文脈と言葉 [よしなしごと]
先のエントリで触れたJosephYoikoさんのエントリのコメント欄を読んでいて思ったこと。
「水からの伝言」にしても、主要な問題点のひとつは言葉と云うものにある種固有の価値を付与していることだ、と云うのはこれまで何度か書いて来た。言葉の意味も価値もそれが置かれた文脈に準拠して変わってくるものだ、と云う(言語記号の恣意性、なんて云う概念を持ち出さなくても分かるような)ある種当たり前の話で。
だから、対話には文脈の共有が不可欠になるし、対話する同士がそれを共有するために努力するのは当然の前提になる。そのことをしないで、「オレ定義」の言葉で対話をしようと思っても、その発言の妥当性が相手に受け入れられないのは当たり前だよなぁ、と云うこと。
意外なところで例証を得てしまった(と云うとJosephYoikoさんに失礼に当たるかもしれないけど)。
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こんばんは。先ほど削除される前のノイズも読んでしまいました。
JosephYoikoさんのエントリのコメント欄を、僕もずっと読んでいたのですが,以前から変わらず彼は「オレ定義」の言葉を使う事しかできず、相手の言葉を読解することも、自分の文章を組み立てることも出来なかったですね。発言の責任云々という前に、明らかに日本語を操る能力が著しく低いのだと思います。
でも、自分の考えが伝わらないのは、相手が悪いと思っているのでしょうね。(現にそう書いているし)
僕のように表現に携わっている人間からすると、恐ろしく幼稚な段階です。自分の考えが他人に伝わった達成感を、一度も感じたことがないのかもしれません。
by corvo (2007-04-03 03:27)
> corvoさん
いや、彼は多分境界性人格障害なんだろうな、と思うんです。そう考えるといろんな行動が腑に落ちる。
さて自分で何かを伝えようとしたときに、実際は伝えるべきことのない空疎さに自分で気付く、みたいな。
この種の人格障害は、むしろ周りが振り回されないように気をつけないといけないんですよね。その意味でTAKESANさんの対応が正解です。
by pooh (2007-04-03 06:29)