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認識以上の溝 [余談]

gurenekoさんの脳科学と科学技術コミュニケーション――シンポジウム荒しとの再度の遭遇と云うエントリをたまたま読んで、でもってちょっと考えた。

日曜日に東京大学が「脳科学と科学技術コミュニケーション」と云う公開シンポジウムを実施していたらしくて、gurenekoさんのエントリはその参加報告。で、こちらに以前ぼくがその著書のレビューを書いたことがある(ぼく個人としてはどちらかと云うと好意的な評だったつもり)東北大学脳科学センターの長神風二氏が登壇していたみたい。
休憩を挟んで、長神風二氏の「脳科学とコミュニケーションの現場」。脳科学の面白さを一般市民に伝える仕事をしている人間としての、現場の紹介でした。興味深かったのは、疑似脳科学の氾濫については、現場ではかなりポジティブだという話でした。教育とかジェンダーとかがテーマだと、疑似学問のコチコチの信者や個人的体験の至上主義者と永遠に解り合えない事態が多々あるのに対し、脳科学ではそういう事は起きないという話でした。そして俗説は俗説で、興味を持ってもらう入り口になっているみたいです。

 最後は朝日新聞の高橋真理子氏。新聞がどういう時に何を記事にするかについて語っていました。

 その基準は科学者の基準とは違っているので、時として疑似科学に好意的であったりします。この現状を後の総合討議で長神氏が擁護していたのが印象的でした。特定の価値観に安住するな、というのが長神氏の立場でした。読者のいる新聞に何を載せるかという判断と、研究者による判断は別物でなければならないのだと。

なるほど。現時点で現役で活動している日本のプロパーのサイエンスコミュニケータの認識って、こんな感じなのね。なんかわかった気がする。

ちょっとまえにぼくは内田麻理香氏のいいぐさがあんまりだとか感じたのでエントリを書いたりしたのだけれど、日本でサイエンスコミュニケータと云う職業に就いているひとたちでこのへんの認識が共通しているのだったら、そりゃ科学者でもない、あまつさえ理系でさえないぼくみたいなスタンスの人間がニセ科学の問題について言及したりしているのを見れば、まぁ疑似科学叩きに懸命な人として科学原理主義みたいなことばで揶揄したくもなるよなぁ。気持ちはわかる。愉快じゃないけど。

gurenekoさんはすこしフォローするようなことを書いてくれているけれど、やっぱりなんかへこむなぁこう云うの。いちばん期待したかった職能のひとたちだったから。

ところでこのへんについては、きっとvikingさんならなんらかの見解をお書きになっているはず、とか思ってちょっと探してみたら、科学コミュニケーションは本来2系統に分かれる:そして今必要なのは第3の系統と云うエントリを見つけた。
僕は科学コミュニケーションの専門家でも何でもないので名案も妙案も持ち合わせてはおりませんが、ベタなことを書くと「異なるベクトルを向く2系統同士を橋渡ししてバランスさせる第3の系統を作るべき」だと思うのです。
なるほどなぁ、と思う。でもそんなの、だれもやらないよなぁ、たぶん。残念だけど。
タグ:ニセ科学
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技術開発者

こんにちは、poohさん。年寄りの思いで話だけどね。

>そして俗説は俗説で、興味を持ってもらう入り口になっているみたいです。

日本の1980年代にある材料が注目を浴びてね、ブームと言われる状態がおきたのね。私はそのブームのおかげで、研究者の仕事にありついた様なものなのね。その頃にもその材料について「夢のような未来像」が山ほど出たわけですよ。うすうすだけど「そんなに夢のような発展はしないよ」と思っていたわけだけど、「まあ、興味を持って貰うのは良い事だから」と特に否定する気にもならず、研究そのものは地道にその材料についてやっていた訳ね。

