SSブログ

さつきさんのお返事へのお返事 [余談]

前のエントリで書いたことについて、さつきさんからpoorさんへのお返事(「解題」の解題)と云うお返事をいただいたので、ちょっと書いてみる。ちなみになんだか逐語的なお返事だったので、ちょっとこっちの書きかたも散漫になるかも。

ニセ科学批判者、と云うことばが使われていた時期があって。まぁ当時はほかに適切な用語が思いつかれていなかった、と云う事情もあったのだけれど、ぼくを含めて違和感を持つ人間も相応にいて。ニセ科学に対して批判的な言説をなすことが自分自身を(あるいは他者を)ある分類に押し込める、と云うのもどうかなぁ、と云う感覚。べつだん用語化しなくてもいいじゃん、なんかべつの意味合いも帯びてきちゃうこともあるみたいだし、そう云う立ち位置にいる論者が特定のひとつのスタンスに立っているわけではないし、なんて感じて、ちょっと長いけど「ニセ科学に対して批判的な言説をものす論者」みたいな書きかたもしていた。
そのあとで「ニセ科学批判クラスタ」ってことばが出てきて。まぁニュアンスもだいぶスラックだし、こっちのほうがいいなぁ、みたいに思っていた(使ったことはあんまりないはずだけど)。ぼくの理解しているこのことばの定義は、「ニセ科学と云う用語の意味を共有していて」「その用語が指し示すことがらに対しなんらかの違和感を持ち」「それぞれの動機に基づいてニセ科学に対する批判的な言説を行っている」ひとたち、みたいな感じ。さらに「相互の言説に関して(場合によっては批判的な)言及を行うことで、全体としてのロジックの強化と精度の向上を目指そうとする」みたいな営みを行う面々、みたいな意味合いもあるのかなぁ。このあたりはこのことばを使うひとによってニュアンスの強弱はあるだろうけど。

で、このなかで必須と云えるのは最初の「ニセ科学と云う用語の意味を共有していて」と云う部分で。それがないとそもそも対話が成り立たないし一定の精度を持った議論もできないし互いの主張に対するまともな相互批判もできないので、何を以ってニセ科学とするか、と云う議論は折にふれて行われてきた(出発点は菊池誠の定義であったとしてもね)。結局のところ、そこが担保されていたので、天羽優子さんの云う「Stand Alone Complex」と云う状態(我々の間にチームプレイなどという都合のよい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ。ってやつですね)が可能になってきた、と云う側面があって。
「ニセ科学批判は一人一派」と云う言い回しが意味を持つのは、ここが前提。このあたりまでは、自分がひょっとするとニセ科学批判クラスタに属するのかも、と感じているひとはおおむね共有している認識のはず(違ってる、とおっしゃるかたは、申し出てくれるとありがたいです。議論しましょう)。

