視野狭窄 [よしなしごと]
moon-3さんの幼稚園でH・S・M騒動勃発。およびそれに続くもう腹がいっぱいだから、マクロビオティックなんでしょ?と云うエントリを読んだ。エントリの主題とはちょっと違う話になるので、トラックバックなしで言及する。
例えば、ホメオパシー。
ぼくは基本的に、その問題点についての認識が一定範囲で(薄くでも)広く伝わって、大規模に蔓延することがなくなるようなら、それでいいや、とか考えていた。そもそもこの種の事物を「信じる」心性は完全に放逐できるものではないし、なら限定された範囲で継続的に用いられるのはどっちにせよしかたがないよなぁ、みたいに。
で、こちらのエントリのコメント欄で黒猫亭さんに叱られた。
このあたり、身近なところで日常的に学童年齢のこどもに触れることが少ないぼく個人の、視野の狭窄がある、と云う話なんだと思う。と云うか、言い訳めいて聞こえるのを承知で云うとこの種の(ある種属人的な)視野の問題、と云うのはだれにもあることではあるんだろうな、とは思うのだけれど、なんと云うかおのれのこととして、改めてちょっと身にしみた。
とは云えせいぜいできるのはそれを自覚することと、その自覚にもとづいてあらためて情報に接し、また対話をおこなう、と云うことぐらいなのかもしれないけど、それでも意識していかなければなぁ、みたいに思った。
moon-3さんのエントリには、たとえばホメオパシーを受け入れる個人やコミュニティについて、生々しく言及したものがいくつかある。
例えば、ホメオパシー。
ぼくは基本的に、その問題点についての認識が一定範囲で(薄くでも)広く伝わって、大規模に蔓延することがなくなるようなら、それでいいや、とか考えていた。そもそもこの種の事物を「信じる」心性は完全に放逐できるものではないし、なら限定された範囲で継続的に用いられるのはどっちにせよしかたがないよなぁ、みたいに。
で、こちらのエントリのコメント欄で黒猫亭さんに叱られた。
こう謂うカルト的組織が地下に潜伏して何をするかと謂えば、まあオウムのように組織テロに趨ると謂うことは考えにくいですが、集団内部での同調圧が男性に比べて高い女性の集団に深く静かに浸透していくと謂う選択肢がまず考えられますね。たしかにおっしゃるとおりで、蛸壺化、とは云ってもかならずしもその蛸壺が小さいとも、あるいはずっと小さいままでいるとも限らないわけで。
中でもやはり「ママ友」のような母親同士の集団と謂うのは、一種一般社会との接点が薄い場合が多いので外から視るよりもっと強い同調圧が働くようですから、そちら方面で信奉者をオルグしていくと謂うのがありそうなパターンでしょうか。集団内部の同調圧で勢力を拡大していくと謂うのは、新宗教の常套手段です。
このあたり、身近なところで日常的に学童年齢のこどもに触れることが少ないぼく個人の、視野の狭窄がある、と云う話なんだと思う。と云うか、言い訳めいて聞こえるのを承知で云うとこの種の(ある種属人的な)視野の問題、と云うのはだれにもあることではあるんだろうな、とは思うのだけれど、なんと云うかおのれのこととして、改めてちょっと身にしみた。
とは云えせいぜいできるのはそれを自覚することと、その自覚にもとづいてあらためて情報に接し、また対話をおこなう、と云うことぐらいなのかもしれないけど、それでも意識していかなければなぁ、みたいに思った。
moon-3さんのエントリには、たとえばホメオパシーを受け入れる個人やコミュニティについて、生々しく言及したものがいくつかある。
「αさんはマクロビオティックを指導する立場で、ホメオパシーやシュタイナー教育のプロパガンダもしていました」こう云うなんと云うか「ロハス的正義」を背中に背負ったひとたちの行状については、ぼくも自分でなんども書いているはず、なんだけどなぁ。おのれの視界の狭さと想像力の貧弱さについて、省みる材料をもらった感じでした。
この影響は子供たちにも現れ、いままで通りの園のやり方に従えないという子が出てきました。
親と先生と園長先生を交えての意見交換の機会でも、H・S・Mを取り入れた園になるよう主張するαさんたち一群の母親の存在によって、荒れに荒れるようになりました。
「園には園の方針がある。これが気にくわないのなら辞めたほうがいい」
