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ねこ怖い [余談]

タイトルは半分だけ本当。
doramaoさんのところにねことニセ科学と云うエントリがあがっていて、ちょっと考えた。

エントリの主旨になにか異論があるとか云うわけではなくて。
ニセ科学批判の人に猫好きって多い気がする。
ニセ科学批判の人って云うのがどんな範疇なのかと云う議論は措くとして、ニセ科学に言及する頻度の高いひとには確かに猫好き比率は高い気がする。なんかちょっと前に犬派対猫派みたいな議論もあったような(山羊派とか登場していたような)。

ところでぼくは猫がよくわからない。好きとか嫌いとかじゃなくて、わからない。
こどものころに母親の実家にいた猫を別にすると(あまりに昔なのでよく覚えていない)あまり猫と親密になる機会がなかった、と云うのもある。野良は近づくと逃げちゃうし。

東京でひとり暮らしをしていた20代のころに、当時の姉貴分のひとりが代官山の裏のほうで小さな呑み屋をやっていた。このひと(と同居していた叔母さま)が料理上手で、行くとあれこれおいしいものを食べさせてくれるので、家庭の味から隔絶された独身男としては月に何度かは仕事帰りに電車に乗ってでかけたり。

で、夜中まであれこれ喰って呑んでいると電車がなくなるので、閉店後に店のすみっこのソファなんかで寝させてもらう。なんとなく夢うつつで眠ったり目覚めたりを繰り返していて、気付くと毛布のなかになにかいたりするわけだ。
そいつは店のロシアン・ブルーで、けっこう年ふりて風格たっぷりの雌猫。うとうとすると、こいつがぼくの借りている毛布にもぐりこんでくる。目を覚ますとさっと抜け出して店の対角線上の窓枠あたりに飛んで逃げる。眠れそうになるとまたくっついてくる。もう一晩、朝までなんどもその繰り返し。
こいつはおれといっしょにいたいんだろうか。それともおれが嫌いなのか。わけわからん。

この猫はいつも店にいる、と云うわけじゃなかったんだけど、いるときは店の開店時間中でも同じような感じ。カウンターに向かって呑んでいると、ストゥールから垂らしたぼくの足にまとわりついてくる。よくわからないなりになでてやろうとかすると音速で飛びのいて店の反対側にダッシュ。しばらくするとまた身体をすりよせてくる。にもかかわらずどんな工夫をしてもこちらの親密さの表現をぜったいに受け取らない。
わからない。まったくわからない。猫一般がこうなのか、こいつだけなのか。

それだけなら、一匹の雌猫とぼくの関係、と云う話で終わるのだけれど。
この店は女店主の店で、当時のぼくの交友関係のなかでも、麗しき女傑キャラとも云うべき面々が集う場所でもあって。で、中学生から姉御世代までのその場に居合わせた女性方(実の妹含む)が、よってたかって苦闘するぼくをからかうわけだ。

「あんた女にそんな扱いをするの。そんなんじゃだめだよ」

「そんなふうに扱うからもてないんだよ。しょうがないねきみは」

知らねえよ。大きなお世話だ。だいたいこいつ女じゃなくて猫だろ。あれ? でも雌か。
そうやってからかってなにが面白いのかよくわからない。よくわからないけどなんか悔しい。こちらが悔しい以上、そりゃからかうほうは面白いに決まってる。理不尽さに深く傷つく(ってほどでもまぁないけど)。

そう云うわけでいまでも猫はよくわからなくて怖い。女性もそうかも。いい歳のおっさんが云うことじゃないような気もするけど。

# べつだん、だからここの名前が猫のえさだ、と云うわけではない。

【追記 23:27】hietaroさんの真似をしてみる。


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Seagul-X

猫、好きです。犬も好きです。どっち派というより両方ですね。でも子供の頃、何度か咬まれた経験があるので犬が怖いです。好きだけど怖いです。
よくわからないのはどっちもわからないです。

そういえば学生時代、下宿に野良猫がよく寝に来てました。特に餌付けとかしてないのに、階段をてこてこ登って廊下をとことこやって来て、ドアの前でなーなー鳴くんです。
ドアを開けて入れてやると部屋の隅に敷いた雑巾の上でくつろいで、寝てました。起きるとまたドアの前で鳴くので、開けて外に出してやりました。
夏冬関係なく、そんなふうにやってくる猫たちがいました。面白いことに、毎年違う猫がやってきて、おなじように寝ていくんです。
もう何十年も前の話だけど、あいつら今でもおなじような行動取ってるのかなぁ。

