競技水準と理解 [みたもの、読んだもの]
はてな匿名ダイアリーの「技術の浅田、表現力のキムヨナ」というのをもうやめないかと云うエントリを読んだ。
で、基本的にこのエントリにリンクしたかっただけなので、続きは蛇足。
この季節にはごちゃごちゃとフィギュアスケート関連のエントリを書くけれど、基本的には自分が見て取れる範囲のことを材料に、自分の感じたことを書いてるだけで。で、ぼくはジャンプの見分けもつかないような、ファンとしては初級者で。
それでもわきまえているつもりなのは、ぼくがああだのこうだの云っていることは、本来の競技の水準からするととてつもなくぜいたくな話だ、ってこと。そう云う意味でぼくも物見高い消費者的観客のひとりに過ぎないし、それを超えるだけのなにかを持っているわけではなくて。ちゃんと感動を受け取るためにはそこで行われていることをちゃんと理解したい、と云うスタンスも、ストレートに利己的なものだったり。そう云う意味では、書き方そのものもぼくの理解している範囲を超えるものではなくて、その意味では書かれたものはまったくフェアではない。
でも、マスメディアがそれをするのは自殺行為ではないのか。
でも、それをマスメディアがやっちゃだめでしょ。放送で見てるひとが、そう云う競技なんだ、って思っちゃうよ。
たぶん競技としてフィギュアスケートと云うのを捉えたときに、本来踏まえておくべき見方、と云うのはまずあるはずで。ぼくなんかもそのへんから怪しい素人だけれども、そのあたりに対する敬意を持たないのはアスリートとしての彼ら・彼女らに対しては一種歪んだ見方でもあって。個人だからいつでも「個人としての見方」を楯にできる、と云ってるみたいでぼくも潔いとは云えないのかもしれないけど、でもマスメディアが率先してそう云うスタンスを取るのはどんなもんかなぁ、みたいにやっぱり思う。
で、基本的にこのエントリにリンクしたかっただけなので、続きは蛇足。
この季節にはごちゃごちゃとフィギュアスケート関連のエントリを書くけれど、基本的には自分が見て取れる範囲のことを材料に、自分の感じたことを書いてるだけで。で、ぼくはジャンプの見分けもつかないような、ファンとしては初級者で。
それでもわきまえているつもりなのは、ぼくがああだのこうだの云っていることは、本来の競技の水準からするととてつもなくぜいたくな話だ、ってこと。そう云う意味でぼくも物見高い消費者的観客のひとりに過ぎないし、それを超えるだけのなにかを持っているわけではなくて。ちゃんと感動を受け取るためにはそこで行われていることをちゃんと理解したい、と云うスタンスも、ストレートに利己的なものだったり。そう云う意味では、書き方そのものもぼくの理解している範囲を超えるものではなくて、その意味では書かれたものはまったくフェアではない。
でも、マスメディアがそれをするのは自殺行為ではないのか。
真央の表現力の高さについては(そしてそのこの2年余りの凄まじい向上については)何度か書いた。そのことがわかっていて、そのうえでぼくは例えば、「印象に残らない」「なにを表現したいのかちゃんと考えてるのかな」みたいに平気で書く。それは、そう云う角度でぼくがフィギュアスケートを見ているから(ちなみにうちのつれあいは真央の演技を「漢字の書き取りみたい」と形容する。そこまで云わなくても、とか思うけど云いたいことはわかる)。まあとにかく、結論として、浅田は実は表現力もかなり優れたスケーターである。海外ではむしろ、技を褒める前に表現力の方を褒め称えられていたりする。浅田は、表現力もトップクラスの上、スピンやスパイラルやステップもレベルが高く、その上にジャンプの凄さ、またスタイルも抜群によく(フィギュアスケート選手として。この点はキム選手も同じ)、メンタル面も優れている、奇跡のような選手なのだ。
メンタル面の強さは凄い。今シーズン初めのフランス杯で、あれだけgdgdになっておきながらも、わずか2週間でジャンプの調子を整えてきたという凄さ。普通なら有り得ない。また昨シーズン足を引っ張ったロングエッジのルッツを、僅か1シーズンでしっかり矯正して来て、加点までもらえるほどのジャンプにして見せた凄さ。驚異的だ(ジュニア時代からずっとそういう癖だったものを矯正するのは勿論難しいことだ)。なんと苦手だったサルコウまで飛んでいる。
でも、それをマスメディアがやっちゃだめでしょ。放送で見てるひとが、そう云う競技なんだ、って思っちゃうよ。
あと日本のマスコミはやたらにGPSを重視し、まるで世界選手権と同格のように扱っているが、フィギュアスケート界では大会の格としては世界選手権>>>>GPSである。まぁ、これは単なる事実。要するにシーズンの中間発表会。
今回など、浅田選手は相当に高難度なプログラムを入れているため、これはもう世界選手権で完成してくれれば御の字、といったところだった。たしかにこのあたりの視点があるかどうかで、見方は大きく変わってくるだろうな。
