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似姿 [よしなしごと]

すこし時間が経ってしまったのは、このことについて書くことに(きわめて個人的な意味合いを含めて)なんらかの意味があるんだろうか、みたいに思ったから。その部分について結論はでていないし、すっきりした回答もないのだけれど、そんなことを考えていてもしかたがないので書く。
TAKESANさんのニセ科学論の注意事項のようなものと云うエントリでとりあげられていることと、コメント欄でのやりとりに関して。正直この部分については自分自身明解に把握できていない(最終的におそらくできない)部分なので、これから書くことは回答にも説明にもならない。

先にあったのはまず、世界が速い、と云う感覚。これは学生の頃から。世界の変化していく速度は、もうどうやっても把握できないのではないか、みたいな、漠然とした根拠のない、それこそ単なる感覚。

で、それがじっさいにどう云うことなのか、と云うのに社会人になって触れる。
加速する情報流通の速度と増加する情報量。気付かないひとは気付かないままで、時系列に従った生産に基づく、せいぜい複利計算的な部分で世界を、暮らしを把握している。でもそれとはべつに、気付いている(その場に居合わせている)ひとたちの場所では情報は機会をもたらし、ゼロサム的な収益と損失を(個人の日常生活内での感覚から見れば)巨大なスケールで生んでいる。結果としての正解と勝利はあっても、そこに至る道は結果論からしか導けない世界。そして、人間が単体として持つI/Oのしくみでは絶対にそこから法則を見いだせないような情報の速度と量。繰り返し打ち立てられ、棄却される法則と、つねにそれだけは計測可能なものとしての「結果」。

そんなふうに世界が動いていて、そのなかでちょっとでも勝つ、出し抜くための方法を探すためには、根本的にはより多くの情報を処理して、そこから導いた結論に従うしかない。ただ、世界が速くなっても、人間は速くなっていない。世界の加速に同期して、同じ時間で百倍の情報量を処理できるように、人間が進化したわけではない。情報の処理は、まずは専門家が預かる。専門家は情報処理システムからの結果を整理し、ひとびとに還元する。処理可能な、「わかりやすい」かたちで。
もちろんそこで、情報の損失はある。重要な部分が損なわれた情報は役に立たず、ゼロサム的な場所からは敗北と損失につながる。でも、最終的な情報のユーザには、なにがその敗北と損失をもたらしたのかはわかりえない可能性がある。自分の判断の根拠となった情報がそもそもどんなふうに生み出されたものなのか、を、事実上知り得ない場合があるので。
で。じっさいにここで云うユーザ、と云うのは、社会に暮らすぼくたち自身のことだ。ぼくたちはそう云うかたちで敗者でありうるし、すでに敗者かもしれない(気付かないままに)。ぼくたちの目から見て、敗者のみで構成されているように見えるコミュニティが、世界中にあるのと同様に。

ここまで書いたようなことが、例えば統計学的に論証可能なのか。そこに意味があるのか。
いずれにせよ、ぼく個人としては、この「世界の速さ」にまつわる問題意識が、まず先立つ。ニセ科学の問題についての考察は状況の似すがたとして、ぼくからはそのケース・スタディに近い位置にある。
ちなみに、poohさん(や亀さんも?)がおっしゃるような、解りやすさの希求があるのでは、という主張については、
・それは本当か
・それがあるとどう問題か
の両方を、根拠に基づいて明らかにする必要があると思っています。
希求がたかまっているように見える、と云う論拠(と云うか外的な状況証拠)は、ここまで述べたようなことになる。

ここまで書いたようなことについて、自然科学的な意味合いでの理解の共有に達しうるか、と云うと、じっさいのところはよくわからない。単純に感覚に基づいてもの申している、と云う話ではなく、そもそも手法としてなじむのか、と云う部分で。そもそも人文科学的な、いっそ文学的な理解の抽出しかできないのかもしれない、みたいに思ったりもしている。ただそれはけして単純な、呪術的な理解の「感覚の」共有、と云う意味合いではなく。

これまでそれなりの期間、ニセ科学周辺の議論に関与してきてはいるけれど。基本的に個々の具体的な事例に則した断片的な考察の提示にとどまっているのは、それがケース、だからなんです。その向こうに、なにかが見えるといいな、とか思いながらの。
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黒猫亭

