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運用 [よしなしごと]

英国のNHSがホメオパシーを適用から除外したこと英国下院科学技術委員会がNHSからのホメオパシー適用廃止の結論を出した件について、スラッシュドットで英国でホメオパシーへの財政支援を廃止と云うストーリーであがっていて、なにかしら日本のホメオパシー業者も見解を提示しているかも、とか思ってちょっとだけ見てみたけどまだないみたい(そりゃ商売上なかったことにしたいだろうしね。いつもの「世界中で活用されてるけど日本では陰謀により普及しない療法」って理屈が通用しなくなるから)。で、これに関する話題としてapjさんの英:ホメオパシーへの財政支援の中止と云うエントリを読んだ。

もちろんapjさんがわかっていないことではないと思うので、補足、と云うのもおこがましいけれど。
世の中、騙されることに金を払って無問題な場合もあるが、それは、金を払う側がそのことを知っている場合だけである(フィクションを読んだり観たりするために金を払うなど)。
あることがらを騙しであるかどうか判断する、と云うことにおいても、じっさいにはすべてのひとが共有できるくっきりとした基準があるわけではなくて、そこには広大なグレーゾーンがやっぱり存在する。騙されていることを知っている状態、と云っても実際のところは千差万別で、ある基準に照らせば即座に白黒つけられる、と云うものではない。
もちろん、だからと云って白も黒も同じ、すべては受け止める人間の自己責任、みたいな話にならないのはニセ科学の議論とおんなじであって。ホメオパシーに限って云えば、レメディの効果を科学的に見た場合には真っ黒(だからそこから派生するものは原則どれも濃いめの色合いを帯びる)、ってことではあるけど。
ホメオパシーが「プラセボ以上の効果は何も無い」ことを患者に十分に説明し納得させた上で使われるのなば、患者に正しい情報を与えている(インフォームドコンセントが十分である)ことになるが、そうでないものは患者を誤認させていることになる。
これをホメオパシー以外の通常療法の実運用の現実にまで敷衍してしまうと、ちょっと難しい話になるかも、みたいに感じるのは、これはこれでぼくの抱えたバイアスからの視点ではあるんですけどね。

Mar. 2, '10:
冒頭文の不適切な記述を修正しました。
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zorori

>ホメオパシーが「プラセボ以上の効果は何も無い」ことを患者に十分に説明し納得させた上で使われるのなば、患者に正しい情報を与えている(インフォームドコンセントが十分である)ことになるが、そうでないものは患者を誤認させていることになる。

これって、理屈だけで考えれば矛盾ですよね。
患者が十分納得して、誤認していないのなら、プラセボ効果は無くなり、使う意味もなくなりますからね。

「プラセボでも効果があればよいではないか」という言い草は、家父長的に治療する側が口裏を合わせる行為ですから、インフォームドコンセントとは相容れないはず。でも、現実は微妙で正統的医療でも偽薬(薬を欲しがる患者に気休めのビタミン剤を与えるような)を認めているところがありますしね。

こういう行為が認められているのは、個別の投薬行為だけで考えているのではなくて、正統的医療体系全体に実質的な効果があるというところが肝心なところかなと思います。プラセボを使うこともありうるということは、患者にインフォームドされているけれども、いつ使うかは分からないという状況かと思います。これはマジックが虚構であることはお客は了解しているけれども、どこで騙されているのかは分からないというのに似ているような気がします。タネを知ってしまえばお客はマジックショーを楽しめなくなってしまいます。しかし、マジックを超能力として見せるのは拙いわけで、ホメオパシーは超能力ショーみたいなものかもしれません。

正統的医療には、実質的な効果があり、それに対する信頼によってプラセボ効果というおまけもついてくるだけですね。プラセボも使うということはインフォームドされており、「ウソ」はありませんが、どの場面で使うか分からないからプラセボ効果もあるわけですね。

ところが、プラセボ効果しかないホメオパシーは、「ウソ」しかないわけですから、インフォームド出来ませんね。


by zorori (2010-02-28 09:17) 

TAKESAN

今日は。

zororiさんの仰るように、「プラセボであると説明する」というのは、本来論理的におかしいのですよね。その時点でプラセボでは無くなる。ですから、せいぜい、「お医者さんは効かないって言ったけど、病院でもらうんだからもしかしたら効くのかも…」といったような微かな期待の作用などを期待するしか無い、と。

