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略語 [よしなしごと]

OSATOさんのEMというものと云うエントリを読んだ。OSATOさん的には本丸突入、と云った感じでしょうか。

ご本人もおっしゃっているけれどまだプロローグ、と云ったあたりなので、本論の展開は今後を期待して待つとして、枝葉の話。
「EM」とは「㈱EM研究所」及び「(有)サン興産業」で製造されている一製品の「固有名詞」であり、登録商標もしっかりなされているものなのです。
そうだったのか。

ある商品分野を代表するものの商品名が一般名称化するのってまぁよくある現象で、典型的にはバンドエイドとか。まぁ商品名に限らなくて、LOHASなんてことばもマーケティング用語だけどおなじような状況にある(「ソトコト」出版元のトド・プレスと三井物産の登録商標。そもそもはライセンス料を請求するビジネスモデルだったらしいけど、あきらめたらしい)。ちょっと見てみたらWikipediaに普通名称化した商標一覧なんて項目もあった。

商標には通常、普通名称は使えない。使えなくもないみたいなんだけど、事実上商標登録をするためには(商標法第2章第3条の規定を読むかぎりでは)ふつうは固有名詞をつくることになる。
で、こう云う固有名詞って、もちろんその商品そのものをイメージしてもらえないと意味がないわけだから、一般名称の略称とかそう云うものからつくる。商品名って云うのは略語が多い。あたりまえの話のようにも思うけど。

で、この略語、って云うのが、いろんな状況でけっこうくせものだ、みたいに思うことがある。略したとたんに、別の意味を帯び始める、と云うか。まぁ略する段階から、その略し方を選んだ人間(それが個人かある集団か、を問わず)の意図が入っているわけではあるのだけど。

例えば、エコロジー、と云うことばにはそもそも環境学とか生態学とか云う意味しかなくて(転じて環境保護、と云うニュアンスは持っているにしても)。でもこれが、エコ、と略されたとたんに、「地球環境に云うものに対してポジティブな影響を持つもの」と云う限定された意味を持たされる(ほかの意味を持たなくなるわけじゃないかもしれないけど、実際に流通していることばとしてはほとんどそう)。あれはエコだとかこれはエコじゃないとか。
そうなると、ことばがほんらい指し示すことができるはずのスコープが、結果的に狭められる。ことばそのものの持つ意味が薄っぺらくなってしまう。エコロジー、と云うことばがひとつらなりの環境全体を指し示す視野を持つのに、エコと云うことばは目先の「モッタイナイ運動」みたいなひろがりしか持たなくなる。
逆に云うと、例えばそこに、ことばが本来持っていなかったニュアンスを新たに追加することも可能になる。エコロジーと云うことばにはとりたてて道徳的な意味合いはないけれど、エコと云うことばには「ひととしてあるべき正しい姿勢」みたいなニュアンスが追加される。
で、例えばマーケティング用語として扱う場合には、そう云う状況になったほうが便利だったりもするわけで。典型的にはトヨタの「エコ替え」キャンペーン(恥知らずにもまだやってやがる)みたいなもの。「燃費のいい車は環境にいい。だから環境保護に目覚めたひとはいま乗っている車を廃棄して燃費のいい新車に乗り換えましょう」って云う理屈は、例えば「エコロジー」と云うことばの意味を理解している人間には当たり前だけど通用しないわけで、こんなご都合主義のキャンペーンは「『エコ』に関心がある(と自己認識している)層」の感性にしか届かない。まぁそう云う層が購買層のマジョリティなら、販売戦略としては的外れではないんだけれど(消費者を馬鹿にした話だとは思うけれど、どちらかと云うと馬鹿にされる消費者のほうが悪い)。

こう云う「略語をつくってそれを使うことでなにかしら云っているつもりになる」ことの気持ちよさ、って云うのにはぼく自身も身に覚えがそうとうあって、と云うかむりやり略語を捏造して本来の意味を脱臼させて面白がる、みたいな言語実験的戯れ事も昔からけっこうやっていたりして。
でもそれは一面危険だったりする。とりわけマスメディアみたいなリーチのある媒体が、無反省に略語を使ったりする場合には。