という当たり前すぎる意見が、まったく通らない状態なのだそうです。
子供たちの健康管理の一貫として、予防接種をどうするかという話題さえ、誰も口にできない状態になってしまっています。これは一事が万事であって、けして多数派ではないH・S・Mの人たちに園が乗っ取られたような様子とのこと。
>>で、こちらのエントリのコメント欄で黒猫亭さんに叱られた。
人聞きが悪いですよ、もしも何処からか「黒猫亭の野郎、いつからpoohさんにお説教出来るほど偉くなりゃがったんだ、をうをう」とかねじ込まれたらどうするんですか(笑)。
ネタはともかく、やっぱり属人的な実感の限界と謂うのはあるものだと思いますし、オレの場合は以前子供を持つ女友達からママ友同士の附き合いの大変さを頻繁に相談されていたから連想が働いただけですね。そう謂う偶然がなかったら、やっぱり自分が経験したわけでもないことについては具体的な想像が及ばないのが自然だと思います。
ただ、リンク先のブログのエントリを拝読すると、やっぱり予想以上に生々しいと謂うか、こりゃもう世間なんて関係ないんだな、と謂う感を強くしましたね。それと、たった一人の「声の大きな人」が次第に周囲を巻き込んで勢力を拡大していく経緯と謂うのは、これはどんな組織でも起こり得ることで、満更世間の狭い人の間のことだけではないのかもしれませんね。
by 黒猫亭 (2011-01-13 12:33)
ごぶさたしております。
卒直に違和感を感じます。集団内部の同調圧力で蛸壺化していってしまった組織は、世間のあちこちにあります。他方で、疑似科学的な世界観を信奉していても、周囲を尊重して生活している人もいくらでもいるでしょう。moon-3さんのとりあげているような蛸壺シュタイナー信奉者にめいわくをこうむった経験もありますが(主に私自身というより妻ですが)、あれがホメオパシー信奉者やシュタイナー信奉者の典型とは感じません。私自身の最近の体験で、poohさんの御趣味のフィギュアスケートについていえば、私が知ったあるフィギュアスケートのコーチは生徒の父兄を蛸壺化する手法で生徒を搾取していました。だからといって、フィギュアスケート一般が危険ということにはならないでしょう。
私の乏しい経験からの推測では、蛸壺化する素地のあるグループが蛸壺化するきっかけには色々なものがなりえて、それがホメオパシーであるか、フィギュアスケートであるか、マルクス主義であるか、エコロジーであるかは、かなりの程度、偶然の問題のように感じます。それ自体としては、まったく危険性がない思想や信条でも蛸壺の媒体になりえるでしょう。きっかけが何かという以前に、蛸壺化する集団なり個人というのは(以前、私が書いた自分自身がカルト化した経験もふくめて)、いっぺん痛い目にあわないとどうしようもないように感じます。シュタイナーなり、ホメオパシーなりの問題以前にその個々人、集団のおかれている長い年月で形成された経緯がかかわっているでしょう。
たとえホメオパシーが世の中から根絶されたとしても、危険なホメオパシー信奉者になる素地のある人は別のものを媒体にして社会にめいわくをかけるような気がします。(moon-3さんの事例のαさんも深層心理的な目標はマクロビオティック云々よりも、権力の行使自体にあるように感じます。)それは他人からみれば、どうしようもないアホなのですが、個人にとってはある意味では避けられない学習の過程のように感じます。そのような学習の過程がより有意義になるような、また、周囲への被害を最小にするような支援なり介入がどんなものなのか、私はよくわかりません。
ただ、不幸にも蛸壺な人々にまきこまれたときのとりうる対応は、周囲をより民主的で寛容な雰囲気にするように、蛸壺なものごとの決め方にそまっていまっているグループでは、そうしたやりかたを改めるように働きかけることのように思います。そのなかには、疑似科学信奉者の意見もまっとうに尊重するということもふくまれるでしょう。多くの蛸壺の媒体になりえることを理由で特定の思想・信条を排除することは、そのような働きかけとはむしろ反対の方向のように思われます。(もちろん、非科学的な主張への正当は批判が抑圧されることも同様にのぞましくないことはいうまでもありません。)moon-3さんの幼稚園の事例でも、根本はホメオパシーやシュタイナーよりも、民主的な幼稚園の運営ができなくなったことではないでしょうか。
