傲慢と(善意の)侮蔑 [よしなしごと]
三重県でホメオパスをしていらっしゃるらしいババチャンさんの騒動の後は?と云うエントリを読んだ。
まぁ、よく見かける種類の言説ではあるんだけど。
当の
ただ一般に、自分たちのわかっていないことに対しては科学者はおおむね謙虚だし、その面では(科学も、そしておそらくホメオパシーの原理というものについてもよくわかっていないケースが多いと思われる)ホメオパシー関係者はだいたい、傍目に謎に思えるぐらい傲慢だよね。
これまでの200年も、(おそらく、原理的には)これからの200年も。
ホメオパシーにたずさわる多くのひとが、「自分はさんざん脅すし好き勝手に通常医療の害を説くけど、その自分のことばを信じてひどい目にあったりするひとが仮にいたら、それはそのひとの自己責任だからね」みたいな卑怯なスタンスを取っている。それが、自分の発した言葉を真摯に聴き、受け止めてくれたひとたちに対するひどく侮蔑的な態度だ、と云うことには、気付けないものなのだろうか。
まぁ、よく見かける種類の言説ではあるんだけど。
「ホメオパシーはまったくもって科学的でない!!」まぁ権威を鵜呑みにするのはもちろんいいことじゃないけれど、その場合に求められるのはその権威が信頼に足るものかどうかを見極める目、であって。ある権威に関して、それを見極める目を持たないがゆえに全否定する、ってんだったら、それは権威への盲信となにも変わらないわけで。
「効果はない!」
なんて、いわゆるえらい先生たちの会議が、決めつけたりしたわけです。
素直な人は
「へ~、そうなんだ」
と納得するかもしれませんが、
こちとらもうすでにひねくれ(?)ているので
「はいはい、あなたたちにとってはそうなんでしょうね~」
なんて、ちょっと、いやだいぶ冷めた目で見ちゃうだけ。
当の
いわゆるえらい先生たちの権威がどんな種類のものであるか、について自分でまともに考えようとしないまま開陳される
ひねくれ(?)ている解釈は、控えめに云ってもまぁ幼稚園児の駄々より質が悪い、と思う。
今日、いいというものが、明日「すみません、やっぱり違ってました」そりゃあるよ。科学は200年間進歩できないままのホメオパシーとは違うんだから。
なんてのはザラにあります。
「すみません、やっぱり違ってました」って云うのを1回でもやらかしたら崩れ去ってしまうような(だから違っていることを謙虚に認めるなんてことは絶対にできない)ホメオパシーと較べちゃ失礼。
悪いと分かっていても、自分たちの利益のためには、こういう事実は伏せておこうまぁそう云う側面がまったくない、とは云えないとは思うけれど、そう云う視点を持つことのできるひとがどうして、例えば日本ホメオパシー医学協会の発し続けている我田引水でつじつまの合わない矛盾だらけのコメントを受け入れられるのか、と云うのが不思議。
なんてのもザラにあるわけです。
新聞やマスコミなんてのも、スポンサーや上の人の害になることは書けないわけだしね。
だからこそ科学者や医療技術者なんてのはまぁ科学に携わるものが謙虚であるべきだ、と云うのは同意しなくもないけれど。
「今の私の知識では、これがベストと思われます」
「今の科学では、残念ながらたぶんまだ証明できません」
なんて本来もっと謙虚であるべきだよね
ただ一般に、自分たちのわかっていないことに対しては科学者はおおむね謙虚だし、その面では(科学も、そしておそらくホメオパシーの原理というものについてもよくわかっていないケースが多いと思われる)ホメオパシー関係者はだいたい、傍目に謎に思えるぐらい傲慢だよね。
技術は、日々変わる。気の毒に、ホメオパシーだけが変われないのだよね。
科学も、日々変わる。
人間も、日々変わる。
これまでの200年も、(おそらく、原理的には)これからの200年も。
自分の頭で考えようまぁほんとに利用者がちゃんと
自分で決めよう
もしくは、
考えるな、感じろ(笑)
自分の頭で考えるようになれば、産業としてのホメオパシーは(少なくともこの国では)成立しなくなってしまうだろうから、
考えるな、感じろ(笑)ってのは(冗談めかしてはいるけれど)正直なところなのかもなぁ、とか思う。
そして、思うんだけど、例えばこう云うかたちでホメオパスがなにかしら情報発信をするのも、
自分で責任をとろう
「あの人がこう言ったから…ブツブツ」なんてのも、もうなし、ね
もうなしにしたほうがいいんじゃないだろうか。
