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革命前夜 [余談]

izaの作家・佐藤賢一さん、茂木健一郎さん対談 今の日本は革命前夜の仏にそっくりと云う記事を読んだ。

佐藤賢一についてはけっこうファンで、文庫に落ちているものはだいたい読んでいると思う。まぁ、この記事の中で示されている佐藤賢一の見解については一概に賛同しないにしろ、それはそれでいち見解と云うことでまぁ問題ないとして。
茂木さんが「麻生さんがルイ16世ですか?」と冗談交じりに切り返し、会場をわかせた。
これのどこが面白いんだろう。

麻生さんを支持するつもりはないけれど、いまのこの世間の状況でどうやったって為政者がほめてもらえるわけもなし。ルイ16世についてもいろんな物語で描写されるほどには暗君ではなかった、と云うのが現時点での大勢の評価だ、と認識している。ってえかあの時点で王位についているのが太陽王であったとしても、やっぱり断頭台には送られたんだろうな、と思うし。

時代背景には逆らえないし、ひとは実際にその時点でとり得た行動で評価される、と云うニュアンスを含めてこの言葉を茂木さんが口にした、聴衆もそれを理解して湧いた、と云うんだったらいいけど、なんかどうしてもそう云うことのようには思えない。
なんか微妙に「知的」っぽいことを適当に口にして受けを狙う脳科学者と、その言葉を咀嚼もしないで大受けする聴衆。正直、空々しすぎて気持ち悪い。
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黒猫亭

以前茂木健一郎の言説はすでにニセ科学の域に踏み込んでいると申しましたが、こう謂うのを視ると、ニセ科学と謂うより「ウソ科学」とか「ホラ科学」と呼ぶほうが適切じゃないかと思えてきます(笑)。

なんだか、ニセ科学のほうがもっと真面目なような気さえしますね。どちらもウソはウソなんですが、ニセ科学は吐いたウソそれ自体からベネフィットを得ているのに比べて、茂木健一郎はウソを吐くと謂う行為によってそれを得ているのですから、言説の無責任さ加減は遙かにこっちのほうが上と謂う気がします。

個々のニセ科学言説のようにピンポイントのウソを流布するのではなく、なまじ先端分野の科学者と謂う肩書きで全方位のウソを撒き散らしている分だけ、世間に対する反啓蒙の悪影響と謂う観点では茂木健一郎のほうが遙かに罪深いんじゃないかと思えてきますね。

ただ、茂木健一郎的な問題性と謂うのは、けっこう新しい問題なのかなと思わないでもないです。二、三十年くらい前の感覚だと、科学者が非専門的なインタビューや著書に、余談として未検証の「見込み」を語ったり、研究分野の知見からの希望的な「想像」を語ることは、割と一般的にあったんじゃないかなと思うんですが、世間的な科学啓蒙の度合いとの相対でそれほど深刻な悪影響はなかったんではないか(もしくはそれ以前の状況だった)、そう謂うふうにも思います。
by 黒猫亭 (2009-02-03 14:48) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

「専制国家の破綻は君主の罪だけど、民主国家の破綻は国民の罪だ」なんてどこで読んだのか思い出せない(案外、「銀英伝」?:笑)。

なんていうかな、もともと専制国家では破綻を来たしても、なかなか為政者を取り換えて政治システムを転換するのが難しいから、力による革命で政治システムを転換させた訳です。それが革命ですよね。民主国家では、選挙により為政者を取り換えて政治システムを転換させる事ができるのだから、力による革命は必要なくなるというのが民主国家の理念のはずなんですよね。

私は労働組合の役員でもあるんだけどね。最近、少し自分自身の方針転換をし始めているのね。思想的な知識は山ほどあるけど、今までは割とそれを表に出さずに労組をやってきた訳です。理由は「嫌われるから」なんですけどね。でも、なんとなく、今、みんなに必要なのはそういう知識じゃないかなんて気がしてきて、ポツリポツリと語りはじめているのね。なんていうかな、もともと「機械打ち壊し」みたいな暴動からはじまった労働者の暴発が、やがて選挙権を求める運動につながり、選挙で労働者の代表を議会に送り込んで労働法を作ってきたみたいな事を今は誰も語らなくなっているのね。労組にはいっている労働者は日本全体で2割を切り、議会には労働者の代表なんて議員はいなくなり、そして、労働法は改悪されつづけ、不況になると仕事どころか住むところも失った人が巷にあふれる。これって、本当に民主国家なのかと考え始めて居るわけです。

