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失礼じゃないのか [近所・仙台]

仙台はたいして暑くもならず、それでもうちの近所は草いきれでむせるくらいには夏くさい臭いが漂っていて、梅雨が明けたはずなのにはっきりしない天気で湿気たっぷりで。まぁそれはそれでこの街の夏と云うのはもともとそう云うもんなのだけれど、全国的な年中行事と云うのはそれでもやっぱりやる。
で、高校野球の地区予選をやってるわけなんだけど、どうもなんだか妙なことになっている。

仙台の高校野球と云うのはとびぬけて強い高校がふたつあって、まぁ例年その2校で決勝だけやってればいいようなものなのだけれど、いちおう教育の一環と云うことになっているので野球部のある高校はひととおり参加する。参加するって云っても基本的にはきっちりと野球に力を入れている私立校を抑えて公立校が優勝したりすると番狂わせで。

そんな状況で、ぼくの高校がきょう、準決勝まで進んでしまった。それも、新興のスポーツ高校として名をあげつつある私立校と延長15回再試合、なんて流れに打ち勝って。

歴史上3回ほど、甲子園まで云ったことがあるらしい。とは云えうち2回は「中学」で、最後に行ってからもう半世紀が過ぎている。そのうえ明日の試合はその2強のうちの片方だ(と云うことは、日本中から強い選手を集めて来た混成軍だ)。所詮は「野球が好き」と云うだけで野球をやっているうちの高校の野球部なんかに、間違っても勝てる気はしない。と云うか、今日の勝利もそう云う私立校からもぎとったわけで、そう考えるとなんか失礼なものにも思える。

在学中、野球部はわりと腹立ちのたねで。それはまぁなぜかと云うとやけに部費をたんまり持っていくからだったのだけど。でもたいした成績は収めないまでも、昔からそこそこに頑張っていたのは知っている(だいたい授業中みんな寝てたし。おいらもそうだったけど)。
土曜日が休みになったりしているからかも知れないけれど、うちの高校はいまは8時間目まで授業があるらしい。野球部はそこから始めて、10時とかまで練習しているらしい。頑張っているとは云えるのだろうけれど、どう考えても(午後にはもう授業がない)私立校よりは練習時間は短いだろう。それでここまでやっているのだからふつうに考えれば快挙なのだけれど、どうしても負けた私立校のことが気になってしまう。まさか「教育の一環」なんて甘い考えで野球に取り組んでいるわけではないんだろうし。

なんか素直に喜べないなぁ。でも甲子園、なんてことになったらこんなぼくでもそれなりに熱狂するのかなぁ。
タグ:仙台
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亀@渋研X

よくわかんないんですが、同好会が体育会に勝っちゃマズいだろう、すいません、みたいな感じ? 違うんだろうなあ。
高校野球にはなんの関心もないぼくですが、それでも勤め人時代、不意にそば屋のテレビで出身地の高校とかに出くわすと、「お?」と思うし、ちょっと応援気味の気分になったりしましたね。あの、ゆるい「地元びいき」みたいな感覚って、我がことながらちょっと不思議です。
by 亀@渋研X (2008-07-24 15:56) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

いや、近いんですが、ちょっと違うかも。

本気でやっている私立高の野球部員からすると、夏の甲子園なんて思い出で終わらせていいようななまぬるいものじゃなくて、一生を賭けた就職活動じゃないですか(そのためにわざわざ故郷を離れて進学して来ている子も多いだろうし)。高校野球、って云うののあるべき姿がそう云うものなのかどうかは置いておいて、そこに公立高の野球部なんかが挟まって来たら、やっぱりまずいのではないかと。

ちなみにうちの高校、今日の準決勝で9対0、7回コールドと云う見事な負けっぷりを見せてくれました。地金が出たと云うのか空気を読んだと云うのか、らしすぎて笑っちゃいましたけど。準決勝の点差じゃないだろ、って感じです。
by pooh (2008-07-24 22:06) 

Blatanda

poohさん、こんにちは

うーーーん、おっしゃっていることは理解できなくはないのですが・・・

10年ぐらい前でしたか、Linuxに代表されるフリーソフトが注目を集めはじめたとき、一部の業界人が
「それで飯を食っている人間は生きていけなくなる、趣味でソフト作っているような奴が商売のジャマするな」
みたいな発言をして、それに対して中村正三郎さんあたりが、
「プロを自称して、趣味でソフト作ってる連中に駆逐されるなら、とっとと駆逐された方がいい」
と、やり返していたのを、思い出します。