ごぶさたしていて、いきなり長文のコメントすみません。補足をすれば、上ではかなり単純化して書いてしまいましたが、moon-3さんの「ムーミンママの心理にみる、ホメオパシー。」など、私のここでの観点からも、ホメオパシーの問題点についてとても示唆にとんでいると感じました。
by osakaeco (2011-01-13 21:10)
> 黒猫亭さん
> ねじ込まれたらどうするんですか(笑)。
そんなひとはいません(^^;。
> やっぱり属人的な実感の限界と謂うのはあるものだと思います
そのことそのものについても、なんかコーヒーとかにかこつけて書いたりしているんですけどね。昔よりはよほど情報が入手しやすくなっていても、だからってそのぶん充分に「視える」ようになっているわけではなくて。って、わかってるつもりでわかってなかった、と云うのをなんか実感したので、自省とともに書いてみた、みたいな感じです。
> 「声の大きな人」が次第に周囲を巻き込んで勢力を拡大していく経緯と謂うのは、これはどんな組織でも起こり得ること
で、それはたとえば一部の人間以外には不可視でも、じゃあ存在していない、と云うことにはならないわけで。そこのところで、われながら想像力が不足していたなぁ、みたいに思ったのでした。
by pooh (2011-01-13 22:07)
> osakaecoさん
えぇと、ここでのぼくの本意は、ちょっと違っていて。
と云うか、ぼくのホメオパシーに対するスタンスは、そもそもニセ科学の問題にコミットしている論者に一般に見られる水準よりもだいぶゆるいものだったんですよ。
そもそもいわゆる「ビリーバー」との対話は(力不足もあって)難しい、みたいな部分を持つぼくとしては、今年の夏以降のホメオパシーに対する各種情報の拡散によって、大幅な流布はそれほど懸念しなくてもいい状況になったので、もうそれくらいでいいかぁ、充分かなぁ、みたいな認識でいたんですね。
どうやったって蛸壺はできるし、蛸壺のなかにいるひとは外に這い出てこなければいいだけだし、だったら相対的に危険はだいぶ減ってるわけだし、みたいな。
で、この発想は切断処理、と云ってしまえばそうなのかもしれないもので。ただ、そうじゃないんだ、問題が終わったわけじゃないんだ、みたいに感じた、ってお話でした。
> 多くの蛸壺の媒体になりえることを理由で特定の思想・信条を排除することは、そのような働きかけとはむしろ反対の方向のように思われます。
ここは一部同意、一部不同意、と云うところでしょうか。
特定の思想・心情を持つ個人をそれゆえに切断し排除することには、ぼくも反対です。で、それがその思想(あるいは心情)そのものに対して批判的な言説をなすことと単純に矛盾するとは、ぼくはあまり思わないので。
by pooh (2011-01-13 22:09)
>poohさん
>特定の思想・心情を持つ個人をそれゆえに切断し排除することには、ぼくも反対です。で、それがその思想(あるいは心情)そのものに対して批判的な言説をなすことと単純に矛盾するとは、ぼくはあまり思わないので。
これには完全に同意します。ホメオパシーへのまっとうな批判は現状でとても必要なことだと私も感じています。
>どうやったって蛸壺はできるし、蛸壺のなかにいるひとは外に這い出てこなければいいだけだし、だったら相対的に危険はだいぶ減ってるわけだし、みたいな。
>で、この発想は切断処理、と云ってしまえばそうなのかもしれないもので。ただ、そうじゃないんだ、問題が終わったわけじゃないんだ、みたいに感じた、ってお話でした。
かなり、的をはずしていたのかもしれません。ただ、違和感を感じた理由は、moon-3さんのとりあげた問題や黒猫亭さんの指摘はホメオパシーなどに関わる問題ではあるけれど、ホメオパシーが起した問題ではないと私が感じているからだと思います。これらの問題をホメオパシーが起した問題としてうけとることに抵抗を感じたのです。私はpoohさんがそのようにうけとっていると感じたのですが、誤解だったでしょうか?
