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リテラシーと心情 [よしなしごと]

サイエンスカフェ・ポータルのK_Tachibana さんがお書きになった【イベントレポート】理研ゲノム医科学研究センターシンポジウムと「オーダーメイド医療を考える」シンポジウムをハシゴしてきたと云うエントリの中で、興味深い一節があった。

個人的には,理研ゲノム医科学研究センターシンポジウムでの鎌谷直之さんの話が,
非常に興味深かったです.彼は,遺伝学と統計学が弱体な日本の問題点として,次の
ことを挙げていました.

1)100%でないと「意味がない」と主張する
  (医学,生物学に統計学は要らない)
2)少数例の印象で関連性あり,という結論をすぐ信じる
  (ABO型の血液型と性格)

似非科学や科学リテラシーの問題と,紙一重の話ですね.
この両者のロジックは、ご指摘のとおりニセ科学を支持するような言説では非常に頻繁に使われる。典型的には「科学ですべてのことがわかるわけじゃないじゃん → 科学的じゃないからと云って、信じちゃいけないわけじゃないじゃん」みたいに。
これは「科学でわからないことがわかるんだったら科学じゃないじゃん → 科学じゃないのに『科学』を名乗っていたらニセ科学じゃん」みたいに非常にわかりやすく反駁できて、そうするとだいたい「現代科学を絶対視するなんて、この科学教信者め」とか「波動科学は現在のいきづまった科学を超えるものだから」とか云う反論が返ってくる、と云うのがまぁお定まり、と云うかそのへんでだいたい議論をあきらめることになるんだけど。

人間の基本仕様論じゃないけれど、やっぱり人間はそう認識しがち、と云うことなんだろうか。
このへんのことって、おおざっぱにでも「科学」と云うものがどう云うものかあたまに入っていればあまり陥らないですむ種類の堂々巡りのように思う。で、そこを念頭に入れるのって、科学リテラシーの問題と云うほど大仰なものじゃないようにも、思うのだけどなぁ。
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K_Tachibana

TBいただき,ありがとうございます.

今日も会社帰りにMiraikanに寄って,いろいろとだべってきたのですが,ゆるーくとらえていいんじゃないかなあと個人的には思っています.

ゲノム医療の話は,かなりコミュニケーションが難しい,と当のゲノム医科学を先導するトップ研究者の方は思ってられるようで,一度彼らとゆるーいコミュニケーションの機会がもてればいいなあと思いつつ,なかなか機会にはめぐまれません.
by K_Tachibana (2009-04-08 23:42) 

pooh

> K_Tachibanaさん

いらっしゃいませ。
(はじめてSo-net Blogの「簡単トラックバック」機能を使いました)

こう、まるで的外れなお話かもしれないのですが。

ゲノムに関係するお話って、どうも人文学的な問題とリンクしやすい、そちらの方面からの関心を呼びやすい要素があるようにも思うんですよ。そう云う部分で人間のなまの感情みたいな部分も刺激しやすいような。
そう云った面倒さをいかにクリアするか、と云う点で、ちょっとコミュニケーションに工夫が必要な部分が出てしまうのかな、みたいに感じます。
by pooh (2009-04-09 07:36) 

YJS

こんにちは。

> 遺伝学と統計学が弱体な日本

たまたま放送大学で統計学を聞いていたのですが、1)日本の中学校学習指導要領の2008年3月の改訂で記述統計の内容が少し入った、2)1998年(平成10年)実施の学習指導要領には統計関連の内容はほとんど入っていなかった、3)アメリカでは2000年から小学校の授業で統計の内容に触れている、とのことでした。
この点からすると、確かに日本ではやや弱体、と言えると思います。

ただ、遺伝学と統計学が弱体であること・弱体なのが問題であることは、それはそうなのでしょうが、文学で医療倫理学でも経済学でも数学でも、弱体ならそれはそれで問題と言えば言えるので…ニセ科学との関連で言うと「遺伝学と統計学」に特に注目すべき何かがあるということなんでしょうか。
いえ、個人的に統計学(とか確率論など)に興味を持っているということがあり、何かがあると「うれしい」という。

あと、遺伝学や統計学が弱体な理由にも興味があります。シンポでは何か言及されていたのでしょうか。
確率論とか統計学について言えば、それが弱体なのは日本だけに限らないような気がしていて…モンティ・ホール問題(や、論理語「ならば」に関する四枚カード問題など)に見るように、それらに直観でうまく対応できないのは割とヒト普遍的なような。
単純で簡単そうに思える問題「サイコロの1〜3を赤色に塗り、4と5を青色に塗り、6を黄色に塗り、そんなサイコロを2個用意して振る時、色の出る組み合わせで一番可能性が高いのは?」に対して、赤と赤の組み合わせ、と答えてしまいがちですから。
by YJS (2009-04-10 13:33) 

zorori

YJSさん、こんばんは、

サイコロの問題、計算しないで直観だけだと間違いますね。
モンティ・ホール問題の変種を見つけました。

心理学者は確率計算が苦手?
http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=08/04/12/0419234
by zorori (2009-04-10 19:47) 

きくち

モンティ・ホール問題は僕もよく例題として使います。ただ、あれは統計がわからないから間違えるのではなく、「ある程度知っているから間違える」問題だと思います。数学者も間違える例として知られていますし。むしろ、統計を知らない人は根拠なく正解するかもしれません。
 
たぶん、必要とされているのはもっと基本的なレベルの統計で、そもそも統計的に考えるとはどういうことかというような話ではないでしょうか。

by きくち (2009-04-10 20:01) 

YJS

zororiさん、きくちさん、皆さん、こんにちは。

zororiさん writes:
> サイコロの問題、計算しないで直観だけだと
> 間違いますね。

うっ…先の投稿では解答が抜けてましたね。
赤と青の組み合わせが一番可能性が高いのです。確率は12/36=1/3。それに対して赤と赤の組み合わせの確率は9/36=1/4です。
サイコロが1個だと赤が出る確率が1/2で一番高いのですが、それが2個になっても同じ…ではないところが(もしかしたら)反直観的な例です。

きくちさん writes:
> モンティ・ホール問題は…「ある程度知ってい
> るから間違える」問題だと思います。

あぁ、なるほど。するとあまり適切な例ではなかったかもしれません。
ニセ科学に関して特に統計的なリテラシーが重要な理由があるのかなぁということと、何か統計的なリテラシーを身につけるのに日本特有の阻害要因があるのかなぁということ、このふたつに興味があったのでした。

by YJS (2009-04-10 21:42) 

pooh

> YJSさん

> ニセ科学との関連で言うと「遺伝学と統計学」に特に注目すべき何かがあるということなんでしょうか。

いや、とりわけそう云うお話ではないと思いますし、ぼくもそのような意図でこのエントリをあげたわけではありません。K_Tachibanaさんが理研ゲノム医科学研究センターシンポジウムでお聞きになった内容に、ニセ科学の蔓延と通底するものがあった、と云うことですね。
ただぼくが思うに、ゲノム関連の話題には、そのような要素とつながりやすい部分があるのかも、と云った、まぁ感想でした。

> あと、遺伝学や統計学が弱体な理由にも興味があります。

もとエントリに引用された講演の内容からすると、まぁそう云う実態はあるんだろうなぁ、みたいに思います(ぼくも統計学はもうすこし勉強しなきゃ、と思います。ぼく自身が弱体なので)。そこを、科学リテラシーの欠如、と云う部分に求めた、と云うことかと。
by pooh (2009-04-10 21:48) 

pooh

> zororiさん、きくちさん

モンティ・ホール問題ってなんだっけ、とかちょっと思い出せませんでした。

調べて思い出したんですが、これ、完全にぼくには感覚的にわからないです。ヒューリスティックの支配下におります。
by pooh (2009-04-10 21:51) 

黒猫亭

サイコロの件は、理屈がわかれば直観的に受け容れ可能なのではないかと思います。一番多い色同士の掛け合わせよりも、一番多い色と二番目に多い色の掛け合わせのほうが、場合によっては確率が高くなると謂うことですね。

モンティ・ホール問題のほうは、理屈がわかっても直観的には受け容れかねるところがありますね。人間の認知が絡んでくると確率がどう変わるのかと謂う話だと思うんですが、その辺がちょっと感覚的にわかりにくいですね。
by 黒猫亭 (2009-04-11 01:21) 

TAKESAN

今晩は。

私は、一般的に言って、ニセ科学の問題には「統計」の問題が決定的に重要だ、と思っています。何故なら、そもそも「科学」において統計が決定的に重要だから、ですね。
科学での定量化、日常的な言葉を使えば「程度問題」の話は、まさに確率・統計の話ですよね。それと、皆さんが出された例題のように、そもそも直感と整合しないのを知る事も出来るので、メタにものを見るのを養える。

統計って、料理における包丁みたいなもので、色々の種類の包丁を精確に使いこなせる必要は(専門家以外は)無いけれども、おおまかな使い方くらいは知っていた方だ良い、という感じだと思います。

ブログで教えてもらったのですが、学習指導要領改訂で、数学のカリキュラムが、統計を学ばせるという目的においては、より好ましいものになったと思います。

余談。
四枚カード問題を心理学のテキストで初めて見た時に、「そりゃ問題の出し方がおかしいだろう」と思った、というのはここだけの話です。
by TAKESAN (2009-04-11 03:58) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 理屈がわかっても直観的には受け容れかねる

この「直感的に」と云うの、いろんな意味でキーワードかも、とか思います。まぁ、同じ「直感」と云う言葉を使っても、たぶんそのベースになる認識にはいろんなバリエーションがあって、内実には相違があるんでしょうけど。

モンティ・ホール問題、ぼくはまったく納得できないんですよ。はからずも自分自身を材料に、そう云う感覚の強固さを実感しております。
by pooh (2009-04-11 06:20) 

pooh

> TAKESANさん

統計的な考え方の重要性については、そちらを読ませていただいて認識しつつあります。いまここにそれを欠いた人間がいることを目の当たりにしております。自分ですけど。

> 「程度問題」の話

まさにそれをうらづけるのが、統計的発想、ですよね。
わからないとか云ってないでちょっとでも勉強すべきだなぁ<ぼく
by pooh (2009-04-11 06:25) 

zorori

確率の問題がしばしば直観的に受け入れられないのは、出題の形式があいまいにならざるを得ないのだけれども、受け取る側はあいまいとは感じずに明確な出題だと思ってしまう点にあると思います。

モンティ・ホールの問題では、「司会者が残り二つのドアのうち当たりを知っていて必ずハズレを開ける」という条件が決定的に重要なのですが、それほど重要だとは私も最初は分かりませんでした。「司会者も正解を知らずにあてずっぽうで一つのドアを開けたところハズレであった」となると全く結果は違ってきます。ところが、そんな条件が重要だとは感じないわけです。その条件がなければ出題としてあいまいで解答不能なのに、明確で解答可能なように勘違いしてしまうんですね。

別の言い方をすれば、自分の頭の中で勝手にどちらかの条件であると思いこんでしまうのだと思います。この思い込みを無くすのが非常に難しいわけです。二つの条件があることが分かってしまえば、どちらに相当するのかと考えることができます。ところが、条件は一つだから選択肢はそれしかないと思い込んでしまうと全く納得できなくなってしまいます。


一般的にいうと、二つの事柄が「同様に確からしい」かどうかは結構難しい問題なのですが、明確であると勝手に思い込んでしまうのだと思います。

by zorori (2009-04-11 07:43) 

きくち

僕もニセ科学問題では確率・統計が非常に重要だと思います。
ゼロリスク信仰なんかもそうですよね。

モンティ・ホール問題は、たとえば第一の扉が当たりだったとして、すべての選択パターンを書き出してみればわかります。
初めて聞くと、相当統計に詳しい人でも間違えかねない問題です。僕も今でこそ「全部書き出せば」と言いますが、初めて聞いたときには理解するのにずいぶん時間がかかりました

by きくち (2009-04-11 10:00) 

YJS

poohさん、みなさん。こんにちは。

poohさん writes:
> K_Tachibanaさんが理研ゲノム医科学研究センター
> シンポジウムでお聞きになった内容に、ニセ科学の蔓
> 延と通底するものがあった、と云うことですね。

はい、了解です。なんか、エントリを挙げた意図と違う方向に燃料を投下してしまったかもしれなません。

TAKESAN writes:
> ブログで教えてもらったのですが、学習指導要領改
> 訂で、数学のカリキュラムが、統計を学ばせるとい
> う目的においては、より好ましいものになった…

TAKESANのブログを拝見しました。「ウッちょん」さんのコメントに文科省の学習指導要領へのリンクがあり、内容を確認できました。感謝です。
中学校では従来の「数と式・図形・関数(代数/幾何/解析に相当)」に加えて、「資料の活用」というのがあり、これが統計に関する内容でした。これ、3年間毎年やるのですね。
あと高校では、数学I(必須)に「データ分析」が追加されていて、数学Bには推測統計まで含まれているようでした。数学Bでは統計が選択されるとは限らないのが残念ですが、できるだけ実施して欲しいとは思いますね。

もうひとつ、統計の重要性について。私は全く同感です。もしかしたら(私が)統計学に興味を持っているからかもしれない…と思って、他の方の意見も聞いてみたかったのです。ありがとうございました。

あと、なんと言いますか、統計が弱体である理由にもしかして直観のバイアスとかがあるのかなぁ、と思って挙げてみた四枚カード問題について。「P→Q(PならばQ)」の「→(ならば)」の定義は論理学の初学者にとっても最初に違和感をもつところではないかと思っていて、ウェイソンの課題の方はモロにそっちの方の解釈(というか定義)なんですね。つまり「P→Q」を「¬P∨Q」と判っていると容易なんですが、そもそもの解釈(¬P∨Q)に違和感を感じ易いことを考慮すると、「問題の出し方がおかしいだろう」と感じるのはTAKESANだけではないと思います。
論理語「ならば」については、もしかしたら後で鴨さんがコメントを寄せて下さるかもしれませんが、その違和感に引っかかったまま「ものスゴい論理学(揶揄がこもってます」を構築してしまっ(て、WEBで公開していて、それを販売する(!)まで行っ)た人がいました。

by YJS (2009-04-11 10:47) 

pooh

> zororiさん

> 出題の形式があいまいにならざるを得ないのだけれども、受け取る側はあいまいとは感じずに明確な出題だと思ってしまう

これ、「問題」と云う形式をとらない状態で、日常的にけっこう頻繁に起きるわけじゃないですか。明解さの水準がわからない(判断できない)ことがら、みたいなものは日常触れる情報にはたくさんあって。

このあたりで、ニセ科学の問題と接続するようにも思います。
by pooh (2009-04-12 05:36) 

pooh

> きくちさん

> 「全部書き出せば」

日常とのアナロジーで云えば、いかにしてそのコストを省略するのか、と云う問題だったり、みたいにも思います。
by pooh (2009-04-12 05:38) 

pooh

> YJSさん

統計的な考え方の意義、と云うのは、ひょっとして「専門家は自明のこととしてあらためて言及せず、非専門家は日常のなかではなかなか気付かない」と云う種類のことがらの典型のひとつなのかも。

このあたりやっぱりまとまった論考があがっているのは、TAKESANさんのところかなぁ、とか思ったりします。
by pooh (2009-04-12 05:45) 

zorori

poohさん、おはようございます。

>これ、「問題」と云う形式をとらない状態で、日常的にけっこう頻繁に起きるわけじゃないですか。明解さの水準がわからない(判断できない)ことがら、みたいなものは日常触れる情報にはたくさんあって。

ちょっと、脱線かもしれませんけど、
「時そば」なんかを連想します。物は言いようというか。

モンティ・ホールの問題を次のように言い換えで見るとどうでしょうか?

3つのドアのうち、ひとつを回答者1が選ぶ、残り二つは回答者2に与える。
回答者1と2のどちらが有利か?

