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ひとつの世界に、住まう (「虚空の旅人」上橋 菜穂子) [ひと/本]

こちらでレビューしたシリーズの、4作目を読んだ。

虚空の旅人 (新潮文庫 う 18-5)

虚空の旅人 (新潮文庫 う 18-5)

  • 作者: 上橋 菜穂子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/07/29
  • メディア: 文庫

いやもちろん2作目の闇の守り人も、3作目の夢の守り人も読んでいる。レビューは書かなかったけど、面白かった。でも、この4作目については、すこし読後感が違う。と云うか、1作目から続くテーマとも云うべきものが、より鮮明に打ち出されている、気がする。

1作目のレビューのコメント欄で、ハイ・ファンタスィと云う概念に関するお話を少しした。それは、物語世界をまるごとつくってしまうもの。誰でも連想するようにこの典型(にしてひとつの到達点、と個人的には思い入れる)は指輪物語で、トールキンはここで(シルマリルの物語を含め)創世神話からなにから全部つくってしまった。
で、1作目のレビューでも書いたけれど、このシリーズはハイ・ファンタスィに属する。ただ、中つ国に較べると、その世界のスケールは(いまのところ)だいぶコンパクトだ。もちろんこれは比較の相手が悪いのであって、逆に作品世界としての中つ国の全容なんてあのボリュームの指輪物語全巻を1回通読したくらいではまるきり把握できない(少なくともぼくには無理だった。30年も前、いまよりはるかに頭が柔軟だったはずの時期に読んだのだけれど)。少なくとも把握できていないと話を追えなくなる種類の「その世界独特のお約束」は、少なければ少ないほどいいのであって。前にぼくは、これをアン・マキャフリィの創造した惑星パーンになぞらえた(パーンもまた、主要人物の大半がもともとお知り合い、みたいな感じの狭い世界だ)。

でも、このことはその作中世界の底の浅さをまったく意味しない。
新ヨゴ、カンバル、サンガル。この世界に存在する国々は、どれも深みのある描写がなされている(ロタとタルシュについては、ぼくが読んだ限りの時点ではまだ舞台になってはいない)。
地勢的な要素。気候。自然環境。それらが生む国民の気質と、国ごとの経済的条件。そこから立ち上がる、各国それぞれ異なった文化と社会体制、それぞれの倫理観と道徳。そして、これらすべてを基盤としたおのおのの政体と、統治手法。これらをすんなりと混乱なく読者の頭にしみこませ、そしてそれを登場人物の行動原理の背景として読者に納得させる手腕は、じつにあざやかだ。
小説なので、もちろんその主眼はその世界の中で登場人物がどのように行動するか、と云うこと。でも、その行動を支える背景が充分なこころくばりをもって構築されているのとされていないのとでは、読む側の理解も、説得力もまるで違ってくる。この作品では(とりわけ登場人物の心理描写の入念さが印象的だった)直前の2作との対比もあって、そのことを強く感じた。
そして、重要なのはそれが「ひとつの世界」として提示されていること。その世界は登場人物にとってまったきものであり、それぞれが自分の視点を通してのみ理解するもので。それは日常でもあり、同時に不可解でもあるものであって、受け止める個人個人にしてみればけして物語的な整合の作業を施されてから与えられたものではない。作者がこのことを深く理解していることが、地に足の着いた読後感をこの作品に与えているのだ、と思う。

