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原因と結果 [世間]

珍しく「ゲーム脳」に触れたエントリなんか書いたら、検索キーワード「森昭雄」なんてのでアクセスがあった。なにしろ珍しいので辿ってみたら、香川県会議員の都村たかしさんのゲーム脳勉強会と云うエントリに行き当たった。なんでも森氏を招いて自民党議員が勉強会を行ったらしい。香川県要注意。

ネットによれば、医学的、学術的には反論もあるようだが、
私の周りを見ての実感からすれば、
ゲームは子供の生育に悪影響を与えていることは明らかです。
とりあえず、ここのサイドバーからもリンクされているTAKESANさんのゲーム脳Q&Aをご一読いただければ、「ゲーム脳」と云うものがどの程度の信憑性を持つものかお分かりいただけると思う(非常に平易かつ簡潔にまとめられているので、ご多忙な議員先生でもきっとさっくりとお読みいただける)。よしんば都村先生の実感に基づくゲームは子供の生育に悪影響を与えていることは明らかと云う見解が正しかったとしても、その根拠のひとつを「ゲーム脳」に置いた時点で残念ながらだいなしです。個人的な考えの裏づけになりそうな主張があれば、その主張の内容を吟味することなく援用する、と云う考え方がポリティカルな面でどうなのか、はあえて問わないにしても。
中学まで携帯ゲームのない時代に育った私からすれば、
子供が何人も集まって、
それぞれ携帯ゲームとにらめっこしながら、会話もなく遊んでいる姿は異常です。
で、それは「ゲーム脳」の原因なんですか? それとも結果ですか?
そんなことを云ったら、江戸時代に育ったひとたちからすれば、子供が何人も集まって広場でボールを投げたり蹴ったりに興じる姿だって相当異常に見えるかもしれませんよ。とくに武家や裕福な商家に育ったわけでもない子供が、仕事もしないで読書にふけったり読み書き算術の練習をしている姿だって、かなり異常かも。

ってえかそれ以前にそう云うのって単に「やりすぎはよくない」ってことで、それって「ゲーム脳」とか中毒とか以前にふつうに教育とかしつけの問題だと思う。
ひとつ言えることは、ゲーム中毒から抜け出させるためのプログラムを
開発し、そうしたい親や子供たちを助ける方策を確立すべきです。
麻薬やギャンブル、アルコール中毒から抜け出すための、
プログラムやセラピーは、すでにあるようですが、
ゲームに関しても、中毒性のある害悪だとすれば、
同じように、早急にプログラムを開発すべきです。
中毒と云う言葉を「依存症」と云う意味で使うのは一般的なので問題ないにしても、依存症一般を「中毒」と云う言い回しでくくられると云う一点のみで同種のものとして端的にひとしなみにあつかう、と云うのはいくらなんでも無茶苦茶です。

あと、横道だけど。
また、先生は、インドのプライベートスクールの例を引き、
その教育レベルの高さ、学ぶ意欲の高さを紹介されました。
まさに、ゆとり教育で、のんびりしている日本の教育界との差は
歴然としている、とのことです。
極端な教育格差があり2001年現在で識字率が65%しかないインドの、高カーストの富裕層しか通えないようなプライベートスクールと日本の教育を比較されてもなぁ、みたいに(すべての教育を公的な教育機関で受けたぼくなんかは)思うんだけど。都合のいいところだけ引っ張ってきて切り貼りでご自分の主張の強化を図る手法って如何かと。

それが政治だ、と云われれば政治に疎いぼくなんかは不信感を胸に沈黙するしかないんですが。

いやこの方、いくつかのエントリを読んだ感想ではそう妙なことはお書きではないし、基本的には問題意識を持ったシリアスな政治家なんだろうな、と云う印象ではあるのだけど。ただ、ニセ科学はそう云うひとの「善意」ととても相性がいいのだ、と云う実例は複数見てきているので。
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Narr

 私はゲーム好き人間ですけれど、ゲームを制限したい人の気持ちも理解できる部分は、かなりあります。製作者の良心を疑うようなゲームも時々見るし、そういうものを喜んで遊んだりする人の気持ちは分からないし、不気味にもなる。
 私は感覚的に、「ゲームが無くなればコミュニケーションの問題が改善する」と思ってしまう。私は都村さんを心情的には非難できない。主張に賛成もできませんけど。

