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ゆるがせにすべきではないこと(「科学との正しい付き合い方」内田麻理香) [ひと/本]

へんな話だけど、この本を読まなきゃ、とはそれほど思っていなかった。

科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)

科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)

  • 作者: 内田 麻理香
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/04/15
  • メディア: 新書
でも、ネット上でいくつかの書評を見て、ちょっと思い直した。
この本の本来の対象読者は、たぶんぼくみたいな人間なんだろうな、と思ったので。

ニセ科学に関する議論のはじっこのほうでそこそこのあいだうろうろしているにも関わらず、ぼくぐらい「科学」と云うものに対する理解を欠いている人間もそうはいないだろう(もうこれは認めてしまえば能力的な問題で、そこには忸怩たるものがないわけでもないのだけれど)。本書でも主要なテーマとして掲げられている「科学リテラシー」と云うものについても、いまだそれがどんなものを指すのか、と云うことについて明瞭な理解を持っていない(ついでに云うと、あまりそこにはっきりした共通理解が生じていると思えないような場で、このことばが一種の紋切型として使われているように感じられる現状に対する違和感もまだ払拭できていない)。

でまぁ、目次を開いてみる。初級編、中級編、上級編に分かれている。なんでなんだろう。例えばぼくぐらいの人間は中級編あたりまで理解すればいい、とか云うようなことなのだろうか。読み進めると、たしかに上級編なんかで書かれていることはぼくみたいな市井の(「科学リテラシー」を欠いた)人間に向けて書かれたものではなくて、アカデミアなりマスメディアのなかにいる、それなりに職業的に科学と云うものに接しているひとたちに向けた内容のように読める。
あれ? じゃあ「読まなきゃいけないかも」とか思ったぼくは、勘違いをしていたのか?

こう云う「この本ってだれに読ませようとして書かれてるんだろう」的な感覚は、読中何度もあたまのなかをよぎった。まぁそうは云っても、著者の想定している読者層に自分があてはまらなくて、そこに期待したものがなさそうだからといって、なにか文句を云うのは筋違いとも云える(だから極力、そう云う書物は見極めて読まないようにしている。限られた時間とおこづかいしか自由にならない身である以上)。初級編・中級編のあたりには納得のいく議論も展開されていたので、サイエンス・コミュニケーターのみなさんが考えている対象者には、ぼくのような人間もまったくはいっていないわけではないのかな、とも感じたりした。

ただ、2点。
一部では取りざたされているようにも見受けられる、「科学教」や「狂信」と云う用語。刺激的な用語のほうが伝わりやすい、と云う意図があったのだろうけど、この書物がぼくのような「科学リテラシー」に難のある層に向けて書かれたものであるとしたら、これらのことばの使い方はやはりあまりにも不用意なもの、だと思う。
ぼくらには権威が必要だ。ただしそれは信仰の対象、としてではなく、あることがらを判断するにあたっての寄る辺、として。専門性を持った権威に頼ることができなければ、ぼくたちはすべてを1から考える、と云う非現実的に不経済な暮らしを送らざるをえなくなる。だから、じっさいに必要なのは例えば科学信仰を取り沙汰することではなく、その権威がはたして信じるに値するものなのかどうか、を懐疑的に判断する能力なのだ、とぼくは考えている(し、主張してきた)。
本書で触れられている、「ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算をめぐる緊急討論会」に問題があったとすれば、それは科学に対する狂信ではなく、権威というものの捉えかたと使われかた、にあったのだと思う。同書内で触れられている、現実社会と隔絶した場所で成立している権威、と云うものが、問題の起点なのではないか。もし本書がタイトルのとおりに、ぼくのようにだれかに「科学との正しいつきあいかた」を学ばなければいけないとか感じているような科学リテラシー弱者を対象としているのだったら、この書きようは(仮に意図的なものであっても)あまりにもミスリーディングなのではないか。

もう1点は、「科学」と「物語」の関わりあいについての把握の部分。
科学は、世界を把握するためのメソッドのひとつだ。ここで著者の云う「物語」がぼくらの生きている実在論的な世界を舞台としているのなら、どのような物語にも科学的な要素は含まれていて当然だ、と思う(それが仮に神話であれ)。ただ、科学と云うメソッドは、その性格上みずから物語に寄り添うことはない。物語がそれを科学の側に要請するのは、あきらかに錯誤の一歩目となる。
本論のあいだにはさまれたコラムのひとつに、「エントロピー増大の法則」と題されたものがある。ここからぼくが読み取る著者の姿勢は、あきらかに科学を、比喩と云う物語に寄り添わせようとするものだ。そしてそれは、「水からの伝言」をはじめとする各種のニセ科学的「波動」言説や、量子力学的根拠をうたう各種の代替医療なんかの背景にある発想とおなじものだ。
コミュニケーションの場を職業とするものは、たしかにある種の「ゆるさ」が求められる場合もあるだろう。いわゆる「コミュニケーション能力」とか云う(多くの場合言説による他者支配能力の美名として使われる)ものなのかもしれない。ただそれは、そこにあるミッションが「科学」を伝えることにある場合には致命的な瑕疵となりうるものではないか、とも感じる。まぁこのあたり、a-geminiさんの評(本編および補足)に書かれているようなこととも関わってくるのだけれど。

