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悪いけど期待しないで [余談]

Interdisciplinaryの万能包丁と云うエントリ経由で、はてな匿名ダイアリーの「トンデモ」を批判する記事を書く皆さんにお願い。と云うエントリを読んだ。ぼくは「トンデモ」を批判したりはしていないので的外れかもしれないけど、もしこのエントリの想定している射程にここが入っているのだとしたら、タイトルの通り。「続きを読む」必要はありません。

ここは、専門知識のない一般人がニセ科学を見分け、そのどこがまずいのかを理解するにあたって、ぼく自身と云うあまりできのよくない非専門家が手持ちの常識で考えてみて、ケーススタディとしてその思考の過程を示す(あわよくばそこからさらなる問題点を見つけたり、できればなんらかの示唆に繋げる)と云うのが目的です。わかりやすく書けないとすればそれは扱う事柄がわかりやすくないからだし、明解でないとすればそれは一見明解に見える論理にあるミスティフィカシオン(あえて挙げませんが、それはこの匿名ダイアリーのなかにも見いだせます)を問題にしているからです。

ぼくはだいぶ以前、ニセ科学に関連することを書き始める前に、わかりやすさと王様たちと云うエントリを書いています。ぼくのニセ科学批判の問題意識は、そもそもこう云う部分から生じています。自分の文章ですが、引用しましょう。
「わかりやすく」する作業は、(それが他のプロセスとは切り離された作業である、という意味で)一種のぺてんだ。後ろにある各プロセスの複雑さを、覆い隠すものだから。
「わかりやすさ」の背後に、ほんとうに価値のあるものが存在するかどうかを見抜くためには、成果物を受け取る側が「わかり辛い」領域に踏み込んでいく必要がある。

いまの世の中は、その「わかり辛さ」を罪悪として断罪する王様だらけだ。
そう云う訳で、
ですから、可能であれば、批判や誤りの指摘に加えて、安心感を与えるようなプラスαがあるだけでも、随分印象が変わります。
こう云うものが欲しいのなら、ほかをあたってください。ここにはありません。目的が違いますので。
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TAKA

poohさんが言及されました、「はてな匿名ダイアリー」に掲げられたその文章の意味するところ、この私はこう受け止めました。

結論:他人に、ただ単に要望するだけならば、いまだ成長していないこの私でも可能。

>ここがおかしい

はてな匿名ダイアリーより、引用した。

解説:私の経験上、「これって如何ですの?」と問いかければ、「そういう貴方は如何でしたの?」と返されて終了した。

はっきりと言う:
「おおっと言及先のメッセージは、まさにカブスの福留選手の応援ボード状態だ」
「何かが起こるぞ」
『この現在おいては、夕刻の憂国の幽谷に雌伏し、その将来においては、批判の仕方の傾国の鶏肋の警告と相成り、その後鳥取はあの大山が共鳴してこのカエル一匹と出た』
「偶然であります」

リスト化する:「再構築。または解雇の意味」

箇条書きでまとめる:
「昨今の批判方法はナゼか、すっきりしない後味ですわね~(- -;ウーム」
「てゆうか、私の知ってるビリーバーさんには、まるで効果なしorz」
「そこで、もっと良い批判の仕方を、私は考えてみますた(^^」
(…推敲を、遂行中)
「よし、こういう感じの批判方法ならば、その効果も抜群ぴょん」(語尾の参考:某カエル)
「スグには止めず、その効果が出るまでは、この方法をいつまでも続けるのディース」(語尾の参考:ブラボー内村)
「いや、もちろん何らかの結論は出ますが、何か?」(語尾の参考:おぎやはぎ)
「私自身はその成果の程を確認してから、今後の活動に生かしますグー!(^-^)」(語尾の参考:エドはるみ)

追記:以下は、今からこの批判活動を試される方への、私から送るダイニングメッセージです。
ROM「ところでそう言う貴方は、今まで一体どんな方法で批判を展開して来たのか、是非教えてください。ナゼか他人に頼っている印象ばかりが、後に残るのです。」
私氏「禁則事項です(^-^」
______________

ニセ科学批判の分かりにくさや、そのすっきりしない説明の仕方に不満を感じる人の気持ちは、この私には理解できます。と言うのも、いまだ非合理思考の真っ只中で、この世界を暗中模索状態で学んでいるためです。その道の専門家にはもっと分かりやすく、こんな感じで断言して欲しいものですね。
某火の玉教授なの「これは科学的に言うと、マチガっている。あれもマチガっている。ついでにそれもマツガイ」
その不安なファン「てゆうかぶっちゃけ全部、まったくのデタラメって断言してもらわないと、困る訳よ!このワタクシが!」
______________

