内部と外部 [よしなしごと]
himajin774さんのホメオパシーの理屈が意外と自己矛盾してなくて困ると云うエントリを読んだ。
この話って、すこし前にすこし話題になった(merca論宅氏による共闘へのリクルートを蹴った)情報学ブログ*さんの科学はホメオパシーを否定できないと云うエントリの内容とも関連してくるような。
じっさいのところ、その内部だけでみるかぎり矛盾のないロジック、と云うのはけっこうつくりだせるものなんだろうな、と思う。そしてそれが人間の呪術的心性にマッチするようなしくみになっていれば、内的に矛盾していない、と云うだけでつよい説得力を持ちうる。そのロジックが無矛盾であるがゆえになんの役に立つのか、と云うとまたべつの話になるけれど。
あと、これはほとんど勘で云うけど、たぶんあと付けで波動理論が持ち込まれたあたりの接続部分を精査していけば、きっと内部矛盾は探せるんだと思う。無理のある接木だから。なんかラヴクラフトとダーレス、どちらのクトゥルフが正しいか、みたいな調査だけどね。
*Jul. 11, '16追記:ブログオーナーの方より、現在は実名運営としていないため表記を変更してほしい、と云うご要望をいただいたため、修正しました。
この話って、すこし前にすこし話題になった(merca論宅氏による共闘へのリクルートを蹴った)情報学ブログ*さんの科学はホメオパシーを否定できないと云うエントリの内容とも関連してくるような。
じっさいのところ、その内部だけでみるかぎり矛盾のないロジック、と云うのはけっこうつくりだせるものなんだろうな、と思う。そしてそれが人間の呪術的心性にマッチするようなしくみになっていれば、内的に矛盾していない、と云うだけでつよい説得力を持ちうる。そのロジックが無矛盾であるがゆえになんの役に立つのか、と云うとまたべつの話になるけれど。
やっぱり、自己矛盾だけを突こうとするのは無理があるのだろうか。じっさいに多くの批判があるように、ロジック面ではなく運用面を見れば、自己矛盾や宗派間での相互矛盾はたくさん見いだせるのだけどね。で、ある意味それはそれでもいい、って割り切りもできて(実運用されないホメオパシーは慢性の中二病と同程度には無害なので、探求したいひとは好きなだけ探求してくれればいい)。正直、「あなたの運用はホメオパシーのロジックと矛盾してます」みたいな批判もありだと思う(これって宗派争いの際によく使われるのを見る)。
あと、これはほとんど勘で云うけど、たぶんあと付けで波動理論が持ち込まれたあたりの接続部分を精査していけば、きっと内部矛盾は探せるんだと思う。無理のある接木だから。なんかラヴクラフトとダーレス、どちらのクトゥルフが正しいか、みたいな調査だけどね。
外部知識を必要とする批判だと、見ている者にその知識に対する正しい理解を要求する。ホメオパシー寄りの人が、標準医療(特に医学の基礎)について深く勉強する動機はあまり無いだろうと考えると、その要求は正当ではあるが、現実としては賛同を得る妨げになる気がする。原則これはおっしゃるとおり。ただ、ひととひとのあいだでこう云う部分における同意を獲得するには、実際は外部知識(そのなかでもとりわけ「すべての人間にとっての外部知識」である自然科学)を用いるしか最終的にはないんだよねぇ。このへん、科学リテラシーと云うことばを目にするたびに感じる居心地の悪さにもつながってくる気がする。
ホメオパシーの理論について詳しい方の助力求む(他力本願)。あれ、うさぎ林檎さんはどこ行ってるんだろう(他力本願)。
*Jul. 11, '16追記:ブログオーナーの方より、現在は実名運営としていないため表記を変更してほしい、と云うご要望をいただいたため、修正しました。
今晩は。
あの種の言説は、既存の科学の概念(量子力学や「情報」や水のクラスタなど)を悪用してアド・ホックに付け加え、体系を肥大させますね。部分を見れば整合的に見えるように、その場凌ぎになんとか繕おうとする。
で、全体的な整合性を完全無視して取り敢えずごてごてとくっつけていくから、体系の規模だけは壮大になって、結局全体像が掴めなくなり、派による細かな主張の違いが現れたりします。
そして、一般的に考えるべく、その辺のバリエーションを取っ払って共通部分を見出そうとすると、恐らく、類似の法則(と勝手に言っている何か)などの原理(と勝手に思っている何か)と、希釈・浸透の操作が残りますが、そこまで単純化すると今度は、「論理的には矛盾無く成り立ち得る」論理構造となりますね。
