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「善なる」こと [よしなしごと]

kikulogの善意ほどやっかいなものはない、熱意ほど扱いづらいものはないと云うエントリを読んだ。うむむ。

善意、と云うもののどうにも面倒な性格については、ここではけっこううだうだと考えていて(こっちを見てみると分かる)。かならずしもニセ科学と関連して、だけじゃなく。

善意、と云うのは善き意思、なので、それそのものは例えば懐疑や議論の対象にはならない。自分のなかの「善意」に疑念をいだくことは難しい。考えてみればあたりまえなのだけれど、問われ得るのはなにが「善きもの」であるか、と云ういわば価値判断の部分であって(これは自問も可能)、その判断をいったん下したうえではじめて「善意」と云うものが生じるのだから。
なので、いだくものにとってそもそも善意は「善きもの」でしかあり得ない。結局、この部分でややこしくなる。

「善意であること」は、その前提としていったん下されている「善きもの」についての判断の正当性も、その善意に基づく行動が望ましいものであるかどうかも、当然ながらまったく保証しない。善意の是非は、それが生じる前後をもってしか問えないわけだ。多分このことが意識されていない場合があるのが、やっかいなのだと思う。
少なくとも「善意だからいい」とか「熱意があるんだからいい」ではないことは明らかなんですけれどね。
でも人間は自分の善意そのものを疑うことはできなくて(だってそれはすでに「善意」になってしまっているのだから)、だから「善意」と云うものに価値判断や行動の基準を置くと、論理的な思考の埒外に出てしまって結果的に無敵になってしまう。思考停止、以前に、思考できなくなってしまうわけだ。

このあたりのしくみがなんとなく分かったからと云って、いまのところぼくにはうまいやり方が思いつくわけではなくて。でもまぁともかく、アプローチしうるのは善意の前段階か(それってほんとに「善いこと」なの?)後段階(それはほんとにいい結果に結びつくのかな?)しかない、で実質的には前段階しかない、と云うのは云えるのではないか、と思う。これはこれで価値判断の基準(価値観)を問うことになるので、もちろん難しいのだけれど。感性とかなんとか意味不明の用語を使って、自分の価値観を神秘的なものとして他者の触れ得ない、論じ得ない領域に隔離してしまおうとするひとがこれほどにも多い世の中ではあるので。

目的はなにか、その行動は目的の達成に対して最適なのか、と云う考え方はある意味経済学的な発想で。余談になるけれど、経済学、と云うものの立てる筋道がなんとなく悪意に満ちて感じられることが多いのも、このあたりのしくみに関係してくる部分があるのかな、みたいに思った。
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TAKESAN

今晩は。

これは、自分の経験を踏まえた話なので、一般論では無いのですけれども。

一旦、相対主義の洗礼を受けるのも良いのかな、と。メタになる事ですね。そしてそれを、健全な懐疑的思考へと持っていく、という。で、その基盤として、科学の考えを身に着けるのが重要かと思っています(これ大事ですね)。

相対主義というのは、何でもありに行く危険性もありますが、善意や熱意を解体する力もあるのかな、と。もちろん、「相対主義」という言葉を使う必要もありませんが、これが多分、一番適切だと思うので。
by TAKESAN (2008-10-03 23:14) 

pooh

> TAKESANさん

> 一旦、相対主義の洗礼を受けるのも良いのかな、と。

あぁ、それは有効な気がします。それ、「信じる」と云うスタンスの解体もできますね。どうやって洗礼を受けてもらうか、と云うのもありますけれど。うっかりすると戻ってこなくなってしまうし。

相対主義的な視点、と云うのは重要で、基本的にはつねに保持しておくのが望ましいんですよね。とは云えそこから出てこられなくなると、一種中二病的な問題が生じてしまうんですけれどね。
by pooh (2008-10-03 23:23) 

