ひとのわざ [よしなしごと]
hietaroさんの貴族な人たちと云うエントリを読んだ。なんとなく感覚的に同意、と云うだけでは個人的に収まらないのでちょっと言及してみる。
ちなみに元のエントリはちょいと話題を集めた朝日新聞の医師・助産師頼らず自宅出産 朝来の大森さん夫婦と云う記事に触れたもの。この記事の内容、あるいは報道にあたっての朝日新聞の姿勢、みたいなものについても語るべきことはあるのかもしれないけど、hietaroさんのエントリからリンクされているようにすでに問題点に関する相応の量の議論は出ているので、ちょっとそこはそことして。
でまぁ思うのは、ちゃんとした定義のあることばなのかどうか知らないけど、意味だけ追うとそもそも
まぁ多分このへんまでは自然、と云う感覚的な線引きをどこかでやって、そこで納得してるんだろうとは思うし、べつにそう云うのを否定する気はない。人前で堂々と気持ちよがってみせるのは見せ物としては低劣で嫌悪感はあるけれど、それはまぁ見なければいいだけの話。そう云う行為の醜悪さに気付けないのはまぁみっともなくて見苦しいなぁ、とは思うけれどそれもそれで、最低限の美意識も備えていない粗野な人間の行為を日常的に見せつけられるのはまぁ慣れている。
ただ、それをなにかしら正しいことだ、最低限の含羞さえ示さずに堂々とできることだ、みたいに思える感覚は、あんまりぼくには理解できない。このへんは単に棲む文化圏の違い、と云うだけで終わる話なのかもしれないけど。正直、朝日新聞の報道にしても例えばもっと「珍獣発見!」的なニュアンスで書かれていれば、あんまり引っかからないで済んだようにも思う。
ところでhietaroさんのエントリのなかでは、余談に当たるだろう部分に反応。
ちなみに元のエントリはちょいと話題を集めた朝日新聞の医師・助産師頼らず自宅出産 朝来の大森さん夫婦と云う記事に触れたもの。この記事の内容、あるいは報道にあたっての朝日新聞の姿勢、みたいなものについても語るべきことはあるのかもしれないけど、hietaroさんのエントリからリンクされているようにすでに問題点に関する相応の量の議論は出ているので、ちょっとそこはそことして。
ここのコメント欄にお越しいただくことのあるひとのなかで、ぼくの認識しているかぎり実際に農業に従事しているのはsatomiさんぐらいのものなのではあるけれど(satomiさんをプロパーの農業者と云っていいのかどうか、と云う部分はちょっとあるけれど)、じつは最近いくらか、先進的ながらも地に足の着いた取り組みをしている農業者の方と接点もあったりして、いろいろと考える機会もあって。「農薬や化学肥料を使わず、耕しもしない自然農法」だそうだが、そんなもん「自然」農法なのかな? 「農法」ってのは農業の方法ってことでしょ。つまり植えて収穫して食べると。狩りじゃないんだから、そうなる。
農業ってのは人間が食うためにやることであって、そのために作る畑を耕さなかったなんていうのは人類の歴史の中でどれくらいの期間だったんだろう? こういう言い方をしては何だが、人類はそんなにヴァカだったんだろうか? なにがどう「自然」農法なんだろう? 不自然きわまりないと思うのだけれど。
でまぁ思うのは、ちゃんとした定義のあることばなのかどうか知らないけど、意味だけ追うとそもそも
自然農法ってことばが単に矛盾だ、ってこと。自然にいっさい逆らわない、人為的なアプローチをおこなわない営みを「農法」なんて呼ぶはずはない。農法、と云うのは、自然と対峙した場所における、そのフロンティアでのひとのわざ、であることにその価値があるはずだ、みたいに思うから。
まぁ多分このへんまでは自然、と云う感覚的な線引きをどこかでやって、そこで納得してるんだろうとは思うし、べつにそう云うのを否定する気はない。人前で堂々と気持ちよがってみせるのは見せ物としては低劣で嫌悪感はあるけれど、それはまぁ見なければいいだけの話。そう云う行為の醜悪さに気付けないのはまぁみっともなくて見苦しいなぁ、とは思うけれどそれもそれで、最低限の美意識も備えていない粗野な人間の行為を日常的に見せつけられるのはまぁ慣れている。
