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a cup [近所・仙台]

読売新聞に今年の元日から、杜の都  喫茶店物語と云う連載が載っていたのを知った。

仙台は喫茶店文化の街だ(だった)、とよく云われる。このことそのものは、それほどぴんとこない。
ぼくが喫茶店と云う業態の店舗をいちばんひんぱんに利用したのは中学の終わりから大学を卒業するまでで、なんと云うかこのころは、生活のなかでいちばん大事なのがまわりの人間とのサロン、と云うような状態だった。サロンが催される(べつにあらためて催すわけではないけれど)場所はどこでもよくて、それはそれこそサークルの部室だったり、一番町のベンチだったり、宮城県美術館の中庭のベンチだったり、駅前ペデストリアンデッキのベンチだったりした(お金のかからないところばかりだななんか)。そのなかで、喫茶店、と云うのが選ばれる場合もときおりあった、と云うだけで。だから、仙台で喫茶店文化が花開いていたのか、それが衰退していったのか、と云うことは実感としてはわからない。
ただ、いくつもの喫茶店がいまはもうないのは、知っている。

連載第1回でとりあげられている「珈巣多夢」にいちばんひんぱんに行ったのは、たぶん高校生のころかな。常連に漫画家(当時はアマチュアだったかも)のいまぜき伸さんなんかいたりして。喫茶店に行く、と云うことそのものが、まだ多少背伸びを伴う行為だったころ。
この店はいまも変わらず同じ場所にあって、と云うか定禅寺通界隈の定点、と云うような存在であり続けている(なくなったりしたらそうとう戸惑うだろう)。昔はなかった、いまぜきさんによるマスターの似顔絵が看板に追加されているけれど、高校生の時分はそんなに夜中に出歩いたりもしなかったから、マスターにはめったに逢えなかったなぁ。
界隈の老舗、と云う話をすれば、並びの「カフェ・ド・ギャルソン」も健在。

定禅寺通だと、なにより思い出すのは「ローエングリン」。巨大なオルゴールのある紅茶の店。ぼくらが高校生・大学生だったころには、姐貴分みたいな、広範な知識と高い美意識を持った年齢不詳の美女が仕切っていて、ときおりぼくらの馬鹿話に手厳しい意見をさしはさんでくれたりして。
ここはたぶん母体が紅茶輸入元のガネッシュで、アンテナショップみたいなものだったからまるきり商売っ気がなかった。いまは「ローエングリン」はなくなって洋服屋みたいな店になっているけれど、同じビルの2階と一番町の裏(旧町名で云うと末無横丁、のあたり)にティールームを出している。昔のような雰囲気はまるきりないけれど、これはこれで悪くない(とは云え、いまのぼくにとってはときおりカレーを食べに行く場所、になっているけれど)。

サロン、と云う話をすると、相棒だったイラスト描きとよくだらだらいたのが、広瀬通沿い・細横丁(晩翠通)のちょっと東にあった「ヌーブリ・エパ」。いつもおなじシャンソンのレコードがかかっていて、マスターの気が向くとたまに店内にあるピアノを弾いてくれる(これもいつも同じ曲。とちったときの言い訳も同じ)。ここも商売っ気がない、どころかときには店が開いているのにマスターがいなかったりして、ほかのお客さんが来るとなぜかぼくらが謝ってお引取りいただいたりとか。
ここは相棒が仙台を離れてからあまり行かなくなって、あるとき行ってみたらぼくらのころとはまるで違う層の常連でにぎわっていた。ここもいまはない。マスター、どうしているだろう。

広瀬通と芭蕉の辻の角には、「カリーナ」。いかにも女性向けのつくりに対してランチメニューに焼きそばがあったりする、妙な俗っぽさが特徴の喫茶店。ここももうなくて、でも経営母体は仙台一円にお洒落っぽいけど独特の安っぽさといんちき臭さの漂う飲食店を複数展開するカリーナ・グループとして昔以上の権勢を誇っている。
ぼくの大学生時代はan・anとか流行通信とか云うあたりの女性ファッション雑誌が異様に先鋭化していたころで、面白かったのでよくここで読んだ。