ちがやまる

kikulogへ行って書かせてもらおうかと思っていたことですが、EM菌なんかのことを考えてみると、やるのとやらないのとどちらがいいの?とか、その方法と別な方法のどちらがいいの?とかいう問いを、事業の主体者もそれに問いかける側も常に自分にも向けている必要があるのではないでしょうか。答えは「わからない」であることも多いと思いますが、無駄なあつれきは減ることは期待できるのではないでしょうか。

「善意」については真っ向から扱うのは大変でしょう。「善」と本人が思っているのは、その個人の意識においても本当に「善」といえるの、というあたりはpoohさんは "shadow" とか "anima" とか思い浮かべられるのではないでしょうか。
by ちがやまる (2008-10-04 09:03) 

OSATO

この件に関しては、EMを扱っているといつも感じる事であり、そして最もネックになっている部分です。

>「善意であること」は、その前提としていったん下されている「善きもの」についての判断の正当性も、その善意に基づく行動が望ましいものであるかどうかも、当然ながらまったく保証しない。

これはまさに仰るとおりです。これこそ「善意」における一番の危険性と言っても良いかと思います。

>で実質的には前段階しかない、と云うのは云えるのではないか、と思う。

結局の所そこを訴えていくしかないように僕も思うのですが、いかんせん、もうすでに活動に身を投じてる人達が大半なんですね。そうなると、途中で原点に立ち戻らせる事は中々難しい。
でもだからと言って、後段階の疑問を表明する事は当事者達の「善意」を否定する事にもなりかねない訳で、この「善意の否定」だけは行ってはいけない。
それが一番頭を悩ませる事でもあり、行政の方々も同じ悩みを抱えている訳です。
by OSATO (2008-10-04 11:40) 

newKamer

たぶん善意と自尊心の関係について、考えなきゃいけない時期になったんだと思います。
by newKamer (2008-10-04 13:26) 

pooh

> ちがやまるさん

> 事業の主体者もそれに問いかける側も常に自分にも向けている必要がある

これは、ほんとうにそう思います。と云うか、まさに「正しく懐疑的」であるべきだ、と云うことだと思います。で、多分メソッドとして最適なのは経済学的発想なんですけど、エントリ本文でも書いたようにこれはこれで(自然科学的な意味で)人間の自然な感覚にフィットしないので、受容し難い部分が生じてしまう(^^;。

> "shadow" とか "anima" とか

ここでそこまで風呂敷を広げるとぼくの力量ではたためなくなってしまうんですが。ただ、善悪を判断している部分と、その価値に重み付けを置いている部分は、かならずしも思考の全体的なマップの上でおなじ部分ではないかもしれない、みたいには思います。
by pooh (2008-10-05 06:49) 

pooh

> OSATOさん

> 途中で原点に立ち戻らせる事は中々難しい

そうなんですよね。要するに目的以外の要素がいろいろと(そのひとの内的な部分でも、外的な部分でも)まつわりついてしまって、べつのものに変質してしまう。
行動が価値観を規定してしまう、と云うのもありそうです。

> 「善意の否定」だけは行ってはいけない

方便と云うか技法としてはまぁ確かにそうなんですよね。
ぼくとしてはそもそもそう云う「善意の神秘化」も問題だって考えたりするんですけどね。
by pooh (2008-10-05 06:57) 

pooh

> newKamerさん

うむぅ。
これって少し前に自分も関連する部分でケーススタディを(あまり望ましくないかたちで)得てしまったものでもあるんですが。
by pooh (2008-10-05 06:59) 

FSM

こんばんは。「後段階」の話になるのだと思いますが。

善意が免罪符になり得ないことは大前提としておさえておかないといけないし、批判すべきことはきっちり批判しないと、被害は広がるわそもそもの「善意」すら実現できないわ、となるので、批判者側が躊躇する必要はないと思うのですよね。