サイエンス・コミュニケーターと云う場所にあって、著者も(自ら云うところの)「科学技術のマニア」「科学技術に関心の低い普通の人」のはざかいで揺れ動く部分があるのかもしれないな、と思う。でも、ゆるがせにすべきではない部分もあるのではないか、とも思ったのだった。まぁ1時間程度で読めたので(おこづかいに対する影響は別として)それほど損した、とは感じなかったけれど。
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JosephYoiko

お久しぶりです。

確かにセンセーショナルな言葉過ぎますね。

内田さんは頑張って欲しいけど、時々某元村(笑)なことをするから、注意しないといけませんね。

所で、twitterはやられていますか?やられているならIDを教えて下さい。

因みに、僕のIDはJosephYoikoそのままです。
by JosephYoiko (2010-05-04 18:12) 

どらねこ

poohさん、こんにちは。
竹内薫氏からの援用については、私も同様の印象を抱きました。

>著者の姿勢は、あきらかに科学を、比喩と云う物語に寄り添わせようとするものだ。そしてそれは、「水からの伝言」をはじめとする各種のニセ科学「波動」言説や、量子力学的根拠をうたう各種の代替医療なんかの背景にある発想とおなじものだ。

↑この科学を、比喩と云う・・・の件は解釈を進めるのに大変参考になりました。
科学は世界を把握する為のツールであると、何名かの方も指摘しておられましたが、狂信という言葉よりも、こちらの姿勢について違和感を覚えました。
私が反応したのは、此処では言及されていない血液型性格判断についてでしたが、所謂ニセ科学批判批判を行う側が持ち出してくるロンリと似たような発想に感じました。

ええと、本文ではなくコメント欄で引用させもらいましたので、トラックバックが通らなかったため、コメントにて報告させて頂きました。


by どらねこ (2010-05-05 11:23) 

pooh

> JosephYoikoさん

ごぶさたしてます。と云うか、こちらでははじめまして、かもしれないですね。

> 時々某元村(笑)なことをするから、注意しないといけませんね。

いやこれ、どのあたりを節度とするかほんとうに難しい部分だと思うんですよ。そもそも媒介者である以上立ち位置がはざかいなので、わかりやすく伝えることと誤認を招かないことのあいだでつねに微妙なさじ加減が要求される。
望ましいのは、その部分のスペシャリストになっていただければ、と云うところなんですけどね。

> twitterはやられていますか?

やってないんですよ。手が回らない(^^;。
ひょっとするとブログをやるより精神的な負担は小さいかも、と思うこともあったりはするんですけどね。
by pooh (2010-05-05 15:46) 

pooh

> どらねこさん

比喩と類推によって構成された物語で世界を理解しようとするのは、「人間の基本仕様」のわりと中心的な部分だと思うんです。なので、技法としてその部分に訴えかけるのは、非常に有効なんですよね。
ただそれは、一面危険です。比喩は事実そのものではないけれど、比喩にもとづいた事実の理解を誘導することができる。おおむねニセ科学の言説はこの機能を利用しています。evilたりうる手法なので、細心の注意が必要なんですよね。
by pooh (2010-05-05 15:54) 

pooh

このエントリは、最初の部分に書いたように、「科学との正しいつきあいかた」を知らない一般人のいちばん手近な代表として自分自身を選んで読み、感想を書いたもの(諸般の事情で、そのことについて比較的自覚的になる機会が多いもので)。全体に批判的な書き方に読めるかもしれないけれど、逆に云うとあらためて批判的にとりあげた部分以外では、論旨には首肯できる部分が多かった、と云うことでもあって、そこのところは(時間がなかった、と云ういいわけはあるけれど)ちょっとフェアじゃなく見えるようなエントリになってしまっている。
ただ、もうすこし強調すべきだったかもしれないのは、この本はひょっとすると「科学との正しいつきあいかた」を知りたい(ぼくのような)人間がその部分の知見を求めて読むと、肩すかしを喰らうかもしれない、と云う点。金返せ、とは云わないけど(そう云う点そのものに好意的な評も読んだ。文学かよ。いやはや)。

