生き残ること。戦い方。そして世界。 (「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」桜庭 一樹) [ひと/本]
ぼくは生き残っている。それは結果論でしかない。
ぼくがライトノベル(当時はそんな呼び方はなかったけど)をもっとも頻繁に読んでいたのは大学生の頃だ。むくつけき、どちらかというといかつい見た目をしながら、コバルト文庫の氷室冴子を中心に「青春小説」「少女小説」を読んでいた。
そこに感じていたある種の甘さは、当時澁澤龍彦を読んだり、シュルレアリスムの絵画を見たりすることで受け取っていたものと、大枠では共通している。生活全体をコーティングする、美意識と云う甘ったるい砂糖。根拠のない特権意識と傲慢さ。
実際のところそれは、その頃から遥かな時間を経たいまでも多分大きく変わっていない(なんだか恐ろしく気恥ずかしいことを言明している気がする)。自分にこそ理解できる何かがある、自分にこそ言葉にできる何かがある、と云う根拠の薄い思い込みは、こうしてぼくに言葉を綴らせている。その点で、ぼくはある意味未だに甘い砂糖のコーティングを通して世界を見ているのかもしれない。
それは、生き残ってこられたから。
このブログのなかで、ぼくは何度かいじめに触れた。その度に、いじめの被害者に対して「戦え」「戦った挙句の死を、ぼくは責めない」と書いてきた。でも、その背景には、間違いなく生き残ってこられた人間の傲慢がある(もちろんぼくにしたところで、これからどれくらい生き残っていけるのか知れたものではないわけだけど)。
ヒロインのひとりである藻屑のばらまく砂糖菓子の弾丸は、彼女の周りのひとびとに流れ弾としてぶつかるけれど、だれひとり撃ち抜くことができなかった。もうひとりのヒロインであるなぎさは、確実に撃ち抜くことのできる実弾を手に入れようとする。でもその実弾も、命中しないことには撃ち抜くことはできないのだ。
そうして、世界は彼女たちの前に剥き出しで立ちはだかる。
負けたものは死ぬ。生き残ったものも、勝ったとは限らない。戦いは終わっていない。
そうしていまも、藻屑を殺した世界と同じ世界が、ぼくらの前にある。その世界がいま、ぼくらに牙を剥いていないとしても、それは「いまこの瞬間は」「ぼくらには」と云うだけの話だ。
砂糖菓子の弾丸は、本当に無力なのか。牙を剥く世界に立ち向かうためには、実弾の準備が欠かせないのか。どんな実弾を、どれほど準備しておけば、ぼくたちは生き延びることができるのか。そうして、いざ撃つしかない瞬間に、ぼくたちは誰に向かって引鉄を絞るのか。
ぼくたちはおとなだから、多少の実弾は準備できる。でも少なくとも、できるだけ実弾を撃つ必要のない世界をつくるために日々を過ごしている、はずだ。だけど、どうすればそんな世界がつくれるのか、についての完成したメソッドなんかまだ存在しない。
犠牲者はこれからも出続けるだろう。でも、ぼくたちは自分で考えて、試みを続けるしかないのだろうな。
ここから蛇足:
以前書いたとおり、最新刊ではないものについても、新しく読んだものでないものについても、今後は記述して行こうと思う。この小説も、発刊から1年以上が経由したものを、dainさんの「劇薬小説」エントリで知って読んだ。
書くに当たってネット上の書評を軽く漁ってみたりしたのだけど、暗黒だの猟奇だの云う書評が多くて(つまりあんまり切実さを感じていないらしいエントリが多くて)、これって作者の戦略どおりなんだろうか、とか考えた。確かにラノベ文体(いや、読み込んでないから知らないっすけど)のカプセルで呑み込まされたって云うか、そうじゃなきゃこのペースで読めなかっただろうしなぁ。
こちらでは初めまして。
今更ですが、このエントリにコメントを…表紙絵の絵描きさんのファン、という理由で、ですが^^;
某所で某S氏が、柘植さんのことを批判していた記事を探している途中にこれを発見してしまいました^^;
以前からコメントをしよう、と思いつつ躊躇していましたが、やっとあしあとを残せました。
今後ともよろしくです。
ps;ブログは絶賛放置中ですのでご容赦を。
by com (2007-03-05 12:25)
comさん、いらっしゃいませ。
なんだか日頃のイメージと違ったところにコメントを(^^;。
この本、よく「表紙やイラストと内容のギャップが…」みたいに云われますけど、そう云うことじゃないと思うんですよ。イラストの世界と、内容の世界は表裏一体で、だから意味があると思うんです。この小説に関して云えば。
by pooh (2007-03-05 22:26)
ところで、
> 某所で某S氏が、柘植さんのことを批判していた記事を探している途中にこれを発見してしまいました^^;
これ、どこのことでしょう?
