応力 [余談]
merca論宅氏の偽薬効果を前提にしたニセ科学批判はニセ科学である。と云うエントリがひさしぶりに注目を浴びていて、TAKESANさんが論宅さんの混乱と云うエントリをお書きになっていたりもしていて。
merca論宅氏がなにゆえにニセ科学批判批判(と云うことばも懐かしい、と云うか最近おいらが自分で取り沙汰してなかっただけか)に注力しつづけるのか、と云う理由についてはkumicitさんが忘却からの帰還: 乗り遅れな気もするけど、merca論宅氏について考えてみたと云うエントリであきらかにしておられて、まぁ要するに撤退し損なってもはやなにがなんでもニセ科学を批判する行為は許容できないのだぁ、としか主張できなくなった状態にあるのだなぁ、と認識していた。同様の状態にある方々としては某A氏とか某j氏とか某S大先生とかがいらっしゃって、みなさんがんばっていらっしゃるのはわかるけれどもそれぞれの方々の主張をフォローしてもとりたてて得るものはなさそうなので(だいたい数年にわたって同じ辺りをぐるぐる廻ってらっしゃるので新鮮味に欠けるし)、ときおり見かけることがあっても、まぁあらためて反応はしてこなかった。
ただ、今回のエントリはじつは少し興味を惹かれていて、ちょっとだけ言及しようかな、とか思ったりしたのだった。いや、TAKESANさんみたいなていねいな分析や指摘をしよう、と云うのではなくて、もうすこし意地悪かもしれない角度から。
今回のエントリでも、merca論宅氏がいつもおなじみの結論に至るまでには、彼一流の独創的な論理展開が見られる。結論に合わせて論理を組み上げるわけだから彼のロジックはたいていの場合余人の理解を許さないほどの独創性を誇っていて、ぼくなんかは彼がその独自の手法を社会学一般に敷衍して語りがちなのを心配してたりもしていたんだけど、今回興味を持ったのは「ひとつらなりの考察のどのあたりで、どんなふうにロジックを歪める応力が加えられているんだろう」と云うこと。
ここからの論理展開を細かくみていくことはしないけれど(と云うか、上でリンクしたTAKESANさんのエントリをお読みください)、この直後に決定的な力が加えられて、ロジックは望む結論に向けてねじ曲げられる。
人間、意固地になって牽強付会を続けていると、すごいところにたどり着いてしまう、ってサンプルで。以前はぼくはひとのこう云う姿に痛ましさを感じたりもしていたんだけど、なんか最近はそれなりにそう云う場所も楽しいのかな、みたいにも思ったりするようになっていて、なんと云うか微笑ましく眺めたりもするようになってきている。
まぁmerca論宅氏とか某A氏とか某j氏とか某S大先生とかがそう云う場所にいつづけるぶんには、ご本人が楽しければいいんじゃないか、みたいにすませることもできるけれど。昨今噂の青プリン大先生の場合には、教育者であらせられる部分もあるので、ちょっと同じようにのほほんと眺めているだけでいいのか、ちょっと考えてしまうけれど。
merca論宅氏がなにゆえにニセ科学批判批判(と云うことばも懐かしい、と云うか最近おいらが自分で取り沙汰してなかっただけか)に注力しつづけるのか、と云う理由についてはkumicitさんが忘却からの帰還: 乗り遅れな気もするけど、merca論宅氏について考えてみたと云うエントリであきらかにしておられて、まぁ要するに撤退し損なってもはやなにがなんでもニセ科学を批判する行為は許容できないのだぁ、としか主張できなくなった状態にあるのだなぁ、と認識していた。同様の状態にある方々としては某A氏とか某j氏とか某S大先生とかがいらっしゃって、みなさんがんばっていらっしゃるのはわかるけれどもそれぞれの方々の主張をフォローしてもとりたてて得るものはなさそうなので(だいたい数年にわたって同じ辺りをぐるぐる廻ってらっしゃるので新鮮味に欠けるし)、ときおり見かけることがあっても、まぁあらためて反応はしてこなかった。
ただ、今回のエントリはじつは少し興味を惹かれていて、ちょっとだけ言及しようかな、とか思ったりしたのだった。いや、TAKESANさんみたいなていねいな分析や指摘をしよう、と云うのではなくて、もうすこし意地悪かもしれない角度から。