あと僅かですが、今年もお世話になりました。

思うに、TAKESAN さんが提示された視点も重要ではあるのでしょうが、われわれはおそらく、社会現象の定量的な観測に基づいてそこからの帰納として問題意識を持っているのではないのだと思います。

一種、自身の思弁の中から掴み出した問題性の在処を中心的なテーマとせざるを得ないのだし、実のところそれがどの程度本当らしく、どの程度広まりを見せているのかはわからないのだけれど、思い切って言ってしまえばそのアスペクトに左右されない性質の問題意識なのだろうと思います。

おそらく、実際に社会の中で「わかりやすさへの希求」と謂う問題領域は確実に存在するのだと思いますし、われわれの問題意識の在処がそこにある以上、それは定量的な観測の問題ではなく、「ある」と謂うことを所与の前提として、ならばそれにどう立ち向かうべきなのか、それが中心軸となるような対峙の仕方なのかな、と思います。

そう謂う意味では、「ニセ科学問題」と謂う共有された問題領域はその先にあるもので、おそらくそれは直接の目的性なのではなく、われわれ固有の私的な問題意識の延長上にある公共的な領域なのかな、と謂うのがオレの考えです。

曖昧な意見ですいませんが、来年もよろしくお附き合いください。
by 黒猫亭 (2010-12-31 19:39) 

pooh

> 黒猫亭さん

年が明けてしまいました。今年もよろしくお願いします。

へんな話ですけど、なんか現実として「ある」ものなんです。
そこについて論じるのが目的なので、じつはその存在の虚実を論じるのは、順序的には後になってしまう。
これはもう、しょうがないんだろうな、とか思ったりします。
by pooh (2011-01-01 01:12) 

うさぎ林檎

あけましておめでとうございます。

もしも、の話なので余り意味はないのですが…子どもが辛い目に遭わなければ
「ニセ科学問題」は結構どうでもいいかなーと思ってます。それこそ"と学会的"スタンスで十分と言うか。

今年も、まぁ式神として頑張ろうかな…と思ってます。主の皆々様のお力を借りながら。
そんなことでよろしくお願いします。
by うさぎ林檎 (2011-01-01 10:09) 

mohariza

あけましておめでとうございます。

年末から、久しぶりに福岡の実家にいますが、
「ニセ科学問題」と云うか、年寄りや一般の民衆をたぶらかす巧みな話者や組織・団体が、今だ、世の中に満ちていることを、母との会話から感じました。
「ニセ科学問題」等の実態、怪しさを、世の中に知らしめることは、世の中の平和に大切なことと思います。

by mohariza (2011-01-01 14:17) 

pooh

> うさぎ林檎さん

> 「ニセ科学問題」は結構どうでもいいかなー

結局それぞれ関心事は違ったりするんですよね。それでも、完全に個々の事象が問題として個別だったり無関係だったりはしないので、議論に汎用性がでてくると云うか、互いの議論の蓄積が応用可能になってくる。
そう云う話かとも思います。

> 今年も、まぁ式神として頑張ろうかな

どこぞの亭主が「実体は式神のほうかもしれない」とか云ってましたけどね(^^;。今年もよろしくお願いします。
by pooh (2011-01-01 16:57) 

pooh

> moharizaさん

福岡いいなぁ。行きたいなぁ。

> 年寄りや一般の民衆をたぶらかす巧みな話者や組織・団体が、今だ、世の中に満ちている

そう云うのがたくさんある世の中って、暮らしづらいですよねぇ。——見たいなところからはじまる話なんだろう、とか思っています。
by pooh (2011-01-01 17:00) 

技術開発者

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

>そんなふうに世界が動いていて、そのなかでちょっとでも勝つ、出し抜くための方法を探すためには、根本的にはより多くの情報を処理して、そこから導いた結論に従うしかない。

なんていうか、「生産者」と「消費者」の違いみたいな部分が理解されなくなっているのかな、という気がするんです。「しゃばけ」という小説に菓子作りが上手くならない菓子職人が出てきて、その親方が「お客というのは菓子がうまけりゃ喜んでくれる。その職人が何年かかってうまく作れる様になったかは関係ないんだ」なんて言う話があるのね。天才肌の職人が修行して半年でうまく作れても、努力肌の職人が10年掛かってうまく作れても、その菓子を買うお客にとっては、出来が同じならどっちでも良いのね。