一般的に、健全で自然な民主主義が尊重されているような場では、たとえ一部に支配的な意図をもって行動する人がいても、あまり、周囲に害をおよぼすことは少いように感じます。そのような雰囲気が失なわれ、黒猫亭さんのいう同調圧力のようなものが強まるとき、さまざまなものが人を支配する手段になりかわるように感じます。そのような個人の尊厳や民主主義の欠如の問題として、moon-3さんの事例をとらえたいと私は考えています。このような視点にたてば、ホメオパシーはトラブルの加害者の目的のための道具であっても、根本原因ではありません。
黒猫亭さんのコメントが社会的な文脈をふまえたものでしたし、そこからpoohさんが学ばれた上での記事でしたので、釈迦に説法だったのかもしれません。ただ、moon-3さんのとりあげたような事件が身近にあり、しかも、それがホメオパシーなり疑似科学と関係ない形でおきているので、違和感を感じたのです。また、私の身近な人がそのような事件を民主的な雰囲気をつくりだすことで状況をずいぶん改善したのを目にしていたことも違和感を強くしました。
誤解していただきたくないのは、ホメオパシー批判批判を私は意図していません。ホメオパシーが容易に他人を支配し、被害を及ぼす手段になっている現状では、ホメオパシー批判は必要とされています。poohさんを含めた疑似科学批判をおこなっている人々への敬意もちつつのいちゃもんと御理解いただければと思います。
by osakaeco (2011-01-14 02:38)
> osakaecoさん
> moon-3さんのとりあげた問題や黒猫亭さんの指摘はホメオパシーなどに関わる問題ではあるけれど、ホメオパシーが起した問題ではないと私が感じているからだと思います。
この部分、なんとなくわかります。ただ、この問題はやはり、ホメオパシーが起こした問題であり、マクロビオティックが起こした問題なんですよ。なべて原因がそれらにある、と云うことではなくとも。
すこし前に取り沙汰された(なんて他人事みたいに云ってはいけないですね。ぼくも取り沙汰した)K2レメディ投与による乳児死亡事件についても、例えばホメオパシージャパンは「レメディの投与が直接の死亡原因ではない、なのでホメオパシーの問題ではない」みたいに主張してるんですね。でも、そこにはそう云う方向に利用者を誘導する性格(およびビジネスモデル)があるわけであり、なので咎なしとは云えない。
この場合も同様であって。おお括りの「ニセ科学」とその性質が、そこにはやっぱり重要な要素としては存在するわけです。
> そのような個人の尊厳や民主主義の欠如の問題として、moon-3さんの事例をとらえたいと私は考えています。
この把握に異論はないですし、多くのニセ科学に関連する問題が、同様の角度から論じ得、また論じられることが望ましいことだと思っています。
ただ、(むしろosakaecoさんを例外として)このあたり、例えば人文系・社会系アカデミアが関心を寄せる傾向がほとんど見られないんですよねぇ(いや、自然科学系アカデミアでも、取り沙汰する人間はごく少数なので、菊池さんや天羽さんが目立つ、と云うことではありますが)。必ずしもニセ科学、と云う角度でなくとも、充分に関心を払うにあたいする事象だと思うのですけど。
> ホメオパシー批判批判を私は意図していません。
あぁ、わかってますとも。
by pooh (2011-01-14 07:37)
おはようございます。
まぁ、得てして吹きだまります、この手のものは。部屋隅っこに集まる埃みたいに、アレもコレも。嵌る人はこの手のものを探している人なので、いずれ何かにとっつかまるでしょう。
moon-3さんは、直接ビリーバーを取材したり渡り合ったりされておられるようなので、ビリーバーの特徴をビビッドに感じてらっしゃるんでしょうね。
私はmoon-3さんの記事を読むとビリーバーに直接対応するのは"個人"では無理だと感じます。ましてや"家族"だけではどうにもならないだろうな、と。強弱はあるにせよ、マインドコントロール問題ですから、プロのサポート無しには悲劇的な結末を迎える危険が強いと考えます。「答え」があっても、取りあえず無力ですから。
ホメオパシー・マクロビ・シュタイナーは、公衆衛生や医療ネグレクトと健康被害に直結する主張が多く・声が大きいので、負けないように多少こちらも声を張り上げざるを得ない部分はありますね。