今回のエントリでも、merca論宅氏がいつもおなじみの結論に至るまでには、彼一流の独創的な論理展開が見られる。結論に合わせて論理を組み上げるわけだから彼のロジックはたいていの場合余人の理解を許さないほどの独創性を誇っていて、ぼくなんかは彼がその独自の手法を社会学一般に敷衍して語りがちなのを心配してたりもしていたんだけど、今回興味を持ったのは「ひとつらなりの考察のどのあたりで、どんなふうにロジックを歪める応力が加えられているんだろう」と云うこと。
偽薬効果とは、偽薬であっても、本当に効く薬や治療法だと患者が思い込めば、一時的に本当に病気が改善するという効果である。心理学でいうピグマリオン効果や社会学でいう予言の自己成就と似ているのである。つまり、ウソが本当をつくりだす現象である。このような現象は、意味システムである心理現象や社会現象のみで可能であると考えていたが、生命体システムにも起こりうる現象であるというのが興味深い。まず、最初はこの部分なのかな、みたいに思う。
偽薬効果は
ピグマリオン効果や
予言の自己成就に直感的に似ているけれど、そんな角度から理解できたつもりになっても片付かないところが問題なんだよなぁ、みたいなのが通常議論のとば口になる把握で、ふつうはそれらが
似ているところから議論を始めようとはしない。それは議論の前提に置かれうる要素ではあっても、出発点にはされない(そんなところから始めても、ベタな議論としてはどこにも行きようがないのがわかっているので)。じゃあなぜそんな場所を出発点にしているかと云うと、「
意味システムと
生命体システムと云うまったく違った場所で起きているとはいえ、類似の現象について片方を容認し、片方を容認しない『ニセ科学批判者』は矛盾している」と云う結論につなげるため、なわけで。そのためには
意味システムと
生命体システムがレイヤーを異にして併存する概念では困るので、無理矢理にでも対概念であってもらわないと困る。そこのところのからくりがばれるとまずいので、このふたつの概念についての説明はされず、漠然と言葉だけが投げ出される。
意味システムと
生命体システム(ところでこれって社会学では一般的な用語なのかな。使われているのを見たことないけど)を同レイヤーにおける対概念として論じていて、結果としてmerca論宅氏が指摘するような矛盾をきたしている論者が実在するかどうかは具体的にはけして言及される事はないので、つまりこれは自家製のハンドメイド藁人形。
ここからの論理展開を細かくみていくことはしないけれど(と云うか、上でリンクしたTAKESANさんのエントリをお読みください)、この直後に決定的な力が加えられて、ロジックは望む結論に向けてねじ曲げられる。
偽薬効果のメカニズムに科学的根拠がないのなら、偽薬効果を認めることは非科学的である。これまで何人もの論者が「科学的である、と云うことは、科学的にメカニズムが解明されている、と云う意味ではない」と繰り返し述べてきた。merca論宅氏がそのことを知らないはずはないので、これは要するに認知的不協和が生じているのか(善意)、あるいは「そう云うことにしないと都合が悪いのでそう云うことにしている」(悪意)だけのことか、どちらかで。
もし物理的な直接的接触のみが科学的である条件ならば、臨床心理学における心理療法などは非科学的だとして全て否定されることになるのである。
もしとか云ってみせてはいるものの、そんな仮定をしているのはほかならぬmerca論宅氏ご本人であって、ほかのだれかではない。
身体現象に影響を与える心理的はたらきかけは、全て偽薬効果と同じメカニズム(因果経路)をもつということを臨床心理士たちに公言して欲しいものである。仮説としてもそんな主張を開陳している論者はmerca論宅氏以外には見たことがないので、他人がそんな主張をしている事にしないで、ご自分でやればよろしいのに、とか思う。「ニセ科学批判批判者」って、どうして他人にやらせようとするのかねぇ。
人間、意固地になって牽強付会を続けていると、すごいところにたどり着いてしまう、ってサンプルで。以前はぼくはひとのこう云う姿に痛ましさを感じたりもしていたんだけど、なんか最近はそれなりにそう云う場所も楽しいのかな、みたいにも思ったりするようになっていて、なんと云うか微笑ましく眺めたりもするようになってきている。
まぁmerca論宅氏とか某A氏とか某j氏とか某S大先生とかがそう云う場所にいつづけるぶんには、ご本人が楽しければいいんじゃないか、みたいにすませることもできるけれど。昨今噂の青プリン大先生の場合には、教育者であらせられる部分もあるので、ちょっと同じようにのほほんと眺めているだけでいいのか、ちょっと考えてしまうけれど。
