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かくもありうる、そのことを [みたもの、読んだもの]

村上吉文さんのエジプトぱねぇ! アルカイーダにガチンコ勝負。と云うエントリを読んだ。

だめだ。涙がでてくる。
ひとの信仰は、このようなかたちをもとりうるのだ。このような行動に、ひとを駆動しうるのだ。
大切なのは、テロに遭遇するリスクを冒してまで、多くの人々が礼拝に参加したということです。テロの目的は人々を殺すだけでなく、コプト教とイスラム教の信者を分断させ、エジプトをイラクやアフガニンスタンのように崩壊させることだったはずです。しかし、この人々は、単に二回目のテロを防いだだけでなく、コプトの人たちを皆で支援することによって、分断されるどころか、却ってその絆を強くしたのです。その意味で、ここの人たちは真っ向からテロに挑戦し、そして、勝ったのです。
わかりやすい友愛ではなく、とっつきやすい対立の構図でもなく。
おなじ信仰の旗のもとで、テロや戦争も生じうるし、このような行動も生じうるのだ。だとすれば、憎むべきものは、ほんとうはなにか。もっとやさしい世界のために、ぼくらはどんな指針を持ちうるのか。

かんたんな答えはないかもしれないし、もちろんぼくなんかにはすぐには示せない。でも、ひとびとはこのようにあることもできるのだ、と云うことを、エジプトのムスリムたちが教えてくれた。ただそのことに、感謝したい。
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コメント 4

ハブハン

 こんにちは。

 テロリストの信仰と、ミサに集ったムスリムの信仰、その質の違いはなんなのだろうか、なんてことを考えちゃいますね。

 質の違いなんてないんだ、ってトコロまで考えちゃうのが、私のダメなとこです。なんだろ、逆の意味で涙が出てきた。
by ハブハン (2011-02-11 23:55) 

pooh

> ハブハンさん

ぼくはどうしても、ファンダメンテルであろうとすること、そのものに咎を負わせたくなってしまいます。ちょっと安易なんですけどね。
で、それはおっしゃるように、「質」の違いではないかもしれない。みたいに考えると、いろいろと(ちょっと身にしみる)示唆が得られるところがあるのかもしれないです。
by pooh (2011-02-12 04:57) 

mohariza

テロと云う<人間を狂気に駆り立てる>ものは、「憎しみ」や「怒り」と思いますが、それは、「国」に対して抱いても、一般民衆や他の民族同胞に向けるべきでは無いと思います。
イスラム関係の本は何冊か、持っていますが、<狂気>とは無縁の宗教と思っています。
真の信仰とは、他の宗教(者)を敵視することでは無いのを、証明した出来事と、エントリーを読んで思いました。
by mohariza (2011-02-12 16:46) 

pooh

> moharizaさん

信仰の力、と云うものを、どうすればポジティヴに発揮させられうるのか、そのためにはどんな条件が揃えられる必要があるのか、と云うことについては、やはり考えていかなきゃいけないんだろうな、とか思います。
ぼくたちが、なにかを信じていなければ存続できない存在なのであれば。
by pooh (2011-02-12 23:19) 

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