と言っても、私に出来そうなのは普通の人に予備知識を提供することぐらいなんですけどね。
by うさぎ林檎 (2011-01-14 09:16)
>poohさん
>K2レメディ投与による乳児死亡事件についても、例えばホメオパシージャパンは「レメディの投与が直接の死亡原因ではない、なのでホメオパシーの問題ではない」みたいに主張してるんですね。
このことは私の配慮がたりなかった点です。たとえば、銃規制の問題で、銃を使った殺人の原因はあくまで社会的状況なり、個人の動機なりであっても、銃自体の危険性は問題にされなければならないということですね。この点はこれから肝に銘じたいと思います。御指摘ありがとうございます。
>例えば人文系・社会系アカデミアが関心を寄せる傾向がほとんど見られないんですよねぇ
実際、moon-3さんのブログの題材の多くは社会学の教材になると思います。分析もすばらしいですし。私も実際、そういう研究がたくさんでてきてしかるべきだとは思います。人文・社会系の人が発言しない理由はいろいろかんがえられます。社会学…人文分野のひとは相対主義的な科学論に一定の教養があるので安易な疑似科学批判に強い抵抗があるかもしれません。疑似科学がからむ問題をあつかうと、疑似科学のよしあしの問題と、研究者として関心をもっている点がごっちゃになって焦点があいまいになるというのも考えられます。ただ、逆に経済学のほうから見ると、世間に蔓延するトンデモ経済学問題に関心もってくれる自然科学の人もあんまりいなくて、ブログあたりでそういうことに関心もってくれる人は経済学者をのぞけば、研究者でないひとがほとんどのように思います。全般的に自分の通常の領域以外には発言しないのが、あるべき研究者の姿というようなイメージが強いように思います。ただ、トンデモ経済学問題と疑似科学の問題は無関係ではないので、自然科学と経済学者のあいだで話ができれば面白いとは思います。
ついでに経済学についていえば、経済心理学あたりがでてきてすこしかわってきましたが(このへん全然勉強してませんのでごめんなさい)、すくなくとも主流の経済学は合理的でない人間の行動をあつかうのが苦手です。不幸な状況におちいるのが大好きな人々でも想定すれば、疑似科学信奉者がわるさする状況を説明するモデルがつくれるかもしれませんが、説明に説得力がないでしょう。近接分野ではありますが、あまりくわしくないのですが、経営学のマーケティング分野なり組織論分野は結構疑似科学分野の議論にも応用ができる話がありそうに感じます。
>うさぎ林檎さん
>ホメオパシー・マクロビ・シュタイナーは、公衆衛生や医療ネグレクトと健康被害に直結する主張が多く・声が大きいので、負けないように多少こちらも声を張り上げざるを得ない部分はありますね。
妻がシュタイナーにかかわっている関係で、シュタイナー信奉者の友人がおおいのですが、あまり声がでかいという印象がありませんし、妻はシュタイナー教育の教員養成にも通いましたが洗脳されたような体験もありません。過去にいちどだけ、シュタイナー教育を他の父兄や子供におしつけるような信奉者に出会いましたが、すぐに関係が切れたので、実態をよく把握してません。機会があり、うさぎ林檎さんが時間があるときに、シュタイナー教育の被害例のようなものをお聞きかせねがえればうれしいです。実際、ホメオパシーとも親和的ですし、公衆衛生なり医療ネグレクトを起す潜在的可能性が高いことも理解できますので。
>私はmoon-3さんの記事を読むとビリーバーに直接対応するのは"個人"では無理だと感じます。ましてや"家族"だけではどうにもならないだろうな、
疑似科学ではないのですが、妻が仲間たちと一部のマインドコントロール状態の人々にふりまわされているグループをかなり正常化する事例を目撃しました。妻とほかの数名があたらしい役員になり(問題のある人達は状況をわかってないから新役員はイチコロと思っていたようです)、意思決定をとことん民主化していったら、恫喝の電話がかかってきたりしてましたが、そのうち、問題のある人達はグループを立ち去りました。マインドコントロール状態の人を脱洗脳するのはプロでないと難しいと思いますが、私自身の経験からも、個人の小さな行動でかなりの人数のグループ全体の雰囲気が、がらっと変化することはまれにはあることのように感じています。あの手の人々が周囲にパワーを行使できるのは、集団の中の力学が背景にあるからで、それが変ってしまえば、パワーを行使することはできません。そのために何をすべきかということは、事前にはわからないことがほとんどですが、少くとも、できることがあるという点に関しては、私は楽観的です。
