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モーツァルトと高周波(2) [よしなしごと]

なんだかどうしても気になるので、こちらの続きと云うわけではないのだけれどまた触れてみる。
「モーツァルトの音楽には高周波が含まれていて、それが効果を生み出すのだ」と云う話について。クラシックには疎いのだけれど、音楽ヲタとしてはなんか見過ごせないのだ。

こう云う言説は結構たくさんあって、でもってそれらの言説で云われているのは、「3,500Hz前後の音域がモーツァルトの音楽にはたっぷり含まれていて、それが人間を癒したりバナナをおいしくしたり日本酒をまろやかにしたりする」と云う言い回し(正確ではないです。と云うか、正確な著述をしている言説なんて見つからないのだけれど)。kikulogでこなみさんの指摘があったと記憶しているんだけれど、この周波数はピッコロの最高音に近い辺りで、そう云う意味ではどんな曲を書いても、オーケストラ曲ではこの周波数が(基音としては)たっぷり含まれている、と云う作曲は不可能だと思う。まぁ倍音はあるだろうけど、それは特定の曲やそこに用いられている技法でコントロールできるものではないだろう。

だいたいこの「高周波」と云う云い方が胡散臭い。発想のベースには大橋力氏の「ハイパーソニック・エフェクト」研究があるのかもしれないけれど、大橋氏の云う高周波音(ハイパーソニック)は16kHz以上の音であって、これはぼくたちが日常的に使う言葉で云えば「超音波」に近い。可聴域を超える高音なのだ。

そもそもそうなると、3,500Hzの音は高音ではあるけれど、大橋氏の定義する高周波音ではない。まぁモーツァルト信仰は別に大橋氏の研究に基づいているわけではないと云うのなら(基本のアイディアはそこから来ているように思えて仕方ないけれど)構わないと云えば構わないのだけれど、その音域を高周波と呼ぶのはなんとなく不当な気がする。じゃあ、この3500Hzってのはどこから来たんだろう、と思ったら、電気通信の分野では3500Hzは高周波と呼ぶらしい。音声ではなくて。

なるほど、ここでニセ科学を支配する2大呪術原理のひとつ「類似の呪術」が発動している。
と云うかなんでまたこう分かりやすいかなぁ。もちろんその分かりやすさが重要な要素なんだろう、と云うのは分かるのだけれど。

でもまたなんでモーツァルトなのか。
いや、クラシックが理解できる、と云うのを気取る気持ちは分かる。ぼくらの世代ではまずなにより名前が挙がるのがサティで、あとはドビュッシーとか、ラヴェルとか、その辺りを聴いているのがかっこいい、と云う空気があったりした。ぼくのクラシックの好みも、その辺りの、まぁなんと云うか世代にまつわる時代の気分みたいなものを引きずっている部分は大きい。
でも、これらの作曲家の曲が、そう云う時代のポピュラー音楽とけっこう密接な関連を持っていたのも事実で。ふつうに音楽ヲタをやっていれば、ある程度不可避だったりした部分もあると思うのだ(だいたいここいらの作曲家の音楽をクラシックと呼ぶのか、と云う辺りから議論は微妙だったりもする)。でも、いまの時代にモーツァルトがそう云う、なんと云うか、同時代的な意味を持つようにはあまり思えない。

モーツァルト愛好家、と云うものに対するぼくの印象は、以前こちらに書いたとおりなのだけれど。


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コメント 18

亀@渋研X

こんばんは。メインマシンがご臨終になったらまたハンドルが復活です(汗

モーツァルトの曲だっていろいろありますので、彼の書いた曲ならどれでもいいんかい、というのも基本のつっこみどころですよね、きっと。もちろん含まれる周波数帯域も曲によりけりでしょうし(形式による部分も多いでしょう。室内楽だとピッコロなんてそんなに出て来ないだろうし。そういえば3500Hzっていうとピアノもその辺を含むらしいです。30〜4000Hzだそうなんです。が、モーツァルトの時代のクラフィーアからピアノ・エ・フォルテだとそこまでの高域ってどうなのとかいう古楽器の問題もありそうです)。
あと、モーツァルトを妙に持ち上げる人にも陰謀論と同様に川上と川下がいますよね。おおまかにはどの曲を採り上げて言及するかでどっちなのかわかるような気もします。もちろん「とっつきやすい、甘めの曲想の作品しか流してないんじゃないの?」という偏見ですが(^^;;
そんなこんなで、モーツァルトを流したら「労働効率が」とか「植物が」「乳牛が」「酒が」と言っている人たちが、どの曲を流したのかにはちょっと関心があります。