ほかにもいくつか同書に対する書評を読んだけれど、重要かもしれないな、と思ったのは(厳密には書評ではないけれど)vikingさんのもの。
http://viking-neurosci.sakura.ne.jp/blog-wp/?p=3806

ぼくなんかからすると、ここでvikingさんがお書きの「第3の系統」こそが、科学アカデミアと社会のなかだちをする場所にいる(それゆえに難しい部分を持つ職種である)サイエンスコミュニケーターのかたがたに担ってほしいなぁ、と思う部分だったりするのだけれど。
難しいかもしれないけど、プロである以上職業上必要な茨の道は覚悟してほしい、みたいに思ったりするのだ。
by pooh (2010-05-08 05:35) 

TAKA

気になりましたので、私も考えました。

…内田麻理香さんならば、大丈夫です!
すぐにでも、「科学的に正しいニセ科学との付き合い方」の本を書いてくれます!
その本を読めば、私もpoohさんも科学的に正しいサイエンス・コミュニケーターに成れます!
つまり内田麻理香さんのような、「誰からも愛される空気の読める理系のニセ科学批判者」に成れるのです!(うれしいですね!)

というか、我々科学素人は、科学的に正しい内田麻理香さんをdisってはいけないんです!
間違っても、「専門家と素人との狭間を飛び交うイソップ童話のコウモリかも?」などと言ってはいけません!
内田麻理香さんは、私たちの代わりに「科学リテラシーの崖っぷち」を疾走してくれているのですから!
本当は、内田麻理香さんも苦悩しているのです!我々の科学リテラシー向上のために、あえて自分の本にツッコミ所を置いたことを!

「福岡伸一氏を持ち上げているからガッカリ」とか、「竹内薫氏の主張を肯定的に扱っているのでガッカリ」とか、「内田麻理香氏は自身のサイトのプロフィールに、血液型を書いている。一体、どういう事?」とか言われても、サイエンスコミュニケーション的に見れば些細なことなんです!
私たち科学リテラシー弱者は文句を言わずに、科学リテラシー強者である内田麻理香さんを支えてあげるべきですよ!

poohさん!いつまでも、変なことを言わないでくださいね!科学的に正しい本を書いてくれた、そして科学教の信者ではない内田麻理香さんを、栄光のMacの修理工場へ送り出しましょうよ!
それが、科学的に正しい読者の態度ってものでしょ!(怒)

…ここまで考えました。己の科学リテラシーを向上させるため、これからも私はpoohさんの記事を読んで学習し続けます。
そうしないと、この私も次のような台詞を述べて、pooさんを惑わすコメントを寄せる駄目な読者になるからです。
「ニュートンは間違っている!アインシュタインこそ絶対だ!いや、アインシュタインも駄目駄目だ!」
「いつだって科学は、仮説の集まりに過ぎないのだ!すべては相対だ!僕は中立だ!これが、科学的に正しい立場なのだ!あはは♪」
by TAKA (2010-05-13 20:57) 

pooh

> TAKAさん(って、TAKAさんですか?)

いや、サイエンスコミュニケーターって云うのは媒介者なので、ある意味コウモリ的な立ち位置をとらざるを得ないお仕事なんですよ。本義が伝えることにあるわけなので、やっぱり空気を読むことを考えなきゃいけない商売ではあるんですよね。

空気を読んでも、そのうえでちゃんと伝えるスキル、と云うのはあるんだろうと思うんです。残念ながらぼくにはないですけど。
by pooh (2010-05-13 22:09) 

TAKA

先程のコメントは、私でございます。
そうですね、間に立つ媒介者ならば、通常の人の二倍の苦労があると思います。
内田麻理香さんに対しては、ネガティブな読者の反応にも微笑みながら答えてあげるような打たれ強さを持っていると、私は想像しております。

間違っても、「自分の駄目な意見を反省せずに無理やり正当化して、相手を非難しながら一方的に対話を打ち切り議論の勝利を装う人」では無いはずだと信じて、私は内田さんの今後の活躍を見守ります。
by TAKA (2010-05-14 01:48) 

pooh

> TAKAさん

結局、彼我に立場や考え方の違いがあるから、コミュニケーターと云う存在が必要とされるわけで。

今回の著書に関するさまざまな評価に、内田さんは積極的に向きあおうとしているように見受けられます。そこで口にされているご本人の意見にも云いたいことはあったりはするんですが、まずはその姿勢が、望ましいものだなぁ、みたいに思ったりしています。
by pooh (2010-05-14 07:28) 

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