>子供には、「いっぱいやることがあるのに、ゲームなんてしている暇はないよ」と説得しています。
 しつけとしては、これだけでいいと思うのですけど。現実はそうはいかないのだろうなぁ…。
 個人的には、ゲーム脳を持ってくる都村さんよりも、ゲーム脳に頼らないと人に意見すら言えない雰囲気があるように感じて、その雰囲気のほうが不気味に感じます。

 ゲーム批判すると、批判批判が返ってくることがあるんですね。「感性だ」だとか「上から目線だ、あなたにどうこう言われる筋合いは無い」だとか。そういう反応に接すると、コミュニケーションとゲームとに関係があるんじゃなかろうかと、どうしても私は思ってしまう。ゲームが原因そのものではなくても、ゲームの一部には問題を大きくしてる一面があるようには思ってしまう。

 ええと、また「何を言いたいのかわからない」とお叱り受けそうなんですが。ゲーム好きな人間でも都村さんの心情を否定しない人もいるが、やっぱりゲーム脳は間違いだから肯定できないよ、それはゲーム好きだからではないよ、という人間の例として。
by Narr (2008-12-13 00:50) 

TAKESAN

今晩は。

感覚的、というのは怖いです。実感、というのも。

なんでそんな事を言うか。自分がそうだったからです。
ブログでもそんなに書いた事はありませんが、私は多分、ゲーム非難のパターンを一通り通過してきています。つまり、「実感」してきました。

ゲームをやると馬鹿になる。心理的に強い悪影響を及ぼす。凶悪犯罪者がゲームの影響を受けたのかも知れない。大人でゲームをやる奴は見苦しい、等々。ここら辺を全部感じて、見下していた訳ですね。

その認識を持った時の心ってのはおぞましいです。自分の考えを疑うなどありませんでしたしね。

そういうおぞましい心を振り向けられる人は堪ったものではないと思ってます。子どもだと尚更。大人なら、ある程度処理が可能かも知れませんけどね。自分が若い時そういうのを受けてきた、という事情もあるから、両方知っていたりします。

私は都村さんの心情を否定します。都村さんの認識は誤っており、そして、間違い無く謂れ無き罵倒を受ける対象が存在するからです。

------

>poohさん

先日の、学校の先生云々の件ですが、私のブクマの「ゲーム脳」タグから辿れます。エントリーは残って無いですが、なんとなく流れは解るかも・・。
by TAKESAN (2008-12-13 02:16) 

pooh

> Narrさん

ぼくはヘヴィスモーカーの大酒呑みなのですが、ぼくにお説教をくださる方々の気持ちは痛いほどわかります(^^;。

> そういう反応に接すると、コミュニケーションとゲームとに関係があるんじゃなかろうかと、どうしても私は思ってしまう。

でもやっぱりこれは飛躍は飛躍です。そこから因果関係をみてとることはできない(共通の原因を持つ可能性もありますが)。
ただ、仮に因果関係があるとしても、そこには「ゲーム脳」説からはぜったいに辿りつけないんです。と云うことはつまり、都村さんの問題意識は、「ゲーム脳」仮説に一定の信を置いている限りぜったいに解決されないんです。これはまずい状況です。
まぁ、解決されない問題を抱えている状態を好む方もいらっしゃいますけど、この方はそう云う種類の人間じゃないように思えます。
by pooh (2008-12-13 08:54) 

pooh

> TAKESANさん

なんかものすごく意外な告白を聴いたような気がする。

> 自分の考えを疑うなどありませんでしたしね。

この状況は怖いです。ものすごく怖い。でも自分がそう云う状態になっていることを自覚するのも難しい。誠実で「善意」にあふれているほど、自覚からは遠ざかってしまうと云うこともままある。これほど悲しいこともないです。

