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閉塞「感」 [世間]

婦祉山 暖雪さんがお書きの水は答えを知っている 江本勝と云うそのものずばりのタイトルのエントリを読んだ。で、ちょっと仕組みが見えた気がした。

この本は、いい。

現代社会の閉塞感を変革する、ものすごい力を持っている。はず。

確かに、「水からの伝言」が受け入れられる背景にはある種の閉塞感があるのかも知れない、と思うことはある。で、「こうすればよくなる」と云う強い主張を受け入れることは、個人の閉塞「感」の解消には役立つのかもしれない、とも思う。

でも、解消すべきは閉塞感そのものではなくて、その閉塞感の原因(それが個人的なものであれ、社会的なものであれ)ではないのだろうかなぁ。閉塞感の解消によって救われることはけして無意味ではないけれど、閉塞感が解消してしまえばその原因の解消には目が向かなくなる可能性が高い訳で。

精神世界の出来事を事実にのっとった科学的な視点で解明するひとつの糸口、第一歩となる本。スゴい本。

仮に「事実にのっとっていなくて」「科学的でない」場合にも、同様の評価を下すことは可能なんだろうか、と云う辺りが最大の問題なんだ、と思う。それでも、感動できるだろうか。虚偽であると云うことを理解したとしても、それでも世界の平和進展に間違いなく役に立ってくれるはずだから。と云うことが出来るのだろうか。

多くの人は受けた感銘を否定したくはないだろう、と思う。でも、その感銘自体が、記載内容が「科学的な事実である」と云う認識をベースにしたものである以上、その部分が否定されるとすべてが否定されてしまう。でも、それでも一度停止してしまった思考はなかなか動き出そうとしないんだろうなぁ、と思う。

(どうでもいいがどうもこの種の言説はamebloやYahoo! ブログ、楽天広場によく見受けられる気がする。気のせいだろうか)


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柘植

こんにちは、pooh さん。少し思想的に成ってしまうかも知れないけどね。

私がニセ科学批判し「科学の問題ではなく社会の問題だ」とひたすら書き続ける背景に、社会が「危ない方向に舵を切り始めている」という焦燥感があります。そして、社会が「危ない方向に梶を切る」動きの根底には常に「社会の閉塞感」があることを、歴史から学んで来たのです。

第1次大戦後の世界不況は巨額の賠償金とともにドイツ国民を閉塞感の中に置き、その結果としてナチズムを生み出した訳です。大正デモクラシーを支えた好景気の後の景気の沈滞は日本国民をやはり閉塞感の中におき、昭和維新運動を生み出した訳です。閉塞感に駆られた社会は「今を打破してくれるものなら悪魔の契約でも飛びついてしまう」ということを歴史は示している訳です。

私は本当に「怖い」のですよ、社会が一度「危ない方向に舵をきる」と理性的なものは恐ろしく速い速度で崩壊するのです。
by 柘植 (2007-04-03 09:07) 

きくち

僕も「ニセ科学とポピュリズムは根が同じ」と思っています。危険な感じがひしひしとする。カール・セーガンも科学的思考が民主主義にとって重要であることを強調していますしね。
by きくち (2007-04-03 10:25) 

内海

私も今の社会全体には危うい雰囲気が漂い始めていると感じています。
以前kikulogにも映画評論家の町山智宏氏のブログから引用して書きましたが、ポピュリズム、そしてニセ科学を支える名も無き善人の群れを、如何にして暴走させずに(乱暴な言い方ですが)食い止めるのか。
これが最も重要だと私は考えます。
まあ、最近の世論やマスコミを見ていると、どう見ても歴史に学ばずまたその暴走を引き起こそうとするような動きしか見えてきませんが。
by 内海 (2007-04-03 10:52) 

pooh

こんにちは、皆さん(おぉ、柘植さんメソッド)。

重ねて表明する必要もないでしょうが、ぼくが感じている危惧も同質のもので。均質で一面的な、善意に基づいた盲目の「愛」によって、例えばいかに多くの命が奪われてきたか、と云うことを忘れてはいけなくて、「所詮人間なんてそんな動物」みたいな達観とは別に、なんとしてでも過去に学び、同じことを繰り返すのを回避しなければいけない、と思います。
by pooh (2007-04-03 12:13) 

