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用途とことば [よしなしごと]

goyo-gakushaさんの__pon_さんがうまく整理してくれたと云うエントリを読んだ。
ちなみにこの__pon_さんと云うのは、こちらのエントリで言及したエントリをお書きのp__o__nさんとおそらく同じかた(ハンドル名とアイコンイラストと発言内容の類似から判断)。なので、ぼくのいまの時点でのこのかたに対する印象は、ニセ科学・疑似科学の害悪よりもその有効性を評価するスタンスであり、しかも自分の発言について対話することを好まない(自分の言説についてさしはさまれた疑義に対して言論で向き合おう、と云う姿勢をお持ちでない、要は云いっぱなしを好む)かた、と云うもの。なにしろご自分のハンドルネームのアンダースコアについて以外、なにも反応してくれなかったし。

先に書いておくと、原発は廃絶すべきだと思ってるけど、「廃絶しろ!」って声を上げていれば明日にはなくなってるようなものには思えないので、(うかつな事故が起きないように)時間をかけて慎重に廃炉に持っていくべき、みたいに考えている。短期的にはともかく長期的には弱者にしわ寄せがいかないような廃絶の仕方は考えられるはずだ、と思ってるし、でもそのためには原子力周辺の研究者が(適切な批判ではないへんなレッテルで)過剰に貶められるのはまずいよなぁ、みたいに考えてる(廃炉には彼らの力がいるんだから)。またそのへんのコストは、冷徹に計算されなきゃいけない、みたいにも思ってる。
漠然とだけど、そんなとこ。なので、脱原発の言説は充分な熟慮のもとに展開されてほしい、みたいに感じてる。
③編集作業の中で、政府東電と利害関係が認められないものについては別のカテゴライズをすることになった。

エア御用というラベルがつけられる。
でもって、その「エア御用」ってことばはどう云う意味なの、と云う話になる。でもその説明はない。

日曜のエントリにも書いたけれど、基本的には「エア御用」と云うのは、それが何を指すのか、と云う議論を迂回することを目的としてつくられた用語だと思っている。そちらで引いたsionsuzukazeさんのエントリから再度引用すれば、「答え在りき、証明不要(または不能)」の言説なのであって、まぁこれが便利、と云うのはぼくにもわかる。だれかのことを「エア御用」と呼んでおいて、「明らか」とか「自明としか云えない」とか書いておけばそれで済むわけだから。
そう云うわけで、「エア御用」と云うことばがどんな経緯で生まれてきたのか、と云う成立の過程を追ってもなお、それがどんな意味なのかは示せない。基本的にはそれを示してしまうと反論が可能になるので、きっちり定義するわけにはいかないわけだ。気軽につかえなくなるもんね。
個別の発言の「御用」評価は適不適や、ラベルやカテゴライズの方法など、各プロセスについては議論の余地があると思うんですよ。
ほんとに議論の余地があるなんて思ってるのかな。STSのアカデミシャンを含め、「エア御用」と云う用語を使いたがる論者が、そのことばの意味と適切な用法について議論している風景をまだ見たことがないのだけど、それはぼくの観察範囲が狭いから、だけなのか。まさかこんなのが定義だ、って話じゃないだろうね。こんなの自分の気に食わない相手を謗るためだけの羅列じゃん。って、批判と誹謗の区別がつかないだけなのかも知れないけど(善意だったら批判で悪意だったら誹謗、みたいな理解だったりして)。

ちなみに「『エア御用』がレッテルなら『ニセ科学』もレッテルじゃないか」みたいな発言も見かけたりする。この点については反論として、ここのサイドバーに常駐しているニセ科学批判まとめへのリンクをここにも張っておく。
そもそもが「ニセ科学」と云う用語は、その名称を充てられた言説や理論や商売の当事者が(そしてその信奉者が)不快に思うことを覚悟のうえで使用されてきた、価値判断を含む用語で。だからその用いかたについてはコミットする論者がその用語についての相応の見解を持ち、それを示すことが要求されてきた。もちろん細部においては論者間に考え方の相違はあるけれども、そのあたりは相互に相当あからさまに論じられてきた。もちろんニセ科学の問題は個別の事象について各論的に向き合う必要があるものだし、論者それぞれのスタンスも違うから、その意味では運用の仕方にばらつきが生じる場合はあるけど、根幹の部分には相応に相互チェックが働いている。運用そのものにも(mochimasaさんとmuimiさんの対話に関するtogetterへのリンクを張っておく)。
目的だけが共通する(そして手段を選ばない)ひとたちが便利に使いまわすための用語とは、同じではない。
「御用」評価が正しいという前提であれば、仮にある特定の政治的正義においては意味のないことだとしてもやるべきことだと思う。そもそも「御用学者」と言う概念だって、先人から伝えられ意味があるから残ってきたわけですし。
だって、御用学者、ってことばは意味がわかるし、不適切な使い方をされている場合には、それがだれからでも指摘されうることばだから。
で、「エア御用」に関してはむしろ「御用学者」と分ける必要性によって生み出されたものだから、「御用学者」を否定し得ないのと同じで「エア御用」も否定できないです。
要するに、御用学者って呼べるだけの状況証拠がそろっていない学者を「御用」と呼びたいがために生み出されたことば、ってわけでしょ?
だいたいことばを否定できないってどう云う意味なんだか。べつにことばを「否定している」わけじゃなくて、そのことばには誹謗以上の中身がないよ、そんなことばを使っていても(誹謗したい、と云う意図が示せる以外に)なんにも意味がないよ、と云う話なんだけどな。