ただ、それをなにかしら正しいことだ、最低限の含羞さえ示さずに堂々とできることだ、みたいに思える感覚は、あんまりぼくには理解できない。このへんは単に棲む文化圏の違い、と云うだけで終わる話なのかもしれないけど。正直、朝日新聞の報道にしても例えばもっと「珍獣発見!」的なニュアンスで書かれていれば、あんまり引っかからないで済んだようにも思う。
ところでhietaroさんのエントリのなかでは、余談に当たるだろう部分に反応。
つまり「トレンディドラマ」を見る人はその時点でトレンディじゃないっていう、大いなる逆説が含まれてて。(^O^)トレンディ、ってことばが生きていたころはぼくは東京で20代で独り暮らしで怖いもの知らずの呑んだくれだったわけだけれど、当時は絶対にだれからもそんな形容なんかされたくない、とか思ってたのを思い出した。だってどう考えてもことばの意味からしても(実際のことばの運用でもそうだったわけだけれど)「トレンディ」なんてのは「最先端から正確に半歩から一歩分遅れてる」って意味しか持ち得ないわけだもんね。
hietaroさんは、相変わらず鋭いですね。
「自然農法」は、自然に帰る為、人類の人口を減らす為は、奨励すべきと思います。
「自然農法」が広まれば、自然に調和(?)していると思っていても、やはり、自然に逆らっている「自然農法」が、自然にしっぺ返しされ、飢饉が頻発し、餓死者が多く出て、人口が減り、地球の為になると思われます。
それを自覚して、「自然農法」を叫び、国が奨励するのなら、大いにやるべきと思います。
そんな勇気は、「国」には無い、とは思いますが・・・。
・・・・・・・・・・・・・
「トレンディ」とは、その時の<空気>でしょうね・・・。
<空気>を吸うこと、接していると感じることで、一体感を味わえ、「安心感」をもたらす・・・。
その時の最先端と称する<流行(語)>とは、そう云うものと思います。
<流行>に縁が無く、逆らった生き方をしている人間にとっては、「トレンディ」と称するものなんてものは、一過性のウイルスと思っています。
ウイルスに汚染されずに、(接しても、犯されはしないと思ってはいますが・・・、)適当に生きて行くものには、関係ありません。
by mohariza (2010-11-21 16:14)
> moharizaさん
> 自然に帰る為、人類の人口を減らす為は、奨励すべきと思います。
まぁ皮肉として、そう云う捉えかたはあり、かもしれないですね。なんか昔読んだソムトウ・スチャリトクルの「スターシップと俳句」を思い出しましたけど。
> 「トレンディ」とは、その時の<空気>でしょうね・・・。
空気、と云うか、空気に対する態度、みたいなもののようにも思います。いずれ同じ空気に囲まれてはいるわけで、そうするとその空気になじもうとするのかどうか、みたいな。
正直、空気になじもうとする行為はかっこわるいわけですよ。そのなかの一部だけでも、その空気を「生み出す」側にいようとする意識がないのは、かっこわるいです。当時も、いまも。
by pooh (2010-11-21 18:56)
こんばんは。
あちこちで色々書いてしまったので一言だけ、記事のご夫妻がやっているのは"家庭菜園"でしょ?
ところで『とらこ先生のOffical Blog.』というのがありまして、開始が2010.05.20だったためか2010.08.02に更新があったきりでした。
始める時期が悪すぎましたが、2010.11.21に久しぶりに更新されました。
ただし、"日本における第一人者とらこ先生が豊富な知恵と経験からホメオパシー的生き方をお話します。"の筈が、今回更新分の文責はCHhom事務局で内容もセミナーの宣伝です。
>自然は美味しい、自然は健康、自然は美しい
http://egoen.jp/blog/chhom
冒頭にとらこ先生の自然観が述べられています。
>【自然は美味しい、自然は健康、自然は美しい
> 私たちが真に美しく、健康に、自分自身を生きるためには、
>豊かな自然の恵みに感謝して、その恩恵を生活に取り入れていくこと
>が大切です。】
この程度なんですね。
by うさぎ林檎 (2010-11-21 19:31)
> うさぎ林檎さん
> 記事のご夫妻がやっているのは"家庭菜園"でしょ?