by 技術開発者 (2009-02-03 17:56) 

pooh

> 黒猫亭さん

> ニセ科学は吐いたウソそれ自体からベネフィットを得ているのに比べて、茂木健一郎はウソを吐くと謂う行為によってそれを得ている

ただ、そのベネフィットを得る目的、と云うのがなにかしら必ずある、その目的のために戦略的にやっている、と云うふうにいまでもぼくには思えてしかたないんですよ。で、その「目的」がなんなのか見えない。必ずしもそれほど志の低いものではない、と云う可能性もあるので。

> 科学者が非専門的なインタビューや著書に、余談として未検証の「見込み」を語ったり、研究分野の知見からの希望的な「想像」を語ることは、割と一般的にあったんじゃないかな

これはなんかそんな気がしますね。なんとなく怪獣映画とかに出てくる「楽観的な科学者」のステレオタイプみたいな感じで。
by pooh (2009-02-03 21:59) 

pooh

> 技術開発者さん

うむむ。難しいお話です。

> 力による革命は必要なくなるというのが民主国家の理念のはず

そうですよね。そもそもをたどると、どう考えてもそうですよね。
なんでこんなことになってんでしょうね。
原理的には、現状は「誰かのせい」ではないはずですもんね。

ぼくは人生の中で「政治の季節」がまったく訪れなかった種類の人間なんですけど、これもこれでおかしな話ではありますよね。そう云う人間が(たぶんけっこうな数)いること自体。
by pooh (2009-02-03 21:59) 

黒猫亭

>poohさん

>>で、その「目的」がなんなのか見えない。必ずしもそれほど志の低いものではない、と云う可能性もあるので。

それってなんでしょうかね。以前TAKESANさんのところ経由で読んだ伊勢田氏との対談から受けた印象で謂えば、どうも橋下徹的な世直しの動機があるかもしれませんね。或る種の狭量な正義感と謂うのか、自分の価値観で世の中を良くしたいと謂う動機はあるのかもしれません。その辺が、科学の衣を纏った古臭いお説教と謂う印象の拠って来たる所以なのかも。

>>これはなんかそんな気がしますね。なんとなく怪獣映画とかに出てくる「楽観的な科学者」のステレオタイプみたいな感じで。

四半世紀くらい前の科学啓蒙の度合いだと、そもそも科学者の社会に向けた言動にそれほどシビアな精度は要求されなかったんではないかと謂うふうに思います。それを受け取る社会の平均的なリテラシー自体が低かったので、慎重に発言しなければ誤解を招くと謂うレベルですらなかったのかな、と。

ニセ科学の問題と謂うのは、やっぱり現代日本レベルの科学啓蒙の度合いや社会の開明度を前提にした問題ですよね。それ以前だと、ニセ科学よりは宗教や伝統的習俗、社会制度などにおける非合理一般が問題だったのだろうと思いますし、科学的真理と謂う雑なイメージがそれらの従来的非合理一般に対置されていたんではないかと。

火の玉教授的な粗雑で一種政治的な疑似科学批判と謂うのは、そう謂う意味でかなりタイプが古いと謂う印象ですね。まだ社会の開明度が低くて非合理が支配的だった時代に、科学的思考法の優位を旗標にそれらの問題性を糾弾する、と謂うような、オレが子供の頃くらいの時代性のスタイルなんではないでしょうか。
by 黒猫亭 (2009-02-03 23:48) 

pooh

> 黒猫亭さん

ちょっとですね、茂木さんのその部分を推測するには、個人的には手元の材料が足りない感じだったりします。あれだけ露出が多いひとなのでまじめに情報を集めればなにか見えるのかもしれないんですけど、そのためには自分のリソースが足りないし、すこし前に一生懸命著書を読んで強く失望した経験がどうしても動機を阻んでしまう(^^;。

> 火の玉教授的な粗雑で一種政治的な疑似科学批判と謂うのは、そう謂う意味でかなりタイプが古いと謂う印象

このあたり、きくちさんやapjさんを典型として、いま時点でニセ科学への批判を行っている科学のインサイダーの方々の視座や手法の同時代的な意義、と云う話にもつながってくるのかと思います。
by pooh (2009-02-04 07:36) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