で、「ニセ科学」と云う用語は、そこで議論してきた定義で使われるべきもので。べつの使い方をすれば、話が通じなくなるから。
私自身は、前回の記事に引用した「疑似科学」とはなにか(2008/6/23)の冒頭部分において、「『科学を装い、基本的な部分において虚偽の内容を主張するような科学に叛く行為』を、大阪大学の菊池誠氏の定義に従って『ニセ科学』と呼ぶことにしよう」と書いています。かなり端折った書き方になっているのは、この語の有用性に<多少の>疑問を持っていたからで、これ以降も「ニセ科学」について掘り下げるような考察はしていません。
このような立ち位置の私にとって、「ニセ科学批判」とはつまり、「ニセ科学」という語を用いて何かを批判する行為のこと、というほかない訳です。
自分ではちゃんと考えたことがないし議論にコミットしたことがないから「ニセ科学」とか「ニセ科学批判」ってことばをオレ定義で使ってもいい、みたいな主張に読めるんだけど、そんなはずないでしょ。科学にとって言葉の定義は一義的に重要みたいなことをおっしゃっているかたのことばとは思えない(それとも「『ニセ科学』は科学のことばではないから定義は重要ではない」みたいな主張なんだろうか。そんなわけあるかい)。てかこのへんは、こっちでも書いたようなことではあるけどね。
「撲滅」とは、どんなに小さなものでもしらみつぶしにやっつける、というほどの意味で使いました。
ニセ科学に対してなされてきた批判的な言説の大半は、そう云うものではなかったと思うけど、さつきさんにそのような認識を与えた言説は、だれのどういうものだったのだろう。
そう間違った用法ではないと思いますが、これをネガティヴな文脈で用いたのは、明らかに行き過ぎだと思われる例をいくつも見てきたからです。
例えば? いくつも見てきたのなら、具体的に挙げられるはずだよね。
例えば、米のとぎ汁でこしらえた乳酸菌風呂を個人的に楽しんでいる方に対して、学術雑誌に論文を書いてからやれという、意味不明な批判を執拗にする人がいる。
それは誰ですか? ぼくは見たことがないので(もちろんぼくの観測範囲の問題だけど)教えてください。
案の定と言うべきか、同じ言葉を用いた批判をたくさんいただきました。その時に浮かんだ言葉が「運動」であった訳です。
ことばはひととひとの間にあって対話を仲立ちするものなので、浮かんだことばが適切であるかどうかはわからないよね。使う前に考えましょうよ。
――とは云え(前のエントリで書いたみたいに)ご自身のコミットしていた議論がそう云う性格のものであった以上、違和感なく使ってしまう感覚はわからなくはないのだけど。
この「コメントスクラム」にリンクされている記事を読んでも、なんのことか思い出せません。そこに寄せられた152件のコメントをざっと見渡したのですが、実際、私は一度もコメントしていません。「彼我を陣営に分け、団体戦に持ち込もうとする」ことの証拠として持ち出されたのでしょうが、私とは無関係なことですね。どのような意図でこれを持ち出されたのか理解に苦しみます。
これを本気で云っているとすれば、けっこうな神経だなぁ、と思うのだけど、そのへんの見解をできればちょちょんまげ(はてなid:chochonmage)さんあたりに聞いてみたい。まぁ、さつきさんはご自身ではおわかりのことなんだろうと思うけれどね。
そもそも多くの人は個別の問題で意見が一致することもあれば異なることもあるのが普通でしょう。「内部で小さな陣営に分裂し」の「内部」が、全ての問題で意見が一致していた筈の空想上の組織としてpoohさんの脳内に存在していたのだと読み解かれます。
先に「ニセ科学批判クラスタ」と云う用語に対して延々と書いたのは、このへんのことがあったからで。意見が対立しても議論しても相互批判しても、ニセ科学批判クラスタは瓦解しない(そもそも組織じゃないので瓦解しないし、だから「クラスタ」なのだけれど)よ。他人の脳内読み解く前に、書いてある文字をまじめに読み解こうよ。

でまぁ、ここからは「メルトダウンじゃないだす」関係の話が延々続けられているのだけど。
言葉の定義問題に矮小化して少しでも自らの失地回復を果たそうとの努力としては一貫しています。
いや、要するに語義としてメルトダウン∋炉心融解炉心溶融、であってメルトダウン=炉心融解炉心溶融ではないのだけれど、そのへん用語として話者による認識の相違があってあいまいだし自分も勘違いしたからこれから(自分では)積極的には使わない、と云う以上の話ではなくて。と云うか、そんなことさつきさんもわかって云ってるんだとは思うけれど。