ついでに云うと、「エア御用」って用語を使って言説をものすことに肯定的なSTSのアカデミシャン(とか「STSに関心のある社会学系研究者」)がいるみたいだけど、彼らがこのことばをちゃんと使えるようにリファインしてくれる、みたいなことは期待しないほうがいいと思うな。
いろいろ事情はあるのかも知れないけど、とりあえず表で発言しているのを見るかぎりにおいては、議論によってその種の果実を得ることにあまり関心がないひとたちみたいだから。むしろはしごをはずされないように注意したほうがいいんじゃないかな(なにか学術上の意図があって「保護」されているだけかもよ。「自然科学者」と「市民」のあいだに対立関係がないと困ってしまう分野なのかもしれないし)。
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黒猫亭

>>いろいろ事情はあるのかも知れないけど、とりあえず表で発言しているのを見るかぎりにおいては、議論によってその種の果実を得ることにあまり関心がないひとたちみたいだから。

その辺がそろそろハッキリしたので、オレ的にはエア御用問題はもう旬をすぎましたねぇ(笑)。アカデミシャンの問題にケリが附けば、後はどうと謂う問題でもないです。なんか今回採り上げておられるエントリも、いつか見た風景そのものですし。
by 黒猫亭 (2011-11-03 00:57) 

pooh

> 黒猫亭さん

これ、考え方はいろいろあると思うんですけど、いちばんの問題は「『エア御用』と云う用語を使っているひと」に生じると思うんですよ。
ある意味ニセ科学の問題に近い部分はあるわけなんですけど、確信的にその用語を使うことでなんらかの目的が果たせるひと、と云うのはいるんです。でもそう云うひとたちの使い方を見て、そのことばからなにかしら示唆を受け取ることができる、と思ってしまうひとが生じている。
で、最大の被害者になりうるのは、そのひとたちだったりもするわけです。だって、「自分たちに阿らない自然科学者の発言」をスポイルする行動なわけですから、自然科学のもたらす最大のメリットをみずから捨てることにつながるわけじゃないですか。
by pooh (2011-11-03 04:41) 

pooh

なんか尻切れトンボのコメントになっちゃってる。追加します。

> 黒猫亭さん

問題、と云うほどのものか、と云うのは置いておいて。
ぼくに見えている構図は、特定の発言傾向の自然科学者をどうしても貶めたいひとたちが「エア御用」と云う便利な用語を見つけて吹け上がっていて、それに乗せられたひとたち(このエントリで言及しているgoyo-gakushaさんなんかもそうだと思っています)が、それがなんらかの意義を持つ概念だと誤解して使っている、みたいな絵面なんですよ。

この場合、いちばん損しているのは、「乗せられているひとたち」なんですよね。つぎにおなじようなことがあった場合に、菊池誠や野尻美保子みたいなおひとよしの科学者はなんにも云ってくれなくなるよ、と云う話なんですけどね。
by pooh (2011-11-03 05:14) 

pooh

「明らか」「自明としか云えない」の類語を追加。

「大変有用な概念となっているとしか言いようがない」

言いようがないのは、なんで自分がそう思うのか自分で説明できない、ってだけの話だよね。
なんかさぁ、社会科学系の研究者ってのはその程度しか詰めて考えてなくても平然と情報発信をする種類の職業の人間なのか、みたいに思われちゃうよ。それって同ジャンルのほかの研究者に迷惑だと思うな。
by pooh (2011-11-03 09:17) 

佐々木(以下秘密)

ツイッターを追っていて感じたことなのですが(私がフォローしているのはkikumaco_x氏側だけなので、相手側は、まとめてツイートを読む形でしか知らないのですけれど)、たとえば春日さんのような「STSのアカデミシャン」の方の言葉は、まぁ、私の理解できる範囲内にありました。
「だってあんたはこう言っただろう!今言ってることと違うじゃないか!」と言うのは、人文社会学系の「アカデミシャン」に対しては、かなり大きなポイントを稼げるらしいとすると、彼らが自分の言葉を文章に残すのに、ものすごく慎重に、できれば避けたいと思うのも仕方ないか、という意味でですが。
で、「STSに関心のある匿名社会学系研究者」(たとえばA_laragiさんのような)の言葉は、あ。これ仕事でよく対応するクレーマーさんにとてもよく似ている、と思ったとたんに理解しようスイッチがoffになりました。
黒猫亭さんのまとめと、ここのまとめを読んで「理解作業完了」です。
by 佐々木(以下秘密) (2011-11-03 09:48) 