一番町三丁目からCoach(昔の高山書店)の脇道をちょっと入ったところの「Lindenbaum」は健在、と云うか行くたびにいつも満席に近い状態でにぎわっている(ビルの3階、と云う、ひどくわかりづらい場所にあるのに)。ここもそんなには行かなくなって、たまにチョコレート・クッキーを買ってくるぐらい。

さっき書いた末無横丁には「カフェ・ソコ」があって、先輩がアルバイトしていたりした。ひとりでぼけっと本を読んだりするのに最適な店。ここはビルの取り壊しとともに、ぼくがまだ仙台にいたころになくなったんだけれど、かつての「カフェ・ソコ」を受け継ぐ直系の喫茶店として近くにいまでも「AS TIME」があって、いつでも行けるのであんまり喪失感はない、かな。
このへんには小池真理子の小説で有名な「無伴奏」もあったはずなんだけど、名曲喫茶、と云うのに縁のなかったぼくは足を踏み入れたことはなかった。いや、ぼくが大学生のころにはもうなかったのか。

南町通には、「紫瑠比亜」があった。ここのコメント欄にお越しのかたで云えば、きくちさんなんかと時間を過ごし、JemさんやOSATOさんと出会った場所。うちのつれあいとも。いまはパチンコ屋になっているけれど。

そう云うわけで記憶をたどっていくといろいろあるのだけれど(北から南にたどってみました)、正直懐かしくてたまらないような感慨はない。結局のところ大事だったのはまわりにいる人間との泡になって消えていくような会話とか、目の前の開いた本とか、埋まっていない原稿用紙とか、だったりしたから、なのだと思う。それでも、それらのものに接してどのようなものを得るか、と云う部分については、店のしつらえや出される飲み物、そしてその店を利用したひとたちが積み重ねてきたなにかしら目に見えないもの、と云うのが簡単には切り捨てられないような影響を及ぼしてはいるんだろうな、とは感じる。そう云ったものが、結局のところそこに暮らすものにとっての、まぁ街の文化、と云うようなものなんだろうな。
今週末あたり、ひさしぶりにどこか喫茶店でも行ってみようかな。
タグ:近所 仙台
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コメント 14

たかぎF

ゴールデンウィークに帰ってたのですが,味噌を買おうと思ったら佐々重が消えていて途方に暮れました.
とりあえずお茶でも飲むかと Lindenbaum にむかったら,階段の上がり口のシャッターが下りてて入れず ...orz.でも,なくなったわけじゃなったんですね >Lindenbaum

なくなってしまった喫茶店というと,"詩季"(or"詩仙")が思い浮びます.カフェオレを頼むとコーヒーのポットとミルクのポットを持ってきて高いところからドドーッっと注がれるのとか,うっかりカフェロワイヤルを頼んだら照明暗くされてちょっとはずかしいとか,なつかしいです.
あ,あと電力ビルの裏の通りの広瀬通に近いあたりに,狭い3階建てくらいのヘンな喫茶店があったと思うのですが,名前が思い出せません.飲み物・食べ物の名前が無闇に長かったり,水が時々ヘンな入れ物(お椀とか柄杓とか)で出てきたり,店員が被り物かぶってたりして.たしか '90年より前に建物ごとなくなってしまったのですが,そこはいまだに何も建ってない(多分)んですよね.

by たかぎF (2009-05-28 01:43) 

pooh

> たかぎFさん

> Lindenbaum

まだありますよ。しかもいつも混んでます。
# いまだにときおりたどりつけなかったり。

> "詩季"(or"詩仙")

ありましたね。
あの種のだだっ広い型喫茶店はドトールとかシアトル系のチェーン店でもまかなえるのか、ずいぶん減りました。

> 狭い3階建てくらいのヘンな喫茶店

あ、こっちはわかんないです。どのへんだろう。
by pooh (2009-05-28 07:27) 