家庭菜園が悪い趣味だとは思わないですけど、そこから道を説かれてもねぇ、みたいな感じです。
> この程度なんですね。
そりゃまぁ、その程度の相手をターゲットにして商売を繰り広げてるわけですから。
by pooh (2010-11-21 22:03)
> satomiさんをプロパーの農業者と云っていいのかどうか
いいわけないです。はぁ恥ずかしい。自給に毛が生えた程度。
自然農という言葉、このところハヤリですよねぇ。農家の人たちの間では全く流行っていませんが。現場と関係ないところで言葉だけが流行るというところに「らしさ」が現れているような気が...。
草取りや耕起にかかる労力・費用や肥料代の削減になる技術は、農業者なら誰でも関心があるだろうし、学び取りたいものだと思うんですよね。でも自然農の場合、技術論というよりは思想論(「人の道」論?)の側面が強いですよね。だから現場とは関係ない場所で、よりウケが良いのでは。
「無肥料でも可能なのは土の中で元素転換が起きているからだ」とか「宇宙の真理に目覚めればできる」とかいう話にまでなってくると、もうカンベンと言うか、その手の話は技術の確立の妨げになる思考停止をもたらすだけじゃないかと思ってしまいます。
日本は化学肥料の原料のほとんどを輸入に頼っているし、近い将来の資源の枯渇の問題を考えれば、資源の循環という観点の中で有機農業を考えて行くのは大事だと思うんですよね。農薬に関してもリスクとベネフィットの中で考えていく必要がある。農薬のリスクとは現実的には、それを使用する人(農業者)と、それが使用される環境へのリスクですが、大多数の消費者の関心は「【私が】食べたらキケンか否か」の周辺でぐるぐるしている。「私にとってのエコ」の肥大はエゴへの道だと思うのですが。
そういう消費者心理を利用して、最近は「有機野菜は毒だ、食べたらキケンだ。有機肥料も何も使わない自然農で作った野菜こそが本物の野菜だ」という商売も出て来ているし。
自然志向の人たちで、鶏糞や牛糞など動物由来の有機肥料を使っているかどうかを気にする人はけっこういますが、「循環」ということをどう考えているのでしょうね。(皆がベジタリアンになれば家畜を飼う必要がないし糞も出ない、ということ...?)
by satomi (2010-11-22 11:59)
こんにちは、皆さん。
kikulogの方で「してもかまわない」が「しなくてはならない」になる例として不耕起栽培の例を挙げたことがあります。なんていうか、「ものぐさ農法でも家族が食ったり、ちょっと無人市において小遣いくらいにはできるよ」という意味で不耕起栽培というのは「ここまでものぐさでもかまわない」というだけのものです。
それがいつの間にか「耕してはいけない」みたいに言われて、「芋の収穫ができない、どうすれば堀り起こさずに芋が手にはいるのか?」なんて問い合わせがきたりする訳です。回答は「掘りなさい」いがい無いんですけどね(笑)。
なんていうか、過疎地の農家で育つと不耕起栽培というのも不思議とかは全く感じないんですね。子供の頃に廃村になった集落に遠足で行ったりすると見捨てられた畑とかに「こぼれ種」でしっかりと野菜ができていたりする訳ですからね(笑)。
by 技術開発者 (2010-11-22 16:59)
「不耕起栽培」なんて言葉まであったとは…。
>pooh さん
「余談」ついでに。山崎浩一が『そこそこトレンディ』という本の前書きでこう書いてます。
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「トレンディなんて恥ずかしいよな」「おれらが『トレンド』って言う時にゃ、語尾に『(笑)』が必ずついてるもんな」「もうトレンド云々の時代じゃねえよな」「いやあ、ぼくはトレンディなんかじゃないスよ」などと、したり顔でわざわざ口に出さなければならない人種こそ、よっぽどトレンド強迫症または中毒症に違いないのだ。そしてそう言った舌の根も乾かないうちに「ねえ、知ってる?」などと結局トレンド話に花を咲かせるに決まっているのだ。