でもね、研究を始めて10年くらいしてブームが下火に成った頃が辛くてね。なんていうかな、ブームで色んな研究が進んで、やっといろいろな基本的な事がわかり始めているわけね。私なんかには「始めた頃には分からなかった事がここまで分かった、ここまで進んだ」という思いがとても強いのに、世の中は「結局、ものに成らなかったんでしょ」みたいな「駄目材料だったね」みたいな雰囲気でね(涙)。「あともう10年やらせて欲しい、ここまで分かってきた事をもう少し研究させて欲しい」をいろいろと飛び回ってなんとかやり続けさせて貰ったのね。

今はもうブームだった頃の記憶も薄れているから、駄目材料と言われる事もなく、社会の片隅で地味に役立つ材料をそんなに多くない研究者が地味に研究しているのね。たぶん、それが本来の姿なんですよ。

なんていうかな、研究開発のタイムスケールと、世の中がブームみたいに盛り上げる事のタイムスケールの差なんだけどね。ブームの頃にあんまり盛り上げられると、ブームが下火に成った頃の研究者というのは、ずいぶんと辛いものなんですね。ブームの中にいると気が付かないんだけどね。

by 技術開発者 (2011-03-08 11:26) 

mohariza

gurenekoさんの記事の
<科学者が近視眼的に新聞の編集に介入した結果、そういう「正確な」新聞を面白いと思わなくなった読者が新聞から離れていけば、長期的に観て却って疑似科学を隆盛させる事になりかねません。>は、分かる気はしますが、
新聞の記者の無知さ、科学者の発表であれば、いい加減な<何ら、科学的真実を捉えて無い>内容でも載せてしまう姿勢は、反省すべきと思います。
要は、興味本位で、特異であれば好し、「地球温暖化」に繋がる記事内容であれば好し等、とする客観性に欠けた無知な科学記事は、まさに<近視眼的>な記事になり、科学に精通しない一般読者を誤った見方に先導(誘導)すると思います。
新聞に冷静で地道な科学の動向を知らせる意思は無いとは思いますが・・・。
by mohariza (2011-03-08 12:56) 

pooh

> 技術開発者さん

どうもちょっと憶測が入ってしまうのであまり書きたくないんですが、長神氏の云いようには、現在の氏の所属に関連する、ちょっとポリティックな背景もあるのかな、みたいにも思えるんですよ。それならそれでぼくなんかだとポジション分を割り引いて受け止めることもできるんですが(そのへんについて考え、いくらか論じてきた経緯もあるので)、いわゆる世間、に対してはどうか。
いや、べつにアカデミズムの場にいるものはなべてナイーブであれ、みたいなことを要求するつもりではないんですが。

> ブームが下火に成った頃の研究者というのは、ずいぶんと辛いものなんですね。

しかしまぁ、アドバンテージを得られるタイミングで稼げるだけ稼いでおけ、みたいな計算も、けして的外れではないかとも思うんですね。
by pooh (2011-03-08 22:49) 

pooh

> moharizaさん

> 科学者の発表であれば、いい加減な<何ら、科学的真実を捉えて無い>内容でも載せてしまう姿勢は、反省すべきと思います。

これ、どうなんだろうなぁ。

いや、あんまりこう云うことばかり云いたくはないんですけど、事実マスメディアにも、個々の科学コミュニケータの方々にも、厳然としてそのポジション、と云うのは存在するんですよねぇ。なんかいやらしい云い方ではありますけど。
ただ、そう云う理由で発話の内容がディスカウントされて受け止められる可能性を考慮されてしまう、と云うのは、それだけで「コミュニケータ」と云う職業上の看板に対する致命傷にもなりうる潜在的可能性を持っているんじゃないかとも思うんですね。それってまずいんじゃないかなぁ。
by pooh (2011-03-08 22:50) 

脳科学都市伝説

マーケティングを解毒する教育の必要性|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンラインの記事から
ニューロ・マーケティングも含めて、マーケティングそのものに対する予防的な教育あるいは情報提供が必要なのではないだろうか。