菊池誠は怜悧に自分を律しようとはしているけれど内面は感情的な人間で、そこのところがとりわけtwitterでは悪い方に出ることがそこそこ頻繁にある。そのへんはニセ科学批判クラスタに属していた(とぼくは思ってるけど本人の認識は違うかもしれない)ublftboさん(と云うかTAKESANさん)が大雑把な菊池さんと云うエントリで批判しているし、ぼくも尻馬に乗ってこんな批判を書いたりした。
ただまぁそのへんは本人の迂闊さとかtwitterと云う場の性格なんかも相俟ってのもので、それがゆえに物理学者にあるまじき無知が露見したと云うような話ではない(このあたり、kanoseさんの菊池誠氏は科学者としてダメというが、どの辺がダメなのか誰か説明して欲しいと云うエントリもあった)。

で。ぼく個人としてはちょっと残念なのだけれど、菊池誠のツイートにはメルトダウン云々以降にもけっこうだめなものがあるので、そこに5年越しで執着するよりもそっちを批判したほうが将来に向かって建設的なんじゃないか、みたいに思うのだけれど、一部のひとたちは頑としてそうしようとしない。なんかちょっと不思議に思うんだけれどね。
菊池さんは科学者であり、ニセ科学批判の旗頭であった訳ですから、「科学を装う」どころではないですね。その方が「東電原発事故におけるメルトダウン問題」でデタラメを書き続けている訳ですから、これをニセ科学と言ったのです。
ニセ科学と云うのは、そう云う意味ではないですよ。念を押しますが。「オレにとってはそう云う意味だ」とおっしゃるなら、表通りでしゃべらずに庭に穴を掘ってそこに向けて云ってればよろしかろうに。
poohさんが私の「以前からのスタンス」をすっかり正しく理解していらっしゃることを前提に意味を持つ主張ですが、この「盗っ人猛々しい」という表現に、この方の強い正義感がにじみ出ていますね。
いや、べつに正義感ではないですが。ずいぶんと堂々としていらっしゃるなぁ、と思って、そのように形容しただけです。
ちなみに、原発は「ニセ科学」かという問題については、天羽さんによる「原発の問題がニセ科学の問題になりにくいわけ」という記事がありますが、論評は、今は控えておきましょう。
この部分のリンク先で天羽さんがお書きになっていることには、いわゆる「原発安全神話」の方にはニセ科学性があったと考えざるを得ない。と云う部分を含めて(ぼくは)基本的に同意で、異論はないですよ。

# こう云う、議論の相手としての誠実さが期待できない相手へのマジレス、と云うのはかつてのぼくの芸風と云うかパターンであって、好意的に見てもらえれば愚直、と云うことになるかもしれないけどふつうに見れば莫迦以外のなにものでもないよなぁ。くたびれるし。

# ところでぼくと議論において対立的な立ち位置にいる論者がぼくの名前を「poor」ってtypoするのって、なぜか定番化してるんだよね。こっちとかこっちとか。そのつど相手に揶揄の意図があるのかどうかどうしてもくだらない忖度をしてしまう羽目になって、ばかばかしいのでかんべんしてほしいのだけれど。
nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 6

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>「我々の間にチームプレイなどという都合のよい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ。」ってやつですね)

 私なんかも化学(分析化学)の研究者だから、物理学者の菊池さんや、物理化学者の天羽とはもともと接点は無いし、私なりに「ニセ科学批判」やっている間もリアルでは接点を持っていないのね。
 私の場合は工業材料の分析屋として、幾つかの企業とある程度の関わりがあり、その中で「マイナスイオン」みたいな話の流行に心を動かしてしまう経営者と「あんなのは嘘くさい話です、わが社として手を出すべきではありません」と抵抗する技術者の話が持ち込まれることもあって、「困ったものだ」とまあ「眉をしかめていた」ところに、菊池さんたちが「ニセ科学」という言葉を使って批判を始めてくれたことを歓迎したということね。
 なんだろうな、初期のクラスタには私みたいにもともと「眉をしかめていた」人が、ちょうど良い用語を出してくれたことを歓迎して使い始めたという場合が多かったんじゃないかな。