Seagul-X

こんにちは。
何がしたいひとたちなのかよくわからないんですが、結局のところ自己主張が強くて観察対象に影響与えまくりのバードウォッチャーみたいなもんですかね。
他にも色々思うところはたくさんあるのですが、一見高尚っぽいけど意味不明な言葉を並べてザクッと切り捨てたつもりが実は自分の背中に突き立ってるけど全然気にしない、みたいな趣味のひととは一緒になりたくないなぁとか思うので、それなりにまとめられるまでは心の中でいじくりまわすだけにしていたりします。

by Seagul-X (2011-11-03 10:37) 

pooh

> 佐々木(以下秘密)さん

いやまぁ、基本的には、黒猫亭さんのおっしゃるようにそのへんの議論は終わり、なんですよ。
と云うか「議論を通じてなにかを生み出そう」と云うスタンスがないらしい、と云うあたりが見えると、本来話は終わり、なんですよね。ただ、「相手を黙らせると勝ち、黙ってるってことは認めたってことだ」みたいなロジックを使って恥じない人間もいるので、無価値な言説でも放置はできない、みたいな状況も生じてしまうんですが。
by pooh (2011-11-03 11:27) 

pooh

> Seagul-Xさん

いやまぁもう、たぶん社会科学系の研究者の口車に乗せられて「市民との対話の場に赴く」自然科学系の研究者は減っていくだろうな、って感じですね。いくらなんでも自然科学者がだれもかれも菊池誠みたいなナイーブなばか正直ばかりじゃないわけですし。
それで例えばSTSの学術的ミッションが果たせるのか、と云うとよくわかりませんけど。
by pooh (2011-11-03 11:30) 

黒猫亭

>poohさん

エア御用問題についてオレが考えているのは、大きく分けて二つの問題なんです。一つにはその言葉を使っている人々の問題、そしてもう一つはその言葉自体の問題ですね。

「エア御用」と謂う言葉を使っている人々の問題と謂うのは、本来重要性が低い、と謂うか殆ど無視して差し支えない問題だと思うんです。オレがよく使う表現で謂えば、「特定の政治的正義の立場に立つ少数の人々」がその実体だと思いますし、「特定の政治的正義の立場」である以上広汎な市民の支持を得られない代わりに、いつでも一定数そう謂う人々は存在する。

一番簡単な構図としては、反原発運動みたいなものでしょうし、その立場では原発は物凄く怖ろしくて危険なものでなければならないから、とにかく原発事故後の状況が危険だと謂う情報が都合が好くて、それに反するような情報は都合が悪い。だから、ほんの一握りのワーストケースを語る科学者以外の殆どの科学者の発言は不都合だから、よく考えると殆どすべての科学者に当てはまるようなくだらないレッテルを考え附くわけですね。

そう謂う意味では、何故菊池さんや野尻さんなのかと謂えば、ネットで盛んに情報発信をしているからで、他の科学者だってネットで情報発信をすれば同じようなことを言うのですから、これは単にそれだけの事情ですね。で、これ自体は現実的にはほぼ実害はないから無視して差し支えない。

今回御用wikiがクローズアップされたのは、飽くまでアカデミシャンがそんなものを「市民の異議申し立て」扱いすると謂う明らかに無理筋のことを言い出したからで、そもそも一〇人か二〇人くらいの特定の政治的正義の立場に立つ2ちゃんねらの意見を「市民の代表的意見」みたいに扱われては大変困ります。まして、STSは政策提言の学問ですから、やっぱり市民対話と称して思想的に偏った人々だけで話を附けちゃう腹なんじゃないの?と謂う疑惑を招くでしょう。

だから、人に関する問題はその辺の問題がクリアになれば、さしたる実害はないと謂えるのではないかと考えています。こう謂う状況で噴け上がる人はいつでも常に一定数いるのですし、ニセ科学と違ってその政治的正義の立場自体が間違っているとは一概に謂えないですから、まあ好きにやって好きに失敗すればいいと思っています。現実的な脱原発の議論は、こう謂う人々とは無縁の場で進んでいくでしょう。

もう一つの言葉それ自体の問題は、やっぱり批判が必要でしょうね。poohさんが日頃関心を持っておられる領域ですし、レッテル貼りと謂う手法自体が一定範囲で有効であるだけに、それは批判が必要だろうと思います。

poohさんが指摘しておられるように、この言葉の背景にある考え方と謂うのは「権力と市民のどちらに阿るか」と謂う対比軸なんだろうと思います。みつどんさんも「御用でもエア御用でもない学者は市民に対する逆御用」と謂うようなことを指摘されていますが、結局は「権力対市民」と謂う構図において「どちらに味方する学者なのか」と謂う見方ですね。

で、エア御用と謂うのはどちらの味方でもないのに「市民」の側に不都合な発言をする人、と謂う位置附けなのでしょう。その「市民」が「特定の政治的正義の立場に立つ少数者」の謂いであることは勿論ですが、結局この言葉が「敵・味方」志向と「都合・不都合」のパラメータの掛け合わせで生まれたレッテルだと謂うことでしょうね。

この言葉自体には、そう謂う特定の立場における便宜と謂う意味しかないと謂うことは、言説批判として継続的に行っていく必要があるかもしれません。でまあ、もうこの段階では「エア御用」と謂う言葉を好んで使っている人々を相手にする必要はないので、話の通じる中庸な人々に向けて語っていくと謂う方向性が好いのではないかと考えています。
by 黒猫亭 (2011-11-03 11:48) 