とりとめもなくこれだけ書けるということに、あらためて自分が猫好きなんだと実感しました。犬も好きなんですけどね。
by Seagul-X (2009-12-03 12:58) 

pooh

> Seagul-Xさん

こう、こんなふうなアプローチをしたらこんなリアクションが帰ってくる、みたいな部分の予測みたいなのがあるわけじゃないですか。猫に対しては、ぼくはそのあたりの勘所がまったくつかめない。相手が犬だと、歩み寄りの最初のステップから順を追っていって親しくなる(あるいは相性を確かめてあきらめる)みたいな態度が取れるんですけどね。

> 面白いことに、毎年違う猫がやってきて、おなじように寝ていくんです。

そう云う感じで一般的な行動パターンが把握できていれば、適切な対応に見当をつけることもできるんでしょうけど。

ただたまに、街ででくわした野良なんかが、こちらを凝視してなーなー鳴いたりすることもありますよね。こう云うときはけっこう心を動かされたりします(どうすればいいのかわからなくて、結局放置して立ち去ることになるんですが)。
by pooh (2009-12-03 22:08) 

黒猫亭

>>ニセ科学に言及する頻度の高いひとには確かに猫好き比率は高い気がする。

その一人のオレがちょっと通りますよ(笑)。

>>わからない。まったくわからない。猫一般がこうなのか、こいつだけなのか。

どっちも当たりだしどっちも外れです。事態を複雑にしているのは、この猫がロシアンブルーの、しかも雌だと謂うことですな。洋猫は一般に和猫に比べると気性が荒いとか人見知りすると言われていますが、中でもロシアンブルーは一般的に飼い主以外に殆ど懐かないと言われていて、愛想のない猫の代表格ですね。

また、雄猫なら見掛け通りちょっと小さい犬みたいな生き物だと考えて間違いないんですが、雌猫と謂うのは一般的にどうもかなり難しい生き物のようです。オレの識る限りでは、雄猫を飼っている人は「猫と謂うのは犬より少し小さくて犬より少し頭が悪い生き物だ」と思っているらしいですが、オレも含めて雌猫を飼っている人は「猫と謂うのはかなり気難しくて理不尽な生き物だ」と考えているようです。

ウチは二匹とも雌なので、家庭事情が相当ややこしいことになっていますが、雄猫を飼っている友達にウチの猫のややこしい性格の話をしても、「ウチの子は素直な甘えん坊で可愛いからよくわからない」と言われます。しかし、その友達も二匹目に雌の猫を飼ったら、これがやっぱりかなりややこしい性格の猫でして、初めてウチの苦労を理解してくれたようです(笑)。

なので、これから猫を飼おうと思っている人がいたら、「悪いことは言わないから雄猫にしなさい」といつも助言するんですが、その助言を無視してラグドールの雌を飼うことになった妹は、案の定ややこしい性格の猫が来て大変苦労しています。

個人的経験を一般化して言うと(笑)、一般に雌猫と謂うのは「女の腐ったような性格」の個体が多いように思います。そう謂う次第で、ややこしい性格の雌の洋猫を二匹も飼っていますので、多少は猫のことがわかると謂うことでpoohさんの疑問に答えますと…

>>こいつはおれといっしょにいたいんだろうか。それともおれが嫌いなのか。

それは、単に毛布を温める熱源だと思われているのです。熱源が動いて人間であることが意識されると鬱陶しいから逃げるのです。毛布だけではなくて人肌も恋しいから「毛布+人間」の塊があれば擦り寄りたいのだけれど、識らない人だとやっぱり厭なので逃げるのですね。

もしかしたら、その猫のお気に入りの場所がそのソファーだったのかもしれません。お気に入りの場所に毛布があって、熱源が入っていたら、やっぱり潜り込みたくなるのが猫の気持ちと謂うものでしょう(笑)。

>>カウンターに向かって呑んでいると、ストゥールから垂らしたぼくの足にまとわりついてくる。よくわからないなりになでてやろうとかすると音速で飛びのいて店の反対側にダッシュ。

これは換毛期で身体が痒かったのかもしれません。猫が飼い主以外の人間の脚に身体を擦り寄せる動機として最もポピュラーなのがそれです。懐いていて擦り寄ってくる場合は、にゃーにゃー鳴いて自分の存在をアピールしながら動いている人の脚に身体を擦り付けてきますから、結構危ないですね。停まっているときに猫が身体を擦り寄せて来たら、十中八九まで具合の好い柱の角か何かだと思われていると考えて好いでしょう。

