繰り返し [世間]
昨日取り上げた芹沢さんのブログの覚えておきたい、ニセ科学リストと云うエントリがなんかけっこう大反響になっていて、これについてfinalventさんがはてなの日記のほうでなんというかおよび曇天と云うエントリをあげている(どうでもいいけど弁当翁の日記ってpermalinkないんですね。なんか分かるけど)。
この手の低レベル偽科学というのは別にリストにするまでもないがというか、リストで覚えるのではなく、普通の科学知識をきちんと覚えるほうがいいと思う。
例の偽科学リストがぶくまで膨れていて、まいった。あのリストを信じること(教条信奉)と偽科学の信者とそれほど変わらない。
こう云う辺りのことを芹沢さんが分かっていないようなことはもちろんないはずだと思うのだけれど、確かにネット各所の反応を見ると微妙かな、とか思う。でも微妙は微妙なりに、なんと云うかこう云うリストをつくることはそれはそれでとばぐちとして意義のないことでもないはずだし(亀@渋研Xさんの私家版「ニセ科学の基本用語・簡易版」β1 と併読するとなおおっけー)。
でも、この議論は、1年近く前の菊池=小飼論争をなんとなく思い出す(当時その辺りに触れたエントリはこちら。でもって話がずれにずれたあげく結局こう云う話になった。あんときもきくちさんに「変な議論に巻き込むな」って怒られたっけ)。
ずばり云ってほしいひと、と云うのはいて。で、ずばり云ってくれると安心するわけで。だから「正しいことをずばり云ってくれ」みたいな展開になると、実はそこで問題の本質は完全にすり替わる。もちろん芹沢さんはそんな議論は百も承知であえてリストアップみたいなエントリを書かれたのだと思うけれど、結局やっぱり「どうするのがもっとも有効な手だてなのか」と云うことについては、まだまだずっと、それこそ思考停止に陥らないように繰り返し模索していくしかないんだろうなぁ。
タグ:ニセ科学
あ、TAKESANさんも同様の話題を取り上げてらっしゃる。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_4fa0.html
すごくひさしぶりにInterdisciplinaryとかぶった気がする。
by pooh (2007-12-01 08:43)
今日は。
finalventさんは、「ニセ科学」に関しての議論はあまり押さえていらっしゃらないのではないかな、というのは、以前から持っていた印象ですね。科学哲学等の議論には明るいようには、見受けられますけれども。
>1年近く前の菊池=小飼論争をなんとなく思い出す
私もまさに、それを思っていました。あの時は、小飼さんが、専門家がリスト的なものを作ってはどうか、という提案をなさって、それが批判されていた、という感じでもありましたね。今回芹沢さんを批判している人は、それと同じ様な理由からかな、と。そういう意味で、批判には、尤もな所もあるのですよね。
ただ、芹沢さんのエントリーの場合、個人のブログであるという事と、批判に対して開いているという事で、ちょっと異なった見方をするべきかな、と感じました。
余談ですが。
きくちさんと小飼さんのやり取り(議論、と言えるかは微妙でしたねえ)の際、こちらにきくちさんが、本音を書いていらっしゃいましたよね。私はその当時、こちらではROM(HBROM?)でしたが、あのやり取りに関してのきくちさんのお考えが読めるという事で、ひそかに楽しみにしていたものです(笑)
by TAKESAN (2007-12-01 13:04)
> TAKESANさん
じつはあの論争も、弾さんがあんな妙な議論の仕方をしなければ、話のテーマそのものは示唆となるものをいくつも含んでいたと思うんですよ。芹沢さんのリスト作成の動機も、それに対する弁当翁の感慨もどちらももっともで意義のあるものなので、だから今度は「受け止める側」に立つとこのことはどんな意味を持つのか、をしっかり、ゆっくりと考えていかなきゃなぁ、みたいに思います。
by pooh (2007-12-01 13:16)
こんにちは、poohさん。
ご紹介のブログのコメント欄をみていて、私が「推定不在原則」と言っているような事をもっときちんと考えて見る必要がある気がしました。
推定不在原則というのは推定無罪原則をもじった言葉です。推定無罪原則というのは「罪を犯したときちんと決められるまでは罪人扱いしてはならない」なんてことでして、今にしてみると皆さん当たり前のように感じられるかもしれませんが、この法学の概念が成立するまではずいぶん長い試行錯誤の歴史があるわけです。そして、その根底には「罪人だと思われたら、まず罪人扱いされて、その後で本当かどうか決める社会に自分は住みたくない」という「我が身にふりかかったら」という想像力があり、そして、「自分がやられて嫌なこと、困ったことは人にしない」という倫理観があります。
実のところ、推定不在原則という「確かに存在すると決められるまでは、基本的に無いものとして扱う」という考え方も、長い人間の歴史が生んできた考え方です。そして、その根底には「与太話で振り回されるのは嫌だ」という「自分が振り回される」という想像力があり、そして、「確かで無いことは確かなように言うのは良くない」という倫理観があります。
想像力が貧困化するときに、倫理もまた貧困化し、そして、貧困化した倫理は「自分は公正であるから、なにごとも偏らないよ」という偽りの自己満足的な正義感を生み出すわけです。そういう正義感の元では歴史的教訓から生まれた推定無罪原則すら「偏り」と見えてしまうおそれがあるわけです。
by 技術開発者 (2007-12-04 00:12)
> 技術開発者さん
この話、なんで簡単に決着できないんだろう、とか漠然と考えていたりするんですが(簡単に決着すべき、と思っているわけではもちろんないんですが)。