なんていうかな、フランス革命前夜というより、ドイツのナチス政権誕生前夜の雰囲気の方を強く感じるんですよね。フランス革命は専制政治から民主政治への転換だったけど、ナチス政権の誕生は民主政治から専制政治への転換ですからね。「専制」というのをどう読み下すのか考えてみたら「もっぱら政治を制する」とでも読むのかと思ったんですね。つまり民衆が「自分は政治には関わる気はない、政治の専門家たちだけで勝手にやって」と投げ出したら、たとえ、普通選挙の結果であってもそれは専制政治なんだろうと思ったりします。今の二世、三世議員の跋扈をみると、既に日本は専制政治に足を踏み入れているのかも知れません。

>ぼくは人生の中で「政治の季節」がまったく訪れなかった種類の人間なんですけど、これもこれでおかしな話ではありますよね。そう云う人間が(たぶんけっこうな数)いること自体。

若者が青春の一時期に「政治の季節」を持つというのも、もともと基本仕様に基づくものではなくて「文化」に由来するものだと思います。全共闘世代のあと、社会が若者が政治にかぶれることを極端に嫌悪した部分があり、それが、社会人への通過儀礼として「政治の季節」をもつという文化を破壊したのかも知れません。

>印象で謂えば、どうも橋下徹的な世直しの動機があるかもしれませんね。或る種の狭量な正義感と謂うのか、自分の価値観で世の中を良くしたいと謂う動機はあるのかもしれません。

このあたり、青春の通過儀礼としての「政治の季節」「哲学の季節」が失われている事と関係するのかも知れないと思ったりします。或る意味で、庶民の多くがそういう通過儀式を経ていれば、「考えが足りないぞ」と簡単に無視されるような話が、なんとなくすごく価値ある話のように受け取られ、もてはやされてしまうのかも知れないと思ったりします。

余談ですが、私の学生の時の下宿というのは、様々な思想にかぶれた奴とか振興宗教にはまった奴が出入りしては酒を飲んでいたとい「悪の巣窟」のような場所でしたよ。おかげで、わたしなんかはずいぶんスレッカラシている訳ですね。

by 技術開発者 (2009-02-04 08:22) 

pooh

> 技術開発者さん

なんか、専制政治(適切な用語を選択してくださってありがとうございます)から民主政治への転換って、実際にはまったく不可逆なものでもなんでもないじゃないですか。革命後のフランスだけじゃなくて、そんな事例はカエサルの昔からあって(ぼくがよく知らないだけで多分もっと昔から)。

でも(ぼく自身を含め)、なんとなく「その逆は生じない」と云うような漠然とした意識がある。専制政治は専制政治を名乗って登場するわけじゃなくて(国家社会主義とか)、また高圧的に登場するわけじゃなくて(国家社会主義とか。例がおなじものになってしまった)。この「漠然とした意識」ってそこそこ危ないもののような気もします。
その意味で、世相や政治にに疎いぼくではありますが、現在のうちの国の空気感については、技術開発者さんと同じようなものを感じているのかな、みたいに思います。

> 社会人への通過儀礼として「政治の季節」をもつという文化

ぼくは世代論が好きで、自重しなきゃとか思いつつすぐにそう云う方向に持っていってしまうんですが。
技術開発者さんとかきくちさんって、その文化が破壊される過程に「若者」だった世代ですよね。だから前世代の発想もわかるし、幾分か受け継いでいる。ぼくとか黒猫亭さんは(たぶん)それより10年前後遅れていて。
そう云う意味でたぶん「政治の季節」とか「哲学の季節」はなくて、ぼくなんかが若者のころはなんと云うか「消費の季節」みたいなのが時代背景にあったような気がします。嫌いつつも逃げられない、みたいな。
いや、たいていの意味で自分の世代の典型から外れているとおぼしきぼく個人とぼくの周辺について云えば、当時訪れたのは「美学の季節」みたいなとんまなもので。安いアブサン呑んで売れないへぼな詩を吟じて貧困しつつ破局に向かう、みたいなしょぼたれたステレオタイプですけど。
by pooh (2009-02-04 21:51) 

pooh

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090203/184799/

ちょっと関連。
日経ビジネスオンラインの記事なので、会員以外のひとはすぐに読めなくなるかも。そんときはご容赦。
by pooh (2009-02-04 21:52) 

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