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街の歴史 [近所・仙台]

今回のエントリは郊外の生活環境について、個人的な意見(偏見?)が入ります。ご注意ください。

古い街が好きだ。
もっと正確に云うと、昔から都市部だったところが。

いま、ぼくは仙台開府以来同じ町名の場所に住んでいる。自宅の目の前を通るのは陸奥街道だ。年末のエントリでも書いたけれど、それなりに歴史のある寺や神社もあるし、まぁまぁ古い店も残っている(近所で一番古いのは、伊達の御用菓子舗だったと云う餅屋だろう。でもそれにしてはこの餅屋、大胆で急進的な創作和菓子が得意だったりする。この間も店の前を通ったら、「新発売! コラーゲン入り美肌大福」みたいなのを売り出してた)。老舗の難点は基本的に日曜日が休みだってことだけど、これはまぁ仕方がない。

少し前まで福岡に住んでいた。
福岡は(正確には博多は)、歴史に名前が出てからだけでも仙台の3倍と少しの時間を都市として刻んでいる。風習も古いものが残っている(山笠なんか祭りとして700年を超える歴史がある)。
福岡市は実はツインシティで、博多(商都)と福岡(城下町)で構成されている。ぼくが住んでいたのは「福岡」のほうだった。こちらは都市としては実質的に仙台とほぼ同じ程度の歴史を持つ(要するに関ヶ原以来)。そう云う意味では歴史は浅い。ネイティブ博多っこの友人はやっぱり「那珂川越えると空気が違う」と云っていた。
仕事絡みで博多の街を歩くこともよくあった。そこに蓄積した歴史を呼吸しながら。

都市には、そこに暮らしてきたひとたちの想いが蓄積されていく、と思う。いろんなものを新しがったり、頑固に守ったり、商ったり、奪い合ったり、騙したり、力を合わせたり。そんなことの積み重ねが、その都市の空気を作る。そうして、その空気の中で、意識しなくとも歴史を踏まえながら、何かを生み出していく。
(ついでに云うと、行き交う人々の絶対数が多いせいか、蓄積速度はその歴史の長さに比して港町の方が早い気がする。神戸も博多も、港町だ)

ぼく自身神戸の西端の出身で都会人と云うには心許ない部分があるのだけれど、田舎が、正確には郊外が苦手だ。
イオンのショッピングセンターがあって、ツタヤがあって、パチンコ屋があって、ホームセンターがあって、ファミリーレストランと吉野家がある。郊外はどこに行ってもそうだ(イオンが他のスーパーマーケットチェーンに変わったり、吉野家がCoCo壱になったりはするかも知れないけど)。近い環境に住んでいたことはあるけれど、なんと云うか、そう云う辺りではなにかが生まれてくる、と云うことがあまりないような気がするのだ。
生活に伴ういろいろなものをイオンで買って、ツタヤで本とCDを買って、ファミレスで恋人と過ごす。なんと云うか、そこで育まれる感受性や知性は、それぞれの本部に所属するマーケターが持つ想像力の範囲を超えることがない、ような気がする。

もちろん偏見かも知れないが、そう云う訳でぼくは古い街に住んでいる。
少し歩くと、終戦直後のバラックがそのまま発展したような横町がある。ここの建物を若い子たちが借りて、ちょっとチャレンジングなお店を作ったりしている(最近はぼくの年若い友人がインディアンジュエリーの店を新しく出したりした。ちゃんとインディアンの師匠を持つ子なので、品物は確か)。こう云うかたちで文化のいちばん前に行こうとする営為は、やっぱり歴史が積み重なった場所から生じてくるものだ、と云う気がする。

この辺りはちょっとしたマンション建築ブームだ(小さなスケールで都心回帰に似た動きがあるっぽい)。これから人口が増えて、どんなふうに変わっていくのだろう。できれば中央資本の大きなショッピングセンターなんかは、あまり出来て欲しくないけれど。


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