はてな匿名ダイアリーより
>「素っ気無い」=「優しくない」=「易しくない」=「つまんない」

私氏「共鳴した!私もそう思う時が偶然あるのでこの式には、共鳴した!」
読者「意味不明な冗談を言う貴方が共鳴しても意味無いですよ」
私氏「分かりました!」

こう成りましたぴょん。
by TAKA (2008-04-25 10:27) 

pooh

> TAKAさん

TAKAさんにはお分かりいただけると思うんですけど、ぼくほど「人間の非合理な思考」を大事に思ってる人間もいないと思うんですけどねぇ。
非合理な思考を非合理なままで受け入れてしまうのって、なんかひどく大事なものをないがしろにしているような気になるんですよ。
by pooh (2008-04-25 23:02) 

mohariza

私も最初、私のブログから引用された文へのPoohさん方の批評記事を読んでも、その意味すること、何を言わんとするかが分りませんでした。

その後、各氏のブログへ赴き、その記事を読み、「水伝」、「ニセ科学」等を批判する立場の人たちの論拠:「何故、批判せざるを得ないか」が、理解できるようになり、投稿記事を途中から読んでも、意味することが、全部とは行きませんが、自分なりに理解出来るようにはなりました。

はてな匿名ダイアリーの<「トンデモ」を批判する記事を書く皆さんにお願い。>氏の言わんとすることは、最初の頃の私には、分かるような気がします。
<「素っ気無い」=「優しくない」=「易しくない」=「つまんない」>
ここに投稿されている記事は、その通りのような気がします。

しかし、Poohさんの<非合理な思考を非合理なままで受け入れてしまうのって、なんかひどく大事なものをないがしろにしているような気になる。
>との心情(意思)を、一々、素人受けの文で書こうとすると、却って、理解が難しい(意思から外れる)と思います。
ここは<こう云うものが欲しいのなら、ほかをあたってください。ここにはありません。目的が違いますので。 >のブログの場なのでしょう。
このブログに入るには、投稿された記事を最後まで理解しようとする根気が必要となるようです。
こう云うブログがあるから、世の中のあやふやな部分をチェック出来ように思えます。
各人の論理(投稿文)にとことん付き合うには、疲れはしますが…。
by mohariza (2008-04-26 18:58) 

pooh

> moharizaさん

お分かりいただけると思うのですが、複数のひとの真摯な思考のうえに議論が成り立っているので、すっとばすと誤解(文字通りの「誤った理解」)につながりかねない部分がけっこうあって。

それでも、ぼくを含めそれぞれの論者は等しく「できるだけ分かりやすく」を念頭においていると思います。ぼくの場合は、自分の技倆の及ぶ範囲で、と云うことになりますが。
by pooh (2008-04-27 10:27) 

黒猫亭

これって多分、プロセスが逆に書かれているからわかりにくいだけで、ニセ科学批判内部における一種の優先順位問題だったりリソース配分の問題だったりしませんかね。
by 黒猫亭 (2008-04-27 11:21) 

pooh

> 黒猫亭さん

まぁ、云ってしまえばそうなんだろうとは思うんですけど。
目的が手段なり方法を規定するわけで、さて目的は、って話です。
by pooh (2008-04-28 00:14) 

黒猫亭

>poohさん

>>目的が手段なり方法を規定するわけで、さて目的は、って話です。

一般論としてはそうですね。で、poohさんはわかった上でそう仰っていると思うのですが、優先順位問題とかリソース配分の問題というのは、たとえばニセ科学問題のような裾野の広大な問題性に対しては各人が自身の持ち合わせるリソースを持ち寄って自身に可能なことをやるしかないわけで、「他に優先してやるべきことがあるだろう」という話をしても意味がない、そういうことですよね。

それで、それはつまり「手段が目的を規定する」という論理でもあるわけで、「自身に可能なこと」という「手段」がまずあって、それによって対処可能な「目的」が規定されるという、割合転倒したプロセスになりますよね。