こんにちは。
注目を集めている、といっても見事なくらいまともに相手にされてないですねぇ。TAKESAN さんくらいかな?まぁ、いままでのことを知ってるひとなら当然でしょうが。
真面目に社会学やってるひとは迷惑だろうなあ、とよく思います。最近は他にも○○学やってるひとが迷惑しているだろうなと思うところがいくつかありますが。
これと、NATROM さんのところやきくちさんのところでのプラセボの話題でちょっと考えたことがあります。
あくまでも自分が見てまわれる範囲の話でしかないし、ちょっとメタな論というか感想に近いものになるので、穴だらけ、突っ込まれるところ多数なんでしょうが。
それは、批判偶数組同士での議論ってほとんどみたことないなあ、ということです。他人の論に言及することは、たまにはみかけるけど、双方向の議論に発展したというのは記憶にないです。
議論ってのは相手の言い分を取り入れて自分の論をアップグレードできるいい機会なのになあ、他の批判批判は参考にならない、というより参考にしたくないんだろうか、と思います。
議論があるとしたら批判対批判批判というパターンで、それが繰り返されてきたからよくある批判批判に対しての「周回遅れ」っていう話になる。そんな穴は、前にはあったかもしれないけれど、とっくに指摘されて埋められてるんですよ、ってことですね。
そうやって継続的にアップグレードを繰り返してバージョン 5.0 とか 6.0 とかになった批判の論に対して、批判偶数組って 1.0.1 とか 1.0.2 とか小手先のパッチ当てで対抗しようとしてる感じです。最初に立てた論をアップグレードしようという感じがしないんですよね。
論宅さんの場合は思い付いたことを書き捨てて、また新しい思い付きを書く、って感じでパッチすら当ててないふうですが。
こう云っちゃうと言い過ぎかもしれないけど、ハーネマン最高!後から出てきた現代医療は間違いだらけ、っていうホメオパシーに似ている感じがします。
by Seagul-X (2011-01-30 12:38)
> Seagul-Xさん
> 見事なくらいまともに相手にされてないですねぇ。
まともに相手にする価値がない、と云う書き方をすると非常にきつく見える字面になってしまいますけど、なんと云うか、要はもはや一種の面白キャラとして捉えるのがいちばん適切だ、みたいなところまできちゃった感じがあるんだと思います。
このエントリでは彼のロジックがどのへんでアクロバットをしているのか、と云う部分についてちょっとやぼな解説を試みたわけですけど、論宅氏のものものしい口ぶりのなかにはここで挙げたみたいな論理の腸捻転みたいなものが随所に探せるので、イースターエッグ的にそのあたりを掘り出して楽しむのが、論宅氏の論説に接するにあたってのいちばん「知的」なスタンスかな、とか考えています。
> 批判偶数組同士での議論ってほとんどみたことないなあ
一般に勝利を目的に論を組み上げるので、議論の精度を上げよう、みたいな志向はそもそもあまりないですよね。と云うか、全体として自分の論旨が一貫しているかどうか、と云うことにも関心を失っている方がけっこういらっしゃるようです。なので、論宅さんみたいな批判批判界の大御所の言説は、そのディテイルにちりばめられた些末な論がどんなふうに展開されているのか、それらがどんなふうに互いに干渉しあい、全体としてどのようにバロックな光景を呈しているのか、みたいな部分を楽しむのが通の接し方だ、みたいに最近は思っています。
> ハーネマン最高!後から出てきた現代医療は間違いだらけ、っていうホメオパシーに似ている
絶対勝利を獲得するために構築された言説、と云う面で共通点があるので、類似している部分はありますよね。
by pooh (2011-01-30 15:31)
なんかやばいくらいに面白成分の濃縮されたエントリを連発していらっしゃる。すごいことになってるな。
誤解するひともいないとは思うけれど重要なのは、社会学を学んでも普通はmerca論宅氏のように面白くなれるわけではない、と云う点。
社会学はいちおう真摯な学問です。社会学玄論の面白さは、merca論宅氏のオリジナリティによるものなので、余人に真似ることはまず不可能だと思います。