TAKESAN

今日は。

▼ 引  用 ▼
なんかさぁ、社会科学系の研究者ってのはその程度しか詰めて考えてなくても平然と情報発信をする種類の職業の人間なのか、みたいに思われちゃうよ。それって同ジャンルのほかの研究者に迷惑だと思うな。
▲ 引用終了 ▲
(pooh (2011-11-03 09:17) )

いや、ダメだと思います。「思われちゃうよ」みたいな言い方は、熟考して慎重に動こうとしているが故に「表に出ていない」人などにとっては結構迷惑かも知れないですし、そもそも社会科学とは、政治学・経済学・法学・社会学(や社会心理学も場合によって)などを含む相当広い概念なのですから。
poohさんに、無用の一般化をして批判するという意図が無いと解った上で書きました。

言うとすれば、「人文・社会科学系の研究者が皆浅はかだと思わないように」とフォローを入れる方が好ましかろうと思います。
by TAKESAN (2011-11-03 12:12) 

北風Mk-2

>で、エア御用と謂うのはどちらの味方でもないのに「市民」の側に不都合な発言をする人、と謂う位置附けなのでしょう。その「市民」が「特定の政治的正義の立場に立つ少数者」の謂いであることは勿論ですが、結局この言葉が「敵・味方」志向と「都合・不都合」のパラメータの掛け合わせで生まれたレッテルだと謂うことでしょうね。

 例えば、「さいころ」を使って何人かでゲームをしているとして、「さいころ」は誰の味方でもないわけですが、誰かに有利な目、とか、自分に不利な目、はでたりしますよね。
誰にもそんなに影響しない目ばかりでる「さいころ」はそれこそ不自然ですし、「さいころ」はもともとそういうものですね。

 「エア御用といっている人」には、「自分に不利な目がでるたびに「いかさま」よばわりしている人」のような感じを受けていて、こういってはなんだけど、そういう人にかかわって意義があるはずがないような。

 「いかさま」よばわりするのが「諸刃」というかリスクを伴う行為であるように、「エア御用」というのも「自分が偏った見方をしている宣言」のようなリスクを伴っている行為のように感じるのだけど…。
by 北風Mk-2 (2011-11-03 16:57) 

pooh

レス番が前後します。すみません。重要な指摘なので。

> TAKESANさん

あぁ、たしかにそうです。
声を上げているひとが、そのジャンルを代表するわけではない(当のご本人たちは、それに近い主張をしてはいるんですけどね)。

> 熟考して慎重に動こうとしているが故に「表に出ていない」人

そう、もちろんそう云うひとはいるはずです。

こう、難しいのは、状況的にどうしても社会科学技術論に期待したくなるタイミングだ、ってことなんですよねぇ。その視点からすると「黙っていることも許容しがたい」みたいな感覚にもなってくるんですが、まぁそう云う「すべき」論は確かに基本的に無理筋です。

> 「人文・社会科学系の研究者が皆浅はかだと思わないように」

ただ、ニセ科学の議論まで含め、動きが鈍い印象はどうしてもあるんですよねぇ。随分前に稲葉振一郎さんがおっしゃっていたような事情はあるんでしょうけれど。
by pooh (2011-11-03 17:15) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 「エア御用」と謂う言葉を使っている人々の問題と謂うのは、本来重要性が低い、と謂うか殆ど無視して差し支えない

これはまぁ、そうです。
問題視するのは、ぼくの側に(本来は)そのひとたちの側に与したい、と云うバイアスがあるからで。あんまり程度が下がってくれると困る、みたいな。

> 飽くまでアカデミシャンがそんなものを「市民の異議申し立て」扱いすると謂う明らかに無理筋のことを言い出したからで

たぶんまぁ、そうする都合があるんだろう、みたいに思ったりしています。

> STSは政策提言の学問ですから

その定義も、ちょっと疑問ですけどね。

> 結局この言葉が「敵・味方」志向と「都合・不都合」のパラメータの掛け合わせで生まれたレッテル

こう云うのって、とてもうまくやれば、人文科学とかアートの文脈では意義を持ちうるかもしれないんですけどね。舌先三寸でこの用語が流通する環境を維持しようとしている向きには、そう云う感覚があるのかも。
なんかそれ自体がひどく危ういようにも思えますけど。

> 「エア御用」と謂う言葉を好んで使っている人々を相手にする必要はない

これはまぁ、実際問題そうなんだろう、とは思います。
このエントリは、「『エア御用』と云うことばで、ある一定の傾向を持つ科学者を誹謗する動機があるひとたち」の存在について書きたかった、と云う程度のものだったりもするんですよね。
by pooh (2011-11-03 17:29) 

pooh

> 北風Mk-2さん

このへん、やや微妙な含みが生じてしまうんですが。

> 「自分に不利な目がでるたびに「いかさま」よばわりしている人」のような感じ

この根底にはひとの呪術性があるので、こう云う発想はつねにひとを魅了する力があったりするわけです。芸術家や詐欺師にとっては、そう云うものを使いこなすのは職業上の技術でもあったりするわけですが。