by osakaeco (2011-01-14 20:54)
> うさぎ林檎さん
> 嵌る人はこの手のものを探している人
これはまぁ、たぶんあります。世に云う「トンデモの連鎖」的なことがらの背景にも、このことはあるんだろうと思っています。要するにマーケットが同じで、と云うことはかなりの部分共通するマーケティング手法が使えるし、集まってアイテム数を揃えることでアップセル・クロスセルも狙える、みたいな話ですね。
> マインドコントロール問題ですから、プロのサポート無しには悲劇的な結末を迎える危険が強い
ここのところはそんなふうに言い切っていいのかどうかまではぼくにはわかりません。安直に対応しようとすることには、なんとなく素人精神分析的な危うさがあるようにも思えますが、でも逆にこう云うときこそ小スケールのコミュニティが真価を発揮するべき出番、みたいにも思えたり。
どうなんだろうなぁ、このへん。ちょっとぼくにははっきりした見解が現時点で出せない。
> 負けないように多少こちらも声を張り上げざるを得ない部分はありますね。
まぁぼくなんかはここに書くくらいがせいぜいの大声で、あとはどこかにリンクするのが「口添え」みたいな感じですかね。だからと云ってそこに意義なし、とは思ってないわけですけど(それじゃやってられない)。
by pooh (2011-01-14 22:04)
> osakaecoさん
このへんのお話は以前にosakaecoさんとはしたことがあるような気がするんですが(と云うか先刻ご承知のような気もするんですが)、ニセ科学の問題と云うのはひとえに自然科学だけの問題ではない、みたいにぼくはだいぶ前から云ってるんですね。で、稲葉振一郎さんにこんなリアクションをもらったりしたんですが。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061130/p3
べつのところで最近議論したこととも関わってくるんですが、社会科学的な事象って基本的に一回性のものなので、自然科学的な厳密さと相性があんまりよくない部分はあるのかなぁ、みたいには感じたりします。なんと云うか、扱い方の角度がちょっと難しい。
> すくなくとも主流の経済学は合理的でない人間の行動をあつかうのが苦手です。
そうなんですよねぇ。と云うか、合理的な行動を想定しないと、自然科学的なアプローチが構成できない、みたいなところがあると云うか。そのあたりは行動経済学(ぼくもぜんぜん勉強なんかしていなくて、ちょっと新書を何冊か読んだ程度ですけど)なんかで補えるのかな、みたいには思うんですけど、現時点で学問的実用に耐えるかと云うと、それはそれで微妙な気もします。
ちなみに以前飯田泰之さんに、ニセ科学の問題に対する厚生経済学的なアプローチについての示唆をいただいたことがあるんですけど、これもよくわからないままだったり。
> 経営学のマーケティング分野なり組織論分野は結構疑似科学分野の議論にも応用ができる話がありそうに感じます。
市井のサラリーマン的な角度で、そう云う方向からニセ科学の問題を見る、と云うのはいくらかは増えてきていると思います。これもたぶん、昔はそれこそぼくぐらいしかやってなかったみたいに思うんですけど、最近はぼくなんかよりよっぽどあたまのいいひとも登場しているので、そのへんの分野のアカデミアから考察してくれるひとも参入してくれないかなぁ、みたいに思ったり。
by pooh (2011-01-14 22:10)
マインドコントロールして、人間を結局、組織の金儲けの道具にしようとする組織は、巧妙で、
ほぼ9割(?)の人が、感化されます。
(実際、体験で知っています。私は、最後、その実体を直感し、マインドコントロールされてしまった知り合いを、その組織から、離すことを実行しましたが・・・。その為、今でも、そのことを恨まれているようで・・・?)