次に、時そば風に余計な情報を加えます。

正解を知っている出題者が回答者2の二つのドアのうちハズレドアの一つを回収する。これで、回答者1も2も一つのドアしか与えられていないので平等になったといえるか?


>このあたりで、ニセ科学の問題と接続するようにも思います。

そう思います。思い込みとか勘違いとか。
by zorori (2009-04-12 07:42) 

黒猫亭

>zororiさん

>>モンティ・ホールの問題では、「司会者が残り二つのドアのうち当たりを知っていて必ずハズレを開ける」という条件が決定的に重要なのですが、それほど重要だとは私も最初は分かりませんでした。

マリリン・ボス・サバントと謂う人の解説記事が「間違っている」と謂う話になったのは、この条件を視聴者が識らなかったから、と謂うことですよね。モンティが正解を識っているのといないのではまったく事情が異なると謂うのは、たしかに直観的にはわかりにくいです。

しかし、第一の選択が行われた後に、選択肢自体は絞り込まれるが確率は変動しない、と謂うふうに解釈すると、そんなにわかりにくい問題でもないのかな、とは思います。

第一の選択の時点で解答者が当たりを引く確率は三分の一ですから、ハズレを引く確率は三分の二でその二倍です。で、解答者が当たりを引いていた場合、モンティがハズレを一つ除外しても残りはハズレですが、解答者がハズレを引いていた場合は、もう一つのハズレをモンティが除外してくれるので残りは必ず当たりです。つまり、もしも解答者がハズレを引いていたら、最終的に残るもう一つのドアは「必ず」当たりです。

つまり、問題は解答者が最初に当たりを引く確率とハズレを引く確率の割合に一本化されるわけで、ハズレを引く確率が当たりを引く確率の二倍なのですから、解答者が最初に選んだドアが当たりである確率よりも残りのドアが当たりである確率のほうが二倍高い。

この場合、第一の選択が行われた後に、残りのドアからハズレが除外されると謂う条件が必ず必要ですね。モンティが正解を識っているかどうかと謂うのは、「残りのドアからハズレを除外する」と謂う操作に必要な条件附けと謂うことでしょうかね。

きくちさんが「書き出してみればわかる」と仰ったのは、人間は「どう謂うパターンが在り得るか」と謂う逐次的な想像力がそれほど正確ではなくて、多くの場合大掴みな印象に頼っていると謂うことなんでしょうね。
by 黒猫亭 (2009-04-12 14:17) 

黒猫亭

これ、ちょっと計算したら、ドアの数を増やしても「残りのドアからハズレを除外する」と言う操作が加わることで、必ず残りのドアから選び直したほうが確率が高くなるみたいですね。逆にドアの数を減らして二つのドアにすると物凄くわかりやすい、と謂うか設問が成立しないので、三つと謂うのがちょうどバランスが好いと謂うことですかね。
by 黒猫亭 (2009-04-12 16:43) 

pooh

> zororiさん

> 「時そば」なんかを連想します。物は言いようというか。

そう考えると、自然科学的な意味だけでの「リテラシー」と云う問題ではなくて、と云う気もしてきます。いや、逆に、そのあたりは自然科学的な考え方をベースに、懐疑的発想を持つことで磨かれていくのかも。
by pooh (2009-04-12 21:05) 

pooh

> 黒猫亭さん

理屈はわかっても(いや、理屈そのものは前から知っていたんですが)まるきり腑に落ちないぼくがここに。

> 三つと謂うのがちょうどバランスが好い

バランスがよい、と云うか、ぎりぎりですね。
by pooh (2009-04-12 21:08) 

きくち

可能なパターンを全部書き出してみるというのは、こういうパターン数が少ない場合にはかなり有効な方法です。
その上で、自分の思考の順序をそのパターンに重ね合わせてみれば、どうして直感に反するのか、なんとなく見えてきます。

by きくち (2009-04-12 21:19) 

黒猫亭

>poohさん

>>理屈はわかっても(いや、理屈そのものは前から知っていたんですが)まるきり腑に落ちないぼくがここに。

オレのほうは、「最初に当たりを選んだら残ったドアはハズレで、ハズレを選んだら残ったドアは当たり」と謂うパターン以外考えられないことがわかったら、大分腑に落ちました。

>>バランスがよい、と云うか、ぎりぎりですね。

これ、四つ以上にすると残ったドアが複数になってその中からさらに選ぶ必要がありますから、もっとわかりにくくなりますね。二つにすると、残りがハズレのときだけ開けるとかドアの中身を入れ替えるとか、クイズとして無意味なルールになりますから、三つがちょうどいいのかな、と。
by 黒猫亭 (2009-04-12 21:53) 

黒猫亭

>きくちさん

>>その上で、自分の思考の順序をそのパターンに重ね合わせてみれば、どうして直感に反するのか、なんとなく見えてきます。

やっぱりアレですね、プロセスや操作の如何によらず、ハズレが一個除外されても残りは当たりとハズレなんだから、どっちに当たりがあるかは二分の一の確率で、変えても意味がないと思っちゃうんでしょうね。
by 黒猫亭 (2009-04-12 22:02) 

pooh

> きくちさん

まさに「順序」と云うお話ですね。「経路」と云ってもいいんだろうけど、もっと直截に、順序。
その部分、みなさんとお話しているうちにだんだん自分で見えてきて、面白いです。
by pooh (2009-04-13 07:26) 

pooh

> 黒猫亭さん

じつはすこしづつ、自分のなかで紐解けてきていて。
そうすると、そもそも自分のなかにあったバイアス、と云うものの所在に光が当てられるような気がしてくる、と云うあたりで、ちょいとしたスリルだったり。
by pooh (2009-04-13 07:28) 

きくち

黒猫亭さん
そうですね。
はずれ二個のうち、ひとつは開いたのだから、残りは当たりとはずれがひとつづつ。どちらを選んでも確率は1/2だ。でしょう。

司会者はどのドアがはずれなのか知っているというのがポイントですね。もし、挑戦者が最初にはずれのドアを選んでいれば、司会者が残りのドアのどちらを開くかは確定しているわけです。


by きくち (2009-04-13 09:03) 

黒猫亭

>poohさん

この場合、モンティが「どれがハズレか識っている」「ハズレのドアを開ける」と謂うのが重要だと謂うことになっていますが、これはそうじゃない場合を考えるとわかりますね。

まず「どれがハズレか識らないし、ドアを開けない」とすると、物凄く話は簡単で、残ったドアが当たりかハズレかと謂うのは、三人で順番にドアを選ぶ場合と変わらないんですね。解答者、モンティ、残りのどれが当たりであるかは全部三分の一の確率で、最初から何も変わらないんです。これは、三つのドアの何処に当たりが入っているかと謂うふうに言い換えが可能ですね。

第一の選択で当たりを引く確率と謂うのは、解答者が選んだドアに当たりが入っている確率ですから、ハズレを引く確率と謂うのは解答者が選ばなかったドアに当たりが入っている確率のことですね。何か馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことを言ってるような気がしますが(笑)。

で、普通に考えると前者よりも後者のほうが確率が高いけれど、もし第一の選択がハズレだったと仮定しても、残りの二つの内のどちらに当たりが入っているかは依然としてわからないし、これは何回やり直しても同じことです。三つの内から一つを選ぶと謂う操作で当たりを引く確率が三分の一である為には、この「最初にハズレを引いていても、残りの二つの内のどちらに当たりが入っているかは依然としてわからない」と謂う条件が必須だと謂うことがわかります。

ところが、モンティ・ホール問題のルールでは、残った二つのドアの内からハズレのドアを除外してくれるわけですから、第一の選択がハズレなら残りは必ず当たりになって、第一の選択でハズレを引く確率が、そのまま残りのドアが当たる確率になってしまうわけです。

モンティが「どれがハズレか識らないし、ドアを開けない」なら、「残りの二つの内のどちらに当たりが入っているかは依然としてわからない」と謂う条件に変わりないので、まったく確率は変わりません。しかし、「どれがハズレか識っていて、ハズレのドアを開ける」ことで、第一の選択でハズレを引いていれば残りのドアに当たりがあると謂うことが確定されますので、この両者の間で確率が変わってくると謂うことですね。ここまでは単なる繰り返しの説明です。

で、直観との関係で謂うと、まず、第一の選択でハズレを引く確率のほうが高いと謂うのは直観的に受け容れ可能ですよね。その場合、残りの二つのどちらかに当たりがなければならない、これも受け容れ可能です。この二つの内からハズレが確定され除外されれば残った一つは当たりだと謂うことも直観的に理解出来ます。だから結論としては、最初にハズレを引く確率がそのまま残りのドアが当たりである確率に均しくなる、これは順番に考えていくと何処も直観に反しないわけです。

しかし、そう謂うふうに順序立てて考えないと、モンティがハズレを開けても、それでこれまでのプロセスが仕切り直されて、それ以外の二つのドアの間の二択になっただけ、と謂う印象が発生するので、二つのドアのどちらに当たりがあるかの確率に不均衡があると謂うことが不自然に感じるのだと思います。

ただし、そう謂うふうに考えてみると、この場合に「モンティがハズレを識っていること」が重要かどうかと謂うのは、見方によると謂うような気がしてきました。

たとえば、「どれがハズレか識らないが、ドアは開ける」「モンティが当たりを引いたらゲームオーバー」と謂うルールであれば、ハズレを引いた時だけ残りのドアに当たりがある確率を考えることになりますので、事情は変わりません。

一方、三分の一の確率でモンティが当たりを引くリスクまで織り込むのであれば、「解答者が一連のプロセスの後に選択を変えて当たりを引くことが出来る確率」が三分の二の三分の二で九分の四になると謂うことで、「何の確率であるのか」が変わってくることになります。

つまり、「残りのドアに当たりがある確率」と謂う問題は、モンティが当たりを引いた場合は〇%ですから、ハズレを引いた時だけ成立する設問です。これは「必ずハズレを引くこと」と「考察上の意味」は変わらないわけですから、実はモンティがハズレを識っていようがいまいが関係ないと謂う言い方も出来るかもしれません。

だとすれば、この場合に最も重要なのは、第一の選択の後に「ドアを開けること」で、それによって残りの選択肢の内から一つを確定して条件を変える、と謂う操作だと謂うことになるでしょうか。
by 黒猫亭 (2009-04-13 15:35) 

YJS

poohさん、みなさん。こんにちは。

poohさん:
> このあたりやっぱりまとまった論考があがって
> いるのは、TAKESANさんのところかなぁ、とか
> 思ったりします。

私の方からは、実際に確率・統計を学ぶという観点からの、ネットで読めるおススメ文書をご紹介します。(実際にその分野の流儀に従って学習してみる、というのも場合によっては有効だと思ってますので。)
著者は「プログラミングのための線形代数」を出されている方です。
=== 引用1、ここから ===
『プログラミングのための確率統計(仮題)』が欲しかとです…書くと決めたわけじゃないけど、ためし書き。
需要調査とレビューを期待して、晒してみます。
=== 引用1、ここまで ===
つまり、いずれ書籍化予定のものを現時点で公開しているようです。

URLは次の通りです。
http://www2.plala.or.jp/xyzt/pscs/

原稿PDFの「全体」の方に含まれる能書きだけでも楽しく読めます。
現代的な(したがってコルモゴロフ流の)確率論の枠組みに従って構成されているのですが、数学のプロを目指さない人向けとはっきり書いてますし、初っ端にモンティ・ホール問題が現代的な枠組みに沿った形で扱われています。
また、確率・統計を「現代において学ぶ意義」というのが能書きにあり、適用分野として遺伝子解析やデータマイニングやスパムフィルターなどが挙げられています。
=== 引用2、ここから ===
確率・統計といえば、めんどうな数えあげから始まって公式だの「○○検定の手順」だのを習いながらも、結局、実際の仕事に役立つのは「表計算ソフトの操作法」…といった印象を持たれがちです。
使わないと「科学的」「客観的」とは認めてもらえないから、しかたなく所定の手続きに従う、という消極的動機で接している方も多いかもしれません。
しかし、このところ、「一歩進んだ賢い情報処理」のために確率・統計を積極的に活用する場面が実は増えています。
=== 引用2、ここまで ===

私はこの文書に出会って初めて、測度論とかルベーグ積分の本を読んでみようという気になりました。

by YJS (2009-04-13 17:51) 

きくち

「プログラミングのための線形代数」はあります。けっこうかゆいところに手がとどきます。
モンティ・ホール問題は、「数え上げ」ではなくてベイズ推定の例題として扱われることが多いようです。たしかにそれでもいいのですが、いきなりベイズにするより、まずは数え上げてから、ベイズで解釈しなおすのがいいかなと考えています。
最近、「ベイズな予測」という本を買いました。最初の例題は本質的にモンティ・ホール問題です。まだ頭のほうしか読んでないのですが、わかりやすいかもしれません。

by きくち (2009-04-13 17:57) 

zorori

>はずれ二個のうち、ひとつは開いたのだから、残りは当たりとはずれがひとつづつ。どちらを選んでも確率は1/2だ。でしょう。

明日の朝、東から日が昇るか、そうでないかの二通りなので、東から日が昇らない確率は1/2であると同じですね。で、これは必ずしも間違いではなくて、地球の知識が全くない宇宙人にとっては、そのように判断するのが最も妥当ということかなと思います。

同様に、経緯を全く知らない人にとっては、残った二つのドアのどちらも当たりの確立は同じ1/2ですが、片方は司会者による選別を経てきたという情報を知っていれば、2/3になるわけですね。

情報が確率に与える影響は、3枚のカードのうち一番大きな数のカードを当てるという問題に置き換えると分かりやすいような気がします。

解答者がAのカードを選んだ後で、BとCのカードのうち小さい方をディーラーが取り除きます。仮にCが取り除かれたとすると、A>Bの確率とA<Bの確率は?