もひとつ。レコード(って今は言わないですね。なんだろ。音源?)の売り上げを左右するキャンペーンとしてよく利用されるものに生誕何周年とか没後何周年ってのがありますよね。
モーツァルトの場合、1791年が没年とされているので1991年に記念すべき没後200年があって、音源も書籍もたっぷりとリリースされ、コンサートも大盛況でした。さながらモーツァルト・ブーム。昨2006年は生誕250年(生年は1756年)でしたけど、そんなにたいした盛り上がりではなかったことを考えると、下二桁がゼロの威力を思い知らされます。
植物の生育がという話は91年よりもっと古かったと思うのですが、ほかの話は91年よりも後のような気がするんですよ。というわけでもともとのポピュラリティもさることながら、この91年の再ブームっていうのもかなり影響があったんじゃないかなあ。
もっとも気がするだけで、なんにも調べてないのですが(汗
by 亀@渋研X (2007-09-27 01:43) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

ピアノは含むでしょうね。でもそんな左端の鍵盤ばっかりでちまちまきんきん弾いている曲ってのも聴いたことないし、聴いていてもあんまり楽しいとは思えないなぁ。調べたわけではないんですがピアノって倍音の少ない音色だと思うので、副次的な効果も見込みづらいだろうし。

ちょっとだけ探したんですが3,500Hzの根拠ってのは見つけられなくて。そう云う議論をするんだったら音声周波数のスペクトログラフを作って他の作曲家の曲や他のジャンルの音楽と比較してみるとかすぐに思いつく気がするんですけど、とりあえず知り合いの物知りのGoogleさんに訊いたところではそんなものは見つからなかったです(ちなみに大橋さんはガムランのハイパーソニック・エフェクトの説明のために多数のスペクトログラフを公開しています。ガムランCDのリーフレットにも記載していたりする)。

なんかですねぇ、「モーツァルトのこの曲が効果が高い」と云う議論も、ひとつも見かけないんですよね。と云うか、モーツァルト天才論者は曲の区別もついてないんじゃないか、と思わせる部分もあって(ぼくもモーツァルトの曲はあんまり把握していないし区別もつかないんですが、例えばそのレベルで彼の天才について論じることができるとはさすがに思わない)。なにかとモーツァルトが引き合いに出されるのは、おっしゃるようなブーム(これはぼくも覚えてます)のせいでその名前が人口に膾炙し、その際に「モーツァルト天才論」が巷にあふれたせいかな、なんてふうにも思います。
by pooh (2007-09-27 08:00) 

田中

>おおまかにはどの曲を採り上げて言及するかでどっちなのかわかるような気もします

K.231やK.233だったら,ある意味尊敬に値しますね

参考→http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/erz-131.htm
by 田中 (2007-09-27 14:25) 

pooh

> 田中さん

いらっしゃいませ。
この辺、どう云う曲なんでしょうね。聴いてみたいような、みたくないような。でもこの辺を聴かせて熟成させたバナナとかお酒は気分的にごめんこうむりたいです。
by pooh (2007-09-27 21:42) 

亀@渋研X

「絶対どっかにあるに違いない」と探したらありました、モーツァルトが全曲聴ける(らしい)サイト。
http://www.mozart-weltweit.de/
めちゃくちゃ重いです。

問題のK.231は男声6声の曲(つまり無伴奏の合唱というかアカペラ)で、なんとなく、ほのかにコミカルな感じがしないでもないかな。でもドイツ語がわからないボクには特別にどうってこともない「どこらへんが『私の××を×××』?」って感じで、カアチャンと「きれいだねぇ」と顔を見合わせてしまいました。ああ、モーツァルトの才能を感じるためには私が凡庸だという可能性はもちろん大変高いです。
Windows環境では下記でも聴けるようです。
http://oe1.orf.at/highlights/54009.html

そういえば映画&演劇『アマデウス』もありますね(ストーリー自体は忘れられてるのでしょう)。映画は80年代のものですが演劇は最近も再演されているようで。なんか特別なカリスマ(^o^)を感じるのでしょうね。
by 亀@渋研X (2007-09-28 00:07) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

聴いてみようと思ったのですが今夜はやめておきます(うちは光ファイバが来てるのですけどAirMacのせいで速度が出ない。かみさんがケーブル張らせてくれないんです)。

モーツァルトは天才だと思うし、カリスマもあると思います。でも嫌いだし癒されない。だからと云ってぼくは自分がひとでなしだとはあんまり思いません(別の理由でひとでなしだって評価されることはありえますけど)。
by pooh (2007-09-28 00:30) 

TuH

3,500Hzの根拠かどうか確信は持てませんが,電話の音声伝送(電話)に用いられる周波数帯域幅は4kHzのはずで,実際に用いられる周波数が300Hzから3.4kHzぐらいだったはずです。
by TuH (2007-10-01 01:03) 

pooh

> TuHさん

あ、どこかでそういう情報も見ました。
でもそれを根拠とするには、説明のステップがかなりすっ飛ばされているような(^^;。
by pooh (2007-10-01 07:46) 