たとえば本職の科学者の方なら、ニセ科学の科学的誤謬を指摘することをメインリーな「手段」として、そこからその手段によって実現可能な「目的」を規定していく、オレやpoohさん、TAKESAN さんのような自然科学の専門家ではない論者は、ネット言説の流通過程においてメタ的な観点や人文的な観点でアプローチするという「手段」を持っているから、そこから実現可能な「目的」は何かという話になる。

各人の持ち合わせているリソースや手段の在り方の多様性があって、ニセ科学問題という広大なフィールドを部分に切り分けていく(所謂「問題の切り分け」)という手続を経て、手持ちの手段によって実現を目指す目的とするのに切り分けられたどの領域が好適かというふうに考える。そこがむしろ、ニセ科学批判の論壇が持つ現実的な実効性を担保している部分でもありますね。割合重層的且つスクリーニング的に各領域に一定の手当が為されているという言い方が出来ると思います。

で、こうした戦略や方法論というのは、やはりニセ科学批判の言説の積み重ねを識らない外部の読み手にはわかりにくい部分がある。まず広大な裾野を持つ問題だという認識が共有されていないわけで、その辺が不分明な儘に受け取られているという弊がある。当然問題性が切り分けられているという認識もないわけだし、各論者が手持ちの手段と切り分けられた問題性のマッチングを図って分担している活動だという認識もない。

一見して「ニセ科学」というのは「科学のニセモノ」という未分割の一体の問題だというふうに見えるわけですから、読み手それぞれによって認識されている問題性の領域が違うわけで、リンク先の増田さんのように割と包括的に問題性を捉えていても、それ全部に手当が可能な手段はないかという、つまりTAKESAN さんの仰る「万能包丁」みたいな話になるわけですね。まあ、これはこれで仕方のないところではあります。

この増田さんが不見識だというより、まずニセ科学批判の言説もそのレベルの認識から出発しているはずなのであって、万能包丁みたいな感覚で「ニセ科学」という包括的な対象に手当が可能だと思ったら、意外と裾野が広くて、肉を切る、野菜を刻む、魚を捌く、刺身を引く、それぞれ包丁を替えていかないと肌理細かに対処出来ないね、という認識になった、まあそういう試行錯誤や考察の積み重ねがあったんだろうと思うんですね。

なので、たとえばネットの言説にメタ議論という以上の手段としての特性や効果を期待されても、それはやはりないものねだりでしかないだろうということなんですが、非常に現実的なことを言うなら、言及先の言説のような「とくにニセ科学批判に興味があるわけではなく、趣味の清談としていろんなことを論じたいだけ」的な軽い動機(だと思うんですよね)の言説をどう扱うのか、ということになるんでしょうかね。

オレとしては、この方が仰っているような「届く」言説というのは、対面的なコミュニケーションによる説得か、逆にマスコミを利用した世論誘導的な戦略しかないと思うのですが、前者はとにかく現実において一対一で実行していくべき問題ですし、後者は戦略としての方便という割り切りが必要になる。一定程度「わかりやすく」噛み砕くことで何処かに嘘が混じってくるわけで、それぞれに一長一短がある。それはネット言説でも同じことなのであって、ネットでやっている活動に全部を求めても仕方がない。

まあ、結論としては、やっぱり万能包丁とか萬金丹みたいな万能薬があるわけではないというありふれたものになるわけですし(笑)、言及先のような素朴が論が現れたときには、対抗言説を用意するとか一通り説明するという以外の対処もないでしょうね。それ以上のことをする必要もないでしょうし。
by 黒猫亭 (2008-04-28 02:48) 

pooh

> 黒猫亭さん

あぁ、そうか。
そうですね。おっしゃるとおりです。

それでもまず、増田さんのおっしゃるような部分をガードすることも考えていかなきゃなぁ、みたいな部分がぼくのなかにもあって、そう云うわけでいつものごとくなにかちゃんと書かなきゃ進めない、と云うような部分もまたあって、みたいな感じではあるわけです。で、こう云うエントリにもつながっていく。考えてみるとこれはあくまで自分語りのエントリではあるので、おっしゃる角度のほうが正当ですね。

全体としてなにか統一した運動のようなものがあるわけではないんですが、網羅的ではないにしても相補的にそれぞれの論者が動いている部分はまぁ、あって。そこをある程度超えるものとしては、やっぱりサイドバーからリンクしているようなまとめの作業をされている方もいらっしゃる、と云うことでしょうか。
by pooh (2008-04-28 07:42) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