by pooh (2011-02-01 22:14)
>>昨今噂の青プリン大先生の場合には、教育者であらせられる部分もあるので、ちょっと同じようにのほほんと眺めているだけでいいのか、ちょっと考えてしまうけれど。
ツイッターを始めてから殆どそっちばっかりに淫していて、ちょっとご無沙汰しております。とは言え、実は青プリン先生はフォローしていなくて、彼の言説を積極的に批判するスタンスではないです。アカを取得する前にいろいろまとめなんかも読んでみたんですが、まともに相手取って批判するレベルの言説じゃないですね、あれは。
ただ、何度も言っていることですが、莫迦なことを放言することに対する噛み合った報いは莫迦にされることだと思いますので、彼の話題が出れば積極的に莫迦にするのは社会人としての務めだと思います(笑)。彼の言説に何らかの影響力があるとすれば、その根拠はpoohさんが仰るように教育者としての社会的地位だけだと思いますので、莫迦にする必要自体はありますね。
それでも、あれだけ精力的に息をするように莫迦な戯言を垂れ流すと、莫迦にするだけでも結構リソースを使いますが(笑)、本文で論宅さんの面白キャラ化について書かれているように、不愉快な莫迦キャラとしての認知を周知していく必要があるのかな、と思います。
by 黒猫亭 (2011-02-02 18:57)
> 黒猫亭さん
青プリン先生については多くの論者が複数のアスペクトから批判をおこなっているので、とりたててぼくが言及すべき優先度は高くないのかな、みたいに感じています。いまのところは、ですけど。
> 莫迦なことを放言することに対する噛み合った報いは莫迦にされること
ぼくはあえてこう云うスタンスをとらずに来たわけですけど(ぼく自身けっこうな馬鹿である自覚があるので)、じっさいのところ何人かの論者については、もうそう云った視点から見るしかないのかな、みたいに感じるようになってきています。まともに相手のしようもなければ、なんらかのことを学びようもないので。
もうなんと云うか、何人かの方々については葦原将軍的な存在として面白く読み解くしかないのかな、とか思っています。
by pooh (2011-02-02 21:39)
「科学では全くない」+「科学を完全に偽造している」という両方を満たして
初めて「真っ黒だ」と言うことが正当化されるんですよ。
前者だけでは駄目なのに、前者だけを取り出して「真っ黒だ」と断定しようと
するのが「ニセ科学『批判【派】』」だ、といことなんですよね~♪
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安西「特別刑法7」P243
刑法の偽造・変造と本法の模造とは、
前者が一般人において通常の注意力をもってしでも真正なものと誤認する程度に達した外観を具えたものを作出することをいうのに対し、
後者がその程度にまで至らない、すなわち、一般人が通常の注意力を働かせれば真正でないことに気付くような外観のものを作出することをいう点が異なる。
誰が見ても直ちに本物との差異を容易に発見できるほど玩具的な(俗にいう「チャチ」な〉ものを製作するのは、模造にも当たらない。
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by klkjlkjl;kjl;kjljj (2015-03-01 13:03)
> klkjlkjl;kjl;kjljjさん
いらっしゃいませ。
引用されている文章はお書きの主張の裏付けにはまったくなっていないですね。グレーゾーン問題についてはこちらを。
http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/16.html
まぁ、あからさまな捨てハンドルを名乗ったり、「全く」とか「完全に」とか「真っ黒」とか極端に意味合いの強い単語を頻用するのは、「まじめに議論するつもりがない」と云うのを示すサインとしてはすばらしくわかりやすいので、ちょっとありがたいです。
ところで、ニセ科学に関する論宅さんの議論を批判している先で(わざわざ検索までして)コメントして回っているようにお見受けしますが、なにか論宅さんを擁護すべき事情なんかがおありなのでしょうか?
by pooh (2015-03-02 08:16)