そう云うわけでこれまでそれほど積極的に追ってきたわけではないシリーズだけれど、多分今後はもうすこし一生懸命発刊を追うだろう、と思う。ただし文庫で。

とまぁ、ここまではなんとなく書評っぽく。でも、読書の楽しみはこれだけじゃない。と云うか、正直ぼくは今作のチャグムのキャラクターにすっかり魅了されてしまったわけで。
だいたい、ぼくは小説に登場する利発なこどもに弱い。こどもをみごとに描写する、と云う点では宮部みゆきが(ぼくがここ数年読んだ作家の中では)抜群の力量だと思っていたけれど、キャラクターに惹きつけられた、と云う点では個人的には上回る(特定のキャラクター限定ではあるけれど)。
年少の皇太子、と云う設定にありながら、チャグムは多くの対立するもののはざかいに立つ。自ら属する世界と、それと重なる別世界。統治者としての責務と考え方、庶民のくらしからの視点。そして(解説で小谷真理が指摘しているように)ある意味ではジェンダーさえ超える部分を、自らの裡に抱え込む。そしてその場所で、それら対立するもののどちらにもよりかからずに、自分自身の意思を保とうとする。やむをえない方便を理解し、でもそのままそれを所与のものとして呑みこんでしまうことをせず。
それは甘さ、なのだろうとは思うけれど。でも、なんと云うか「応援したくなる」と云う感覚を、小説を読んでいて久しぶりに得たのだった。
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コメント 6

TAKA

この記事を読んでいると、「読ませる文章ほど、裏では多くの設定を置いているのだな。」と、思いました。

私の場合、簡単な小話を作ろうと粗筋を考えていたら、その話の世界が脳裏に広がり、やたら長い話に変わる事があります。
私の見ていない場所で、知らない話が動いているのでは無いか、などと考えたりします。
そう思い込んで話を作っていると、当初考えていた筋書きから外れ、違う物語が出来上がったりします。
当初は私に従っていた登場人物たち。やがて私の元を離れ、各自で今後の行動を決める。これはこれで、面白いものです。

>「応援したくなる」と云う感覚

そういえば私は、「常に冷静に判断する主人公」よりも、「弱点を持ち、悩みながらも前に進む主人公」に親しみを感じます。
たとえばポケモンアニメの主人公、サトシ君。ライバルの、「クールで大人な考え」のシンジ君に比べれば、まだ共感を持ちます。普段はイマイチ頼りない主人公。しかし、ポケモンバトルに成ると、熱く燃えるその姿。分かりやすいキャラです。
by TAKA (2008-10-04 12:08) 

黒猫亭

なかなか面白いハイ・ファンタジーを読まれていたようで、羨ましい限りです。というのは、オレはこの一月ほどポツポツとキングの「ダーク・タワー」を読んでいたからなんですが(笑)、どうもキングという人は、SFにせよファンタジーにせよ、世界を丸ごとつくるタイプの話には向いていない、現在ある通りのアメリカを大前提に据えた小説のほうが上手いと思いました。

いや、そういう意味でジャンル小説としての結構には難ありなんですが、やはりそこはストーリーテリングの才能で読ませる部分が多々あるわけで、面白く読ませては貰ったんですが、ファンタジー、就中トールキンの影響を受けたハイ・ファンタジーとしては「うーむ」というところでした。
by 黒猫亭 (2008-10-04 15:25) 

pooh

> TAKAさん

多くの設定、と云うか、ファンタジーの読む側としてはつねに自分の想像の届く範囲を超える世界の骨格が欲しい、と云うのはあるかと。その骨格のなかで想像力を遊ばせるわけなので、揺るがないしっかりしたものであってほしいし、どうせならはじっこが見通せないぐらい広大なものであったほうが楽しいし。

ファンタスィってのはどことなく擬古的な設定のものが多いじゃないですか。このシリーズもそうなんですが、そのなかで登場人物としてチャグムはとびぬけて広い視野を獲得してしまっているんです。それに基づいて、自分の及ぶ範囲で行動しよう、と云う意思が健気で、共感できたりもするんですよね。
by pooh (2008-10-05 06:34) 

pooh

> 黒猫亭さん

「ダーク・タワー」は未読なんですが、キングの独特のなまなましさは舞台に負うところがけっこう大きいのだ、と云う話なんですかね。

これは経験的な実感でしかなくて根拠らしいものはないんですが、やっぱりハイ・ファンタスィについては女性のほうが上手かなぁ、とか思います。その創作した世界にあまりスケール感がない場合もありますけど、でもその代わりに稠密さで勝る、みたいな。まぁトールキンはここでは別格とさせてもらって(ぼくは指輪物語周辺については冷静・公平な評価ができないようなので)。
by pooh (2008-10-05 06:40) 