プロ野球に夢を追うのはいいのですが、やはりそれなりの水準に達していなければ、ただの夢に終わるわけで、その意味では「厳しい現実」というのは知っていて悪くはないとは思うのですけどね。

ただ一方で、東大出身者も多数輩出している都立国立が活躍していた頃、「これからは文武両道」とかいってもてはやされていましたが、野球をやってもプロ級なのだが、東大出て官僚になる、みたいな人間が多くなるのも、やっぱりイヤかな・・・
by Blatanda (2008-07-25 08:55) 

pooh

> Blatandaさん

いやまぁ、その辺をまじめに論じると、「本来の高校スポーツの意義」みたいな議論になって来て。そのあたりハードに論じるほどの深い関心があるわけではないので、自分の高校の話に絡めてごにょごにょ、みたいなところはあるんですけど。

ぼくがその高校にいた頃の同級に野球部のぶっちぎりのエースがいました。在学中の大半が故障中でたいした活躍はできなかったんですが、地元最大の総合大学(なんてまわりくどい云い方はしなくてもいいんでしょうが)に現役で入りました。そう云うやな奴もいるわけです。
ちなみにうちの高校の校訓は、「文武一道」と云う大仰な代物です。空気投げで有名な三船十段(OB)の言葉だそうです。
by pooh (2008-07-25 21:55) 

憂鬱亭

こんばんは。

なぜか画像認証で失敗してばかりいるので、
今回もうまく書き込めるか地震がないのですが、書いて見ます。

仰るとおり、野球部は基本的にどこの高校でも特別扱いです。
何しろ、それを束ねる「日本高校野球連盟」というのは、
日本でただ1つ、金の心配をしなくとも寄付が集まる「アマチュアスポーツ団体」ですから。
そこに巣食う老人たちのことを考えると、「アマチュア」といってよいのかどうか、疑問なのですがね。
(私は影で「高野連」のことを「日本高齢者のための野球連盟」と呼んでます)

 高校球児たちは今も甲子園目指して頑張っていますが、
以前とはかなり様相が違っています。

 学校を卒業する際、卒業後野球を続けることを期待される人は、ほんの一握りになってしまったのです。

 私立大学で活躍し大学名を有名にすることに貢献できそうな選手。
 学校卒業後、プロ野球への入団が可能な選手。

 上記2種類に該当しない高校球児は、たとえ甲子園に出場したとしても、
高校卒業後に野球を続けることは非常に困難になってしまいました。
 企業が野球チームを廃部したからです。

 より正確には、企業に融資する金融機関が、企業スポーツを廃止することを融資継続の条件にしたからです。

 いまや、生涯をかけて競技としての野球に打ち込む、ということを実行するには、選手生活を早めにあきらめて、少年野球の指導者になる方が近道になってしまいました。
 勿論、少年野球の指導者としての収入では、生活できませんが。

 ですから、近畿Y県の元甲子園球児で無職の青年が、刑事事件を起こしてスポーツ新聞の記事になる、などのことが頻繁に起きるのです。

 それはさておき。
私は「文武両道」という言葉が大嫌いです。
「文武」:というなら、本来は「学問と武術」でしょう?
「受験勉強とスポーツ」ではないと思うのです。

受験成績につながらない学問研究と、
人殺しのための武術。

そんなものを今の学校が
本気で求めているわけがないじゃありませんか。

by 憂鬱亭 (2008-07-27 01:03) 

pooh

> 憂鬱亭さん

いらっしゃいませ。
(エラーがでますか。なんでだろう)

いやまぁ、そう云う性格のものである高校野球ってのがなぜだか「青春」だの「教育」だのと云った言葉と一緒に語られる気味悪さってのは昔から感じてはいて、なんとなくこのエントリの背景にはそう云うぼく個人の感覚はあるんですけどね。

