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景色が変わる [余談]

日刊サイゾーの記事、前田日明から見た「三沢光晴の死、そしてプロレスの未来」(前編)(後編)を読んだ。
まぁ記事全体では「アキラ兄哥、相変わらず云ってんな」的な部分もある内容ではあるんだけど。

先々週の土曜日、ぼくはレイトショーで「レスラー」を観て、深い感銘を受けて家路についた(「現実のミッキー・ロークと主人公がオーバーラップするから感動した気になるだけだろう」みたいなことを云う輩は地獄に堕ちてしまえ。あれはそう云う種類の演技じゃない)。
プロレスと云う競技の持つ理不尽さ、レスラーとして生きることの矛盾、そしてそれゆえにこそ存在する魅力と、リングのうえでときおりたち現れるかけがえのない輝き。ぼくはとうてい(とりわけこの10年ほどは)プロレスファンとは名乗れないけれど、そんな瞬間は何度か見たことがあった。そして、この映画は、その輝きがなにゆえに生まれるのか、どうしてあれほどぼくの心を打つのか、と云うことをあらためて示してくれた。
で、家に着いたら、つれあいが三沢光晴の死去を教えてくれた。

べつだん選手としての三沢がそれほど好きだったわけじゃない。でも、三沢光晴がリングで試合中に死ぬ、と云うことは、あってはいけないはずのことだった。三沢は、そう云う存在だった。どうしても、自分のなかで消化できなかった。
三沢光晴でさえ、死にいたる競技。そんなものを、ぼくはもう娯楽として観られないかもしれない。ぼくの目に映るリング上の景色が、すっかり意味合いを変えてしまった。
悲劇だったのはね、相手も、レフェリーも、セコンドも、みんなが『社長だから大丈夫だろう』『三沢だから大丈夫だろう』と思って、誰も注意して見てやれなかった。
前田日明の云うとおり、これは悲劇なのかもしれないけれど、でも、しかたのないことでもあったんだろう、と思う。だって、三沢光晴でさえ受け止められないのだとすれば、いま目の前でバックドロップを受けて見せた選手が、それが誰であれそのまま死んでしまってもおかしくない、と云うことだから(その選手にはおそらく三沢ほどの才能はないし、三沢ほどの努力をしていない可能性も高いので)。

プロレスの技が一歩間違えれば死に至る危険なものだ、と云うのは、もちろん知っている。何度もなまで見たことがあるから、そこにはほんとうの痛みが存在することも知っている。そして、その痛みを技術と鍛錬で受け止めることのできる存在がプロレスラーだと信じることで、ぼくはプロレスを娯楽として観ることができた。
リング上で繰り出されるどんな技を受け止めても、レスラーは怪我をしない。立ち上がり、相手に技を返していく。その姿から受ける感動は、格闘技観戦から受けるそれとは、似ているようで違う。違うけれど、それは客観的に、どちらが優れている、と云えるようなものではない。
みんなね、自分たちが危険なことをやってるって認識がない。全員がプロレスをナメちゃってるんですよ。やってる人間も、レフェリーも、観客も。どっかで『大丈夫だろう』と。
そう云うことは、あるのかもしれない。前述の映画「レスラー」でも、"ザ・ラム"ランディが挑むのはクラシックなスタイルの試合だけではなく、刺激に満ちた90年代的なエクストリームなプロレスに臨むシーンも登場する(エクストリームなリングに上がるレジェンド、と云うことで連想する実在のレスラーもいたりするけど)。でも、ぼくたちは『大丈夫だろう』と思っているから、思えるから、脚立から画鋲の海に落下するレスラーを、それでも見ていられるのだ。

選手の安全、と云う1点については、前田日明は昔からとても意識の高いひとだった(選手としてどうだったか、と云う議論については、ぼくには客観性のある発言ができない。ファンなので)。リングスにはその初期からつねに、試合時にはリングサイドにメディカルアドバイザーがいた。頭部の良性の腫瘍を理由に、出場を訴える山本喧一に試合をさせなかったエピソードも(ちょっとだけ)有名かもしれない。
格闘技とは違う意味合いだったとしても、プロレスラーだった前田は、プロレスがそもそも命がけであることを知っている。
本当は、いろいろ考えてやればね、ちょっと動くだけで、何気ない技でも盛り上げられるんです。パンチ一発でも客を『おおっ!』と言わせることができるんですよ
そう、ぼくたちは(かつての前田の発言ではないけれど)殺し合いを観にいっているわけではない。
一流のレスラーとそれ以外を決めるのは、ぼくたち観客だ。そして、いちばん強いレスラーが、いちばん優れたレスラー、ではない(もちろん、強いことは前提ではあるけれど)。
だからね、本当に統一コミッションで何かやるんだったら、レスラーになるための基礎的な教育だとか、小さな団体が興行に医者を連れて行く余裕がないんだったら派遣してやるとか、そういうことから始めたほうがいい。その前に、レスラー、レフェリー、関係者をみんな集めて、今回の三沢の試合を見せなきゃいけない。
なんとなく艶消しな気もするけれど、ほんとうにそうなったらぼくも来月に予定されているみちのくプロレスの試合(かつて試合中の事故で頭蓋骨骨折と脳挫傷と云う重症を負った、ザ・グレート・サスケのデビュー20周年記念興行)を観にいく気にもなれるのかもしれないな、とちょっと思った。
タグ:プロレス
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うさぎ林檎

