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調和の当事者(「予定不調和」長神風二) [ひと/本]

ディスカヴァー・トゥエンティワンの新シリーズ「DIS+COVERサイエンス」の本をたてつづけに2冊読んだ。これはそのうちの1冊。

予定不調和 (DIS+COVERサイエンス)

予定不調和 (DIS+COVERサイエンス)

  • 作者: 長神 風二
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/04/15
  • メディア: 新書
まぁ借りたもの、ではあるのだけど。

このシリーズは帯に個人的な劣等感を刺激するようなスローガンを掲げていて(シリーズのキャンペーンサイトでも見られるけれども)、どうもひがみ根性の強いぼくなんかは「そんなんなら読まなくったっていいや」とか思ったりしていたのだけれど。

さて本書。タイトルの「不調和」と云うのは、進歩する科学技術とそれが実現するもの、それとぼくたちの社会生活のあいだに生じる、おもに感覚的なものに基盤をもつ違和感、と云うようなものがテーマとなっている。
あたらしい科学技術とそれが可能にすることが、じっさいにぼくたちの日常生活のなかにアプライされるにあたって、どんな違和感と軋轢が生じうるか。その結果として、それら技術の社会のなかでの姿がどのようなものになるか。社会はそれによってどのように変容するか、その姿は本来の技術の応用として考えられたものとどれだけのギャップを結果として持つか。
これらのことが、おのおの各論的にひとつひとつの科学技術をとりあげつつ、ショート・ストーリィとそれに対する考察をペアにして語られていく。

これからなにが起こりうるか、を語ることによって、いまなにが起きているか、ぼくたちの社会がどんな変化に直面しているのか、を浮き彫りにする。みごとな手法だと思うし、筆致もあいまってこの試みは成功しているのだろう、と思う。しかし、本書はそこから先に踏み込まない。変化を引き起こされる社会の側がそのことをどのように捉えるべきか、を語らない。
それは自然科学側の担うべき任務ではない、と云うことなら、それもひとつの見識とは云えるだろう。ただし、サイエンス・コミュニケーションの責務としてはどうか、みたいなことをちょっと思ってしまった。まぁ、1冊の書物が持たされうる視点、と云うのにも限界はあるだろうしなぁ、とは思うけれども。
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