Aのカードはなんら選別を受けていませんが、Bは選抜戦を1回勝ち抜いているという違いがあります。3枚のカードの大小関係は6通りありますが、C>Bの場合は排除されたということになりますね。






by zorori (2009-04-13 20:17) 

zorori

黒猫亭 さん、こんばんは、

>ただし、そう謂うふうに考えてみると、この場合に「モンティがハズレを識っていること」が重要かどうかと謂うのは、見方によると謂うような気がしてきました。

3枚のカードから最大値を当てる問題で考えてみました。解答者はAを選びます。

1. A>B>C
2. A>C>B
3. B>A>C
4. B>C>A
5. C>A>B
6. C>B>A

の6通りの可能性がありますが、大小関係を知っているモンティがBとCのうち小さい方Cを取り除くと、可能性は1.と3.と4.の3通りになります。A>Bは1.と3.の二通りに対して、B>Cは4.の一通り。

大小関係を知らないモンティがCを取り除いたところ、たまたまCは最大ではなかったとすると、可能性は1.と2.と3.と4.の4通り。A>Bは1.と2.の二通りで、A<Bは3.と4.の二通りで同じ。
by zorori (2009-04-13 20:37) 

pooh

> きくちさん、黒猫亭さん、zororiさん

やっとわかりました。
最初の選択とつぎの選択のあいだに、確定的な情報が追加されている、と云うことですね。なるほど。
ってどれだけ呑み込み悪いんだおいら。

とか云ってるうちに話はどんどん進んでいく…
いえいえ、ありがたいことです。
by pooh (2009-04-13 22:04) 

pooh

> YJSさん

ありがとうございます。ひとまず「冒頭」と「能書き」だけ読みました。

なんか仕事上の必要性にもからんでくる気がしてきた。
いくらかでも理解できていれば、うらづけ付きで考えられる幅が広がりそうな気がする。ちょっと勉強しなきゃ(などと口にする時点で怠惰さが染み出ていて恐縮です)。
by pooh (2009-04-13 22:05) 

YJS

きくちさん、poohさん。こんにちは。

きくちさん:
> モンティ・ホール問題は…ベイズ推定の例題として
> 扱われることが多いようです。たしかにそれでもい
> いのですが…まずは数え上げてから、ベイズで解釈
> しなおすのがいいかなと考えています。

私の先ほどのコメントで紹介したテキストでは、神様視点・ヘリコプター視点での数え上げ、もしくは全てのシナリオ描き切り・シナリオ別パラレルワールドの数え上げ、という形になっています。ですからまさに、きくちさんのご指摘のようなやり方だと思います。
考えてみれば、現代的な確率論は(有限に限らず無限であっても、必要に応じて)根元事象とσ加法族を設定しますから、数え上げ方式が基本と言って良いのではないでしょうか。そして確率(というか面積、というか測度)を付与して確率変数(という名前の関数)の振る舞いや極限を考える。

ベイズ流(主観確率)もフィッシャー流(頻度確率)も、どちらの確率の考え方でも公理的確率論で扱えるので、数え上げることをしてからベイズに解釈しなおすのが普通の流れになると思います。
しかし。やはり測度論(やルベーグ積分)は、集合論や位相空間や実解析の予備知識が要るのがネックかと。概収束まで行けば大数の強法則も確率過程もすんなり収まるんですが。割と涙が…。

きくちさん:
> 最近、「ベイズな予測」という本を買いました。

例題コードがPythonな「集合知プログラミング」、例題コードがJavaな「集合知 イン アクション」、などは如何でしょう?
今は手元に無い(会社に持って行ってしまった)のですが、どちらでも機械学習アルゴリズムや統計的手法が多く取り上げられていて、ナイーブベイズなども両方で言及されていたはずです。

poohさん:
> ひとまず「冒頭」と「能書き」だけ読みました。
> なんか仕事上の必要性にもからんでくる気がしてきた。

あっ、速いですね。役に立つようであれば嬉しいです。でも統計の方は執筆が遅れているようなのがちょっと残念。
統計的手法って、確率論とは逆方向というか、帰納的な考え方ですよね。科学的手法の根っこにあると言うか、したがってニセ科学的なものの解毒に有効というか。
つまり、知的な処理や意思決定支援などに使えるものだと思います。使う場面があると理解も深まりますよね。一緒に頑張りましょう。

by YJS (2009-04-13 22:43) 

きくち

あ、それは実に痒いところに手が届く。
いやね、モンティ・ホール問題をいきなりベイズで計算し始める本がけっこうあるんですよ(「ベイズな予測」もそうなんですけど)。それでは、なんでベイズでやるのかが伝わらんよなあ、と思っていました。

by きくち (2009-04-13 23:03) 

YJS

きくちさん、みなさん。こんにちは。

# 連投、すみません。

YJS:
> ベイズ流(主観確率)も…普通の流れになると思います。

すみません。上記引用部分は変な事を書いてます。
間違ってはいないと思いますが、文脈からして唐突な内容になってしまってます。
きくちさんの書かれている「ベイズで解釈」は条件付き確率におけるベイズの定理をベースにした計算のことだと思いますので、主観確率云々を言及する必要はありませんでした。

by YJS (2009-04-13 23:03) 

田部勝也

>きくちさん「いやね、モンティ・ホール問題をいきなりベイズで計算し始める本がけっこうあるんですよ(「ベイズな予測」もそうなんですけど)。それでは、なんでベイズでやるのかが伝わらんよなあ、と思っていました」

私の今の職業は校正者なんですけど(たぶん……(苦笑))、実は、私が初めて校正を担当させていただいた本が、まさにそんな感じでした。しかも一般向けの新書だったんで、「いくらなんでもそれはないだろ~」と思って、編集者さんに提言してみたりしたんですけど、駆け出しの若造の分際だったからか、自分の主張に説得力がなかったからか、作業スケジュール的に修正が厳しかったからか、結局受け入れてもらえませんでした。
いや、なんとなく、皆さんの会話を眺めているうちに、昔の苦い思い出がよみがえってきてしまったもので……(苦笑)。

ちなみに、4枚カード問題を初めて見たとき、あっさり正解してしまい、むしろ「なんで、みんなこれに引っかかるんだろう? どこに落とし穴があるんだ?」というほうを悩んだのも、良い思い出です。
一方で、YJSさんの(2009-04-10 13:33) のコメントでのサイコロの問題は、いまだに直感的に納得できない気分……。
こういう一貫性のない(?)感覚・センスが1人の人間のなかに共存しているのが、ちょっと面白く思いました。
by 田部勝也 (2009-04-14 00:02) 

ちがやまる

サイコロも九九の表みたいに6x6全部書き出してみればいいのではないでしょうか。同じ色どうしになる領域は対角線上に並ぶのに、色違いは対角線の上と下とで倍になる。これを多様性の効果とでも言うと、直感は満足してくれるのではないでしょうか。
by ちがやまる (2009-04-14 01:08) 

黒猫亭

>zororiさん

zororiさんの仰る喩えだと、「扉を開けてハズレを見せる」に当たる操作がないので、話がスッキリしますね。たしかにカードを裏返して数字を見せていますけれど、それだけ見ても当たりだかハズレだかわからないわけですから、モンティが正解を識らないで当たりを引いていても解答者が選び直すことが出来ますよね。つまり、Cが最大値の場合でもそれが当たりであることは誰にもわからないのですから、この時点では何も確定されません。

どれが当たりであるかは三枚全部めくらないとわからないのですから、一枚だけめくって見せても何の意味もないわけで、「扉を開けてハズレを見せる」に当たる操作が出来ないことになります。一枚めくって数字を見せても、「残りの二つの内のどちらに当たりが入っているかは依然としてわからない」状態に変わりはないわけですね。ですから、モンティが正解を識らないのなら、単純に三人で順番に一つずつ選んだ場合と確率は変わらなくなります。

モンティ・ホール問題の具体的なわかりにくさとかややこしさってのは、やっぱり第一の選択が行われた後に扉を開けてハズレを見せる部分にあるんではないかと思います。このときに、モンティが正解を識らなかったら、識っていてハズレを選ぶ場合では起こらないこと、つまり当たりを引いてそれ以外のドアが全部ハズレだと謂うことが判明すると謂う事態が起こりますから、この辺でわかりにくくなるんじゃないですかね。

つまり、大元のルールだと、「モンティがハズレを引いたときに残りが当たりである確率」と謂うのが想定出来て、その確率はモンティが正解を識っていてハズレを引いた場合でも識らなくてハズレを引いた場合でも変わりがないわけで、これは「当たりかハズレか見ればわかる」と謂う条件に依拠しているわけですね。

なので、前回の話で謂えば、zororiさんの例のように「どれがハズレか識らないし、ドアを開けない」場合と「どれがハズレか識っていて、必ずハズレを開ける」場合の二つだけしか想定出来ないなら割合わかりやすいんだご思います。しかしこの場合「どれがハズレか識らないが、ドアは開ける」と謂う条件が想定出来て、開ければハズレか当たりか判断出来るわけですね。

そうすると、当たりの場合はゲームを続行する意味がなくなるけれど、ハズレの場合はモンティが識っていてハズレを開けた場合と同様の確率が適用できますし、この一連の操作の後に解答者が選択を変えて当たりを引くことが出来る確率も計算出来ます。多分モンティ・ホール問題をこの方向で考えていくと、情報が確率に影響を与えると謂うことがよくわからなくなっていくんじゃないでしょうか。

>田部さん

サイコロの場合はそんなにわかりにくくないと思います。つまり、赤同士の掛け合わせはサイコロABが両方赤の場合しかないけれど、赤と青の掛け合わせの場合はAが赤でBが青の掛け合わせと、さらにAが青でBが赤の掛け合わせが在り得ますから、赤同士の掛け合わせよりも多くなります。ちがやまるさんの仰る「色違いは対角線の上と下とで倍になる」と謂うことですね。
by 黒猫亭 (2009-04-14 02:36) 

ちがやまる

この場合は「ゾロ目の特殊性」というべきでしたか。(1,2)も(2,1)も赤赤ですから。
by ちがやまる (2009-04-14 05:33) 

zorori

モンティ・ホール問題も(ハズレ、ハズレ)という「ゾロ目」が絡んでいるともいえますね。そこで、当たり→大、ハズレ1→中、ハズレ2→小 と置き換えると少しは考えやすくなるのかもしれません。

by zorori (2009-04-14 06:50) 

pooh

> YJSさん

> 役に立つようであれば嬉しいです。

いや、自分の現実に引き当てて考えると、確率的発想と云うのはあることがらに対する理解を共有するためのあしがかりになりうるよなぁ、みたいな部分で、勉強しとかなきゃ、みたいにも思うんですよね。
by pooh (2009-04-14 07:38) 

pooh

> きくちさん、田部勝也さん

横道、と云うか、ちょっと別の話かもしれないですけど。

ある限られた分量のなかで特定の事柄について述べるときに、核心を手短にきっちり述べるか、とっつきやすくてキャッチーな部分からはじめるか、と云う手法の相違、と云うのはあるのかも、なんて思ったり。
by pooh (2009-04-14 07:42) 

pooh

> ちがやまるさん

こう、日常のなかのリテラシー、と云う話でいくと。
書き出さなくてもわかる、あるいは書き出すことで実感と相違する結果が出る可能性があることを見抜く、と云うのが世間知的に重要かも、とか思います。
実例としてぼくはそこが弱い様子です。
by pooh (2009-04-14 07:44) 

pooh

> 黒猫亭さん、ちがやまるさん

そう云うことだったのか!
(なんか生徒に徹してます)
by pooh (2009-04-14 07:46) 

かも ひろやす

間の悪い反応でごめんなさい。

「ならば」については、

1. 論理式の真偽値は、真と偽のいずれかであること
2. A→Bの真偽値はAとBの真偽値のみによって定まり、意味内容には依存しないこと
3. その他、「ならば」のもつべきいくつかの性質

からは、あれしかありえないことがでてきます。それを不自然に感じるのは、2が人間の直観に反するからでしょう。

by かも ひろやす (2009-04-14 10:49) 

YJS

田部勝也さん、鴨さん、みなさん。こんにちは。
# 以下、ほとんど脱線なコメントです。

田部勝也さん:
> 4枚カード問題を初めて見たとき、あっさり正解

うぅ、それはすごいです。
私が初めて4枚カード問題を見たのは、たしかピンカーの本でだったと思いますが、既に命題論理の知識があったので…もしそれが無かったら正解できなかっただろうと確信をもって言えますから。

鴨さん:
> 2. A→Bの真偽値はAとBの真偽値のみによって
> 定まり、意味内容には依存しないこと
> …不自然に感じるのは、2が人間の直観に反する
> からでしょう。

こ、これは解りやすいっっ!!
私は意味内容に引きずられてしまいそうになるときがあります。例えば以下のようなもの。
===
命題A:3>1
命題B:1>3
命題α:A→B(3>1ならば1>3)
命題β:B→A(1>3ならば3>1)
===
αは偽の命題で、βは真の命題、ということになりますが、意味内容に引きずられてしまって「矛盾してる!だから真と言われても解せない!」となり、違和感をもってしまうわけです。

あと…十分条件と必要条件は、たしか高校で習ったと記憶しているのですが、そのときには区別できませんでした。集合とか述語論理とかに触れて、はじめて使えるようになったんです。
その当時はもう、こんな基本的なことも理解できんのか←俺、みたいな状態でした。その後も、物理や数学やらを学ぶにつれ、小林製薬の商品名で言えば「直観ダメダーメ」みたいな人間であると自覚せざるを得ませんでした。
今は…何と言うんでしょう、練習して身に付いたもので直観の代りをさせる、というところがありますね。

by YJS (2009-04-14 11:50) 

山形ミクラス

こんなことに反応して申し訳ないのですが、4月14日12:58現在、

2009-04-08 21:59 nice!(0) コメント(2) トラックバック(0)

と表示されているのです。
50個ものコメントがついているのに、これはどういうことなんだろうと…。

どうも失礼しました。
by 山形ミクラス (2009-04-14 12:59) 

黒猫亭

>poohさん

断るまでもないことですが、これは赤三・青二・黄一の条件だからそうなるわけです。たとえば赤四・青二の場合はどちらも同じですし、赤三・青一・黄一・緑一の場合は赤同士が一番多いですね。

最も多い色の数をa、二番目をbとすると、aの二乗と2abの値の大小関係で変わってくるわけですね。赤三・青三のように色数を揃えると、同じ赤・赤や青・青よりも赤・青の組み合わせが倍になりますから、これで考えると直観的にわかりやすいかもしれません。この場合、同色同士ならaの二乗、赤青なら単純にその倍ですから、二倍になる意味がわかりやすいかと。ガキの頃から数十年間算数が苦手なままなので、何かとても恥ずかしい勘違いをしているのかもしれませんが(笑)。

余談ですが、お詳しい皆さんのお話を伺っていて痛感するのは、こう謂う初歩的な例題から出発してもっと高度な数学理論が理解出来るかどうかと謂うのは、指を折って数える式の具体的想像力から、概念的な規則性を抽出して演繹するような抽象的想像力に移行出来るかどうかなんだな、と謂うことです。

これが出来ないと、やっぱり指を折って数えられる設問しか理解出来ないわけで、それにはかなり低い限界があるわけですよね。誇張して謂えば、「一つ、二つ、たくさん」みたいな(笑)。オレが算数をよく理解出来なかったのは、具体的想像力から出発するこう謂う抽象的想像力が「鍛えられなかった」からなんだろうな、と思います。

多分、多少の生得的な資質の差と謂うのはあるんでしょうし、勿論物凄い天才と謂うのもいるんでしょうけれど、おしなべてこの種の抽象的想像力と謂うのは、皆さんがこもごもに告白されている通り人間の直観とは馴染みのないものなので、生活実感によって支持される具体的想像力とは違って訓練しないと身に付かないものなんではないかと思います。
by 黒猫亭 (2009-04-14 19:34) 

zorori

どんどん脇道に逸れて行きそうなので、適当なところで制止して下さい。

ぞろ目というと、次のような問題もありますが、
私は、(Q1)と(Q2)では情報が違うことを理解するのに時間がかかりました。

(Q1)
隣に子供が二人いる家族が引っ越してきた。
偶然、隣の話し声が聞こえてきて、子供の少なくとも一人は女の子だと分かった。
もう一人の子供が男の子である確率は?(A:2/3)

(Q2)
隣に子供が二人いる家族が引っ越してきた。
隣の奥さんが女の子を一人連れて挨拶に来た。
もう一人の子供が男の子である確率は?(A:1/2)

分かりやすいバージョンでは、

(Q1)
二つの箱に赤玉と白玉を1個づつ入れる。
少なくとも1個は赤玉であると出題者が教える。
白玉がどちらかに入っている確率は?