都村さん、こちらをお読みになることはあるんでしょうかね(いや、昨晩から今日までで少なからぬアクセスがトラックバック経由で流れてきているんですが)。ぜひ、真摯にお考えいただければうれしいなぁ、とか思います。
by pooh (2008-12-13 09:06) 

Narr

>TAKESANさん

 「主張に賛成しないが心情を否定しない」と言ってる時点で、私は都村さんを公人として見てません。
 私は都村さんを人生の先輩としては尊重しますけれど、でも、公人の心情なんぞ、私の知ったことではないです。言動にふさわしい評価がなされるだけだと思ってます。

>感覚

 私の場合は、ゲーム嫌いな人からも、ゲーム好きな人からも、両方から同時に嫌悪されますね。
 そこのところは年齢一桁の頃から今までずっと、変わってないです。嫌悪されるか無視されるか、私の怒りを嘲笑されるか、そんなものです。色々と経験がある人のことは分からないです。

 ゲーム好きなのが育ちで確定してしまってる私が、自分自身を否定するような感覚を持てないとすれば、それは良くないと思ってます。自分の「ゲームが好きだ」の感覚を自制できずに、他者に自分の感覚への配慮を求めると、それは「感性なんだから否定するな」の批判批判になってしまうから。
 感覚は感覚で、フラフラ迷うのがいいです。感覚を権利意識と客観的な理論(だと自分では思ってるもの)で肯定したときに盲目になってしまう、ので。
 「ゲームが好きだ」+「個人の趣味を非難する権利は誰にもない」+「ゲーム脳はニセ科学だ」。こういう主張で批評すら許さない人もいますのでね。そういう排他的な態度は嫌われても仕方ないし、ゲームを取り上げたくなるのもわかるんですよ。こういうのはゲーム脳や都村さんの実感とは関係が無いかもしれませんけれども。

 公人としての都村さんに対してなら、私も怒っていいはずなんですけどね。でも怒るのは他の人が十分にやってくれてますし、poohさんのところで私が怒ったところで、はた迷惑なだけですから。


>poohさん
>でもやっぱりこれは飛躍は飛躍です。そこから因果関係をみてとることはできない

 ゲーム脳とは関係ないのはもちろんそうですし、因果関係というよりは、何らかのコミュニケーションの問題がゲームで表面化しているんじゃなかろうかと思ってます。ゲームでなくても、他のことでも同じことが起こりますから。

 都村さんが「私の周りを見ての実感」を持つこと自体は否定することでもないと思ってます。世間の変化に不安感を持つこと自体は間違いではない。でもだからといって、「実感」から「ゲーム脳肯定」にはならないですよね、という話です。
by Narr (2008-12-13 13:56) 

pooh

> Narrさん

> 何らかのコミュニケーションの問題がゲームで表面化している

あぁ、これはありうると思います。と云うか、あって当然ですよね。そう云う意味では人類史上、なんと云うか小規模に未曾有の状況ではあるわけですから。

でもまぁ、そこにアプローチするにあたって妥当かつ有効な手法と云うのは多分まずは社会科学的なものであって、直接脳科学が活躍するようなフェイズにはない、と思うのですが。
by pooh (2008-12-13 22:04) 

黒猫亭

それこそ個人的な側面に亘る横路なんですが。

>poohさん

>>なんかものすごく意外な告白を聴いたような気がする。

オレはなんとなく納得しました。TAKESAN さんがこれまでお書きになったことから抱いているオレの個人的なTAKESANさん観と謂うのは、「ご自分の批判対象を一通り体験済み」と謂うもので、これは割合オレもそう謂う部分がありますので、何となくお気持ちがわかるような気がします。

そう謂う意味では、TAKESAN さんのニセ科学批判には克己的な性格があるのかな、とか勝手に思っていたりするんですが、嘗ての自分を乗り越えると謂う情念レベルの動機もおありなのだとすれば、大いに共感するところです。
by 黒猫亭 (2008-12-14 15:05) 

pooh

> 黒猫亭さん

TAKESANさんのお話からちょっと離れさせてもらって、一般論として。

言説の背景には、それが公的なものを志向していてもかならずなにかしら個人的動機と云うようなものが存在するんだろう、と思っています。それは認識のバイアスをもたらしうる危険なものでもあるんですが、コミットそのものの個人的な切実さを支えるものでもあるんだろうな、と思うんです。ぼくらが個人である限りそこからは逃れ得ないし、また逃れ得ると認識した時点で表面的な偽善がスタートすることにもなる。