>>「あんた女にそんな扱いをするの。そんなんじゃだめだよ」
>>
>>「そんなふうに扱うからもてないんだよ。しょうがないねきみは」

摩耶を飼い始めた頃、そのややこしい性格について散々女友達に愚痴をこぼしたところ、「キミにはそんなややこしい女が寄って来ることになっているんだ、それが運命なんだ」と決め附けられて笑われたオレよりマシでしょう(笑)。
by 黒猫亭 (2009-12-03 22:31) 

pooh

> 黒猫亭さん

あぁ、おとっつぁんがいらっしゃった。

> 雌猫と謂うのは一般的にどうもかなり難しい生き物のようです。

難しい、と云うより、わからんのですよ。行動もリアクションも予測不能、みたいな。

> それは、単に毛布を温める熱源だと思われているのです。

あぁ、おいら湯たんぽだったのか(^^;。
粋な年増の湯たんぽ代わりたァ色男冥利にも尽きるってェもんだぜ、ってさっぱり色っぽい話じゃないな。

> これは換毛期で身体が痒かったのかもしれません。

あちゃ。今度は孫の手ですかい。確かに無言だったな。なんだかひどい扱いだ。

> 決め附けられて笑われた

いやこれ、どっちがより不幸せなんだかよくわかりません。
ちなみにややこしい性格の人間の女性はわりと好きなほうなんですけどねぇ。いまもきわめて身近にひとりいるし。
by pooh (2009-12-03 22:50) 

どらねこ

poohさん、いつも有難うございます。私のブログを自分の書いた記事が言及されるの実は好きだったりします。

>好きとか嫌いとかじゃなくて、わからない。
制御不可能な処とその見た目のカワイサが堪らない魅力に感じる私です。私は好きと嫌いだけですが(笑)
自分の性格は完全に猫だというのも有りますね。
この際、暴論吐いちゃいますけど、猫というのは基本的に嫌な事があれば我慢しない生き物なので、おかしいと感じたらおかしいと表明する。たとえ近しい人が逆の意見を持っていても、
空気を読んで自重する事は無い・・・みたいな。
そんな処がトンデモさんとニセ科学批判系の人に猫好きが多いのかも知れません。
失礼いたしました。
by どらねこ (2009-12-03 22:58) 

pooh

> どらねこさん

はてなのほうが改題されてからなんてお呼びすべきかちょっと迷って、はてなIDで呼称してしまいました。

> 制御不可能な処とその見た目のカワイサが堪らない魅力

みなさんそうおっしゃいますね。制御不可能な女性に振り回されるのはわりと得意(と云うか慣れてる)みたいなんですが(^^;、猫はどうもよくわからないんです。ちなみに犬とのあいだの、互いに客体とみなしながら関係を構築していく感じはわりと好きだったりします。

> そんな処がトンデモさんとニセ科学批判系の人に猫好きが多い

ぼくは自分で自分を犬キャラだと思ってるんですが、ぼくを直接知るひとたちはだれひとり同意してくれません。なんでだろ。
by pooh (2009-12-03 23:10) 

黒猫亭

>poohさん

>>なんだかひどい扱いだ。

世間話なので思い切り暴論を吐いてしまいますけどね(笑)。猫ってのは基本的にセルフィッシュな生き物なのだと思います。わがのことしか考えていない身勝手な生き物だな、と常々思います。好奇心は強いんですけど、他者に対する細やかな関心や思い遣りがあんまりない。

飼い主に対する愛情は勿論あるんですが、それは自分の欲求の連続上の愛情なんですね。ですから、猫の愛情表現と謂うのは「こんなにあなたを愛しています」ではなく「もっと私を愛してください」になるんですなぁ。こいつらは貪欲に愛情を「要求」することが愛情表現だと思っているのだな、といつも思います。

飼い主が具合悪そうにしていると、猫が何をしてくれるのかと謂うと、自分に対する関心が薄れたと解釈して激しく甘えてくるのですな(笑)。犬みたいに、気持ちの上だけでも飼い主のことを心配してくれたりしません。飽くまで、飼い主の様子が変わったことで自分のことが心配になるんですね(笑)。

わかってはいても、その辺の自己中心性を見せ附けられると心が寒くなることがありますなぁ。何度も話したことですが、月夜が避妊手術で入院したとき、摩耶が激しく甘えてきたので「なんだかんだ言っても月夜がいなくて寂しいのだろうな」と解釈していたら、単に邪魔者がいなくなって大手を振って甘えていただけだったと謂うオチで、月夜が退院してきたら親の仇のように威嚇していたので大変ガッカリしましたが(笑)。

多分それはやっぱり犬と比べて知能が低いからだろうと思いますし、犬くらいになるときちんと人間と自分を分けて考えていて、関係性が成立している節があります。他者が自分を愛していることを理解すると、それに倍する愛情を返してくれるところがあります。

オレはその辺が辛いので犬は飼えないなぁと思ったりするんですが、莫迦で無能な犬でも、気持ちの上ではそんな義理堅いところがあるんだと思います。それは、犬が元々集団生活をする生き物で、猫のほうは単独行動をする生き物だと謂う違いも関係しているんでしょうけどね。


