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疑う、信じる [よしなしごと]

前のエントリのコメント欄で、katsuyaさんのあげられた懐疑主義は疑似科学の防波堤になるか?と云うエントリをTAKESANさんに教えていただいた。
で、前のエントリからの流れでちょっと考えたこと。

懐疑精神が疑似科学の防波堤になるという考えには懐疑的に接した方が良いだろう。
これ、まぁ懐疑精神と云う言葉の意味をどう捉えるか、と云うあたりからはじまる話にもなるんだろうけど、まぁ単純に「疑う心」だとして。

いずれたぶん、なにかを考えるにあたっては、その起点に「信じること」があるんだろうな、と思う。疑うと云うのは、あることを「信じる」ことに向けられる営為ではあるし。
だからまず、自分がなにを「信じ」ているのか、を把握するのが、懐疑精神を健全なものに保つための最初のステップかな、とか考える。

ニセ科学に対する批判をおこなうにあたって、その批判のロジックそのものに対しても懐疑的な目を向けていく(べつにあらためて強調することもないけれど、ニセ科学の問題に継続的にコミットしている論者なら、これは日常的にやっている)。そうすると、lets_skepticさんのニセ科学批判者曰く「うわ、そんなことありえないよ」と云うエントリにあるように、その起点として「信じ」ているものは実在論である、と云う部分に行き着く。

まぁぼくなんかも含め、一般のひとたちは実在論を盲信している、と云ってもいいのかもしれない。
逆にニセ科学への支持を表明するのなら、ロジックにおいて素朴実在論にメスを入れる必要があるだろう、みたいにも思う。そう云う立論をしているニセ科学支持の言説を見たことはまだないんだけれどね。
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katsuya_440

トラックバックどうもありがとうございます。

池内了さんとかは超常現象系の疑似科学を中心に見ているので、ああいった発想になるのでしょうけれど、インチキ療法のような健康問題系の疑似科学を見ていれば、ああいう風には考えられないだろうなと思うのです。

自分が親しみを感じるものを信じ、そうでないものに懐疑的に接するという人間の性質が、懐疑の向かう方向を左右しているのでしょうね。

だから科学者は疑似科学に自然に懐疑的に接することができるのでしょうし、政治不信の市民団体は非公認の代替療法を信じると共に公認された正統医学に懐疑的になるのではないかと思います。
by katsuya_440 (2009-08-20 22:54) 

TAKESAN

「懐疑」という言葉の捉え方による、というのはまさにその通りだと思います。
たとえばASIOSなんかは、懐疑という概念をよく吟味していて、そこに、事実に基づいて物事を確かめる、といった意味合いをも付与していますよね。
http://www.asios.org/faq.html

懐疑(主義)という言葉は、このような文脈であったり哲学的な文脈であったり、また、日常的な用い方、つまり単に「疑う」程度の意味合いで使われる、などがありますが、受け取り方はそれぞれなので、コミュニケーションする場合には、そもそも「ここで言う懐疑とは何ぞや」というのを丁寧に説明するのも大事なのかも知れません。

ちょっと話は違いますが、言語学的な意味で「恣意性(あるいは”恣意的”)」を用いて話をしているのに、受け取る側が、辞書的な意味で、「わがまま、勝手」、などの意味で読んでしまう、みたいな。

結局、ニセ科学(疑似科学)の議論における「懐疑精神」には、「疑う」のみならず、「確かめる」(byちがやまるさん)事も含まれている訳ですよね。

余談ですが、「素朴実在論」とは哲学的には、単に外的実在があると考える立場を指している訳では無い、かと思います。
直観的にしろ素朴実在論を採る人は、あまり見た事が無い気がしますですね。
by TAKESAN (2009-08-20 23:45) 

pooh

> katsuya_440さん

池内さんがお書きの「健全な懐疑精神」と云うものがどう云うものか、と云う話になるのかもしれません(どうだろう。自分で書いていてちょっとあやしい)。

> 自分が親しみを感じるものを信じ、そうでないものに懐疑的に接するという人間の性質

これはそもそもあるよなぁ、と思います。
どうなんでしょうね。いずれにせよ、かならずしも「信じる」と「疑う」がトレードオフになる、と云うことではない、と云う前提を呑み込めるかどうか、と云うのもあるように思います。
by pooh (2009-08-21 07:30) 

pooh

> TAKESANさん

> 「ここで言う懐疑とは何ぞや」というのを丁寧に説明するのも大事

そうですよね。用語の定義を確実にすると、その用語の意味をどう把握しているか、と云う部分での齟齬を減らすことができる。ことに議論の文脈においては、全体の効率を上げるためにも重要です。

ただ(いいわけじみますが)そこをためらう部分もあるんです。まさに「わかりやすく」する、と云う点において。
その場で精密に定義された用語は(そしてその用語を用いた言説は)その場から出て行かないんじゃないか、届かないんじゃないか、と云うような危惧があるんですね。その意味ではぼく個人としては、あいまいさを覚悟したうえで用語をそれが一般的に含みうるニュアンスを残したままで使いたい、と云う志向があります。できれば、そのあいまいさは論述の文脈で補って回避したい。無定義の状態でもその用語が持ちうるニュアンスを上手にコントロールして、リーチを確保したい。
難しいことですし、力不足でうまくいかないことも多々あるので、そのあたり忸怩たるものはありますが。