ホメオパシーにたずさわる多くのひとが、「自分はさんざん脅すし好き勝手に通常医療の害を説くけど、その自分のことばを信じてひどい目にあったりするひとが仮にいたら、それはそのひとの自己責任だからね」みたいな卑怯なスタンスを取っている。それが、自分の発した言葉を真摯に聴き、受け止めてくれたひとたちに対するひどく侮蔑的な態度だ、と云うことには、気付けないものなのだろうか。
こんなマイナーなブログに目を通していただきありがとうございます。
人それぞれ、考えるところはあると思います。
ご意見、参考にさせていただきますm(__)m
by ババです (2010-11-12 21:59)
この方は、「燃えよドラゴン」の名台詞「考えるな、感じろ」とは正反対の意味で同じ言葉をお使いですね。「燃えよドラゴン」の場合は、実戦ではいちいち考えていては間に合わないので、感覚で行動できるようになれといっているのであって、そのための厳しい鍛錬を要求しています。この方には、その厳しさは欠片もありません。
by かも ひろやす (2010-11-13 04:18)
> ババです さん
いらっしゃいませ。
ご自分がどのような言説をなさっているのかを、もういちどお考えになっていただけるとありがたいです。端的に、ご自分がお書きになっていることの延長上に、たとえばあかつき診療所事件なんかがある、と云うことは自覚いただいたほうがいいかと思います。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/mackboxy/Health/
自己責任、と云いさえすれば免責になるとお考えなのでしたら、プロフェッショナルとは云えません(まぁぼくは、「プロのホメオパス」なるものが存在するとは思っていませんが)。
by pooh (2010-11-13 05:11)
> かも ひろやすさん
このことば込みでブルース・リーはニューエイジのアイコンのひとつとなったわけなので、そう云う意味でこれは非常に広範に観察される誤用、と云えるかもしれません。
「考えるな、感じろ」を「由らしむ可し、知らしむ可からず」と云う意味で使ってしまっては、ブルース・リー以外にも侮辱されたと感じる方はいっぱいいそうです。
by pooh (2010-11-13 05:16)
おはようございます。
「お買い得ですよ。今なら半額です。」
「なんだか、怪しげなので、消費者センターに相談します。」
「あなた、消費者センターなんか信用したらだめですよ。
自分の頭で考えよう。
自分で決めよう。」
「この落とし前はどうしてくれるんだ」
「弁護士に相談します。」
「あんた、弁護士なんか信用しちゃだめだよ。
自分の頭で考えよう。
自分で決めよう。」
by zorori (2010-11-13 07:05)
おはようございます。
>自分で責任をとろう
だったらホメオパスも責任を取るべきでしょ?
他人に助言したり勧めておいて"自分に責任が無い、取るつもりもない"なんて謂いだすようなモンは、少なくとも"職業"じゃない。
それが嫌なら、自分自身にだけホメオパシーを使うしかないよね。それなら、ホメオパシーのせいで(と謂うか病気を治療しないで)死んでも、責任は自分でとれるから。
アガリ防止に「手に"人"って書いて飲み込む」なんてのもなくなりませんよね。
そういうレベルでならホメオパシーは穏健に生き残れる、それには馬鹿げたお医者さんごっこを止めないと駄目ですけど。
by うさぎ林檎 (2010-11-13 10:24)
こんばんは。
日記のタイトル「傲慢と(善意の)侮蔑」が秀逸ですね。
確かに、この方、典型的なホメ信者のパターンですね。
なので、poohさんも手慣れたもので、ベテランの職人さんが鰻をさばくが
ごとくの鮮やかさ(笑)
せっかく、対抗言論陣の一翼を担うべく(?)ブログを開設しようとアカウント
まで取得したけど、こう鮮やかにやられちゃうと、やる気なくすなぁ(苦笑)
冗談(半分本気だけど)は、ともかく、「科学が間違っている可能性」みたい
な主張はするけど、「ホメオパシーが間違っている可能性」は微塵も考え
ていない、あるいはそういった言説には一切耳を貸さないあたりは、
確かに「傲慢」だと思いますね。
by マービン羽倉 (2010-11-13 23:11)
> zororiさん
あんたが自分で云うな、ですよね。
by pooh (2010-11-14 06:32)
> うさぎ林檎さん
> 自分自身にだけホメオパシーを使うしかないよね。