Seagul-X

>この周波数はピッコロの最高音に近い辺りで

モーツァルトはモーツァルトでも、お父さんのほうの「おもちゃのシンフォニー」を流すのがいいかもしれませんねぇ。それも実際に玩具の楽器を使った、チープな(とは私自身は思ってないですけど)編成だと倍音も多く含まれてて、その付近の周波数の割合も多そうです。
でもたぶん、「3,500Hz前後の音域」云々という人達は同意してくれないんでしょうねぇ…
by Seagul-X (2007-10-01 13:18) 

pooh

> Seagul-Xさん

いらっしゃいませ。

多分倍音なんて概念を持ち出した瞬間に「科学ですべてが分かるなんて傲慢な科学万能主義だ」と云われて終わりでしょう。なんでそうなるのか分かりませんが多分そうなります。

特定の音域が効くとか、特定の倍音構成が効くとか云う話になったら、多分問題になるのは「誰が書いた曲か」じゃなくて「どの楽器で演奏されている曲か」だと思うんですけどねぇ。
by pooh (2007-10-01 22:21) 

NO NAME

pooh さん、返答ありがとうございました。
いきなり訂正ですが、「おもちゃのシンフォニー」は15年ほどまえに別人の作であるらしいことがわかったそうです。というわけで「お父さんのほうの」云々はまったく意味を成さなくなりました。
子供の頃に刷り込まれた知識のままだったのでしたorz

まぁでも、「おもちゃのシンフォニー」にしてもお父さんにしてもそこそこ有名なので騙されにくいですが、息子のフランツの曲あたりだと、息子であることを云わずに件の人達に薦めたら、騙されちゃうかもしれませんねー
by NO NAME (2007-10-02 13:35) 

Seagul-X

すみません、名前を入れ忘れました。
ひとつ上のコメントは私です。
by Seagul-X (2007-10-02 13:36) 

pooh

> Seagul-Xさん

確かに音楽家家系と云うのはあるので、その辺りはややこしいですね。

そう考えると、音楽にいろんな効用を求める方々が目を付けたのがバッハじゃなくてほんとによかったな、と云う気もして来ます。ヨハン・“子沢山”・バッハだけでもあんなに曲を書いているのに、ほかのバッハの曲までフォローしていたら大変でしょうね。
by pooh (2007-10-02 22:20) 

Jem

喜多方に「モーツァルトを聞かせた日本酒」としてけっこう有名なやつがあります。スタートは没後200年からまりでしょうね。
(モーツァルトはいまイチそりが合わないなぁと思う私にとっては単に旨い酒のひとつでしかないけど。)
by Jem (2007-10-04 16:00) 

pooh

> Jemさん

旨けりゃいいんです。モーツァルトを聴かせていようがどうだろうが、適切な価格で相応に旨ければ全然問題ない。こっちに書いたとおりです。

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-09-18

ただ「旨い理由がモーツァルトの天才だ」とか云われると、阿呆か、とか思うだけです。
by pooh (2007-10-04 22:09) 

pooh

もう書いてるよ。
http://twitter.com/#!/kentarotakahash/status/149618796888465408

「ニセ科学批判厨」ねぇ。
そうやって、皮肉と中傷で世界をよくすることができる、って云うのを身をもって証明してみてくださいな。「一部のSTS関連の研究者」のみなさんと一緒に。
by pooh (2011-12-22 11:02) 

TAKA

poohさん、こんにちは。残念ながら、poohさんのお願いは却下です。
なぜならば、ニセ科学批判批判者という立場は、あくまでニセ科学批判者達を叱咤激励する立場であり、監督の立場だからです。
そう、poohさんが選んだ監督様なのですから、文句を言わずに有りがたくdisを受け止めるべきです。

以上、新年の挨拶でした。今年も、切れ味鋭い思索と罵倒芸をpoohさんに期待しています。
by TAKA (2012-01-06 17:27) 

pooh

> TAKAさん

今年もよろしくお願いします。
いや、disを参考にしたいんですけど、ぼくみたいな馬鹿にも参考にできるようなdisをしてくださる奇特な方がいらっしゃらないもので。
欠如モデルでも双方向モデルでもなくて、なんと云うか嘲弄モデルにもとづいたコミュニケーション、みたいな手法を採用するのが有効、と云う認識が、「ニセ科学批判批判者」には一般的なのかもしれません。

> 切れ味鋭い思索と罵倒芸

その両方面には才能がないのをとうの昔にご存知のくせに。
by pooh (2012-01-06 18:34) 

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