>どらねこさん

poohさんにお話ししたような認識があるので、オレの考えでは、猫好きの人と謂うのは自分の愛情に見返りを求めないところがあるのかな、とぼんやり考えています。相手が愛情を返してくれなくても、自分が相手を愛することで満足が得られるところがあるのかな、と。一方、犬と謂うのは人間が注いだ愛情以上の愛情を返してくれますので、愛することで愛されるしっかりした関係性や信頼感に満足を見出すタイプの人には犬が向いているのかなと思います。

強引にニセ科学批判に結び附けて言うとですね、おそらくニセ科学問題にコミットすることって、見返りのない愛情を注ぐこと、要求された愛情に精一杯応えたいと望むこと、そんなものに似ているんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか(笑)。
by 黒猫亭 (2009-12-04 07:17) 

pooh

> 黒猫亭さん

おっしゃるような、よく云われる犬と猫の知能程度の相違については、じつはよく理解できていないんですよ(片方がちゃんと理解できないんだから、まぁ当然ではあるんですが)。

まぁ、愛情と云うのは求めるものでも与えるものでもあるわけで(そしてこの2者はけして対照的な行為ではないわけで)、逆にそのへんの角度から考えればぼくにも猫にお相手していただくための方策を見つけることができるのかも、みたいにもちょっと思います。
by pooh (2009-12-04 07:30) 

zorori

>それは、単に毛布を温める熱源だと思われているのです。

ははは、そうですね。

人間は勝手に動物を擬人化して勝手に理解できないと戸惑うんですよね。
でも、それを面白がるわけだし、複雑です。動物ではなくて人間の方が。

by zorori (2009-12-04 09:10) 

うさぎ林檎

おはようございます。

ピンポイント反応しとこうかなぁ。

>「女の腐ったような性格」

……ウぉっほん!えぇと?
「殿方の腐った」よりましということでしょうかしら?
by うさぎ林檎 (2009-12-04 09:32) 

pooh

> zororiさん

いやこれ、擬人化、と云うか。
詰めて考えると人間同士でもおなじ話になりうるんですけどね。
by pooh (2009-12-04 21:35) 

pooh

> うさぎ林檎さん

えぇと、女性の属性が腐敗すると劣悪な男性ができて、上手に発酵すると比較的良質な男性ができる、と云う解釈ではいかがでしょうかね(^^;。
by pooh (2009-12-04 21:35) 

どらねこ

>黒猫亭さま
なるほど、納得できる処とそうでないところも・・・
もしかすると、自己投影型と無償の愛型の二つに分裂するのかも知れません。因みに自分は自己投影型ですね。

>poohさま
ネズミキャラだと勝手に思っており、コメントを控えていた処でした。(というのは嘘で、レベルが高すぎて・・・)
イヌでしたら安心してコメントしたいと思います。
本当に相手のことを理解できているのか?それは自分がいつも気になって気になってしょうがない問題でもあります。
自分に出来る範囲で仮説と検証を繰り返す、でも、その中に顕れる自分の気持ちを大切に・・・でしょうか。
難しいですね。
by どらねこ (2009-12-04 22:15) 

pooh

> どらねこさん

> 本当に相手のことを理解できているのか?

これは、難しいですよね。

ただ、対話においてはそのフォーカスを共有できるぶんだけの理解があればいい、と云うのも云えて。その理解の精度は、対話のキャッチボールを通じて必要なだけを確保するよう努めるしかない(と云うかぼくにはできない)。自分と相手が同種である、と云うのを漠然とした前提に置いて、そこで生じるはずの共感に棹さして対話をおこなう、と云うのは(程度問題ではありますが)ちょっと危うい、と感じたりもします。
by pooh (2009-12-05 06:43) 

黒猫亭

>poohさん

>>おっしゃるような、よく云われる犬と猫の知能程度の相違については、じつはよく理解できていないんですよ

一番わかりやすいのは、訓練・学習の可能性の幅ですね。犬はかなり高度なスキルを訓練可能で、だから種々のワーキングドッグがいて人間の生活の得難い協力者のポジションにあるわけですが、猫には殆ど訓練が出来ません。昔の猫は抛っておいても勝手に鼠を獲るから家畜として役に立ったわけです。

トイレの躾けくらいなら出来ますが、これも元々「猫ばば」と謂われるように猫が自分の排泄物を砂や土に埋めて痕跡を隠す習性を持っているので、排泄物を埋められるようなものを用意してその場所を猫に覚えさせるだけですから、ほぼ訓練の名に値しないでしょう。

犬の場合は、教える、叱る、褒める、と謂うような操作で一定の行動を訓練することが出来るんですが、猫の場合は、相手がしたいことや気持ち良いと思うことを予測して、先回りして人間に都合の好い状況に誘導することくらいしか出来ません。