(Q2)
二つの箱に赤玉と白玉を1個づつ入れる。
一つの箱を開けたら赤玉だった。
もう一つの箱が白玉である確率は?

by zorori (2009-04-14 20:03) 

きくち

僕は数学者ではないので話半分ですが、よく言われるのは、抽象的な定理を証明している数学者も、実はたくさんの実例(それこそ数え上げ)を具体的に計算して確かめているんだ、と。ただ、証明できちゃったら実例はいらないから、論文には書かないんだけど。

by きくち (2009-04-14 20:12) 

黒猫亭

>zororiさん

>>もう一人の子供が男の子である確率は?(A:2/3)

ここは合ってますか?
by 黒猫亭 (2009-04-14 20:30) 

TAKESAN

今晩は。

zororiさんの出題、全て答えられないです…。
by TAKESAN (2009-04-14 20:52) 

TAKESAN

直感で納得しにくいものとしては、「クジ(詳細略)の当たる確率は、引く順番では変わらない」、というのがありますですね。
by TAKESAN (2009-04-14 21:00) 

pooh

> 黒猫亭さん

> やっぱり指を折って数えられる設問しか理解出来ないわけで、それにはかなり低い限界がある

そう云う話になるかと思うんですよ。なので、専門家に頼る、と云う話になる。この程度で専門家に頼りたくなるのはレベルが低い、と云えばそれまでですけど(ぼく自身このへんについて自分の水準が低いのは認めます)。
ただ、比喩として(負け惜しみじゃないですよ)、実際問題日常における諸問題についてはそう云う話にもなるのかな、と。

> 訓練しないと身に付かない

たぶん、そうなんですよねぇ。
by pooh (2009-04-14 21:13) 

pooh

> YJSさん

話の流れに関係ないことでなければ、脱線はありです。

> こんな基本的なことも理解できんのか←俺、みたいな状態

いまぼくはここ、です(^^;。
by pooh (2009-04-14 21:14) 

pooh

> 山形ミクラスさん

これ、So-net Blog(と云うかSeesaaのBlogServer)特有の現象みたいで。コメントの書き込みとかをキーにした再構築が、ときおり不徹底なんですよ。
手動で直しました(でも全部が直っているかどうかはわかりません)。
by pooh (2009-04-14 21:14) 

pooh

> TAKESANさん

> クジ(詳細略)の当たる確率は、引く順番では変わらない

あれ?
こっちはすんなり呑み込めますです。
by pooh (2009-04-14 21:16) 

pooh

> zororiさん、みなさま

制止しません。ぼくを置いていってください。ついていくのはあきらめました(それじゃだめなのかも)。
by pooh (2009-04-14 21:16) 

TAKESAN

>黒猫亭さん

片方が女の子と判明した時点で、子ども達が男闘呼組である可能性が無くなるのであります(逆に解りにくい説明)。
by TAKESAN (2009-04-14 21:38) 

TAKESAN

ちなみに、zororiさんの出題が全部答えられない、と書いたのは、
▼引   用▼
二つの箱に赤玉と白玉を1個づつ入れる。
▲引用終わり▲
この、「赤玉”と”白玉」という部分を2通りに解釈出来るから、なのでありました。

いや、きょうだいの例と同型だと前提しているので、そっちに合わせて読めばいいのですけれども。
玉の例を独立に問題として出されると、「赤玉と白玉が1個ずつ用意してあって、それを箱に振り分ける」のか、「2つの箱それぞれに、赤か白どちらかを入れる」のか、判然としないかな、と思ったのでした。

わたし的には、
「2つの箱それぞれに、赤か白の玉どちらかを1個ずつ入れる」
とでもすると、解りやすいかと思いました。

こんな読みするから、四枚カード問題で頭を抱える>自分

ややこしい事言ってすみません>zororiさん
by TAKESAN (2009-04-14 22:06) 

黒猫亭

>TAKESANさん

なるほど、モンティ・ホール問題の話が続いていましたか。

>>もう一人の子供が男の子である確率は?

この質問の形がミソと謂うわけですね。
by 黒猫亭 (2009-04-14 22:49) 

田部勝也

>ちがやまるさん、黒猫亭さん

あ、いや、サイコロの問題も、おっしゃる意味ではちゃんと理解しているつもりですし、学校の授業で中学生に説明しろと言われれば、ちゃんと説明できるとは思います……たぶん。
でも、問題を読んだときに、初見でパッと正答を言い当てたり、陥りやすいポイントを見抜いたりする自信がない……くらいの意味で、「直感的に納得できない気分……」と述べました。「たとえば、類題を見た瞬間、ありうるパターンを書き出す前にまず直感的に答えを言ってみたとき、それが正答である自信がまったくない」と言うほうが相応しいかな。
by 田部勝也 (2009-04-14 23:22) 

黒猫亭

>田部さん

>>「たとえば、類題を見た瞬間、ありうるパターンを書き出す前にまず直感的に答えを言ってみたとき、それが正答である自信がまったくない」

このレベルで自信がないと謂うのは、普通なんではないでしょうかね。パッと考えてわからなくても、説明されれば理解出来るし、他人に説明も出来るわけですよね。

ここで「直観的にわからない」と謂われているのは、直観で正答を見抜く力がないと謂うことではなく、説明されても「理屈ではそうなるんだろうけど、何だか感覚的に納得が行かない」と謂う引っ懸かりみたいなもので、そう謂う感覚がニセ科学と関係しているんではないか、と謂うことです。

poohさんには抽象的想像力と具体的想像力みたいなお話をしましたけど、きくちさんも「抽象的な定理を証明している数学者も、実はたくさんの実例(それこそ数え上げ)を具体的に計算して確かめている」と仰っているので、この両者の関係がそう謂う感覚のキモなのかなと思います。
by 黒猫亭 (2009-04-15 01:07) 

ちがやまる

私は解ってるわけではないです。
(a+b)^n (ただしa+b=1)を展開してaの乗数が小さい順に並べた時に、どの項が一番大きくなるか、というのは「(aの)数の大きさと多様性のせめぎあい」と言ってもいいのではないでしょうか。
一方「ぞろ目の特殊性」というと、囲碁なんかで言うスミの効果(詰碁の問題は碁盤の真ん中へんを使いませんよね)と関係してる気がします。
で、この多様性とスミの効果って、統一的に理解できるようなふかい関係があるんじゃないかという気がするのですが、それを位置づける知識・経験・見透しが無いため、単なる「何かあるぞ、ざわざわ」感でしかないわけです。
by ちがやまる (2009-04-15 06:05) 

zorori

黒猫亭 さん、おはようございます。

>>もう一人の子供が男の子である確率は?(A:2/3)

>ここは合ってますか?

いや実は、自信がありません。(無責任な)


TAKESANさん、

>ややこしい事言ってすみません>zororiさん

指摘は大変ありがたいです。さすがは、言葉を大事にするTAKESANさんだと。まぎれのないように書くことと、簡潔に書くことの兼ね合いは難しいですね。私自身、確率(算数)の問題には意味がはっきりしないものがあったり、逆にやたらくどくどしかったりするものがあると常々感じていたのですが。算数と国語の両方の勉強になってお得でした。


by zorori (2009-04-15 07:02) 

zorori

連投失礼します。

直観に反するとまではいえないかもしれませんが、相撲の3人の力士による優勝決定戦で有利なのは、最初に対戦する二人か、残りの一人かというのがありますね。

後者はリーグ戦のシードみたいに感じる人もいるかもしれません。
by zorori (2009-04-15 07:07) 

pooh

> 田部勝也さん、 黒猫亭さん

いや、実際のところ必要なのは「なんか感覚に合わないけどなにかありそうだから全パターンを調べてみようか」みたいな発想に行き着く、と云うだけで、ひとつハードルを越えてるんじゃないかな、みたいにも思うんですよ(ぼくが自分の前にそのハードルを見つけて、ちょっと実感している部分でもありますが)。
きっとそこから「考える」ことがはじまって(なんてえらそうに云えた筋合いにはないですが)。
by pooh (2009-04-15 07:41) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

ニセ科学批判をはじめた頃に、「自分の経験を一般化する傾向」への歯止め教育みたいな事を議論したことがありまして、その頃に考えた一つの初等教育のやり方があります。教育学の人から見たら稚拙かもしれないんですが、紹介してみますね。

白玉と黒玉を50個ずつ入れた袋を用意して、子供たち一人一人に10個取り出して、白と黒の数を数えて袋に戻させます。当然5個ずつになる子もいますが、7:3やら8:2になる子もでる訳です。これを2回繰り返すと、中には2回とも同じ比率になる子も出てきますが、違う子の方が多いはずです。
この段階で、少ない試験数では確率的な現象を一般化するのは難しいことを説明します。次ぎに、子供たちが各2回取り出した玉の数を教室全体で集計します。40人クラスとして800個の取り出し数になりますから、白玉と黒玉は標準偏差3%前後の変動で400:400に近い数になるはずです。つまり387~413の間にたいてい納まると考えられます。ここで、袋の中に入っていた玉は50個ずつだという説明をし、試験数が多くなるど中の比率を推定しやすくなること(大数法則)を説明する訳です。その後は、保険の掛け金の決め方などの説明をしても良いかも知れません。

by 技術開発者 (2009-04-15 08:21) 

YJS

黒猫亭さん、技術開発者さん、みなさん。こんにちは。
自分のリテラシーが不足しているので他の方のコンテンツ紹介に徹するオヤヂYJSです。

黒猫亭さん:
> …きくちさんも「抽象的な定理を証明している数学者も、
> 実はたくさんの実例(それこそ数え上げ)を具体的に計
> 算して確かめている」と仰っている

かつて…と言っても8年程前ですが、東北大学の黒木玄さんが管理されている「黒木の何でも掲示板」で、私は本当に多くの勉強をさせていただきました。
山形さん・小波さん・田崎さん・鴨さん・伊勢田さん・その他、本当にスゴいメンバーが活発な討論を交わしていました。(最近の復活をとても嬉しく思っています。)
その黒木さんが「数学の学び方に関する常識」というタイトルで「数学の学び方に関するヒントー数学科の学生の皆さんへー」というテキストを公開しています。また、河東泰之さんの「セミナーの準備のしかたについて」というテキストも紹介しています。
URLは次の通りです。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/index-j.html#math

読んでいただくのが一番良いと思いますが、例えば「論理的に厳密に考えることが、息をするのと同様にできるようになるよう努力しなければいけない。」とか「一般論がどのように応用されているかを豊富な具体例および具体的な計算によって知ること。」などのように書かれています。
きくちさんがおっしゃるのと同じように感じますね。考え、使い、手を使って書いてみて、そしてまた考える。訓練、訓練、呼吸するのと同じようにできるまで。

技術開発者さん:
> 白玉と黒玉を50個ずつ入れた袋を用意して、子供た
> ち一人一人に10個取り出して…

あぁ、これ、良いですねぇ。こんな授業受けてみたい。モンティ・ホール問題を授業でやったケースもあるみたいです。かなり盛り上がるみたいですね。「数学教室」の2003年3月号(No.616)で特集されてました。

あと、みなさんに応用統計学者の矢野浩一さんが開設されているブログの記事を紹介します。書評記事なのですが、その中に二つの図でどちらがランダムかを尋ねる部分があって、これが良いのです。URLは次の通りです。
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20080211

野球解説者が「打率三割のバッターですから、前の打席とその前の打席凡退してますんで、そろそろ来ますよ…」とコメントしている時に、つい頷いてしまう傾向があるのと関連しているのかたなぁ、などと。

by YJS (2009-04-15 09:11) 

Cere

「モンティ・ホール問題はドア3つなのが丁度良い塩梅なのかも」という話が出てましたが、ドアの数を極端に増やすとそれはそれでわかりやすくないですか?

スマリヤンの本だったかで、「ドアは100個。あなたが1個選んだ後で出題者が残り99個の内98個を開けてハズレであることを示します。残りの1個とあなたが最初に選んだ1個とどっちを選びますか?」と説明しているのを読んですんなり腑に落ちた記憶があります。

by Cere (2009-04-15 12:20) 

黒猫亭

>zororiさん

そろそろ時間も好いようですので、ちゃんと答えます。誰かが一度答えたほうが正解を出しやすいでしょうし。

>>いや実は、自信がありません。(無責任な)

とりあえず、「合っている」と謂う想定でお答えします。

さて、二人の子供の問題で、(Q1)が三分の二になるとすれば、つまり二人の子供の性別が判明していない段階で「少なくとも一人の子供が男の子である確率」を考えると謂う考え方ですね。そうすると、二人の子供の性別の組み合わせは、男・男、男・女、女・女の三通りになりますから、少なくとも一人が男の子である組み合わせは男・男と男・女の二通りで確率は三分の二。

で、一人の子供が女の子と判明するとどうなるかと謂うと、これはどうもならんと解釈したほうがわかりやすい。これは、男の子と判明したらどうなるかと考えてもやっぱり三分の二なんで、この考え方だと、一人の性別が判明しても残りの一人の性別がどちらであるかの確率に変化はないと謂うことになります。

TAKESAN さんが仰ったように、一人が女の子だと判明すれば男・男の組み合わせは除外されますし、男の子だと判明すれば男・女の組み合わせが除外されますが、それでも三分の二であることに変わりがないと謂う話になりますか。で、(Q2)の場合は、子供が二人いようが一人だろうが一人の子供の性別がどちらであるかの確率なので二分の一と。

ただこれは、この出題の通りだと考えるとですね、(Q1)の場合でも一人の子供の性別が判明した時点で自動的に(Q2)と条件は同じになって、「一人の子供の性別がどちらであるかの確率」の問題と解釈出来るので、(Q2)と同じく二分の一になっちゃうんではないでしょうか。

前述の男・男の組み合わせが除外されると謂うことは、考えようによっては、男・女、女・女の組み合わせの内で残りが男である組み合わせを考えると謂うことになりますから、これを整理すると(Q2)と同じ問題に一本化され、男と女の組み合わせを考える意味がなくなります。

つまりモンティ・ホール問題における「ドアを選ぶ」「ドアを選び直す」に相当するプロセスがないので、出題の解釈によっては二分の一でも正解になるんではないかと。この条件では、一人の子供の性別が判明した段階でも何故二人の子供の性別が不明な時点の想定の確率が適用されなければならないのかがはっきりしないと思います。

赤玉・白玉の問題は、やはりTAKESAN さんが指摘されているように、出題の意図と謂うか初期条件がわかりにくいのではないかと思います。これをわかるように書くのは少し難しいのかな、と。

初期条件として「赤玉と白玉を一個ずつ入れるとは限らない」、つまり「赤玉と赤玉を入れる」「白玉と白玉を入れる」可能性も考えないといけないと謂うのが、この出題からは読み取れないと思います。TAKESAN さんご提案の「2つの箱それぞれに、赤か白の玉どちらかを1個ずつ入れる」と謂うのが正確かとは思いますが、「2つの箱に赤か白の玉を1個ずつ入れる」でもわかるとは思います。

そうすると、二人の子供の例と同様に、(Q1)では白玉が少なくとも一個どちらかの箱に入っている確率を考えるので、赤・赤、赤・白、白・白の組み合わせが考えられて、赤玉が一個入っているかどうかは関係なく三分の二、(Q1)は一個の玉が赤か白かを考える問題なので二分の一、と謂うことになりますか。

ただこれも、(Q1)で赤玉が一個入っていることが事実なら、赤玉と白玉を無作為抽出する場合に一方が赤なら、赤・赤、赤・白のどちらかの組み合わせしかなく、その内白玉が入っている組み合わせを考える…と謂うか、赤が入っている箱の存在が一つ確定したことによって除外され、一つの箱に赤が入っているか白が入っているかの問題に一本化されると謂う解釈も出来ますから、白玉が入っている確率が二分の一でも正解だと謂う話にならないでしょうか。

つまり、この出題の形式だと、どちらの場合も解釈次第で(Q1)と(Q2)の確率に差がなくなってしまうんじゃないかと思います。そう考えると、モンティ・ホール問題の考察課題として優れているところと謂うのは、「残りのドアに当たりがある確率」と謂う形で、この三分の二の確率が最後まで適用されねばならない条件附けがはっきりしているところなのかな、と。
by 黒猫亭 (2009-04-15 16:00) 

ちがやまる

ふたりの子どもA, Bがいるんでしょ。顔を思い浮かべて全部書き出す作戦でいくと、女女、 女男、男女、男男ですね。男男が排除されると、3通りの場合が同じ程度におこりうるとして、男が含まれるのは2通り(どっちが女かわからない場合)。
ひとり(たとえばA)が挨拶にきて、残った1人を考える状況では男の場合か女の場合かどちらか。
きっとzororiさんは知っていて回答者が出やすいようにスキを作ったんですね。(私らですみません、とあやまっておきましょう。)
by ちがやまる (2009-04-15 16:33) 

黒猫亭

>ちがやまるさん

自信はないので、間違っていたらご指摘ください。

AB二人を区別する場合を考えると、男・男、女・女の場合も、それぞれA・BとB・Aの場合の二通りになるから六通り、男が含まれるのは四通りで、六分の四=三分の二。一人が女であることが判明して男・男二通りが除外されると、分母と分子から二つずつ減るので四分の二=二分の一。