結局、例えばニセ科学について言及し続けるにあたって本来読み手にはなんの関係もないはずの個人的な動機なんかを晒さざるを得なくなるのは、そう云ったことなんだろうな、とか思うです。
by pooh (2008-12-14 18:19) 

黒猫亭

>poohさん

>>言説の背景には、それが公的なものを志向していてもかならずなにかしら個人的動機と云うようなものが存在するんだろう、と思っています。

同感です。ずいぶん以前に、「すべての思想には個人性の動機がある」なんてことを申し上げましたが、言説の公的な意味はそれとして、それを行う為のモチベーションに関わる部分は、やはり個人性に立脚せざるを得ないのだろうと考えます。

思想それ自体の社会的意味や第三者にとっての有用性とは無関係な事柄ではあるんですが、発話するのが飽くまで一人の個人でしかない以上、発話に到る動機は必ず存在するわけで、その動機は個人的なものであらざるを得ない。その個人性がどの程度客観的に留保されているのか、個人性の具体から普遍に昇華されているのか、言説の価値と謂うのはそこにかかっているのではないかと思います。

つまり、オレとあなた、私とあなた方、そのような関係を考える場合、オレや私と謂う主観からあなたやあなた方と謂う客観に橋渡しが為されなければ、単なる自分語りにしかならないわけですが、自分がやっぱり自分でしかない以上、言論の難しさはそこにあるんではないか、と。
by 黒猫亭 (2008-12-14 21:30) 

pooh

> 黒猫亭さん

なんか、上手に云えないんですけど。

やっぱりですね、「客体としての自分を差し出す」努力、みたいなものが求められるんですよね。
でもこれ、難しい。なにしろ自分にとって自分はあくまで主体なので。で、主体としての自己認識と客体としての見られ方にギャップがあるととてもみっともないんですが、そのへんで自分のなかに邪魔をするものがどっさりと(^^;。
by pooh (2008-12-14 21:49) 

黒猫亭

>poohさん

>>やっぱりですね、「客体としての自分を差し出す」努力、みたいなものが求められるんですよね。

あ、その言い回しで、何となく自分の言論姿勢の問題点が上手くパッケージ化されたような気が(笑)。オレの話で恐縮なんですが、どうもオレは公的な発話に対峙する場面で、他人様が差し出す「客体としての自分」に対して遠慮がなさすぎるのが問題なんじゃないかと。

ただ、これってオレの個人性の問題と謂うよりは、多分文芸のアプローチ手法と連続的だからなんじゃないかと謂う気はしますね。「こいつは文系人間にしか見えないのになんでニセ科学批判なんかやってるんだ」みたいなことを言われたこともありますし(笑)、仲間内でも「なんであんたがそんなことやってんの?」みたいに言われることもありますが、或る種人間の発話や関係性に対する関心の連続上でコミットしていると謂う部分はあるかもしれません。

で、やっぱりそう謂う種類の関心と謂うのは、一種極端に無遠慮なものではあるわけで。そう謂うのが嫌いな人には嫌われるんだろうなぁとか思うんですが、個人性と距離の取れていない言説に対しては、そう謂うアプローチも必要になってくるんじゃないか、と思っています。

こう謂う言い方も差し障りがあるのかもしれませんが、ここ一年ばかりニセ科学批判の言論に接してきて痛感したのは、ネガティブな発話動機と謂うのは強いものだな、むしろ強すぎるな、と謂うことで。怨みとか屈辱とか妬みとか怒りとか虚栄とか、その種のネガティブな感情と謂うのは、公的な発話の動機としては強すぎるんだと思うんですね。

立派な論者と目される方がつまらないことで身を誤るのは、どうかした拍子にその種のネガティブな動機に支配されるからと謂うケースが多いように思います。ただこれ、やっぱり発話の動機や、引いてはその人個人の全人的な在り方と密接に絡んでいることだから難しい。