>「いわゆる「原発安全神話」の方にはニセ科学性があったと考えざるを得ない。」と云う部分を含めて(ぼくは)基本的に同意で、異論はないですよ。

こういう事を書くと物議を醸すかもしれないけど、スリーマイル事故以前から原発問題を考えていた者にとって「原発安全神話は原発推進派と飽きっぽい原発危険派の合作」みたいな意識があるんです。私は反対派でも「核のゴミ処理費用も含めて原発は採算が合わない論」だから、当然そのコスト計算には多重安全装置の維持管理費みたいなものも含んでいるのね。当然だけど安全装置がどの程度多重に設置されているかもきちんと知らなきゃならない。
 スリーマイル事故の後、沢山の原発危険派の人たちが反対を叫び始めたのだけど、どんな安全装置が付いているかも知らないまま「こうなったら危険」「あれが壊れたら危険」と指摘し、それに対して推進派の「これが壊れてもあれが」「あれが壊れても次がこれが起動」という回答が繰り返し繰り返しなされた訳です。そして飽きっぽい危険派が反対を叫ぶのに飽きて消えていったあと、多重安全装置の話だけが残った感じなんです。

 多重にした安全装置に共通部分があり、そこが壊れると多重機構が意味を持たなくなるというのは、まあ当然なんです。でもそういう考え方がリスク管理で指摘されるのは、幾つかの航空機事故で教訓が得られた1980年くらいからです。私自身、その視点で原発の多重機構を見直すことができなかったことを悔いている面はあります(福島原発で言うと全ての非常用発電機が地下にあるという共通性や外部電源や非常用発電機の電力をうける受電盤が共通であることなど、その目で見直せば指摘できたことはいろいろあります)。

 「採算が合わない論」で言うと、原発を続けるなら「操作者の訓練用模擬原発」を作るべきなのね。炉心の代わりに大きな電気ヒーターが入った奴です。それで原発操作者に「外部電源喪失、非常用発電機起動せず。直流電源系不安定」という過酷状態で炉心を冷やすための操作を教えるべきなんです。作るだけじゃなくて訓練のたびに相当な費用がかかるけど、そこまでやって、ごみ処理もやってはたして、採算が合うかどうか。

by 技術開発者 (2016-04-01 09:37) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「眉をしかめていた」ところに、菊池さんたちが「ニセ科学」という言葉を使って批判を始めてくれたことを歓迎した

ニセ科学、と云うことばは、非常にキャッチーだったので、わりあいと早く広まった、と云う部分があったかと思います。ただ、そのキャッチーさがはらむ危うさ、と云うのも、比較的早い段階から意識されていたようにも思います。ここで挙げているひとのような、安直な使い方をされることへの危惧ですね。

> 採算が合うかどうか。

その勘定に、過酷事故のリスクが乗っかってくるわけです。
by pooh (2016-04-01 12:49) 

TAKESAN

お早うございます。

用語としては、「炉心融解」では無く、「炉心溶融」が一般的であると思います。

poohさんも触れておられますが、菊池さんについては、メルトダウン云々以外の部分で脇の甘い発言がいくつか見られますし、そういうのを都度丁寧に批判していけば良いのに、と感じます。

私は以前より、菊池さんらの用法である「ニセ科学」は、有意義な語ではあるが、概念の整理が十分では無いと思っていて、自分でも色々考察してきて(数年前から表ではやっておりませんが)、『ニセ科学入門』も批判的に検討したいと考えていたりもします。
科学において用語の定義が一義的に重要であると認識するのならば、その辺りからアプローチすればよろしいのに、それほど複雑な話でも無いメルトダウン発言をいつまでも論うというのは、実に要領が悪いなと。
by TAKESAN (2016-04-02 06:16) 

pooh

> TAKESANさん

> 「炉心融解」では無く、「炉心溶融」が一般的

あちゃ。直しました。ご指摘ありがとうございます。

> 菊池さんらの用法である「ニセ科学」は、有意義な語ではあるが、概念の整理が十分では無い

もともとの性格として、そう云う部分を持っている用語なんですよね。用語として欠点がある、と云うより、性格上要注意、みたいな。
ストイックに定義することでその性格がカバーできるのか、すべきなのか、と云うとどうかな、みたいに個人的には思いますが(このあたりはご存知のとおりの、以前からのぼくのスタンスです)、いずれにせよ「こう云う使い方さえすれば問題なし」みたいな位置づけのできる用語ではないよなぁ、みたいに思ってます。

