計算可能性 [世間]
事実我々は資本主義社会に住んでいて、資本主義に基づくグローバリズムの潮流の中で暮らしている。好むと好まざるとに関わらず、すべてを一義的に判断する基準は、金だ。
稲葉振一郎先生のブログで少しお見かけしたことのあるfuku33さんが、「感情商品・正義商品の研究へ」」というエントリを書かれていた。
別にフェアトレードと銘打ったコーヒーを買うときに先進国の消費者は「本当にコーヒーが目当て」なわけではない。途上国の農民の生活を支援するつもりでプレミア価格分、寄付というか支援というか、まあ贈与をしているつもりであるように普通は考えられるが、僕はこれは「正義達成の充足感」という商品を購入しているのであり、価格のプレミアはこのいわば「感情商品」の正当な対価だと思う。
実際のところ、善意を金額に換算してしまえばそれは計算しやすいし、満たしやすい。異論はないのだけど。
ちょっとどこかに割り切れなさが残る。この割り切れなさについては、少し考えてみることにする。
タグ:社会科学
はじめまして。TBありがとうございます。実は書いた僕自身も大いに「割り切れなさ」を感じるのですが、まず言葉にしてみることでその違和感を解析する第一歩にしたいのですね。またコメントを頂ければ幸いです。
by 福耳 (2007-01-05 23:39)
> 福耳さま
いらっしゃいませ。
文脈としては「善意の功罪」みたいなものを少し考える必要があるのかな、と思っておりまして。お書きのエントリそのものがとても刺激的だったのですが、さてこれをどうやって消化したものか、みたいなふうに感じたのですよ。
もう少し自分の中でまとまったらまたエントリを挙げるかもしれませんし、お邪魔するかもしれません。その際は、よろしくお願いします。
by pooh (2007-01-06 04:32)