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人事と天命 [よしなしごと]

以前こちらのエントリで「呪術としての『水からの伝言』」の読み解きを援用させていただいたFrancisさんのホメオパシーは正統なものですと云うエントリを読んだ。
相変わらず明晰。おっしゃるとおり。

さて、基本原理に基づき正しい構成から成り立っているのがわかっていただけましたでしょうか。

問題なのはこの基本原理の方でありまして、これは類感呪術と感染呪術という古典的な呪術の基本法則なのです。

タイトルにある正統とは、まさにこの「呪術としての正統」と云うこと。この正統性、と云うのはもちろん馬鹿にしたもんじゃなくて、それだけ人間のナチュラルな発想に沿っている、と云うことなので、なんと云うか構造としてひとはそれに「納得しやすい」。原理がわからなくても信じられる、理解した気になれる(それどころか納得できない人間を見下せる)のは、この構造があるからで。でもって納得できてしまえば、平気な顔で「量子力学なら証明できる」みたいな説明も受け入れてしまう(量子力学がなんなのか知らなくても。ついでに云うと説明する側も量子力学がなんなんだかわかっていない、と云う点では同じだったり。要は彼らにとって量子力学も呪術の一種、と云うポジションにある、と云うこと)。
つまり、ホメオパシーは正統なものです。これはれっきとした伝統呪術でありまして、川崎大師の身代わりお守りがその存在を責め立てられないように、ホメオパシーそれ自身は責められる道理のないものなのであります。
いやまぁでも、運用する側が川崎大師の身代わりお守り以上に効果があるとか、霊験が証明されているとか云い出せば、それはもうその時点で誇大な表現になるのであって、そうなるとまぁ霊感商法の一種とみなされてもしかたがない。
そのかわり、西洋医学との置き換えには決して使えないものであることも事実であります。人事を尽くして天命を待つと申しますが、現代の呪術はその天命の部分に影響できると信じて行うものであります。西洋医学をないがしろにしては、人事を尽くしていることにはなりません。
身も蓋もないおっしゃりようだけど、要はそう云うことだ、と思う。
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mimon

あくまで人事を尽くした上で、お大師様やお伊勢様のお守りに天命を託すことは、反対しません。
しかし、統一○会の壷を買ったりしますと、そちらに活動資金を提供することになりますので、慎重な判断が必要です。
砂糖粒を買っても、大した金額ではありませんが、ナントカ財団系の講習会を受けたり、まして、学習塾みたいな各種学校に大学なみの学資を支払って、ただの紙切れをもらうことは、個人の愚行権の範囲ではありますが、そういった集団を生き残らせるという「反社会性」もゼロではありません。
要するに、私は、ホメなんて、マルチと類似だと言いたいのです。
by mimon (2010-08-31 02:09) 

pooh

> mimonさん

いや、改めてお伝えすることもないと思いますが、問題は当然さまざまなレイヤーにまたがっていて。ホメオパシー団体の商法にMLM的な部分があるとすればそこも問題だし、仮にそう云う部分がなくとも当然問題なし、とはできないわけですよね。
ただ、それらはひとつの事柄の側面なので、完全に切り分けができるものでもなくて。なので、それぞれの角度から(手分けしながら、と云うとへんですけど)光を当てて考察していくようなことがらなんだろうな、みたいに思います。
by pooh (2010-08-31 07:51) 

satomi

おはようございます
 
ハーネマン自身、新規の科学的理論を構築したつもりでいて実は、意識下にある類感呪術、感染呪術という人類の共有文化から決して自由ではなかったということなのでしょうね。ホメオパシーの発想の部分を分析するならば、まさに呪術なんですけど、私はそこにさらにもうひと言、大きな声で、「けど、似非呪術だけど」と付け加えたいです。
 
「ホメオパシーは科学的である。医学である」という主張に対して、「違うよ。呪術だよ」をぶつけることは大事だとは思うんです。レトリックとして。
だけど、「そうだよね、ホメオパシーには科学では説明できないフシギな力があるのよね」みたいに素直に膝を打ってしまう信奉者は少なくなさそうな気がします。
 
ホメオパシーの効果は、ごくあたりまえのプラセボ効果であって、呪力の効果ではないですよね。氷の美しい結晶は純然たる自然現象であって、「ありがとう」の言霊の呪力が働いたわけでもなんでもないですよね。けど、「そうか、やっぱり言霊って存在するんだ!」と水伝に納得してしまう人の層は結構厚いですよね。
 