poohさん、こんにちは。

中学の時に同級生が、まわりにプロレスはやらせだと、からかわれて「プロレスは真剣だ!!!」と涙ぐみながら反論していました。あの頃はプロレスの試合のテレビ中継もありました。
動物に無理矢理やらせている(闘牛や闘犬)訳ではなく、大人が自分の意志でやっている事ですから否定はしません。私自身はルールがあるとは言え暴力(じゃないのかな)を楽しむスポーツに興味が持てないので、今に至るまでその手のものは全てスルーです。
ただ、あの時の彼の涙を思い出すと、根っこのところでそんな感情を持った人が今も格闘技を支えているのかなと思ったりします。
by うさぎ林檎 (2009-06-27 17:53) 

pooh

> うさぎ林檎さん

こう、人間には暴力への希求、みたいなのも多分あるんです。でももちろんそう云うものに日常的に関わることはできない。でも、例えばプロレスと云うものを通じて、それに触れることは可能な訳です。プロレスラーは、そう云う場に登場して、暴力を体現することができる。暴力の場に置かれた人間の情動や行動を(語弊のある云い方ですが)表現することができる。

その意味で、プロレスラーは超人なんです。超人でないといけない、と云うか、超人であるべき努力が必要な職業です。
そう云う場所に自分を置くことを選んだ人間を、そしてそう云う人間たちの表現の場所を「やらせ」と云う言葉でかたづけてしまうのは、ぼくはちょっと違うのではないか、とか思ったりします。

その意味で(ぼくは本来格闘技好きなんですが)ここ数年の格闘技ブームみたいなものには、ちょっとどうか、と云うふうにも思います。目の前で闘っている選手を、ほんとうに人間だと思っているの? みたいな感じで。
by pooh (2009-06-27 20:42) 

mohariza

Poohさんが格闘技(プロレス)好きとは知りませんでした。

日本のプロレスは、たぶん、世界で一番、高度で、危険な技を駆使していると思います。
観客も<危険な技>を多発するのに慣れ子になり、選手もそれを受けても平気で、立ち上がり、闘っていくので、観客は、まだまだ大丈夫と思い、益々、危険な技を要求して行くように思えます。

いくら受け身を基本にし、強靱な身体を作って行っても、限度があり、三澤の事故が、いつ、起こってもおかしくはありませんでした。

K-1のように、年何回かの興業で成り立っていないプロレスは、選手の日々の管理が、重要になっているように思えます。

前田の意見は、もっとも思います。

観客も、プロレスラーは、「超人」かも知れないが、やはり「生身の人間」が<超人>役をやっていることを理解し、試合を見つめることが大事なように感じます。

<観客論>が、まず、あり、そこを改善して行く努力が大事で、「レスラー、レフェリー、関係者」は、その点を押さえ、プロレスの方向付けを見直して行く必要がある時期になっていると思います。
そうしないと、三澤のような事故は、繰り返すように思います…。

by mohariza (2009-06-28 14:10) 

pooh

> moharizaさん

いや、ここ数年はもう、格闘技ファンともプロレスファンとも云えないんですけどね。

プロレスにおいて技と云うのは、伝える手段、だと思います。繰り出す選手の、受ける選手のすごさを伝える。
頭から落とす技は、たしかに伝わりやすい。でも一面それは安直で、その危険さを考えれば安易に使われるべきではない。前田が云うように、伝えるべきことを伝える手段はもっとほかにあるんです。そして、そのことをちゃんと考えて、充分な鍛錬を欠かさないことで、もっと息長くそれを伝え続けることができるはずなんです。いまでもなお一線で観客を沸かせる試合ができる、リック・フレアーのように。

> <観客論>が、まず、あり、そこを改善して行く努力が大事

同意します。
by pooh (2009-06-28 16:31) 

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