newKamer

 ここら辺の危機感は、私のような中途半端な者が言葉に出してしまうと、とたんにうさんくさく聞こえてしまうのですが、もっと前面に出さなければいけない事だと思います。

 「まあ、大した問題も無いし、もし本当だったらいい事だしいいじゃないか」といったような、パスカルの賭け的なものも同じですよね。
 短期視点が、長期的に悪い影響を与えるというのは、十分見えていることですから。
by newKamer (2007-04-03 16:05) 

pooh

> newKamerさん

この種の危機感は(当然ながら)ニセ科学周辺でだけ嗅ぎ取れるものではなくて。で、ぼくにとってはそもそもそのことのほうが最初から問題意識としては大きくて。

なんか、ぼくなんか「騒がしいだけのカナリアでいいや」とかも思ったりしてます。
by pooh (2007-04-03 22:46) 

柘植

こんにちは、 poohさん、newKamerさん。

>なんか、ぼくなんか「騒がしいだけのカナリアでいいや」とかも思ったりしてます。

少し、雑駁な社会意識の話をしますと、私は社会意識というのを正規分布みたいに捉えているわけです。例えば「合理性」「感覚性」というのを横軸して、社会の1人1人の人を「この人は合理性5割、感覚性5割だな」だと真ん中のあたりにカウントして、その人数を棒グラフみたいにして表した時に山形の分布になる様な感じです。別に横軸は何でも良いのだけどね。

でもって、こういう山形分布の真ん中の大多数というのは「沈黙の多数」つまりサイレントマジョリティであり、両端の山の裾野の方というのはたいてい「発言する少数」つまりノイジィマイノリティとならざるを得ないのだと思うわけです。

両端の「発言する少数者」は、発言する事で「山の中央を自分に引き寄せよう」とする訳だけだけど、実は山の中央付近には「偏りたくない」という静止慣性力があってなかなか動かないのが普通の状態なんですね。

ところがですね、一方の端の発言力が高まったり、一方の端の発言力が弱まったりして、山の中央が動いて例えば6割のところに中央が来ると、当然だけど、6割のところにいる人にとっては、そこが社会意識の中心付近で「偏っている」とは思えませんから、そこに静止慣性力が働くので、なかなか5割のところに中心が戻ったりしない訳です。さらには中央が近づいた方の裾野は人数が増える訳で発言力が増し、中央が遠ざかった方の裾野は人数が減って発言力が減るわけです。こうやって、次の段階では7割が中央の山が来るという、一気呵成に社会意識がどちらかに偏っていくという事が起こるわけです。

ニセ科学問題を考えても同じでして、「マイナスイオン」やら「水からの伝言」やらは社会意識の一方の端の「発言する少数」である訳ですが、それに対抗する「ニセ科学だよ、信じないで」のもう一方の端が出遅れた事で、山の中央の「沈黙する多数」がそちらに或る程度動いてしまった訳です。

つまり、我々は既にバランスのある程度崩れた状態から始めている訳です。そのことを理解すれば、ニセ科学批判に対して「偏るのではないか」という静止慣性力が働くことなども理解出来ると思います。そして、我々が今、「発言する少数者」をどれだけ必要としているかもわかると思います。
by 柘植 (2007-04-04 08:29) 

pooh

> 柘植さん

確かに、正規分布を考えると、突出している部分に属するのかも知れませんね。なんか納得します。
by pooh (2007-04-04 23:33) 

柘植

こんにちは、poohさん。

>確かに、正規分布を考えると、突出している部分に属するのかも知れませんね。なんか納得します。

私は自分が正規分布の標準偏差2シグマ(全体の95%が含まれる範囲)の外にいるとは思っています。私が思うのに「中央の分布が動かない様にする静止慣性力」というのは、中央が動き始めた時に、それまで沈黙していた1シグマ(全体の67%が含まれる範囲)から2シグマの範囲の人が「何かおかしい」と発言し始めることで働くのではないかと思うわけです。実はその時、2シグマの外にいる人の役割というのが重要でして、新たに発言を始める人に対して「言葉を提供する」という役割があるように思うわけです。

2シグマの外にいる者は常に発言していますから言葉を持っている訳ですが、2シグマから1シグマの間の人は「何かおかしい」と感じて発言したくなっても、日頃は発言していないので「表現出来ない」面があるわけです。2シグマの外の者はその時期に的確に「言葉を提供する」必要があるわけです。