ただ、ニセ科学批判も内容が充実してきて、ネット上でも各人の得意分野での批判がかなり徹底して行われるようになってきたので、今後はそれらをどう活かして伝えていくかを考える人が必要になりつつあるのではないかな、という気がしてます。きくちさんたちも相当考えに考えてされてきたのは勿論なんでしょうけど、インターフェイスの部分に焦点を絞って考察を深めることが重点課題になってきた、と。逆に言うと、ようやくそこを課題にできるぐらい、ニセ科学批判が充実してきたということなんだと思います。
#lets_skepticさんの一連の考察は示唆的ですね

その意味で、newKamerさんがおっしゃられているように、「考えなきゃいけない時期」になったんだろうなと思います。次のステップに進みつつある、と。

「こうやったら伝わった」「こうやったら伝わらなかった」という経験が集積できるといいのではないか、と漠然と思ってはいるのですが、個別の例になるとあまり公にはできないこともあるだろうし、ネットでは難しいのかもしれませんね。経験を過度に一般化してしまうことには注意しつつ、試行錯誤を続けることしかとりあえずはできなさそうです。
by FSM (2008-10-06 01:03) 

pooh

> FSMさん

おっしゃるあたり、newKamerさんに以前から指摘されている部分ではあるんです。試みとしてはFAQもそう云う意味合いが強いものだったりもするわけですけどね。

lets_skepticさんは以前からその場所に立って考察されています。非常に参考になるんですが、さて自分でその場所でどれだけリソースが割けるか、なにができるのか。

ちょっとぼくには、その場で流れに乗せていただきながら考える以上のことはできないかもしれないです。
by pooh (2008-10-06 08:01) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

なんか、「善意で行った行為について、行為が『意味がない』などと否定されると、意固地になってしまう」というということは、確かにあるんだけど、実のところ、それをあまり重く見過ぎてしまったり、そこで思考停止したりして欲しくない意識があります。

なんていうか、人間ってのはそういう「善意が良からぬ事に利用される」みたいなことを一杯経験してきたものだと思うんですね。でもって、その度に、「悪気じゃあなかったんだけどね」とか「良かれと思っていたんだけどね」とかは言い合いながら、「でも、結果はあまり良くなかったね」と反省して、「今度からは、もう少し気を付けよう」なんてやってきた生き物の様な気がするんですね。なんか、意固地になってしまうこととかを気にするあまり、「結果は良くないよ」という事をセーブしてしまうと、そういう「今度からは」が生まれて来なくなる気がするんです。

なんていうか、一時は「意固地になる」も仕方ないとおいて、それでも、「結果として良くないよ」は誰かが言い続けないとならないんじゃないかと思うんですね。

by 技術開発者 (2008-10-06 09:53) 

ちがやまる

「正義(と自分が思っているもの)をふりかざす」というのも、方向は違うとは思いますが「善意(と自分が思っているもの)によりかかる」というのと似たところがあるように感じます。個別の事情に応じた対応が必要であるように思われるところや、批判する側も足をすくわれないように注意しなくてはならないと思われるところなどについて。

伝えることに関して言うと、批判される人やその予備軍(観衆)が自分の問題としてとらえて、何かある程度のことを考え、その結果がどうなるか、までを見守っておく必要もあるように思えてきました。批判を届ける、場合によっては強硬な手段をとって問題が存在するというシグナルだけでも送ろう、ということが大切な場合もあるでしょうけれども、相手の自律的な学習をうながす、ということが有効な場合もあるんだろうな、と思いました。
by ちがやまる (2008-10-06 12:29) 

pooh

> 技術開発者さん

確かに相手のことを「善意を否定されたら意固地になって考えを止めてしまうかもしれない」みたいに最初から予想して、云うべきことを云わないのは、実際のところは失礼に当たるんですよね。

ただ、現実のところはやっぱりもっといろんな要素があって。
そこを乗り越えてこそだ、と云うのは確かなんですけどね。
by pooh (2008-10-06 20:57) 

pooh

> ちがやまるさん

結局、批判する側も自分の「正義」を問い続けなければいけないんですよね。それは確かです。「正義」にしてはいけない、と云うか。
ただ、そう云う(あえて云うと)意識的なナイーヴさを自分に課すのは、相当の体力が必要だったりもして。ぼくは最近その辺を痛感したり、とか。