たこい

ああ、漢字で書くと「紫瑠比亜」だったっけ。字面はすっかり記憶の彼方だったなあ(笑)。

#「紫瑠比亜」はもうなくなっちゃったけど、「カルタゴ」は健在のようですね。

by たこい (2009-05-28 07:44) 

pooh

> たかぎFさん

書き忘れてました。
佐々重は家具の街に移動しました。
by pooh (2009-05-28 21:58) 

pooh

> たこいさん

あ、じつはあんまり漢字には自信ないです。とくに「比」は微妙。

カルタゴはまだやってますね。日付が変わるまで国分町にいることはほとんどなくなりましたけど。
by pooh (2009-05-28 21:58) 

OSATO

僕が喫茶店に入る年頃になった頃は、すでに仙台住民ではなくなっていました(地方の大学→東京)。故に、仙台の喫茶店についてはほとんど知りません。
ただ、長い東京暮らしからこちらに帰ってきた時、「民謡会館」がまだあった事には大いに感動したものでした(^^;)。
by OSATO (2009-05-29 00:59) 

たかぎF

あ,佐々重は,結局途方に暮れながら母に「味噌屋がないんだけど!」と電話をかけて場所を聞いて,行ってきたのです.折角行ったのに,普通の仙台味噌の測り売りがなくなっていて,用は足りませんでしたけど orz

ヘンな喫茶店は,多分,広瀬通のマクドナルドの南隣です…いや,すぐ隣じゃないかもしれないけど,その並びでした.

それにしても,「今はない喫茶店」は確かにいくつか思い浮びますが,本屋と靴屋の消えっぷりにくらべたら,喫茶店は意外となくなってない気がしますね (少なくともこの20年では).

by たかぎF (2009-05-29 01:53) 

pooh

> OSATOさん

あれれ、はじめてお会いしたのは紫瑠比亜ではなかったでしたっけか。

民謡会館ってどこだろう。
うたごえ喫茶「バラライカ」はまだありますけど(入ったことはないですが)。
by pooh (2009-05-29 07:27) 

pooh

> たかぎFさん

> 広瀬通のマクドナルドの南隣

あの界隈(とくに中央通側に抜ける横丁)って、昔から微妙にあやしいですよね。好きですけど。

喫茶店ってインディペンデントで、自分の顔で商売している部分があるんで、そこにニーズが残っているかぎり生き残りやすいのかな、とも思います。仙台の本屋や靴屋ってあんまりそう云う、自分の顔、みたいなのがはっきりと打ち出されていないところが多かったのかも(靴のヤナギヤ、なんかはまぁ別でしたけど)。
by pooh (2009-05-29 07:31) 

pooh

つれあいに話を振ってみたら、でてくる喫茶店の名前がまるきり違う。
文化的な生息エリアの違いなのか、男の子と女の子の違いなのか。うむむ。
by pooh (2009-05-29 08:37) 

OSATO

ああそうか「紫瑠比亜」!思い出しました。
あの時はただ他の人に付いていっただけだったから、それがどの辺にあったのかまるで覚えていないんですよ。
というより、口頭でその名を聞いていただけだったので、僕の頭の中ではカタカナ表記でして、あの頃仙台で入った数少ない喫茶店の一つでしたね。
そうか、あの時がお初でしたか。思えばあれから長い年月が流れましたね。

民謡会館とは、旧東映パラス(現東映プラザ)の向かい側奥にあった宴会飲み屋(及び雀荘)です。現在は○△□(まるさんかくしかく)という店に変わっていますね。↓
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/sendai/1970.html
by OSATO (2009-05-30 00:12) 

pooh

> OSATOさん

> 思えばあれから長い年月が流れましたね。

ねぇ。当時紅顔の美少年だったぼくもいまや(^^;。

> 現在は○△□(まるさんかくしかく)という店

あぁ、あそこですか。
by pooh (2009-05-30 05:31) 

Jem

そういえばあれは、赤のピンヒールなんぞをはいていて、ルージュはルージュだった頃だった。
(「何もかもみななつかしい」   ・・・ってか?)

by Jem (2009-05-30 14:43) 

pooh

> Jemさん

ぼくはあんまりモードに引きずられないたちなので、当時もいまもあまり変わらないけど。編み上げの安全靴は履かなくなったかな。
by pooh (2009-05-31 08:03) 

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