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自然科学とひとの心 [よしなしごと]

インディアン・ジュエリーが好きだ。
でも、ほとんど手元にはない。誰かにあげてしまった。そういうものだ、と思っている。

背中にパッチの貼り付けてあるようなモーターサイクルクラブ文化と云うのは、もともと侵略者であるアメリカ白人がインディアンの文化に逆侵略されて生まれたものだ、と思っている(Hell's Angels MCのカラーとして有名なDeathheadはインディアンのボンネットをつけた骸骨だ。スタージスも、もともとはインディアンの聖地のはずだ)。もちろん、実際には、それぞれのクラブごとに背景としているカルチャーは違う。例えばBandidos MCはラティーノの、Chosen Few MCはブラックの文化を背負っているように。でも、それもまた文化的な推移の中で生まれてきたものだと思う。

そう云う訳でバイク乗りは銀細工やインディアン・ジュエリーが好きだ。それは単純に宝飾品としてだけではなくて、やはりお守りとしての意味を持つ。だから、インド製の大量生産品ではなくて、例えば作った人間が誰なのか分かっているものの方が意味がある。ちゃんとした店では(場合によっては顔写真も添えて)製作者が誰かを明示して売っている。誰かが作った、と云うことが大事なのだ。これは顔見知りの銀細工師に作ってもらう場合でも同じ。イメージを伝え、デザインを作ってもらう過程で、そこにはぼくの関与も刻まれる。

そうして手に入れたジュエリーは、先に書いたがほとんどぼくの手元にはない。誰かにあげてしまっている。そこには、手渡した相手へのある想い、ある願いがある。
同じように、誰かに貰ったジュエリーを身に着けるときには、それは貰った相手のある想いを身に帯びることを意味する。そのことを意識することは、確かにぼくの気持ちを変える。

お守りにはもちろん自然科学的根拠はない。だからといって、そのことが無価値だと云うことにはならない。

いまは、ゲルマニウムを使った製品に、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、ゲルマニウムを身に付けたところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません.

菊池誠教授の出演したNHK視点・論点「まん延するニセ科学」の一節を、菊池教授公認のテープ起こし(f_iryo1さんの「うしとみしよぞ」より)から引用させてもらった。ここで留意しなければいけないのは、ここで彼は「お守りだから価値はない」とは決して云っていないことだ(1)。お守りとしての価値は自然科学では測れない。でも、だから無価値だ、と云うことではないのだ。
同時に、自然科学的な根拠があるからお守りとしてより価値が高い、と云うことにもならない。お守りの力は、そのお守りにまつわるひととひとの心の文脈の中から生じる。

自然科学と云う単一の物差しをすべてに当て嵌めて事物を一面的に判断する存在、と云うステレオタイプな認識を、科学者に押し付けようとする傾向がある。特に「水からの伝言」をはじめとするニセ科学ビリーバーは、そう云う角度で科学者を(そして自然科学を)類型化し、「ひとの心と対立するもの」として非難する傾向が高い。
でも、ひとの心の作用に自然科学的なバズワードを導入し、わかりやすく単純化することでその本来持つ豊かで複雑な機能を表面的なものに押し込めてしまうのは、むしろニセ科学や波動商売に携わるものたちなのだ。

(1)追記
これはもちろん、「たまたまそう云ってない」と云うことではない。意図的に、菊池教授はそう云う一面的な言い方を避けている。与えられた10分間ではこの部分を詳細に説明する時間を取ることはまぁ、難しかったということだ。


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コメント 6

きくち

いや、まったくそのとおりで、「ゲルマニウムを身に付けたところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できない」というフレーズは、実はかなり細かく練った結果です。
 
スポーツの試合の前に誰かがゲルマニウム・ブレスレットを贈ってくれたとしたら、それはやはり「お守り」程度の効果があるわけです。 
 
ただ、「お守り」はあくまでも「お守り」なので、それに精神的に支配されるようでは困るのですが(支配されるというのは、たとえばそれをどこかに置き忘れただけで取り乱してしまうとか)
by きくち (2007-01-13 20:57) 

pooh

> ただ、「お守り」はあくまでも「お守り」なので、それに精神的に支配されるようでは困るのですが

ましてやそこに科学を持ち込まれてもねぇ、ってとこですよね。
by pooh (2007-01-14 22:42) 

きくち

なぜ「ゲルマニウム・ブレスレット」を贈ってくれる人がいたかといえば、「ゲルマニウムは身体にいい」と信じたからなわけで、それはそれで問題ではある。
それはそれ、これはこれ、ということだね
by きくち (2007-01-16 10:21) 

pooh

そう、それはそれ、って話で。

でもまだ考慮すべき余地は残っていて。
例えばぼくが誰かに何かを祈って、それをナバホ族のトーテムをデザインしたアクセサリとして銀細工師に作ってもらって、あげたりする。
それとゲルマニウムとどう違うの? と云うような問題。

キーワードは、(ある人間の所属する)カルチャー、というもののような気がしてるんだけど。これもおいおい言語化したい。
by pooh (2007-01-16 22:00) 

きくち

銀を使うのも「魔除け」だからだよね
 
「銀は魔除け」という説と「ゲルマニウムは身体に良い」という説の違いは、ひとつに「伝統」、もうひとつは「ニセ科学かどうか」じゃないですかね。「伝統」は「文化」でもいいけど
 
ゲルマニウムの話は、充分に科学が進歩してから出てきたもので、「科学的事実」を装っているわけですよ。だから、「それは科学的に間違い」で否定してよい
「銀は魔除け」はもともと科学とは別の文脈だし、科学とは思われていないし
 
それは区別するべきだと思う
もちろん、その中間には区別のつきにくいさまざまなものを見つけうるとは思うけど
by きくち (2007-01-17 13:00) 

pooh

> まこっちゃん

> それは区別するべきだと思う

どう峻別すべきか、は難しいし、実際のところそれだけでも社会科学的には研究に値するテーマなんだろうけど。でも少なくとも自然科学の視点からははっきりと峻別できるし、(何よりも重要なのは)それはけして伝統や文化を蔑ろにすると云うことではない、と云うことだと思うんだよね。
ニセ科学的説明を持ち出した時点で、それは積み重ねられた伝統や文化と断絶させられるし、事実上そう云うものに依拠することは不可能になる(つまり、「積み重ねられたひとの心」とは全く隔絶したものになる)と云うことの意味合いをどう理解するか、と云うか。
by pooh (2007-01-17 22:36) 

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