「マイナスイオン」とかが流行始めた直後に安井先生たちは反論を出され始めている訳ですが、私の様に2シグマの外に居ながら発言しなかった者が多かった訳です。そして安井先生の話なども大きく取り上げられる事はなかった訳です。その時期、「なんかおかしいよね」と思っていた、沈黙する多数の一部もかなり居たと思っています。しかし、その人たちに「届けられる言葉」は無かった訳です。そのため彼らは沈黙を続け、「マイナスイオン」の流行がおこり、分布の中心は「マイナスイオンは有るのだろう」に向けて動いた訳です。
by 柘植 (2007-04-05 11:46) 

pooh

> 柘植さん

正規分布の左端から右端までを時系列として捉えると、マーケティングの普及理論に似てきますね(働く力学が違うので、あくまでアナロジーとして)。2シグマの外に位置するイノベーターが発言して、もうすこしボリュームのある2シグマと1シグマの間(アーリーアドプター)の行動を惹起することで、マジョリティの趨勢を決める、みたいな。

これはあるアイテムやトレンドの流行や普及を示すモデルなのでそのまま当てはめるには無理がありますけど、いずれにせよイノベーターがアーリーアドプターを動かすことができれば、趨勢が決められるわけです(動かせないと、「流行の失敗」になります)。

うむむ。ここから先は戦術論になるなぁ。
あれこれとやかく云われることが増えている、と云うことは、やっぱり戦術の出番でしょうかね。
by pooh (2007-04-05 12:35) 

pooh

あ、そうか。
菊池さんや田崎さん、小波さん、左巻さんなんかの最近の手法は、アーリーアドプター狙い、ってことにもなるのか。

って、こんな無理やりのアナロジーはもうすぐにぼろが出てしまいますね。
この辺にしておかないと。
by pooh (2007-04-05 13:02) 

柘植

こんにちは、 poohさん。

>菊池さんや田崎さん、小波さん、左巻さんなんかの最近の手法は、アーリーアドプター狙い、ってことにもなるのか。

まあ、明確なターゲットという事でも無いとは思いますが、結果としてはアーリーアドプターを惹起する働きとして機能する事になります。

例えば、NHKの「視点・論点」なんて「前世は誰で」とか「超能力捜査官が」なんて話を「喜んで見ている」人たちはあまり見ないのじゃないかな、もっと比較的論理的に世の中の事を色々真面目に考える人たちが見る番組だと思います。田崎さんの論説が詳細に長いのも、基本的にはそういう人たちにきちんと納得した上で「声を上げて貰う」のに役立つはずです。
by 柘植 (2007-04-05 13:10) 

pooh

> 柘植さん

そうなると、やはりみなさん次の手は左巻さんに続いて「新書の発刊」ですね。
いま結構新書ってイノベーターからアーリーアドプターに届けられる主要なメディアになっている気がします。アーリーアドプターにヒットすれば、アーリーマジョリティの一部くらいまでは届きます。
by pooh (2007-04-05 13:29) 

柘植

こんにちは、 poohさん。

戦略に「成り行き任せ」はあり得ないけど戦術には「成り行きに合わせる」はある訳です。「A地点を5日以内に確保し、相手の援軍を10日以上足止めすること」なんてのが戦略で成り行き任せは無いけど、その足止めに、橋を落とすか、ゲリラ戦をやるかは、その時の状況でベストが違うわけです。

そういう意味では、ニセ科学批判をされている皆さんは、非常に優秀な戦略戦術家だと思うんですね。もともと、無茶苦茶マイナーな状態から情報発信をしてきた訳ですから、戦術の選択肢なんてほとんど無い訳ですよ。TVが良いか雑誌が良いかなんて選べない状態ね。でもね、皆さんその時に「話してくれ」「書いてくれ」と頼まれたスタイルにきちんと合わせて情報発信しながら、それでいて、話したり書いたりした内容がメディアに媚びていないわけです。戦略眼的な「これらの情報発信でアーリーアドプターを惹起していく」という目的にかなう内容を書かれ居るのね。これは、すごいことなんですね。

そういう意味では、私なんかの居場所が無いのかも知れませんけどね(笑)。別にすねて逃げたりはしませんけど。
by 柘植 (2007-04-05 15:53) 

pooh

> 柘植さん

いやいや、この間きくちさんが云っていたのはお世辞じゃないですよ。
て云うか、「誰にでも伝わるように書く」点ではやっぱり達人かと。

科学者のみなさんは、受け手が誰なのか熟慮したうえで発信されているなぁ、と思います。マーケット・インって云うか、二流のマーケティングでは欠けがちな視点です(だいたいクライアントが理解しない、と、あぁこれはぼくの愚痴です)。
きくちさんなんか事前にmixiでマーケットリサーチしてましたしね。
by pooh (2007-04-05 22:28) 