> 受験成績につながらない学問研究と、
> 人殺しのための武術。
>
> そんなものを今の学校が
> 本気で求めているわけがないじゃありませんか。

「武」は「人殺しのため」じゃなくて、まぁ「身体を鍛える」みたいな意味合いで捉えるとして。
旧い高校はそうでもないですよ。例えば今回はうちの高校のねたでしたが、多分1日8時間の授業のなかにはほぼ毎日、体育が1時間か2時間混ざってるんです。授業も(無視するわけにはいかないんでしょうが)受験勉強を指向したものじゃなくて。だから結果的に高校野球の県予選を「荒らす」結果になる年もあるわけです。高校教育がそこで完結したものを志向すべきだった時代のスタイルが残ってるんだと思うんですけどね(そのせいでいつまでも「進学校」になれずに「受験校」に留まっている、と云うのもありますが)。
by pooh (2008-07-27 05:54) 

憂鬱亭

poohさん ありがとうございます。
うまく書き込めなかったのは、わたしが画像認証の字を誤読していたからだとわかりました。

今度は大丈夫だと思います。

>「武」は「人殺しのため」じゃなくて、まぁ「身体を鍛える」みたいな意味合いで捉えるとして。

 少し不適切な表現だったかもしれませんが、私が武を「人殺しのため」と表現したのは、
1 本来「文武両道」というのは、実戦で戦う(殺しあう)人のための言葉だろう。
2 球技は「武」ではないだろう。
3 合唱や吹奏楽を含む文化部は位置づけがあいまいになるだろう。
 (私が働く福島県は、航行までなら合唱、吹奏楽王国ですから)

という意味合いの元、です。

>そのせいでいつまでも「進学校」になれずに「受験校」に留まっている、と云うのもありますが

あの学校でも「受験校」ですか。
では、それ以下の成績しか出せない学校が県内最高という福島県には、
やはり「受験校」さえ存在しない、といって良いですね。
(職場でこれを言うと大顰蹙なんですが)

 その「受験校」以下の学校の、そのまた下の成績の学校ですが、
ほぼ7月一杯は、ナゾの「全員強制課外」という受験勉強をやってます。
授業する方は、ハードワークで1日1キロやせるんですが。
by 憂鬱亭 (2008-07-27 07:28) 

pooh

> 憂鬱亭さん

「人殺しのため」の意味合い、了解しました。

> あの学校でも「受験校」ですか。

数字的な意味では、線引きの問題なんでしょうけど。年間10人以上東大に合格するかどうか、とか。

で、いまは知らないんですが、ぼくが通学していた頃の印象としては、非常に教師それぞれの個性が豊かで、言葉は悪いですけど好き勝手な授業をしていた、みたいな。にも関わらずその教師たちがふつうの授業で求めてくる水準が妙に高い、って云うのはありましたけど。
「進学校」と云うニュアンスは(通ったことはないですが)もっと学校側も教師もちゃんと受験を意識している学校にふさわしいんじゃないかなぁ、とか勝手に思ったりするんですね。うちの高校はもっとクラシックで、なんと云うかそれ自体で完結した高校教育を志向しているんじゃないか、とか思ったりします(これをもっと徹底している学校が、仙台にはもうひとつありますけどね)。
by pooh (2008-07-27 10:30) 

たこい

ううむ。帰省中だったので、たまたま実家にいて中継が観れたので、iBookでちょこちょこ仕事しながら延長15回の最後まで観てしまったけど、「失礼じゃないのか」という発想は思い到らなかったな。

母校に(当時の)校風(?)に対する印象はまあ、おおむねその通りかと思う。あの学校の中で「偏差値」という単語はあまり意識しなかったし、個性とか思想がはっきりした教師が多かった。校内活動も今にして思えば「なんでもあり」だったし(笑)。
とはいえ、模擬試験の回数とか休み期間中の宿題の量とかはそれなりに「進学校」レベルだったとは思うけど(笑)。
by たこい (2008-07-29 07:44) 

pooh

> たこいさん

自主性を重んじると云えば聞こえはいいけど、あからさまに「面倒なので放任」って感じだったよねぇ。放任ゆえの余裕を野球につぎ込む奴がそれなりの人数いたら、今回のような椿事もまぁなんか納得する、って感じ。
で、なんか勉強させなきゃとか思ったら宿題や試験で帳尻を合わせる、みたいな。そうやって考えてみるといい加減な学校運営だったような。
by pooh (2008-07-29 22:30) 

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