SSブログ

シュミノチガイ [音楽あれこれ]

斉藤和義の「ずっとウソだった」に触れたエントリに、takuzo1213さんからトラックバックをもらった。「ずっとウソだった」に思うことと云うエントリ。

ロック、と云うのが難しいなぁ、みたいに思うのは、その表現としての優劣がほとんど「かっこいいかどうか」と云う基準で決められてしまうこと。いやまぁどんな音楽でもそうなのかもしれないけど、かっこわるかったら終わり。
で、例えば、「ぬけぬけとかっこわるいことをするかっこよさ」もあるし、「かっこよくやろうとしたあげくのかっこわるさ」みたいなものもある。前者は最高にかっこいいし、後者は最低にかっこわるい。
で、前のエントリを書いた理由のひとつは、件の斉藤氏の曲が、後者の典型にしか聴こえなかったこと。そしてそれがけっこう数多いひとたちに、かっこいいロックだ、みたいに受け止められていたこと。
真実を“述べない”ことは「ウソ」とは言えないかも知れないが、受け止める側としてはウソと感じるのは無理もない。「ずっとウソだったんだぜ」という叫びも無理からぬものだと思える。
無理からぬものだからどうした、って話にしか、これはならない。無理からぬ自分の感情を吐き散らかせばそれがロックだ、って定義があるのなら、ぼくにとってロックミュージックは無用のものだ、と云うだけ。

ぼくはことにあたってミュージシャン(アーティスト?)がなにかしらメッセージを出すべき義務を負うとは考えない。ミュージシャンの仕事は、音楽を創ることだから。
いっぽう、音楽がメッセージを届けるために有効な手段である、と云う面はあると考えている(パンクスですから)。また、そこに乗せられたメッセージがその音楽の音楽としての質に影響することもある、とも思う。いずれにせよこの場合に問題になるのは、そのメッセージが適切かどうか、ではなくて、どんなふうに表現されているか、伝えられたか、だ。
原子力は安全ではないのかもしれないと思いながら結局何もせずにいた自分は、とても後ろめたい思いでこの歌を聴いた。
こんなふうにおっしゃるtakuzo1213さんを、ぼくは信用することができる(し、たぶん理解することもできる)。ご自分がどの場所にいらっしゃるか、をはっきりと示しているから。
いっぽうで、このうたを歌った斉藤氏と、このうたを聴いて「快哉を叫んだ」少なからざるひとたちが、いったいどこに立っているのか、だれに向けてうたったり快哉を叫んだりしているのかが、ぼくにはさっぱりわからない。斉藤氏の音楽を継続的に聴いていればわかるのかもしれないけど、残念ながらそんなの知ったこっちゃない。

この曲に込められたメッセージは、そこに連ねられたことばは、そのメッセージに共鳴するリスナーの多くを「快哉を叫ぶ」ような場所にしか連れていかなかったように見える。と云うか、その場所にしか連れていけないような表現だった、とぼくは思う。そんなメッセージなら、ないほうがましだ。takuzo1213さんがおっしゃるこれぐらいのメッセージでさえ表明できないアーティストたちのほうが、口をつぐんでいる分だけ上等だ(ついでに云えばこの曲が電力会社や政府に対する怒りだけではなく結果的に現状の事態を招くに至った自らへの怒り・無力感や、既に起こってしまったことに対する無力感、閉塞感を表現したものなのだとすれば、それはこの曲を受け入れて賞賛しているファンたちにはさっぱり伝わっていないようにしか見えないわけで、その意味ではよりはっきり、表現としては失敗だと云える)。で、いまや「ロック」と云うものがそんな程度の表現しかなしえないものに成り下がっているのだとすれば、まぁ最近あまり聴かなくなったのは正解かなぁ、みたいに感じた、と云う話だ(ちなみに、云うほど聴いてないわけでもないけどね)。
ついでに云うとぼくは、RCの「ラヴ・ミー・テンダー」や「サマータイム・ブルース」がそんな程度のものじゃなかったことを覚えている世代なので、そのへんも関係しているのかもしれない。あと、ロック・ミュージシャンがみずからの無力感とか閉塞感みたいなものに真摯に向き合う姿勢、みたいなものを、ジョー・ストラマーの生涯を通じて知っているじじいだから、って云うのもあるんだろうな。