最近の例だと、finalvent さんの一件なんかも、あの種の偏りと謂うのは個人のバイアスとしてはあって好いはずなんです。完全な人間なんていやしないんですから、そこが彼の論の在り方の混濁した部分として残されていても好いはずだったんですが、惜しむらくは公的な発話としてあのような形で実現されてしまったことが問題なんだろう、と。

オレは公的な発話と謂うのは、心性ではなく身振りが重要な問題になるんだろうと考えますので、あの件に関してはあのような心性や偏りが論者に内在することではなく、あのような表出として振る舞ったことこそが問題だったのだろうと考えています。

で、そう謂うのは決して他人事ではないので、怖いことだよなぁ、と思うんですよね。
by 黒猫亭 (2008-12-14 22:45) 

pooh

> 黒猫亭さん

やっぱりですね、そこで「差し出されたもの」って、そこにある主張の内容を理解する(バイアスを修正して正確に把握する)以上のものとして受け止めるとまずいのかも、ってことですね。いや雑談なんかだと違ってきますけど。

finalvent さんのお話なんかだと、ご本人が差し出しているものが少なすぎて、要するにどう云う話なんだかよくわからなくなる、と云う部分が生じているようにも思います。
by pooh (2008-12-15 07:50) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

TAKESANのところにも書いたけど、「悪人のえん罪」論になります。近所で10件の空き巣があったとして、確かに5件の空き巣に入った事が確かな犯人が捕まった時に、別な5件の空き巣も「お前がやったんだろう」と認めさせる。でも実はその5件は別な犯人が居たりする。なんてたとえ話なんですけどね。

別に5件が10件でも量刑が倍になったりもしないものです。犯人の方だけ見ていれば、「良いじゃないか10件が全て片づくんだから」なんてね。でもね、5件がえん罪だったら、その5件をやった真犯人は捕まらずに居るわけですね。そしてその捕まらなかった犯人が次ぎに狙うのはあなたの家かもしれません、なんて脅かす訳ですけどね。

なんていうかな、子供の学力問題を一つとってもいろんな問題が複雑に絡み合っている。ゲームの隆盛なんかもその要素の一つであることは確かなんだけど、その要素を言いたいがために、いろんな要素を無視して「これが悪い」と言ってしまうのは、5件の空き巣犯に10件押し付けるのと同じで、他の要素への目配りが欠けてしまう。

実のところ、日本の抱えている問題というのは「いい歳した大人」が、何か一つの原因にいろんなことを押し付けて「安心したい」と考える幼児性から脱却して居ないという事にあるのかも知れません。

by 技術開発者 (2008-12-15 17:32) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「いい歳した大人」が、何か一つの原因にいろんなことを押し付けて「安心したい」と考える幼児性から脱却して居ない

これはぼくがずっと云っている「わかりやすさ志向」に近いもの、のようにも思えます。

難しいことは難しい、複雑なことは複雑なんです。おとなだったら安直な理解に飛びつかずにもっとちゃんと考えろよ、みたいな。
by pooh (2008-12-15 22:06) 

TAKA

リンク先を見たら、コメント欄が延びてた。容赦ないコメントが多いですな。
やはり、「私は、ゲームが嫌いだよ。そこで己の主張を、都合の良さそうなニセ科学で補強してみました(^^」
では、さすがに擁護してくれる支持者のコメントは、期待できないようです。見ていて津村さんが、気の毒に思えてきましたorz。

せめて津村たかしさんにも、「ご隠居の言う事に、何でも頷いてくれるお弟子さん」が居れば、少しは気が楽になるのかも?
by TAKA (2008-12-18 02:15) 

pooh

> TAKAさん

でも、都村さんは問いかけそのものは前向きに捉えようとしてくれているようです。
一足跳びの理解なんて云うのは難しいものなので、そうそう簡単に求められるものではなくて。批判のなかでも意義のあるものを見出して、少しずつでも理解を深めていっていただければな、みたいに感じます。で、いまのかたくなでない姿勢を見るかぎり、それが都村さんにはできるかもしれません。
by pooh (2008-12-18 07:37) 

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