> それほど複雑な話でも無いメルトダウン発言をいつまでも論うというのは、実に要領が悪い

単純に、目的(たぶん「菊池誠の撲滅」なんだと思います)の問題なんだと思いますよ。同じようにそこばかりいつまでも言い募っているサンプルがそこそこ豊富にあるので、一点突破で目的を達成できるんじゃないか、みたいな発想じゃないでしょうかね。思考の倹約もできるだろうし。
「ありまぁす!」って言い続けていればいつかは真実として認められる、みたいな感じなのかも。
by pooh (2016-04-02 09:13) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>ここで挙げているひとのような、安直な使い方をされることへの危惧ですね。

いろいろ考えていたら「ずっと使われたらそのうち時間が解決する」話のような気がしてしまいました(使われずに消えるかも知れませんけどね)。

 対比として何を思いついたかというと「悪徳商法」なんて言葉です。もはやいつ頃に誰が言いだしたかもわからない言葉ですが、真面目に定義して使おうなんてすると結構難しい言葉なんです。出資詐欺なんかでも、その初期段階では詐欺の証拠が明確に指摘できないので「悪徳商法じゃないの」なんて注意喚起に使われたり、日ごろはまともな販売者でも何かの機会にちょっと無理な販売をしたときには「悪徳商法に手を染めやがった」なんて使われたりとか、けっこう幅広い訳です。
 曖昧で幅広でありながら、なんていうか社会的に漠然としながら「良くない商売を指す言葉」みたいにそうそうとっぱずれた使い方もされずに定着しています。

 私は悪徳商法批判というか啓発系のサイトにずいぶん長い間居た訳だけど、「撲滅」を目指して挫折することも無かったのね。もちろん、それを目指して「浜の真砂が尽きない」と嘆き挫折する人もたまには見たけどね。「私たちは浜の真砂を一粒ずつ運び去る蟻のようなもの」なんてことも言ったことがあった。

 「ニセ科学」なんて言葉も、消え去ることなくもっと長い時間生き延びたなら、「悪徳商法」みたいな定着した言葉になるのかも知れないし、そうなれば良いなみたいな意識は少しありますね。

by 技術開発者 (2016-04-05 12:07) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「ずっと使われたらそのうち時間が解決する」話のような気がしてしまいました

そうであったならよいのですが。

> 曖昧で幅広でありながら、なんていうか社会的に漠然としながら「良くない商売を指す言葉」みたいにそうそうとっぱずれた使い方もされずに定着しています。

そんなふうになってくれればいいんですけど、「悪を撲滅するのに使い勝手のいい旗印」みたいに定着しちゃうとまずいなぁ、みたいに思ったり。なのでこんな、あげつらうみたいなエントリを書いたりもするんですけど。

> 浜の真砂を一粒ずつ運び去る蟻のようなもの

この意識があるひとと、ないひとがいるんですよ。そこのところは目的の相違に由来するものだったりもするし、アプローチの違いとして表面化したりもするわけです。

> 「ニセ科学」なんて言葉も、消え去ることなくもっと長い時間生き延びたなら、「悪徳商法」みたいな定着した言葉になるのかも知れないし、そうなれば良いなみたいな意識は少しありますね。

ぼくとしては「他者を言説でぶん殴るのに便利なことば」として定着しないのを願っています。
by pooh (2016-04-05 12:26) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

関連記事ほか

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。