ホメジャでは最近、祝詞をあげるのが流行っているみたいですし、呪術どころかそれを通り越してカルト化の方向に突き進んでいるんじゃないかと心配になってしまいます。ホメオパシーにしても水伝にしても、ベースの発想は呪術だとしても、ああいう彼らの解釈の仕方や使い方は似非呪術にすぎない、ということを声を大にして言っておきたいんですよね。

by satomi (2010-09-02 09:42) 

うさぎ林檎

おはようございます。

>カレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー(CHhom)
>2010年08月22日 「オーガノン購読」 講師:由井学長
http://www.homoeopathy.ac/08lectures/part-time/20100822_1.php

こちらは、"祝詞・般若心経"の唱和で講義が開始された模様です。
他に好きなのは、カルマとかインナーチャイルドとか、生まれたときの母親の精神状態なんかも気にします。胎内記憶に千島学説、血液循環療法、阿修羅板、ワールド・ブロガー協会……etc.
結局は、この手のものを掃除機みたいに吸い込むんですよねぇ。
by うさぎ林檎 (2010-09-02 10:54) 

pooh

> satomiさん

> 新規の科学的理論を構築したつもりでいて実は、意識下にある類感呪術、感染呪術という人類の共有文化から決して自由ではなかった

いや、その部分からは、現代の科学者だって自由ではない、と思いますよ。そしてそれはインスピレーションの源泉ともなりうるものなので、払拭されるべき、だとも思いません。
ただ、それは検証されるんです。検証されて、結果の出なかったものは廃棄されるんです。廃棄されないままそこに執着していると、呪術化する、と云うことも起こりえるわけですけど、科学と云うのはそれを回避するための方法、でもあるわけです。

> もうひと言、大きな声で、「けど、似非呪術だけど」と付け加えたいです。

正直呪術としては歴史が浅くてそもそも洗練度が低いし、加えて運用面(呪術にとっては大事な要素ですよね)での積み重ねがうちの国にはないわけで。いまさら導入するメリットは(コストに見合うだけのものは)ありません。

> ああいう彼らの解釈の仕方や使い方は似非呪術にすぎない

同意します。
同意しますが、こんなコメントがいただけるのはうちならではだろうなぁ、とかちょっと思ったり(^^;。
by pooh (2010-09-02 20:56) 

pooh

> うさぎ林檎さん

> 結局は、この手のものを掃除機みたいに吸い込むんですよねぇ。

受け手の側がそこにある矛盾(こまかく突っ込むのも面倒になるくらいたくさんありますよね)をほとんど気にしないらしいのが不思議と云えば不思議なんですが、やっぱり認知的不協和、と云うことになるのかなぁ。
マスコミの報道や日本学術会議の会長談話を受けた各ホメオパシー関連団体の発表なんて、まじめに読めば理解なんかできる内容じゃないんですけどね(理解させないことを意図しているとしか思えない。逆に云うと、あれで納得できてしまう信奉者は、残念ながらまじめに内容を読んでない、としか思えない)。
by pooh (2010-09-02 20:57) 

OSATO

こんばんは。
自分のにかかりっきりになっていまして今日ようやくFrancisさんのを読んだのですが、僕が言わんとしている事と同じだったので驚きました。
Francisさんはホメオパシーの原理側から、僕はそれを扱う側の視点からエントリーを挙げた訳ですが、これはぜひ併せて読んでもらいたいです。

今回の僕のエントリーは今までのこちらでの議論が下敷きとなってます。様々な示唆ありがとうございました。
by OSATO (2010-09-02 22:27) 

satomi

こんばんは
 
> いや、その部分からは、現代の科学者だって自由ではない、と思いますよ。そしてそれはインスピレーションの源泉ともなりうるものなので、払拭されるべき、だとも思いません。
 
ええ、べきじゃないし、払拭できるものではないんですね。
 
> うちならではだろうなぁ、
 
いつも楽しませてもらってます。Obigada!です。^^
 
うさぎ林檎さんの教えて下さった「"祝詞・般若心経"の唱和で講義が開始」というの、神仏習合ですかっ!ですね。まあでも、ご利益がありそうなものは何でもかんでも呑み込んでやれというのは、ある意味、日本の伝統そのものなんでしょうね。
 
しかし自然派オカルト(?)みたいな世界って、民族主義というか国粋主義的なものと親和性が高いんでしょうかね。前に、各種の“自然療法”の“療養所”をやっているという人が皇紀を常時使用しているのを見てたまげたことがあります。若い人だったけど。
 