> 相手の自律的な学習をうながす

そう云うスタンスで批判を行っていきたい、とは思っていますし心がけています。あんまりうまくできなくて自分で歯痒い思いをすることが多いですけど。
by pooh (2008-10-06 21:05) 

OSATO

批判する対象がどういう状況なのかによって、その方法もまた変わるんでしょうね。
技術開発者さんは、おそらく今までかなり深刻な事例を扱ってこられたと思います。確かにそういう中ではもう悠長な事を言っていられない事もあるかと思われます。
ただ実際は、程度問題もあるし活動内容の差もあるし、まさにケース・バイ・ケースであろうと思います。

>それでも、「結果として良くないよ」は誰かが言い続けないとならないんじゃないかと思うんですね。

と仰る事には同意なのですが、問題はその方法論でして、ある局面で有効であったものでも、それが他で通用するかと思えばそうでもないケースが多々ある訳です。
それゆえどうしても、「善意」の目的、「善意」の方向などをよく見極めて行う必要があると僕は思います。

僕も当初は技術開発者さんに近いスタンスで批判を行っていたんですが、その結果、例の平泉の記事コメントのようになってしまった事も経験しています。それはまさに逆効果なんですね。
それ故、最近はちがやまるさんの仰る

>相手の自律的な学習をうながす

という方向へシフトしています。
言わば原点に立ち戻らせる事は無理としても、「善意」の方向をほんのちょっと軌道修正してやるとか、その程度でも相手にとっては有効な場合もある訳です。
僕は現在では説得する相手に対し、「ニセ科学」という単語はなるべく使わない様にしています(あ、これはあくまで僕個人の対象の問題ですので、他の人達に対して薦めている訳ではありませんから)。
by OSATO (2008-10-07 00:00) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

う~ん。なんていうかな。誰か善意で無意味な活動をしていて、それに対して「無意味だよ」と指摘して、その善意の人が意固地になってしまう。これが、その人とだけの間で行われて、周りでそれを見る人が誰もいないなら失敗なんだけど、周りでそのやりとりを見ている人がいるなら、必ずしも失敗では無いんじゃないかなんて考えて居るんですね。

悪徳商法批判をしていて、「内職商法業者への信頼から抜け出せない人」なんてのがいて、レス屋の間では「花園」なんて言葉ができたこともあるのね。つまり「花園に遊ぶ夢から抜け出せない」なんて意味ですけどね。こっちがいくら「それはどう見ても内職商法、つまり無い仕事を餌に教材とかを売る業者ですよ」と言っても「仕事を貰っている人も居るみたいな事も聞いているし」と意固地になっちゃうのね。でもね、レス屋はそれを失敗ともあまり感じないのね。なぜなら、そのやりとりを多くの悪徳商法被害者とか被害者予備軍が読むことができる掲示板でやっていたからなのね。でもって、「うっかり信じ込むと、あんな風になるんですね、早く気がついて良かった」なんてコメントが寄せられたりもするわけです。

それと似た様な事というのが、こうやって誰でも読める世界でやる限りはあると思うんですよ。

by 技術開発者 (2008-10-07 07:59) 

pooh

> OSATOさん

まぁ、技術開発者さんとOSATOさんのあいだで考え方の齟齬があるのかと云うと多分そんなことはないわけで。おふたかたとも直接アプローチを中心に動かれた経験が豊富で、そこをベースにおっしゃっているわけなので。

ケースバイケースは確かなんですよ。そのなかで、共有することのできる部分があるのか、ですね。で、少なくともぼくはそこは急げません。ただ、FSMさんのような捉えかたはあるよなぁ、じゃあなにができるかなぁ、みたいな。