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この本が出た時にはとっくの昔に「トレンディ」って言葉はトレンディではなくなっていて、それをあえて使うことの説明的な話なんですが、つまりは「トレンディ」ってのは言葉じゃなく、姿勢だって話で、結局「最先端から正確に半歩から一歩分遅れてる」「空気になじもうとする行為」なんですよねえ。
by ひえたろう (2010-11-22 20:28)
> satomiさん
> 自然農の場合、技術論というよりは思想論(「人の道」論?)の側面が強い
そう云う感じがしますよね。とりあえず、どんなかたちにしろ明日のごはんの心配につながる角度からではない、みたいな。
> 資源の循環という観点の中で有機農業を考えて行くのは大事だと思う
このことはぜったいにあるんだと思います。キューバの農業に学ぶことがあるとすれば、この角度からだと思います(もっともキューバでは、そうとう怪しい呪術的な農業技術も試みられてるみたいではありますが)。
> 大多数の消費者の関心は「【私が】食べたらキケンか否か」の周辺でぐるぐるしている。
まぁ資本主義社会におけるコンシューマーと云うのはそう云う存在であるわけですけれど。ただ、農業、と云うものを考えるにあたって(あまつさえなにかもの申すにあたって)、ほんとうにそれでいいのか、と云うのはあるように思います。なにしろごはんの話ですから。
by pooh (2010-11-22 21:30)
> 技術開発者さん
> 「芋の収穫ができない、どうすれば堀り起こさずに芋が手にはいるのか?」なんて問い合わせがきたりする
ええええぇ?
そこまで行くと冗談としても筒井さん級のような。
by pooh (2010-11-22 21:31)
> ひえたろうさん
> つまりは「トレンディ」ってのは言葉じゃなく、姿勢だって話
もう、おっしゃるとおりだと思います。
でも、それにしてもあまりにも(ネガティヴな意味で)本質を突いた言葉だなぁ、と云う気もします。
by pooh (2010-11-22 21:34)
こんばんは
自然農法という名前がまた、具体的な技術の中身は知らなくても何となく「自然にやさしい農法なのね」と、聞いた人が勝手にほんわかとイメージしてしまえるのですよねぇ。
「○×農法」と名前が付いて、「アレはするな」「コレをせよ」と決まり事ができて、やがてそれを守ることやそれを名乗ることが目的化してしまうのは、つまらないし不自由なことだと思います。
「○×農法で作った」をマーケティング上のウリにする場合は別ですけど、農家の人たちは普段からそんな名前には縛られずに、有用な技術ならばあちこちから取り入れてみるということを、あれこれと合理的にやっているのではないかしら。
> 大多数の消費者の関心は「【私が】食べたらキケンか否か」の周辺でぐるぐるしている。
ちょっと補足を...。
つい最近も、大病を経験した友人から「玄米が病気に良いとよく聞くけれど、玄米は農薬が付いているからキケンだと書いてある本もあって悩む。無農薬米は高いし」なんて話を聞かされたばかりです。「ふつう最後に農薬使ってから収穫まで1ヶ月はあるし、籾がらを取ってさらに米を研ぐんだから農薬が残るはずないよ。もし白米のほうが好きだったら、好きなものをおいしく食べるほうがいいんじゃないかなあ」というような返事をしたのですが。
心配する必要のないことを心配するのはその人にとっては辛いことだし、また、必要のない心配によって本来心配すべきことがなおざりにされてしまうのは社会にとってダメージじゃないかと思うのです。
私たちは無農薬・無化学肥料でやってはいるけれど、売る際には「安心・安全」は謳うまいと決めてるんですよね。「じゃあ慣行栽培のものは不安・危険なのか?」という話になってしまうので。もし謳うならばそうだな、循環...かしらね。(もっといい言葉を編み出したい)
by satomi (2010-11-23 01:39)
satomiさん、
> 有機野菜は毒だ、食べたらキケンだ。
「農薬を使っていないのだから、マイコトキシン類汚染のリスクが高い。」と、続くわけでは、ないのですね。
野生の植物は、自分の都合で生きていますから、そのままでは、葉は硬くてえぐいし、実は可食分が少なく、豆は有毒です。
それをヒトの都合で、食べられるように「品種改良」しちゃうと、どうしても虫や病気に弱くなって、ヒトが介入しなくては、生きていけない存在になります。