何故、このような組織が存在し得ているのか?よく分かりません。
最初は、純粋に(人を救うと云う<?>)ある精神的な目的があったのかも知れませんが、
やって行くうちに、金儲けのうま味を知って、止められなくなったのか?
ある知恵者が入り、けしかけ、最初の教祖(?)は、ただ動く看板(象徴)になっているのか・・・?は、よく分かりません。
どちらにしても、新興宗教を含め、最初の目的は知りませんが、怪しい組織は、浸透し、何も知らない人間を、感化しているようで・・・、
そのような組織は、いくら叩いても、雨後の芽のように、次々と出て来るのは、人間の性(さが)でしょうか・・・・
by mohariza (2011-01-15 16:45)
> moharizaさん
> 人間の性(さが)でしょうか・・・・
そう云うこと、なんだろうと思います。
これってそれこそモラルのありどころとかの議論になってくる部分なので、あんまりざっくりと簡単に切り離したり糾弾したりできるものじゃなくて、だからやっぱりちょっと難しい話なんですけどね。
by pooh (2011-01-15 21:39)
マインドコントロールされる人は、その場で、ほぼ9割(?)の人が、感化されますが、その後、飽き足りず、やはり、何処かに疑問に持ち、8~9割近くが脱落しますが、残り1割近くが、コアな組織の人間になるような・・・。(もっと少ないかも知れませんが・・・。)
コアな人間は、完全にマインドコントロールされているので、聞く耳を持ちません。
知り合いに、接触出来ない人間が一人います。
また、脱落者の多く(5割?)は、まだ心の安定が保てないので、また、そのようなマインドコントロールしてくれる組織(もの、ネット情報も含め・・・)を求め、徘徊し続けるように思っています。
やはり、人間の性(さが)でしょうか・・・・
by mohariza (2011-01-16 12:58)
> moharizaさん
数字を出される際には相応に慎重になられたほうがいいような。
> また、そのようなマインドコントロールしてくれる組織(もの、ネット情報も含め・・・)を求め、徘徊し続けるように思っています。
そう云うものを、みずから求める心的な傾向があるひとたちがいるのは、たぶん確かだろうな、みたいに思います。そう云うひとたちになにができるのか、またなにかするのが正しいのか(愚行権の侵害ではないのか)と云うのは、たぶんずっと考えていく必要がある、現時点でかりそめにも明解に回答のない問いなのではないか、とか思ったりします。
by pooh (2011-01-16 21:06)
こんにちは、moharizaさん。
悪徳商法批判をしていると、商業カルトというのに出合うんですね。例えばマルチ商法とかにのめり込んで、「自分はこのマルチ商法で成功するだ」と確信している様な方と議論する経験なども沢山する訳ですよ。
いわゆる「目が据わった」様になって、「とにかく何が何でもこのマルチ商法は良いんだ」みたいになっている状態というのは、或る意味でとても病的なんですね。でもって、ある時「環境性の精神障害の一つじゃないか」という仮説を立ててみたんですね。ちょうどストレス性の鬱病の真逆としての「環境性の躁病」あるいは、「環境によって引き起こされる躁状態への依存症」みたいな仮説です。
なんていうか、人の心は環境によって病気になることもあります。「ストレス性鬱」の場合は、強いストレス環境に晒され続ける事で、脳内の物質の分泌代謝に異常が生じます。脳内の神経伝達物質の分泌が異常に低下する訳です。そのことにより、強い抑鬱感などが発生し、自責感なども異常に高まり、それがさらにストレスを増加させて、神経伝達物質の分泌をさらに低下させるという状態に陥る訳です。
