SSブログ

文化と条件 [よしなしごと]

WiredVisionの文化はDNAに組み込まれている?「隔離された鳥の歌」実験と云うエントリを読んだ。なんか読んでいて妙な違和感を覚える。

そもそも「鳥の歌」が文化(原文でCulture)なのか、と云う定義の話から始まるんじゃないかと云う気もするけれど。
3世代から4世代を経ると、若いキンカチョウたちは普通に聞こえる歌を力強く歌いあげるようになった。
隔離されることでいったん失われた普通に聞こえる歌が数世代で取り戻された、と云うことを、文化が回復された、とみなしているみたいだ。
でもこの云い方って、どうなんだろう。

鳥が歌を学ぶ、と云うのが文化的な現象である、と云うのは(用語の精度はともかくとして)云えないこともないんだろう。でも、それが同じ普通に聞こえる歌になるのが、文化における遺伝的要素の占める支配力の高さを示す、と捉えるのはどうかなぁ。
器質的な条件がたとえば鳥のうたいかたを規定する、と云うのはまぁ当たり前といえば当たり前で(その鳥の声帯の構造の持つ自由度の範囲でうたえる歌しかうたえないんだから)、そのことをDNAに組み込まれている、と云うのはまぁ間違いじゃないと思う。思うけどそれって文化の議論なのかなぁ。

だってぼくの知ってるかぎりでも、人間の文化は(その器質的な条件の自由度の範囲で)ずいぶん多様だし。と云うか、その多様さにたどりつかない(非常に狭い選択肢に収斂せざるを得ない)ものを文化として論じるのは、そもそもなにか違うように思うのだけどなぁ。
nice!(0)  コメント(12)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 12

zorori

「文化」という詞の定義があいまいということですね。

人間の歌は普通、文化というので、その類推で鳥の鳴き声も「文化」と呼んだだけかもしれません。それで、調べたところ、どうも生得的みたいで「文化」ではないようだ、とでも書いてあれば違和感がないのかもしれませんね。
by zorori (2009-06-17 06:40) 

pooh

> zororiさん

どうもこう、うまく云えないので、あいまいなエントリになってしまっているのですが。
文化が生得的な条件と環境条件に支配される、と云うのはまぁあたりまえで。それを諸条件がもっと単純であろう鳥の、歌、と云うものを手がかりに構造的に理解しようと云う試みであるのなら、それは意義のあることだと思うんですが。
ちょっとそこまで読み取れないし、なんか記事の文面だけ読むかぎりは、どこかにいやな短絡があるように感じられる、と云うようなことでした。
by pooh (2009-06-17 07:28) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

生物進化とかを勉強していると、生物の多様性に「遊び」の部分を感じるんですよね。中立説でもないけど「毒にも薬にもならない変異は保存される」という形でいろんな多様性がまず陳列棚に置かれて、たまたま、そのうちのどれかが、「成熟サイン」として使われたりする訳です。トサカでもかまわないのど袋でもかまわない、そして鳴き声でもかまわないという陳列棚から、鳴き声が選択されて成熟サインとしての役割をもつことで強化される。この「どれでもかまわない、とりあえずこれ」と選ぶような部分に「遊び」を感じる訳です。当然、鳴き声を何らかのサインとして選んだ場合でも、鳴き声の大きさであったり、リズムであったりメロディーであったりが陳列棚に並んだ中から、やはり「どれでもかまわないけど、これ」みたいに選択が起こる部分がある様に感じます。そこに、意味を無理矢理こじつけている気もしますね。

by 技術開発者 (2009-06-17 08:46) 

梨

はじめまして。
鳥の歌というのは多くの場合メスへのアピールですからこの場合はただ性淘汰が働いただけで説明できる気がします。
本文中にも

>求愛の歌

とありますし別に改めて文化なんて仰々しいレッテルを貼ることもないと思うんですね。すでにある用語、概念で説明可能なわけですから。いったん初期化されても性淘汰が働くことで徐々にメスの好みの歌になっていくということを実証しただけのように思えます。
by (2009-06-17 21:39) 

pooh

> 技術開発者さん

器質的な条件はまずDNAに書いてあって。で、もちろん生物の行動を規定して(広義でも狭義でも)文化を生み出す重要な要素であるのはまぁまちがいないとは思うわけです。で、DNAに書いてある要素とそのほかの要素がおのおのどれくらい支配的なのか、それぞれがどんなインタープレイを通じて文化を生み出すのか、と云うところにアプローチしていくのは、意義が薄いことだとはまったく思わなくて。そう云う理解をするとこの記事自体に違和感はないんですが、ほんとにそう云う理解でいいのかどうか。

> > 「どれでもかまわない、とりあえずこれ」と選ぶような部分に「遊び」を感じる訳です。

特定の要素が選ばれるのには、なにかしら要因があるわけで。それはDNAに書かれていることに起因するのかもしれないし、ほかの要因があるのかもしれない。もちろんそれは変化しうるものなわけですよね。どうもそのあたりに(記事の書き方のせいにも思えますが)ちょっと危うい短絡のようなものをぼくは見ているのかも。
by pooh (2009-06-17 21:48) 

pooh

> 梨さん

いらっしゃいませ(梨さんとおっしゃるんですか。ブログは拝読したことがあったんですが、存じませんでした)