婦祉山暖雪

私のブログに関するコメントありがとうございました。

江本氏の主張に関しては、江本氏以外の人々による検証がなされていませんし(私個人はほかの人による実験結果をしりません。)、まだ世間的に不完全な氏の主張をそのまま大前提において話を進めるのは、まだ早いな、と理解。ブログが公共性を持つことを深く考えずにブログに書きましたので浅い理解の記事になったかと。
その点でいろいろ論理の飛躍があったので、とりあえず整理するまでは非公開にしときます。

江本氏自身の思想的な要素もたぶんにありますし、実験結果について「こうあってほしい」みたいな願望もあるかも知れません。
いづれにしてもさらに多くの観点から善悪の定義も含めて検証されなければ大衆的な支持は得られないってことなんですかねー。感想でした。
by 婦祉山暖雪 (2007-04-12 23:33) 

pooh

*コメント修正しました。

> 婦祉山暖雪さま

いらっしゃいませ。

> とりあえず整理するまでは非公開にしときます。

了解しました。
公開時にはトラックバック等いただければ幸いです。

> いづれにしてもさらに多くの観点から善悪の定義も含めて検証されなければ大衆的な支持は得られないってことなんですかねー。

ぼくやその他数人の方は、彼の主張に一定の支持が集まっている状況に非常に危険なものを感じています(善悪の定義が一面的であることを具含め)。
お時間があれば、学習院大学の田崎教授による下記のコンテンツもお読みいただければ、と思います。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
なぜ科学者による追試が行われないのか、そもそも主張そのものにどのような問題があるのかが、平易かつ丁寧に解説されています。
by pooh (2007-04-13 07:42) 

婦祉山

読ませていただきました。江本氏の実験結果はデータ等に不備があって主張を通すには論拠に欠けるのですね。
情報提供ありがとうございました。
by 婦祉山 (2007-04-19 16:07) 

pooh

> 婦祉山さま

データ等の不備と云うより、主張そのものが現在の科学と相容れない(仮に江本氏の仮説が正しいとするなら、それはいま私たちの暮らしを支えている科学の否定を意味する)と云うことです。
この辺については、以前のぼくのエントリを下記よりご参照いただければ幸甚です。

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2006-12-22
by pooh (2007-04-19 21:46) 

柘植

こんにちは、婦祉山さん。

>主張そのものが現在の科学と相容れない(仮に江本氏の仮説が正しいとするなら、それはいま私たちの暮らしを支えている科学の否定を意味する)と云うことです。

この部分というのを少し補足しますね。なんて言いますか、科学というのは、「実験をする人間の気持ちに関係なく同じ結果が出る」という事に基本があります。

私は分析化学屋ですから、そういう話をしますね。例えば婦祉山さんが「覚醒剤をやっているのではないか」という嫌疑で警察に引っ張られたとしますね。オシッコの提供を求められ、そのオシッコは分析されます。覚醒剤などをやっていますとオシッコに明瞭に覚醒剤の代謝物がでますからね。その時、その検査をする科捜研の係員が「婦祉山さんはやっているに違いない」と思って分析しても、やっていなければ代謝物は出ませんから放免されますし、係員が「婦祉山さんはやってないに違いない」と思って分析しても、やっていれば代謝物は出ますから、逮捕されます。このように化学分析というのが、分析者の気持ちに関係なく、結果を出すからこそ、婦祉山さんは安心していられる面があるのでは有りませんか?

「水の結晶の話とオシッコの分析なんて関係ない」と思われるかも知れませんけど、実は自然科学から派生した分析技術が、こうやって人の人権にかかわる事などで使われ、重く見られるのは「自然現象は人の気持ちに関係なく起こる」という考え方が基本にあるからです。もしも、水の結晶の形に「気持ち」が反映するなら、分析結果にも当然反映すると考える事が普通になります。そうなると、たとえ、婦祉山さんのオシッコから覚醒剤の代謝物が検出され無くとも、「これは検査官が『違う』と思っていた結果が反映したのだろう」と裁判官が思うことも起こりえます。そして、そういう証拠に関係なく、婦祉山さんの有罪無罪は裁判官の心証のみで決められる世界となるでしょう。そういう世界をお望みですか?
by 柘植 (2007-04-20 09:30) 

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