>>男男が排除されると、3通りの場合が同じ程度におこりうるとして、男が含まれるのは2通り(どっちが女かわからない場合)。

この場合、同程度に起こり得るのは、女A・女B、女B・女A、女男、男女の四通りなので、そのうち男が含まれるのは二通りで二分の一になるのでは。

この場合、一人判明した女の子が姉か妹かは無関係なので、ABの順序を考慮することに意味はないと思います。
by 黒猫亭 (2009-04-15 17:51) 

ちがやまる

「女A・女B」と「女B・女A」は同じものをダブって数えてませんか。
「女A・男B」と「女B・男A」なら、違う状態。年齢は気にしなくても、AとBとは別人である、ということで。
by ちがやまる (2009-04-15 18:05) 

ちがやまる

Aは男か女か。それぞれに応じてBが男の場合と女の場合とある、と考えて書き出していくのが素直なんじゃないでしょうか。(連投すみません)
by ちがやまる (2009-04-15 18:10) 

TAKESAN

今晩は。

男・女 と 女・男 を別と考えるのがポイントだと思います。

子どもの例と玉の例を合体させてみる、というのはどうでしょう。
つまり、二つの部屋があって、その両方に一人だけ、男の子か女の子が入っている、と考える。

そうすると、Q1の場合、
解答者は部屋の外にいて(当然、部屋の中は見えない)、少なくとも一人は女の子、という情報を得る訳ですね。しかし、どちらの部屋かは判らない。
仮に、部屋をA・Bと名付けるとすると、あり得るのは、
1:A-女 B-女
2:A-女 B-男
3:A-男 B-男
4:A-男 B-女
の4通り。で、その内3では無い事が判明したので、考えられるのは3通りで、男の子が含まれるのは2通りだから、答えは2/3。

Q2は、片方の部屋に女の子と男の子のどちらが入っているか、という問題と結局は同じですよね。つまり、どちらかの部屋のドアを開けて、もう一つの部屋に入っている子の性別を答える、という事ですね。ですから、1/2。

こんな感じでどうでしょう。当たっているかは判りませんけれども(私も実は自信が無いのです)。すぐ上でちがやまるさんが書かれた、
▼引   用▼
3通りの場合が同じ程度におこりうるとして
▲引用終わり▲
ここの部分を、昨日からずっと考えているのですけれど、いまいち掴めていなかったりします。
by TAKESAN (2009-04-15 18:24) 

黒猫亭

>ちがやまるさん

>>「女A・女B」と「女B・女A」は同じものをダブって数えてませんか。

ああ、なるほど、順番の問題ではなかったんですね。後でよく考えてみたら、順番の問題を考えると、性別と順番の掛け合わせになって分母がもっと増えますね。

ただ、この出題だとやっぱり組み合わせの問題になって、順列の問題にはならないはずですよね。一人が女だと判明すると、男・女の場合も女・男の場合も、残る一人は男だと謂うことになりますから、確率を考える上でこの二つを区別する必要はないのではないでしょうか。
by 黒猫亭 (2009-04-15 18:27) 

黒猫亭

>ちがやまるさん

ちょっと質問なんですが、ちがやまるさんの考え方だと、二人とも性別が判明していない段階における「少なくとも一人が男である確率」は幾つになりますか?
by 黒猫亭 (2009-04-15 18:48) 

ちがやまる

大きく田んぼの田の字を書きます。右側のふたつの四角はAが男の場合、左のふたつの四角はAが女の場合を表すとします。
同じように、上側のふたつの四角はBが女の場合、下側のふたつの四角はBが男の場合を表すとします。
こうすると、AとBとのすべての場合4通りが尽くされるでしょう。この4通りがほぼ同じ程度に生じると言っても文句が出ないのは、日本人の人口割合から言って大まかに男女が等しいといえること(実際は男性が多く生まれて、50歳代から女性が多くなるようですが)と、兄弟の性別もとりあえずお互いに関係ないと考えられることからでしょう。
by ちがやまる (2009-04-15 19:01) 

ちがやまる

3/4。さっきの田の字の4つの四角で、右下を除く3つを考えるので。
by ちがやまる (2009-04-15 19:05) 

黒猫亭

>ちがやまるさん

>>3/4。さっきの田の字の4つの四角で、右下を除く3つを考えるので。

承りました。オレのほうからは以上です。後は詳しい方に正解発表と解説をお任せしたいと思います。
by 黒猫亭 (2009-04-15 19:10) 

ちがやまる

あ、左上でしたか。(チャットみたいになっちゃいましたごめんなさい。>> pooh さん)
by ちがやまる (2009-04-15 19:11) 

黒猫亭

>>お任せしたいと思います。

読み返してみますと、なんかこの言い方では真意が誤解されますね。「お願いしたいと思います」と訂正します。
by 黒猫亭 (2009-04-15 19:14) 

TAKESAN

もしかすると黒猫亭さんは、zororiさんの出題の、
▼引   用▼
もう一人の子供が男の子である確率は?
▲引用終わり▲
この文の、「もう一人」という所に引っかかっておられるのかも知れません。

Q1の設定だと、(子どもA・Bと名付ける)「もう一人」がAなのかBなのかは判りませんよね。これは言い換えると、「男の子がいる」あるいは「二人ともが女の子では無い」確率、となりますね。

横レスですが、
 >「少なくとも一人が男である確率」

は3/4ですね。
by TAKESAN (2009-04-15 19:15) 

TAKESAN

私も連投してすみません。こういうのを考えるのが好きなもので、つい>poohさん

>ちがやまるさん

そうそう、そこに引っかかったんですね。女男・男女・女女・男男 のきょうだいを子に持つ家族が引っ越してくる確率が、それぞれ同様に確からしいのかな、って。
by TAKESAN (2009-04-15 19:51) 

taka

なんか、国語の問題にシフトしてきたみたいなので混ぜさせてもらいますが、

>女の子を一人連れて挨拶に来た。

この情報だけで1/2になると解釈するには情報が足りないと思います。

「長女を連れてきた」とか「女の子を妹として紹介した」という情報が提示されれば、確実に(A.1/2)になるのではないでしょうか?

クイズとしては、「女の子」という表記と「長女」という表記を使い分ることで、手がかりを出してはいるが回答者をミスリードする、といった所を狙うでしょうから。
by taka (2009-04-15 20:07) 

zorori

黒猫亭 さん、どうも、お騒がせしています。多分、出題が曖昧なのかもしれません。私はちがやまるさんやTAKESANさんと同様に考えています。

>ただこれは、この出題の通りだと考えるとですね、(Q1)の場合でも一人の子供の性別が判明した時点で自動的に(Q2)と条件は同じになって、「一人の子供の性別がどちらであるかの確率」の問題と解釈出来るので、(Q2)と同じく二分の一になっちゃうんではないでしょうか。

ええ、そこがポイントだと思います。Q1は特定の一人の子供の性別が判明した訳ではないというつもりなんですね。隣から女の子の声が聞こえてきたけど、姉か妹なのかは分からないという状況設定なんです。次のように表現すればかなり明確になるのですが、それだとあまり面白くない訳です。ある意味、勘違いをさせるようなひっかけの要素が確率の問題にはあるような気がします。

Q1の方は、子供Aと子供Bのどちらかは分からないが、少なくとも一人は女の子という情報を得たとき、もう一人が男の子である確率はいかに?

Q2の方は、子供Aは女の子という情報を得たときに子供Bが男の子である確率はいかに?

可能性は、
1:A女B女、2:A女B男、3:A男B女、4:A男B男 の4通りです。これがすべて、同程度にありうるというのが出発点です。
Q1では、4が除外されて、3通りのうち、2と3の2通りなので、2/3。Aが男である場合とBが男で有る場合の二通りあります。
Q2では、3と4が除外されて、2通りのうち2の1通りなので、1/3。Bが男で有る場合しか有りません。

たぶん、Q2に相当する状況は現実的に考えやすいのに対して、Q1の方は考えにくいのがミソではないかと思います。そのため、Q2もQ1と同じと思えてしまうのだと思います。

確率がピンとこないのは、現実には1回しかあり得ないことでも仮想的にいろんな場合を考えなければならないところにあるような気がします。隣の子供の性別は実際には一通りに決まっているのですが、沢山の家族を想定しなければならないわけです。確率とはそもそも大数の法則がよりどころなのですから。赤玉白玉の場合は、簡単に多数回試行が可能なので、考えやすいのではないかという気がします。


by zorori (2009-04-15 20:12) 

zorori

すみません。訂正です。

誤:Q2では、3と4が除外されて、2通りのうち2の1通りなので、1/3。

正:Q2では、3と4が除外されて、2通りのうち2の1通りなので、1/2。
by zorori (2009-04-15 20:16) 

zorori

takaさん、こんばんは。

>>女の子を一人連れて挨拶に来た。

>この情報だけで1/2になると解釈するには情報が足りないと思います。

足りていると思います。理由はすでにちがやまるさんが、おっしゃっていると下記のとおりかと。

>年齢は気にしなくても、AとBとは別人である、ということで。

玉と箱の問題で考えると分かりやすいと思います。Aの箱かBの箱か分からないように目隠しで一つの箱を選んで、開けてみたところ赤玉であったら、別の箱の玉が白の確率は1/2かと思います。

挨拶にきた女の子が姉が妹か分からなくても、その子は特定されますし、もう一人の子も特定されるわけです。




by zorori (2009-04-15 20:33) 

pooh

> 技術開発者さん

さすがにうまい方法をお考えになるもんですねぇ。
これ、でもいちがいにこども向け、と云うわけではなさそう。上手にアレンジすれば、いろんな場面で使えそう。
いや、逆に学校と云う状況だから、実体験を演出することが可能なのか。
by pooh (2009-04-15 21:36) 

pooh

> Cereさん

あ、いや、「わかりやすい」と云う意味でちょうどいい、と云ったのではなくて、逆でした。
出題者(と云うのか)の意図としては、「わかりづらい」ほうがいいわけで。
by pooh (2009-04-15 21:36) 

pooh

> みなさま

えと、このままお話を進めていただいてけっこうです。
ぼくは余裕ができたときにまとめてまじめに読み返すことにします(^^;。
by pooh (2009-04-15 21:37) 

黒猫亭

>zororiさん、ちがやまるさん、TAKESANさん

なるほど、そう謂うふうに説明されると、男・女と女・男を分けて考えなければならない理由がわかりますね。ちがやまるさんの田の字の説明でもぼんやりとはわかるんですが、男・女の場合と女・男の場合を分けて考えなければならない理由と謂うのは、説明されてもまさに直観的にピンとこなかったんですね。

>>たぶん、Q2に相当する状況は現実的に考えやすいのに対して、Q1の方は考えにくいのがミソではないかと思います。

たしかに、具体的に想像しづらいから、と謂うのはありますね。

オレがちょっとちがやまるさんやTAKESAN さんの説明を聞いても半信半疑でわかりにくかったのは、「男・女」、「女・男」の表記の意味で、これはABの性別の組み合わせ以外にも、長幼の別と謂う印象があるわけで、ABの性別と長幼の問題を混同しやすいところが感覚的にわかりにくかったのかな、と思います。ただ、性別と長幼の掛け合わせで書き出してみても八通りになって、そのうち少なくとも一人が男である場合は六通りですから、四分の三にはなるわけですね。

で、これは結局整理して考えると、長幼の別と謂う基準は要らないんだな、性別の組み合わせなんだな、と謂うことで正しい理解に戻ってこれるはずです。しかし、ABと性別と長幼の関係を考えるなら、本当なら男・女、女・男の場合も、二通りずつの四通りになって、長幼は無関係だとわかるはずなんですが、オレはこれをすでに長幼が考慮されていると考えて忘れていたから六通りと考えたわけです。

つまり、オレの場合はちがやまるさんのご説明の「Aは男か女か。それぞれに応じてBが男の場合と女の場合とある」の意味、つまり「男・女」と「女・男」と謂うのは、A男・B女とA女・B男のパターンがあると謂う意味だと謂うことがピンとこなかったからわからなかったと謂うことになるのですね。これ、多分テーブルにすると一目瞭然なんでしょうけれど、文章では意味が掴みにくいし、今から考えてもどう書かれていればスッキリ理解出来たかよくわかりません。

で、TAKESAN さんはその辺を説明なさるつもりでAと謂う部屋とBと謂う部屋の喩えを出されたわけですが、これでさらにAB二人の人物それぞれの在り得る性別の組み合わせであることがわかりにくくなった。その大本にあるのは、AB二人の人物が男であったり女であったりと謂う状況や、その場合のABの同自性が具体的に想像しづらいからだ、と謂うことになるのではないかと思います。

一連のやりとりで、「直観的にわからない」と謂う感覚と謂うのは、「何がわからないのか」や「何を錯覚しているのか」に対して適切な説明があることで解消されるのではないかと謂う気がしてきました。ただ、その「何がわからないのか」と謂う部分が人によって違うと謂うところが、説明の難しさと謂うことになりますかね。

しかも、わからない人間には自分が何をわかっていないのかわからないわけですから、何を説明すべきなのかがわからない。一方、整合的な説明はそれ自体では完結した理路を記述していますから理解は出来るけれど、自分がわかっていない部分は依然として解消されていないので感覚的なしこりが残る、この辺の乖離が「理屈ではわかっても納得出来ない」と謂う感覚の正体なのかな、と思います。
by 黒猫亭 (2009-04-15 22:19) 

PseuDoctor

こんばんは。

いつにも増して出遅れてますが、今回はPoohさんが「ついていくのをあきらめた」との事ですので、Poohさんの理解に役立つなら、私が遅れ馳せの議論を蒸し返す意味も多少はあるのかな、と勝手に都合良く解釈してコメントします。

まずはモンティ・ホール問題について。
これを直観的に解ける人にはまだ会った事がありません。私自身がどうやって自分の直感をなだめた(笑)かと言うと、逆にドアの数をメチャクチャ増やしてみたんですね。詳しく説明しようとも思ったんですが、既にCereさんが書かれていますので省略します。ただ、この方法のもう一つの利点としては、ドアの数を増やせば増やすほど、モンティが正解を知っているという条件の重要性が際立つという点です。言うまでもなく正解を知らずに998枚のドアを開ければ、99.8%の確率で当たりを引いてしまいますから。

次に、zororiさんの挙げられた「男の子・女の子」問題について。
まず、問題をなるべく短く変形します。
(Q1)二人の子のうちどちらか片方が女である場合、もう片方が男である確率。
(Q2)二人の子のうち「挨拶に来た子」が女である場合に、もう1人が男である確率。
これはきくちさんが仰っていた様に、場合分けを書いてみれば解ります。Q1の場合ありうるパターンは女女・女男・男女の3つですから、答えは2/3になります。しかしQ2のパターンは女女・女男の2つしかありませんから、1/2です。ここまでは皆さんが書かれている通りです。
しかし問題になっているのは、なぜ直観的な答えと異なってしまうのか、ですね。黒猫亭さんが気にしておられる点も、問題の「解り難さ」にある様に思えます。
どうやら、この問題で決定的に重要なのは「その子」を特定できるかどうか、ではないでしょうか。別に「挨拶に来た子」である必要は無く「個」として認識できるかどうかです。そう考えると「どちらか解らないが、どちらかは女の子」と「片方は女の子」との持っている情報量は違うと思えてきます。
更に、サイコロの問題にしても、本当は個々のサイコロを区別しなければいけないのに、直観だと区別しないで考えてしまうのが解り難さの原因ではないでしょうか。ゾロ目が特殊なのも、ゾロ目だけが「個々のサイコロを区別してもしなくても結果に影響しないもの」だからなのでしょう。

という訳で、どうもこのあたりに直観が我々を裏切る原因(のうち大きな要素)がある様に思えます。「区別できないものは区別する必要は無い」の様に感じてしまうとでも言いますか。
話は戻りますが、そんな風に考えていくと、実は「場合分け」というのは「見かけや直観では区別出来ないものも、ちゃんと区別して考えようよ」という思想を具体的に実現する為のツールである、と考える事も出来る様に思います。