たとえば、柱や家具で爪研ぎして困ると謂う場合は、それらに当て物をして爪が研げないようにして、そんなものよりもっと具合の好い爪研ぎ板(段ボールを成形したものや麻縄を巻いた板にまたたび粉を振ったもの)を用意してやる、と謂う対応をするわけですね。ですから、トイレの躾けに失敗して、その辺の隅っこや履き物の中に粗相をする癖が附いたら、直すのは大変です。履き物を隠したり隅っこを塞いだりしてトイレ以外のところでは排泄がしにくいような工夫をして、トイレでするほうが気持ち良いのだと謂うことを気附かせる必要があります。

なので、或る意味では猫は「悪いこと」をしたときに叱ってもしょうがないところがあります。「悪いこと」と謂うのは人間の価値観で「悪い」だけですから、それは猫には通じないので、後は叱ることで「再犯」を防ぐことが出来るかどうかと謂う問題になります。しかし、これは多分叱っても意味ないんですね。叱るくらいなら先回りして知恵を凝らすほうが効果的です。

犬の場合は、高度な学習が出来るからこそ叱る必要があるんです。つまり、犬は自分の特定の行為と叱る・褒めると謂う人間のリアクションの間の関連性を認識出来る(理解出来るかどうかはわかりません)から訓練が可能ですが、猫はその間の関連性を認識出来ないので訓練出来ないのですね。

で、訓練可能だからこそ厳しい言葉で躾ける必要があるわけで、オレは犬や猫が適切に叱れない人間なので、犬を飼うのは辛いな、と思うわけです。叱っても意味はないから叱らないとか、叱ることで訓練出来るから叱る、と謂うのは、結局人間の都合や合理性に基づく不公平なので、「ああ、犬は猫より賢いから叱られちゃうんだなぁ」と思うとやっぱり可哀相になるんですね。

ただ、これも個体差があるでしょうから、犬だって訓練がまったく出来ない個体もいるわけですし、もしかしたら猫には高度な訓練が可能な個体がいるのかもしれません(多分まずもっていないと思いますが(笑))。

猫と訓練と謂えば、「猫じゃ猫じゃ」と謂う見世物がありまして、これは三味線を弾くとその音に合わせて猫が二本脚で立って踊り出すと謂う、一見して大変愛らしい芸なのですが、この芸は子猫の頃に仕込むわけで、火鉢の上に銅の板を置いてその上に猫を吊して、猫が熱がって脚を代わる代わる持ち上げるのに合わせて三味線を弾く。これを繰り返すと、熱くなくても三味線を弾くと踊り出すと謂う寸法で、こうなると訓練ではなく強烈な心的外傷に基づく条件反射で変な癖を仕込むことになります。

見た目の愛らしさと仕込みの残酷さのギャップが物凄いので、猫好きなら聞いただけで厭な気分になりますが、いろいろな記録に残っているところをみると本当にあった見世物だろうと思います。余談ですが、某CMでアヒルと一緒に踊っている猫を視ると、どうもこの話を想い出して厭な気分になるんですが、勿論あのCMはアニマトロニクスだかCGだかで製作されているので、動物虐待はありません(笑)。
by 黒猫亭 (2009-12-05 09:47) 

黒猫亭

長くなったので、他の方へのコメントは別にしますね。

>zororiさん

>>人間は勝手に動物を擬人化して勝手に理解できないと戸惑うんですよね。

動物の行動や心性を慮る場合、擬人化と客体視のバランスが難しいんだと思います。個人的な認識では、猫にだって心があるし考えがあるし気持ちがあるし想いがあると思いますから、人間の心性と断絶したものではないと思います。

嬉しいとか哀しいとか寂しいとかむかつくと感じる感覚はあるわけで、バウリンガルとかニャウリンガルはたしか犬猫の感情を五種類だかに分けて鳴き声の音声データを関連附けたものですね。ただ、心があり思惟があるからと謂って、それは人間と同じようなものとは謂えないわけで、人間とは違うものだと考える必要があります。

しかし、人間は人間のような心の在り方を基準にして、それがある・ないの二分法で考えるほうが自然なので、どうしても別の生き物の別の心性の在り方を自明のものとして受け取ることが難しいのだと思います。人間と同等の心性の存在と視るか、逆に心のない単純な生物と視るか、両極端で考えるほうが簡単なんですね。

>うさぎ林檎さん

>>……ウぉっほん!えぇと?
>>「殿方の腐った」よりましということでしょうかしら?