ただ、これもzororiさんの仰る部分に対してですが、標準医療において「プラセボが用いられる事がある」のがどこまで周知されているのか、の部分は少し考えます。
何となくは分かっているかも知れない、でも、臨床試験でコントロールに用いられる事があったり(プラセボのみ投与の研究は稀でしょうけれど)、それは本質的に薬理学的には効かない、といった事実をどこまで知っているか、と。
マジックで言えば、「もしかしたらあれは本物じゃ…」と何となく思わせる、というのは防ぎたいし、そのためには、プラセボの概念の説明、現状の適用範囲、等は周知させるべきと考えます。

その意味では私はプラセボの医療における使用については、厳しい立場です。他の方と相容れない所もあるのですが。かと言ってそれほど極端な立場でも無いと思っています。たとえば、疼痛治療にプラセボを用いて良いか否か、という議論でも(疼痛に対してプラセボ反応は大きく出るようです)、意見は割れるでしょうし。
by TAKESAN (2010-02-28 11:44) 

pooh

> zororiさん

この問題自体、じつはぼくのほうにスタンスが定まってない部分があって(表記すらプラセボだったりプラシーボだったりするくらいで)。

> 個別の投薬行為だけで考えているのではなくて、正統的医療体系全体に実質的な効果があるというところが肝心

そうなんですよね。で、医療は待ったなしなので、最善と思われればどんな手法も使わざるを得ない。その際に、より効果がある、と云う情報が共有可能なかたちで存在する手法は、まずは裏付けのあるものとして使われる。
まずこの理解があってはじめて(そして現在の社会のなかでの医療の状況とその経緯を踏まえてはじめて)プラセボを使用することは容認され得る、と云う話なんだと思います。そこに、とりわけ施す側に「信じるかどうか」「実感があるかどうか」と云うファクターは介在しようがないわけです。
by pooh (2010-02-28 12:00) 

pooh

> TAKESANさん

あぁ、ここでTAKESANさんに登場してもらえると、バランスが取れてありがたい。
補足、みたいなへんな書き方をしたのは、言及先のapjさんのエントリが捨象している部分を、例によって「書いてないことは考えてない」的な理解のメソッドを用いるひとたちが誤解する可能性も高いなぁ、と思ったのでした。

> 標準医療において「プラセボが用いられる事がある」のがどこまで周知されているのか

これはひとつありますね。zororiさんのおっしゃるような家父長的運用が、主たる実情のように思えます。その(施す側のみでなく、受ける側のスタンスまで含めた)是非、と云うポイントは存在します。で、それは知らしめられるべきことだ、と云う点では、ぼくは同意します。

> 私はプラセボの医療における使用については、厳しい立場です。

ぼくは現状どちらかと云うと容認する立場ですが、それはある種長期的な経過措置、みたいな捉え方です。よりよい方法が知られ、確かめられているのに、プラセボを選択するべき理由はないですし、それは医療行為ではない。
by pooh (2010-02-28 12:10) 

TAKESAN

シンプルに捉えれば、標準医療においてはプラセボは「補助」的に用いられるのに対し、ホメオパシーではプラセボ(レメディ)は療法体系の「核」となっている、そこが質的な違いと言えますね。もちろん後者は、施術者が効くと確信しているのがほとんどで(少なくともホメオパスはそうだと思う)、「与える側はプラセボとは思っていない」という意味で、厳密にはプラセボとは言えないでしょうけれども(「効かない物を効くと信じて与える」のと、「効かないと判っている物を効くと称して与える」事の違い)。

で、それとは別に、ホメオパシー側の言い逃れとして、「プラセボ効果でもいいじゃない」的なものがあるのが困り物で…。これは開き直りというより、単にプラセボとその反応に関する論理を知らずに発言しているだけ、という事でしょうけれど。
by TAKESAN (2010-02-28 12:39) 

pooh

> TAKESANさん

> 「与える側はプラセボとは思っていない」

欧米諸国では、かならずしもそうとは限らないかも、と思うんですけど(すこし前の、フランスの現状の話とかから考えると)。でもじっさいにそうであれば、それは「実質的に診断していない」と云うことと表裏一体、なんですよね。

> 「プラセボ効果でもいいじゃない」的なもの

これ、事実上自分の行為のバックボーンを否定していることばなんですけど、気付かないんでしょうね。
by pooh (2010-02-28 12:57) 

zorori

私もTAKESANさんの立場に近いかもしれません。

例としてあげた、気休めとしてビタミン剤を出すようなことは本当はして欲しくありません。
そうはいっても、現実の医療の現場では薬を欲しがる困った患者に時間をかけていられないという事情もあるのかもしれません。