結局のところ、複数のレベルの議論が、レイヤーを意識しないまま混在してるんだと思うんです(どんな議論も表面に現れる部分だけ見ればそうだ、とも云えるんですが)。倫理、と云う用語が適切かどうかは分かりませんが(原理原則、と云った意味です)、学問上の倫理と社会通念としての倫理、と云ったものが矛盾するかたちでぶつかっている、と云うふうに見えてしまう。
実際もうひとつ根源的な部分に立ち返って考えれば、お書きのようなことになると思うんです。同じ原則から発しているので、そこから合理的な結論につなぐことは可能なはず(ただしそれは簡単に、安直にできるということではないでしょうけど)。ただ、目に見える部分は結果的に各論で。
じゃあどう考えていくのが合理的(pooh臭く云えば経済的)なのか、と云うことについて、ぼくたち非専門化ができることは、各論レベルの議論を積み重ねることでゆっくりとでも(時には立ち戻りながらでも)繰り返しその辺りが実生活と重なる部分についての思考を深めていくことなのかな、なんて思います。
by pooh (2007-12-04 07:50)
こんにちは。
このエントリ色々気になるところはあるのですけれど、
結局考えがまとまらず自分のところでは取り上げるの留保状態です。
ところで、菊池=小飼論争で焦点になってたのは、「ここまでは信じてもいいリスト」の作成についてでしたよね。
一方、芹沢さんの作ってるものは「これらは文句無くスルー推奨リスト」あるいは「見かけたら警戒するべきものリスト」のようなもので、確かに両方ニセ科学に関するリストなんだけれど、その性質とか期待、予想される機能なんかは結構違ってくるんじゃないかな、と思うのですがいかがでしょう。
finalventさんの意見はなんというか、個人のレベルの話しかしていないような気がしています。
by dlit (2007-12-04 10:22)
> dlitさん
おっしゃることは分かります。
えぇとですねぇ。先刻ご承知だとは思うんですが、やはり「ニセ科学かどうかをコモンセンスで判断できる」ことが理想なんですよ、もちろん。で、それには自分で考えるのが前提で、その点でfinalventさんのおっしゃることはごもっともではあるわけです。
で、そのことを例えば芹沢さんがお分かりでないかと云うと、もちろんそんなこともないんだと思うんですね。でも、何がニセ科学なのか、を見分けるためには、それを見分けるための視線の角度と云うか、なんかそんなものが必要なわけです。偉そうにこんなエントリを書いていても、例えばぼくだってそう云う部分については怪しかったりするわけで。
で、手がかりとしては、芹沢さんのリストには意義があると思っているです(この辺り、弾さんがきくちさんに提案した「科学者のお墨付きリスト」とは性格が違うとは思ってます)。
by pooh (2007-12-04 22:16)
poohさん
すいません、説明が不十分でした。
finalventさんのおっしゃっていることが、個人の能力を考えた時の理想ということでは異論は無いのですよね。
ただ、できるだけ多くの人がその認識、レベルまで到達するまでの貢献として何ができるか、という点では色々な試みがありうると思うのですよ。
芹沢さんの試みはpoohさんのおっしゃっている通り、手がかりとして意義があると思っているので、finalventさんのような影響力のある書き手によって芹沢さんの試み自体が変に否定されるのは何か違うよなあ、と思ったのでした。
「あのリストを読んだ人への注意喚起」としてはfinalventさんの指摘も意義があると思いますけど。
リストの使い方に関しての注意書きもさらに追加されたことですし、「試みの一つ」としてはアリなんじゃないかなあ、と個人的には感じているのです。
by dlit (2007-12-05 18:16)
> dlitさん
あぁ、確かに。finalventさんのお持ちの影響力がどう作用するか、と云うのはありますねぇ。
ただ、finalventさんのエントリは芹沢さんに対する批判ではなく、むしろやっぱり受け止める側に対する警鐘のように思います。で、確かに実際のネットの反応を見てみると、その危惧は的外れ、と云うわけでもなかったりするんですよね。
もちろん芹沢さんを含め、継続的にニセ科学批判を行っているひとたちはそれほどナイーブだったりはしないので、リスクを認識・計算した上で、あえて、と云う部分があるわけです。この辺り、TAKESANさんのおっしゃるように、「議論の展開をあまり押さえてらっしゃらない」と云う部分もあるのかも、です。
by pooh (2007-12-05 23:00)
確かに、ネットの反応は気になるところがありますねえ…
あれだけの反響があったこと自体もびっくりでしたが。
実は、疑似科学について語る某所で芹沢さんがこのリストを作るを作ろうか、と提言されてから作成した後のやりとりまでも見ていたのですが、そこでは特に作ること自体を問題視する意見は出なかったのですよね。
普段は歯に衣着せぬ議論が飛び交う場なので、その時はその反応が不思議に感じたのですが、今から思えばそこではかなり議論済みだったのかもしれません。
by dlit (2007-12-07 14:16)
> dlitさん
ネット上の反応については、なんか逆説的に「ずばり云う」ことの力を再確認させられた気もして、ちょっと複雑な気分です。
実際のところはぼくは科学者でもないですし、「科学を守る」とか云うよりは「ひとの智恵を大事にする」と云う部分でニセ科学に対して否定的な言説を行っています。なので、むしろ(いつも云うように)ニセ科学の背景にある「わかりやすさ志向」や「紋切型思考」のほうを強く批判しています。なので立ち位置はむしろfinalventさんに近いかもしれない。
とは云え芹沢さんの試みの意義は理解していますし、それほどナイーブなスタンスでリストをつくられたのではないとももちろん思っています。
by pooh (2007-12-07 23:17)