もちろん、takuzo1213さんが今回の話題となっている斉藤氏の曲について、純粋に「すげぇかっこいいじゃん」みたいにお感じなのだとすれば、ここまでの話は、「趣味の違い」、と云うところに集約されて終わりなのだけれど。
nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 4

takuzo1213

勝手にTBを送ってしまい申し訳ありませんでしたが、エントリまで書いて頂きありがとうございます。音楽に対してほとんど蘊蓄のない人間ですが、勉強になりました。
音楽論や格好よさなどといった話については、語れるほどの立場にないので何ともです。ただあくまで主観に過ぎませんが僕が「誰に向けて、なにを、誰が」のエントリを読んで引っかかったのは、震災の被害を踏まえた上で「『それ見たことか』的にうたってみせている」、もっと言えば屍や放射能汚染の上で「ドヤ顔」で歌っているとはちょっと信じ難かった点です(web上ではそのような輩も散見されますが)。
それはそれとしても仰られるとおり、快哉を叫ぶのみで終わっているらしき聴き手も少なからずいるらしいことは由々しい話です。確かに、単なるガス抜きに終わってしまうとすればない方がマシという考え方にも頷けるものがあります。僕の捉え方に、いささか勇み足や穿ち過ぎな部分もあったのかも知れません。
音楽論が主旨のようですのでいささか話題ずれな感もあり申し訳ないのですが、今思うのはこんなところです。ともあれ、一刻も早い自体の収拾を願ってやみません。
by takuzo1213 (2011-04-15 02:55) 

pooh

> takuzo1213さん

いらっしゃいませ。

> 勝手にTBを送ってしまい申し訳ありませんでした

トラックバックは勝手に送るもの、リンクは勝手に張るものです(^^)。違う、と感じたトラックバックは勝手に消します。

> 屍や放射能汚染の上で「ドヤ顔」で歌っているとはちょっと信じ難かった

ぼくだって、そんなふうに斉藤氏が考えてうたっている、みたいにはあんまり思っていません。ただ、結果としてそのような表現としてアウトプットされていて、そんなふうに受け止められている、と云う状況があるわけです。表現者として(出したりひっこめたりする前に)そこに留意してほしかった。

> 僕の捉え方に、いささか勇み足や穿ち過ぎな部分もあったのかも知れません。

いや、そんなふうに捉えてくれるリスナーを持っているのは、彼にとってしあわせなことだと思います。ポイントは、そこにこれから彼がどう応えていくか、なのかもしれません。そこに、ロックンローラーとしての彼の姿が顕れる、と云うことなのかも。

> 音楽論が主旨のようですのでいささか話題ずれな感もあり

ある意味最初から、ぼくは音楽としての意義しか論点にしていなくて。ただ、ロックと云うのはそう云うポリティカルな側面をずっと内包してきた音楽様式でもあって、だからいろいろと難しい部分も持っている、と云うふうにも思います(ぼく自身、ポリティカルな要素を含んだ表現をするロック・ミュージシャンに対して、けして否定的な見方をする人間ではないので)。

> 一刻も早い自体の収拾を願ってやみません。

もう、これはほんとうにそうです。
そのうえで、問われるべき責任は適切に問われるべき、みたいに思います。
by pooh (2011-04-15 07:42) 

Jem

シュミノチガイというか単に好きか嫌いかですね、私にとっては。

で。キライです。美しくないんだもん。
by Jem (2011-04-19 22:23) 

pooh

> Jemさん

いやまぁ、好き嫌いだけでは語る価値がでてこないので、そこを超克するべく言葉を紡ぐわけです(^^;。どうやって紡いでいっても、そこに還元されるといっぺんにすべての意義が廃棄されてしまう、と云う、まぁ一種魔法の言葉ではあるわけです。

キヨシローがどこまでやったか、ってのはこのあたりにあるわけで。
http://www.youtube.com/watch?v=9V7l3fOMwYM
このへんをいまになって持ち上げてる連中も、相当不快ではありますけどね。
by pooh (2011-04-19 22:35) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

トラックバックの受付は締め切りました

関連記事ほか

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。