> 「ニセ科学」という単語はなるべく使わない様にしています

これはほんとうにケースバイケースだと思いますよ。ある程度「分かりやすく」概念を示してあげるのが有効な場合もあるでしょうし。
by pooh (2008-10-07 08:22) 

pooh

> 技術開発者さん

これ、多分「場」と云う要素も入ってきますよね。FSMさんのおっしゃっていることは一面そう云う含意もあるのでしょうし。

こう云う話になるとどうしてもぼくなんかおのれの立ち位置、と云う捉えかたで考えてしまう部分はあるんですが(いや、そこを考えなくなったらまずいよな、とも思うんですが)。どうするのが有効か、なにができるのか、どの辺に限界があるのか、とか。
by pooh (2008-10-07 08:33) 

No.4560

おはようございます。
昨日からコメントを書こうと苦労してるんですが、一向に完成する気配がないので、言い訳だけ先に書きます。

まず僕はkikulogの方のコメントで意固地という言葉を使ったんですが、
"「結果は良くないよ」という事をセーブ"
とか、
"云うべきことを云わない"
とか、そういうことは僕自身全く思ってないし、書いてもいないつもりで、
あの文章の特に前半は
"まずは「行き違い」を認識せよ"(その上で言った方が効率的だと思うし、重要だとも思う。)
という意味です。
書き方が悪かったと思いますし、言わずもがなのことだったかもしれません。

mixiの水答知コミュの僕の投稿を見たことがある人は分かりやすいと思うんですけど、あそこの投稿やメールとかでは「行き違い」を取り除くための努力をしているつもりです。(あ、僕の投稿について批判されていることは知ってます。)
ただ直接の相手はともかく、ROMの人に効果があるかどうかは分からないんですね。その分からなさに耐えなくてはいけないんですが、正直疲れるというか、モチベーションが保てないというか。

以上が言い訳なんですけど、後はなんだろう。

悪徳商法に関して、僕は批判経験がほとんどないのでよく分からないんですが、ニセ科学に関しては、僕みたいな「草の根批判挑戦者」を育成しにくい印象があります。
批判のための道具はどんどん揃っていくんですけど、それを相手にきちんと伝わるように伝える技術の習得が(「草の根」の人にとっては)非常に困難に思えるんですね。

まず僕自身がそうなんで(水伝とゲーム脳はそれなりに勉強しているつもりなんですが、それと伝える技術とは全く別)、今書いてる文章がそれこそ意味があるのか、もしかすると逆効果ではないのかしら、としばしば思います。あくまで悩むのは情報そのものではなくて、その伝達技術、手段の方です。

僕はkikulogの投稿では意固地という言葉を自分に対して使いました。一時期は意固地になってたんですけど、最近は完全な行動不能に陥ってます。
by No.4560 (2008-10-07 10:39) 

技術開発者

こんにちは、No.4560 さん。

>悪徳商法に関して、僕は批判経験がほとんどないのでよく分からないんですが、ニセ科学に関しては、僕みたいな「草の根批判挑戦者」を育成しにくい印象があります。
>批判のための道具はどんどん揃っていくんですけど、それを相手にきちんと伝わるように伝える技術の習得が(「草の根」の人にとっては)非常に困難に思えるんですね。

ニセ科学批判をはじめた最初の頃に「T型批判」という事を提唱しました。菊池さんとかapjさんの様に「深い専門性のある批判(縦棒)」と、広く一般の人が「それはニセ科学だと言っている人がいるよ(横棒)」という程度の批判の組み合わせの有効性を考えてみたのです。

実のところ、ニセ科学の蔓延について、私は「T型の蔓延」を感じます。皆さんが気にするほどの完全な信者(縦棒)なんてそんなに数が多くは無いと思っています。むしろ「なんか世の中で本当っぽく言われるから多少はあるんだろう」なんて横棒の人が数多い訳ですね。ただ、こうやって「T型」が形成されると、容易に崩れない訳です。