その場合にはもう、「経験的に分かっている事」と対比させて、その言説のあり得なさを理解するしか無い訳で、それが出来るには「知識」が必要です。そしてその知識は、「科学」です。
ニセ科学を見破るには論理性+「知識(科学:現象の構造について事実に基づいて確かめられた知識及び確かめるために開発・洗練されてきた方法の集積)」が必要である、という私の予てからの主張(ここから、高い認識力を持っていてもニセ科学的言説を受け容れる可能性を見る事が出来る)はここら辺を念頭に置いています。
そういう意味で、体系内の論理的矛盾を分からせて言説全体に懐疑心を持たせる、というのは、必ずしも実際的で無いようにも思います。
by TAKESAN (2010-12-10 23:40)
上記コメントについて、誤字の訂正です。
×浸透
○振盪
by TAKESAN (2010-12-10 23:43)
こんばんは。
書いてきましたよ………。
今のホメオパシーは、少なくともハーネマンのホメオパシーではないので、
その土俵にのっちゃダメ、と謂うようなことを。
ご存じでしょうけど、私はホメオパシー理論に興味があるわけではなく
「オルガノンに何が書いてあるかも知らないくせに。」「読みました。」
「ハーネマンは………。」「そんなこと書いてない。」
の一言の為だけに勉強したのですしね。
ホント、ホメオパシー理論(あるのか?)の矛盾は武器になりません。
>あれ、うさぎ林檎さんはどこ行ってるんだろう
最近はミクシィとTwitterにいたりもします。
ミクシィでは、今まであちこちに書いてきた"ホメって?"を、日記で自分用にポチポチまとめてます。
Twitterはホメ情報提供の敷居を下げてみようかと、試験的に始めてみました。
でも他力本願て謂われるとイタイなー、私のやってることってまさにそれですもの。
by うさぎ林檎 (2010-12-11 00:01)
「他力本願」のこの手の誤用は浄土真宗門徒として不愉快なのですが、それについては、いずれまた。今回は不愉快さを表明するだけにしておきます。
本題のほうですが、内部矛盾か科学との矛盾かの問題ではなく、そもそも、誤りを突きつける手法そのものの限界でしょう。ホメオパシーに限った話でもありません。
数学者が角の三等分屋にからまれた時、「証明」と称するものの誤りを指摘することは可能です。でも、たいていの場合、それをすると事態を悪化させます。三等分屋は、指摘された部分だけを直した「改訂版」と称するものをもってきます。もともと、徹頭徹尾間違っているので、「改訂版」の間違いを指摘することも面倒なだけで難しくはありません。でも、それをしても、「再訂版」がやってくるだけです。一回うっかりまじめに反応を返してしまうと、数学者が根を上げるまでこれが続きます。
アボガドロ数で困ったホメオパシーが「水の記憶」を取り入れたのと、まったく同じ構造に見えませんか?
by かも ひろやす (2010-12-11 00:45)
>>正直、「あなたの運用はホメオパシーのロジックと矛盾してます」みたいな批判もありだと思う(これって宗派争いの際によく使われるのを見る)。
実際、ホメオパシーの宗門争いではクラシカル派が山口の事件を「ホメオパシーの理論に背くものだ」と批判していたりしますね。たしかにハーネマンの理論だとK2レメディと謂うのは作りようがないはずですし、あるとしたらK2シロップの代わりに飲ませると謂う使い方にはならないはずです。うさぎ林檎さんには理由がおわかりだと思いますけど(笑)。
今ちょっと長いホメオパシー関連のエントリを書いているんですが、調べてみるといろいろ変なところがたくさんあります。まあ、よしんば変なところがなくて完全に無矛盾だったとしても、意味はないですけどね。
himajin774さんの元エントリの趣旨は、信奉者の説得と謂う観点では多少は意味があるんでしょうけれど、ホメオパシー理論内部の自己矛盾を探すと謂うアプローチは「御伽噺に附き合う」と謂う以外の意味がないので、まあホメオパシー外部の人間には関係のない論点ですね。
by 黒猫亭 (2010-12-11 06:18)
> TAKESANさん
> 取り敢えずごてごてとくっつけていくから、体系の規模だけは壮大になって