 伝えるべきは、たとえば以下のような内容だ。

(1) マーケティング一般の目的が顧客の「感じ方」や最終的には「本人の意思」に影響を与えることにあること、
(2) マーケティング(活動)によって、顧客の意思や判断が左右されることが十分にあること、
(3) マーケティング(活動)によって、個々の取引で売り手が得ている利益に関心を払うべきこと、
(4) マーケティングで得られた情報や刺激から距離を取って、自分の意思決定を行うための商品評価の価値観を確立すべきこと、など
by 脳科学都市伝説 (2011-03-09 12:14) 

かも ひろやす

ペンローズが例の王様本で計算論について大出鱈目を書いたことで、私らには何の利益もありませんでした。他分野の人に自分たちの仕事を説明する時に、必ず、「ペンローズのいっていることは間違いです。根拠はかくかくしかじか」から始めなくてはならなくて、迷惑なだけでした。「俗説は俗説で、興味を持ってもらう入り口になっている」なんて、のんきなことをいってられる状況ではありませんでしたね。

「俗説は俗説で、……」なんて現場を知らない人間の無責任な悪い意味での評論家的態度ですよ。ばかばかしい。


by かも ひろやす (2011-03-09 13:38) 

TAKESAN

今晩は。

twitterにも書きましたが、たとえばゲーム脳を信じてそれがきっかけとなり神経科学に興味を持って、そしてゲーム脳がデタラメだと分かる、といった人が一体どの程度存在するのか、と。

似たような論は、茂木氏や川島氏の活動を擁護する意見として見る事がありますね。

ゲーム脳など、未だに学校だよりなどに掲載される事もあるというのに。勘弁して欲しいものです。
by TAKESAN (2011-03-09 19:46) 

pooh

> 脳科学都市伝説さん

できれば、お名前らしいお名前を名乗っていただきたいです。
とまれ、リンク先は興味深く読ませていただきました。
by pooh (2011-03-09 21:16) 

pooh

> かも ひろやすさん

うむむ。
でも長神さんの所属は東北大学医学系研究科・脳科学GCOEなので、その意味では現場のひと、のはずなんですけどね(ペンローズをはさむと、かもさんの反対側に位置することになるのかも)。まぁ現場のひと同士でも、利益相反は珍しくない、と云う話かもしれませんが。
by pooh (2011-03-09 21:18) 

pooh

> TAKESANさん

> 似たような論は、茂木氏や川島氏の活動を擁護する意見として見る事がありますね。

こう、ちょっとこう云う云い方はいやらしくて正直自分でもどうかなぁ、みたいに思うんですが、要はそう云うこと、なのかもしれません。氏のポジション的に。
—— みたいに忖度されるような脇を見せるだけで、すでに「科学コミュニケータ」の看板が危うくなるんじゃないか、みたいにも思うんですけどね。「内容を吟味せずに両論併記」が、それだけでマスメディアの存在意義の根幹を揺るがすスタンスである、と云うのと同じように。よけいなお世話でしょうけどね。

> ゲーム脳など、未だに学校だよりなどに掲載される事もあるというのに。

これはたぶんTAKESANさんのところからの情報で知ったんだと思うんですけど、ゲーム脳に触れた校内便りみたいなのをサイトにアップしていた小学校が仙台市内にあって、メールで真意を確認したことが以前ありました。そのときに「ゲーム脳は川島隆太も否定している」みたいなことを引用付きで書いたら(ローカル的にちょっと効く名前かな、みたいに思ったもので)、校長先生から「あの尊敬する川島先生も否定してるんですか!」みたいなことを書いたFax.が返ってきて、改めてそのビッグネームぶりを確認するとともに、微妙に鼻白んだ記憶があります。
by pooh (2011-03-09 21:19) 