大技煽りもマスコミにはやめてもらいたい。高橋の4回転2度や、小塚の4回転も同様である。特に安藤の4Sはもう煽らないで欲しい。今回まさかチャレンジしてくるとは思わなかったが、4Sとプロトコルに出て、DGだったものの着氷したのには驚いた。あれだけでもかなり凄いことなのだが、どうしてこういう時に限って取り上げないのだかな。まあ、これを期にもう安藤の4Sには注目しないのであれば、それはそれでいいのだが。安藤は4Sに固執せずとももともとレベルが高いのだから、点数的にも怪我的にもリスキーなだけでうまみのないあの技はもうやらないほうがいい。ここには個人的な反論があって、なぜならぼくは安藤さんのクァッドを見たいので(彼女の場合たぶん、クァッドを念頭にプログラムに挑むかどうかで、演技そのものの印象が大きく変わる)。そこがぼくの(あくまでぼくの)視点。とは云え、お書きのことはほんとうに正論(あとマスメディアの報道姿勢の異様さについても同意)。
たぶん競技としてフィギュアスケートと云うのを捉えたときに、本来踏まえておくべき見方、と云うのはまずあるはずで。ぼくなんかもそのへんから怪しい素人だけれども、そのあたりに対する敬意を持たないのはアスリートとしての彼ら・彼女らに対しては一種歪んだ見方でもあって。個人だからいつでも「個人としての見方」を楯にできる、と云ってるみたいでぼくも潔いとは云えないのかもしれないけど、でもマスメディアが率先してそう云うスタンスを取るのはどんなもんかなぁ、みたいにやっぱり思う。
タグ:フィギュアスケート
こんばんは。
個人的に、もろもろ棚上げにしている状態ではありますが、安藤ファンとしてはGPファイナルの話題に乗らない訳にはいきません。
以下、ファンとしての偏見入りまくりでお送りします(笑)。
まず、今大会の目玉は何と言っても安藤さんの4サルコウでしょう。ええ、そうですとも。
確かに増田(匿名ダイアリー)に書かれている事は尤もな点もあります。私は、かつて安藤さんはマスコミに潰されかかったと思っていますので、4回転をするとかしないとか騒ぎ立てるのも不快だし、今回の結果をあまり取り上げなかったのも気に入りません。
しかしそれでも、私もPoohさんと同様、これからも安藤さんの4回転を見続けたいと思っています。
勿論、それ抜きでも彼女がトップを競える力を持っているという点は十分に承知しています。しかし、世界女王を狙うことだけが目的なのでしょうか。私にはそうは思えません。
他に誰も真似の出来ないことをやる、それはある意味でアスリートの本懐なのではないでしょうか。4回転を封印して臨むのは、他の選手と同じレベルで競い合うことです。あるいはそれでも勝てるかもしれない。でもファンとしてはやはり不満なのです。
そしてもう一つ言いたいのは、安藤さん自身が「4回転の呪縛」に囚われていたのではないかということです。それはやはりマスコミが騒ぐせいかもしれないし、ファンの期待のせいかも、自分が意識し過ぎたせいかもしれません。
いずれにせよ、私には安藤さん自身が「公式戦で4回転を跳ばないこと」にずっとプレッシャーを感じ続けていた様に見えて仕方が無いのです。本当は跳びたいのにずっとそれを抑えている様に。
その意味で、彼女自身にとっても4回転は特別な技になってしまった。「跳ばない」と決めた時でさえ、その技の存在は彼女にプレッシャーを与え続けてきたのです。ですからこれからもどんどんトライしていって欲しい。失敗するかもしれないし、成功するかもしれない。しかしそうやって何回もチャレンジしていけば「特別な技」から「単に自分が持っている中で最も難度の高い技」に「格下げ」することが出来ます。
そうなって初めて、安藤さんは「4回転の呪縛」から逃れられるのだと思っています。
今回の演技終了時の安藤さんは、これまでに見たことが無いほど晴々とした表情をしていました。私はその表情を、4回転の呪縛から抜け出す為の一歩を踏み出せた為だと解釈しているのです。
私はここでPoohさんからヴァルネラビリティという言葉を教えて頂きましたが、そのヴァルネラビリティと表裏一体にあると個人的に思っている「獣性」みたいなものを存分に見せて欲しいと願って止みません。
by PseuDoctor (2008-12-19 00:14)
> PseuDoctorさん
フィギュアスケートの競技としての側面に着目した記事にかこつけたエントリでこう云うことを書くのはまぁどうか、と云う部分は抜きにしてもらって。
安藤さんはいま、ほかにいないくらいの攻撃的な選手です。カウンターを浴びつつ敵のふところにノーガードで飛び込んでラッシュをかけるハードパンチャーのような。もろくも崩れ去ることもあるし、すばらしい勝利を見せてくれることもある。
観るぼくたちにとっては、ジャンプも表現の一要素です。演技のテーマのなかで、そのジャンプがそこで跳ばれる必然性のようなものがあって、それが他の要素と分かちがたく結びついてひとつの表現を完成させる、ほんとうのジャンパーとはそう云うものだと思います。アマチュア引退前の荒川静香の演技のように。
そして、クァッドにはクァッドでしか表現できないものがある。なによりのハードパンチです。それを持っていることの意義、と云うのは、選手の魅力と云う意味では他と比較しがたいものがある。点数はともかくとしても、です。
> 「特別な技」から「単に自分が持っている中で最も難度の高い技」に「格下げ」することが出来ます。
そう云う意味でも今回トライしたこと、プロトコルに「4」の文字を刻んだことには、彼女自身にとっても大きな意義があると思っています。
by pooh (2008-12-19 07:49)