介入するのに化学プラントで作られた農薬を使うか、手作業に近い管理を行うかは、ヒトの都合で選択可能な「手段」の相違です。
それに対して、「無介入」というのは、とっても不自然な行為です。せいぜい山菜狩り程度の趣味にとどめておくべきでしょう。そうでなければ、アフラトキシンくらい容認する覚悟が問われます。農薬を「毒」と呼ぶ人には、無理だと思いますけれども。
by mimon (2010-11-23 04:40)
> satomiさん
> 「自然にやさしい農法なのね」と、聞いた人が勝手にほんわかとイメージしてしまえる
このあたり、呪術をマーケティングに用いるにあたっての基本的な手法のひとつ、と云ってしまってもいいんだと思います。ものすごく広範な分野にあてはまるテクニックとして。「ロハス」みたいな専用用語ではないですけど、「自然」のほうがその分定義からより自由で、汎用性が高い。
> 必要のない心配によって本来心配すべきことがなおざりにされてしまうのは社会にとってダメージじゃないかと思うのです。
mimonさんのコメントとも関連してきますけど、これはリスク論につながってくる部分ですよね。「安全」に指標は置けるけれども、「安心」には置けない、みたいな。
by pooh (2010-11-23 07:09)
> mimonさん
> 野生の植物は、自分の都合で生きています
自然が人間にやさしいものだ、と云う幻想がどこから生じるのか、それがどうして支持されるのか、と云う話に、結局はなっていきそうです。このへん当面は、通俗的な議論しかぼくにはできない感じですけど。
> 農薬を「毒」と呼ぶ人には、無理だと思いますけれども。
まぁ農薬も薬なので、毒にはちがいないんですけどね。そこまで考えたうえで「安心」の基準をどこに置くか、と云うのを判断する、と云うのが、たぶんいちばん望ましい態度なんでしょう。
by pooh (2010-11-23 07:14)
こんにちは、皆さん。無駄話です。
>ええええぇ?
>そこまで行くと冗談としても筒井さん級のような。
現実に不耕起栽培をやっている人に来た問い合わせです。問い合わせを受けた人は、「ものぐさ農法」としてやっている人なので、最初、質問の意味が理解できなかったみたいですね。
実は私は「プランター栽培」の人でして、不耕起栽培とは全く逆なんですね。不耕起栽培というのは、土地の面積当たりの収穫を減らしても手間をかけない方向の栽培法で、私の場合はとてつもなく狭いプランターの中でそれなりの収穫を上げるために手間を掛ける栽培法ですからね。単純に言うと、通常栽培の株間の倍とか3倍の間隔で育てるのが不耕起栽培なら、通常栽培の1/2とか1/3の株間で育てるのがプランター栽培なんです(笑)。全く逆でありながら(というか逆だからこそ)、プランター栽培をやっていると不耕起栽培の意味がとてもよく分かるんですね。
例えば、私は苗の植え替えを頻繁に行います。限りあるプランターの面積を活かそうと思うと小さな苗の段階でプランターを占拠させるなんて贅沢はできないから、小さな容器で密植させて苗にして、苗がおおきくなるに従って大きな容器に植え替える訳です。直径15センチの植木鉢にタネを撒き、発芽した双葉をセルトレイに移し換え、セルトレイが手狭になってから、プランターに移し替えるなんてね。プランターの瓜科の作物を網に這わせて、その下の方の葉が枯れて土に日が当たる様になったら、そこに別な作物(ネギ)を植えたりとかね(瓜科とネギはコンパニオンプランツなんていうけど、単に面積がもったいないから植えるだけね:笑)。
一見、全く逆の事をしているのだけど、要は作物が育つに従って日光が大きくなった葉にきちんと当たる様にしてやって、根を伸ばすスペースさえあれば、作物は育つという原理は同じなのね。周りが雑草であってもこれさえ守れば育つ訳です。
プランター栽培をしていると話しかけられたりすることも多いのだけど、困るのは「家庭用だから無農薬」と決めつけた話をされることね。すごい密植栽培をしている訳ですから、完全無農薬でやると私の手間をいくらかけても虫に負けるのでね(笑)。カボチャとかマクワウリなんかは、本数が少なくて雌花と雄花のタイミングがズレて人工授粉もできない時は、ホルモン処理までしています(笑)。まあ、趣味なんですけどね。