あと、ベイズ理論に関しては殆ど素人なのですが「情報の有無によって確率が変化する」なんて話を聞くと、あくまでイメージとして、最初は「シュレーディンガーの猫」ですとか「認知が事象に影響を与える」とかを連想してしまい「それ何て観測問題?」みたいな気分になっていました。
しかし考えてみれば「情報の有無が確率に変化を及ぼす」のは当たり前なのですね。極端な例を挙げれば、自分が当たりを知っていれば確率を100%に出来ますものね。
何と言うか、直観に反する事を考えるのって、最初は気持ち悪いですが、逆に慣れてくると、クセになる部分があります。

更に余談です。
既に大分流れてしまいましたが「ならば」に関しては妙なシンクロニシティ(なのか?)で、某所(と言うほど勿体ぶる事もありませんね。少し前にトラックバックが来ているblupyさんのところ
http://d.hatena.ne.jp/blupy/20090412/p1
です)に「ならば」を用いたコメントをしてきました(まだ承認されていないようですが)。主にはニセ科学の定義についての説明です。あの説明で理解してもらえなければ、私にはこれ以上上手に説明する事は出来ないので諦めます。一方「ならば」を使った部分に関しては私独自の考え(特に誰かに確認した訳でもコンセンサスを得た訳でもないという意味)でした。
by PseuDoctor (2009-04-15 23:26) 

PseuDoctor

連投すみません(皆さんのがうつったかも)。

モンティ・ホール問題のところで、増やしたドアの数を削除してしまったので唐突に「998枚」なんて数が出てきていますが、これは勿論ドアの数を1000枚にした時の話です。
by PseuDoctor (2009-04-15 23:29) 

TAKESAN

表と裏の出る確率が1/2のコインを同時に二枚投げる、という実験を考えると、それぞれの確率は、
両方表:1/2
両方裏:1/2
表と裏:1/2
裏と表:1/2
ですよね。
で、結果を隠したまま、「片方が表だった」、という情報を得れば、両方裏の可能性だけ消えますね。そして、「表が出たコインがある確率は」、と訊かれたとする。
考え方として、これと同じだと思います。つまり、「子ども二人がいる家族が引っ越してきた」、が、「コインを同時に二枚投げた」実験に当たる、と。「女の子の声が聞こえた」は、「片方は表だった」に相当します。
訊ねられているのは、「きょうだいに男の子が含まれる確率」、ですから、それは「裏が出たコインが含まれている確率」に当たる訳ですね。そして、それは2/3。

要するにQ1は、「兄弟じゃ無い二人の子を持つ家族が引っ越してきた」のと同じですよね。その時の場合の数は、
姉妹
姉弟
兄妹
の三通りで、その内男の子が含まれるのは二通り。

Q2は、コインの片方だけ明かして、もう一方のコインについて見る訳なので、コイン一枚を投げる実験と同じですから、表も裏も、出る確率は1/2(最初の前提ですね)。

ちなみに、年齢が関係無いのは、「金貨と銀貨を同時に投げて裏表の出方を見る」、などを想像すると、解りやすい気がします。金貨を年上の子ども、銀貨を年下の子ども、とでもすると良いと思います。
by TAKESAN (2009-04-16 00:37) 

黒猫亭

>PseuDoctorさん

>>黒猫亭さんが気にしておられる点も、問題の「解り難さ」にある様に思えます。

この一連の問題に関しては、「わかること」よりも「わからないこと」のほうが気になるんですね。で、何故筋の通った説明でも納得させられない相手がいるのか、そう謂う部分に関心があります。

極論すれば、一般人の立場においては、確率や引いては科学の理論的基礎を十分に身に着けていることが重要だと謂うより、それを説明された場合に理解して受け容れられることのほうがもっと重要なのではないかと考えています。

これは田部さんにお話ししたことと繋がってきますが、数学や科学の専門家ではない人間が、サイコロやモンティ・ホール問題をぶっつけで解けなくてもそれはそれで構わないが、説明されても理解出来ない場合があることのほうが、説明する側の問題として考察すべき課題なのではないかと思います。

つまり、確率の説明が多くの場合人間の直観に逆らうのであれば、これは確率や統計を学んだ専門家ではない一般人はわからないのが自然だと謂うことになるからです。そう謂う人々に「学べ」と働き掛けるのは、オレの考えでは現実的ではない。ならば、わかりにくいことをわかるように説明するにはどうしたら好いか、と謂うのが主要な関心ですね。

オレの主観としては、サイコロの掛け合わせやモンティ・ホール問題については、答えを聞いて説明されればわかりますから、納得が行かないと謂う感じ方が具体的にはわからないので、説明する側の立場であれこれ説明を試みてみたわけですね。しかし、二人の子供の問題に関しては、どうも三分の二でなければならない理由がわからないし、或る程度説明を聞いても釈然としませんでしたので、説明を受ける側に廻ったわけです。

それは男・女の場合を分けて考えなければならない理由がわからなかったからですが、ここがわからないので、説明を戴いても「男・女」「女・男」と謂う表記や、ABの部屋と謂う喩えでさらに誤解した、と謂う形になります。ちょっとこの一連の流れを振り返ると、なんで自分がわからなかったのかがよくわかると謂いますか、筋の通った説明が何故通じない場合があるのかについて多少理解出来たと思います。

それはつまり非常に単純なことで、zororiさんの数え上げの書き方はAとBの性別の組み合わせであることが一目瞭然だったからすんなりわかったわけで、ちがやまるさんのご説明ではこれを「女女、女男、男女、男男」とABを略して書いておられたからピンと来なかったんですね。

で、一人が女だと判明する以前の確率も挙げておられないので、確率が四分の三から三分の二に変動すると謂うこともわからない。多分当然だからお書きにならなかったのでしょうけれど、一応そこを確認して何とかちがやまるさんのお考えが一貫していることがわかったので、正解と解説を聞けば何とか理解出来るのではないかと。

また、TAKESAN さんの説明にもzororiさんと同じような文字列はあったんですが、「部屋をA・Bと名付ける」と謂う前提があったからやはりよくわからなかったわけです。この説明では、PseuDoctorさんの仰る「個としての認識」が遊離してしまうからわからなかったのだと思います。

で、これは別段オレが理解出来なかったのをちがやまるさんやTAKESAN さんの説明のせいにしているわけではなくて(笑)、たしかに同じことを仰っているわけですが、オレのわからなかったところと噛み合っていなかったと謂うことです。

ですから、まあこれで何とか理解出来たオレが、オレと同様のところで引っ懸かっている人がいたとして、その人にどのような効果的な説明が可能か、そこに主要な関心があると謂うことなのですね。
by 黒猫亭 (2009-04-16 01:14) 

taka

解説、ありがとうございます。

挨拶に来た方は、性別と位置の2情報が同時に確定すると考えるのですね。

声を聞いただけでは位置は確定していないから、男女、女男の2パターンを数える必要があると。
こちらの2パターンを分けて考えるときに続柄を補助線にしたので、挨拶のほうを考えるときに引き摺ってしまいました。
by taka (2009-04-16 01:30) 

黒猫亭

>TAKESANさん

多分、その説明でも、zororiさんの説明を伺う以前のオレにはわからなかったんではないかと思います。と謂うのは、コインの喩えではコインABを区別する必要についての説明がないこと、兄弟姉妹の喩えではABの区別を長幼で代替していること、これはまさにオレが誤解していたポイントですから、多分理解出来なかったと思います。

オレがzororiさんの書き方で理解出来たのは、男女の組み合わせではなく、ABと性別の組み合わせが問題になることがパッとわかるからなんですね。このコインの説明だと、「表と裏」「裏と表」と謂う書き方は「男女」「女男」と同じ書き方ですから、何故この二つを区別する必要があるのかわからず、やっぱり表裏の組み合わせの問題だから三通りでは、と誤解してしまうと思います。

ここは、コインABと裏表の組み合わせだと断って、部屋別のときのようにAとBがそれぞれ表裏の場合を数え上げるのがわかりやすいのではないかと思います。

また、長幼の別と謂うのは序列関係ですから、ABのような個の認識にストレートに繋がりにくいので、誤解の余地が多分にあると思います。これは後で「年齢は関係ない」と断っても、序列関係で個の認識を代替させていたわけですから、わからない人は結局わからないと謂うことになるんではないかと。

要するに、性別だから同じ個人で男女がある場合を想像しづらいわけですので、ABと謂う二人の個人と男女と謂う二つのファクターの組み合わせを、具体的に想像可能なものに置き換えるのがわかりやすいのかもしれません。

たとえば太郎と次郎と謂う二人の子供がいて、二人とも赤い帽子と白い帽子を持っていて、いつもそのいずれかを必ず被っている、と謂うのはどうでしょうか。そうすると、

1.太郎(赤)・次郎(赤)
2.太郎(白)・次郎(白)
3.太郎(赤)・次郎(白)
4.太郎(白)・次郎(赤)

この四通りの組み合わせが在り得て、それぞれ区別する必要があることが無説明でわかります。この条件で、「さっきまでこの二人が遊んでいたところに白い帽子が落ちていました、もう一人が赤い帽子を被っていた確率は?」と謂う質問なら、割合具体的に想像しやすいのではないでしょうか。

こう説明してから、二人の子供の性別の問題でも、出題では触れられていないけれど太郎と次郎のようにABと謂う二人の個人を区別する必要があって、男女と謂うのが帽子の赤白に相当するんだよ、どちらか一人が女だとわかるのは、太郎と次郎のどちらが落としたのかわからない白い帽子が見付かったのと同じだよ、と説明されればわかるのではないかと思います。

いや、これは勿論「オレだったら」と謂う想定以上のものではないですが。
by 黒猫亭 (2009-04-16 02:18) 

zorori

おはようございます。

他の問題もそうですが、確率の問題は一旦完全に理解したと思っても、しばらくしたらまた分からなくなったり、別の説明を聞いたら、混乱したりします。たぶん分かったつもりになっているだけで、浅い理解でしかないのだろうなと感じています。

そういう意味で、わかったつもりになっている問題も別の方向からいろいろと考えるのは重要かもしれません。山に登る道筋はたくさんあって、それらを全部、一望のもとに見渡せる状態が完全に理解したといえるとすれば、一つの道を知っているだけという感じがします。その道をはずれたらとたんに迷ってしまうわけです。

実は、黒猫亭さんがいろいろと疑問を呈していただきましたが、その疑問自体がよく理解できないことが沢山ありました。そこはスルーして、疑問が分かった点だけお答したに過ぎません。なので、黒猫亭さんの目標とする「引っかかっている人に説明する」というのは非常に高い目標なのだろうなと思ったりします。

二人の子供の問題はTAKESANさんがおっしゃっているように、Q1は二人の性別の組み合わせを尋ねているのに対して、Q2の方は、1人の性別の問題だと思います。このことは、なんとなく分かってはいたものの、今回のやり取りで明確に自覚しました。
by zorori (2009-04-16 07:09) 

pooh

> PseuDoctorさん

あ、いや、みなさんの対話のなかにある示唆を噛み砕いて血肉にする余裕がない、と云うことでした。
へんな話ですがこれはこれで現実であって、そう云う状況のなかで判断しなければいけないことも生じるわけで…みたいな話にも(むりやり)なるのかも、ですが。
by pooh (2009-04-16 07:26) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>いや、逆に学校と云う状況だから、実体験を演出することが可能なのか。

実のところ大数法則というのは、実体験するのが難しいものではあるんです。なにせ、非常に沢山の試験数が無いと体験的に示せませんからね。

ニセ科学の講演会とかをやる機会も今はないのだけど、例えばそういう講演会に先立って聴衆に各自2~3回ほど10個取り出しした結果を出して貰って、講演の中で集計結果を話す様な事なら学校でなくてもできるかも知れませんね。

この話というのは、大人向きにするといろいろと発展が可能なんです。つまり、50人が二回取り出した1000個取り出しだとだいたい変動が3%はあるのね。つまり、5:5と4:6みたいなおおまかな比率なら1000個取り出しレベルで或る程度推定出来るけど、50:50と51:49くらいの比率の差は10万個取り出しをしないと推定できないのね(標準偏差が0.3%になるから51:49の時の白玉は50850~51150の範囲に、だいたいなるのね)。

こういう話というのは、例えば血液型と性格り相関とかで「俺の周りのB型の奴は皆」という話に対して、「大きな差でも最低1000人、小さな差なら10万人以上でないと推定できない」という話として利用出来る訳です。

by 技術開発者 (2009-04-16 08:31) 

ちがやまる

エントリの話題に戻ると、たとえば統計学的な教養について日本人が弱いかどうかは分かりませんが、モンティホールの話題も扱っているここ(サルの心理学の話も面白いです)
http://chance.dartmouth.edu/chancewiki/index.php/Chance_News_35
とか、同じページからリンクされている壁街新聞記者のブログで子どもの性別あて問題なんかの類題にも言及しているここ
http://blogs.wsj.com/numbersguy/a-numbers-guy-quiz-on-probability-313/?mod=WSJBlog
(ついでに答えとはここ
http://blogs.wsj.com/numbersguy/probability-quiz-results-and-winners-321/
なんかを見たりすると啓蒙とか教育とかの層の厚さを感じます。

「Aならば」は、日常的に使っている意味は「Aという前提が成立する限りにおいて」ということでAが成立しない場合は眼中に入ってないけれどもあえて言うとFaslseという感じのように思います。論理学の「ならば」とは定義が違うんですね。
あと、「ニセ科学は間違えない」というのは、全体の原理というかシステムの違いを述べたものだと思います。個々の知見が妥当かどうかという話ではなく。仮説を修正していくのが「科学」という営為に組み込まれている反面、「ニセ科学」には全く(absolutely)存在しないのでしょう。ゲーテの生きていた頃から薬学・薬理学は修正を重ねて今日まで来ている。ところがゲーテの頃の路線で化石化したホメオパシーは、存在し続けるためには始祖ハーネマンの言葉を再評価すること「すら」できない。彼らには他の選択肢もそれを採り入れる原理も持たないように思われます。

いろいろな話を並べて書いてすみません。
by ちがやまる (2009-04-16 09:59) 

きくち

「ニセ科学は間違えない」というのは、ちがやまるさんが書いてくださったとおりです。
ニセ科学に修正機能がまったくないとは言いませんが、たとえば「波動というものがある」とか「ホメオパシーは効く」とかいうおおもとの主張を「間違いでした」と認めることはないでしょう。創造論科学なんかはその最たるものです。
その意味でたとえば「マイナスイオン応用学会」なんていう名前の学会を作っちゃだめだと思うんですよ。

by きくち (2009-04-16 11:43) 

YJS

ちがやまるさん、みなさん。こんにちは。

現代的な確率論の枠組みを使ったWEBテキストを紹介した経緯もあるので、確率論の立場に立って少し書いてみようと思ったら…どうしても長大になってしまって。2回書き直したのですが諦めまして…「ならば」の方だけ。とは言え、勉強中の身ですが。

ちがやまるさん:
> Aが成立しない場合は眼中に入ってない
> けれどもあえて言うとFalseという感じ
> のように思います。

よく判ります…と言いたいのですが、私は少し勉強してしまっているため、感覚が変わってきているかもしれません。
A→Bの定義は(¬A)∨Bですが(もしくは同値ですが)、鴨さんが少し上(かなり上?)で書いているなかの「3. その他、「ならば」のもつべきいくつかの性質」に含まれると思うのですが、「Aを満たす時は(必ず)Bを満たす」というのがあります。
集合の包含関係の図を頭に浮かべて欲しいのですが、AがBの中にすっぽり含まれる、つまりAがBからはみ出してない、ということです。
この「はみ出してない」というのをどのように表現するか。「「Aを満たし、かつ、Bを満たさない」ものはない」と表現するのです。
論理式で書くと ¬(A∧(¬B)) です。
否定¬を中に繰り込むと (¬A)∨(¬(¬B))。
すなわち (¬A)∨B です。