なんかひたすら巨大になるんですよね。矛盾に向き合うときに懐疑的な姿勢がないもんだから、削り落とす、と云うのができない。いちおうひとそろいの矛盾を糊塗できても、全体として「なにそれ?」的なものになったり。
> ニセ科学を見破るには論理性+「知識(科学:現象の構造について事実に基づいて確かめられた知識及び確かめるために開発・洗練されてきた方法の集積)」が必要である、という私の予てからの主張(ここから、高い認識力を持っていてもニセ科学的言説を受け容れる可能性を見る事が出来る)はここら辺を念頭に置いています。
まぁこの主張そのものにはなんの異論もないんですけど、もう少しハードルが下がんないかなぁ、みたいに個人的にはずっと考えてます。
> 体系内の論理的矛盾を分からせて言説全体に懐疑心を持たせる、というのは、必ずしも実際的で無いようにも思います。
意義なし、ではないですけど、実際的な方法かと云うとまぁ難しいかも、ですよね。
by pooh (2010-12-11 07:29)
> うさぎ林檎さん
すみません。召喚してしまった。
> ホメオパシー理論(あるのか?)の矛盾は武器になりません。
ってえか、まず前提に「嘘である」と云うのがあるわけです。
で、反発があるからと云って、その前提を措いて論じよう、と云うのがちょいと無理だったりもするんですよね。
> でも他力本願て謂われるとイタイなー、私のやってることってまさにそれですもの。
他力本願、と云うことばの本義ではない使い方、と云う部分については下でかも ひろやすさんに怒られてしまいましたが。
まぁ、どちらにせよ知識の体系、みたいなものは互いの力を借りあって組み上げるものですから。
by pooh (2010-12-11 07:33)
> かも ひろやすさん
ごめんなさい(^^;。
> 誤りを突きつける手法そのものの限界でしょう。
これですねぇ。じつはABO FANさん、と云うものすごいサンプルがあるんですよ。論理的な矛盾があっても、それを誤りと云う結論に結びつけることができない人間も存在する、と云う実例として。
> アボガドロ数で困ったホメオパシーが「水の記憶」を取り入れたのと、まったく同じ構造に見えませんか?
よってたかってそれをやっていると帰結する先がTAKESANさんのおっしゃる「肥大化」で、結果的になにが云いたい体系なのかわからなくなる、みたいな。
by pooh (2010-12-11 07:37)
> 黒猫亭さん
> 信奉者の説得と謂う観点では多少は意味があるんでしょうけれど
その信奉者が、どこに惹かれて信奉しているのか、と云うこともあるんだろうと思います。ホメオパシーのロジックに魅了されているのなら有効なアプローチとなりえるでしょうけど、単なるセレブリティ・ワナビーだったりしたらあんまり効果はないのかも。
by pooh (2010-12-11 07:40)
こんにちは。
これはアチラにも書いてきたんですけど
>「シミリア・シミリプス・クーレントウル(類似のものは類似のものによって治療されねばならない)」
ホメオパシーはこれを"自然法則"として、全肯定したうえで成り立っているものです。薄まってるとか成分が無いとかの「科学的にありえない」は、その先の話なんですよね。
荒唐無稽なのはまずここの筈なんですが、不思議なことに何故か最初の一歩がスルーされてます。
今はですねぇ、私は縋れるものがあるなら、何でもいいから縋りたい心境です。
「科学」がこのケースでは使えない道具なら、脇に置いといても良いんです。
>12/04(土)「ホメオパシー・アトピーの会」セミナーが行われました
http://www.homoeopathy.ac/10seminars_about/others/20101204_atopy.php
これを読むと、親がホメオパシーに嵌った場合は程度の差こそあれ、そこに医療ネグレクトが必ず起きています。大体、ホメオパスの診断では一体何の病気を放置しているのかも、恐ろしいことに確かめようがありません。
表だって助産師に食い込むことがやりにくくなったのもあるかもしれませんが、アトピービジネスに力を入れようとしているように見えます。
親がホメオパシーだけでアトピーを治す気になったら何が起きるでしょうね。
体力のある子供ならサバイブできるかもしれません、でも幼児なら?新生児なら?