いや、どなたかがこう謂うことをねじ込んで来られるのではないかと予想しておりましたが(笑)、「女の腐ったような」と謂う表現は元々ジェンダーステレオタイプを大前提にしていますよね。なので、この表現を雌猫に遣っているところが味噌だとお考えくだされば有り難いです。つまり「女の腐ったような女」と謂うウロボロス的な表現になるわけですが、これは要するに「ジェンダーステレオタイプを戯画化したような存在だ」と謂うニュアンスです。

個人的な拘りなんですが(笑)、オレは男性に対して「女の腐ったような男」と謂う表現は絶対遣わないようにしています。女性性についての差別的なネガティブ表現そのまんまな女性を視ると、「ちょっとはステレオタイプに疑問を持てよ」とか思ってしまいますが、そう謂うニュアンスで遣っていますね。これは男性についても同様で、男性性についての差別的なポジティブ表現をあまりにも真に受けて過剰に男性的に振る舞う男性についても同様に感じる感覚です。

>どらねこさん

>>もしかすると、自己投影型と無償の愛型の二つに分裂するのかも知れません。因みに自分は自己投影型ですね。

そう謂うところはあるかもしれませんね。所詮はどの基準を抽出して考えるか、と謂う問題になるわけで、抽出される基準次第で変わってくる部分があるのは当然だと思います。オレの場合は猫に自己投影はしていないですから、飽くまで自分は飼い主であったり、家族的な視点で謂えば母親兼帯の父親のポジションであったり、と謂うふうに認識していますが、一種自己と同等の存在として視る見方も当然あるでしょう。

ウチは二匹とも雌だと謂うこともあって、その意味では他者性を意識させられる場面が多いとは言えますね。自分だったら絶対こう謂うことはしない、なんでそんなことをするのだろう、そう謂う異質な部分を意識する機会のほうが多いです。種の違いと謂う他者性、性の違いと謂う他者性、そう謂う多重的な他者性があるので、多分オレが猫に投影しているのは自己像ではなく女性の肉親のような感覚ではないかと思います。いつまでも大きくならないし嫁にも行かない娘のような存在として視ているのでしょう。

愛情に見返りを求めないと謂うのは、これは幼児期の子供に対する親の愛情と似ているからだろうと思います。昔だったら、子供は将来的な労働力として期待されたり親が年老いたら面倒を看てくれる存在と謂う期待もあったと思いますが、それとはまた別に、生まれてきた子供には損得勘定抜きの愛情を抱くものだと思います。だから手が掛かるだけで何の役にも立たない子供を愛するわけで、こう謂う感情は普遍的に存在するのだと思います。

また、これは前述の訓練可能性と関係してきますが、オレが猫を飼って好かったと思うことと謂うのは、そう謂う絶対的に異質な存在と共存するスキルを学べたことかな、と思います。オレは、相手が同じ人間である限り、根っこのところでは妥協出来ないところがありまして、相手と自分が共に共有する正しさの基準があるはずだし、そのような基準に基づいて相手と自分が存在する場の規範が成立しているはずだ、と謂う考えを棄てきれない部分があります。

しかし、相手が猫だとこれは通じないのですね。意思疎通や相手の理解力にハンディがあるわけで、これは誰の責任でもないですから受け容れざるを得ない前提条件であるわけです。相手の基準を一旦全面的に受け容れて、それと自分の希望や期待を摺り合わせるにはどうしたら好いのか、と謂う考え方をする必要があります。こう謂う努力を愛情に基づいて不断に行うことには、一定の満足がありますね。そこで猫に対する愛情の在り方が関係してくるわけで、ニセ科学問題に対する個人的なスタンスにも関係してくる部分なのかな、と考えているわけです。
by 黒猫亭 (2009-12-05 09:48) 

zorori

poohさん、

>いやこれ、擬人化、と云うか。
>詰めて考えると人間同士でもおなじ話になりうるんですけどね。

ああ、その通りですね。
と言いながら、勝手に動物の擬人化の話を続けますが、天才志村動物園に動物と話せるハイジという女性が出てきます。私は、彼女の語る動物の話があまりに人間臭くて嫌な気分になります。動物をだしに使わずに、人間の側の心の整理の仕方と受け取れば、彼女の話は良い話ともいえるのですが。

一人暮らしの老人が孤独死して、発見された時に可愛がっていた飼い犬に食べられていたという大変悲しい話があります。その飼い犬は繋がれていたため、餌のある所まで動くことができずに仕方なく飼い主の死体を食べてしまったわけです。こういう話も受け入れなければ、本当の犬好きとは言えないのではないかと私は思います。犬を沢山飼っている人なら経験があると思いますが、死産の子供を食べたりすることもありますね。どちらかといえば、飼い主に殉死した犬のような話が受けがいいのですけど。
by zorori (2009-12-05 15:29) 

pooh

> 黒猫亭さん

確かにおっしゃるような相違はありますね。それを知能の程度の相違とみるべきなのか、知能の種類と云うか発展の方向の相違と云うのか、そのへんはいまひとつわからないですけど。