やむを得ないかなと思うのは、手の施しようのない終末期の患者の場合です。この場合はある意味、患者と医者の関係が対等、対称とは言えないわけですから。ただ、この場合でも自分がそのような立場になったとしたら、かえって疑心暗鬼になりそうで嫌だなと思います。相手のことを思いウソをつくというのは、かえって問題を複雑にして不幸な結果になるということが多い気がします。

私の経験では、厳しい真実を知るというのは、案外その場面になっても耐えられるものです。辛いのは疑念が生じたり、どうしてよいか分からない不安定な状態です。前のコメントで、どの場面でプラセボが使われるか分からなければ効果があると書きましたが、手の施しようのない場面というのは、まさにプラセボが使われる可能性が高いと分かるわけです。プラセボ効果よりも疑心暗鬼を引き起こすだけじゃないかと思うんです。

「知らぬが仏」とか「騙し続けることは出来ない」とかいろいろ考えます。

このような、「方法のない場合」の悩ましい問題は、なんらホメオパシー擁護に結び付かないということは強調しておきたいです。

>よりよい方法が知られ、確かめられているのに、プラセボを選択するべき理由はないですし、それは医療行為ではない。

その通りだと思います。

by zorori (2010-02-28 14:12) 

うさぎ林檎

こんにちは。

以前kikulogのホメオパシー話題絡みで「プラセボ効果」の話が出た時に医療従事者でいらっしゃるのかな?と思われる方達の書き込みに違和感を感じました。
その時は話の流れに乗るのは何となく不味い様な気がして議論に参加し続けることを止めてしまいました。
具体的な現場で節度を守った話だ、と謂われても医療従事者が行う以上それは「医療行為」であるはずで、たとえ法律で認められていても両者の信頼を犠牲にしたそれを「医療行為」として受け入れがたい気持ちが私には拭いきれませんでした。
もしも私が「プラセボ効果」のお陰で症状が改善して、感謝の気持ちを抱いたとしてもその医師が「プラセボ効果」を利用したのだと知れば、恐らく2度とその医師の診療を受けようとしないだろう、そう思うんです。

私の危惧は医療従事者が「プラセボ効果」を通常医療の中に組み込むことを魔法のワンドの如く手放さない事が、ホメオパシーを擁護する人にとってどう見えるのかってことなんですよね。
by うさぎ林檎 (2010-02-28 18:17) 

pooh

> zororiさん

難しいんです。費用対効果の問題もあるし。通常医療は、「いくらでもお金を出せる」ひととか「信じる」ひとばかりを相手にしているわけにはいかないし。

> 辛いのは疑念が生じたり、どうしてよいか分からない不安定な状態

この状態は、プラセボが効果を生まない状態、でもありますね。ことは信頼の問題、なのでなおさらややこしい。

> 「方法のない場合」の悩ましい問題は、なんらホメオパシー擁護に結び付かない

まさにそのとおりです。その部分をこそ、充分に考えていかなければならない。

プラセボが効くとすれば、それは信頼にもとづくものです。信頼は、その相手が「わかって」いると云うことに対して醸成されるものです。そうでなくてはいけない。同じことを「信じる」ことを求めてその結果得られるものは、擬似的な信頼でしかない。しかも一方にのみ好都合な。
この部分、前にちがやまるさんがおっしゃっていた「ホメオパシーは医療の擬態」と云う部分になるかと思います。
by pooh (2010-02-28 20:12) 

pooh

> うさぎ林檎さん

なんか難しい、難しいとか云ってばかりで申し訳ないんですが。論じる準備ができてないくせにみずから首をつっこんでいくのはぼくの仕様のようです(^^;。

医療の現場に従事するひとが、ことばの正しい意味での「方便」としてプラシボを利用するのは、現時点ではやむを得ないことだ、と当面ぼくは認識しています。でき得ることはすべてやらざるを得ない、と云う状況で、コスト的に引き合う方法がそれしかなければ、やはり迷いを振り切ってやるしかない。もちろん、患者の状況を正しく(それこそ科学的に)把握している、と云うことは絶対的な前提となりますが。

で、それは現実的にそうするしかない、と云うことであって、本来は望ましい姿ではない。ここを認識するのは、それこそ専門職に従事する人間に求められるべき職業倫理、だと思います。

> ホメオパシーを擁護する人にとってどう見えるのか

ともかくも見たいものをそこに見いだす、と云う可能性は高いだろうな、とは思います。なので、医療従事者はそこに開き直りを見いだしてはいけないはずで。いや、そう云う種類の職業倫理をどうやって求めていくのか、と云う話になると、また別の難しさが生じてくると思いますけど。
by pooh (2010-02-28 20:20) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>私の危惧は医療従事者が「プラセボ効果」を通常医療の中に組み込むことを魔法のワンドの如く手放さない事が、ホメオパシーを擁護する人にとってどう見えるのかってことなんですよね。