このように考えると、日常言語として使う「ならば」の意味を含みつつ、狭い範囲に制限している部分がある一方で、AとBの意味内容に依存しないという意味で拡張しているとも言える、そんな定義ということかと。

by YJS (2009-04-16 13:25) 

ちがやまる

私は論理学の「ならば」を直感でどうとらえる「べき」かの話には加われません。高校で習って以来、意識して使う場合には語感では判断してませんから。日常の状況で仮定にもとづいて判断する場合に「ならば」がどう受け取られているかを思い返してみました。真理値はたぶん"∧"と同じになってしまいますから2値論理には役立たないでしょう。英語圏の人が "if ~ then" という時も、同じような感覚を持つ人がいるんじゃないかという気がします。
by ちがやまる (2009-04-16 15:39) 

pooh

> 技術開発者さん

> 大人向きにするといろいろと発展が可能なんです。

と云うか、そう云うことを実感したときのインパクトってのは、おとなになってからのほうが大きいかもしれないですね。いや、こどものうちに経験しておいたほうが血肉になる、と云うこともあるでしょうけど。
by pooh (2009-04-16 21:41) 

pooh

> きくちさん

> 「マイナスイオン応用学会」なんていう名前の学会を作っちゃだめ

その学会内では、「マイナスイオン」を疑えなくなっちゃいますもんね。
by pooh (2009-04-16 21:41) 

PseuDoctor

こんばんは。

>Poohさん
ああ、ごめんなさい。もとより、Poohさんが理解を放棄している、とは思っておりません。思っていないからこそ、色々な角度からの説明があった方が理解しやすいかも、と考えたのですね。

確率の話そのものはおいといて、単なる感想ですが。
単純に考えると「直感が裏切る」状況というのはクイズにし易い様にも思えますけれども、実はなかなか微妙なバランスですね。問題文における説明を詳しくすればするほど問題としての面白みは減少傾向になる一方で、説明が少な過ぎると逆に解答を聞いても納得し難くなってしまう。難しいですね。
面白みを感じつつ理解を深めていくのには、やっぱり多少なりとも被虐的な嗜好(もっと綺麗に表現するのなら「解らなさを楽しむ」みたいなの)が必要なのかもしれない、などと考えてみたりします。

>ちがやまるさん、きくちさん
私も「ニセ科学は間違わない」の一義的な意味は修正システムの欠如(に近い程の貧弱さ)を指摘したものだと思っていますし、その様に書いてもいます。
論点が拡散してしまうのを覚悟で言えば、私は科学に限らずあらゆる組織で「修正システム」は極めて重要だと考えています。この事は、こちらでも「ビルトインスタビライザー」という表現を使って、この辺
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-09-12
のコメント欄(最後の方)に書かせてもらった事があります。
またTAKESANさんのところでは「バビルの塔(バビル2世ですね)の自己修復システム」との比較で科学の修正システムが優れているという話もさせて頂きました。簡単に繰り返すと、バビルの塔のシステムは単に「修復」の為のものであるのに対して、科学のシステムは単なる修復に留まらず「発展」の為のものでもある、という話です。

しかしながら「ならば」の話まで付け加えたのはちょっと技巧的過ぎたかもしれないと反省しています。更にこれは昨日も書いた様に私だけの考えですので、同意を頂けなくても当然だと思います。ただ、これを日常的な言葉に言い換えるなら「大前提がおかしいのだから、その上に何を積み重ねても『無意味』だ」くらいにはならないでしょうか。
その意味でも「マイナスイオン応用学会」なんて、冗談じゃないと思いますよ(いや、むしろ、いっそ冗談であって欲しい・・・)。
by PseuDoctor (2009-04-16 23:14) 

黒猫亭

>zororiさん

>>他の問題もそうですが、確率の問題は一旦完全に理解したと思っても、しばらくしたらまた分からなくなったり、別の説明を聞いたら、混乱したりします。

>>そういう意味で、わかったつもりになっている問題も別の方向からいろいろと考えるのは重要かもしれません。

よくわかります。それはおそらく、「学ぶこと」と「理解すること」の違いと言えるでしょうね。上のほうで「抽象的想像力は訓練によってしか身に着かないのでは」と申し上げておりますが、少なくとも具体的想像力のように意識的に獲得する必要もなく自明に具わっているものではないと思います。

たとえば確率を「理解する」と一言で表現するといろいろなレベルの理解を包含してしまうわけですが、「学ぶ」と謂うのは個別の事例を理解していくことで抽象的想像力を訓練し、「別の説明」が理解出来、「別の方向から考える」と謂うことが出来るようになることだろうと思います。或る特定の事例の背後に存在する普遍的な規則性を抽象的な次元で理解し、別の事例に応用可能になるまで身に着けると謂うことでしょう。

それは科学的思考を身に着けると謂う観点において重要な訓練なのだと謂うことはわかるのですが、多分ニセ科学問題に関する説明の実践において必要なのは、抽象的想像力や科学的思考の訓練とは別の観点における説明の在り方ではないかと謂うことですね。

zororiさんが仰ったことには重要な示唆があると思うのですが、たとえば確率を学んでいない相手に対して或る特定の事例の背後の規則性を理解させる目的で、抽象的想像力を介して普遍的な規則性を共有する別の個別事例に言い換えると、多くの場合はさらに理解しにくくなると謂うことです。

この種の言い換えは、その普遍的な規則性を抽象的想像力の次元で多角的に理解する為の説明としては効果的、つまり学ぶプロセスにおいては別の事例に置き換えて考え、共通する規則性の性質を抽出すると謂う抽象化のプロセスは必要だが、最初の事例が理解出来ない相手に対する説明としては効果的ではないことが多い、と謂うことではないかと思います。

「ではないことが多い」と謂う言い方になるのは、人によっては最初の事例よりも別の事例のほうが考えやすい、わかりやすいと謂うことも在り得るだろうから、と謂うことですが、多くの場合は、自明に具わっている具体的想像力と、訓練しなければ身に着かない抽象的想像力の間のギャップが、個別の説明の理解を妨げていることが多いのではないか、と謂うことです。

PseuDoctorさんが、

>>問題文における説明を詳しくすればするほど問題としての面白みは減少傾向になる一方で、説明が少な過ぎると逆に解答を聞いても納得し難くなってしまう。難しいですね。

と書かれていますけれど、元々わかりにくい事柄をわかりにくく説明すること自体はそれほど難しくはないけれど、意識的にわかるように説明するのは意外に難しいと謂うことではないかと。問題がわかりにくいと謂うことは、それを通じて訓練するプロセスにおいては重要なことなのでしょうけれど、その目的性以外の観点における説明においては、如何にしてわかるように説明するのか、と謂うことが重要になってきます。

で、多分ニセ科学問題における説明の目的性と謂うのは、「学ばせる」と謂う意識のものではダメなんじゃないかと謂うのが、ここしばらく考えてきた結論です。大多数の一般的な人々は、ニセ科学に騙されないように科学的思考を訓練する動機を最初から持っていないのですから、わかるように説明しなければならない。ただそれが、お手盛りの便宜的な比喩では意味がない、ここのバランスが難しいわけですね。

そして、この観点では「わかりやすさ」と「精度」の関係の問題が出てきます。わかりやすい説明と謂うのは精度を犠牲にしていることが多いので、これには「わかった気になっているだけ」と謂う問題がありますね。学ぶと謂う観点においても、個別の事例を理解することや、「わかった」と謂う納得感だけが重要ではないと謂う問題がありますが、ニセ科学問題の説明においては、相手に学ばせること自体は重要ではないのだと思いますし、どの程度わかることが求められるのか、と謂う合目的性の尺度が必要なのではないかと思います。

この一連のやりとりでオレが関心を覚えたのは、抽象的想像力を駆使して具体的想像力の限界を超えた思考が出来るようになることが科学的思考を身に着けると謂うことになるだろうけれど、抽象的想像力は根っこの部分に具体的想像力の次元を持っていると謂うことです。つまり、「指を折って数えてみればわかる」と謂うことが、或る程度までは適用出来ると謂うことです。

つまり、一見直観に反する抽象的理論でも具体的想像力の次元に還元することで、少なくとも一般人視点でのわかりやすさは違ってくるのではないか、それは或る観点においては精度を犠牲にしたことにはならないのではないか、と謂う感触を感じたのが興味深かったと思います。
by 黒猫亭 (2009-04-17 01:05) 

pooh

> PseuDoctorさん

わからなさを楽しむとか、自分の思考の混乱と再秩序化(なんてことばを使うのもなんかへんですが)を楽しむ、みたいなのってあったりしますけど、こう云うの嫌う方は嫌うんでしょうねぇ。
by pooh (2009-04-17 07:33) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 「わかりやすさ」と「精度」の関係

これ、日常のなかでつねにつきまといますよね。じつは個人的には「ニセ科学」そのものよりも大きなテーマだったり。
by pooh (2009-04-17 07:35) 

黒猫亭

>poohさん

>>じつは個人的には「ニセ科学」そのものよりも大きなテーマだったり。

多分その辺の認識は近いものがあると思うんですが、オレの場合はニセ科学問題と謂う特定の問題性の上位に、説明の問題と謂うテーマ性があると謂うことになると思います。そこから「教育と嘘事」のような問題意識も出て来るのかな、と。
by 黒猫亭 (2009-04-17 13:48) 

pooh

> 黒猫亭さん

ぼくの場合「理解すること」「受け止めること」の問題ですね。
ニセ科学についての問題認識は、ぼくについては紋切型思考様式についての問題認識の延長上にあります(逆ではなく)。
by pooh (2009-04-17 21:59) 

pooh

やっと精読できた。
ぐあぁ、なんて面白いんだ(なんだ>おれ)。
みなさんのお話もさることながら、「対話」と云うもののポテンシャルを感じました。

余談をひとつ。
以前みんなで呑んでいるときに新品のカードがあって、じゃポーカーでもひとつ、と云う話になって。で、ポーカーをやったことのないうちのつれあいが混ざってやってみたら、最初の一回でストレートフラッシュを出しちゃって。
要はよくシャッフルされていなかった、ってことなんですけど、そのなかのひとりがきくちさんに「こんなことが起きる確率ってどれくらいなの?」って訊いたんですね。
で、「起きたんだから確率は1です」ってのがきくちさんの回答でした。
by pooh (2009-04-18 07:00) 

zorori

>で、「起きたんだから確率は1です」ってのがきくちさんの回答でした。

これは、奥深い回答ですねえ。
確かに、こんなことが起きたという条件で、こんなことが起きる事後確率は1だし、手術の同意書に失敗の確率が非常に小さく書いてあっても、失敗した人にとっては釈然としないわけで。
by zorori (2009-04-18 12:03) 

pooh

> zororiさん

まぁこれはまず、仲間内の冗談であることを前提にした会話なんですが。

こう、なんか一連のみなさんの対話をみていて、へんな云い方ですが「情報の追加は、ことがらが少しだけ『起きたこと』になることだ」みたいに感じたりしました。
by pooh (2009-04-18 18:33) 

黒猫亭

>poohさん

言わずもがなかとも思いつつ、やっぱり一言。

>>ぼくの場合「理解すること」「受け止めること」の問題ですね。

これと「説明すること」と謂うのは、同じ原理をどちら側から視るかの違いなのかな、と思ったり。
by 黒猫亭 (2009-04-18 20:43) 

YJS

こんにちは。

きくちさん:
> たぶん、必要とされているのはもっと
> 基本的なレベルの統計で…

コメント欄の最初の方できくちさんがおっしゃっていたことをツラツラと考えていました。

例えばジュディス・リッチ・ハリスの「子育ての大誤解」とかスティーブン・ピンカーの「人間の本性を考える(下)」とかには、普通に「遺伝率」とか「測定できるパーソナリティの分散に対する遺伝要因の比率」とか出てくるわけです。
ピンカー「本性を…(下)」:第19章「子育て」:183ページには「たとえば知能の遺伝率が0.5であるというのは、ある人の知能の半分が遺伝によるということを言っているのではなく、バラツキの半分が遺伝によると言っているに過ぎない。」と記載されています。
この記載を理解するためには分散の定義だけでなく遺伝率の定義も知っておく必要があるんですね。もし多くの人がこの記載を普通に理解できるようになったとしたら…私としてはすばらしいと思うんですね。

まぁ、そこまで行かなくとも。
例えば最近だとレヴィット&ダブナー「ヤバい経済学(増補改訂版)」:第5章「完璧な子育てとは?」:206ページ。「家に本がたくさん有る」イコール良い成績、でも毎日本を読み聞かせる事は成績と関係無い、と書かれています。
この結論を得た実験内容にも興味が湧いてきますが、この記載のすぐ後に「イリノイ州知事が2004年に子供全員に本を贈る計画を発表した…」とあるわけです。1年に約25億円!!ずつ。
相関関係と因果関係を混同しているとしたらイタいわけです。あまり無関心でもいられない話だなぁと。

それに私、通勤時や仕事での移動時とかに電車の中吊り広告を読むのが大好きなんです。週刊雑誌や月刊雑誌で、受験関連の特集が集中的に組まれる時期というのがあるわけで。
特に「こういう子育てで成績アップ」の類い。あぁ、またその季節か、と。
架空の例ですが、1)有名中学に入学した成績上位の子の家には本がたくさんある、2)約80%の子が藤野恵美「七時間目の占い入門」を持っていた、3)約83%の子が上橋菜穂子「精霊の守り人」を持っていた…などと書いてあると、「へぇ、成績上位の家庭ではそんな本を買い与えているわけね。じゃあウチも子供に買い与えようかな。」となったり。

リテラシーが高まってきたら、中吊り広告の内容が変わる日が来るかも、なんてツラツラと。
変な燃料投下になっていなければ良いのですが…。
あっと、列挙した本はどちらも面白いです!
by YJS (2009-04-18 23:02) 

pooh

> 黒猫亭さん

あぁ、まぁ、そう云うことです。
で、どちらの位置にも自分はいる、と云うことですよね。
by pooh (2009-04-19 05:54) 

pooh

> YJSさん

> 相関関係と因果関係を混同している

うあ、ニセ科学問題のまんなかに戻ってきちゃいますね。
by pooh (2009-04-19 05:56) 

YJS

poohさん、こんにちは。

>> 相関関係と因果関係を混同している
> うあ、ニセ科学問題のまんなかに戻ってきちゃいますね。

特に子育て関連が絡んでくると…けっこう頭に血が上りやすいと言うかアツくなりがちと言うか。
でも、逆に言うと「題材として関心が高い」とも言えるでしょうから、1)その実験や調査で得られるデータは何か、2)データはどう処理されているか、3)そのデータとその処理で言える事は何か、4)言えない事は何か、に興味を持って取り組み易いだろうし、役に立つと感じてもらえるとも思うんです。子供でも意外と感心が高いかも、とか。
子供がそういうのを先に知ってると、親が「成績の良い人はこんな本を読んでるんだって!」と言った時に「あ、それ、相関してるだけで別の要因があるかもよ。」とか。嬉しい!!
もしくは子供の方から「疫学的にリレンザが云々でタミフルは然々で…」とか。それって最高!!などとツラツラ。

やっぱりリテラシーと言うからには、自分だけでなく他の人も持つことで更に価値が上がる知識(=電話・言語・OSなど)であって欲しいし、統計なんかピッタリだろうと。ま、私の趣味が強く反映されている意見ですが。
初等期・中等期教育となると、何か新しい項目を加えると今までの何かを削らなくてはならないようなトレードオフがありますから、ただ追加ってわけにいきませんしね。程度が難しいですけど。

by YJS (2009-04-19 08:32) 

pooh

> YJSさん

じつはですね。あんまりまとまった考察になってないんで書いてなかったんですけど、みなさんの対話を読ませていただきながらずっとあたまにあったのは、日常レベルでの確率的な考え方と経済学的な発想の接続、なんですよ。

