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外部と内部、そして共有(「雲の王」川端裕人) [ひと/本]

熱心な読者、とは云えないと思うけど、ぼく個人にとっては川端裕人は古川日出男とおなじくらいに重要な作家。ここで書いた彼の著作物についての書評めいたものはこちらで読めるけれど、書評を書かなかったものを含めるとだいたいこの3倍くらいは読んでいるかな。
で、その川端さん(作家としては呼び捨てだけど、ブロガーとしてはさん付けになっちゃうね)が自著をプレゼントしてくださる企画を実施されていたので(こちらのエントリですね)、手を挙げたらサイン付きで送付いただいたのがこの本。

雲の王

雲の王

  • 作者: 川端 裕人
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/07/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

川端裕人の小説の重層性については、以前も書いた。これは「ニコチアナ」のような、複数の登場人物の行動を追うような物語だととりわけ顕著に感じられるのだけれど、それはただ単に多くの登場人物の行動が重なり合って物語が展開するから、と云うわけではないように、ぼくは思う。
視点の置かれかたなのか、それともいっそ文体そのものに由来するものなのか。川端裕人の小説では世界は実在論的に(あるいはいっそ科学的に)厳然として存在し、それはときには登場人物の内面から把握され、認識される世界と対峙する。外部と内部は互いに(登場人物の認識のうえでは)侵しあい、重なり合っていることはあっても、それでも同質のものとして混濁することはない(さきほど名前を挙げたけれど、ほぼ同世代の作家である古川日出男と、この点ではほぼ逆であるのがちょっとだけ興味深い。いや、こんな比較にもちろんあまり意味はないのだけれど)。

この小説では、物語はほぼ主人公である美晴ただひとりの視点から紡がれる。外的な世界に立ち向かう視点は、美晴ひとりのものに集約される。そして、美晴は物語の展開のなかで、自分を取り囲む世界に翻弄され続ける。美晴がどう捉えようと、外的な世界はそれ自体の原理で動き続け、美晴を巻き込んでいく。
そして、確かにぼくらにとって世界は、そのような場所だ。常時、自分の認識とのすり合わせが要求されるような。

ただ、この対峙の構図は、この小説においては美晴の特殊な能力に媒介されて明示的に互いに侵犯しあう。その意味で、この小説では、あらかじめ内的な世界と外的な世界を隔てるついたてにのぞき穴が開けられている。
実在論的な世界、と云っても、それはやっぱり人間の認知の範囲の内側でしか把握されない。世界をまるごと把握して理解を共有できるほどの積み重ねを、科学はいまだ持っていない。言い換えると、それだけの厳密な「外部化」が完了しているわけではない。
逆に、ファンタスィ的、または伝奇的な要素として読めてしまう美晴の、その一族の能力にしても、この物語のなかではじっさいに存在する人間の認知のひとつのかたちだ。それが存在する以上(そして有用である以上)もちろんそれは科学的な営為のなかでも選択肢のひとつとして認められ、活用を模索される。それはまったく(たとえば「非科学的」である、と云うような理由で)排除される対象としては扱われない。それはいまだ「外部化」されていないだけだ。
ニセ科学にまつわる議論において何度もここで書いてきたことと、このことは重なり合う部分がある。科学は万能ではないし、ひとびとの内的な認識に対して前提として優越したものとして扱われるべきものでもない。ただ、科学に基づいた認識はひとの認識を超えた、外部にあるものとして取り扱うことができるがゆえに、その手つきによって有用なものとして共有が可能になる。

この小説のテーマとしてとりあげられている気象は、ぼくたちの生活を直截的に左右する現象としては、たぶんもっとも巨大なもののひとつだ。おそろしく多くのファクターが、気象に関しては複雑に絡みあう。表裏一体となった多くの恵みと多くの被害が、それぞれを原因とし、また結果として連環してゆく。そこにアプローチする営為が(仮に「人間にとって」と云う限定を置いたとしても)はたして善であるのか、また悪をなすことであるのか、を見極めることはとても難しい。その意味で、ライラックウォーターのテーゼは(それが科学的営為に対して向けられたものであるがゆえになおさら)それを体現しようとするものにとって重く、悩ましい。それでも、それはひとつひとつの行いに対して、問い続けられなければならないこと。

震災後の東北で1年半ほどを過ごして、ひとのひとりひとりの思いと、共有しうるものとの関係について考える機会を多く得られるような状況におかれて。
ぼくたちがどうしても(美晴同様)自分たちの外部に存在する諸条件の変化に翻弄される存在であること、だからこそ外部化しうる世界認識について共有し、そこから考えることの意義についてつよく感じてきた(直面させられてきた、と云うほうが適切かも)。どうしても内側からしか世界を見ることができない以上、このことを心の底から理解するのは、どうしても難しいことではあるのだけれど、でもあるツールが完璧ではないことをもってその有用性を否定する、と云うスタンスでは、ともに前に向かうのは困難だろうなぁ、みたいには感じる。
美晴の、ちょっと頼りなく見える冒険を追いながら、すこし考えたりもした。積み重ねるしかない種類の、相互理解にかかわることがらについて。

まぁいずれにせよ今作についても、テーマに向かう真摯な姿勢とエンタテインメント性をけしてトレードオフにしない著者の変わらない力量にちょいと感服、ですね。

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