これについては、ホメオパシーに批判的な論者も、だいたいあんまり否定しないわけです。お好きにどうぞ、みたいな感じで。
> それには馬鹿げたお医者さんごっこを止めないと駄目
そうなんですよねぇ。
by pooh (2010-11-14 06:35)
> マービン羽倉さん
> poohさんも手慣れたもので
いや、でも医療系のニセ科学とか問題のある代替医療をどう考えるか、と云った面では、けっこう長い時間スタンスが決められなくて、右往左往していた時期があったんですけどね。
> アカウントまで取得したけど
お待ちしていますよ。
考察する頭はもっとたくさん欲しいです。別の角度からのお知恵をお借りしたいです。
> 「科学が間違っている可能性」みたいな主張はするけど、「ホメオパシーが間違っている可能性」は微塵も考えていない
結局、科学がどう云うものだかわかっていない(ので、相対的にホメオパシーがどう云うものなのかもわかっていない)から、「どちらも100パーセントじゃないし、おなじようなものだ」みたいな考え方ができるわけなんですよね。わかっていない、わかろうともしていないことを前提にした言説なので、やっぱりまぁ傲慢としか云いようがないなぁ(ふつうはそんなスタンスで意味のあることばが口にできるかどうか自省する謙虚さぐらいあるよなぁ)と云うお話でした。
by pooh (2010-11-14 06:43)
こんにちは、poohさん。
なんていうかな、最近少し「思想的共感への免疫」みたいなことを考えています。私は「青年期の思想放浪」というのを結構やった口なんですが、そういう経験みたいなのが、私の中に「思想的共感への免疫」を形作っている気がする訳ですね。
なんていうか、思想っていうのはインパクトの強いものなんですね。青年期には、何か一つの思想に触れて「目から鱗が取れた」ような気になってのめり込んだりもするんですね。でもね、まだ柔らかい青年の場合には、そこで留まらずに、別な思想で「目から鱗が取れ」、そしてまた別な思想で「目から鱗が取れ」しているうちに、免疫ができて容易に「目から鱗が取れない」という「目に鱗が飛び込まない」というかそういう部分を作り上げている気がする訳ですね。まあ、すれっからしとも言うけどね(笑)。
なんていうか、ホメオパシーでも他のニセ科学でも、単なる医学や自然科学の学説じゃなくて、その後ろに「人間観・社会観」みたいな思想性があるのね。私に言わせると底の浅い思想なんだけどとりあえずある訳ね。でもって、多くの人が思想の持つインパクトを怖がる様なしつけを受けているというか、親が怖がって触れさせないように育てるのかも知れないけど、 そういうインパクトに対してとても無垢な気がするのね。
でもって、その思想性を正面にだすというより、正面には「代替療法」とかいう自然科学的な話で接近しながら、搦め手からそういう思想的なものを吹き込むと、信じられないくらい簡単にその思想の持つインパクトに囚われてしまう感じを受ける訳です。自然科学的な部分は迷彩というか接近手段に過ぎなくて、本人がのめり込むのは「思想というものがすべからく持つインパクト」のように見えるのね。
なんていうか、「思想のもつ共感インパクトへの免疫」というものの低下を感じたりしている訳です。
by 技術開発者 (2010-11-17 17:44)
> 技術開発者さん
> 別な思想で「目から鱗が取れ」、そしてまた別な思想で「目から鱗が取れ」
これ、身に覚えのあるひとはけっこういるでしょうね(などと他人事のように書いてみる(^^;)。
いやまぁ、おとなってのはすれっからしてるものなんです。すれっからしたうえで、それでももの申したりするわけですけれど、そのへんほんとうにピュアなひとにはちょっと畏怖とか感じたり。
> 本人がのめり込むのは「思想というものがすべからく持つインパクト」のように見える
その思想が質的にどう云うものか、と云うのを見極める眼力を養いそこねている、と云うのはなんかあるような気がします。それがほんとうに、思想と云うものから遠ざけられて育ったためなのか、と云うのはわからないですけれど。
たぶんおなじようなことは、宗教についても云えるんですよね(いやまぁ、宗教も思想なので当然と云えば当然なんですけど、とりわけ)。すれっからしだって信仰を持つことは当然あるけれど、ふさわしくすれっからした強靭な宗教と、安直で安いカルトを混同したりはしないわけです。当然、そこで過剰であまり意味のない相対化をしたりもしないわけですよね。
by pooh (2010-11-17 22:22)