そういう意味でニセ科学批判も「T型」を形成しないと対抗出来ない気がする訳です。そういう意味では縦棒に成る必要はないから、横棒の拡大を目指して欲しいという思いはあります。

by 技術開発者 (2008-10-07 11:51) 

pooh

> No.4560さん

言及しておいでのkikulogのコメントは、こちらですよね。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1222992503#CID1223180226

結局のところ、お書きのようなメカニズムはあるんですよ。自分の行動なり発言なりを支えるものは必要だし、そこを否定されてしまうと困るわけで。
で、自分の内側で神秘化した「善意」をその支えにしてしまうと、そこを否定されるわけにはいかなくなる。すべての疑義は全否定としか受け止められない、みたいな事態になるわけですから。
なのでおっしゃるような「善意や熱意を担保にする」ようなことは、やっぱり回避すべきなんですよ。できることなら。別の担保を見つけるべきなんです。−−とは云えもちろん問題は、そのことをどう理解してもらうか、と云うことなんですけどね。

> 正直疲れるというか、モチベーションが保てないというか

このあたり、実感として分かります。ぼくが分かっても仕方ないですね(^^;。

> あくまで悩むのは情報そのものではなくて、その伝達技術、手段の方です。

うむむ。これはぼくもまったく同じ悩みを抱えているので、なんとも云いがたい部分がありますが。
ただこれ、ゆっくりと経験を共有していく、以外の方法はないのかな、とか思います。特効薬的な手段は、どうもなんと云うか、馴染まない。いや、このことについては、ぼくにはぼくのスタンスだから耐えられるんだ、と云うことかもしれないので、一般化はすべきではないんでしょうが。
by pooh (2008-10-07 22:14) 

pooh

> 技術開発者さん

実際のところぼくみたいな横棒を担う立場の人間も、ときにはやっぱりくたびれて意気消沈したりすることもあるんですね。そう云うときには、なにか有効なメソッドに頼りたくなる。へとへとにならなくても、届く言説がなしうるようなメソッドがあればなぁ、みたいに。ネット上以外での実行動においては、なおさらで。そして、それが求められる状況にもまたなりつつあるのではないか、みたいなのがFSMさんのコメントにあるようなご認識なんだろうと思います。

きわめて個人的なことを云うと、それでもぼくは自分の適性として「メソッドの材料を提供する」スタンスにいるほうが貢献できる、みたいに思ってますけれど(そんでもってまたnewKamerさんに叱られたりして)。
by pooh (2008-10-07 22:16) 

FSM

こんばんは。
少なくともギャラリーがいるような場所で間違った話が広まりつつある場合は、ギャラリーにも伝わるように批判するのは大事だと思うんです。極端な場合がビリーバー相手の時で、はなから説得するつもりはなく、どうギャラリーに伝えるかを考えながら、形の上ではビリーバーと対話をしている。
 ただ、それはやっぱり特殊な場合だと思いますし(ネット上では結構ありますけれども^^;;)、相手をビリーバー認定するのは最後の手段だと思うんですよね。
 となると、ギャラリーにもわかるように批判しつつ、相手にも伝わるように(自分で納得されるように)批判する、という難しいことを考えないといけない。でも、だからといって批判しないというのは勿論いかんだろう、と(多分皆さん同じだと思いますが)。
 多くの場合は「それ違うよ」で済むとは思うんですが、どうしても慎重になってしまう場合もある。まさにケースバイケースで。

 技術開発者さんの「T型」に即して言えば(勝手に展開させてすみません)、完全な信者(縦棒)なんてそんな多くない、この人はきっと横棒の方だろう、と思うから、なんとか分かってほしいと悩むということなのかな、と思います。

 ついでに批判側の「T型」について言えば、横棒がどんどん発展してVHFのアンテナみたいになってきてるのかな、と。(^^;;
 多様な視点、方法論での批判があるというのは、強みだと思います。例えばここで展開されているpoohさん独自の議論は、「ああなるほど」と思うことが多くて、とても参考になります。自分の問題意識に沿って、自分ができることをするというのは前提ですよね。