by 技術開発者 (2010-11-24 16:20)
> 技術開発者さん
> 最初、質問の意味が理解できなかったみたいですね。
そりゃわかんないですよ。掘らなきゃ喰えないですもん。
「掘るのは不自然で、掘らずに飢えるのは自然」とまで行けばあっぱれ、と云いたいところですけど、吉村医院あたりのロジックは近いところまで行っているので、あんまり冗談めかして云っていると後悔しそう。
> 困るのは「家庭用だから無農薬」と決めつけた話をされることね。
商業用じゃない、って部分から、そう云う見方になるんでしょうね。これはこれでステレオタイプではありますが、でもプランターでこれだけ収量にフォーカスする方も珍しいのでは(^^;。
by pooh (2010-11-24 21:48)
koumeさんの「減農薬・無農薬のコメの味への影響」のエントリーです。
http://ameblo.jp/vin/entry-10717143113.html
最後のひとことが効いています。
> たかだか無農薬にしたくらいで美味い米ができるんなら苦労しないんですよ
私の自宅の近所に元農学部教授の義父が住んでいるのですが、
うちの女房が「食べられるものは無理」と投げ出したのと同じ環境で、
せっせと「ベランダ農業」の収穫をあげています。
いくら専門が農業経営でも、「農学博士」は実力が違いますね。
もちろん、無農薬だなんて、無謀なことには手出ししません。
by mimon (2010-11-25 01:57)
> mimonさん
まぁ身も蓋もないですけど、koumeさんのおっしゃるとおりなんだろうな、と思います。
このへん、いろんな角度から論じられる話なんだよなぁ。
> いくら専門が農業経営でも、「農学博士」は実力が違いますね。
いや、でもご専門の「農業経営」の角度からは、ご自宅用とはべつのアプローチをされるのかもしれませんよ。「売らない作物」だから、できるアプローチなのかも。
by pooh (2010-11-25 07:34)
こんにちは、poohさん。
>でもプランターでこれだけ収量にフォーカスする方も珍しいのでは(^^;。
はい、かみさんに「二人暮らしにそんなに要らない」と怒られる(笑)。これはね、趣味ということなんですよ。なんていうか、不耕起栽培が「手間を省く」という事に特化するみたいに、「手間を掛ける」ということに特化した結果なんです。つまりね、土地があれば、「これをやって、あれをやって」と手をかける所が幾らでもある訳ですね。ところが狭いプランター、手を掛けたくても直ぐに作業が終わってしまう訳です。仕事なら楽でよいのだけど、趣味ですからね、「手を掛けたいのに掛ける所がない」のは苦痛なんですね。
そこで、手を掛けるための無茶が始まる訳ですね。例えば真冬なのにプランターに二重にキャップをかけて、中をくん炭と藁で断熱して、無理矢理タネを発芽させるとかね(加温型の育苗器は持っていないからね)。不自然農法そのものなんですね(笑)。私に比べりゃ今の農家の農業は皆、自然ですよ(笑)。
江戸時代の文献に野菜の促成栽培の記事があるのね。温室も無いのにどうやったんだろうと思うと、堆肥の発酵熱を利用して地面の方から加温しながら、藁と油紙で地表の熱の放散を押さえて、普通より1ヶ月とか2ヶ月早く出荷したりいるのね。こういう記事を読むとやってみたくなったりするんですよ(また、かみさんに怒られそう:笑)。
by 技術開発者 (2010-11-25 16:50)
> 技術開発者さん
> 趣味ですからね、「手を掛けたいのに掛ける所がない」のは苦痛なんですね。
趣味である以上、なんらおかしくはないです。おかしくはないですが、角度が「珍しい」と云う評価は甘んじて受けてください(^^;。
> 私に比べりゃ今の農家の農業は皆、自然ですよ(笑)。
まぁ商売上の成算を度外視してまで(さらにユーザ(この場合は奥さま)のニーズを無視してまで)、わざわざ手間がかかるほうには向かわないですよね。
> こういう記事を読むとやってみたくなったりするんですよ
いやまあそりゃ趣味でしょうから止めませんが。
ちなみにうちは父親の趣味の畑からの成果物をけっこうありがたくいただいてます。
by pooh (2010-11-25 21:54)