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企業の倫理 [よしなしごと]

wackyhopeさんのマイナスイオン製品を扱う企業の消費者に対する姿勢・感覚への疑問。と云うエントリを読んだ。なんかこのへんとかこのへんとかで書いたことにつながってくるような内容。

マイナスイオンは、過去にもニセ科学のひとつとして問題になったことがあるにも関わらず、
消費者に対して何の説明もなくマイナスイオンという言葉を再び使うようになったのはなぜなのか?
消費者には説明しなくて良いと考えているのでしょうか?
非常に残念ではあるけど、現状消費者には説明しなくて良いと考えていると云うことなんだと思う。いや、企業に所属する人間がみんな平気だ、と云うわけじゃなくて、商売上背に腹は変えられないので許容される、と云う程度の意識かもしれないけど。
マイナスイオンが科学的に正当なものであると考えるのであれば、
「マイナスイオンはニセ科学ではない」ということを堂々と説明すべきではないかと思うのです。
堂々と説明する根拠がないのでむずかしいでしょう。別の造語を持ってきて姑息に説明する、と云う程度がせいぜいかと。
もっと言うと、マイナスイオンをニセ科学だと言って関心を持っているのは極々一部で、
市場を制する上では、それら極々わずかな人たちは無視し続けていても良い、
大多数の消費者はニセ科学議論のことなど知らず、
むしろ「スゴそうなモノ」として買ってくれるという目論見があったのかもしれません。
もくろみもあったんだろうし、現実問題そのもくろみはあたったわけで、その意味で「マイナスイオンと云う用語を使い続ける」と云う判断を下したマーケターは正しかった、と云うことなんだと思う。
逆に云えば(最近喧しく取り沙汰されたりしたけれど)結局のところニセ科学批判、と云うものの現実的なリーチは現時点でその程度のもの、と云う話でもあって。これはこれで受け止めるべき、と云うかまぁそもそも技術開発者さんのおっしゃる「負け戦」なので。
消費者の間で起こっている議論を、
経営やマーケティングのパワーで黙殺したり封殺したりしないようにするのも、
企業が消費者とのコミュニケーションで守るべき倫理のひとつではないかと考えます。
これも残念な話なんだけれど、企業には自然人のあいだに存在する意味での倫理は存在しえない(と云うことについてはいくらか考えてもきたし、ここでも書いているんだけど、ここで引用するほどのものはない。ごめんなさい)。あるのは「消費者に誠実であること」と「消費者を欺いても当面の業績をあげること」の二者選択における、それぞれのアティテュードのもたらすリスクとベネフィットの分析に基づく判断だけで。前者を捨てて後者を選択すること、には中長期的なリスクがそれなりにあるはずなんだけど、そこで後者が選ばれることについてはたぶん「企業を評価する社会的なしくみ」についての議論になってくる(このへんについても書いたことがあるように思うけど引用しない)。

で、そのあたりの状況を生んでいるしくみが社会全体の利益に反する状況があるとすれば、それはそのしくみそのものがゆがんでいる、と云うことなんだと思う(トヨタなんて云う日本を代表する、だからそれなりに矜持とコンプライアンス意識が期待されるべき企業のひとつがエコ替えなんて云う消費者をあなどった詐欺同然のキャンペーンを平気でやっていて、しかもそれが許容されている、と云うあたりからしてこのゆがみは相当に根深い)。
ぼくの場合、そのへんのゆがみについて考察する切り口のひとつがニセ科学だ、と云う意味合いが濃かったりもするのだけど。
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wackyhope

言及ありがとうございます。とても参考になりました。
私も自分で疑問を投げかけつつ、現実的にはpoohさんがここで述べてらっしゃるようなことなんだろうなということは、自分が企業に属する身であるだけに切実に感じています。まあそれでも、何も言わないよりはマシかなと思って、少しずつでも自分が感じたことを書いていければいいかなと。会社にとっては好ましい存在ではないかもしれませんが。
最後の「そのへんのゆがみについて考察する切り口のひとつがニセ科学だ、と云う意味合いが濃かったりもするのだけど。」というのは、私も共感を覚えます。また、ニセ科学を純粋に科学的側面から論じるだけでなく、企業活動全体の中で捉えてみるのが、私なりのアプローチかなと思ってみたりしています。
by wackyhope (2009-03-07 00:22) 

pooh

> wackyhopeさん

気分を害されてしまうかとひやひやしてました(^^;。
いや、このエントリも相当言葉足らずではあって。

このへんの話って、「じゃあ、企業は誰のためのものなの?」とか、「社会のなかで企業はなんのためにあるの?」とか云う議論につながっていくんですよね。で、法的な意味での法人の位置づけとか、市場経済のなかでの企業の役割とか、そう云うことを考えていくことに、たぶんなるんです。

あんまり簡単に喰いついていける部分でもないかも知れませんけど、ぼくもひとりのサラリーマンとして日夜そのあたりを考えたりしています。
by pooh (2009-03-07 06:14) 

技術開発者

こんにちは、wackyhope さん。

なんていうかな、社会的規範が法律なんかで定められた「してはいけないこと」「しなくてはならないこと」のみになり、その内側にある「しない方が良いこと」「した方が良いこと」みたいな弱い基準を守らせるための好悪感とかいうのが失われていると考えています。