グロリアは亡くなりましたよね。
日本ホメオパシーセンター本部(健康相談)には症例が紹介されています。
http://www.homoeopathy-center.org/symptom/index.html
子供の皮膚疾患の写真が載ってます、誇らしげにね……。
by うさぎ林檎 (2010-12-11 12:34)
> うさぎ林檎さん
> 荒唐無稽なのはまずここの筈なんですが
そこに疑義が挟めない体系になっている以上、科学ではありえない、と云うか、もっとあからさまに云えば「事実であることは主張し得ない」、と云うことなんですよね。試されることができないわけですから。
ところで少し前の「他者の力を借りる」と云う話でいけば、ぼくのこの認識は黒猫亭さんによる考察に負ってます。そう云う話なんだと思います。
> 体力のある子供ならサバイブできるかもしれません
体力のないこどもはサバイブできないのが自然、と云うロジックも最近は見受けられるようです。むきだしの自然にさらされてみればいいのに、と思う時もなくはありません。
by pooh (2010-12-11 17:38)
<ホメオパシーの理論>とか、<水伝>の理論とかは、
要は、
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に出てくる<テレスクリーン>の
四六時中叫んでいる(また、至る所に貼られている)政治的スローガン:
「War is peace. Slavery is freedom. Ignorance is strength.」
(戦争は平和である。隷属は自由である。無知は力である。)」と同じ、
矛盾の固まりでも、何度も云われると、人間が信じ込んでしまう(?)論理(?)のように思います。
その論理は、矛盾だらけでも、当の当事者に、論理のおかしさを指摘しても、矛盾は感じられないもので、
部外者がいくら指摘しても、<論理的破綻>は無い、「信仰」に近い<論理>(もどき)
のように思います。
by mohariza (2010-12-11 19:49)
ご紹介ありがとうございます。適確なまとめですね。
ホメオパシーの特定の発言を見つけて矛盾しているって言うことはできると思います。ただ、相手が適切に訂正することを許すのなら、矛盾しないホメオパシーを作ることは簡単でしょう。この両者は区別しないといけないと思います。だから、矛盾していることを理由にホメオパシーを批判するのは、かなり不毛な作業ではないかと思っています。
それにもかかわらず、どうしてホメオパシーは間違っていると言えるのか…ということを考えて8月頃に書いたのが自分の記事ですが、一部の人には最後まで理解されなかったようでしたね。「そんなことを言って、ホメオパシー批判の潮流に水を差すのか!」というご意見が多く、どうすれば良いかとまどったことが今ではなつかしいくらいです。こういう議論は「政治運動」としてとらえられてしまうと、議論の意味自体がそこで死んでしまうのでしょう。
今後、こういう本質的な議論が盛り上がっていくといいと思っています。
by 情報学ブログ (2010-12-12 19:36)
> 情報学ブログさん
いらっしゃいませ。
> 矛盾していることを理由にホメオパシーを批判するのは、かなり不毛な作業ではないかと思っています。
同意します。と云うか、そう云うひとはあまり見かけたことがないですけれど。
体系として矛盾があるかどうかはともかくとして、運用において(より不純物の多い、実社会のパラメータが多量に入り込んでいる部分で)矛盾を指摘するのは、必ずしも不毛、と云うことにはならないのではないか、と思います。と云うか、ぼくもここでずいぶんそれをやっていますし。
> 今後、こういう本質的な議論が盛り上がっていくといいと思っています。
ここは難しい部分だと思います。と云うのは、それは議論としては本質的かもしれませんが、議論の目的に照らすと、かならずしももっとも重要な部分とは限らなかったりもするからなんですけどね。
by pooh (2010-12-12 21:13)
ああっ、moharizaさんにレスしてなかった。
> moharizaさん
誰かの論理の矛盾を指摘することでその相手から懐疑を導き出せるのは、相手が論理の整合性と云うことに充分な重きを置いている場合、だけなんですよね。で、それはすべての人間が持っている資質、ではないし、もっと云えば人間の自然な(野性的な)思考方法の延長線上にあるもの、でもなくて。
この極端な例として、ABO FANさんと云う方のお名前を上で出しています。矛盾することが論理において瑕疵である、と云うことがまず理解できない、と云うものすごいケーススタディを見せてくれた方でした。
by pooh (2010-12-14 21:57)