黒猫亭

>poohさん

>>「ダーク・タワー」は未読なんですが、キングの独特のなまなましさは舞台に負うところがけっこう大きいのだ、と云う話なんですかね。

未読ということですが、決してお奨めはしませんねぇ(笑)。普通のキング作品並の分量の文庫が一六分冊(ダーク・タワーは一本の長編小説だそうなので)ですから、全巻新品で揃えると一万円超えてしまいますし。ちなみにオレは古書で全巻揃えましたが、それでも数千円しました。全巻口絵が附いているんで、その分割高なんですね。

キング作品のリアリティというのは、現実に存在するアメリカ合衆国という膨大な拡がりを持つ社会を、メイン州という片田舎(田舎なんだろうなぁ(笑))を中心として饒舌なディテールによって掘り下げていく辺りにあると思いますので、実は怪異や超自然の描写というのはそれほど創造的ではないですよね。

超自然的な要素のアイディアというのは、彼が幼時から親しんだB級映画やパルプ小説のアイディアをそのまんま流用していますので、それほどイマジネーションのセンスが好いわけではありません。ただ、そういう安っぽいアリガチなイマジネーションを現代アメリカ社会の中に放り込んで、恰も目の前に存在するかのように妄想するという種類のイマジネーションは天下一品です。

それ故に、所謂キング式のモダンホラー以外のSFやファンタジーというのはどうも一段劣る嫌いが否めません。アメリカ社会という現に存在する総体を前提にしないと、キング式のリアリティというのは生起しないんですね。在るものを掘り下げるという形のイマジネーションですから、ないものを創造するという形のイマジネーションは三流以下という印象です。バックマンブックスのSF作品なんてのは、映画化されると俗流Z級映画にしかなりませんから、やっぱり現実にないものをイメージする能力やセンスは弱いんですよ。

それと、どうもハイ・ファンタジーの要である世界律の提示の段取りが弱い。結局すべて「神様の言う通り」の段取りになっていて、それを確固とした世界律として提示する手順が弱いので、最終的にメタフィクション的なギミックに逃げているという部分があります。まあ、ファンタジーとして採点するなら、誰も良い点は付けないと思います。

ただ、現代アメリカ人の世俗のドラマを描くという意味では抜群に読ませる才能があって、主要人物の人間ドラマとして視るならいつものキングの調子で読めるということがあって、大詰めの悲劇的な展開なんかやっぱり泣けました。また、キング作品には珍しく人間に忠実で裏切らない小動物が出てきて、これがまた可愛いんですよ(笑)。

普通、キング作品に可愛い小動物が出てくると、怪異の犠牲になるかペットセマタリーやクージョみたいに化け物に変身して人間を裏切るんですが、今回ばかりは最後まで人間との信頼関係が毀れないままに物語を終えて、小動物好きにとっては良いモチベーションになりました。
by 黒猫亭 (2008-10-06 04:08) 

pooh

> 黒猫亭さん

メーン州はアメリカでも一般的に田舎のイメージが強いところかと思います。ぼくなんか「寒い」と云うイメージとL.L.ビーンしか連想しないですね。

いや、やっぱり作家はそれぞれのテーマと、それに密接に関連する得手不得手みたいなのがあるのかもしれないと思います。
あと、北米大陸みたいに広大で自然の文化に対する影響力が強くて、みたいな土地はマジック・リアリズム的なニュアンスを生む力が相応に強いような気がします。実社会べたべたでも神話化の意味合いを持たせうる(普遍性を生じさせうる)ので、その種の作家にとっては手法としてハイ・ファンタスィを選択するのは向かないのかも。

あと、ホラーの技法とハイ・ファンタスィの技法はそれほど相性がよくないかも、とかも思いますけど、この辺はあんまりちゃんと考えて云っていないので眉唾ですね。
by pooh (2008-10-06 07:50) 

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