> 「自分が偏った見方をしている宣言」のようなリスクを伴っている行為

もちろんまぁそう云うリスクはあるでしょうし、だから例えば(特定の)社会科学者がその用語をめぐって対話をするにあたっては、大量の予防線を張ったうえでのほとんど不誠実にも見えるようなスタンスでしか発言できない、と云うのもあるんじゃないかと思います。
by pooh (2011-11-03 17:35) 

黒猫亭

>北風Mk-2さん

>> 「エア御用といっている人」には、「自分に不利な目がでるたびに「いかさま」よばわりしている人」のような感じ

そうですね。オレのほうでは、普通にサイコロを振れば必ず不利な目が出る場合があるに決まっているので、「自分に都合の良い目が出ない場合は全部いかさま呼ばわりしている」と表現しているだけで、同じことを言っているのだと思います。

で、都合・不都合の論理で言えば、自分に不都合な局面では「いかさま」呼ばわりをすることには一定の利益があるように「見える」から、おそらくそう謂うことを言う人はいつでもいるのだろうし、それは停められないのだと考えていると謂うことでしょうね。

でも、それはフェアな手続で物事を決定しなければならない局面では、そんなことを口にする人自身の信頼性を貶める行為ですから、大局的にはどうせ自滅するだろうと考えているわけで、言論として為すべきは、それがフェアに決定されねばならないことを常に第三者にアピールし説明し続けることなのだろうと思います。
by 黒猫亭 (2011-11-04 03:49) 

pooh

> 黒猫亭さん

まぁこれは「降りられるギャンブル」ではないので、そのへんでいろいろ難しい部分も生じてくるのはあるんですけどね。やっぱりそのへんで「伝えかた」みたいなものについての考慮が求められる部分はあるので。
by pooh (2011-11-04 05:56) 

北風Mk-2

> 黒猫亭さん

>そうですね。オレのほうでは、普通にサイコロを振れば必ず不利な目が出る場合があるに決まっているので、「自分に都合の良い目が出ない場合は全部いかさま呼ばわりしている」と表現しているだけで、同じことを言っているのだと思います。

ありがとうございます。

ただ、少し自信がなくてうまく書けないのですが

>>誰にもそんなに影響しない目ばかりでる「さいころ」はそれこそ不自然ですし、

 というところを、「学者」「学説」などとした場合について、「エア御用」の言葉を「間接的関わりで」使っている人(「ニセ科学批判批判」みたいなある種の「外野」的な)に、なんというかそれを「不自然ではない」という感覚があって、それも影響しているのかもしれないという気もしてくるのです。

 テーマとの関わりから「中立」的になる場合や、「中間」の結論になる場合はあるんですけども、「普通にサイコロを振れば必ず不利な目が出る場合があるに決まっている」
 どちらにも与しない「学者」の「説」とか「何らかの判断」とか「試験結果」とかは、「無難な目の集まり」ではありえないということを承知で「エア御用」と言っているなら、無理筋でしかない。

 上で書いたようなことを「理解していない」のには変わらないのですが、ただ、もし「普通は影響しない」という感覚を持っているのであれば、「なんで普通はでないはずなのにある陣営に不利な目を」「中立でいるはずなのになんで?」とか誤解ともいえる部分がでてくるのもまだ少しわからないではないかな、と。
by 北風Mk-2 (2011-11-04 20:34) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> どちらにも与しない「学者」の「説」とか「何らかの判断」とか「試験結果」とかは、「無難な目の集まり」ではありえないということを承知で「エア御用」と言っているなら、無理筋でしかない。

どうもですねぇ。
このエントリへの反応なんかを見ていると、「無難な目の集まり」ではありえないにもかかわらず、世論に反してそれを口にするのは、体制への翼賛の内面化の結果である、と云う解釈になるらしいです。
なんか、たぶんやっぱりこう云うのは投影なんだろうな、みたいには思うのですけど。
by pooh (2011-11-04 22:03) 

北風Mk-2

>poohさん

 「無理筋」を押すのは、「それが無理筋に気づいていない」か、「それしか手がない」か「それが無理筋でも勝算がある」のどれかの要因があるからでしょう。
「無理筋を承知で」言っている人は、後者の2つのうちどちらかというか、最後の線なのかなあ、と。
じゃあ、その勝算=「外野(一般人といってしまっていいのか)を引き込める」という理由、は何かなあ、というのが、先のコメントの「なんというかそれを「不自然ではない」という感覚があって、・・・」とかになっています。

>>「無難な目の集まり」ではありえないにもかかわらず、世論に反してそれを口にするのは、体制への翼賛の内面化の結果である、と云う解釈

体制への翼賛への批判というより、世論への翼賛を強要するようにしかみえないのだけれども・・・「外野受け」がいいのかなあ。
by 北風Mk-2 (2011-11-05 08:51) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 後者の2つのうちどちらかというか、最後の線なのかなあ、と。

なんでしょうねぇ。
もともと2番目のひとがいて、でもって1番目に引き込めるひとが相応の人数いると踏んで、それを3番目の根拠にしている、と云うあたりなんじゃないでしょうかね。

