/#!/A_laragi/status/148991917961650176

ふむふむ。まぁ当然だよね。ニセ科学批判にコミットしてる論者が折に触れて「自分の個人的な動機」について語ってきたのも、そう云う側面があるからで。
語る内容が結果的に(公益にかなう、と云う意味での)正義であるべきだ、と云うことはつねに考えなければいけないにしろ、それを語ることはもちろんなにがしかの個人的な動機にもとづいているので、そこを明かすべき、みたいな意識は多くのひとが持っているはず。
で、このツイートの主とか、あるいはCSDCの何人かの研究者については、たとえば「エア御用」と云うことばが使用されることを支持した、その自分自身の動機について、これまで「正義(公益)」以外にちゃんとあきらかにしてきているのかな。

http://twitter.com/#!/A_laragi/status/148986967659524097

天羽さんや渡邊さんは、早川由紀夫氏の訓告についての見解を表明したときに、ある程度その背景にある私的な動機についてもあきらかにしていたと思うけどね(天羽さんなんかそこんとこがあからさますぎていろいろ云われてたり)。

まぁ、どの口から出たのそのツイート、って話かな。
by pooh (2011-12-20 15:39) 

pooh

くだらないのをわかっていてあげつらうけどね。

https://twitter.com/#!/A_laragi/status/154481099538575360

そう云うことはもちろんあると思うけれども(で、望まれるべき試みでもあると思うけれども)。でもこのひと、自分の一連の言動がそのプロセスに寄与するためのことだった、とでも云うのかな。
by pooh (2012-01-06 15:36) 

pooh

ともかくもリンクしたかったので、ここから。
http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2012/02/p02-04-2.html
うちをお読みの方で、PseuDoctorさんのところをお読みでないかたってのはあんまりいらっしゃらないだろうけどね。

まぁ、当事者からの反応はないでしょうねぇ。それが流儀みたいだし。
by pooh (2012-02-16 08:45) 

PseuDoctor

こんにちは。大変御無沙汰しています。
リンク有難うございました。
(本当はしょっぱなに「反応しちゃった当事者です」って書こうとしたんですけれど、解り難いうえに出来の悪い冗談だったので止めました。でも結局、こうやって書いちゃうんですけど(笑))

で、既にお気付きかもしれませんが、トラックバックの受信が出来る様になりました。相変わらず標準では機能が無いのですが、クリボウさんが運営していらっしゃるJapanese Bloggers Infoのサービスを導入しました(ちなみに送信も出来るのですが、ブログの「最新の記事」からしか出来ませんので、うちの構成の場合、ちょっと使い難い)。
宜しければ、また御利用下さい。
by PseuDoctor (2012-02-18 11:51) 

pooh

> PseuDoctorさん

> トラックバックの受信が出来る様になりました。

了解です。
まぁ、あんまり書けない状態が続いてはいるわけですが(^^;。それでもまぁ、ここは停まってはいないので、リンクくらいは、でした。
by pooh (2012-02-18 13:34) 

pooh

http://twitter.com/#!/A_laragi/status/192925768043610113

デマ情報が発信されているのを当事者が公式に否定する行為を、"過激に反応"みたいな云い回しで否定する、と。こんな立ち位置でものを云わざるを得ないような状況には一生陥りたくないなぁ。
by pooh (2012-04-20 05:59) 

pooh

うむむ。CSCDにもこう云うかたがいるのか。
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20121106ddlk27070416000c.html

いや、いなきゃぜったいへんだって思ってたんだけど、はじめて見た。
と云うかこのかたは自分のところのメンバーの言説を見て、どう思って、なにをしていたんだろう。
by pooh (2012-11-06 20:06) 

pooh

あっはっはっは。
https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/265722950165069824

なにか、これ。自省したら負けみたいなルールのゲームかなんかか。
そう云うルールをつくって自滅するブロガーなんかはけっこう見かけないわけではないけど、信じられるか? これ…学者のことばなんだぜ…
by pooh (2012-11-06 21:29) 

pooh

こう云うこと云うだろう、と云うようなことを云うひとたち。
http://twitter.com/pririn_/status/265846732481507328
http://twitter.com/geophysics/status/265839903869378560
http://twitter.com/study2007/status/265822923493871618
党派前提の議論だの内心の忖度だの、そんなんばっかり。

でもってその尻馬に乗る学者。
http://twitter.com/SciCom_hayashi/status/265827155999592448
「対立軸をどこかに軟着陸させられる」ようなことがあると何か困るかのようにふるまっていた「コミュニケーションの専門家」って誰だっけ。
by pooh (2012-11-07 13:07) 

pooh

「『学者』とは自然科学の研究者のみを指し人文社会科学は眼中にない」ってスタンスはむしろ、一部のSTS研究者や科学コミュニケーション研究者が(自らを免責するために)示してきたスタンスに見えるけどなぁ。
http://b.hatena.ne.jp/letterdust/20121111#bookmark-118562410

まぁこんなこと書いても「人文科学系の教養のない馬鹿はこれだから」って云われるだけだろうね。人文学1000のひみつに照らして考えると悪いのは自然科学者だ、ってことなんだろうから。
by pooh (2012-11-12 12:24) 

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