北風Mk-2

小さいときに、アシモフの科学エッセイ とか読んでいたもので、面白さとか興味をもってもらうのに、ケレン味が必要とは思えないです。
興味をもってもらうとか入口というのが、センセーショナルな見出しをつける、とか、誇大な表現歓迎とかいうレベルならともかく、こういってしまうと何ですが、単に、表現者が、「何について書くのか」「何を誰に伝えたいのか」を練りこめてないだけではないのか、という気もします。
「何でも」というのは「何ものでもない」、情報の対象を「誰にでも」としたら、その情報は「誰にも」必要のないものにしかならないことも多々あるのであって、新聞記事にしろ雑誌にしろ、「誰に」「何を」伝えたいのかを練りこんだ上で、さらにケレン味が必要とは、私はちょっと想像しにくいのですが。
by 北風Mk-2 (2011-03-09 21:37) 

pooh

> 北風Mk-2さん

科学が絶対だとか、至上だとか、そう云う価値観に科学コミュニケータが立つべきだ、みたいには、ぼくはさっぱり思わないんです。と云うか(上でコメントを寄せてくださってるかも ひろやすさんなんかもそうですが)ニセ科学に対して批判的な言説を発している本職の科学者で、そう云う価値観を持っているひとを、ぼくはひとりも見たことがない。
そう云う意味で、例えば科学コミュニケータと云うのがそう云うことを伝えることを本義とする職業である、とか主張しようとは思わないんですよ。そんなナイーブなことを云うつもりはなくて。

ただ、科学の存在意義のひとつに、価値観だの信仰だのを乗り越えた地点で理解を共有する基盤を準備することができる、と云うのがあるわけじゃないですか。この部分を軽視すると、そもそも科学コミュニケータ、と云う職業の基盤が揺らぐと思うんですよ。その意味でぼくは内田氏はきわどいよなぁ、みたいに思っているし、長神さんも(そんなふうには思ってなかったんですが)ひょっとしたら、みたいな気になってきています。
by pooh (2011-03-09 21:58) 

mohariza

<科学コミュニケータ>は、(それぞれの専門)科学に精通しない一般読者なりに対して、分かりやすく、その道の専門科学者の言を伝える人とは思いますが、その<伝道者?>にバイアス(と云うか、偏見)があると、
真実は伝えられないのを、ちょくちょく垣間見ます。

今更!とか、そんな、バカバカしい説を何故、記事にするのか?とか・・・。

要は、肝心のマスコミ等の<伝道者?>が、本質と云うか、科学の原理を全然分かって無く、ただ、上っ面の特異で、一般読者が気に引くものをネタで記事にしているダケのように思えます。

バカな記事なり、マスメディアで発信されたものに対し、その道で<解った>人は、「また、バカバカしい記事」が・・・、と思うだけで、無視するのでは無く、正論(真実に近い「論」<説?>)を一般の人々に発信するべき!と思います。
by mohariza (2011-03-09 23:14) 

pooh

> moharizaさん

科学コミュニケータと云う職種がマスメディアに属するものなのかどうか、と云うのはたぶんあって。望ましいのはやはりvikingさんのおっしゃる「第3の系統」なんですけど。

> 一般読者が気に引くものをネタで記事にしているダケ

そう云う意味合いでのヴァリュー、みたいなものへの配慮は必要なんですよ。ただ、あまりそちらに引きずられると、科学コミュニケーションと云うものの存在意義そのものが問われる事態になるんじゃないかなぁ、みたいに思ったりもするんですよね。
by pooh (2011-03-10 07:38) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>しかしまぁ、アドバンテージを得られるタイミングで稼げるだけ稼いでおけ、みたいな計算も、けして的外れではないかとも思うんですね。

商売にもいろいろある訳ですよ。町内の人が行く町内の蕎麦屋みたいな固定客中心の商売と、催眠商法みたいに数ヶ月で店舗を移して歩く商売は同じじゃないんですね。私は研究開発という商売は基本的に固定客相手の商売だと思っている。まあ、これは私が若いときから技術相談みたいなことが多い生き方をしているせいもあると思うんだけどね。なんていうかな、固定客をしっかり掴んでいる蕎麦屋にとって、例えば何かの雑誌に「とてもおいしい蕎麦屋」と取り上げられて、一見客が押し寄せるのは本当に得かどうか分からない面はあるのでね。その時「このチャンスに稼ごう」と蕎麦のゆでかたがいい加減になって味を落としたりしたらそれまでの固定客すら失いかねないのでね。