まぁ現に何人かの社会科学系研究者や、人文系・社会系の深い教養をお持ちの論客が「無理筋ではない、無理筋だと思うのはそいつが馬鹿だからだ」とお考えのようなので(なんで無理筋じゃないのかをぼくみたいな馬鹿にもわかるように教えてくれる親切なひとはひとりもいないみたいなんですが)、その勝算はある程度当たっていたんじゃないでしょうか。
さて、勝った後に、なにを手に入れられると思ってるんでしょうね。

> 世論への翼賛を強要するようにしかみえないのだけれども・・・

このふたつは対立する2項だと考えたくないんですけどねぇ。対立するものとして捉えたほうが都合のいい立場があるのはわかりますが(そう云うスタンスで発言しているようにしか見えない人間が「被災地」に言及したりする様子を見ると、この半年間ぼく自身を抑制していたなにか、が外れてしまいそうになりますけど)。
by pooh (2011-11-05 10:27) 

北風Mk-2

>このふたつは対立する2項だと考えたくないんですけどねぇ。対立するものとして捉えたほうが都合のいい立場があるのはわかりますが

世論と体制は対立するものと捉える見方は現としてありますし、それはそれで否定はしないのですが、「世論むけ科学」「体制むけの科学」なんて変な分け方をされると、それは別物ではなく「科学」でしかないということになる。

>【市民運動のまさに神様であった高橋さんは、漢方薬の危険性を指摘するようになってから、市民運動から「敵」のように攻撃されるようになった。】

でも、別のエントリで引用したような事象もまたある。
これは誰かが「無理筋」を通したからとか、一部市民運動の例外的な事象であればまだいいのですが、ここはよく分からなくてまとまってませんが、何かこういうものが受け入れられる「下地」のようなものがあると怖いと感じています。
by 北風Mk-2 (2011-11-06 08:52) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> それは別物ではなく「科学」でしかないということになる。

これはほんとうに、そうなんです。本来それが自然科学であろうと、社会科学であろうと。そのはず、なんですが。

> 何かこういうものが受け入れられる「下地」のようなものがあると怖い

この「下地」が元来人間のこころのなかにはある、と云うのが、まぁぼくなんかは以前から前提においている部分だったりはします。なので「科学」の意義がある、と云うお話ですね。
で、怖い、と云うのはぼくもおなじで、要はその「下地」が表面化してくるような状況ですね。そう云う状況で、「エア御用」みたいな自由度の高い、どうにでも使える(そうじゃない、と云う主張もあるようですが、現にどう使われているか、と云う話です)レッテルが、どんな機能を持ちうるか。
by pooh (2011-11-06 10:25) 

satomi

お久しぶりです。
 
春日さんといえば私は「反グローバリズム分野の市民運動家」という認識だったので、大学の教員をされているとか、ましてやSTSがご専門だとかは新鮮だったのでした。大学人もひとりの市民ですし市民運動に携わることは別に何の問題もないです。では、研究者という立場で議論を為すときに、その議論のテーマが「研究者としての専門領域」と「市民運動家としての活動領域」とそれぞれに領域が重なっている場合はどうなんだろう、ということを春日さん、きくまこさんの議論を見ていて感じました。研究者としての客観性はどうなってるの?ということなんですけれど。(科学や科学者に対する誤解に基づいた)漠とした科学不信、科学者不信の心情というのは、いわゆる市民運動界ではありがちだと中から見ていて常々感じます。議論を注視しているであろう市民運動仲間の視線を背中に感じながら議論を運んだらこうなる、ということなのかなあ...と春日さんの言を読みながら溜息ついてました。
 
福島市のおかあさんたちを支援している友人が先日、「『県のアドバイザーを信じて避難しなかったことを後悔している。今さらもう遅い。我が子の将来を諦めている』と言っているおかあさんたちも多い」という話をしていました。いわゆる御用・エア御用リストに載っているような科学者たちへの憎しみみたいな感情があって、それを友人も強く共有している。私は、「子どもの将来を諦めた」だなんて絶対に誤った考えだ、「相手に寄り添う」ということはここでは相手の心情を共有してしまうことではない、と信じているので、いろいろと話をしたのですが(もちろん論破や説得を試みるとかそういうことではなくて)、難しいですね…。原発事故以降、私は友人を何人か失ってしまったのかもしれないです。悲しいです。
 
きくまこさんが何度も「科学は血も涙もない」ということを書かれていたかと思いますが、その血も涙もなさは誠実に寄り添う形のひとつだと、私は受けとめています。
 
by satomi (2011-11-07 01:29) 

pooh

> satomiさん

> 春日さんといえば私は「反グローバリズム分野の市民運動家」という認識

えええええ?
そうなんですか。それは知らなかった。そう云う出自なのですね。
なんか、どうもですね。菊池誠との議論が「アカデミシャン同士のまっとうな議論」にさっぱり見えなくて理解しがたかった部分があるのですよ。ひょっとすると春日さんとしては「『テクノクラート』対それに蹂躙される市民代表」みたいな部分があったんですかね。
だとすればなんか、種明かし、みたい。