by pooh (2007-03-06 12:20)
こんばんは。
>なんだか日頃のイメージと違ったところにコメントを(^^;。
むー(表紙絵の作者)さんの、CGなのにこんなぼかしを入れる手法とかにベタ惚れです(謎
基本的な属性はヲタなので^^;
さて本題。
>これ、どこのことでしょう?
この書き込みのことですね。何のことだかお判りですか?
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1161050666#CID1170548353
by com (2007-03-06 21:48)
> comさん
あぁ、なるほど。
しかし「聞きたいことしか聴こえず、云いたいことしか云わない」ひとがこれだけいるのも、なんか病んでますね。
by pooh (2007-03-06 22:09)
このエントリは誰も覗かないだろう、って前提で。
多分、氏は、「大学の先生達と同等に立ち回っている自分」に酔いしれているのではないかと。apjさんの掲示板での立ち回りも含めて、そう判断しています。
だからこそ、自分に都合の悪い指摘はスルー、ではなくて、好意的に解釈(わざとではないと思います)できるのでしょう。
だからこそ、柘植さんの例え話に対抗して、例え話をするのでしょう…そして自爆しても、痛いと感じる痛覚が…。
とにかく、きくまこさんと同等に(端から見ると平行線)やりあっている自分を誇っているのではないでしょうかね?
by com (2007-03-06 23:27)
ここ結構人気エントリですよ。いや、kikulogの常連の皆様に見つかることはあんまりないような気もしますけど。
大学の先生と云っても普通の人で、だから偉ぶったりしないしkikulogでもみなさんあんな感じです。でも普通の人だけど大学の先生なので、やっぱりものすごく頭がよかったりする訳です。その辺りの加減が掴めないのでしょうかね。
なんか、ネットはやっぱり発言するにあたっての敷居が低いんですが、でもその発言の内容は問われる訳です。その辺り理解できなくて、発言するだけでなにか意味のあることをしているつもりになっちゃう。暴れ放題の彼とか。
柘植さんだって前のハンドルネームの頃は「伝説のレス屋」と呼ばれた方で、あの方が出入りしてるってだけで掲示板(当時はBBS文化でした)のアクセスが激増したものです。こんなところにも気軽に出入りしてくれてますが、彼と会話するのは一定の緊張感があったりやっぱりするもんですよ。
その辺り、昔から云われる「ネットは玉石混淆」の所以なのでしょうかね。それにしても彼はちょっと極端なサンプルですが。
by pooh (2007-03-06 23:56)
こんにちは。
もうライトノベル手を出さなくなって早◎×年…気が付けば好きな絵描きさんが表紙絵とかを担当している、ってだけで本を買わなくなってしまいました…。
とは言うものの、せっかくのご紹介ですし、読んでみますね。
さて、某氏の件であまりエントリ違いなコメントを書くのもアレですので、一つ引用を。
mixiをご覧になれますか?(可能ならタイトルをご紹介します)きくまこさんがmixiの某コミュ某スレにて、某S氏のような方との議論にて、以下のようなコメントを残しています。
>ひとつ確認させてください
>>さて、僕が◎◎陰謀論を支持する理由を書いておきましょう。それは××の△△が□□なためです。
では、この△△が「△△しすぎない」、つまり「きちんと考えれば充分にありうる△△である」という理屈があれば、◎◎陰謀論支持は撤回されるのですね
(中略)しかし、陰謀論ではなく懐疑論の立場なら、「△△とはいえない」という理屈があれば充分なはずですよね。
某Sに質問したら、何と答えるのか…きっと目に写らない、と脳が認識しそうですが。
by com (2007-03-07 12:25)
> comさん
そのスレッドは読んでましたよ。
多分おっしゃるとおりでしょうね。
まさにそう云うのを「自己目的化」と云うんだと思います。
by pooh (2007-03-07 22:21)