こんにちは。私は、「市川海老蔵さんの山ごもり」をリスペクトするべきか、それとも「沢尻エリカさんの雲隠れ」をリスペクトするべきか、選択に迷っている者です。
情報学ブログさんの御言葉
>今後、こういう本質的な議論が盛り上がっていくといいと思っています
同感です。しかしながら、情報学ブログさんの言いたいことは、意見の相違がある人たちに、ほとんど届かなかったようですね。
たとえば、kikulogの常連の皆さんとか。
科学の基本がどうとか、情報学ブログさんの期待されたお返事とは違うことを、kikulogの常連さんたちは何度も言って来ましたよね。
結局は、ブログ主であるきくちさんだけが、情報学ブログさんの状況を理解されていたご様子。
ちなみに最近の私は、kikulogを始めとする百戦錬磨のニセ科学批判者たちの立場を、周回遅れの部外者として次のように捉えています。
「継続してホメオパシーを批判している人は、かなり骨が折れる仕事だということを十分承知している。頑固なビリーバーを説得するための直接対話など、とっくの昔に諦めている。」
「たとえば、『ニセ科学って良いところも有るんじゃね?』とか、『少しくらい胡散臭い方が良いのですわ、おほほ♪』などと嘯くニセ科学寛容主義者に向かって、こちらが粘り強く親切丁寧に説いても、鼻で笑われるか、もしくは『僕の大事な主張にツッコミを入れたな!無視リスト送りにしてやる!』と逆切れされて終了です。聞く耳を持たない人との対話なんて、こちらの貴重な時間が無駄になるだけですよね。不毛、不毛。」
私は恥ずかしながら、今頃になって悟った次第です。このような基本的な事実など、ニセ科学問題に関心を持つ者ならば、とっくに把握しておくべきでした。不覚のベリー至りです。
きっと、情報ブログさんも不毛は承知の上で、あえてkikulogを始めとするニセ科学批判者たちに本質的なアドバイスをして差し上げたのでしょう。残念ながら、別の意味で盛り上がってしまいました。
情報ブログさんが目指すところの、次なる本質的な議論。私も、その盛り上がりを期待しております。
by TAKA (2010-12-19 20:46)
> TAKAさん
> 直接対話など、とっくの昔に諦めている。
そのスタンスがはたしていいのかどうか、と云うのも、ずっと問われてきたことではあるんですけどね(その点では、ぼくもnewKamerさんにずいぶん批判されました)。当面のスタンスをどこに置くか、と云う話とは別に、「切り捨てる」ことの是非は念頭には置いておくべきだとは思っています。
> 私も、その盛り上がりを期待しております。
情報学ブログさんのおっしゃる意味での「本質的」な議論が不要だとは思っていないし、そこから生じた果実から得る部分もかなりあるだろう、とは思っています。ただ、ニセ科学の問題にコミットしている論者は多くがその実効性に中心的な関心を置いているし、そうなると本質論的な部分は後回しになるケースも多い(そしてそれはおおむね大きな問題としては捉えられない)のかなぁ、みたいにも思います。
by pooh (2010-12-19 21:02)
初めまして、himajin774と申します。
いつも皆さまの活発な議論を拝見しているばかりなので、まさか言及して頂いているとは気付かず、ご挨拶が遅くなり失礼いたしました。
ご推察の通り、自分としては(まだ比較的嵌り方が浅い)
ホメオパシー信者、もしくは信者予備軍のニュートラルな人たちへの説得方法として、矛盾を突くやり方を考えていました。
でも、やっぱりイマイチな方法みたいですね。
運用面での矛盾を指摘するのは、誰にでも分かりやすく、非常に実用的な方法だと思います。良く知った相手ならば、その人の心のツボをある程度狙った説得術が使えるのですが。
個別の人間相手の場合とブログなどに書く場合で、有用な手段も違ってくるのかもしれませんね。
こちらのエントリや関連するご意見を読んで、また考えた事をごちょごちょと書いてみましたので、お暇なときにでもご覧いただければ幸いです。
by himajin774 (2010-12-20 00:49)
> himajin774さん
いらっしゃいませ。
すみません。古いエントリに言及してしまいました。
> やっぱりイマイチな方法みたいですね。
いや、じっさいの、たとえば1対1の対話の場においては、けして有効じゃない方法だってことはないと思いますよ。
全体として合意を形成するとか、一般的に用いることのできるロジックを模索するとか、そう云う方向には向いていないかもしれないですけど、つねにそう云う、ある種メタな部分が重要かと云うと、そんなこともないので。
> 個別の人間相手の場合とブログなどに書く場合で、有用な手段も違ってくるのかもしれませんね。
もうこれは、ケースによって違ってくるのだと思います。だから多様な議論と多様な方法が模索されるのが望ましい、みたいに考えたりしてます。
by pooh (2010-12-20 07:36)