笑い話だけど、昔々公害問題が世をにぎわせた頃に、ある研究所の研究グループが少しだけ脚光を浴びたのね。その研究グループは公害問題が世をにぎわす前から、工場の排水を浄化して出すためのプラントの研究をしていたものだからね。コツコツと開発して実用的な浄化プラントの骨格ができた頃に世の中が騒ぎ始めた訳ね。でもって取材の申し込みがあったときにたまたま、メインの研究者が休暇を取っていた訳ね。記者が怒りましてね、「この大事な時に休暇をとるなんて」なんてね。でもね、 本人にしてみると、今までと何も変わらずコツコツと研究している訳ですよ。大事な時もなにも、研究からしてみると別に開発ペースが変わるわけでは無いのでね(笑)。

by 技術開発者 (2011-03-10 08:36) 

北風Mk-2

>科学が絶対だとか、至上だとか、そう云う価値観に科学コミュニケータが立つべきだ、みたいには、ぼくはさっぱり思わないんです。

私もそんなことをいうつもりはないです。ぶっちゃけ、お金のためによく分からないものの宣伝をする、でもいいんですよ。
で、報道において、視聴者の好みに合わせて素材をねじまげることは、原則しないのであって、科学コミュニケータも、素材をねじまげちゃいかんでしょうと。
センセーショナルな見出しがほしければ、ねじまげることなく、そういう素材を用意すればいい。
どの分野であれ、発見、驚き、意義、未知への挑戦、こんなことができたらこうなる、などなどがあるわけで、「どういう切り口で何を伝えれば、訴求対象に面白さが伝わるか」を工夫するのに、科学が絶対だのが入る余地がないですし、そこにあるのは伝える側の力量でしょう。
上のコメントで書いたことはそういうことですので、科学コミュニケータが「面白さを伝える」という上では価値観だのなんだの、というのはあまり問題ではない、と思います。
上は、伝える側がどう発信するか、という問題についてで、少なくとも、科学コミュニケータはそうあるべきというだけです。
(疑似科学を好意的に紹介する立場にたつべきではない)

ただ、もう一つの「他者のおかしいと思われる意見を訂正するような動きをどうするか」というところ。
これが厄介な問題だと思います。

コミュニケータが「ある専門家の言を紹介するとき」には、上に書いたようにやるときに他説への批判、は、必要性としてはない。
雑誌であれ記事であれ、「ある水の研究について紹介するとき」に、水伝だの疑似科学的水ビジネスだのへの批判に触れる必要性は特にはない。

その批判は何のため、は明確でしょうから、誰がどこにどういうメリットのためにそういう場を設けるの?という問題です。
これについては、特にありようが分かりません。
エントリの末尾のように、誰がやるのか、ということになって、ネットや、批判書籍などにならざるをえないのかと。
科学コミュニケータがそういう記事を組むというのも一つの手ですが、そこには、批判記事という企画の壁があるでしょうね。
by 北風Mk-2 (2011-03-10 08:52) 

かも ひろやす

そもそも、科学コミュニケータというのが何をする職業なのか、私には理解できていません。科学ジャーナリストと科学エッセイストはわかるのですが。

スポーツには「解説者」というのがあるし、芸術には「批評家」というのがあるけど、そういうのとも違うんですよね。

by かも ひろやす (2011-03-10 18:07) 

pooh

> 技術開発者さん

> 私は研究開発という商売は基本的に固定客相手の商売だと思っている。

そうなんでしょうが、それが相当素早くマネタイズできるマーケットが、いま眼前にあるわけです。当該の研究開発分野では。
そのマネタイズ手法がはたしてまっとうな研究開発の枠内にあるものなのか、みたいな問いかけもある状況で、該当する研究組織のスポークスマンが「興味持ってもらえるんだからどっちでもよくね?」みたいに云っているような状況にも、ともすると見える。それってまずくない? みたいな話なんですよね。
発するべきことばは「べつに問題ないんじゃない?」じゃなくて「これはまっとうなんだ。これからおれが、そのことがわかるように説明する」じゃないといけないんじゃないかと。