なんていうか、法律というのはそういう規範の両端の厳しい部分を定めていて、その内側にある「方が良い」的な部分は、「そんな奴は嫌いだ軽蔑する」「それは良いことだ尊敬する」とかいった、人の間の感情により守られていた訳です。例えば落ちていたサイフを猫ババするのは法に触れますが、「警察に届けるのが面倒だから見て見ぬふりをする」「手間を惜しまずに警察に届ける」の間の差が無くなっている訳です。「見て見ぬふりをしたんだ」と公然と言い放つ奴が居たら、昔なら「人間性に欠ける奴」と侮蔑の対象と成ったはずですが、今の世の中は下手に軽蔑を示そうものなら「法に触れたことをしたわけでは無いから軽蔑するなんてもってのほかだ」と言われると思いますし、「サイフを拾って警察に届けていたので遅れました」なんて仕事場で言おうものなら、「何の得にもならないことをする仕事のできない奴」と烙印を押すのが当たり前の社会となっていると言うことですね。

もともとは、法の取り決めの内側にあることのうち「しない方がよいこと」はする人間や会社を周りが軽蔑することで、「自然な排除」というのがあった訳ですが、今の日本では「軽蔑などという非人間的な事をしてはならない」とされ、「した方が良いこと」をするものを人間や会社を称揚することで「自然な勧奨」というのが有ったわけですが、、今の日本ではそのことを「無駄なことをしている」と軽蔑の対象とする社会になっている訳ですね。

ということで、皆さんは「そういう社会に生きたい」と今の社会の雰囲気を「自らの手で」作られているのだろうと思います。それが「生きやすい」社会だと信じておられるのだと思いますから、私としては何も言うことは無いわけですね。と皮肉の一つも書いて見ました。

by 技術開発者 (2009-03-09 15:55) 

pooh

> 技術開発者さん

ただ、むずかしいところがあると思うのは、企業(法人)には、自然に発生する権利、と云うものがないんですよね。なので、なんらかの義務が自然に発生することもない。
企業に倫理があるとすれば、それはなんらかの定められたもの、を源とするものでしかありえないんですよ。法人が社会やコミュニティの利益に反するふるまいをする場合、それを防ぐためには、なんらかの方法でそのふるまいを制限する決まり、をつくる必要があるんですよね。

例えば、企業と云うものが株主の短期的な利益のためにある、とされる場合。社会にどれだけ軽蔑されようと、企業にとっては株価の上昇と配当金の捻出のためにひたすら行動するのが正しい行動です。そこに、社会の不利益になる行動をしてはいけない、と云う倫理が入り込む余地はありません。
by pooh (2009-03-09 22:20) 

技術開発者

こんにちは、 pooh さん。

>例えば、企業と云うものが株主の短期的な利益のためにある、とされる場合。社会にどれだけ軽蔑されようと、企業にとっては株価の上昇と配当金の捻出のためにひたすら行動するのが正しい行動です。

いわゆる「社会的制裁」の持つ意味というのは、あらゆる所に波及し、そして予想が難しいということに有るわけです。何か不祥事を起こした場合でも、多くの人が「潔い対処だな」と思う対処をするとダメージが軽く、辞職した経営者にも「もう一度がんばってみないか、援助するよ」と救いの手がさしのべられたりしますし、逆に「酷いな」という対処をするとその潰れた会社を吸収した別会社にまで影響が及んだりする訳です。本来、この予想の付かない波及機能こそが社会的制裁が強力な不正抑止力として働く根元なんですね。

つまり「短期的な利益で後は放置」といったいわゆる「汚い商売」に対して、その汚名が経営者やら出資者に波及する可能性を秘めていたのが従来の文化であるわけです。経営者がその汚い商売で得た利益で新たな商売をはじめようとするとき、周りが「また汚い商売をする気か」と非協力的になるとかね。そういう、抑止力が失われたとき、文化は衰退します。

なんていうか、現代というのは、そういう抑止力を「古くさい不合理なもの」として捨て去る事を推奨する上にできあがっている訳です。

by 技術開発者 (2009-03-10 08:46) 

pooh

> 技術開発者さん

このあたりの話ってスコープが大きすぎて、どの視点を採用して議論するのが適切なのか相当悩んでしまう部分があるんですが。

とりあえずニセ科学周辺を切り口にすると、例えば「その商品はニセ科学でしょ」と指摘したときに「ニセじゃなくてこれが正しいんだ」じゃなく「ニセでなにが悪いんだ。商売の邪魔をするな」と云う反応が出るような心性、みたいなお話かと思います。
by pooh (2009-03-10 22:00) 

pooh

大先生がご自分の巣(にしては傍目には居心地が悪そうだけど)でこちらに言及なさっておらっさる。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835549&tid=a1va5dea5a4a5ja59a5a4a5aaa5sa1w4fbbkbcbc&sid=1835549&mid=2271

> パナソニックやシャープなどの企業は前者で、悪評は承知で可能性に賭けて研究を続けた結果、付加価値のある商品群を送り出し、それらは消費者に喜ばれています。企業倫理としてはそれで十分でしょう。

みごとです。
このお言葉でおおむねのニセ科学やカルトや悪徳商法は免責できますね。

企業倫理、と云うものをどう捉えるか、と云うのはかくも難しい、と云うお話でした。
by pooh (2009-03-10 22:04) 

pooh

面白いおもしろい。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835549&tid=a1va5dea5a4a5ja59a5a4a5aaa5sa1w4fbbkbcbc&sid=1835549&mid=2282

> 具体例を何も検討せずに、いきなり過激な結論を持ち出すというのは極めて安直かつ乱暴な論法です。

大先生におかれましては如何でいらっしゃいますか?
by pooh (2009-03-12 22:19) 

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