依って立つ文化に心寄せることそれ自体は別にいいんですけど(皇紀はさすがにカンベンだけど)、由井氏の祝詞・般若心経にしても、なんだか薄っぺらい気がしてならない...。

by satomi (2010-09-03 01:12) 

mimon

般若心経は、「定型」だから、誰が読んでも同じようなものですが、祝詞は、その場に応じて奉げる「不定形詩」ですので、とらこ先生ごときに、まともなものが詠めるとは、思えません。へたすりゃ天罰ものです。
#真面目に詠もうと思ったら、本当にたいへんで、お茶の冨永先生が退官なさったときも、私は、途中で断念して、できそこないの「短歌」にしたてて逃げました。
結婚式で名前だけ入れ替えて使い回しにしているのは、「似非祝詞」なのです。
by mimon (2010-09-03 07:36) 

pooh

> OSATOさん

このあたりの話って以前からここでも書いていたし、ほかのところでも論じられてきた部分ではあるので、なんと云うか最近は暗黙の了解的な感じで扱ってきたところがあって。
そのへん、Francisさんが改めてきっちりお書きになっていたので、取り上げた、みたいなことだったりしました。
by pooh (2010-09-03 07:36) 

pooh

> satomiさん

> しかし自然派オカルト(?)みたいな世界って、民族主義というか国粋主義的なものと親和性が高いんでしょうかね。

これってなんか、あると思うんですよ。ホメオパシーのロジックを源流のひとつとする江本勝氏の「水からの伝言」系の言説も、類似した側面を持ちます。こっちで書いたような。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2009-10-08

で、そのわりに、それぞれの宗教とか思想に対する理解が、不自然なくらいにうすっぺらいんですよね。なんか奇妙に感じてしまう。
by pooh (2010-09-03 07:40) 

pooh

> mimonさん

> 祝詞は、その場に応じて奉げる「不定形詩」

そうなんですか。なんかうなずけるなぁ。

> へたすりゃ天罰ものです。

いや、そう云うところに親和している神社なんかも、実際にあるようなので(^^;。
by pooh (2010-09-03 07:42) 

うさぎ林檎

こんにちは。

まぁホメジャの取り上げているものに意味を求めても仕方ないんですよね。よく判らないまま使っているだけだと思いますし、それって麻原の謂ってることに当時の宗教学者が勝手に納得しちゃったみたいな話で、深読みしても仕方ないんです。

>予防接種と医原病、犬猫の問題行動 講師:由井学長 2010年08月07日(土)
http://www.homoeopathy.ac/08lectures/animal/20100807.php

この「講義の感想」の中に"アストラル体・エーテル体のイメージがよく分かった"なんてのもあって、シュタイナーか神知学か人知学かわかんないですけど、持ち出しているみたいです。

突貫工事で思想を体系化しようとして、宗教・オカルトの中で自分に都合の良いキャッチーな部分をつまみ食いすると、どんな場合もこんな感じに仕上がるんでしょうねぇ。
by うさぎ林檎 (2010-09-03 12:11) 

pooh

> うさぎ林檎さん

> よく判らないまま使っているだけ

これって考えてみると、自分たちにもよくわからないけど読む側にもどうせわからないだろう、ってスタンスなわけで、まぁずいぶん自分たちの支持者を小馬鹿にした態度だなぁ、とか思ったり。

> 宗教・オカルトの中で自分に都合の良いキャッチーな部分をつまみ食いすると、どんな場合もこんな感じに仕上がる

200年と云えば充分に洗練された呪術ができあがるには足りなくても、なんらかの意義をその体系に内包するオカルトを成立させるには充分な時間のようにも思えるんですよね。へたに科学のふりを頑固に続けたせいで、なんだか中途半端でがさつなものにしか仕上がらなかった、と云うような気もします。
by pooh (2010-09-03 21:41) 

mimon

> pooh さん、
> そうなんですか。なんかうなずけるなぁ。

「そうなんですよ。」の実例をあげたくて、折口信夫あたりなら、故人を偲んで良い祝詞を詠んでいるはずと、青空文庫を漁っていましたら、もっと面白いのを見つけちゃいました。
「まじなひの一方面」という短文です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46330_26557.html
前半は、ホメの人が読んだら喜びそうな内容ですが、後半で、しっかり落としています。
しかも、この文章の中の「今日(こんにち)」というのは、大正7年ですからね。
まあ、19世紀末に一度は否定されても、全然進歩していないまま、21世紀に甦ったゾンビみたいな方々は、ちっとも気にしないのでしょうけれども。
by mimon (2010-09-03 22:28) 

pooh

> mimonさん

あ、これおもしろいですね。
要はこう云うことなんだよなぁ。

> 19世紀末に一度は否定されても

皮肉とかじゃなくて、根本的に「信じること」は否定できないんだなぁ、とか思ったりします。
by pooh (2010-09-04 06:19) 

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