 伝わるということについて言えば、結局poohさんがおっしゃられるように、ゆっくりと経験を共有していくしかないのかな、と思います。「うーん、難しいねえ」とか言い合いながら。(^^;;;
 まあでもそこらじゅうで批判を目にするという状況を作るのが(ある程度広まってしまったものに対しては)一番重要ではあるんでしょうね。
 (…なんかまとまらないコメントですいません)
by FSM (2008-10-08 01:53) 

pooh

> FSMさん

多分ひとつあるのは、横棒は横棒で強靭さを目指す必要がある、と云うことだと思うんです。それは一面、縦棒に対する理解、と云うことでもあって(この辺りについてはTAKESANさんのよく言及されている部分ですね)。
縦棒にあたる部分の主張・批判のコアは、やっぱりそのままでは難しいんです(きくちさんにしろapjさんにしろ、どなたも噛み砕きの達人、的な趣はありますが、それでも)。そこを日常につなげる意味、と云うのはやっぱりあるんだろうな、とは思っています。

で、ぼくはどうも一歩一歩って云うのが性にあっているみたいではあるんですが、暗黙知的な段階としてはある程度「方法」の部分もやっぱり見えはじめてはいるんだろうと思いますし、lets_skepticさんのようにその部分について、実践の経験を踏まえて整理をはじめている方もいらっしゃる。こう云うのはやっぱり果実として享受すべきだし、貢献できるところがあれば貢献したいし、みたいな感じですかね。
同時に、縦棒との関連も示していく、みたいな部分も、まぁ(スキルはともかく)古手としては示していかなきゃ、みたいに自分では勝手に考えてます。

> そこらじゅうで批判を目にするという状況を作るのが(ある程度広まってしまったものに対しては)一番重要ではあるんでしょう

そう思ってます。
by pooh (2008-10-08 07:43) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

>横棒は横棒で強靭さを目指す必要がある、と云うことだと思うんです。それは一面、縦棒に対する理解、と云うことでもあって(この辺りについてはTAKESANさんのよく言及されている部分ですね)。

悪徳商法問題とニセ科学問題の違いというのは、たぶん、この横棒の強さを支える社会意識だと思うんですね。悪徳商法なんてのは、まともな生き方をしている人のほとんどが「社会に広がって良い物じゃあない」という意識があるわけですね。もちろん「引っかかる人間も隙がある」とかの意識もあるんだけど、基本的に悪徳商法に対する嫌悪感ってのは共有されている訳です。だから、私みたいな縦棒が「それはこういう悪徳商法ですよ、最近また増えていますね」なんて少し詳しく解説するだけで、多くの人が「こんなのがまた増え始めたらしい、気を付けよう」とか「あなたが話していたアレはどうやら悪徳商法らしいよ」なんて横棒に自然に成ってくれる。実際、ある人が「最近バスに老人が多くて、何かを貰いに仲間を誘って行っているらしい」に対して「催眠商法の手口ですね」と手口の詳細をお教えしたら、「どうしたら、あの老人たちを止められるのでしょう」なんて真面目に悩まれたりする訳です。

問題はニセ科学の蔓延に関して、「そんなのが広がるのは良くないね」という意識がなかなか共有出来ていないことにあるわけですね。そのために、悪徳商法なんかでは自然に起こり広がる横棒的活動に「気力をふるう必要がある」面が出てくるのだろうと思います。

by 技術開発者 (2008-10-08 09:01) 

pooh

> 技術開発者さん

あぁ、それはあるかも。
でもなぁ。そんなに難しく考えなくても、あきらかに変だぞ、と思えるものはあるんですけどねぇ(もちろんそう云うものばかりではないですが)。
目先の損得に結びつかない(ように見える)のが、想像力をちゃんと働かせるのを妨げてるんでしょうかね。
by pooh (2008-10-08 22:20) 

