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根拠を選ぶ [世間]

nakayayadoさんのその話を否定するわけではないがと云うエントリを読んだ。例の「声がけでごはんの腐敗の様子を比較する」と云う実験をされたかたの、醤油づくりのお師匠さんとのエピソードのようだ。

 「そこには、真実と大げさなもの、両方が混雑しています。間違いがないのは、「ありがとう」という気持ちから出てくる丁寧な仕事は確実にいい影響を与えるということ。それは対象物に変化を促します。」
素晴らしい、と思った。

ひとの気持ちは、ひとの行うことに影響する。なしとげられる成果にも影響する(かならずしも、つねに如実に顕れる、と云うことではないけれど)。これはまぁ、実感としてだれしもが理解できることだと思う。
で、それを例えば比喩として「気持ちの波動が伝わる」と云ういいまわしで表現するのは、許容されることだ、と思う。でもそれを、ひとの営為、と云う水準を超えて説明しようとしたり、実証しようとしたりするのはまったく話を違えてしまうおこないだし、それはそもそも、ひとのなすこと、と云うものに対する敬意をひどく欠いた発想だと思う。
この、話が違えられている、と云うことを判断するのに必要なのは、もちろん専門的な科学知識なんかじゃなくて。「常識を働かせる」ことが求められる部分なんじゃないかな。
 「科学的」とかいうと、いろいろなものを否定する冷たい印象が僕の中にはどうしてもあるけど、最低限の、自分がやっていることの根拠を話せるというのはまさに「科学的」な目線だし、その最低限をクリアーした中で自分の夢や今後に続く進展を話したい。
そう、そう云うことだと思う。このかたのおっしゃる「科学的」な目線、と云うものは、ひとのいろいろな思惑や感情を超えていろいろなものに対する理解を共有するために活用されるべきもの、なのであって。
 元は同じなのに「ばかやろう」と書いただけで、「こっちが悪くなるように」とか思っちゃう自分にも出会えます。そして、「やっぱり」とか思えます。
このことはまぁ事実であって。
別段超科学でも量子力学でもポエムでもファンタジーでもないし、気づきだの覚醒だの意識の次元上昇だのが起きなくても理解できることだと思うんだけどね。
タグ:ニセ科学
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技術開発者

こんにちは、poohさん。最近、頭に浮かんでいる変なイメージなんですけどね。

我々は心の中に2つのため池を持っているのね。不合理のため池と合理のため池ね。でもって合理のため池の方が不合理のため池より高いところにあるわけです。だから自分を不合理にしてしまうのは簡単で、上にある合理のため池の栓を外せば、何の努力もしなくても合理のため池の水は不合理のため池に流れ込んでしまう訳です。逆に合理のため池の水を増やす、つまり合理的でありたいと思うと、結構たいへんで、下の不合理の池から自分の手で汲み上げなくてはならない訳です。

こういう、もともと自分たちは不合理に陥りやすい生き物なのを、努力して合理的になろうとしている存在だという意識が、なんとなく薄れているのかなという気がするんですね。二つの池が同じ高さにあるような錯覚とか逆にもともと合理的の池が下にあって不合理の池に水を汲み上げることで、何かが見える気になるような感覚とかね。だから、「栓をしっかりしておかなくちゃ」みたいな意識も薄れてしまう。

さらにいうと、社会全体の意識にも同じようなため池があって、みんなで「社会の栓も心の栓もしっかり締めておけよ、でないと合理の池がからっぽになるぞ」とか戒め有ってきためんがあると思うんだけど、その池も同じ高さにあるような錯覚の中で、「時には栓をゆるめてもたいしたことないかな」みたいになっている感じもうけたりするんですね。

by 技術開発者 (2009-03-11 12:37) 

pooh

> 技術開発者さん

こちらのたとえ話のポイントは、「ふたつのため池に入っている水の総量は(社会全体として)変わらない」「ふたつのため池に入っているのはどちらも水である。どちらに入っているかで意味合いは大きく変わるけれど、そこに違いはない」と云うあたりでしょうかね。

「同じ水だからおんなじじゃん、そこに差はないよ」「上にあろうが下にあろうが変わらないじゃん。にんげんだもの」みたいな主張をされる方を見受けますが、「水がみんな下のため池に入っている世界に暮らしたい?」とか「このままじゃ水は低きに流れちゃうけどいいの?」みたいなことを訊いてみてもちゃんとしたお返事が来たことがないんですよねぇ。
by pooh (2009-03-11 21:22) 

TAKA

言及先の記事、読みました。
>「一滴まで大切に、とあなたが言うあなたの仕事は一滴を大切にしていますか?」

醤油づくりのお師匠さんの、この言葉が印象深いです。
ちなみに以前、一緒に仕事をしていた班長は、材木を少しでも粗末に扱う人を見かけると、ものすごい剣幕で叱っておりました。
普段はボケを連発していましたが、山の現場では威厳のある御方でした。今も、私が理想とする林業人の一人です。

現在の私は、「科学の心を持って、大自然の恵みに感謝。」を心掛けて、山に入っている次第です。
by TAKA (2009-03-12 20:13) 

pooh

> TAKAさん

> 「科学の心を持って、大自然の恵みに感謝。」

すてきです。
どっちも大事なんですよね。
by pooh (2009-03-12 22:23) 

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