> 研究者という立場で議論を為すときに、その議論のテーマが「研究者としての専門領域」と「市民運動家としての活動領域」とそれぞれに領域が重なっている場合はどうなんだろう

これ、とても大きな問題だと思います。STSに限らず、いろんな社会科学系の分野で、この問題は存在しうる。
ひょっとすると(もう5年も前になりますが)稲葉振一郎さんがおっしゃってたのはこのへんのことなのかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061130/p3

> 議論を注視しているであろう市民運動仲間の視線を背中に感じながら議論を運んだらこうなる

逆に考えると、春日さんは「市民運動家としては」比較的慎み深い議論をされていた、と云うことなのかしら。なんだかなぁ。

> 私は、「子どもの将来を諦めた」だなんて絶対に誤った考えだ、「相手に寄り添う」ということはここでは相手の心情を共有してしまうことではない、と信じている

ここにつよく同感します。だいたい、「諦められた」こどもはどうすればいいんだよ、みたいな。
ただおっしゃるとおり、とても難しいです。

> その血も涙もなさは誠実に寄り添う形のひとつだ

科学は血も涙もないゆえに意味がある、わけなんですよね。もちろんそれに基づいて語るものたちに血も涙もない、わけではない。
こう云う状況で、だったらどう云う行動を選択するか、と云うお話ですよね。
by pooh (2011-11-07 06:27) 

pooh

ちなみに、logic_masterさんのこちらのエントリ。
http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111106/1320589341

まったく同意する。「放射脳」とか「ワーワー教」なんかも、その言葉の空疎さでは「エア御用」と同じ(「うまいこと云った」的な部分は、そのことばに内容があることを意味しない)。まぁ、このふたつの用語については「エア御用」と違って、アカデミズム方面の人間による支持はいっさいない(だから相対的に問題は少ない)、と云うのがぼくの観測範囲内での印象だけど。

で、例えばlogic_masterさんみたいに、「こっちに言及しているのにこっちに言及していないのはダブスタ」的な主張をするひとがいる。黙っていることは支持していることを意味しないわけで(すべての人間がすべてのことがらに言及するわけにはいかないわけだから)こう云う主張そのものが無理筋なんだけど、そう思わないひとは現にいるわけだ。
だから、スルーしたくてもできなくなる事情とかが生じたりするんだよね。
by pooh (2011-11-07 15:08) 

TAKA

『あれに言及するなら、これにも言及してね』この台詞は、どんどん言うべきです。
というのも、「なるほど、そうだった。忘れていた。さっそく言及せねば。」という人が現れるからです。そして、その人が精力的に活動した結果、社会に望ましい状態が生まれるのです。

というわけで、次のような台詞もオッケーです。「あれに言及してね、これに言及してね、それに言及してね、というか、私の思惑通りに全て動いてくださいね。あなた方は、私に選ばれた人達なんですから。」

この台詞を多くの人に向かって述べることで、社会が一気に動き始めます。どんどん自分の思い描く理想の世界になっていきます。
poohさんも、どんどん叫んでください。「あれをしろー。これをしろー。全部しろー。わしが殿様じゃあー。」
間違っても、「大丈夫っすか、poohさん。少し休んだほうが、良くないっすか。」などと言われることはないです。
by TAKA (2011-11-25 19:06) 

pooh

> TAKAさん

> 「なるほど、そうだった。忘れていた。さっそく言及せねば。」

じつはこれはなくもないんです。ただ、ちゃんと準備できてないと語れない場合も多いので、状況によりますが。

> 「大丈夫っすか、poohさん。少し休んだほうが、良くないっすか。」

これ以前にだれかに云われたことある(^^;。
by pooh (2011-11-25 21:40) 

pooh

こちらについて。

http://togetter.com/li/226630

「春日匠さんに問いただすのは筋違いだ」みたいなことを云っている向きがある。でも、結局春日さんは「科学コミュニケーションを専門とする学者としてとして御用wiki的なものを認めるのか」と云う菊池誠の問いに対して、同じような瓢箪鯰な対応でごまかそうとした、と云う経緯がある。人文・社会系の教養がある(一部の)ひとから見ると、この瓢箪鯰こそが見事な対応だ、と云うことになるみたいだけど。

http://nearmetter.com/kikumaco_x/skasuga

で、結果的にはそれは、「御用wiki的なもの、エア御用批判的なものに対する、アカデミアからの一定の評価」として受け止められ、そのように機能した、と云う経緯が、じっさいにはある。まぁ同じように行動していたアカデミシャンは、春日さんだけじゃないけどね。

基本的に、こちらのコメント欄でsatomiさんに示唆をいただいたように、春日さんは学者としてではなく、市民運動家として動いているのだと思う。

その意味ではじっさいは春日さんは「市民運動業界」のひとで、その業界内での春日さん自身に関連する利害の計算、が行動原理となっているのだと思う。
で、たぶんその方面から見ると、春日さんとしてはsnoootyさんみたいなひとに配慮する必要はない、と云う判断がなされるのだろう。配慮する必要はない、どころか、積極的に批判して排除すべき対象、と云う捉え方になるのかも知れない。