もしこの逆の傾向が環境によって引き起こされるととしたらどうなるでしょう。心理操作環境によって、脳内の神経伝達物資の分泌が増大し、強い幸福感や「自分はなんでもできる」といった意識が高まった状態が起こり、そして、その幸福感に対して依存症が発生して、脳内の神経伝達物質が増加する方向の心理操作環境から離れられなくなると考えてみる訳です。一種の躁病なのですが、そのような仮定を元に考えると、カルトにはまり込んだ人の様々な症状が無理なく説明できる訳です。
少し理解して欲しいのは、今は「鬱病」というと「ストレス性鬱」のような環境性のものばかり注目され、それが問題になっているのですが、もともと躁鬱病という気分障害型の環境性ではない病気がある訳です。脳内の神経伝達物質の分泌に大きな波があり、分泌低下したときに「鬱」の症状が、分泌増大したときに「躁」の症状がでる訳です。でもってそういう障害がもともと無い人でも、環境により神経伝達物質の分泌の低下が起きるとその症状は環境性で無い場合と同じなんですね。今、良く知られているのは、この環境によって引き起こされる「鬱」である訳です。でも環境によって「鬱」が起きるなら、環境によって「鬱」が起きても不思議は無いと考えられる訳です。
私は現実に環境性ではない躁鬱病の人の「躁期」の行動を観察した事があります。非常にエネルギッシュに活動されるのですが、いわゆる「自分を省みる」みたいな部分が欠落しているために、周りがとても迷惑するような行動ですね。カルトにはまり込んだ人の行動などをみていると結構共通点を感じるわけですね。
by 技術開発者 (2011-01-17 09:54)
> 技術開発者さん
おっしゃるようなことがあるのかもしれない、と思えるだけに、うむむ、難しいなぁ。
ちょっとざっくりとした云い方しかできないですけど(と云うか、素人が綿密なしゃべりかたをするにはちょっと危険な話題なので)。
鬱病だったり、双極性だったりするような精神的な病気は、基本的に器質的なものだと理解しています。環境がどうだとか、そのひとの心持ちがどうだとか、そう云うのが直接症状に直結しているわけではなくて、あくまでそれは(おっしゃるような脳内物質の分泌も関わってくる)器質的な、ある意味ケミカルなもので。
ただ、それが起きること、症状として顕在化することには、たぶん環境から来るトリガーがあるんですよね。で、ひっくり返すと、一見そのトリガーをみずから探しているようにしか見えない行動、と云うのも見受けられる場合があるんじゃないか、みたいに感じたりします。
by pooh (2011-01-17 22:12)
>技術開発者さんへ
おっしゃること、よくい分かります。
<に大きな波があり、分泌低下したときに「鬱」の症状が、分泌増大したときに「躁」の症状がでる>とのことは、
実体験で、理解しています。
<脳内の神経伝達物質の分泌>を、他者からでは無く、自己の使命感なり、希望等、積極的動機で、分泌すると、人間、<Hi !>に持っていけるのでしょう・・・。
歌手、芸能人は、その典型かも知れません。
但し、世の中の人間と縁を切って進むことは、どこに<芯(真)>を置くか?いつも問題なので、醒めた目(こころ)は、いつも必要に思っていますが・・・。
by mohariza (2011-01-18 04:56)
> moharizaさん
> 醒めた目(こころ)は、いつも必要
たぶんこれが難しいんですよね。
by pooh (2011-01-18 07:28)