 前に書いた「リアリティの喪失」という事からなかなか頭が離れなくて考え続けています。

 「原始の村の弓矢の工夫と狩りの祈り」なんてたとえ話をこさえたことがありましたよね。「工夫の時間があったら祈れ」という者もいただろうし、「工夫は工夫としてしっかりやってから祈ろう」という者もいただろうけど、たぶんどちらも「今蓄えている食い物が無くなったら皆飢えてしまう」というリアリティは持って、その上で「祈れ」「いや工夫だ」と議論したんじゃないかと思うんです。飢える将来と無関係に「議論を楽しもう」として「祈りだ」「工夫だ」と議論したんじゃないと思うんですね。

 なんていうか、きくちさんが「水伝が道徳の授業で使われる」という事に対して批判を始めたときに、原始の村で「工夫してから祈ろうよ」と言い出した奴と同じリアリティはあったし、今もあると思うんです。「こんな話で子供に道徳教育なんかして、明日の社会は大丈夫だろうか」というリアリティです。apjさんが水に関するニセ科学宣伝を批判するのも、私がマイナスイオン批判したのも同じようなリアリティはあると思います。「そんな怪しげな宣伝で製品を販売して明日は大丈夫なのか」みたいなリアリティですね。

 批判の仕方批判をする人に問うて見たい気がするんですね。「あなたにそういうリアリティのある不安はありますか?」ってね。

by 技術開発者 (2008-04-28 17:26) 

pooh

> 技術開発者さん

おっしゃるようなリアリティは、多分ぼくも感じています。まぁだいぶ趣は違うでしょうし、そう云う意味では「共有」はしていないと思いますが。

このリアリティ、自分では分かっているし説明もできるんですが、多くの部分をぼくはここでは仙台ローカルのエントリに仮託して語っています。
by pooh (2008-04-28 22:41) 

黒猫亭

>poohさん

>>それでもまず、増田さんのおっしゃるような部分をガードすることも考えていかなきゃなぁ、みたいな部分がぼくのなかにもあって

ということで、少し考えてみたのですが、たしかに仰るような問題もありますね。

というのは、前回語った優先順位問題やリソース配分の部分というのは、実効性を考えると、やはり現実のニーズとどの程度合致しているかという観点が必須なわけです。殊にネットの言論は飽くまでボランティア(奉仕活動という意味ではなくて自発的情報発信という意味で)ですから、ビジネスとは違って経済原理に左右されないというメリットはありますが、どうしても手持ちのシーズを出発点にしたものになります。

そこは前回も「転倒したプロセス」と表現した通りですが、やはり実効的な情報発信ということを考えると、現実のニーズを把握した上で適性にマッチングを図っていく必要はあるのかな、と思います。十分に手当が為されている領域にばかりマンパワーが集積して、もっと手当が必要な領域が手薄になるという事態も考えられる、というか、どうしてもそうならざるを得ない原理的に不可避な部分はあるわけですね。

だからその辺を割り切って、自分のやりたいこと、やれることをやればいいというのも一つの理屈ですが、シーズとニーズを完全に摺り合わせることが原理的に不可能だからと言ってニーズを無視していいというものでもない。こういう形で具体的なニーズが拾えるのであれば、それが手持ちのシーズとどの程度摺り合わせ可能なのかを考えていくことが必要である。そういうことも考えられますね。
by 黒猫亭 (2008-04-29 04:04) 

pooh

> 黒猫亭さん

> シーズとニーズを完全に摺り合わせることが原理的に不可能だからと言ってニーズを無視していいというものでもない。

これはまぁ、そうなんですよ。
ただ、その部分を補うものとしてここの右サイドバーからリンクされているようなwikiやまとめを作成してくださる方もいる、ということでもあるわけではあります。

個々人はもうそれぞれの動機で動いているわけで、そこから離れた「運動」に従事しているわけではない。これは一面、議論が実効性を保持していられる根っ子の部分でもあったりするわけです。それでも、なんとなく各人はポジションを意識しながら言説を行う部分はあるわけで、なのでいくらかは「そのひとのシーズに適した議論」を行うことになる。典型的にはわりあいぼくとTAKESANさんが相補的に発言することが多いと思いますけど、ここになにか申し合わせがあるわけではなくて。

この話を展開させると、増田さんには「用途に適した論者を使い分けてください」みたいな話になるのかもしれません。
by pooh (2008-04-29 09:01) 