EMにまつわる問題については、これからOSATOさんによる検証が始まるのだと思う。でもそのおのおのの問題のうちいくらかは、EMと云う用語を作って「有用微生物群(Effective Microorganisms)」と云う用語に代えて使う、と云う方法論にも発端しているのかも、みたいに思ったりもする。
「EM」というのは実に見事な名前です。その生みの親である比嘉照夫さんは、誠に絶妙な名を思いついたものだとほとほと感心してしまいます。
「イーエム」と発音する事により、その語感から何となく「いいもの」という連想を呼び起こします。そして尚且つ覚えやすい。
また、EとM二文字だけというシンプルさから、その後ろに他の単語を結び付けても違和感なく自然に読む事ができます。
OSATOさんもこのようにお書きになっているとおり。

ちなみにこう云うコピーライティングのマジック、みたいなものは、例えば「ニセ科学」みたいなことばにも同様に発生するわけで。だから、継続して議論していくためには、このことばが本来問題定義のための用語である、と云うことを忘れずに使っていく、と云うことが重要なのだろうなぁ、とか思う。
タグ:ニセ科学 EM
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コメント 4

OSATO

EMのうまさはそのネーミングのみならず、比嘉さんのマーケティング戦略(広め方)による所も大ですね。この辺りはいずれまた。

あ、それから、「ウィンドブレーカー」もゴアテックス社の登録商標ですね。ミニトリビアでした。
by OSATO (2009-07-17 00:15) 

黒猫亭

>>そうなると、ことばがほんらい指し示すことができるはずのスコープが、結果的に狭められる。ことばそのものの持つ意味が薄っぺらくなってしまう。

こう謂う現象を、オレはざっくり「タームが俗化する」みたいに言ってしまいますが、本来特定の文脈で非常に厳格に定義が共有されている用語が、一般に浸透することでその厳格さが曖昧化し、指向する意味性自体は拡散してしまう一方、そのタームを厳格に用いることで開けてくるはずの視野が狭窄してしまう。

意味が曖昧化することで漠然とした対象を指し示すことになり、結局何でもアリになって、既存の言葉の言い換えにすぎなくなる、そう謂うことなのかな、と思います。

たとえば、エコロジーと謂うタームが指示しているのはそれまでになかった新しい概念だと思うんですが、エコロジーがエコになると既存の価値観にすぎなくなりますよね。「ものを大事にする」とか「周囲を汚さない」とか、アリモノの概念の寄せ集めにすぎなくなります。

で、多分販売戦略的には、そこまで俗化しないと一般に浸透しないと謂うことなんでしょうね。新しい概念が必要なのはトップランナーだけで、大多数のボトムランナーは既存の概念を括る容れ物が新しければそれで満足する、そう謂うことなのかもしれません。

>>「イーエム」と発音する事により、その語感から何となく「いいもの」という連想を呼び起こします。そして尚且つ覚えやすい。

これ、何となく「E電」を想い出してしまいました(笑)。E電のほうは浸透しなかったんですが、あれは「恣意的に決めた言い換え」だから浸透しなかったんでしょうね。

by 黒猫亭 (2009-07-17 05:21) 

pooh

> OSATOさん

EMについては複数のレイヤーにまたがる問題を内包した「わかりづらいニセ科学」だと思います。今後の展開を期待します。
by pooh (2009-07-17 07:27) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 「タームが俗化する」

まぁ、目的のひとつに「俗化させる」部分があったりするわけで。そのあたりにどれだけ意識的か、と云うのもあったりはするんでしょうけどね。
こう、そうやって本来のスコープを違えることで、「わかりやすく感じさせる」と云う手法でもあるわけです。ところがそこで「わかった」と感じたものが、ほんとうに本来の理解の対象と同じものか、と云うと必ずしもそうではない。そうではないけど、目的によってはそれでもよかったり。

> 既存の概念を括る容れ物が新しければそれで満足する

ク○○アとか連想しますね。

> 「恣意的に決めた言い換え」だから浸透しなかったんでしょうね。

単純にセンスが悪かった、と云うのもあるような。
by pooh (2009-07-17 07:32) 

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