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迷信 [世間]

黒影さんの人はなぜ信じるのか—迷信と疑似科学—と云うエントリを興味深く読んだ。

ここで引用されている迷信が成立する基本モデルと云うのはうちやkikulogなんかで技術開発者さんが論じられている「人間の基本仕様」と云うのにも関連してくると思うし、ヒューリスティクス、と云う概念も関係してくるように思える。
ヒトが疑似科学的なものを信じる性質は生得的なものだ。
だから多分、その生得的な性質を乗り越えることが可能になる手法として現時点でいちばんましである科学と云うものの重要性が生じてくるんだろうな、みたいに思う。なんか表面的でつまらない感想ではあるけれど。
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コメント 2

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>技術開発者さんが論じられている「人間の基本仕様」と云うのにも関連してくると思う

まさに基本仕様論そのものと言っても良い考察だと思います。

基本仕様論の骨格は、まず生得的な仕様があり、その仕様をもつ人間がより生き延び易くなるために、「文化」を構築するという考え方にあります。そして、その文化の構築にあたっては、仕様から生ずる様々な傾向を「押さえつける」ばかりではなく「利用する」部分があるということです。

草の葉がすれて鳴る音を聞いたときに、風かライオンかと選択枝を作り上げ、その確率を出し、そして「草なら何も問題が無いがライオンなら死ぬ」と結果を予想し、そして確率に掛け合わせて期待値を出して「万が一、ライオンなら取り返しが付かないから逃げよう」なんてのは、時間が掛かりすぎて、たいていライオンに押さえられてから結論が出る。そのくらいなら「草がすれて鳴る音はとにかく怖いから逃げる」という能力を持つ方がはるかに「生き延び易い」からそうなっている。そして、その時には人間の基本仕様である、「何はともあれ怖ければ思考を停止して逃げる」という「弱い動物」の生得的な仕様が利用されている訳です。

ただ、人間が文明化されることで「生き延びるためのリアリティ」は失われ、人間の生得的不合理に対して疑問視が生じてくるのだろうと思います。それは、それで文化の発展がもたらしたものではあるのだけど、「不合理性の排除」が働くとき、文化が成立する根底となっている「不合理性の利用」の部分まで「不合理ではないか」と排除することで、文化が衰退しより大きな生得的不合理性が大きくなる事もあるのだろうと思います。

人間の文化の中に「騙すなかれ」という規範があるわけですね。論理的に考えても群れを作る生物が群れの中で騙し合うなら群れとして「生き延びやすさ」は大きく減衰しますから、合理的規範です。ただ、こういう規範は合理的考察のみで守られていた訳ではなくて、まさに「葉のすれる音は怖いから逃げる」ような不合理性の利用と同じように「騙すような事を言う奴は嫌いだ」という嫌悪感や「騙すような事をしてはならない」という禁忌感という感情の利用によって成り立っていた訳です。

問題はそういう文化の成立に利用されていた生得的な感情の利用が損なわれ始めているということにあるわけです。陰謀論を人に伝える人に対して「間違っていれば人を騙す悪人である」と感じる嫌悪感はもやは消え去り、自分が陰謀論を人に語るとき「間違っていたら自分は人を騙す悪人となる」という禁忌感は微塵も生じないという現象です。なぜなら、多くの人が「自分は文明化された人であるから、そのような不合理感情にしはいされてはならない」と思っているという事なんです。

by 技術開発者 (2008-09-17 08:10) 

pooh

> 技術開発者さん

> 問題はそういう文化の成立に利用されていた生得的な感情の利用が損なわれ始めているということにあるわけです。

そもそも合理性、と云うものがなにを目的としたものか、と云うのを考えると、それってけして盲目的な規範意識で評価されるような種類の事柄ではないはずなんですよね。どこまでも、そもそもは実利的。おっしゃるとおり、そう云う身もふたもない実利、と云うのがなかなかリアリティを伴って理解されなくなっていることも、根底にはあるのかな、とか思います。
by pooh (2008-09-17 22:59) 

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