> 大事な時もなにも、研究からしてみると別に開発ペースが変わるわけでは無いのでね(笑)。

微妙なのは、いまの世間でそれが許容されるのか、と云う部分でもあります(いきなり発言の観点がひっくりがえってごめんなさい)。べき論は別として、逆にこのへん、ぼくが以前から「科学者のマーケティング」みたいな部分で話しているところともまた接続してくるんですよね。
by pooh (2011-03-10 21:31) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 報道において、視聴者の好みに合わせて素材をねじまげることは、原則しないのであって、科学コミュニケータも、素材をねじまげちゃいかんでしょうと。

と云うか、看板に「科学」を背負う、と云うことはそう云うことだ、みたいに理解していないとまずいだろう、みたいに思うんですよね。「科学」そのものへの信頼まで巻き添えにしちゃうよ、みたいな。

apjさんの以前のエントリに「ヴィトンのバッグに置き換えろ」と云うのがありまして。
http://www.cml-office.org/archive/1226948122175.html

肩書に「科学」をつけたひとがニセ科学に容認的なスタンスを見せるのは、ある意味世界中の「科学」のつく職業名のひとたち(文理問わずの「科学者」をすべて含む)に対する裏切りだし、利敵行為たりうるんですよね。

> 「他者のおかしいと思われる意見を訂正するような動きをどうするか」というところ。

これはありとあらゆる状況で、問題になりえますね。

> 誰がどこにどういうメリットのためにそういう場を設けるの?という問題です。

たとえば科学者の場合、科学と云う巨人が立っていてくれて、肩に乗せてくれないと、仕事ができないわけです。なので、その巨人の足場を揺るがしうる可能性のあるものに対して批判的な言説を投げることには、本来直接的なメリットがあるわけです。そのへんに自覚的な科学者は、そうは多くない現状もあるわけですけど。
で、はたして科学コミュニケータと云う方々がそのへんどう云う存在なのかと云うと、ぼくにはよくわかりません。足場なんて知ったこっちゃない、みたいなスタンスでもお仕事ができるんだとすれば、まぁあんまりそんな場所に出ていく必要は感じてはもらえないでしょうね。
by pooh (2011-03-10 21:32) 

pooh

> かも ひろやすさん

科学コミュニケータと云うひとたちは科学コミュニケーションをするのだ、と認識していました。いやべつにふざけてるわけじゃなくて、Wikipediaのこちらのページに記載されているとおりの認識でぼくはいました。プロの啓蒙屋さん、みたいな感じですかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
そもそもそこが間違っているとすれば、ぼくがここまで書いてきたことは的外れかも、です。
by pooh (2011-03-10 21:33) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>微妙なのは、いまの世間でそれが許容されるのか、と云う部分でもあります(いきなり発言の観点がひっくりがえってごめんなさい)。

ひょっとすると、これが観点のひっくり返りじゃなくて、或る意味でこの議論の根幹かも知れません。世の中には、「許容しない」と頑張ったって他に選択肢の無い事ってのがあります。笑い話を書くと奥方から「子供ができたの、7ヶ月後にはあなたはパパよ」と言われて、「7ヶ月も待てない。そんな事は俺は許容しないよ」と言ったって、早く生まれはしませんからね(笑)。

科学技術というのは、原理が開発されてから、一般の人の生活に利便性をもたらすまでにやはりかなり長い期間を必要とするものなんですね。笑い話だけと、私が二十数年前に霞ヶ関で技術開発プロジェクトの窓口を担当していた頃に、私の隣の同僚が担当していたのが今のブルーレイディスクの元になるような研究プロジェクトでした。まだパソコンにCDドライブも付いていない頃の話です。