そう云う発想から生じる科学コミュニケーションが誰の役に立つのか、と云う問いは、たぶん問いの立て方が間違っていて。もちろんそれは、所属する業界のひとたち(「非御用」市民?)に役に立つ、と云うことに決まっているわけなので。
by pooh (2011-12-13 19:29) 

pooh

http://twitter.com/#!/A_laragi/status/149677846397321216

ふつうに使えて対話の中でも通用する「御用」とか「御用学者」ってことばの意味合いを、「エア御用」なんてことばの流通を支持することで結果的に脱臼させたのは、どこのどいつだって云うんだろうね。
なんか知らんがこれって「自省すれば負け」ってルールのゲームかなんかなのか。
by pooh (2011-12-26 06:14) 

pooh

http://togetter.com/li/232646

よくわかんないなぁ。
統計から漏れるものを無視しちゃいけない、と云う筋はわかるんだけど、それはそれとしても分断を回避して出発点を共有するために、統計ってのは重要なツールだと思うんだよね。
統計を無視して不安がりたいひとたちを糾合するためにつくられたレッテルをアカデミックにエンパワメントしようとするのって、基本的に分断を回避しようとする試みを無化しようとするための戦術以外のなにものでもない思うんだけど、いつのまにそれが「そんなものは前提としていた」って話になるわけ? 前提にしてるんなら、ちゃんとそれを伝えなよ。欠如モデルがどうとか小手先のテクニカルタームを弄ぶ前にさ。あなたを支持している素人は、だれもそんなものが前提にされてるなんて思ってなかったと思うよ。
ちょっと素人を手玉にとることに成功したからって、他人を小馬鹿にするのは切りのいいところでやめたほうがいいと思うな。コミュニケーションの手法としてもね。
by pooh (2011-12-26 12:35) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>よくわかんないなぁ。
>統計から漏れるものを無視しちゃいけない、と云う筋はわかるんだけど、それはそれとしても分断を回避して出発点を共有するために、統計ってのは重要なツールだと思うんだよね。

私には「統計から漏れる」の意味が分からない。「調査から漏れる」とか、「調査項目から漏れる」なら意味が分かるのね。調査が正しく行われなければ、調査結果の統計解析結果も正しくなくなる訳だけど、それは統計解析の問題ではなくて、調査方法のデザインの問題なんだよね。

でもって、よく分からないなりに考えてみると、前に少し議論したことのある「失敗した研究は論文にならない」が普通の人には理解されていないのと同じ事が起きている様にみえるのね。だから「過去に論文がない」アイデアは、誰も試みていないのか、試みた者が皆成果を出せなかったのか分からないという話ね。
調査をするときに「何か特異な部分を抽出しよう」として非常に沢山の項目について調査しても、違いが無い部分については報告せずに違いが出た部分について報告するということね。ただ、報告を見る人たちには報告に無かった項目は「違いがなかったから報告しなかった」のか「調査しなかった」のかの区別がつかないと思います。まあ、疫学調査の場合は調査項目を報告書に記載する事が多いのですが(特にスポンサーがある場合は書かないと資金の使途が疑われるからね)、そういう調査結果が引用されるときは「違いが出た」部分のみが引用されますからね。そうなると、その引用を見る人たちにはやはり調査をしたのかどうかが分からなくなる。

この種のデマの蔓延の根っこに、この「違いが出た」部分のみを引用されやすい疫学調査を「他の項目は調査されていない」と思ってしまう部分があるような気がします。
by 技術開発者 (2011-12-28 16:36) 

pooh

> 技術開発者さん

> 私には「統計から漏れる」の意味が分からない。

あぁ、これはぼくの書き方がよくなかった。リンク先にあるのは「統計に引っかからないもの」ですね。
個人に起きたことは個人にとって全部なのであって、と云う話でした。

> 「他の項目は調査されていない」と思ってしまう

これはあるんでしょうね。
あとは「明日の朝におひさまが昇るかどうかは明日にならないとわからない」的ロジックとか。
by pooh (2011-12-28 19:10) 

pooh

http://twitter.com/#!/A_laragi/status/168203029814845440

へぇ。
で、あなたはどこにいるの?
と云うか、かつてはどこにいることにしていて、いまはどこにいることになってるの?
by pooh (2012-02-12 09:49) 

pooh

https://twitter.com/#!/A_laragi/status/184153454099439616

そこは別の専門家が(補完にしろ、論争にしろ)補えばいいことじゃない。黙らせられてたわけじゃないんだから。
専門家の発言に対して、属人的なレッテル貼りでその信用性をひとしなみに削る、みたいな試みを繰り返してたひとが、まぁ云うよね。
by pooh (2012-03-26 17:41) 

pooh

Sonetにログインできない。困った。

http://twitter.com/#!/A_laragi/status/186253558419701760

もうなんか「慣れ合って」「容認して」「腐って」いるクラスタ、ってのを実体として想定して、そこを自分とは分断されたもの、と云う位置づけにしてからしか、なにも思考できないし、発言できないのだなぁ。
悪いけど、他者の内面に鋭い舌鋒を向ける前に、その切っ先を自分にも向けてみたら? それこそあなたが他者に苛烈に求め続けてきたことなんじゃないの?
by pooh (2012-04-01 09:58) 

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