例えば私が何か新しい分析方法を開発するとするじゃないですか?それまで出荷するものの品質管理の分析票に書く分析値を測定するのに、2日掛かっていたのを3時間でできる分析方法を作るとかね(実際にそんなすごい事をやった事はないけど)。その新しい分析法を会社にうまくとりいれるかどうかというのは生産者にとっては大問題ですね。いち早く取り入れれば競争相手に出荷の速度で勝てるから、会社のストックヤードで分析待ちの製品を減らせて、その分単価が下げられるからね。でもね、買うお客にとって見ると、そんなのはわずかな価格の差にすぎないんです。ストックヤードで2日ほど分析待ちしていた製品でも、3時間待っていた製品でも品質が同じなら同じものですからね。

まあ、私の商売が分析法開発だからそう思うのかも知れないけど、私の見ている「新技術の取り入れ競争」のほとんどは常に生産者の競争なのね。消費者にとっては、その新技術でほんのわずか価格が下がる程度のものに過ぎない訳です。

なんていうか、経済とか考えていると「消費者や生活者の論理」が見えないのね。例えば、「人を減らして物が作れたり、売れたりする技術」を開発すると、生産者は必死に取り入れるよね。その結果として確かに消費者が買うものは少しずつ安くなる。でも、「技術が進んで物が安くなったな」と喜んでいてふと気が付くと、「自分の子供は就職先が無い」みたいに成っている(実際、私の子供も就職出来ずに苦しんでいるけどね)。

なんていうかな、日本人は徹頭徹尾「生産者の感覚でしか世の中が見えない」のじゃないかという気がしたりします。そういう意識の中に「新しい技術が取り入れられた製品は早く手に入れないと、とても大きな損をする」みたいな焦りが消費者に生まれているのかなという気がしたりもする訳です。

by 技術開発者 (2011-01-04 14:50) 

pooh

> 技術開発者さん

今年もよろしくお願いします。

> 経済とか考えていると「消費者や生活者の論理」が見えないのね。

じつは、おっしゃる例はまだ、人間の感覚が追いつくんですよ。本質的にはプラスサムで、そのプラス幅に対する需給の想定にギャップがあった、と云うお話なので。だから、技術を開発し生産する側の払ったコストが大きくて結果的に損失が出たとしても、それは単なる「大きな失敗」でしかない。

で、現在の経済、と云う話をした場合、ここでは生産者も消費者も根本的には勝者ではないんですね。新しい技術を取り入れた商品を安く買えた消費者がちょっと勝ち、なのかもしれませんが、実際には勝者ではない。

じゃあ、勝者は誰か。それは、「この生産者と消費者の関係を証券化する金融商品を開発し、生産者を売って消費者を買った人間」です。この人間のところに、生産者や消費者の損得なんか問題にならないくらいの収益が集まる。逆のカードを買った人間とのあいだで、ゼロサムとして。

生産者はもちろん収益が上がると思って開発している。でも勝つのは、生産者が収益を上げられなかった場合です。だからこのゲームで勝つためには、生産者が開発中の技術が(その完成前に)収益に結びつかないことを見極めるか、あるいはなんらかの方法で収益を上げさせない必要があるわけです。結果論としては。

そう云う部分で動く経済には、生活人としての感覚も、社会に対する公共的なまなざしも、いっさい役に立ちません。でも、世界のほとんどの場所は、現実としてそう云うメカニズムでいまも動いてるんです。ふつうに生きている人間の感覚は、たぶんどうやっても追いつかないんじゃないか、みたいに思います。

余談ですけど。
金融業界にいるブロガーなんかが社会情勢みたいなものに言及するときに、そこに一種人間離れしたアモラルな視点が感じられることがあります。
これはある面しかたがないことで、本来社会に対する公共的な視座を持っている人間にはつけない種類の職業だからです。カトリックでかつて「金融業者には天国の門は開かれていない」とされたのは、故なきこと、ではないんですよね。
by pooh (2011-01-04 21:03) 

mohariza

技術開発者さん、あけまして おめでとうございます。
poohさん、2度目のあけまして おめでとうございます。

だからこそ、そう云う社会に対して、

私は、電通をはじめ、<金融業界にいるブロガー>類を抜きに、

そして、○○ を抜きに、直接、消費者(求める人)と、直接、コンタクトを図りたいと・・・、今年から、実験的にやる予定です。

抵抗されるでしょうが・・・。

色々な ○○を はじめ、搾取組織から・・・。

by mohariza (2011-01-05 01:47) 