経済学的な発想の日常生活における共有(およびそのベースとしての初等教育における知識付与)は、じつはニセ科学にまつわる種々の問題の一部について、その解決に貢献するはず、とか思ったりしてます。ただこれって、例えば「経済学についての造詣」レベルで語りうることじゃないので、いまのところあんまりつっこんで書いたりはしていないわけなんですけどね。
by pooh (2009-04-19 09:38) 

TAKESAN

今日は。

超絶今更な書き込み、失礼します。

えっと、上で出てきた子どもの性別に関する確率の問題について、です。

まずzororiさんへ(もしお読みでしたら)。
多分、あの問題の元ネタ、『確率と統計のパラドックス』(スティーブン・セン 著 松浦俊輔 訳)ですよね? 実は、今ちょうど読んでる最中でして、あ、これは、と思ったのでした。

で、この本から、当該問題に対応する所を抜き出してみます。別の説明を見る事によって、考え方が整理されると思うので。
と言うか、これについては、私自身が、答えを出しながらも、ずっとモヤモヤ感があったのです(笑)

かなり長いですが・・
▼引   用▼(P53・54)
 二五頁の元の問題はこうだった。「ブラウンさんには二人の子がいます。そのうち少なくとも一人は男の子です。もう一人の子が女の子である確率はいくらでしょう」。答えは2/3になるのではないかと書いた。
 ジェッド・ディーンは、この逆説にはもうひとひねりあることを教えてくれた。こんなふうに論じるとしてみよう。ブラウン氏の息子を考え、もう一人の子を考える。これは兄か弟か、姉か妹である。四通りのうち二通りは男の子である。したがって確率はやはり1/2だ。
 もちろんこれは、二七頁と三一頁に記した経験的なデータとは合わないが、データはその選び方にも左右される。基本的に父親を選んでいるのであって、子どもを選んでいるのではない。父親を選ぶことは、問いの立て方の中に暗黙に含まれているが、抽出の手順は指定されていないので、別の考え方をする権利はある。
 違いを明らかにするために、子ども二人がいる四世帯がいる島を考える。四世帯それぞれにありうる組み合わせは、男男、男女、女男、女女である。この島では、長子がアルファベット順の上位の文字で始まる名がついている。それぞれの世帯の子はこうなっている。

 フレッド(Fred〔男〕)とピート(Pete〔男〕)――父はボブ
 アンドルー(Andrew〔男〕)とスーザン(Susan〔女〕)――父はチャールズ
 アンシア(Anthea〔女〕)とザック(Zack〔男〕)――父はデイヴ
 ベアトリス(Beatrice〔女〕)とシャーロット(Charlotte〔女〕)――父はエド

父を無作為に選ぼう。少なくとも一人の息子がいる親、ボブ、チャールズ、デイヴを選ぶ可能性は3/4である。選んだ父に少なくとも一人の息子がいるのが前提で、チャールズがデイヴ、つまりもう一人の子が女の子である父を選ぶのは2/3である。したがって、もう一人の子が女の子である確率は2/3である。これは先の解と合致する。
 しかし今度は、子どもを無作為に選ぼう。男の子を選ぶ確率は4/8である。男の子であれば、フレッド、ピート、アンドルー、ザックのいずれかだ。四通りのうち二通りでは、もう一人の子は男の子になっている。
 言い方を換えると、「選んだ子どもが男なら、父がボブである〔つまりもう一人の子が男である〕確率はいくらでしょう」。答えは「1/2」である〔男の子四人のうち、ボブを父をする子が二人いる〕。
▲引用終わり▲
by TAKESAN (2009-06-06 12:44) 

TAKESAN

あ、上の「チャールズがデイヴ」の部分、原文ママです。おそらく、「チャールズ”か”デイヴ」だと思います。
by TAKESAN (2009-06-06 12:48) 

pooh

> TAKESANさん

お元気でしたか。

…えぇと、お続けください…
by pooh (2009-06-07 04:37) 

zorori

> TAKESANさん

ずいぶん前に読んだので、どんな本だったか記憶が定かではありません。
複数の本に書いてあったのかもしれません。

引用部分の記述は確率の基本である「同様に確からしい」と考える事柄の単位を何にするかということを明確にしていると感じました。

2人一組の兄弟(父親のラベルで区別)なのか、一人の人間(子供の名で区別)なのかという違いがありますね。

それで、前者(答えが2/3の方)の問題でも、一人の人間を単位としているように錯覚させる問題の記述になっているのだと思います。
by zorori (2009-06-07 06:31) 

YJS

こんにちは。みなさん。

YJS :
> 著者は「プログラミングのための線形代数」を出されている方です。
> http://www2.plala.or.jp/xyzt/pscs/
> 現代的な(したがってコルモゴロフ流の)確率論の枠組みに従って
> 構成されているのですが、数学のプロを目指さない人向

私が最初に「二人の子どもの性別問題(?)」を考えた時は、上に引用した文書に書かれてある方法に従いました。
確率変数を使い、こどもをそれぞれXとYとし、Xが男ならX=M、Yが女ならY=F、というふうにします。
同時分布の表は以下のようになります。(罫がズレていたら申し訳ありません。適宜、修正をお願いします。)

Y=F Y=M
X=F a b
X=M c d

a/b/c/dの各値は、a+b+c+d=1を満たした上で、あとは適切に決めればよいのです。
もし、XかYのどちらかとまでは分らなくても、ひとりは女となればX=MとY=Mの組み合わせの確率はゼロ、つまりd=0。その上でa/b/cを決めればよくなり、a=b=cを仮定するならa=b=c=1/3で、同時分布の表は以下のようになります。

Y=F Y=M
X=F 1/3 1/3
X=M 1/3 0

あとは、答えとしたい組み合わせを選び、その数値を加算する。他方が男である確率は、(X=M,Y=F)と(X=F,Y=M)の数値を足せばよいので2/3。

他方、1/2になる場合なんですが、私の解釈は「a=b=c=d=1/4とした上で、一方が女とした場合の条件付き確率を聞かれている。」というものでした。同時分布の表は以下のようになります。

Y=F Y=M
X=F 1/4 1/4
X=M 1/4 1/4

一方が女とした場合の条件付き確率は、例えばY=Fの縦罫です。X=FもX=Mも、同時確率は1/4。でも周辺確率が1/2なので、条件付き確率としてはそれぞれ1/2。
もうひとつの場合はX=Fの横罫です。Y=FもY=Mも、先ほどと同様の考え方で、条件付き確率としてはどちらも1/2。
この場合、姉なのか妹なのかは本質的ではないので、妹なのか姉なのかをはっきりさせる必要はないのですが、異なる条件付き確率の解答であることには注意する必要があります。たまたま数値としては同じ1/2になりますが。

つまり、同時確率と条件付き確率と、上手に(おもしろく?)混乱するように問題が作られているということではないでしょうか。

by YJS (2009-06-09 14:03) 

YJS

> 同時分布の表は…(罫がズレていたら…

うわぁっ。本当にゲロズレでした。申し訳ありません。

> Y=F Y=M
> X=F a b
> X=M c d

上記のような表…ってこれも罫を合わせられないかもしれませんが。

> 異なる条件付き確率の解答

これはP(X=F|Y=F)とP(X=M|Y=F)、およびP(Y=F|X=F)とP(Y=M|X=F)、です。|の右側(given)がY=FでもX=Fでも良いのですが、違うものではある、ということです。

by YJS (2009-06-09 14:19) 

zorori

YJS さん、

細かい話になりますが、後の方の問題の場合、対称性により半分だけの計算でよいわけですが、対称でない場合は縦罫と横罫の両方を計算する必要がありますね。SFめいた設定で宇宙人にはF,M,Nという3つの性が存在し、しかも第一子は、FかMだけでNは生まれないという場合を考えると、表は3行×2列となります。

(F,F),(M,F)
(F,M),(M,M)
(F,N),(M,N)

第二子がFの横罫1行は(F,F),(M,F)なので、もう一人も女の確率は1/2。
第一子がFの縦罫は(F,F),(F,M),(F,N)なので、1/3です。
両方を考えて答えは2/5。

地球人に戻って、
カッコ単位で数える兄弟のパターンは(F1,F2),(F1,M2),(M1,F2),(M1,M2)の4種類ですが、
カッコ内のアルファベット単位で数える個人のパターンは(F1,F2)のF1、(F1,F2)のF2、(F1,M2)のF1、(F1,M2)のM2、(M1,F2)のM1、(M1,F2)のF2、(M1,M2)のM1、(M1,M2)のM2の8種類あります。

Fが一人はいる兄弟のパターンは3種類で、そのうちMがいるのは2種類で2/3。
Fである個人のパターンは4種類で、そのうち片割れがMであるのは2種類で1/2。

二つの問題で、「少なくとも一人は女である時に、もう一人が男である確率」と同じ言い方がされますが、厳密に表現すると、「少なくとも一人の女がいる兄弟のうち、男がいる兄弟の割合」と「女の子のうち、片割れが男の子である割合」という二つの解釈があるというのがミソじゃないかと思います。
by zorori (2009-06-09 21:47) 

YJS

こんにちは。zororiさん、みなさん。

zorori さん:
> 二つの解釈があるというのがミソ

そうそう!そう思います。曖昧さが少ない表現の仕方を知っていると迷う事も少ないし、計算も楽ですよね。その意味で、数学というのは良くできていると感心する事が多いです。
by YJS (2009-06-09 23:33) 

YJS

こんにちは、みなさん。YJSです。

# 思いっきり間をおいたコメントで恐縮です。

YJS:
> 「プログラミングのための線形代数」を出されている方です。
> http://www2.plala.or.jp/xyzt/pscs/
> 現代的な(したがってコルモゴロフ流の)確率論の枠組みに従って
> 構成されているのですが、数学のプロを目指さない人向け…

どうやら、2009年10月20日に発売されるようです。オーム社のウェブサイトでも、amazonでも書誌情報を見ることができます。
=====
プログラミングのための確率統計
平岡和幸、堀玄
オーム社
978-4274067754
コンピュータサイエンスに携わる人のために書かれた確率統計の教科書。
本書は、数式による定理の証明とその説明という数学教科書の一般的なスタイルとは異なったかたちで確率統計を解説している。
数学的な概念のイメージを補うわかりやすい日本語と図表、そして動作するプログラム(本書では主に確率的な事象のシミュレーションに利用)により確率統計を理解させる。
=====

by YJS (2009-10-15 21:10) 

pooh

> YJSさん

情報ありがとうございます(ここは蒸し返し歓迎です)。

いや、いくつかの意味で確率統計に対するもうすこしましな理解がぼくには必要かな、みたいに感じる部分もあって。読んでみようかなぁ。
by pooh (2009-10-15 22:21) 

YJS

こんにちは。poohさん、みなさん。

確率・統計って、もう本当に多くの分野で使われていて、しかもそれぞれの分野の土台と化している場合もあったりして、たぶんそのせいだと思うんですが「色~んな教科書がある」んですよね。
医薬品の治験を専門とする人が書いた統計の本、計量経済学を専門とする人の本、数学の実解析を専門とする人の本、…ぜ~んぶ違うフィーリングを持っている感じ。

だから、興味のある分野(またはそれに近い分野)の人が書いた確率・統計の本でないと、読んでてピンとこない、ということがあると思います。
この本は、コンピュータに近い分野の人を対象にした本ということで、たぶんソフトウェア開発などの仕事をしている人にとっては、読みやすい本なのではないかと思います。(ネットで読める部分から推測するに、ですね。)

by YJS (2009-10-16 12:41) 

pooh

> YJSさん

それだけいろんなことがらの考え方の基礎になっている、と云うことなんでしょうねぇ。

ぼくはプログラミングはできないしソフトウェア開発関連の仕事をしているわけではないんですが、業界的には非常に近いところにいます。ちょうどいいのかもしれない。
by pooh (2009-10-16 21:52) 

TAKESAN

今晩は。

私も(しつこいくらい書いてますけど(笑) )、確率・統計は大変重要だと思います。

と言うのも、個別諸科学においてツールとして用いられるから、基本的な知識として押さえておくのが重要、統計を用いたものがマスメディアを通じて発信されるから、それを吟味するためにも重要、なのは当然として、それとは別に、「統計のおかしさを批判するものが的外れ」な場合が多々あるので、それをある程度見抜くためにも、勉強しておいた方がいいだろうな、と考えるのです。
WEBでも、これは統計の誤魔化しだ、とか言って何かを批判してるのに、その文の中に思い切り術語の誤用が含まれていたりするのが散見されるんですね。

ちなみに、私がお勧めなのは、(これも散々書いてますが)大村平さんの本です。大村さんの本は工学・技術系ですね。JUSE の本ですし。
by TAKESAN (2009-10-17 18:29) 

pooh

> TAKESANさん

もう、これは以前から指摘されているんですよねぇ。
いや、まじめに受け止めます。
by pooh (2009-10-17 20:50) 

YJS

こんにちは。TAKESANさん、poohさん、みなさん。

TAKESAN さん:
> お勧めなのは…大村平さんの本です。

あぁ、良いですね!私も「…のはなし」を何冊か持っています。

これ、どうですかね。
確率的な意思決定や統計的な推論に対して、従来の確率・統計学とは少し違ったアプローチをしている「機械学習」の関連。
私もコメントの(すご〜く)上の方で「例題コードがPythonな「集合知プログラミング」…」などと書いてます。私としては「集合知プログラミング」がおススメです。

あとはRを使ったものですかね。これだと汎用のプログラミング言語を新たに習得する必要がないですから。
Rを使ったやつだと…何がいいかなぁ。

by YJS (2009-10-18 13:31) 

pooh

> YJSさん

ありがとうございます。参考にさせて頂きます。
ちょっと現在、他のかたにお奨めいただいたものを含めて積ん読処理モードに入っているので、ちょっと時間はかかってしまうかもしれないですけど。
by pooh (2009-10-18 21:35) 

TAKESAN

今日は。

>YJSさん

それは未読なのですが、調べてみると、とても面白そうな本ですね。書店に行った折にでも見てみようと思います。

------

宣伝ぽいですが(笑)

ここら辺で、どういう本が良いか、などをちょこちょこ書いていたりします
http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=4&summary=on

後、ここでは統計的方法や科学的方法の雑多な事をつらつら。どんな本を読んだか、とかも
http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=9&summary=on

皆さんに色々教えて頂けたりするとありがたいなあ、なんて。
by TAKESAN (2009-10-19 11:24) 

YJS

こんにちは。TAKESANさん、みなさん。

機械学習って、たぶん広義の非フィッシャー流、というかベイズ流で書かれている場合が多いと思うんです。
あまり検定とか書かれておらず、さらっと「仮説が正しい確率」とか書いてあったり、ですね。
まぁ、データに何を語らせたいかという観点に対して割とストレートなアプローチの仕方と言えるんでしょうが、確率・統計をこれから始めるって立場の人に勧めたものかどうか…。
すでに「集合知プログラミング」をおススメと言っておきながらも、ちょっと悩んだりしてます。

ベイズの本を手に取った時でも、まぁ、処理が簡単なせいだと思いますが最初の方にコイントス・トライアルの例があったりして、それでPを確率分布と考えろとか言うし、へぇそうなんですねと思いながらもなんか不自然な感じもあったり。だって、Pが決まってそうな直観が強いですから。
まぁ、その、慣れちゃうんですけどね、すぐに。でも、おススメするとなると…ふと気になってしまう。

あと放送大学。
私、今年度の前期に履修してました。大きな本屋だと放送大学のテキストを置いてあって、内容を確認できると思います。
記述統計から推測統計、情報量規準もモデル選択も、分散分析も回帰分析も、主成分分析も因子分析も、つまり標準的な(フィッシャー・ピアソン流の)統計学の内容を、薄く広く全~部やります。
まぁ、その、値段が…張るとお感じになるかもしれないですが。
by YJS (2009-10-19 13:29) 

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