> 「素朴実在論」とは哲学的には、単に外的実在があると考える立場を指している訳では無い

すいません、これは勉強不足ですね。
ちょっとこのあたり重要な気もするので、勉強しなければ。
by pooh (2009-08-21 07:43) 

Jem

ここ数日、面識がない者同士で議論(やそれっぽいこと)をするためには、用語の定義のすりあわせがまず土台となるんだなぁ、なんてことを(柄にもなく)考えてました。

私は、あんまり深く(意味とか定義とか)考えずに思いつきと直感で行動するタイプで、おまけに交際範囲が狭いので、poohとMacoっちゃんとその周辺がなければ、たぶん、そんなことは全く考えず日々脳天気に過ごしているのでしょうけどね。

不思議だなぁ、と思うことと、自分はひょっとすると間違っているかもしれない、と思うことと、例外もあるんだから、それ、考えとこうね、と言われたらきちんと咀嚼して訂正・修正していくこと、とか。
それをせず、2ちゃんねる的短絡反応( or 「脊椎反射で書き込む」)を、10代で自分の表現スタイルとして取り入れてしまった場合など。そういう人が社会の多派となったら、どうなっていくんだろう? など考えたりしてました。

「健全な懐疑主義」なんてかなりハードル高いんじゃないか、と・・・
(う。収拾つかなくなってきた。 書き逃げスル。)
by Jem (2009-08-21 15:18) 

pooh

> Jemさん

えぇとですね。発話の精度、みたいなものもあると思うんですよ。で、だれに伝えたいか、なにを伝えたいか、で必要な精度は変わってくる、とぼく個人は思っていますし、そう云う書きかたをします。それとは別として、ぼく自身の人格や能力に起因する精度の限界、と云うのもあるわけですが。

議論においては、その議論における文脈が要求する精度が存在します。うちなんかだとすぐれたコメンテーターのかたがお越しになるので、必要な精度がだいぶ高くなるようなことも生じます。そうすると、そこの議論に要求される精度に対して適切な用語を適切なかたちで使う必要がある。
これはだれでもそうかもしれないんですけど、じっさいぼくはエントリ本文とコメント欄でそうとう語調が違うんじゃないかな、と思います。

> 自分はひょっとすると間違っているかもしれない、と思うことと、例外もあるんだから、それ、考えとこうね、と言われたらきちんと咀嚼して訂正・修正していくこと

これは大事ですよね。意外と難しいことではあるんですが。

> 2ちゃんねる的短絡反応

これはやや2ちゃんに対する偏見が混ざってるかと思いますが(^^;、戦闘的なスタイルは、自分を守ると云う点でいつも最適と云うわけではない、と云うのをどこかで学んだほうが得をする場合も多いよなぁ、とは思います。
by pooh (2009-08-21 21:40) 

TAKA

ちなみに、急な山の斜面を登るときの基本は、「三点確保」らしい。(両腕両足の内、三本は地を掴む)

世に蔓延るインチキの山を手探りで歩くときも、まずは確実な足場を確保してから進め、という事かも。(尚、これ以降はネタ文章です)
・・・・・・・
>懐疑精神が疑似科学の防波堤になるという考えには懐疑的に接した方が良いだろう

という主張も、もちろん疑って掛かる私は「猜疑主義者」なのである。
目の前に出された物を何時までも疑い、一歩も先に進むことが出来ず、しまいには自分で作った沼地に足を取られて大笑いする私…。
一人泥んこレース状態の私!
懐疑の偉い人たちよ!思考停止の私を揚げ足取りして、真実のゴールに導いてくれたまえ!
・・・・・・・
とりあえず、こんな感じです。
…。
曖昧な言葉を平気で使う人たち?それは、唾棄すべき姿勢です。精度の悪い論を公の場に披露する者は、読者からの吊るし上げを覚悟しておくべきですよねえ(-_-;ウ~ム。
by TAKA (2009-08-22 22:59) 

pooh

> TAKAさん

いや、不健全な懐疑精神を示すのに「猜疑」と云う用語を使うのはどうだろう、と云うのはぼくも提案しようかとは思ったんですが(^^;、いたずらに定義の議論に突入しそうな気がしたのでやめました。
by pooh (2009-08-22 23:05) 

TAKA

>いたずらに定義の議論に突入しそうな気がしたのでやめました

それついては、多分きっと、いや確実に「定義の言葉に偉い人たち」が、近い将来この場で「不機嫌な懐疑を示す言葉」を、分かりやすく定義してくれるはずである…。
と期待する私は、「お気楽主義者」です。(ところでしかし、表記の揺れが楽しめる境地に昇華したい私)
by TAKA (2009-08-22 23:23) 

pooh

> TAKAさん

定義の議論と云うのは、ゲームとしてはとても楽しいんですけどね。

既存の学術的な議論の成果を踏まえて議論をするときなんかは、そこでの用語定義を前提におけたりするわけじゃないですか。でも、それはあんまりぼくのスタイルじゃないし(音楽の話なんかをするときは別ですけど)。

> 不機嫌な懐疑

よくわからないけどなんかいいなぁ。
by pooh (2009-08-23 04:56) 

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