pooh

> moharizaさん

電通は金融ではないですけどね。

どのような行動を起こされるのかはわかりませんが、ご留意いただけるといいなぁ、と思うのは、上の技術開発者さんへのレスで書いたようなことは陰謀論とかではなくて、現実に稼動しているいまの世の中のしくみの話だ、と云うことです。逆にその意味で金融業者は怪物でもないですし、ストレートに忌むべき存在でもない(と、その場所にいたことのあるぼくは書いておきます)。ただ、社会に対する解釈の角度が違うだけです。意識的な搾取、ではありません。

とは云えこのへん、難しい部分もあるんですけどね。グラミン銀行以外のマイクロファイナンスがなんだかひどいことになっているらしい、みたいなニュースを見たりすると、ためいきが出てしまいます。
by pooh (2011-01-05 07:33) 

技術開発者

こんにちは、poohさん、moharizaさん。

>上の技術開発者さんへのレスで書いたようなことは陰謀論とかではなくて、現実に稼動しているいまの世の中のしくみの話だ、と云うことです。

このあたりの話を私にさせると、マルクスの資本論の「過剰資本」の話になりかねないので適当にします。最近時々、レーニンに憎しみを感じたりもするんですよ、「お前が資本主義の未熟なロシアを急いで社会主義化する失敗をしてくれたおかげで、本当に資本主義の成熟の果ての行き詰まりに向かう現代にマルクスの予想を理解させるのが難しくなったじゃないか」なんてね(笑)。

ただ、言える事というのは、人間なんて人生の4/5は「消費者・生活者」だという事なんです。金融の世界で働く人が、人生の1/5の「経営者・労働者」としてどれだけ儲けようと、その儲けが真の意味で価値になるのは、「消費者・生活者」としてその儲けを使うときなんですね。本来なら、「消費者・生活者」としての充実を真剣に考えないと人生は貧しくなるだけです。


by 技術開発者 (2011-01-05 09:08) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「過剰資本」の話になりかねない

これたぶん、そう云うお話なんですよ。すみません、本格的に論じるにはちょっと知識も知恵も足りない状態にありますが。
で、そう云う部分を調整する機能を、はたして現在の市場は備えているのか、みたいな話にたぶんなります。

> 「消費者・生活者」としての充実

ここは価値観の問題になってきますよね。で、価値観は当然ながら社会のありかたにつよく規定される部分があって。非常に漠然としていますけれど、最終的なぼくの問題意識のありかはそのあたりのどこかにあるようです。
by pooh (2011-01-05 21:25) 

+Ω

初めまして、「+Ω」です。

システムへの怒りは、
突然でいたが・・・、
必然的に 起こりました・・・。

システムなンか、壊そうと 思えば、

ヒットするタダ一人を ○○すれば、

(多分)崩壊する・・・、と 単に空想しています・・・。

私の怒りを、鎮めない限り、

この○○ は、大混乱になる・・・(崩壊する・・・?)、

なんて・・・、

空想の世界ですが・・・。


by +Ω (2011-01-06 02:42) 

pooh

> +Ωさん

いらっしゃいませ。

すみません、お書きの内容が理解できません。
次回も同様のコメントをいただいた場合、削除させていただくかもしれませんので、ご了承ください。
by pooh (2011-01-06 07:29) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>で、そう云う部分を調整する機能を、はたして現在の市場は備えているのか、みたいな話にたぶんなります。

市場そのものはフィードバック是正システムを内包したシステムではあるのです。そのため、本来全体が悪化する方向に向かう場合はフィードバックシステムが働くものなんですね。そういう意味では調整機能そのものは備えていると考えています。問題は市場を構成しているのが人間だという事なんです。人間は小さな変化に対しては比較的早く対応しますが、大きな変化に対しては対応が遅れます。人間がフィードバックシステムにきちんと対応出来ないことなんかも起こる訳ですね。