相手が犬の場合、理解、と云う水準じゃなくても、こちらの意図を伝えたり、相手の意図を把握したり、と云うのはけっこうできたりするわけです(相手の犬の性格にもよりますけど)。かならずしも擬人化、と云うわけじゃなくて、そう云う質のコミュニケーションはわりあい可能だったり。これって場合によっては、ある種の人間とのコミュニケーションより確実な場合もあるのかも。
by pooh (2009-12-06 06:46) 

pooh

> zororiさん

> 彼女の語る動物の話があまりに人間臭くて

これはいやですねぇ。
犬は人間とは違うのに、都合のいい人間の亜種、みたいに扱うのはちょっといやだ。もっとも飼い犬って云うのは長時間かけて人間の亜種化された動物、とも云えるようにも思いますけど。

ぼくがムツゴロウさんを胡散臭いなぁ、と思いつつ嫌いになれないのは、あのひとが自分の育てた動物でもちゃんと食べるひとだから、と云うのもあったり。
by pooh (2009-12-06 06:50) 

黒猫亭

>poohさん

>>それを知能の程度の相違とみるべきなのか、知能の種類と云うか発展の方向の相違と云うのか

おそらくその二つはほぼ同じ意味合いなんだろうと思うんですが、一般に動物について「知能が高い」「賢い」と謂われるのは人間的な価値観で、人間の知能に近いほど「知能が高い」「賢い」と考えられているのでしょうし、それを自然科学的に定義するともっと複雑でコンクリートな基準で量られるのだろうと思います。

そして、科学は価値中立的な規範ですから、「知能が高い」ほど偉いとか尊いと謂うことにはならないわけで、或る具体的な基準で量ったときのグレードの違いと謂う意味しか持たないでしょう。それを平たく謂うと「知能の種類と云うか発展の方向の相違」と謂う意味しか持たないわけです。でも、世間的には、「知能が高い」と聞くと、知能が低い動物より価値的に高等な生物だと謂うニュアンスが附随する、そう謂う機微なのかな、と。

>>かならずしも擬人化、と云うわけじゃなくて、そう云う質のコミュニケーションはわりあい可能だったり。

前述の文脈で謂うなら、犬は元々オオカミの近縁種(現在はタイリクオオカミの亜種と謂う説が有力だそうです)ですから、バンドを構成して集団で大きな動物を狩るわけですから、命令や服従と謂う観念もあるし高度な社会性がある、当然コミュニケーション能力も高い、そう謂う意味では人間により近い知能の発達の仕方をしていると謂えるんでしょうね。

猫は元を質せばリビアヤマネコが直接の先祖ですから、単独で生活して自力で捕獲可能な比較的弱い獲物を待ち伏せスタイルで狩るわけで、約三平方キロ前後のなわばりを持つとありますから、自分の子供以外の他の個体との社会性と謂うのは、不干渉と謂う以外にそんなに存在しないわけですね。ですから、犬のような複雑なコミュニケーション能力は必要ないと謂う言い方が出来ますし、そう謂う生存戦略を選択した種だと謂うことです。

犬のような生存戦略が有効なのか猫の生存戦略が有効なのか、それは相対的な問題で、どっちが優れていると一概に断定出来たものではないでしょうから、まあその意味でも人間的な価値観で優劣を判断しても仕方がないでしょうね。大昔の終末SFのように、核戦争後にゴキブリがドミナントになったら、ゴキブリの生存戦略が一番優れていたってことになりますからね(笑)。

>zororiさん

>>一人暮らしの老人が孤独死して、発見された時に可愛がっていた飼い犬に食べられていたという大変悲しい話があります。

オレの感覚が異常なのかもしれませんが、その話の何処が問題なのか、実は実感がないところがあります。たとえば、獰猛な飼い犬が飼い主の子供を襲って食べたと謂う話だったらかなり辛いですが、切羽詰まって飼い主の死体を食べて生き延びたと謂う話だったら、それでいいんじゃないかと考えてしまいます。

死体の損壊をタブー視する価値観と謂うのは、儒教やキリスト教など広汎に存在する文化的・宗教的規範ですから、飼い犬が飼い主の死体を食べたらショッキングに感じるのだろうし、飼い主も自分が愛していた犬に死体を喰われるのは厭だと感じるのかもしれませんが、極限状況においては、愛する者には自分の死体を喰ってでも生き延びるチャンスを得て欲しいと願う感覚も普遍的にあるように思います。

ウチの猫は完全室内飼育ですから、もしも独り暮らしのオレが自宅で突然死したら、たちまち飢えるわけです。突然死以外なら時間的余裕があるので誰かに預けることも出来ますが、急激な脳卒中とか心筋梗塞で誰に連絡する間もなく死んでしまったら、遅かれ早かれ猫も道連れになってしまいます。