こう、zororiさんのコメントともからむんですが、どう云う場合に「文化」と云う言葉を使うのが適切か、と云う話であるとも思うんです。性淘汰と文化に関連がない、と云うわけではないですしね。
要するに、そこにどれだけの関連を見いだすか、その関連性のプレゼンスはどれくらいのものか、と云う話だと思うんです。その意味で、この記事の書き方の角度に関しては、おっしゃる「仰々しいレッテル」に近いものを感じます。
by pooh (2009-06-17 21:54) 

技術開発者

こんにちは、梨さん、pooh さん。

>鳥の歌というのは多くの場合メスへのアピールですからこの場合はただ性淘汰が働いただけで説明できる気がします。

>特定の要素が選ばれるのには、なにかしら要因があるわけで。

考え方としては、選択はあり、その選択に何らかの要因はあるのだけど、その要因が必ずしも与条件と結びつく必要は無いみたいな部分かな。例えば家を建てるとき、土地の与条件は建物に影響しますよね。10坪の土地に15坪の平屋は建たないし、平屋の建築費で3階建ては立たないからね。じゃあ、家の設計が全て与条件と関係しているかというと、当然だけど関係しない施主の好みみたいな部分はあるわけね。「トイレの内装はどの壁紙でやりますか」「このピンクの花柄で」なんてね。こんなのは次の日どころか、その一時間後に聞いたなら別な壁紙を選んだかも知れないくらい場当たり的な選択なのね(笑)。でも、その選択をしたら、リフォームまではその家のトイレはピンクの花柄なんですよね。まあ別に嫌でもなく、入るたびに嬉しくなる訳でもなくね。

なんとなく生物進化とかいうと「適者生存」であらゆる事に与条件とギリギリの適合があるような意識がる気がするのね。家の設計に土地や資金の与条件との適合が必要みたいにね。でも、家のトイレの内装は、施主の場当たり的な選択で決まることができるし、まあ、無難なものなら何を選んでもその家に住むのに不都合は無いみたいな部分にも生物進化にはあるということなんですよ。

でもって、ご紹介の話に、「この家のトイレがピンクの花柄なのは、土地や資金の関係があるのだろう」としているみたいな部分を根底に感じたりする訳ね。

by 技術開発者 (2009-06-18 08:31) 

zorori

記事の情報だけからの想像にすぎませんが。

・防音装置で隔離され教育を受けないと耳障りな歌を歌う。
・耳障りな歌を歌う鳥の教育を受けた鳥は、少しましな歌を歌う。

これらのことからは、耳障りな歌でも聴くことが重要であると推測されます。目隠しをされて育てられたねこは視覚器官に異常が無くても目が見えなくなるそうですが、それと同じことが聴覚で起きているような気がします。

つまり、歌を覚える以前に先ず聴覚の発達が必要だけど、初代はそれが阻害されたということではないかと。2代目以降は、聴覚は育ったので、悪い見本なりに歌を覚えたというような仮説は立てられると思います。聴覚について調べれば確かめられると思います。

文化がどうのこうのという話ではないのかもしれません。
 
by zorori (2009-06-18 20:13) 

pooh

> 技術開発者さん

> その選択に何らかの要因はあるのだけど、その要因が必ずしも与条件と結びつく必要は無い

これ、考え方によっては、影響力の微細な要因が猛烈な数で重なり合って、結果として選択される、とも云えるかもしれない、とも思うんです。ただ、現実的に全部を検討するのは無駄だし、それって事実上「偶然」として捉えても同じことで。

支配力の大きい要因はあるでしょうし、それがどんな影響を及ぼしているのか、について研究・解明することに意義がないとも思わないんですが、その要因単体の影響を過大視する、と云うような考え方に危機感を感じるんですね。で、この記事の角度に、ちょっとそう云うにおいを感じた、と云う話でした(みなさんのコメントに答えているうちに、なんとなく整理できた気がします)。

で、これってなんとなく、ぼくが茂木健一郎の言説に感じているものと質的に似通っているような。
by pooh (2009-06-18 21:55) 

pooh

> zororiさん

あぁ、そう云う機序と云うか順序と云うか、と云う部分もファクターとしてはあり得ますね。

…って、もしそう云う話だったらひどく元も子もないような。
by pooh (2009-06-18 21:58) 

進化生物学スキー

http://wiredvision.jp/archives/200411/2004110205.html

まあこのように、言葉を話すという文化を可能にする生得的能力がヒトには備わっているので、ある意味では文化が生得的に備わっているということでしょう。
ゼロから初めても、またすぐにヒトは主語や動詞や助詞のある言葉を話し始めるでしょう
by 進化生物学スキー (2010-10-14 08:13) 

pooh

> 進化生物学スキーさん

いらっしゃいませ。

> ある意味では文化が生得的に備わっているということでしょう。

最終的には、生得的なものと獲得されるものが両方ある、と云うことだと思います。…って、力むほどのこともないようなあたりまえのことを云って申し訳ありませんが(^^;。

前者をきっちりと把握して、後者を享受することができるようならいいなぁ、とか思います。
by pooh (2010-10-14 21:54) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

関連記事ほか

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。