なんていうかな、或る意味科学技術がもたらす利便性に興味のある人ほど、最先端の部分を知りたがる面はあるんですね。そしてそれに最先端の部分が答えようとするとどうしても夢物語が入ってくる。でも現実は、その夢物語までには長い長い時間というギャップが存在して、それは「許容する」と言おうと「許容しない」と言おうと、そう変わるものでは無いんです。その時間的ギャップの部分に「嘘の夢物語」がつけ込む隙間が生ずるような気がするんです。

なんていうかな、例えば脳機能の解明なんてのはこれから50年、100年という時間を掛けて、やっと「少しは理解出来たぞ」になる性質のものだと思うんですね。その時間を「とても待てない」という意識が様々な神経神話を生んでいる気もするわけです。

by 技術開発者 (2011-03-11 08:29) 

北風Mk-2

>>その批判は何のため、は明確でしょうから、誰がどこにどういうメリットのためにそういう場を設けるの?という問題です。

すいません、その批判は何のため、は明確でしょうから、というところで触れたつもりでしたが、分かりにくかったですね。
紹介頂いたapjさんのエントリや「たとえば科学者の~」以下の「理念」的なことが、「その批判は何のため」ということで、それは明確だろうと。でも、理念だけでは人は動けなく、俗なメリットなどが必要かと。
「実際には、理念通りに人が動かない」というときに、理念まで戻るのは、こういうとなんですが、ナイーブな感じを受けますし、「理念まで戻らなければならない」=中間が明確でない、というところに問題があるのかなあ、と。
例えば、メーカーなどまっとうな企業は仕事において科学の恩恵を受けているわけです。
でも、じゃあ、コメントに書かれているような「理念」を一席ぶっても組織は動かないです。
企業や組織は肩書に「科学」そのものでなくても「科学」の一分野をつけていることは多いですし、私の名刺にも入ってますが。
でも、仮に、うちの企業の製品で苦労して実現している機能を、ニセ科学的にPRした製品?がでて、被害をうけるのではないかという状況になったら、企業あるいは業界が動く可能性があるわけです。
これは、理念に自覚的かどうか、ということではなくて、対象についてもっと俗なメリットなりにブレークダウンされてない、ということではないかと。
企業の経営理念だって、そのままじゃあ動けないので、うちの部署では、あるいは、私個人では、という理念と対象を結んで「具体的に理念にかなうにはどういう行動をすればいいのか、さらにそれを実現するには、さらに…」とどんどんブレークダウンしていく、行動なりメリットなりの形でブレークダウンしていけば、動きやすくなると思います。

)足場なんて知ったこっちゃない、みたいなスタンスでもお仕事ができるんだとすれば、まぁあんまりそんな場所に出ていく必要は感じてはもらえないでしょうね。

これも、誰がどこにどういうメリットのためにそういう場を設けるの? というところで、「そんな場所に出ていく」というのは科学コミュニケータにとっては、どうすることで、それが雑誌なりの「理念からブレークダウンされた具体的なメリット」となるにはにはどうすればいいのか、というところがはっきりしていないからであって、「足場なんて知ったこっちゃない、みたいなスタンス」の問題としてしまうのはどうなのかなあ、と。
by 北風Mk-2 (2011-03-11 21:00) 

tacosuke

地震大丈夫ですか?
被害はありませんか?
by tacosuke (2011-03-11 22:07) 

黒猫亭

詳しい状況はまだわかりませんが、poohさんは無事だった模様です。今朝方、ご本人と連絡の取れたらしい方からtwitterでそのようなご報告を伺いました。
by 黒猫亭 (2011-03-12 13:52) 

たま

そうですか!黒猫亭さん、情報ありがとうございます。
poohさんはご無事かと心配していました。

ほっとしました!
by たま (2011-03-12 14:27) 

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