なんていうかな、kikulogで医師法の「暗示的効果」の部分を紹介しちゃったりしたので、よけい混乱させてしまったのかもしれないのだけどね。私の場合いろんな物事を「発達史」みたいな観点で見てしまうのね。

現場的医療について、最初から「根拠に基づいた医療」という概念があってそこに偽薬効果の利用が入ってきたのでは無いと考えています。最初にあったのは「とにかく効果があって害がすくなそうなら何でも利用する現場の医療」という現実が有ったわけですね。でもって、別なエントリでも述べたけど、「より確かに効く医療」というのを求める過程で、いろんな根拠の薄い物を排除してきて「根拠に基づいた医療」という概念が出てきているわけね。その概念に基づいて偽薬効果に頼る部分はだんだんと排除されて居るんだけど全部を排除するにはまだ到っていないというのが現実かな。そういう視点で見てみることも必要かも知れませんよ(笑)。



by 技術開発者 (2010-03-01 14:05) 

pooh

> 技術開発者さん

> いろんな物事を「発達史」みたいな観点で見て

この部分、重要だと思います。

現在の通常医療は万能ではないし、その意味でベストではない。事実としてこれは云えると思います。でもそれは(時間的なものも含めマクロな視点から見れば)だれかの怠慢や、陰謀や、利権争いがもたらしたものではないんですよね。
で、これまでの歴史的経緯を踏まえて考えたときに、よりよくなりうる可能性のある方向はどちらなのか。これは少なくとも「万能でなければなんでも同じこと」と云うような発想からは見えてこないものだと思います。
by pooh (2010-03-01 21:05) 

zorori

技術開発者さん

>その概念に基づいて偽薬効果に頼る部分はだんだんと排除されて居るんだけど全部を排除するにはまだ到っていないというのが現実かな。

変化には時間が必要ですからね。

昔の「がんの告知」問題と似ているところがあるような気がします。本人のためを思い告知をしないという時代がかつてありましたが、これはうまくいかなくなりました。社会的に告知問題が知れ渡ると、患者としてはお医者さんが本当のことを言っていないのではないかという疑心暗鬼になります。そうならないようにするためには、告知しないこともあるということを社会に伝えずに、医療界の機密事項としなければなりません。これは、良いことではありませんし、長く続けることも無理でいずれ秘密は漏れます。

告知問題が意外に早く解消したのは、社会的な話題となり、多くの人が知ることになったからかもしれません。また、医者だけでなく、家族も秘密を守る(ウソをつく)必要があったからだと思います。

プラセボ使用も社会的に周知されれば、なくなってくるかもしれません。
by zorori (2010-03-01 22:43) 

pooh

> zororiさん

> 変化には時間が必要ですからね。

ここなんです。
ロジカルに考えれば最善に違いない選択肢が、いまこの時点で最善か、と云うと別の議論になる。この部分が重要だと思っています。
by pooh (2010-03-01 22:48) 

技術開発者

こんにちは、zororiさん、poohさん。

>ここなんです。
>ロジカルに考えれば最善に違いない選択肢が、いまこの時点で最善か、と云うと別の議論になる。この部分が重要だと思っています。

なんていうか、「人間とは何か」みたいな哲学論があるけど、少なくとも私の知る限り、生命の中で「自分たちの知性で自分たちの文化をつくり、生活や思考を変化させる生き物」というのは人間だけ何ですね。そういう意味で、未だにその変化は止まっていないので、或る意味で「過渡期を過ごす生き物」ではあると思うんです。

なんていうか、終わってしまった棋譜ではなくて、未だ対局中の棋譜のような面があって、最善の終局という判断は無くて、その時その時の最善手は何かを考えるしか無いのです。

ただね、なんていうか、もう「終わりたがっている」のかも、と思わないでもないのですよ、現代を見ているとね。

by 技術開発者 (2010-03-03 14:32) 

pooh

> 技術開発者さん

> 終わってしまった棋譜ではなくて、未だ対局中

そうなんです。ほんとうにそう思います。
ぼくたちはけしてスタティックな社会に住んでいるわけではない。昔から長い目で考えるとよくはなっているけれど、今後どちらにも転がりうる。そう云う話だと思っています。
by pooh (2010-03-03 21:59) 

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