外で死んだ場合なら身内に連絡が行きますから、そこで猫の心配をしてもらえますが、自宅で突然死すると死体が発見されるまで誰も猫の面倒を看てくれないわけですから、一カ月くらい発見されなかったら確実に飢え死にしてしまいます。

その場合、猫たちには自分の死体を喰ってでも生き延びて欲しいとかなりマジで考えています。一週間でも長く生き延びれば、それだけ周囲に発見されて保護されるチャンスが増えるわけでしょう。なので、身内には「もしもオレが突然死して、猫が死体を喰ったとしても猫を責めずに保護してくれ」と伝えてあります。身内が不快に思うようなら、他の飼い主を探してくれれば好いですし。

ただこれ、オレ個人がほぼ無宗教だから成立する話で、「死体が損壊されたら審判の日に復活出来ない」とかマジで信じていたら、厭かどうかはさておき、ちょっと抵抗はあるでしょうね(笑)。信じていないまでも、文化的な刷り込みとして死体損壊に強度の禁忌感を覚えていたら、やはり厭な気持ちにはなると思います。

そんなことは人畜の間で共有されている規範でも何でもないですから、飼い犬や飼い猫が飼い主の死体を喰って生き延びても、それを責める正当性なんかないんですけどね。

ただ、どうも猫が人間の死体を喰い物と認識するかどうかと謂うことにも甚だ不安を感じるところがありますので、まあとりあえず餌のストックを多目に確保しておいて、なるべくなら猫が喰える状態にしてから死ぬ、と謂うイメトレをしていますが(笑)、独居で完全室内飼育だと、自分が突然死したら猫をどうするかと謂うのはけっこう切実な問題ではあります。
by 黒猫亭 (2009-12-06 11:12) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 「知能が高い」と聞くと、知能が低い動物より価値的に高等な生物だと謂うニュアンスが附随する

あぁ、このことはありますね。
いやしかし、これって根強いよなぁ。知能とかあいさは別だ、って云うのでも反論にならないし。どう捉えるべきなのか、あんまり簡単に結論が出る話ではないですね。

> そう謂う意味では人間により近い知能の発達の仕方をしている

これはあるんだと思います。現存種としての犬は人為的な改良が加えられた、ある意味奇形の集合体みたいな部分はありますし。人間に対する意思疎通能力が極端に高められた動物、ではあるのでしょう。
by pooh (2009-12-06 13:12) 

どらねこ

本題(本題って何でしたっけ?)から外れた話題で恐縮ですが、私も、飼い猫が自分の体を食べて生き延びてくれるのなら、全く嫌じゃあないですね。
by どらねこ (2009-12-06 18:51) 

pooh

> どらねこさん

とくに本題と云うほどのものはないです(^^;。

かつて飼っていた犬のことを考えると、食べられるのに抵抗はないですね。食べるのにも。

カヌーイストの野田知祐さんが、かつての相棒であったカヌー犬ガクの死去にあたって、その毛皮でベストをつくって愛用しているそうです。簡単ではないと思いますが、望みうるならそう云う愛情のありかたがいいよなぁ、とか感じたりします。
by pooh (2009-12-06 22:43) 

黒猫亭

>どらねこさん、poohさん

前回のコメントで挙げたような「生きている飼い主やその家族を襲わない」と謂うことと「飼い主の死体を喰わない」と謂うことは、犬の視点では全然別のことなんではないかと思います。前者は「群のルール」のレベルの事柄で、それなりの殺傷力を持つ動物が人間と共に暮らす為の最低限の決め事で、これは長い歴史的時間を共に過ごした犬と人間の間で共有されている規範なんだと思うんです。

しかし、後者のほうはなんで悪いのか犬にはわからないわけで、人畜の間で規範が共有されていないわけですね。zororiさんが挙げられた死産の子犬の死体を母犬が喰うと謂う話も、動物視点では死体と謂うのは喰っても構わないものであって、母犬にしてみたら産後に胎盤や羊膜を喰うのと意味的には変わらないわけですね。そうやって無駄に体外に排出された蛋白質を回収するわけで。

なので、飼い主の死体を食べた話にはそれほど抵抗を感じないですが、それが飼い主の子供を襲って食べたと謂う話なら、本来両者の間で共有されているはずの規範が崩壊し、群として成立しなくなった飼い主と飼い犬の間の関係性の悲劇として感じられます。
by 黒猫亭 (2009-12-07 00:10) 

pooh

> 黒猫亭さん

まぁ人肉食の禁忌と云うのも文化にくっついているものなわけで(だから人間同士でもないところにはない)、それをそのまま別種の動物に敷衍するのも無理があるわけですけど。
ただ、そこに相互の関係性が入ってくるとまぁちょっと別ですよね。
by pooh (2009-12-07 07:35) 

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