OSATO

今日の「ミヤネ屋」見たんですが、コメンテーターの方達が今回の件に対して「呆れた」という様なコメントを付けてましたね。でも今まで批判していた人にとっては、「何を今更」でもある訳です。
何か、「いつの間にか蔓延している状況とはこういう事だ」と言いたい気もしましたが、技術開発者さんのおっしゃるように、
>「そんなのが広がるのは良くないね」という意識がなかなか共有出来ていないこと
という事を改めて実感させられた気がします。
ただ、マスコミ側としては、今回の様なケースは割と問題にしやすい事の様にも思えるのですが、それが「善意」から来る行動の場合は中々批判的な立場にはなりにくい、アンタッチャブルの領域なのかなとも思ってしまいます。
by OSATO (2008-10-08 23:35) 

pooh

> OSATOさん

「ミヤネ屋」一部だけ見ました。
確かに、今回の事例はマスメディアとしては取り上げやすいケースだとは思うんです。でもまぁ、番組そのものはその「取り上げやすさ」にばかり準拠した恣意的なつくりではなかったので、まぁよかったのかな、とか思います。

ただその「取り上げやすい」部分(今回は「校長会」と云う要素)がなかった場合に、この種の問題にアプローチすることは、マスメディアには基本的に期待はできないんだろうな、とか思います。マスメディアは「善意」に基づいた行動を批判するようなストーリィでは報道できないでしょうから。

それにしてもブログ検索なんかかけて見ると、テレビ媒体のリーチにはやっぱりちょっと驚きますね。
by pooh (2008-10-09 07:43) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。少しピンボケの話になりますけど。

なんていうか、「形と崩し」の関係がおかしくなっている気がするんですよね。

真面目な偉い人がいて、仕事の時は真面目な話しかしない。飲み会でも一次会くらいは、比較的真面目な対応をしながら飲んでいて、二次会くらいで、ちょっと猥談とかする。そういう事で「あの人真面目一徹かと思っていたけど、人間味のある面もあるんだ」なんてのが「崩し」なんですよね。本来そういう人が、信頼されてきたんだと思うんですね。それがいつの間にか「あの人、飲み会だとけっこうエッチな話も好きだよ、人間的だな~」となり、やがて、しらふで仕事の話をしているときにエッチな話を交えるくらいでないと「人間的」と思われなくなり、やがて、朝礼の話の中にすらエッチなたとえ話が入る様になったりすね感じですかね。政治家の失言なんて聞くと、そういう世の中の「人間的」という判断がインフレを起こしている感じをうけるわけです。昔の考え方だと、そういう人は「人間性が下卑である」となるんですけどね。

なんていうか、私はTVのワイドショーなんかが始まったばかりの頃のことを思い出したりするんですね。でもって、なんていうか、司会もまず、きちんとした進行を淡々とするという前提の中で、悲惨な話に涙でつまったり、怒りで言葉が出なかったり、という面が時たま起こり、その部分が「人間的だな」と評価されたりしていたと思うんです。コメンティターにしても、冷静な解析をするのが前提で、それがたまに同情やら怒りやらを示す感じですね。
いつの間にか、そういう「崩し」の部分のみがどんどんと提供されていく社会に成っている気がする訳です。

つまり我々は「崩し」によってかいま見る人間性の部分がインフレした世界にいるという気がするんですよ。

by 技術開発者 (2008-10-10 08:58) 

pooh

> 技術開発者さん

この辺のお話はですね、なんと云うか「崩し」の美意識で育ったようなぼくなんかからするとけっこういろいろ感じたりもするんですよね。耳が痛い、と云うのとはちょっと違いますが。

ただ、「型」があっての「崩し」なのは間違いないんですよね。これはだいたいどんなものについても云える、と思います。

> つまり我々は「崩し」によってかいま見る人間性の部分がインフレした世界にいるという気がするんですよ。

そんな気はします。
本来「崩し」に対する評価は「型」に対する理解に基づくもので、それがないと評価とも云えないわけですから。
by pooh (2008-10-10 22:22) 

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