TAKA

poohさん
>ぼくほど「人間の非合理な思考」を大事に思ってる人間もいないと思う

了解なのです。そのおかげでこの私の愚言も無事、この場所にこうして具現しております。もっとも、その将来はどうなるかブログ主さんのみぞ知るところ、では有りますね。ここは気を引き締めて、しばらくの間は無駄口を控えることに致します。(もうバレバレですな、この流れ)

moharizaさん
>各人の論理(投稿文)にとことん付き合うには、疲れはしますが…

私の場合、以下のような姿勢で初見のブログに、挑んでいる次第であります。
「どうやらあそこのブログ主さんは、大抵正論を説いておられるご様子ですわね~(- -」
「そうですわねぇ(^^」
「コメント欄にも、なかなかの論客が居られる様ですわね~」
「そうですわねぇ(^^」

「端にも掛からない、放言ばかりの人も、チラホラ見えますわね~」
「そうですわねぇ(^^」
「しかしながら、手ごわい論客でも時には、『おっとこれは…?』と成る意見も、御座いますですわね~」
「そうですわねぇ(^^」

「ある程度コメントの読み方にも濃淡を付けないと、自身の貴重な時間を損なうのかも、知れませんわね~」
「そうですわねぇ(^^」

「貴方のその返事こそ時間の無駄の、良い見本ですことよ(- -」
「そうですわねぇ(^^」
「…とことん話をしようか(- -」
「…分かりました!」
「まさに、『典型的なステロタイプの井戸端会議』状態だ」

ようやく要約です。
いまだ非合理思考の抜けない勉強中のこの私は、基本的には自身の糧と成りそうな意見を重視して、読んでおります。ただ貴重な示唆の取りこぼしが有るかも知れないので、時間が空いた時はまた、その周辺の意見も含めて、読み返しております。そして結局は、ほとんど全部読む羽目と、相成りますorz。
いやそれもまた、勉強に成るので楽しいのですが(^^。
_______

>シーズとニーズ

成るほど。新品の鍋の、錆び防止のワックスを落としたり、油を鍋に馴染ませたりする、あの作業の事ですね(^^。

…。「絶望した!辞書で調べたら全く違う意味だったので、絶望した!」
急に南フランスへ行きたくなりました。光注ぐプロヴァンスの、あの青空の下に。
by TAKA (2008-04-29 17:56) 

pooh

> TAKAさん

「論客」と云う言葉を、ぼくは最近使わないようにしています。どうやらそこになにかしらの権威主義的なにおいを嗅ぎ取って、その部分に反発を感じる向きがあるようなので(よく理解できないのですが)。そんな意味合いを込めているひとはいない気もするんですが、そう読み取ることが可能なのだったら避けるべきかな、とか思って「論者」と云う用語にシフトしています。

議論からどんな示唆が得られるかは多分ひとそれぞれですし、ある論者の主張から、論者自身も意図していないような示唆を読み取れる場合もあると思います。必要なところは熟読するにしても、あとはなにかしらひっかかりのある部分を「森を見る」感覚で探すのがいいんじゃないでしょうか。
by pooh (2008-04-30 07:48) 

TAKA

>論者
ラジャ!(・_・)>サッ

>権威主義の香りかも
なるほどです。世の中には鋭敏な御方もおられる訳ですね。それならばワタクシは今後、「労して論するコメンテーターの皆さん」、略して「ロメオロメン」、とでも言い換えておきます(^^。

>論者自身も意図していないような示唆
この辺がすぐに読み取れればこの私も、違いが分かる「おとなニンゲン」に成れそうですね。
ちなみにプロの林業家は、「おお、あそこの山は良い木がまとまって成長しとる。」と遠目で計っていました。傍らの私など、「ああ土地境いに、松タケが生えそうな松が生えとる(^-^」と、思うだけでした。
やはり色んな人の意見を参考にして、観察眼を養う努力を惜しまないことが、成長する早道ですね。私も今後、感覚質をより一層、助長して参ります(^^。

…レミオロメンでしたかorz。
by TAKA (2008-05-01 20:53) 

pooh

> TAKAさん

意図してない、と云っても、それは無理矢理に言外の意味をこじつける、と云うわけではなく。ぼくもどなたかの解読によって「あ、おいらの云いたかったことはこう云うことだったんだ」みたいなことに気付くこともあるので。コメンテーターのみなさんはありがたい。

> …レミオロメンでしたかorz。

ちなみにバンド名に特に意味はないそうです(由来はあるらしいですけど)。
by pooh (2008-05-01 21:24) 

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