私が良く言う貿易論なんかがその典型なんですね。輸出が輸入を上まわるとその国の通貨は高くなり「売りにくく買いやすく」なる方向にフィードバックシステムが働きます。本来「売りすぎ」のサインが通貨高ですから輸出しにくく成った分が内需を喚起する方向に向かって行くべきですが、人間はそうはなかなかやりません。製造コストを切り下げることで輸出品の単価を下げて輸出を維持しようとします。製造費の低下と輸入の増大は国内の雇用を悪化させて内需の低下を招きますから、ますます輸入に頼らなくてはならないという外需依存体質に陥る訳です。

ここに「競争」と「合成の誤謬」の問題があるわけです。フィードバックシステムとして通貨高という「売りにくく買いやすく」が起きたときに、輸出品の会社が皆で「これは市場のフィードバックシステムだから素直に受け入れよう」なんてならない方向に「競争」が働く訳ですね。各社が「なんとか自分だけでも売り続けよう」と競争することで、必然的に「製造費の低下」を国の輸出産業全体でやり内需を低下させるという「合成の誤謬」がおきる訳です。

政治が経済政策を行う必要性というのは、「競争」と「合成の誤謬」により、この市場のフィードバックシステムの不全に対処するためなんですが、それがなかなか理解されていない訳です。

by 技術開発者 (2011-01-06 08:59) 

pooh

> 技術開発者さん

> 問題は市場を構成しているのが人間だという事なんです。

でもこれ、そうじゃなければそもそも市場は市場たりえないですよね。
と云うか、それを前提にうまく動く「ことになっている」のが市場ですもの。
どうなんだろうなぁ。現にうまく動いているのかもしれない。勝者にとっては。

> 政治が経済政策を行う必要性というのは、「競争」と「合成の誤謬」により、この市場のフィードバックシステムの不全に対処するため

まぁ、そう云う視野はプレイヤーにも、市井の生活者にも、ひょっとすると為政者にもなかったりしますよね。って、じゃあだめじゃん、みたいに感じるんですけどね。
by pooh (2011-01-06 21:32) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>> 問題は市場を構成しているのが人間だという事なんです。
>でもこれ、そうじゃなければそもそも市場は市場たりえないですよね。

 まあ、考え方として「道具が良くないのか、使い方が良くないのか」の話ではあるんです。市場という道具は使い手がきちんとしているとそれなりにきちんと動くのだけど、使い手が間違った使い方をするととんでもなく危険な道具となるものなんですね。
 道具を巡る事故について「どっちが悪い」という時には、使い方を間違う人間が少数であり多数がきちんと使っているなら「使い方が悪い」となり、逆に間違う人間が多数なら「道具が悪い」となるものです。
 じゃあ、今現在はというと「使い方を間違う」人が多数居るので、「市場という道具が悪い」と判断できるのかも知れない訳です。

 でも私には、いまいち「多くの人が間違って使ってしまう駄目道具」とは思えない面があるんですね。なんていうか、一部の間違って使う人たちが、多くの人に「こうやって使う物なんだよ」と間違いを教えたことで、多数の人が間違った使い方をしている感じかな・・・。まあ、そんな使い方ができてしまうところに市場という道具の欠陥があるという見方もあるのかも知れないけどね。

by 技術開発者 (2011-01-07 08:32) 

pooh

> 技術開発者さん

> 市場という道具は使い手がきちんとしているとそれなりにきちんと動くのだけど、使い手が間違った使い方をするととんでもなく危険な道具となる

と云うか、プレイヤーがきちんと使い方をおぼえなきゃいけない時点で、じつはその市場は「市場と云う概念にともなう機能」を充分に果たしていない、と云うことになると思うんですけどね。…とまぁ、これはちょっとストリクトすぎる把握ではありますけど、すくなくとも「まともに運用されている」と云う形容には値しない状況ですよね。

> 一部の間違って使う人たちが、多くの人に「こうやって使う物なんだよ」と間違いを教えたことで、多数の人が間違った使い方をしている感じかな

うむむむ。
現実問題として、「間違った使い方をして損をしているひと」には使えない道具であり、「間違った使い方をして得をしているひと」にはまっとうに機能している有用な道具なんですよね。で、ゼロサムを原則に置くかぎり、後者は前者を必要としているわけです(前者と後者はいつでも入れ替わっているわけですけど)。
もうなんか現状、本来の機能はなんだったんだ、みたいに思えますよね。快適さを追求するあまり車重が3トンを超えちゃったスポーツカーの話をしてるみたい。
by pooh (2011-01-07 21:40) 

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